竜王戦第四局
日本有数の温泉街である、和倉温泉郷。
その中で日本一の温泉旅館と名高い名宿『ひな鶴』。
ひな鶴には毎年多くの観光客が温泉と料理を求めて訪れる。
しかし今日はひな鶴の主役は温泉や料理ではなく将棋になっていた。
「竜王戦第四局。温泉旅館『ひな鶴』より中継しております。本日の解説は史上一人目の10代のタイトルホルダーとして次世代の将棋を担い手として期待され、先日玉将戦挑戦者決定戦で於鬼頭曜帝位を破り挑戦権を獲得した、山橋勇気盤王です。よろしくお願いします。」
「よろしくお願いします。」
俺の隣で慣れた口調で鹿路庭珠代女流2段、通称『たまよん』が進行をする。
「竜王は3連敗と非常に厳しい状況に置かれていますけど、兄弟子である山橋九段から見て竜王のこれまでの将棋は如何ですか?」
「そうですね……。初戦で少し自信を失ってしまったのかなという印象を受けています。でもこのまま簡単に沈んでいくことは、八一に限ってはあり得ません。昔から八一はどんな壁にぶつかっても諦めずにその壁を超えてきた。八一なら……名人に一矢報いることができると信じています。」
つい、言葉に熱がこもってしまう。
日本中のみんなが名人の勝利を願っている。今の八一にとっては日本中の人が敵に見えているのかもしれない。そんな弟の味方でいてやれるのは俺たち家族だけだ。
その後はここまでの3局の流れを軽くおさらいしたり、序盤講座などもやって時間を潰したがまだまだ対局開始までには時間があった。
「まだ対局までには時間があるので、本日のゲストの山橋九段のお話を聞かせていただきたいと思います。コメントから拾っていきましょうかね。」
ニ○ニ○動画のコメントが鬼のような速さで流れて行く。
『これから左美濃中心なのか?』『角交換左美濃は考えてたのですか?』『桂香さんは愛人なんですか?』『クズ竜王の勝機はあると思いますか?』『王将戦は自信ありますか?』『於鬼頭帝位戦は研究通りだったんですか?』
真面目な将棋の話から、地雷のようなもの、八一アンチと様々なコメントが流れてるな。
「やっぱりみなさん、先日の王将戦挑戦者決定戦のことについて聞きたいみたいですね。」
さすがたまよん、無難な進行をしてくれる。
「公式戦では前例のない戦型になったわけですけど、研究されていたのですか?」
「そうですね。角交換左美濃はおそらく、検討した人も今までに一握りの人だったと思います。でも必ずしも注目されない戦型が無力という訳ではないと思い研究しました。」
「なるほど……。その上で山橋九段は成立しているという結論に至ったのですね。」
「いや、そういう訳ではなく……実は僕の中でもまだ結論は出てません。なんとなく感覚でいける気がしたので……」
「感覚……」
たまよんが俺の顔をジッと覗き込んでくる。
今のそんなに問題発言だったかな?
いつも笑顔で前向きなたまよんの顔から笑顔が消えて怒ったような怯えているような目を向けられる。
……そんなに見つめられると照れるなぁ。
気まずくなり目を逸らす。逸らした先で別の視線とぶつかりフリーズしてしまう。
視線の主はカメラの後側で無言のオーラを桂香さんと銀子だった。
明らかに怒ってる……なんで?
そしてあいちゃんはなんでそんなに笑顔で俺にグッドマークをしてくるんだ。
「あの山橋九段?」
「は、はい。何でしょう?」
いかんいかん。仕事中だ、集中しないと。
「山橋九段といえば、やはり今期の順位戦で昇級すれば史上3人目のプロ入りから4年連続での昇級となり53年ぶりの快挙となります。将棋ファンの期待は相当なものですけれどプレッシャーはありますか?」
「確かに僕自身この偉大な記録に挑戦できるのは非常に光栄なことだと思っています。でも順位戦と同時に玉将戦も戦わなければなりません。正直あまりにもハードスケジュールで自分でも心配になります。……でも、年明けの3ヶ月で死んでも構わないというくらいの気持ちで臨みたいと思います。」
『88888888』『88888888』『ガンバレ〜』『来年も初っ端から見逃せないな!』
コメントでも暖かい言葉をかけてくれる。
会場でもささやかな拍手が巻き起こっている。
そんな中でちらっと桂香さんと銀子を見ると、二人は浮かない顔をしていた。
桂香さんは心配そうに俺を見ながら手を叩き、銀子は何かに怯えているような顔をして呆然と立ち尽くしている。
「今度一緒に研究会してくれませんか?」
「は!?」
祝福ムードの中、さりげなく距離を詰めて俺にだけ聞こえる声で話してくるたまよん。
あの、豊満な胸が……胸が……
「ちょっと待たんかい!」
部屋の中にコテコテの関西弁が響き渡る。
『なんだなんだ』『期待』『wktk』『放送事故?』
静寂のなかドスドスと足音を立てて歩いてくる一人の女性。
カメラの前に姿を現して、その正体が判明する。
『愛人きたー!』『今の声この人?』『清滝八段の娘さん!』『修羅場?』『でっけぇ。』『女流王将に勝った人だ!』
「あのうちの弟を変な道に誘惑せんでくれまへんか?この美人局!」
桂香さんの剣幕に圧されてジリジリと後ずさりして俺の後ろに隠れるたまよん。
これは桂香さんがキレた時になる関西人モード。
まずはたまよんに先制攻撃した桂香さんは今度はキッとこちらを向いて俺を叱りつける。
「なにデレデレしてんねん!仕事中やろ!?」
「はい!」
あまりの怖さに昔を思い出してつい返事をしてしまう。
「えっと……僕の師匠の清滝鋼介八段の娘で先日、マイナビ女子オープン決勝トーナメントで月夜見坂燎女流王将を破った清滝桂香女流2級です。」
取り敢えず紹介して、場を納める。
「……あれ。」
紹介されて正気に戻ったのか自分のしたことに気づき青ざめている。
助けを求めるようにこちらに目を向けてくる。口の動きだけで言葉を紡ぐ。
『たすけて』
怒ったり、涙目になったり、今日の桂香さんは祭神みたいに破天荒だ。
「今日は九頭竜竜王を応援するために、清滝一門全員がひな鶴にきております。カメラの向こうにいる2人にも少し登場してもらいましょうか。」
いきなり話を振られた2人の反応は全く別だ。
銀子はビクッとして反転して扉から逃げ出そうとする。
あいちゃんはというと……両手両足同時に動かしながら油の指してないロボットみたいにぎこちない動きで歩いてくる。
俺は小走りで銀子の後を追って無理やり連れ戻す。
「後で覚えてなさいよ。」
「……」
視線だけで人を殺せる。
この言葉の意味を俺は今日初めて知った気がする……。
「さぁ、これから竜王戦に向かう八一に応援のメッセージをそれぞれ送ってもらいましょう!」
「なんで私が八一なんかのために……」
「ふぇぇ~。みんなが見てる前で師匠に愛の告白を……」
正直台本無視もいいところだけど仕方ない。
これで放送事故は免れたはずだ!!……大丈夫だよね?
余談だがこの応援メッセージの後すぐに名人が対局場に登場したのだが、八一アンチがさらに急増してコメント欄が大荒れとなった。
やっぱり名人の人気は凄いなぁ。
✳︎
日本有数の温泉街である、和倉温泉郷。
その中で日本一の温泉旅館と名高い名宿『ひな鶴』。
深夜だというのに、ひな鶴は将棋関係者で賑わっていた。
『最後の審判』により指し直し局となった竜王戦第4局。
大盤解説場では生石さんと山刀伐さんというA級棋士二人による豪華な解説が行われている。次のタイトル戦の相手と一緒の部屋にいるのはなんとなく味が悪いと思い俺は大盤解説場を静かに後にした。……本音を言うと一人になりたかっただけだ。
体が心が熱い。
自分も早く将棋が指したいと思い体がウズウズする。
八一の活躍を嬉しく思う一方で、心の中がチクリと痛む。
名人と八一は盤上で本音で語り合っている。
俺には本音の一端も見せてくれなかった、あの名人が八一には本音で語っているのだ。
名人に選ばれたのは俺じゃなくて八一だった。
また八一は過去の俺を超えていった。
「なんでアイツなんだよ……。」
右手を強く握る。自分の心の中に渦巻く黒い感情を極力気にしないように努力する。
これは嫉妬という感情。俺の記録を後から次から次へと塗り替えていく弟に抱く決して誰にも見せない秘密の感情。
「………八一………。」
「?」
誰もいないと思って控え室に来たのだが、既に先客がいた。
その部屋にいた人は桂香さんと銀子だった。
銀子は今にも死んでしまいそうなか細い声で弟の名前を呼んでいた。
「八一も遠くに行っちゃうよ……。みんな私を置いて行っちゃうよ……。」
銀子が震えながら絞り出すように言葉を吐く。
「……嘘つき。二人とも嘘つき。『どこにも行かない』って、『置いてかないよ』って言ってたのに……。」
今の銀子の表情は俺がプロ棋士になって家を出る前の晩の時の表情と重なる。
ようやく俺は気が付いた。あの日銀子が言った言葉の意味に。そして近い将来俺は銀子を泣かしてしまうことになることを確信してしまった。
「ぎん……」
銀子を包み込むように支えていた桂香さんと目が合う。
桂香さんは目を細めて人差し指を口元に持って行く。
今は喋るなという桂香さんの合図。
「……」
こんなに近くにいるのに何もできない。
自分の無力さに歯噛みしながら静かに控え室を出る。
多くの人に多大な影響を与えた竜王戦第4局は八一の勝利で幕を閉じた。
5巻&今後のネタ振り終了です。
今回の話で触れられていない5巻の内容(天衣ちゃんやあいちゃんのマイナビ)は原作通りだと考えてください。