「あああああああああああああああああああ!」
ずぶり。ずぶり。ずぶり。ずぶり。希望から広がる
「……おい」
今俺は、希望が自らの力を振るっている姿を初めて目の当たりにしている。あの、村をまるごと飲み込んでいた黒い世界を見た時。こいつの力は凄まじい物なのだと思っていた。だが、ここまでとは思わなかった。まるで侵略。希望の足に触れた床が、床に繋がっていた近くの柱が、そして、同じ床に立っていたタイマの足が。希望の足元から広がる黒に触れたとたんに炭に変わっていく。そして、あの時と同じように。黒い世界の中心にいる、真っ白い彼女だけが一際存在感を放つ。まるで、黒の世界のお姫様のように。
「ああああああああああぁぁぁっ! っあああああああああああああ!」
「……おい、お前」
正直、呆気に取られた。けれど、だからといって思考を止めるわけにはいかねぇ。この力の発動は。この光景は。希望が望んだものじゃないからだ!
「おい! 希望ぃぃぃぃぃっ!」
叫ぶ。あらんかぎりの力を込めて。喉が張り裂けそうなほどに痛々しく叫んでいる希望に届くように。俺は、未だに重い体を無理矢理持ち上げるように立ち上がる。あの黒い世界に飛び込んででも希望を止めるために。痛ぇとか、力が入らねぇとか、俺の体も黒に染められてしまうとか、そんなのはどうだっていい。あいつがしたくないことをあいつ自身が止められねぇなら、俺が止めてやらなきゃならねぇ。その程度のこともできないようじゃ、俺は、あいつと一緒にいる意味がねぇ!
「あああああああああああああっ………! はっ! う、げほっ! ごほっごほっごほっ!」
俺の叫びが届いたのか。俺が希望の元へ飛び込む前に、希望は何かに気づいたかのように叫びを止めると、そのまま激しく咳き込みながらうずくまった。それと同時に黒の世界はぴたり広がるのをやめた。柱の一部が外からの風を受けてパラパラと崩れ、下半身をまるごと侵食されたタイマは、上半身が下半身から滑り落ちて、そのまま希望の真横に倒れた。
「希望!」
俺は姿を煙に変えることで一気に希望に近づき、まだ咳き込んでいる希望を泣かば無理矢理にタイマの近くから引き剥がした。普通ならあり得ないが、この男ならば下半身を失ってもなにかをしてくるかもしれないと。そう思ったのだ。そして、案の定。タイマは地に伏したまま、くつくつと笑っていた。
「あぁ……素ぅ晴らしぃな……これが、これが君の力なんだね……! やはり……僕は、君、を……っ!」
ダン! と。家中に大きな音が響き渡るほどの渾身の力を込めて、俺はタイマの頭を踏みつけた。この不気味な男が、一刻も早く身動きが取れなくなるように。
「……もう、てめぇは喋るんじゃねえ」
タイマの体から完全に力が抜ける。流石に終わったろう。もう、こいつは動かない。
「おぼ、さん。わたし、また……」
咳が落ち着いた希望が、苦しそうにそう言いながら顔を上げる。が、俺はそれを制止した。今希望が顔を上げると、すぐに動かなくなったタイマが見えるだろう。……流石に、胴体が真っ二つになった人間を見るのはキツいだろう。
「顔を上げない方がいい。そのままここを出よう」
「ん。……でも、大丈夫だよ。わたし、慣れたから」
そう言うと、希望は俺の手を避けて立ち上がった。そして、真っ直ぐに倒れたタイマを見つめると、へらりと笑う。
「ほら、へーき。いっぱい見たもん、わたし」
振り返った希望の、その、濁っているのに綺麗な瞳に射ぬかれて。
「……そう、か」
俺は、ただそれしか言えなかった。
マリアクアンの中央には、大きな噴水がある。これは古代魔法文明の時に作られたものらしく、かなりの時が流れた今でも、当時の魔法動力で動いているらしい。どういう理屈で動いてんのかはさっぱりわからないが、まあ、ものすごい技術なんだろうなってことだけはわかる。
それはそれとして。よく目立つこの噴水は待ち合わせ場所としても使われていて、ベンチなんかもたくさんある。俺たちは今、そんなベンチのひとつに座って、コンビニから盗んできたおにぎりを食べていた。
あの家を出てからもう、数時間は経っている。なるべく早くにあそこから離れたかったから、ほとんど荷物は持ってきていない。結局、今朝盗んだものの大半を置いてきてしまった。
「……食べないのか? おにぎり」
「……ん、食べるよ。だいじょぶ」
隣でほんの少しだけおにぎりをかじったまんまボーッとしている希望とは、あれからほとんど会話をしていない。今みたいに、俺が話しかけたら返事をする程度だ。
「ふぅー……」
自然とため息が出る。ガキの癖に妙に頭の回るこいつは、きっと今色々考え込んでるんだろう。もちろん、良くないことを。……こういう時、どうすればいいのか俺にはわからない。せめて気が紛れないかと話しかけてはいるが、そんなに話題があるわけでもない。今日はどこで寝るんだとか、これからどうするんだとか、考えなきゃいけないこともあって、もうどうすりゃいいかさっぱりだ。あぁ、せめて希望がいつも通りに頓珍漢なこと言ってくれりゃあちょっとは頭も回るかもしれないのに……。
「ねえ、お坊さん」
「おっ……! おう、なんだ」
とか考えてたら急に話しかけてきやがった。いや、助かるんだが心臓に悪い。
「世界って、生きづらいね」
「……ったく、お前はどこでそういう言葉を覚えてくるんだか。……そうだな。生きづらいよ、本当に。俺に恨みでもあんのかってくらい、世界は面倒事ばっか運んできやがる」
「……全部、塗りつぶせるかな」
「は?」
「人も、物も、建物も、全部、ぜーんぶ、わたしは塗りつぶせるんだよ。だったら、ずっとずっとそれを続けたら、わたしは……世界を全部、塗りつぶせるかな」
「お前、それは……」
「全部、全部真っ黒の、わたしとお坊さんだけの世界。他の全部が塗りつぶされた、わたしたちの世界。それって、とっても素敵じゃない? ね。お坊さん」
「……そうだな。なんもなくなったら、こそこそする必要もなくなって。信じきれない人間も、次から次へと出てきやがる厄介事も、ギリッギリの苦しい毎日もなくなったら……きっと楽だろうな」
希望はそっと目を伏せた。濁った赤の瞳は、外側から呑み込まれるように底無しの黒に変わっていく。
「……やっぱり、お坊さんもそう思うよね。じゃあ……」
「でも駄目だ」
今まさに立ち上がろうとしていた希望の動きが止まった。そして、意外そうな顔をして、俺の顔を見た。俺は希望と目を合わせず、遠く、空を見て続ける。
「楽だろうけど、つまんねぇよ。そんなの世界に負けたみたいでやってられねぇし、そのうち辛くなるだけだ。それに、そんなことしたらお前、いつまでも自分のことが嫌いなまんまだろうが」
「……好きになんて、なれないよ」
「そんなんわかんねぇよ。絶対に他人と関わらねぇって決めてたはずの俺が、何でか知らねぇけど今、お前と一緒にいるんだ。……認めたくねぇけど、きっと、人の心なんてそんなもんだ。だからお前もいつか、その時が来るかも知れないぞ」
「……すっごいお腹すいてたの、思い出した」
「ようやく食う気になったかよ」
「うん。……いただきます」
隣から聞こえる、パリパリという音を聴きながら。気にすることが一つなくなった俺は、今日のねぐらをどうするかと考える。もう、夜の帳が降りていた。
to be continued
日暮れ前。鬱蒼とした森の中にひっそりと佇む家の中で、下半身を失った男は倒れていた。
まるで、世界にその男の下半身が初めから存在していなかったかのように、断面から血は流れず、内蔵も見えない。ピクリとも動かぬ男が生きているなどと、きっと、誰もが思わない。
「……流石に、意識を失ってしまったら時間がかかるなぁ」
世界は、錯覚していたのだろうか。ゆっくりと、本当にゆっくりと立ち上がるその男の下半身は、確かに上半身に繋がって、存在している。
「いけないいけない。僕の悪い癖だ。喋りたがるし考え込む素晴らしいものを見たらその感動に浸ってしばらく止まってしまうあぁしかししょうがないじゃないかだって僕は……でも、逃がしてしまったことは反省しなきゃいけないかなぁ。さて、どうしようか。流石に僕が追うってのも芸がないし……あぁ、そうだ!」
男は、タイマは。醜悪な笑みを仮面のようにその顔に貼り付けた。
「あの子に頼もう。きっと、面白いことになる」
タイマは笑う。クツクツと笑う。彼は自分の下半身だったものを踏みつけて家から出ると、ズボンのポケットから携帯電話を取り出した。