ちょっと進化して、ちょっと変わったモノクロ。をお楽しみください。
出会う。
『ねえ、■■■』
優しい声が聞こえた。ふと顔を上げると、高いところに女の人の顔があった。
僕はその人と手を繋いでいた。手を繋いで、どこかへ向かっていた。
『もしも■■■に好きな人が出来たら、絶対に守りなさい』
空気が甘くて、優しかった。これはきっと夢だ。甘ったるくて幸せな、夢だ。もしかしたら、これは僕の記憶なのかもしれない。
『絶対。約束よ?』
ああ、これはいつの記憶だろう。この時、僕はなんて返事をしたんだろうか? わからない。けれど、これはきっと、きっと。忘れちゃいけないことだ。忘れちゃいけないことだって、そう、記憶の中の僕が告げている。
背景が白く変わった。いつの間に移動したのか、俺にはわからなかった。気づけば、優しい女の人も居なくなっていた。
辺りは子供だらけだった。皆一様に具合が悪そうで、僕もお腹が空いていた。今まで感じたことがないくらい、お腹が空いていた。
1人、連れて行かれた。
2人、連れて行かれた。
連れて行かれた子が戻ってくることはなかった。連れて行った奴らは、失敗したと、顔をしかめていた。
皆怯えていた。皆泣いていた。僕も連れて行かれるのが、怖くて怖くて仕方なかった。
弱い僕は連れて行かれた。白いベッドに縛られて、実験開始と笑われた。僕は目を閉じた。
僕の記憶は、ここで、おしまい。
「……っくしゅ!」
1つくしゃみをして、俺は目を覚ました。まだ秋だというのに、やけに肌寒い。俺は寝ぼけたままで起き上がって、ざっと辺りを確認する。
辺りは薄暗かったが、幸い目はすぐに慣れた。見たところ、岩の壁と岩の天井しか見えない。視線を右に切ると、丸い穴が開いていて、その先には森が広がっていた。
「……ああ。村はずれの洞窟か、ここ」
状況を理解すると、どんどんと色々なことを思い出してきた。
俺には身寄りがない。町や村を転々としながら、盗みを生業にして生きている。盗みって言っても宝石なんかを盗むんじゃない。食料や生活必需品を直接盗んで、毎日食いつないでいる。
今日も俺は、今住み着いている森の近くの村で盗みを働いて、当面の食料を手に入れた。運悪くいつもの店主に見つかって、まあ、いつも通りにまけるだろうと逃げ出して……今日は、やけに店主がしつこかったんだった。取って食われるんじゃないかと思うほどの勢いで追っかけてきてたな。
それで、村の外れまで逃げてきて、なんとかまききって。どこかで休もうと思って、この洞窟を見つけた……と。それでいつのまにか寝ちまったわけだ。
「……さっさと出るか」
こんな所に長居する理由なんてどこにもない。今日は色々盗ってきたから、ねぐらに持ち帰って整理をしなきゃならない。
それに、さっきから妙にボーッとしている。今回はやけに深く眠ってしまったらしい。夢なんて見たのは……多分、初めてだ。こんな状況で誰かに見つかったら、きっとヘマをやらかす。
そう思って、この洞窟を後にしようとしたその時だった。
「ねぇ。誰かいるの?」
声が聞こえた。か細くて幼いが、よく通る綺麗な声だ。
「誰か、いるんでしょう?」
また聞こえた。洞窟の奥からだ。この洞窟の奥に何かがいる。
敵の気配を感じ取って、眠気は一瞬にして消え去った。今俺の頭にあるのは、現れた敵に対して、どう対処するか、という事だけだ。このまま立ち去るか、様子を見にいって、あわよくば危険を排除するか。少しだけ迷って、俺は様子を見にいくことにした。
洞窟の奥はさらに真っ暗だった。一歩一歩しっかりと先を確認しながら歩いて行くと、前方にぼんやりと格子のような物が見えた。牢屋……だろうか? 天然の洞窟を利用した、牢屋。
次第にこの暗さにも慣れてくると、牢屋の奥に何者かが居るのを確認できた。それと同時に、牢屋の中の何者かもこちらに気づいたらしい。牢屋の奥から、すぐ傍へと歩いてきた。
「お前は……何者だ?」
牢屋の中に居たのは、真っ白な少女だった。暗闇の中でも妙に目立つほど、真っ白な。
肩に掛かる程の長い髪も、まつげも、細い手足も。まるでミルクのようだ。唯一身に纏っている服……というか、ぼろ切れだけが、薄汚れて灰色に見えた。しかし、その汚れた服が、彼女の白さをさらに際立たせている。
俺のことをしっかりと見据えるその目は真っ赤だ。綺麗で、吸い込まれそうな瞳だった。
その姿。目の前の綺麗な生き物をひと言で表すならば……作り話の妖精。
その一方で、まるで幽霊のようだとも思った。前髪も後ろ髪も切り方が不揃いだ。痩せこけていて、手足は触れたら折れてしまいそうな程細い。それに、体を申し訳程度に覆うぼろ切れ。こいつは本当に生きているのかという疑問を抱いてしまうのも仕方ないと思う。
「……何者?」
少女が喋った。その声は、さっき洞窟の入り口で聞いた声と同じだった。
「私は、
希望。少女はそう名乗って、こちらに薄く微笑みかけた。
「わ……お兄さん、全身真っ黒だ」
希望は俺の来ている服をじーっと見てそう言った。その無遠慮な視線に、俺は少し苛立った。
「……真っ黒で悪いのか?」
村外れの森にねぐらを作ってそこに隠れ住んでいる俺にとって、闇に紛れられる黒い服は便利だ。忍者みたいな出で立ちだが、それなりに気に入っている。
「……んーん、別に。それよりお兄さん、私に食べ物くれる人だよね? 私、お腹ぺこぺこ。早く何かちょうだい!」
こいつ、俺を食事の配給係かなんかと勘違いしてやがるのか。
「……生憎だな。俺はお前に食事を運ぶ係の人間じゃ無い」
希望は一瞬目を丸くしたが、すぐにつまらなそうな顔になってその場に座り込んだ。まるで、食事なんて貰えなくて当たり前だとでも言うように。
「じゃあ今日はご飯無しかぁ……お腹空いた」
さっきから少女の声は常に明るい。状況と、その姿と、不釣り合いで不気味だ。
「……お前、何者だ」
「え? 私、さっきも言ったよ? 私の名前は、希望」
「名前じゃねぇよ。お前はなんでここにいる? お前はいつからここにいる? ……お前は、なんだ?」
俺はこいつが何なのかを知るために、低い声で、脅し気味に問いかけた。見た目危険はなさそうだが、こいつからは得体の知れない何かを感じる。それに、こんな子供を村外れの牢に入れて、食事すらまともに与えられないというのは異常だ。こいつがなんで牢屋に閉じ込められているかくらいは聞き出さないと、自分の身が危うくなるかもしれない。だから、脅してでも聞き出すつもりで言ったのだが……
「お兄さん、私のことが知りたいの!?」
こいつは、顔を輝かせてこんなことを言い出したのだ。
「……お前、そこは怯えるところだろうが。なんで嬉しそうなんだ」
「だって、久しぶりに会った人に私のことを知りたいって言われたら嬉しいでしょ? 私、誰かとお話ししたくてたまらなかったの! お兄さんがお話し相手になってくれるんだよね!」
「……まあ、そう、だけど」
それはその通りなんだが、なんだ、その言い方はどうにかして欲しい。俺がお前に構ってやってるみたいになるだろ、それ。
「ーーっ! やったー! お話しできる-!」
そう言って、希望は嬉しそうに牢屋の中を駆け回る。……あんなに細い手足で、よく走れるだけの体力があるな……って!
そうじゃない。そうじゃないんだ。俺はこいつが俺にとってどれくらい驚異なのかを探るためにこいつの話を聞くんだ。落ち着け俺。こいつのペースに流されるな。
「早く話せよ。そんなに待ってやるつもりはない」
「あ! そーだよね! ごめんなさい、お兄さん」
俺が声をかけると、希望はぴたりと停止して、また俺の前まで歩いてきた。
「えっと、えっと、何を聞かれたんだっけ?」
「なんでお前がここに閉じ込められているのか、いつからここにいるのか、だ」
「そうでした! へへ……。えっと、じゃあ、話すね! 私がどうしてここに閉じ込められてるかって言うとね! ……私、なんにでも色を塗るんだ!」
「は? 色を塗る?」
「そう! なんでもかんでもどこまでも、真っ黒に塗りつぶすの。だからここに閉じ込められたんだ」
「何言ってんだお前。嘘ついてるのか?」
色を塗るだけでこんな所に閉じ込められるってどういうことなんだ。そんなことあるわけないだろう。
「嘘じゃないもん、本当だもん! なんならここで塗りつぶして見せても良いんだからね!」
「じゃあやってみろよ。どういうことか証明してくれ」
と。そこまで言ったところで、希望が黙り込んでしまった。
「……どうした。早くやってみろ」
「……やっぱり、やらない。ここでもう1度やっちゃったら、私、もっと嫌いになっちゃう」
「何を?」
聞き返しても、希望はただ首を横に振るだけだった。
「でも、塗りつぶせるのはほんとだからね! 信じてね、お兄さん!」
「……ああ。信じてやるよ」
正直、よくわからない。だが、子供がこんな状態で閉じ込められる正当な理由ってのも、俺にはよくわからない。だから、とりあえず納得しておくことにした。
「えっと、それから……」
「いつからここにいるのか」
「そうでした!」
希望はまたえへへと笑って、頬を掻いた。
「えっと……すごく、すごく長くここにいる」
「それじゃわかんねぇだろ。具体的に何年ここにいるとかわからねぇのかよ」
「わかんない。ここ、外の景色もちゃんと見えないし、時計とかもないから」
そう言われて、そういえばこの牢に着いてから入り口側を1度も見ていないことに気づいた。本当に希望の言うとおりなのか確かめるために、俺は入り口の方に振り向いてみる。
見えたのは、差し込む橙色の光だけだ。日が落ちかけているのだろう。確かに、外の景色を見ることは出来なかった。
「景色が見えないんじゃ季節もわからない、か。納得したよ」
「そうだよ。だから私、どれだけここにいるのかわかんない。でも……外に居たときのことは、ちょっとしか覚えてないかな。それくらいはここにいるよ」
「そう、か」
ここに閉じ込められている理由は意味不明。いつから閉じ込められているのかもわからない。わかったのは、こいつの名前と、こいつが色を塗れる? ということだけ、か。
「ここに閉じ込められてから、ここから出して貰ったことはあるのか?」
「無いよ。1回も」
「俺が何者か、知っているか?」
「全然。ここ、人来ないから」
「……そうか」
……この希望という少女に危険はなさそうだ。こいつは今ここから出られない。そもそも俺のことを知らない。こいつが俺のことを村のやつに話したって、俺のねぐらがバレることはあり得ない。俺が2度とここに来なければ、尾行されることはないのだ。無駄な騒ぎを起こさずに、ここから出るのが1番だろう。
「行っちゃうの? お兄さん」
この牢屋から出るべく踵を返すと、後ろから寂しそうな声が飛んできた。俺は振り返らずに言葉を返す。
「ああ。ここにいる理由はもうないから」
「……また、来てね! お兄さん!」
「もう来ないさ。2度と」
「……そっか」
俺は歩き出した。コツ、コツと、洞窟に足音が響き渡る。
「お兄さん!」
また、声が聞こえた。今度はその声に寂しさは混じっていなかった。
「なんだよ! まだ何かあるのか!」
「私! お兄さんには怯えないよ! ……だって、お兄さんは優しいから!」
「……なんだよそれ」
俺は再び歩き出した。希望の言葉に返事はしなかった。
「またねー! お兄さーん! またねー!」
洞窟を出る俺の足音は、希望のでかい声にかき消されて、きっと希望には聞こえなかっただろう。
to be continued