東方キャラを病ませたい   作:ぬいカス

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メルラン編

 

 妖魔が蔓延る丑三つ時。

 幻想郷の人里は静まり返り、出歩く人間はほとんどいない。当然、人間は夜に眠るものであるし、妖怪の多くは夜行性だからだ。安全が保証されている人里の中とはいえ、夜更けに出歩けば、妖怪と鉢合わせする可能性も間間ある。

 

 人里の郊外に居を構えている○○もまた、虫たちの鳴き声を耳にしながら、眠りに就いていた。

 ○○は布団の中で規則正しい寝息を立てていたが、不意にその目が開いた。何か物音を聞いた気がしたのだ。しかし、寝ぼけ眼で周囲を見回しても、狭い居間は何事もなく平穏なままである。

 気のせいかと思い、再び目を閉じようとすると、またしても音が聞こえたような気がして、彼は布団から身を起こした。

 

 それは家の戸を叩く音だった。

 こんな時間に、一体誰が訪ねてきたのかと不審に思いながらも、立ち上がって居間の明かりを灯し、玄関へと向かう。

 

「……どちら様で?」

「あっ、私よ! 早く戸を開けて!」

 

 ○○が引き戸越しに尋ねると、戸の向こうから鈴虫よりも通りの良い可愛らしい少女の声が返ってきた。

 聞き覚えのあるその声を聞いて、○○はすぐに相手が誰なのかを理解する。

 引き戸の突っ張り棒を外し、ゆっくりと戸を開けると、そこには予想通りの少女の姿があった。

 

「うふふっ、来ちゃった!」

「メルラン、今が何時だと……」

 

 満面の笑みを浮かべてそう言ったのは、月明かりに照らされた淡い水色の髪を、ウェーブでなびかせている少女、メルランあった。

 彼女は、人里でも有名なプリズムリバー楽団の一員であり、金管楽器を巧みに操る騒霊でもある。

 ○○が不服そうな顔で注意しようとすると、メルランはそれを遮るようにして○○に抱きついた。彼女の豊満な胸が体に押し付けられ、甘い香りが鼻腔を刺激する。

 

「お、おい……!」

「あ〜、やっと○○に触れられたわ〜。悪いけど、もうちょっとだけ、このままでいさせて」

 

 動揺する○○を他所に、メルランは彼の胸に顔を押し付けながら幸せそうにしている。

 そんな彼女を見て、○○は抵抗する気力を無くしてしまった。溜め息をつくと、されるがままにして、天井を仰ぐ。

 

「んん〜」

 

 しばらく経って満足したのか、ようやく○○から離れると、メルランは自分の口元に手を当てて微笑んだ。

 

「起こしちゃって、ごめんね? だけど、どうしても我慢できなくて」

「まったく、夜更けに来ることはないだろう。……とりあえず、中に入るか?」

「ええ、もちろん!」

 

 メルランは我が物顔で家に入ると、勝手知ったる様子で居間に向かい、座布団に腰掛けた。

 ○○は呆れつつも、ちゃぶ台を挟んで反対側の座布団に座り込む。

 

「むぅ、何で隣にこないの! 寂しいじゃない!」

 

 メルランは不満げな表情をして頬を膨らませると、座布団ごと移動してきて、○○の隣にぴたりとくっ付いた。

 

「……こっちは寝起きなんだ。少しくらい、勘弁してくれよ」

 

 ○○が額を手で抑えながら苦言を呈すると、メルランは上目遣いで彼を見た後、悪戯っぽく笑う。

 

「じゃあ、私がハッピーにしてあげよっか? 夜想曲のアンサンブルなんてどうかしら! 今夜は満月だから、楽器も滾ってるわよ〜!」

 

 そう言うなり、メルランは両手を広げて演奏の準備を始めた。

 彼女の背後に複数の金管楽器が現れて、宙をふよふよと漂う。それらは、騒霊の彼女が創り出した、楽器の幽霊である。

 

「や、やめろって。静かにしないと、近所迷惑になるだろ。あと、声も抑えてくれ……」

「ええ〜? でも、○○が言うなら、しょうがないかぁ」

 

 慌てて○○が制止すると、メルランは不機嫌そうに口を尖らせた。それでも聞き入れてくれたようで、浮いていた楽器たちが、順番に姿を消していく。

 ○○は安堵の息を漏らすと、改めて目の前にいる少女を見やった。

 彼女は楽しげに微笑んでおり、その笑顔からは嫌味を感じさせない。むしろ、見ているこちらまで気分が良くなるほどである。

 

「その代わりぃ……。んっ……」

「えっ?」

 

 メルランは目を閉じて、唇を突き出した。その仕草に○○が思わず声を上げると、メルランは目を開け、意地悪な笑みを浮かべる。

 

「静かにしてほしいのよね? 私の騒がしい口を塞ぐには、これが一番いいと思うけどぉ?」

 

 そして再び目を閉じ、無防備に○○の前に顔を晒した。彼女の唇はわずかに開いており、舌を絡める濃厚な口付けを待っているように見える。

 ○○とメルランが恋仲になって、まだ数ヶ月しか経っていないのだが、彼女の積極性にはいつも驚かされていた。突然、家に訪ねてきたかと思えば、こうして強引に迫ってくることも珍しくない。

 

「はやくぅ、ちゅうしようよ〜」

 

 ○○が逡巡していると、痺れを切らしたメルランは駄々をこねるように催促してきた。○○の肩に手を回し、体を密着させてくる。

 

「んーっ、んっ、ん!」

「……わかったよ」

 

 甘えた声で鳴きながら何度も求められて、ついに○○は根負けしてしまった。眠気の残る頭では、彼女の誘惑に耐えることができなかったのだ。

 メルランの唇に、自分のそれを重ねる。

 すると、彼女は待ってましたと言わんばかりに、強引に舌を差し込んできた。○○の口内を、メルランの柔らかな舌が蹂躙していく。

 

「じゅるっ、れる、ぢゅうぅぅぅ……!」

 

 メルランは○○の首に腕を回して抱きつくと、彼の唾液を一滴残らず吸い取ろうとするかのように、激しく舌を絡ませる。

 時折漏れ出る吐息は、まるで情事の最中のように熱く、少女には似つかわしくない下品な音を立てていた。

 

 メルランと付き合うようになってからというもの、彼女は会うたびに、愛情を惜しげもなく伝えてくる。それは、言葉だったり、行動だったり、時には楽器を使って表現したりと様々だ。

 そして、日を重ねるごとに、自分への想いが強くなっているように思える。今日もそうだ。夜更けに訪ねて来るなり、熱烈な口づけを求めてきた。

 ○○は、メルランに求められること自体は嬉しいと感じるものの、それが段々と激化していることに不安を覚え始めていた。行き過ぎた愛情に応えられるほど、自分は強くないと自覚していたからだ。

 

「ぐっ……んんっ!」

「……ん〜?」

 

 ○○は息苦しさに耐えかねて、メルランを引き剥がそうとする。

 しかし、彼女はそれを察知したのか、○○の膝の上に尻を乗せ、足を腰に回して固定する体勢を取った。首にも巻き付けた腕に力を入れ、絶対に離さないという意思表示をしてくる。

 

「んふふぅ〜」

 

 ○○の抵抗を遮ったメルランは、勝ち誇ったように喉を鳴らすと、さらに深く唇を押し当ててきた。舌の根元まで差し込み、○○のそれと交わらせる。

 彼女の舌が動く度に、水音が鼓膜を響かせ、その淫靡さに○○は眩惑された。意識が遠退きそうになるのを堪えながら、彼女の背に両腕を回す。

 

 メルランの身体は、○○からすれば小さく、抱きしめるとすっぽりと収まってしまう。しかし、可愛らしい顔に似合わない豊満な胸だけは例外で、○○の体に押し付けられていた。服越しでも分かるくらい柔らかい感触が伝わってきて、○○は下半身が疼いてしまうのを感じる。

 

「んんっ……。ちゅっ」

 

 やがて、メルランは満足げに鼻で息をすると、○○を解放した。二人の唇を繋ぐ銀色の糸が切れた後も、名残惜しそうに舌なめずりをする。そして、○○の顔を見つめ、艶やかな笑みを浮かべた。

 

「うふふっ、ごちそうさま。○○とのキス、すごく美味しかったわぁ……」

「は、激し過ぎるって……。息が、できなく……なるだろ……。死ぬかと、思った……」

 

 ○○は途切れ途切れに言葉を紡ぎながら、息を整える。あと少し遅れれば、本当に窒息していたかもしれない。それほど彼女の愛情は重く、深いものだった。

 

「大丈夫よ〜。○○が死んじゃっても、私が面倒見てあげるから」

 

 だが、メルランは○○の心中などお構いなしといった様子であった。騒霊の彼女にとって、○○が息絶えることは大した問題ではないようだ。死生観が人間とは違うので、それも当然といえる。

 かと言って、彼女自ら○○の命を奪う真似はしないだろう。二人は両想いであり、わざわざ恋人を殺す理由がないからだ。

 

「それに、満更でもないでしょ? だって、○○のここ、おっきしちゃってるもんねっ?」

 

 メルランは自らの腰を、○○の下腹部に押し付けてきた。彼女が言う通り、○○のモノはすっかり硬くなっており、着物を力強く押し上げている。

 

「だ、誰のせいだと思って……」

「うん、私のせいだよね。じゃあ、責任を取らないといけないよねぇ?」

 

 しまった、と思ったときにはもう遅かった。

 ○○は布団に押し倒され、その上にメルランが覆い被さってくる。見た目以上に強い力によって組み伏せられた○○は、身動きが取れなくなってしまった。

 

「今日も私が動くから、○○はじっとしてていいわよ〜。たぁくさんっ、ハッピーにしてあげるからね!」

 

 恋人同士の営みが始まった。彼女から絶え間なく与えられる快楽に、○○の意識はほどなく途絶えることになる。堕ちる寸前、彼が見たものは、楽しげに笑いながら跳ねているメルランの姿だった。

 

 

 翌日、○○が目を覚ました時には、メルランは既に姿を消していた。○○の衣服は整えられており、昨晩の出来事は夢だったのではないかと思わせる。

 しかし、体のあちこちに残る疲労感と、布団に染みついた情事の残り香が、現実であったことを教えてくれた。

 

「……腹減った」

 

 ○○はしばらく放心していたが、空腹を感じて、布団から起き上がる。

 

「……ん?」

 

 伸びをしたりして体をほぐしていると、ちゃぶ台の上に紙切れが置かれていることに気が付いた。

 寄ってみると、何か文字が書かれている。どうやら手紙のようで、内容はこう書かれていた。

 

『おはよう○○。それから、昨晩はごめんなさい。しばらく逢えてなかったから、ついやり過ぎてしまったわ。○○を困らせるつもりはなくて、ただ○○の愛が欲しかっただけなの。だから○○なら、私を面倒な女だと思わないで、受け入れてくれるよね。私たちは、恋人だものね。それと、今度プリズムリバー楽団の定期公演があって、その準備のために忙しくなりそうなの。だから、またしばらくは逢えなくなると思う。でも、私はいつでも○○のことを想っているわ。○○も、私以外の女に目移りしたら駄目よ。○○を幸せにしていいのは、私だけ。それを、よく覚えておいて。貴方の愛しいメルランより。 追記・これで美味しい物でも食べてね』

 

 文面からは、普段の明るい彼女の雰囲気はまったく感じられなかった。ただただ湿っぽい独占欲だけが滲んでいる。

 ○○は、それに対して嫌悪感を抱くことはなかった。今に始まったことではないので、慣れたというのもあるだろう。

 ○○はメルランのことが好きだし、今の関係を大切にしたいと思っている。それでも、あの情熱的な求愛だけは、どうしてもついていけない部分があった。

 だが、彼女はそれを受け入れて欲しいのだろう。謝罪から始まる文章は、そんな気持ちの表れのように思える。

 

 メルランは明るく優しい性格なので、普段は○○の意思を尊重してくれていた。たまに感情が振り切れて、昨晩のようになるとしても、それを除けば良い恋人関係といえる。

 だから彼女の偏愛を妥協するには十分で、○○が別れを考えるまでには至らない。どこまでいっても、○○はメルランのことを嫌いになれないのだ。それが倒錯した彼女の愛情を助長させているのだが、○○は気付けないでいた。

 

「こんなに貰ってもなぁ」

 

 ○○は、手紙と共に置かれていた封筒を手に取り、中を確認してため息をついた。

 中に入っていたのは、紙幣の束であった。これだけあれば、優に一ヶ月は贅沢に過ごせる額である。しかし、○○の望むものではなかった。

 

 そこまで困窮しているわけでもないのに、メルランが大金を渡すのは、ひとえに不安の裏返しだと思われる。繋ぎ止める何かがなければ、○○が自分から離れていくのではないかという恐れが、彼女の心を蝕んでいるのだろう。

 だから、少しでも利用価値があるものなら、何でも与えようとするし、身体を使って○○に奉仕しようとするのだ。

 ○○が喜んでくれると、本気で信じているからこその行動なのだが、それが彼にとっては重荷になっていた。

 

「とりあえず、飯を食わないと……」

 

 それでも今は、メルランのことより自身の体の方が重要であった。睡眠不足と空腹、そして枯れ果てるまで精を搾り取られたことで、○○の体力は限界に近い。

 ○○は、よろめきながらも台所に向かうが、食材が尽きていることに気づく。ここ数日は、買い出しに行っていなかったのだ。

 

「……外で食べるか」

 

 ○○は、おもむろに着替えや洗顔などを済ませて、外出の準備を整えた。

 それから家を出ると、降り注ぐ太陽の光に思わず目を眩ませる。時計を見ていなかったので、とうに時刻が朝を過ぎていたのに気付けなかったからだ。

 季節は春から夏に移り変わろうとしており、日中は暖かくなっていた。日差しも強くなっているようで、少し歩くだけで汗ばんできそうである。

 

 しばらく歩いて人里の大通りに出ると、そこは既に賑わっており、そこかしこから活気のある声が聞こえてくる。

 売り文句を並べる青果店の店員、行き交う人々の話し声、商品を売り込む客引きの声など、雑多な音が入り混じって、○○の耳に飛び込んできた。

 

「うーん」

 

 昼時なので、どの食事処も繁盛していた。○○は、どこに入るべきか迷ってしまう。あまり外食をしないので、目移りしてしまうのだ。

 

「……ここでいいか」

 

 しばらく悩んだ末、老舗風の雰囲気漂う蕎麦屋に決めた。

 

「らっしゃい!」

 

 店内に入ると、出汁の良い香りが漂ってくる。手打ちらしく、店員の動作と共に麺が打たれる音が響いており、食欲を刺激する。

 

「ざる蕎麦を一つ」

「あいよっ、ざる蕎麦一人前ね!」

 

 何席か空いている適当なカウンター席に座り、注文する品を伝える。それから、しばらく待つと、○○の前にざる蕎麦が置かれた。

 

「いただきます」

 

 ○○は待ってましたとばかりに箸を取り、早速食べ始める。コシがあり、喉越しも良い。美味しいと素直に思えた。薬味として乗せられたネギやワサビも、口の中を爽やかにしてくれる。

 

 客の回転率は早いようで、入れ替わり立ち替わりに他のお客さんが訪れては、料理を食べていた。

 そんななか、黙々と食べ続ける○○の背後を通り過ぎた男が、小声で吐き捨てるように呟く。

 

「……ちっ。嫌なやつが、メシ食ってるぜ」

 

 その言葉は、○○の耳に届いていた。

 ○○から離れた席に座ったその男は、何食わぬ顔でいるが、時折睨みつけるような視線を向けてきている。○○に対して悪意を持っているのは明らかだった。

 

 ○○は、男の顔に心当たりはない。それでも、自分が嫌われている理由は、なんとはなしに察しがついていた。恐らくは、自分がメルランと付き合っていることが、気に入らないのだろう。

 彼女は、プリズムリバー楽団に所属する三姉妹の中でも、特に人気が高い。人間の間で、ファン倶楽部が作られるほどだ。

 だから、○○と交際していることが知られれば、彼女に好意を寄せていた人間から反感を買うことは、想像に難くない。

 実際に○○は、そういった輩から何度か絡まれたこともある。小言を言われたりする程度なので実害はないが、面倒なことには変わりない。

 

「ごちそうさま。お代はここに」

「まいどー!」

 

 ○○はかき込むように蕎麦を平らげると、早々に店を出て行った。これ以上ここにいても、気分が悪くなるだけだと思ったのだ。

 空腹は満たされても、残された疲労感と不快感は消えていない。○○の心は、ささくれ立っていた。

 

「……あっ、そうだ」

 

 そのまま家に帰ろうと歩き出したが、その途中で、食材の買い出しをしなければならないことを思い出す。外食に頼って出歩くと、いつメルランのファンに出くわすとも限らないので、○○は極力自炊するようにしているのだ。

 ○○は進行方向を、再び大通りへと向けた。

 

 メルランと付き合いだしてから、窮屈な生活を強いられることが多くなった。だが、彼女に責任はないし、愛想を尽かすつもりもない。彼女の愛の味を知ってしまった以上、手放すことはできないからだ。

 ○○は自覚なく、ある種の依存状態に陥っていた。

 

 

 それから数日が経った。

 メルランが残した手紙に書かれていたとおり、○○は彼女と一回も会っていない。

 

 あれからというもの、○○はいつもどおりの日常を過ごしているが、彼の心の中は常に曇っていた。

 あの夜、意識を失うまで求めてきたメルランの姿が脳裏に浮かんで、○○を悶々とさせているのだ。

 会いに行こうとしても、叶わない。恋人だというのに、○○は彼女の居場所を知らないからだ。

 

 思えば、告白をしたのはメルランの方からで、いつも彼女から誘われて、逢瀬を重ねている。自分から誘ったことは、一度もなかった。

 つまり、○○は完全に受け身の状態であり、彼女がその気にならなければ、会うこともできない。

 そのことを疑問に思うことなく、○○はその状況を受け入れていたが、今にして考えると、これは異常なことだ。

 一方的な片想いならば、まだ納得できたかもしれない。しかし、○○もメルランを好ましく思っていて、二人は両思いのはずなのだ。

 

 彼女の愛情が深過ぎて、自分が押され気味になっているのだろうか。

 それとも、もしかすると、自分は彼女に弄ばれているのではないのか。快楽を満たすためだけの存在として、都合良く使われているのではないか。

 そんな不安が、いつしか○○の心に渦巻いていた。

 

「……メルラン」

 

 その日、○○は珍しく酒の力を借りていた。夜中に出歩いて、普段は飲まない酒を飲んで酔っぱらい、ふらふらとした足取りで、自宅に帰る途中だった。

 住居もまばらで、人気のない道を歩いており、もちろん提灯もなく、月明かりだけが頼りだった。

 なので、前方から来る人影に気付くのが遅れ、吸い込まれるようにぶつかってしまう。

 

「ぐぅ……」

「おっ!」

 

 両者は、それぞれ呻き声を上げた。

 足取りがおぼつかない○○は、尻もちをつく形で地面に倒れ込む。

 一方の相手は、平然としていた。○○よりも遥かに体格が良く、筋肉質であることが分かる。

 

「おう、大丈夫か? ちゃんと前見て歩かねえと、夜道は危ねえぞ」

「……あぁ、悪いな」

 

 ○○は立ち上がりながら答えた。幸いにも怪我はなく、服についた汚れを払うだけで済んだ。

 改めて相手の顔をよく見ると、どこかで見たことのある顔立ちをしていることに気が付く。それは、蕎麦屋で舌打ちをしてきた男の顔だった。

 

「……ん? あ、てめえは!」

 

 向こうも気付いたのか、目を見開いて叫んだ。それから、意気揚々と○○の胸ぐらを掴む。

 男も酒に酔っているようで、彼の口から漂う酒臭い吐息に、○○は顔をしかめてしまう。

 

「メルランちゃんを誑かしてる野郎じゃねえか! こんな夜更けにほっつき歩いて、しかも酒臭くして、いい身分だなぁ、おい!」

「ぐっ、うぅ……」

 

 唾を飛ばしながら怒鳴り散らす男に対し、○○は何も言い返せない。事実だからだ。

 

「ちっ、てめえがまともな奴だったら、何もするつもりはなかったが、見た感じそうじゃないみたいだなぁ。ちょうど良いぜ、憂さ晴らしさせて貰うとするか!」

 

 男は勢いよく○○を地面に押し倒すと、馬乗りになって拳を振り下ろしてくる。

 

「ぐぇ……! ごぉっ!」

 

 一発、二発、三発。何度も殴られるが、酩酊状態の○○に抵抗する力はない。男との体格差もあるので、されるがままになるしかなかった。

 

「みんなのアイドルのメルランちゃんに、抜け駆けで屑野郎が手を出すなんて、許せねぇよなぁ!?」

「げほっ、ごぼ……! や、やめて……」

「うるせぇ! ちょっとばかしツラがいいからって、調子に乗りやがって! てめえの顔面に、ピカソの絵を描いてやるよ!」

 

 男は○○の懇願を跳ね除けると、執拗に顔面ばかりを狙って殴り続ける。そのたびに○○の頭部は跳ね上がり、地面に叩きつけられた。

 

「ぶべっ! ぐぼぉ……! ぐうぅ……!」

 

 ○○の顔は腫れ上がり、見るに耐えない有様となった。鼻はひしゃげ、歯は何本も折れ、口の中も切れに切れて血塗れになっていた。

 

「……はあっ、はあっ。これで、少しは懲りたか?」

 

 男は殴る手を止めると、荒い呼吸を繰り返す。男の分厚い拳は、○○の血で赤く濡れていた。殴り慣れているのか、酔っ払って鈍っているのか、彼は痛みを感じていないようだ。

 一方、○○は虫の息で横たわっていた。もはや声を出すことさえできず、指一本動かせない。

 

「ふんっ、二度とメルランちゃんの前に姿を現すんじゃねえぞ。まあ、そのツラじゃ無理だろうけどな。ぺっ!」

 

 男は満足気に言い、倒れ伏している○○に唾を吐きかけてから、その場を後にした。

 

 残された○○には、僅かに意識があったが、おもに顔面を襲う激痛のせいで動けず、助けを呼ぶこともできなかった。

 このまま放置されれば、いずれ死んでしまうかもしれない。だが、どうすることもできないまま、ただ時間が過ぎていくばかりだった。

 

「め…………ら……ん……」

 

 やがて、○○は意識を保てなくなり、そのまま気を失ってしまう。闇に閉ざされた視界の中に、メルランの笑顔を幻視しながら。

 

 

 

「……て。……きて、○○。おねがい……。目を覚まして……」

 

 どこからか声が聞こえ、重く沈んでいた○○の意識は浮上し、昏睡の中から覚醒していく。

 まぶたをゆっくりと開くと、○○の顔を覗き込むようにしているメルランと目が合った。彼女は目に涙を浮かべており、頬に伝い落ちた雫が○○の肌に落ちてきた。

 

「あっ……ああっ! ○○! ○○っ! よかったっ! ほ、本当に……よかった……!」

 

 ○○が目覚めたことに気付いたメルランは、感極まった様子で○○に顔を近づけて、額を擦り付けてくる。鼻先が何度も触れ合い、彼女の荒い呼吸が顔に吹きかかった。

 

「め、める……ら、ん」

「ええ、私はメルランよ! ちゃんと、覚えているのね……! じゃ、じゃあ、○○と私は、どんな関係……?」

「……こい、びと」

「そう、そうよ! 私は○○を愛していて、○○も私のことを愛してくれてる、そうよね?」

「……ああ」

 

 まだ覚醒しきっていない意識の中で、○○は答えた。途切れ途切れにではあったが、言葉を紡ぐことはできた。

 なぜ彼女が、今更な質問をするのか疑問だったが、今は聞く余裕がない。自分のことで精一杯だったからだ。

 どうやら寝具の上に寝かされているようで、柔らかな綿の感触が背中に伝わってくる。

 そして、首から下が、まったく動かない。鉛でも詰め込まれたかのように、身体全体が重かった。

 

「……うん。ちゃんと、——になれたのね。一時はどうなるかと思ったけど、これなら安心できるわ……」

「……え? なに、が?」

「ううん、こっちの話。○○は気にしなくていいの。そう、私のこと以外、何も考えなくてもいいのよ……」

 

 メルランは○○の横に寝転ぶと、擦り寄るようにして身体を密着させ、彼の腕を自らの胸に押し付けるように抱いた。

 

「まだ、体も動かせないでしょ? 時間が経てば、慣れるはずだから、それまでゆっくり寝るといいわ。私が側で見守っていてあげるから……ね?」

 

 そう言って微笑むと、○○の頭を撫で始める。慈しみを込めた優しい手つきだった。

 ○○は、その心地良さに身を委ね、再び眠りの世界へと誘われていった。

 

 

 次に目が覚めた時には、ようやく体を起こすことができた。

 部屋を見渡すと、窓もない殺風景な空間が広がっている。壁際に寝台が置かれているだけの、簡素な造りだ。

 

「メルラン、ここは? 俺は、いったい……」

「私たちが過ごす部屋よ。○○と私以外、何もない、二人だけの……」

 

 隣にいたメルランに問いかけると、彼女は嬉しそうな表情をして、○○の手を取った。いつもの笑顔とはどこか違う気がしたが、今の○○にはその理由がわからなかった。

 

 それよりも気になるのは、自分が何故ここにいるかということだが、記憶の混濁が激しく、うまく思い出せない。まるで霞がかかったように不明瞭で、頭の中は薄暗くなっている。

 それでも○○は、なんとか思い出そうと必死になった。すると、直近の記憶が脳裏に浮かぶ。

 確か夜更けに、暴漢に襲われて、それから意識を失った。そのあとの記憶は、まったくない。ならば、答えは一つしかないだろう。

 

「……メルランが、俺を助けてくれたのか?」

「……私は……ううん、そう。私が○○を助けて、ここに連れてきたの。酷い怪我をしていて、長い間眠りっぱなしだったけど、もう大丈夫だから」

「そうだったのか。色々と迷惑かけたみたいで、すまなかった」

「○○が謝る必要なんてないわ。だって……私が……」

「いやいや、俺が夜更けに出歩いたせいだから。とにかく、ありがとう」

 

 ○○は、精一杯の感謝の意を込めて頭を下げた。そして、容易に体を動かせたことで、自分の体が治っていることに改めて気づく。顔面に負っていたはずの傷跡もなく、痛みもない。あれほど酷かった腫れも引き、健康的な状態に戻っているようだ。

 だが、その代償として、何か大切なものを失ったような喪失感を覚えていた。それが何なのかは、わからない。

 

「……うん。でも、もう二度と、○○を傷付けさせたりはしないわ。私が、ずうっと○○の側にいて、守ってあげるから」

 

 彼女は先程から、○○の手を大事そうに両手で包み込み、頬擦りをしたり、指先に口づけしたりしている。

 その姿は恋する乙女のようであり、または情欲の虜になった雌の姿でもあった。

 

「……私が、私が姉さんに遠慮したから、こんなことになったんだわ。○○を、一度は失いかけてしまった。でも、姉さんも、ようやく愛を手に入れられた。だから、もう、私は、我慢する必要なんて、ないのよね? リリカも、私の気持ちを、わかってくれるよね?」

 

 ぶつぶつと呟く彼女の声は、独り言のように小さくとも、○○の耳には届いていた。それは彼女自身に言い聞かせている言葉のようでもあったが、○○はその内容を理解することができなかった。

 そして、彼女の瞳は虚ろに揺れており、焦点が定まっていないように見える。それでも、中心に○○の姿を捉えていた。

 

「○○。貴方には、辛い思いをさせてしまったけど、そのおかげで、私たちは同じになれた。時を気にせず、永遠に睦み合うことができる。図らずも、私が望んでいた形になってしまったわ」

 

 メルランはそう言うと、○○の腕を引いて抱き寄せ、顔を近づけた。彼女の吐息を感じる距離になり、○○は思わず顔を背けようとしたが、メルランは強引に彼の顔を正面に向けさせた。

 

「メ、メルラン……?」

「もうっ、逃げちゃ駄目よ。これからは、ずっと一緒なんだから、そんなことされたら寂しいじゃない。○○には私の全てを受け止めて、受け入れて、そして愛して欲しいの。○○が見ていいのは、私だけ。○○が聞いていいのは、私だけ。○○が吸っていいのは、私だけ。○○が触れていいのは、私だけ。○○が味わっていいのは、私だけなのよ」

 

 ○○の身体は、メルランによって強く抱きしめられた。腕や足が絡み合い、お互いの肌の温もりを直に感じることができる。

 そして、○○の視線は、彼女の瞳に吸い込まれていた。かつて余裕たっぷりに色付いていた虹彩は、すっかり淀み切り、今あるのは、狂気に満ちた暗い輝きだけだ。

 

 ○○にはわからなかった。彼女が何を言っているのか、どうしてこうなったのか、自分がどうすればいいのかも。

 ただ、ひとつ言えるのは、自分は確かに彼女に愛されていて、とても幸せだということだけだった。

 

「うん、○○は幸せなの。私が○○を幸せにして、○○が私を幸せにしてくれる。永遠に循環する幸福。それを分かち合える存在は、私たち以外にいないのよ」

 

 メルランの目尻が下がり、○○の顔に近づいてくる。そして○○の唇に、メルランのそれが重ねられた。

 舌と唾液が入り混じり、混ざり合ったものが喉の奥に流れ込んでくる。○○は反射的に喉を鳴らして飲み下し、胃の中へと落としていった。

 

「うふふっ、いっぱい飲んでね……。あとで私も、○○に注いで貰うから……ねっ?」

 

 メルランは腰を揺らし、○○の下半身に刺激を与える。その動きに合わせるように、○○は無意識のうちに自分のモノを膨らませていた。

 

「○○、愛してるわ。これからも、いつまでも変わらない。私たちだけの世界で……永遠に……」

 

 メルランはそう囁きながら、○○の体に覆い被さっていった。○○も抵抗することなく、それを受け入れた。

 

 

 部屋の中には、淫靡で狂った音色が鳴り響いている。幸福を謳うように、永遠を誓うように、二人はひたすら交わり続けた。

 

 彼らの幸福は逃げ場なく、漏れ出すことなく、彼らだけの世界を漂い続けるだろう。

 そして何者にも、幸福の旋律を止めることは、できないのだ。

 

 




















【怪異!? 変死体の恐怖! 人里の闇!】

 昨日、霧の湖付近にて、人間の遺体が発見された。遺体の性別は男性。身元は、人里に住む外来人であることがわかった。
 死因は首を引き裂かれての失血死。それ以外に、目立った外傷はないようだ。
 いつもなら、妖怪か獣に襲われた哀れな人間として、忘れ去られることだろう。

 しかし気になる点は、遺体の手の爪に、血痕と肉片がこびりつくように付着していたことだ。
 そして首の傷跡は、人間の爪で引っ掻かれたもので、被害者自身が付けたものだと推測されている。つまり、自殺ということだ。

 人間が、自ら首を掻きむしって死ぬ。
 そんな発狂ものの死に様なんて、あり得ないだろうと思う方もおられるかもしれないが、あり得ないことが当たり前に起こるのが、ここ幻想郷なのだ。
 人間を狂わせて、死に至らしめる。それが可能な者は、幻想郷にいくらでも存在している。
 あるいは騒霊、あるいは月の兎、あるいは厄神、あるいはさとり、あるいは——いや、ここまでにしておこう。

 最近、人里の路上で、外来人の撲殺死体が発見されるという事件があったのは、記憶に新しいところだ。
 そして、またしても外来人が亡くなってしまったわけだが、この二つの事件に関連がある可能性は高い。
 だが人里の自治体は、この件について何も言及しておらず、捜査も行われていない。幻想郷での外来人の待遇を、暗に物語っているとも言えるだろう。

 それからもう一つ、気になることを耳にした。
 その撲殺死体は、無縁塚に埋葬される予定で、遺体を人里で管理していたらしいのだが、当日になって管理者が赴くと、遺体は忽然と姿を消していたという。

 わざわざ人里で人間の死体を盗むような輩といえば、かの邪仙しか思い当たらない。
 この一件について、当人に取材を試みたものの。
『失礼ねぇ。確かに昔は色々やってたけど、今は愛しい旦那様のことで手一杯なのよ。だから、私は一切関係ないわ。天地神明に誓ってね』
 と煙に巻かれてしまった。

 どうも真偽のほどがはっきりしないが、いずれにせよ人里でこのようなことが起こるのは、好ましくない。
 今後、同様の事件が起きないことを、筆者としても祈るばかりである。


——捨てられた新聞の一部より抜粋。
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