本当に久々の更新は、モノクロ。です。文章を書く勘を取り戻せていなくてつたない文章ではありますが、楽しんでいただければ幸いです。
俺は堪らず駆けだした。真っ暗な洞窟を抜け、村の方向へ。
希望はきっと、村の奴らに連れて行かれたのだ。いつ連れて行かれたのかはわからない。だから、早く村に行かないと。希望が殺される、その前に!
「……っ!」
なりふり構っていられない。俺は再び煙になって一気に速度を上げる。クソじじいが居ないってことは、希望はきっと村まで連れ出されている。村の中心地には広場がある。そこなら公開処刑にはぴったりだろう。
「……クソ。クソ、クソ、クソ、クソ、クソ!」
息が切れてきた。この能力をこんなに長く、短い間に何度も使ったことがなかったから知らなかった。力を使うのってめちゃくちゃ疲れるんじゃねえか。
でも、走るのをやめない。俺の足は止まらない。駆けて、駆けて、駆けて、駆けて。なりふり構わず足を進めて……やっと気がついた。
「……なんだよ、これ」
やけに乾いた風が頬を撫でた。村が見渡せる丘。約一年隠れ住んだこの村で、見知っているはずのこの場所は……
踏みしめた地面はいつもの湿った土と草じゃなくて、真っ黒で、嫌にカサカサしたもの。これはまるで……
「炭、だ」
炭。俺が踏みしめた土だったはずのものは、真っ黒い炭に変わっていた。そして、それはこの地面だけじゃない。木も、岩も、全てが真っ黒になって、風に煽られてボロボロと崩れていた。
村もそうだ。ここから見下ろせる、村だったはずの場所全部が……まるで黒いクレヨンで塗りつぶされたかのように真っ黒に染まっている。
そこにあったはずの建物たちの一部は消え失せ、一部はその形を残したまま、崩れかけで立っている。活発とは言えないが、何人かは必ず表に出て活動していた村人たちは一人もいなかった。
そして。村の中心、広場の辺りに、白い少女がポツンと立っていた。
「……希望?」
呆けながら、ようやくポツリと漏らした俺の言葉は、音すらも消え失せたような感覚に陥るように静かなこの空間に、驚くほど大きく響いた。俺の声に気づいたのか、希望がこちらを振り返る。
「……あ、お坊さん」
振り向いた希望の、俺と格子越しに話していたときはキラキラと輝いていた目から光は失せていた。赤く、美しかったその目は……まるで、全てを飲み込もうとするかのような黒に染まっていた。
そこで俺は思い出した。希望の言っていたこと。目に写るもの全てを真っ黒に塗りつぶすっていう、彼女の力のことを。
希望が膝をつき、倒れた。俺は弾かれたように走り出して、丘を降りる。村のなかを走り抜け、広場に倒れた希望に駆け寄る。抱き起こすと、希望はわずかに目を開けた。
「わたし、また、やっちゃった。あたまのなか、嫌いばっかりになって……それで……」
「塗りつぶした、んだな?」
希望の頬を涙が伝う。その眼は、すでに赤色に戻っていた。
「お坊、さん。ごめ……なさ……」
そこまで言って希望は意識を失った。俺と希望の能力が似た物なのだとしたら、かなり広い範囲を能力で『塗りつぶした』希望は今、体力を使い尽くした危険な状態だろう。ろくに食い物食ってないのに、めちゃくちゃ体力を使ったのだから。なにか食べさせないとまずい。
「とりあえず、俺のねぐらに……」
そう言って抱き上げた希望の体は、俺の思っていた以上に軽かった。
「ん……」
琴の弦を弾いたような美しい声がアジトに響いた。それに気がついた俺はガスコンロの火を止めて希望を寝かせていたベッドの方を向く。
「おう、起きたのか」
希望は少し辺りを見回すと、不思議そうにこてんと首をかしげた。
「……お坊さん?」
「……ああ、そうだ」
なんだか肯定するのは癪だが、一応肯定しておく。どう否定してもこいつはお坊さん呼びを変えるとは思えないし。
「ここどこ?」
「俺のねぐらだよ。あのあと倒れたお前を運んできたんだ。……お前、あれから三日も寝てたんだぞ」
そう。希望は三日眠り続けていた。ちょくちょくスープなんかを食べさせたり、水を飲ませたりして栄養補給はさせていたが……このまま目覚めずに死ぬんじゃないかとヒヤヒヤした。
「……どうして?」
「どうしてってお前、そのまま放置するわけにも」
「そうじゃなくて!」
希望が叫んだ。久々に声を出したからか、噎せて咳をした。
「おいお前、水飲め」
俺は素早く紙コップに水を注ぎ、希望に手渡そうとするが、希望はそれを手で制した。今までの希望には無い雰囲気に圧され、俺はコップを持った手を引っ込める。
「わたし! ……我慢できなかったんだよ?」
希望が言っている事の意味がわからなくて、少し考えた。我慢できなかったって、どういうことだ?
少し前のことを思い返して、ああ、あの事かもしれないと少し思い出したのと、希望が次の句を告げたのはほとんど同時だった。
「我慢できなかったのに、どうして助けてくれたの? どうして怒ってないの? ……どうして、そんなに優しいの? わたしは、わたしのことが……!」
そこまで言ったところで、盛大に腹の虫が鳴く音がした。もちろん俺じゃない。希望だ。
「……スープ、飲むか?」
「……うん」
ガスコンロを再点火して、作りかけのスープを温める。ぱちぱち弾ける火の音と、俺が鍋をかき回す音だけがねぐらに響く。
「……最初に言っておくけどな。お前が、力を使うことを……村を塗りつぶすことを我慢できなかったからって、それがお前を助けない理由にはならない。でも……なんでお前を助けたのか、俺もよくわかってないんだ。ただ、あの時……なんでか、お前を助けなきゃいけないって。お前を助けるのが正しいんだって、そう思った」
「……そっか」
あの時の俺の頭の中には、希望を助ける以外のことはなかったと思う。それこそ、なにかに突き動かされるように、ただ希望を助けたいという思いだけで走っていた。そこに自覚できる理由なんて、一つもなかった。
「お坊さん。わたしね、わたしが嫌いなんだ」
希望が呟いたその言葉はきっと、さっき言おうとしていたことの続きだ。これまでのあいつからは考えられないくらいに弱々しくて、か細い声に、俺は思わず振り返った。希望は目を伏せ、身に纏ったぼろ切れをぎゅっと握りしめていた。
「わたしね、色んなものが、すぐ嫌いになっちゃうの。わがままなの。暗くてじめじめした洞窟が嫌い。一人が嫌い。寒いのが嫌い。暑いのが嫌い。ご飯をくれなかったり、わたしを……化物を見るような目で見る村の人も嫌い。ぜんぶ、ぜんぶ嫌いなの。でも、駄目なんだ、わたし。なにかを嫌いって思ったらいけないんだ。だって……嫌いがいっぱいになって、我慢しきれなくなっちゃったら……わたしは、ぜんぶ塗り潰しちゃうから。大切なものも、大切な人も、ぜんぶ。だから、わたしは、そんなわたしが一番嫌い」
ぽたり。希望が体をぎゅっと縮めた拍子に、その真っ白な膝に涙がこぼれ落ちた。
「壊したくないのに。殺したくないのに。大切なものも、失くしたくないものも、ぜんぶ、ぜんぶ塗りつぶしちゃう。……こんなわたしなんて、助けてくれなくてよかったのに。助けてくれる理由もわからないなら……悪い子のわたしなんて、ほっといてくれたらよかったのに」
「……そんなことできるわけねぇだろ」
「え?」
俺の言葉を聞いた希望がばっと顔を上げる。涙でグシャグシャの希望の顔をしっかりと見つめながら、俺は次の句を告げる。
「俺は、俺が助けたかったからお前を助けたんだ」
こんな気持ちは初めてだ。
「お前が悪いやつだとか、お前が自分のこと嫌いだとか、そんなことは関係ないんだよ」
人は一人で生きていく生き物だと、ずっと思っていた。
「俺はさ、お前と初めて話すまで、まともな会話なんて一回もしたことなかったんだ」
目が覚めたときには記憶がなかった。頼れる人なんていなかったし、人に頼ったら悉く裏切られた。だから、人と話すことなんてなかった。
「知らなかったよ。人と話すのが楽しいなんて、そんなこと。俺は、なんだかんだ、お前と話をするのが楽しかった」
なんだかこいつのことが気になって、心の中で言い訳なんかして、もう二度と来ないと思っていたはずのあの洞窟にもう一度足を運ぶくらいは……俺はこいつと話すのが楽しかったんだ。だから、俺は。
「俺は、お前のことを助けたいと思ったから助けたんだ。俺が、助けたいと思ったから! だから、お前のことを放っておくなんてできるわけない! ……だから、助けてくれなくてよかったのに、なんて、言わないでくれよ」
こんな気持ちは、初めてだ。誰かと一緒にいたいだなんて。
「……わたし、お坊さんのことも、塗り潰しちゃうかもしれないよ? いつか、お坊さんのことも嫌いになって、塗り潰しちゃうかもしれないよ。……それでも、いいの?」
「いいよ。許す、俺は。もし、そんなことになっても。許す」
「……そっ、か」
ぽろぽろ、ぽろぽろ。希望の目から涙がこぼれる。やがて声をあげて泣き始めた希望の頭を、俺は恐る恐る撫でる。白い髪の毛に手を滑らせる感覚が妙に心地よくて、俺は希望が泣き止むまで、撫でる手を止めなかった。
ほったらかしだったスープは焦がした。
to be continued