希望が目を覚ましてから二日が経った。現在時刻は午前3時。昨日まで森の一角に確かに存在していた俺のねぐらは綺麗に解体されていた。俺と希望は必要最低限の荷物だけを持って、今まさに解体し終わったねぐらを出るところだ。
「お前、荷物重くないか? 大丈夫か?」
「わたしをあんまりバカにしないで欲しいなぁ、お坊さん? 全っ然大丈夫なのです! ……ふぁ……あふ」
「そうか。まあ、きつかったら言えよ。行くぞ」
希望は眠そうながらも、元気よく返事をした。ずっと牢屋の中にいて、ろくに食事も摂らせてもらえていなかった希望。牢屋の中で跳んだり跳ねたりはしていたから、俺が見ている限りでは運動面では問題なさそうだが、心配するに越したことはない。なにせ、これから山を降りるのだから。
俺たちが今いる場所は、埼玉県北西部の山奥にある村の、さらに奥にある森だ。俺はこの森に隠れ住み、時々村に降りて必要なものを盗んで生活をしていた。
しかし、5日前に希望が村を全て炭に変え、壊滅させてしまった。それによって、新しい食料などの確保ができず、ついに食料がほぼ底をついてしまった。ここで生活を続けていくのは困難だ。ここを出て、新たな拠点となる場所を探しにいかなければならない、と。まあ、そういう事だ。
「ねえねえお坊さん、これからどこに行くの? 次のねぐらを探す~って言ってたけど……ええと、あてもなく? 歩き回るの?」
「いや、あてはある。山を降りると大きな街があるんだよ。マリアクアンってところだ」
マリアクアン。山の麓に位置する街で、そこそこ名の通った都市だと記憶している。日本らしからぬ都市名だが、こんな名前がついているのには理由がある。
今よりもずっと昔。古代魔法文明と呼ばれている時代に存在していた、四大都市のうちの一つ。それが俺たちがこれから向かう街、マリアクアンだ。
この、古代魔法文明四大都市と呼ばれる場所は、過去の歴史を現代に伝えるために、名前を変えずに当時のままの名で読んでいるらしい。それが、マリアクアンが日本らしからぬ都市名である理由だ。
「その街の外れに、人の寄り付かない空き家があったはずだ。そこそこ大きかったから、そこがまだ残っていれば、いい拠点になるだろう」
「へぇーえ」
ぶっちゃけ、拠点としてはいままでのねぐらよりもよっぽどいい。わざわざ雨よけを作る必要もなし。ベッドなんかが残っていれば、希望もよく眠れるだろう。人が寄り付かないと言っても、絶対に誰も来ないと言い切れないというのが難点だが……まあ、それに関してはいままでのねぐらだって同じだろう。隠れるなりなんなりでやり過ごせばいい。
「そっかぁ……おうちかぁ……楽しみだなぁ、おうち……」
希望ははにかみながらそう言った。
「そんなにか?」
「そんなにだよ! ずっと、ずーっと昔だもん! おうちに住んでたの!」
「前はどんなところに住んでたんだ?」
「えぇ? どんなところって……普通のおうち?」
「いや、普通のって言っても、普通の家にも種類があるだろうが。洋風の家とか、和風の家とか……」
「えー、わかんないよ。だってわたし、今まで住んでたとこは、おばあちゃんと住んでたおうちと、あの……洞窟、だけだもん」
「あぁ……そうだったな」
ちょっと、希望に悪いことを聞いてしまったかもしれない。そもそも、よく考えれば希望が昔、どんな家に住んでいたかなんてわかりきったことだった。あの村には洋風の家なんて一軒も建っていなかったのだから、和風の家に決まってる。
「おばあちゃんとおうちで暮らしてたときは、スッゴク楽しかったんだぁ。ご飯も美味しかったし、なんでもわがまま聞いてくれて! おばあちゃん、とっても優しかったんだぁー。……本当に、優しかった……」
「……ん? どうした?」
希望が急に黙り混み、足を止めた。振り返ると、つい今まで楽しそうに話していた希望は、うつむき、その場に立ち尽くしていた。
「……大丈夫か?」
「……ん。大丈夫! なんでもないよ、お坊さん! ささ、行こう行こう! 早く町まで行かなきゃいけないんでしょー?」
「……おう。そうだな」
「ほら、早く早く~!」
「いや、おいこら待てお前!」
希望は急に元気になると、俺を追い抜いて走っていきやがった。元気になったのならいいが、流石に一人で先に行くのは危ない。俺は追いかけていって希望の腕を掴んだ。
「待てって。危ないだろ」
「わわ、お坊さん……」
ほっと胸を撫で下ろす。怪我をする前に捕まえられてよかった……。
「もしかして、おてて繋ぎたいのぉ~?」
……は?
「やだなぁ、お坊さんたらぁ! そうならそうって言ってくれればいいのにぃ、もぉー!」
頬を赤らめ、体をくねらせながらそんなことを言う希望。……こんなガキに腹を立てるのも少々大人げなくて癪だが。少し……イラッッッッッッと来た。こんな時にすることと言えば、まあ、一つしかないだろう。すなわち。
「……っせいぁ!」
「あいたぁ!?」
全力のチョップと言うやつだ。当然だな。
「痛いよ! お坊さん! 何するの!!」
「いや、なに。ちょっとな」
「わかんないよ! 理由がわかんないよ!」
「ちょっとな」
「もぉ! お坊さん!」
希望はぽこぽこと俺の腰辺りを両手で殴ってくるが、大して痛くない。マッサージ程度だ。試しに希望のおでこに人差し指を突きつけ、ぐいっと押し退ける。それだけで、希望は俺に向かってくることができなくなる。ふはは、非力非力。
「んーっ! んーーーーっ! お坊さん! おでこ突っつくのやめて! やめてー!」
「……お前、無理してないか?」
「ふぇ?」
希望の動きが止まる。となると、いつまでもおでこを突っついてるのも悪い。指を離すと、希望のおでこは真っ赤になっていた。
「え、え。……どしたの急に。わたし、むりなんかしてないよ! ほんとだよ!」
「……そうか。それならいい。さあ、先を急ごう。日が上る前には街に着きたいからな」
「えぇ~! ちょっと待ってよお坊さぁん! 歩くのはやいー!」
……嘘、だな。さっきから、家の話をしていた辺りからこいつはずっと空元気だ。どうせ、よくないことを思い出して、それを隠すためとか、忘れるためとか。そんなことであえて元気に振る舞っていた。こんな時間に出てきた意味がなくなるから、落ち込んだり泣いたりして足を止められるのも困るが……そんなの、無理するよりはよっぽどいいと思うんだが。
ただ……こいつが元気に振る舞うことをやめないって言うなら、それをやめさせる権利は俺にはない。
「……ん、あれ、お坊さん?」
手を。希望の手を握った。
「ど、どしたのどしたの、お坊さん、本当におてて繋ぎたかったの!?」
「……」
「え、え? えぇー?」
手を、繋いだら。少しは安心するだろう。先行きがわからなくても、その先に怖いことが待っていたとしても。握った手の温もりは、心を安らがせてくれる。それを、僕は、知っている。
「……お前、勝手に先にいくからな。はぐれられたら俺が困る」
「ええー! 何それぇ!」
茶化すように、いたずらっぽく笑う。希望はむすっとして顔をそっぽに向けるが、俺の手は握ったまま離さない。まあ、つまりはそういうことだ。
山を降りて、マリアクアンに到着するまで。俺たちは、決して手を離すことはなかった。
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