東方キャラを病ませたい   作:ぬいカス

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リリー後編

 

 ふすまを開けると、六畳一間の座敷に、煙草の煙がたちこめていた。

 ○○は昔から、この匂いが苦手だった。何が良くて、わざわざ煙を吸い込むのか、理解できなかったからだ。

 しかし、今となっては、その気持ちも分かる気がする。人は社会に生きる上で、精神的に脆過ぎるのだ。

 だから何かにすがりつきたいと思うし、そのために煙草や酒に依存する者が多いのだろう。

 

 それに、身近にいる親しい者を頼るより、遥かに楽だからだ。

 それらの嗜好品は値段も安く、容易に手に入るのも大きい。依存してしまうと分かっていても、それを止めることができない。

 ○○にはそれが分かる。自分がそうだったからこそ、余計に分かるのだ。依存を克服するのは、並大抵のことではない。

 

「来たか。とりあえず、そこに座りなさい」

「はい」

 

 ○○は促されるまま、座布団の上に正座した。目の前では、煙草をくわえた男が胡坐をかいている。

 彼は、この家の主であり、○○の養父でもある。もう人生を折り返している年齢で、髪にも白が目立つようになった。

 恰幅は良く、腹回りだけがでっぷりと突き出している。そのため、着物の上からも身体の輪郭がよく分かった。

 

「店の方は順調みたいだな。お前に店番を任せてから、客足も増えてきたらしいじゃないか」

「ええ、まあ……」

「取引先の旦那さん方の評判も良いぞ。お前になら、安心して任せられるってな」

「ありがたい限りです」

 

 養父は上機嫌そうに笑った。だが、すぐに表情を引き締めると、真剣な眼差しで○○を見据えてくる。

 

「わしも、お前のことは信用しているが……最近どうなんだ? 例の件については?」

「……それは、まだ何とも」

「そうか。焦るなと言いたいところだが、なるべく早いうちに身を固めてほしいからな。わしがそうだったように、子宝にめぐまれない夫婦というのは辛いものだ。それに、お前だって独り身じゃ寂しいだろう?」

 

 ○○は渋い顔をすると、頭をかいて目をそらした。

 彼が言う例の件とは、自分に嫁を娶らせる話である。つまり、お見合いの話だ。

 ○○が大人になってしばらく経つが、彼はいまだ独身であった。そして、それを心配した養父から、催促されている状況なのだ。

 

「嫁の相手くらいは自由に選ばせてやりたいんだが、結構な数の縁談が来ていてなぁ……。断り続けるのも立つ瀬がない。悪いが、今月中には決めてくれないか?」

「……分かりました」

 

 ここまで育ててもらった養父の頼みとあっては、断るわけにもいかない。○○は渋々ながら了承した。

 

「うむ。お前が自分で相手を見つけるのが一番良いのだが、こればかりは仕方あるまい。一応、いくつか候補を選んでおいた。後で目を通しておけよ」

 

 養父はそう言って、紙束を手渡してきた。○○はそれを受け取って礼を言うと、部屋から出ていった。

 

 自室に戻り、紙束を放って畳の上に寝転ぶと、ため息をつく。それからしばらくの間、ぼんやりとしていた彼だったが、やがて起き上がると、仕事机に向かった。

 

 椅子に座って引き出しを開けると、中に入っている押し花のしおりを取り出す。それは、かつて妖精の少女に貰った一輪の花で作ったものだった。

 

「……リリー」

 

 物思いにふけるような顔で、ぽつりと呟く。彼の脳裏に浮かぶのは、過ぎ去った日々に見たリリーの姿。

 彼女は、いつも明るく元気で、笑顔を絶やさない少女だった。彼女に抱き締められた時の甘い花の香りを、今でも鮮明に覚えている。

 穢れなき無垢なる花のように、純真で愛らしかったリリー。その可憐さは、幼少期の○○にとって、太陽よりも眩しく映っていたのだ。

 

 ○○が嫁を娶ることになった時、対象として真っ先に思い浮かんだのはリリーだった。そこで初めて、自分が彼女に恋心を抱いていたことに気付いたのだ。

 しかし、リリーが自分と同じ想いを抱いているとは限らない。彼女は自分のことを、弟のようなものと見ているかもしれないのだ。

 

 大人になった今では、自由に彼女に会いに行くこともできる。それをしなかったのは、彼女の気持ちを確かめることが怖かったからだ。

 それに、一度は自分から彼女を拒絶した身だ。今さらどの面を下げて会いに行けばいいのか分からないという感情もあった。

 そんなこんなで、ずるずると引き延ばしている内に、最終通告を突き付けられてしまった。このままではいけないと思いつつ、どうしても決心がつかない。

 ○○は途方に暮れていた。

 

 ふと手に持ったしおりに視線を落とすと、リリーの顔を思い出す。別れ際に目にした、悲しげな表情が忘れられなかった。

 彼女の青い瞳に涙が浮かんでいる様は、まるで波間に揺れる宝石のようだった。それが雫となってこぼれ落ちる前に、○○はその場を離れたのだ。

 あの時はただ、彼女が泣く姿を見たくなくて、逃げるように走り去ってしまった。別れ際に泣くのは、いつも自分ばかりだったのに。

 リリーを悲しませたのが、罪の意識となって、今でも○○の胸の奥底に残っている。

 

 今後の人生において、どこかでそれが心に引っかかってしまうだろう。

 現に女性の顔を見ると、リリーの面影を重ねてしまうことがあった。その度に、心が申し訳なさでいっぱいになる。

 そんな有り様では、結婚相手を決められないのも当然のことだった。

 だが、だからといって、いつまでも逃げ回っているわけにはいかない。自分はもう、子供ではないのだから。

 

「……よし!」

 

 せめて一言だけでも謝ることができたなら、何かが変わるだろうか。

 そう思った○○は、しおりを懐にしまうと、身支度もおろそかに、家を飛び出した。

 

 幸いにも、まだ春は始まったばかり。春告精のリリーは、地上に出てきていることだろう。

 陽は沈みかけているが、夜が下りるまでには、まだ時間がある。明日にするにしても、決心が鈍っては元の木阿弥だ。

 

 彼は里の大通りに出ると、真っ直ぐに門を目指した。リリーが居るとすれば、あの花畑以外に考えられないと思ったからである。

 

「……あっ」

 

 途中、○○は見知った店の前を通りかかった。そこは、○○も訪れたことのある洋菓子屋であった。

 店の看板商品であるショートケーキが、○○の頭に浮かんだ。あの日、リリーと食べさせ合ったのも、この店の品だ。

 ふいに懐かしさがこみ上げてきて、○○は誘われるままに店内へ足を踏み入れた。

 

「いらっしゃいませ〜!」

 

 とおりの良い声と共に、店員の少女が近づいてくる。明るい緑色の髪を、黄色のリボンで横に束ねており、背中には大きい羽が生えていた。

 その姿は、まさに妖精と呼ぶに相応しいものである。

 

「あ、大丈夫ですよ。私は妖精ですけど、悪戯なんてしませんから」

 

 ○○がじっと見つめていることに気付いた少女は、取り繕うように朗らかな笑みを浮かべて言った。

 

 ここは人間の里と言う名称ではあるのだが、人間以外の種族も多からず暮らしている。なので、彼女のような妖精も珍しい存在ではなかった。

 

 ○○は小さく会釈すると、ショーケースの方へと歩いていく。店内に他の客は居らず、○○と店員の少女だけだった。

 なので、彼の動きに合わせて、店員の少女が隣に並ぶ形となる。

 ○○は吟味する時間も惜しむように、並んでいるサンプルの中から、苺とクリームが乗ったシンプルなものを選んだ。

 

「すいません、これをください」

「はい! おいくつですか?」

「一つ……いや、二つで」

「かしこまりましたー! 少々お待ちくださいねっ!」

 

 少女は注文を聞くなり、パタパタと奥に引っ込んでいった。そして、すぐに戻ってきた彼女は、紙箱に詰められたショートケーキを持ってきた。

 

「代金は、**になります〜」

「はい、えぇっと……あれ?」

 

 ○○は懐から財布を出そうとしたが、何故か手応えがない。どうやら、家に置いてきてしまったようだ。

 

「どうされましたぁ?」

「……財布を忘れたみたいで。取りに戻るので、ちょっと待っていてくれませんか? すぐに戻りますから——」

 

 ○○が店を出ようとして踵を返すと、不意に背後から服を掴まれた。振り返ると、そこには満面の笑顔で佇んでいる少女の姿があった。

 

「じゃあ、代金は後でもいいですよ。ようやくあの子に逢う勇気が出たんですから、早く行ってあげてください」

「……えっ、なん——」

「妖精のよしみですよ。さあ、早く!」

 

 ○○が言い終える前に、少女は強引に紙箱を押し付けると、出口まで押していった。

 戸惑っている内に扉を開けられてしまい、そのまま外へと追い出されてしまった。

 

「くすっ、もう寄り道は駄目ですからね〜」

 

 閉まる寸前の隙間からは、少女のニコニコとした顔が覗いていた。

 

「何だってんだ……」

 

 仕方なく、○○はケーキの箱を手に提げて歩き出す。腑に落ちたわけではないが、気にしない方が良さそうだと判断した。

 

 やがて門の近くまで来ると、門番をしている二人の男と目が合う。

 すると、あらかじめこちらの目的を察していたのか、彼らは何も言わずに門を開けてくれた。それを見て、○○は苦笑いしながら礼を言う。

 里の外へと出る際には、本来なら通行証が必要だ。しかし、○○に関しては特例として認められていた。

 

 いや、○○にと言うよりも、外来人全般に対しての措置である。だから○○が子供の時も、自由に出入り出来たのだ。

 この事に疑問を抱いたとしても、外来人たちが理由を尋ねることはない。彼らにとっては、都合の良い制度となるのだから。

 

 ○○にとって久々の外の景色。それでも特に感慨を抱くこともなく、ただ目的地を目指して真っ直ぐに歩いた。花畑までは、そう遠くはない。

 

 近づくにつれて、次第に不安な気持ちが湧き上がってきた。

 あれから十年以上も経つのだ。リリーは、もう自分のことなど忘れているかもしれない。そもそも、彼女が花畑に居るのかすら分からない。

 そんな風に考えていると、軽快だった足取りは重くなり、いつの間にか歩みを止めてしまっていた。

 

「……はあ」

 

 やはり引き返すべきだろうか。だが、ここまで来ておいて、それもどうかと思う。

 ○○は今更ながら、うだうだと迷い始める。

 その時、○○に背後から近づく影があった。それは、彼が隙を晒す瞬間を待っていたかのように、突然に襲い掛かってきた。

 

「あっ!?」

 

 瞬く間に、手に持っていた紙箱を奪われる。○○が驚いて振り向くと、そこには人間の頭くらいの体躯をした妖精が、宙を浮いていた。

 妖精は紙箱を抱えるようにして持ち直すと、悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

「きひひっ、間抜け面してんねぇ! ほら、返して欲しいなら、追いかけてきなよ!」

 

 妖精は、人を小馬鹿にする口調でそれだけ言うと、○○の横をすり抜けるように飛んでいく。

 

「こ、こら! 待てっ!」

 

 一瞬呆然とした○○だったが、すぐに我に返り、慌てて妖精を追いかけた。

 ○○は妖精を捕まえるべく全力で走り、妖精も負けじと速度を上げた。○○もそれに食らいつくように、更に足を動かす。

 

「必死に走っちゃって、かっこ悪い〜!」

「くっ、くそ……」

 

 妖精は、後ろを振り向きざまに挑発してくる。その神経を逆撫でする声と、中々縮まらない距離が、余計と○○を苛立たせる。

 

 やがて、図らずも花畑へと差し掛かった。

 ○○が息を切らせながらも、前方に見える妖精を追って、花々の合間を縫うように走っていると、ふと既視感を覚える光景に気を取られた。まるで時間が止まったかのような錯覚に陥り、○○は立ち止まる。

 

「……うっ」

 

 そこに、一陣の風が吹いた。

 視界を埋め尽くすほどに咲き誇った花の群れは、一斉に揺れ動き、花弁を舞い散らせていく。

 目を開けていられなくなるほどの強風。身体中に花びらが張り付く感覚を覚えた。

 

 ○○は思わず顔を背け、腕で覆ってしまう。

 そして、再び目を開いた時には、目の前には誰も居なかった。先程まで追っていた妖精の姿も、跡形もなく消えていた。

 ○○は不思議に思いつつも、妖精が消えたであろう方向に視線を向ける。

 

「……えっ?」

 

 気配を感じて後ろを向くと、そこには黒い服装で身を包んだ一人の少女が立っていた。

 ○○は驚きのあまり言葉が出ず、その場に棒立ちになる。

 やがて少女はゆっくりと近づき、彼の前に立つ。そして、静かに口を開いた。

 

「おかえり、○○ちゃん。少し見ない間に、大きくなったね」

「君は、えっと……」

 

 見上げて微笑む少女。その顔は、○○の記憶にあるリリーに酷似していた。

 しかし、少女の瞳が真紅の色彩を宿している事に気が付き、違和感を覚えた。

 リリーの瞳は、晴れやかな青空のように澄んだ青色だったはず。

 

「どうしたの? ○○ちゃんは、私のことを覚えているはずよ。ほら、早く名前を呼んで?」

「な、名前……」

 

 ○○は、少女の言葉に戸惑いを見せる。向こうは自分の名前を知っていて、いかにも知り合いと言わんばかりに接してくる。

 まさかとは思うが、それでも確かめずにはいられなかった。

 

「もしかして、リリー?」

「……うふふっ、そうだよ。でも、そんなにおっかなびっくり言わなくてもいいじゃない。なんだか傷ついちゃうわ」

「ご、ごめん。前より雰囲気というか、何と言うか……。とにかく変わってて驚いたんだよ」

 

 ○○の勘は当たっており、目の前の少女はリリー本人であった。だが、今の彼女は、外見こそリリーと似ているものの、纏っている雰囲気がまるで違う。

 前のリリーが、陽気を振りまく太陽とするならば、今ここに居るリリーは、妖しく輝く月のような存在だと思えた。

 十数年の歳月が、彼女を変貌させてしまったのだろうか。

 

「でも、またこうして逢いにきてくれたんだもの。このくらいは許してあげる。それに、おっちょこちょいなところは変わっていなくて、なんだか安心しちゃったっ」

 

 リリーは慈愛に満ちた表情を浮かべると、手に持っていた紙箱を差し出した。

 

「それ、妖精に盗まれたケーキ……」

「気を抜いたらだめだよ? 外には、悪い妖精が沢山いるんだから」

「うん、気をつけるよ」

 

 ○○が紙箱を受け取ると、リリーは心配そうに注意を促してきた。

 こういう時の彼女の反応は昔と変わらない。○○は懐かしさを感じながら、苦笑しつつ返事をする。

 

「ねえ、立ち話も疲れるし、座らない?」

 

 リリーは近くの草むらを指差した。そこだけ花が避けるように生えておらず、代わりに芝草が円を描くように生えている。

 リリーは○○の手を取り、そのまま歩き出す。○○はされるがままに引っ張られ、リリーと共に芝生の上に腰をおろした。

 

「えへへ……」

 

 リリーは隣に座り込むと、すぐに身体を寄せてくる。

 花の甘い香りが鼻腔をくすぐり、○○は落ち着かない気分になった。

 ○○が身じろぎすると、それを咎めるように、リリーはさらに身体を密着させる。そして上目遣いで○○を見つめる。

 

「もうっ、なんで逃げるの?」

 

 リリーは不満げに頬を膨らませた。○○は慌てて弁明する。

 

「いや、こんなの久しぶりだからさ。それに、怒ってないのかなって……」

「怒る? 私が? どうして?」

「だって、一方的に別れを切り出したのに、急に戻ってきたりなんかしたら、普通なら嫌がるんじゃないかと思って」

 

 ○○は恐る恐る尋ねた。今のリリーの反応を見る限り、自分の予想が外れていた事は分かる。しかし、それでも本人の口から答えを聞きたかったのだ。

 

「……○○ちゃんと離れてからは、本当に寂しくて、辛かった。でもね、○○ちゃんを責めたりはしないよ。悪いのは、勝手な都合で子供だった○○ちゃんを縛った人間たちの方でしょ?」

「それは……」

「私、今すっごく幸せだよ。○○ちゃんが傍に居てくれるだけで、こんなにも心が満たされるもの。○○ちゃんもそうなんでしょう? だから、私に逢いにきてくれたんだよねっ!」

 

 リリーは○○の腕を掴み、嬉々として語りかける。その瞳は爛々としており、口角は上がりっぱなしだ。

 間違いなく彼女は自分に好意を向けている。しかし、その感情の振れ幅は、あまりにも大きすぎるように思えた。

 

 リリーは○○を逃がさないと言わんばかりに、腕を抱きしめたまま離そうとしない。痛みを堪えるような○○の表情に気づく様子もなく、無邪気に微笑んでいる。

 以前のリリーならば、母親みたく慈愛に満ちた抱擁をしていただろう。それが今では、束縛の強い恋人のように振る舞っている。

 

「ふふっ。体は大きくなったけど、中身は全然変わっていないね。あの頃の○○ちゃんのまま。妖精に悪戯されても、何もできずにオロオロしているだけの、可愛い○○ちゃん……」

 

 リリーはうっとりとした口調で言うと、○○の腕から離れて、今度は正面に回り込んだ。

 膝立ちになり、○○の顔を覗き込んでくる。瞳は妖しい光を帯びており、視線を合わせるのが怖くなるほどだ。

 目は口ほどに物を言うと言うが、今のリリーの目はまさにそれだ。言葉以上に雄弁に、○○への想いを語りかけてくる。

 耐えきれずに○○が口を開こうとすると、リリーは人差し指を彼の唇に当てて、言葉を遮った。

 

「答えなくてもいいよ。○○ちゃんの気持ちは、あの花を通して伝わったから。わざわざ押し花にしてまで、私との思い出を枯らしたくなかったんだよね。あれから何度も縁談を断っていたのも、私のことを忘れていなかったからだよね」

 

 ○○は驚きのあまり目を見開く。自分の心を読んだかのような発言に、心臓が大きく跳ね上がった。

 

「嬉しかったけど、それ以上に大変だったのよ? ○○ちゃんが私のことを想うたびに、燃えるような愛情が伝わってきて、身体中が疼いて仕方がなかったんだから。いくら一人で慰めても、ぜんぜん満足できなくて……。そんな生殺しの日々が続いたせいで、何度○○ちゃんを攫おうと思ったか分からないくらいにね」

 

 リリーは熱っぽい吐息をつくと、○○の手をとって、自身の胸に押し付けた。見た目以上に柔らかな感触が、手のひらに伝わる。

 

「私の胸、前より少し大きくなったのが分かるかな? 人間は恋をすると綺麗になるっていうけれど、それは妖精でも一緒みたいね。○○ちゃんと離ればなれになってから、ずっと恋焦がれていたんだよ。でも、私からは逢いに行かなかった。それは、○○ちゃんに私を求めて欲しかったから。私の存在を、心の奥底で絶えず認識して欲しかったから」

 

 リリーは身体を密着させると、○○の首筋に顔を埋めた。そのまま耳元に囁きかけてくる。

 

「愛は熟成されるものなの。想い人に逢えないなか、時を重ねてこそ、真なる愛の形が育まれる。そうして出来上がった結晶こそが、○○ちゃんを縛り付ける鎖であり、私自身を狂わせる毒でもあるの」

 

 雄弁に語るリリーの声音には、隠しきれない狂気が滲んでいた。耳から入ってくる甘美な響きは、○○の脳髄を蕩けさせていく。

 溺れる者が藁を掴むように、○○はリリーの背中に手をまわした。密着した彼女から、懐かしい芳香が漂ってくる。

 

「うふふ、○○ちゃんは甘えん坊さんだね。安心していいよ。もう離さないから。これからは、ずっと一緒だよ。私たちを隔てるものは、もう何もない。春が過ぎても、○○ちゃんの愛が私を満たしてくれる限り、私は永遠に咲き続けることができるの」

 

 ○○は理解した。彼女は自分の知っているリリーではなくなってしまったのだと。そして、その要因を生み出したのは、他ならぬ自分であると。

 ○○の知らない間に、リリーの心は限界を迎えていたのだ。そして、自己防衛のために、無意識のうちに別の人格を生み出してしまった。

 リリーであって、リリーではない存在。それが目の前にいる少女の正体。

 

 彼女の紅い瞳は、その象徴なのだろう。

 強い執着心と依存心を孕んだ瞳は、○○が知るリリーの面影を残しつつも、どこか恐れを抱かせるものがあった。本能的に、これ以上彼女に深入りするのは危険だと感じてしまう。

 

 それでも○○は、リリーを拒絶することはできなかった。リリーの愛を自覚してしまった以上、○○もまた、彼女を求めずにはいられない。

 リリーの芳香が鼻腔を満たす度に、○○の理性は徐々に削り取られていった。麻薬のように作用したその香りは、○○の情欲を昂ぶらせていく。

 

「きゃっ!」

 

 気づけば○○は、リリーを地面に押し倒していた。

 リリーは、か細い悲鳴をあげて、あっさりと○○の下になった。

 

「はあ……はっ、はあ……! ぐっ、うぅっ……!」

 

 荒々しい呼吸を繰り返しながら、○○はリリーの顔を見下ろした。

 今すぐにでもリリーに貪りつきたい衝動に襲われるが、寸前のところで踏み留まっている。

 

「リ、リリィ……」

 

 ○○はリリーに覆い被さったまま、必死に自制心を呼び覚まそうとした。

 だが、一度火のついた欲望は燃え上がるばかりで収まりそうにない。

 助けを求めるように彼女の名を呟くも、リリーは大の男に組み伏せられているのに怯えもせず、むしろ喜色満面といった様子で、○○を見つめ返してきた。

 

「……どうしたの、そんなに息を切らせて、苦しそうに顔を歪めて。私が欲しくて堪らないのに、そのまま我慢していても収まりがつかないよ? 私なら大丈夫だから、遠慮しないでいいよ」

 

 リリーは○○の首に腕を回すと、誘うように囁いた。幼い顔つきに似合わない妖艶さに、○○は思わず唾を飲み込む。

 

「○○ちゃんの愛を受け入れられるのは、この世で私だけ。他の女なんかじゃ絶対に満たされないし、そもそも○○ちゃんを愛する資格すらないんだよ。あの日、私たちが出会った瞬間から、私たちは結ばれる運命にあったんだから。だから○○ちゃんの全てを受け入れるのは、私の役目なの」

 

 リリーの弁舌は、まるで呪いのように○○の耳に染み込んでいった。○○がリリーを求める気持ちを肯定するように、彼女は言葉を重ねる。

 

 そして、○○は花の蜜に誘われる蝶のごとく、リリーの唇へと吸い寄せられていった。彼女の吐息と体温を感じるほどに、互いの距離は縮んでいく。

 リリーは瞳を潤ませて、○○の接吻を待ち受けている。

 

「今からするのは、誓いの口付けだよ、○○ちゃん。私と○○ちゃんの魂を繋いでくれる、大切な儀式なんだから。目を閉じないで、私の目をしっかり見て?」

「……うん」

 

 ○○は言われるままに、リリーの瞳をじっと見据えた。二人の視線が重なり合う。

 もうリリーの瞳を見ても、○○の心は揺らがなかった。○○が求めるのは、目の前の少女ただ一人だけだ。

 そして、○○はリリーに自らの想いを伝えるべく、ゆっくりと唇を触れさせた。

 

「んっ……」

 

 ○○の口付けに呼応するかのように、リリーの身体が小さく震える。

 表面が触れるだけの軽い接触だったが、それでも○○には充分だった。○○はリリーの身体を強く抱いて、再び彼女と唇を重ねた。今度は少し長めに、彼女の柔らかな感触を楽しむように。

 リリーは抵抗することなく、それを受け入れた。やがて○○が口を離すと、彼女は陶酔した表情を浮かべながら、○○に向かって微笑む。

 

「ふふっ、優しい口付けだね……。私を気遣ってくれているのが、伝わってくるよ。ありがとうね、○○ちゃん」

 

 そう言うと、リリーは○○の頭を撫で始めた。慈しむような手つきが心地よく、○○はされるがままになる。

 

「でもね、全然足りない。このくらいじゃ、私たちの愛を証明することはできないんだよ。もっと深くまで繋がり合って、初めて私たちの心は一つになるの。だから……」

 

 リリーは○○の頭を抱え込み、強引に引き寄せた。そして、二人は再び唇を重ね合わせる。

 だが、先程のような初々しいものではなく、お互いの愛情を確かめるための激しいものへと変化していた。

 

「んふ、ちゅっ、はぁ……。んぅ……れるっ、れろっ……」

 

 リリーは○○の口腔内に舌を差し入れると、彼のそれを絡め取り、激しく舐り始める。

 彼女の甘い唾液が喉の奥に流れ込んでくるたびに、わずかに残った○○の理性は溶けていくようだった。

 口付けだけでは足りないと、腰を浅ましく動かして、リリーの下半身に擦り付ける。発情期の犬もかくやという有様だ。

 

「んっ……○○ちゃんの体は正直だね。早く私と一つになりたいって言ってるみたいだよ」

 

 リリーは唇を離して、惚けきった○○の顔を見つめた。

 最早○○にはリリーの言葉に反論する余裕もないのか、ただ荒い呼吸を繰り返すばかりである。

 

「いいよ、おいで。○○ちゃんの全部を、私の中に吐き出して、私を○○ちゃんのものにして?」

「ぐっ、ぐぅぅっ……!」

 

 その言葉を合図に、○○はリリーの服に手をかけた。乱暴に引き裂くようにして、彼女の衣服を脱がしていく。

 そして、○○もまた着衣を全て脱ぎ捨てると、一糸纏わぬ姿となったリリーに覆い被さった。

 

「あはっ、慌てなくても大丈夫だよぉ……。私は逃げないし、○○ちゃんのことを拒絶したりしないからね」

 

 しかし彼女は苦痛を訴えるどころか、むしろ嬉々として○○を受け入れているように見える。

 ○○は返事をする代わりに、リリーの身体を貪りはじめた。雄の欲望を受け止めるには、あまりにも小さな少女の肉体を、粗雑に蹂躙する。

 

「あうっ! は、激しぃよぉ、んんっ! 壊そうとするくらい、私を求めてくれているんだねぇ……!」

 

 ○○の手つきは性急で、リリーは早くも息が上がっていた。その不慣れな行為にもかかわらず、彼女は痛みではなく快楽を感じているようだ。

 

「リリー! リリィ……!」

 

 ○○はそんな彼女を気遣うこともなく、ひたすら己の欲求を満たすために動き続ける。何をしてもリリーは受け入れてくれる、そう信じ切っているかのようだった。

 

「好きっ、好きぃ……! ○○ちゃんのこと、大好きだよぉ……! だから、もっと、もっと強くぅ……!」

 

 ○○に抱きつく腕に力を込めながら、リリーは何度も愛しき者の名前を呼んだ。足を腰に回して、より深い結合を求める。

 ○○もそれに応えるように、彼女を強く抱きしめて、さらに奥へと押し入った。

 

「んんっ……! おっ、ごぉ……!?」

 

 リリーが声にならない嬌声を上げる。それを皮切りに、獣の交わりが始まった。

 夜の帳が下りてもなお、二人の行為は終わる気配を見せない。溜まりに溜まった情欲をぶつけ合うかのように、彼らは互いの身体を求め合った。

 

 ○○が劣情を放つ度に、リリーの瞳は深みを帯びて真紅に染まっていく。その瞳に映るのは○○の姿。

 ○○もまた、リリーの瞳から目を逸らすことなく、じっと見据えていた。理性などとうに消え失せており、今や本能のみで動いていると言ってもいいだろう。

 それでも、彼女の瞳に映る自分は、まだ人間の姿をしているように見えた。それが○○にとっては救いであり、よすがでもあった。

 こうして○○がリリーを見つめている限り、彼は人間のままでいられるのだ。しかし、それも長くは続かない。

 

 ○○は、自分がゆっくりと、人外の領域へ足を踏み入れていることを理解していたが、もう止まることはできなかった。

 惚けきった彼の脳裏は、ひたすらにリリーを求めて、劣情を発散することしか考えられないからだ。

 

 そして、リリーの瞳が完全なる真紅に染まり切った時、○○の思考は闇に包まれた。

 

「あ、あっ……。あぅ……」

 

 彼の人間性は濁りきり、最早まともな言葉を発することもできない。縋るようにリリーへと腰を押し付けながら、焦点の合わない目で彼女の瞳を見つめている。

 その様子からは、かつて○○と呼ばれた人間の面影は一切感じられない。

 

 今の○○は、リリーによって全てを支配された、か弱い赤子に過ぎなかった。

 

「大丈夫だよ。私は、お姉ちゃんは、ずっと○○ちゃんの側にいるから」

 

 そう言いつつ、リリーは○○の頭を優しく撫でる。すると、彼の表情は見る間に緩んでいき、やがて安心したような笑みを浮かべた。

 

「○○ちゃんは、もう何も考えなくていいの。お姉ちゃんが全部やってあげる。だから、お姉ちゃん以外のことは、全部忘れてしまおうね?」

 

 リリーの瞳には慈愛の光が宿っていた。だが、その光の奥には、どす黒い情念が見え隠れしている。

 狂気とは伝染するものだ。ひとたび、その感情に触れた者は、自らもまた狂わされてしまう。それが愛を知った者であれば、尚更である。

 

「あの頃みたいに、お姉ちゃんがお世話してあげる。お姉ちゃんが、悪者から守ってあげる。それから、お姉ちゃんが一生、愛してあげるからね……」

 

 リリーは腰を引いて、腑抜けになった○○の体を引き寄せると、自らの胸に埋めさせた。そして、赤子をあやすような手つきで背中をさすった。

 

「あうぅ……」

 

 それは、○○にとって何よりも心地の良いものだった。リリーに抱かれていると、全てを忘れて、ただただ安らぎを感じることができるのだ。

 ○○は、リリーの胸を枕に、ゆっくりと眠りについた。思い出の中にあった、彼女との幸せを、夢に見ながら。

 

 

「おやすみ、私の愛しい○○ちゃん」

 

 


















【リリーブラック】
能力・愛を振りまく程度の能力
危険度・極低(中)
人間友好度・高
主な活動場所・あらゆる場所

 春告精と呼ばれる妖精の変異体。歪な愛欲に支配された精神が、その身に宿る力を大きく変質させてしまったらしい。
 幻想郷に春を告げてまわるという本来の役割も忘れ、ただひたすらに愛しい人の寵愛を求めるばかりになっているようだ。

 春告精は、春を過ぎれば消える定めなのだが、彼女に至ってはそれが当てはまらなくなっている。
 本人曰く、愛の力によって、自らの存在を保っているのだそうだ。冗談みたいな話だが、あながち間違いではない。

 妖怪や神、そして妖精に言えるのは、肉体より精神に依存する存在であるということだろう。深い情念があれば、それだけその存在を強く保てる。
 彼女の場合、常に愛する者に寄り添おうとする想いこそが、種族の垣根すら超えてしまうほどの力となっているわけだ。

【能力】
 春を告げる能力から派生したもの。周囲に春の温かさ、もとい愛の暖かさを感じさせる。
 彼女が伴侶と接することで、一種の鱗粉、またはフェロモンのようなものを発生させるらしく、それを吸い込んだ者は体が暖まる感覚を覚えるのだという。
 この効果は吸った者により様々で、ある者は安らぎを覚え、またある者は情熱的に燃え上がるとかなんとか。

 つまり、生物の心に眠る獣性を呼び覚まして、発情させる効果もあるわけである。なんとも羨ま……恐ろしい能力だ。

【目撃報告例】
・一匹でいるところを見たことがないわ。ずっと旦那さんと一緒で、おしどり夫婦みたいだった。羨ましい……。
(匿名)
 彼女は伴侶に依存しているので、死ぬ時も一緒なのかもしれない。

・うちのお店の常連さんです。会うたびに綺麗になっていくのは、旦那さんの愛のおかげでしょうか。私もリリーちゃんに負けないくらい、お兄さんを愛していきます!
(洋菓子屋の店員)
 妖精も人に恋をする時代だ。

・この前会った時、旦那のこと自慢された。すっごく熱がこもっていて、聞くだけで溶けそうだった。でも、あたいのお兄さんのほうがサイコーだって言ったら、ちょっとした喧嘩になっちゃった。
(湖の氷精)
 そのまま蒸発してしまえばいいと思う。

【対策】
 元は普通の妖精なので、危険度は低いとされているが、瞳の奥底に底知れぬ狂気を宿しているため、何が起こるか分からない怖さがある。
 とはいえ、人間に対する友好度は高いので、余程のことをしなければ無害と言える。

 むしろ注意すべきは、彼女の伴侶である男性の方だと思われる。
 リリーは彼に危害を加える者、もしくは彼に言い寄ろうとする女性には、苛烈な報復を行う傾向にあるそうだ。
 ただ、彼に手を出さない限りは、彼女も手出ししてくることはないだろう。

 普段の彼女は伴侶の男性に対して、見てるこちらが甘すぎて吐き気を催すほどの溺愛ぶりを見せてくれる。
 その様子を女性が見てしまえば、恋人がいる者なら負けじと対抗心を燃やし、いない者は新たな恋の予感を感じ取るのだとか。

 恋の風物詩となった彼女の対策は無用なので、もし見かけたら吉兆として喜んでおくといい。
 きっとあなたにも、素敵な出会いが訪れるはずだ。


——以上、裏求聞史記より抜粋。
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