ジリジリと照りつける日差しに辟易しながら、妖夢は人里の通りを歩いていた。今日は食材の買い出しのために、一人で外出しているのだった。
その背中には、件の刀を携えている。男に刀を封印しろと言われたものの、未だに決心がつかなかった。
封じてしまえば、彼とはもう会えなくなるかもしれない。それがどうしても嫌で、踏み切ることができなかったのである。
なので抜くこともできないのに、未練がましく刀を持ち歩いているのだ。
「えぇっと、どこから行こうかな……」
この辺りは、様々な店が並んでいる場所のため、いつも賑やかで活気がある。妖夢にとっては、見慣れた光景だ。
妖夢の主人である幽々子は、深窓の令嬢のような外見をしている割に大食漢であるため、こうして定期的に人里へ、食材の調達に行かなければならなかった。
冥界にも食材はあるのに、わざわざ顕界まで降りてきたのは、幽々子が偏食だからである。現世の食べ物のほうが、好みらしいのだ。
面倒だと思うものの、白玉楼に居る使用人の幽霊たちは、みな冥界から出ることを嫌がるので、自分が行くしかないのだから仕方がない。
「ん? あれは……」
しばらく歩いていると、前方から、一人の女性が近づいてくるのが見えた。
妖夢はその女性に対し、違和感を抱く。彼女は、人の姿をしているが、人里の住人とは雰囲気が違う気がしたのだ。おそらく、妖怪の類と思われる。
別段、人里で人に化けた妖怪を見ること自体、珍しくない。それに悪事を働く妖怪ならともかく、そうでない妖怪であれば、退治する必要もないので、基本的には放っておかれている。
妖夢も、そういう存在にいちいち反応していては、キリがないと思っているのだが、その女性には、どこか見覚えがあった。
腰まである茶髪を、後ろで束ねており、上品な和装に身を包んでいる。一見して、名家の奥方様のような印象を抱く。
そして、何より特徴的なのは、幻想郷で見かけるのは珍しい、眼鏡を掛けていることだ。童顔に似つかわしくない、銀縁のフレームが、妙な雰囲気を放っている。
そう疑問に思いつつも、そのまますれ違おうとしたところで、唐突に女性は立ち止まり、妖夢のほうへと振り返った。
「……おぬし。そこ行く半霊の剣士よ」
「はい?」
女性の呼びかけに対して、妖夢は足を止めた。その古風な口調にはどこか聞き覚えがあり、妖夢の脳裏を刺激する。
「その後ろに背負った刀……。もしや、餓狼ではないか?」
「えっ?」
女性が妖夢の背中にある刀を見て、眉間にシワを寄せながら言った。しかし聞き慣れない名称だったので、妖夢は戸惑うしかなかった。
「人里とはいえ、白昼堂々とそんな物を担いで歩くものではないぞ。儂らに喧嘩を売っとるのか?」
「いや……その……」
妖夢が答えられずにいると、女性が言葉を続けた。
それでもなお、妖夢が何も言えずに立ちすくんでいたところ、痺れを切らしたように女性が一歩前に出た。
「なんじゃ、知らずに持ち歩いておったのか。無知は罪じゃのう」
そう言って女性は嘲笑を浮かべながら、妖夢に向かって歩み寄る。妖夢より頭一つぶん背が高いため、自然と見上げる形になってしまう。
その知性ある顔立ちからは想像できないほど、彼女の口元に浮かぶ笑みは邪悪だった。それは人というよりも、むしろ妖怪のそれに近い印象を抱かせる。
女性も隠す気はないらしく、周囲に漂う空気は、肌を刺すようにピリピリと張り詰めていた。
しかし、人里の通行人は、誰も気にしていない様子だ。次元の違う者に対して、人は鈍感になれるものである。
「あの、貴女はこの刀のことを、知っておられるのですか? これは、いったい……」
「ふむ、どうやら本当に知らないようじゃの。それなら教えてやってもよいが、ここでは目立つ。場所を変えようぞ」
そう言って女性は、妖夢を後目に歩きだす。妖夢は戸惑いながらも、彼女の後を追うことにした。
二人はしばらく歩いたあと、人気がまったくない路地裏に入り込んだ。
そこでようやく女性が足を止める。そして妖夢の方を振り返ると、薄く紅を塗った唇を開いた。
「さて、何から話したものか」
「なんでもいいです。刀のこと、刀の持ち主のこと、知っていることを、すべて話してください!」
「おおぅ……」
妖夢は興奮気味に、語気を強めにして言う。
その勢いに気圧されたのか、女性は一瞬たじろいだ様子を見せたが、一旦咳払いをすると、すぐに元の調子を取り戻した。
「……そうじゃのう。まず、その刀は、餓狼と呼ばれている妖刀で間違いはない。かつて幾多もの妖怪を、なますのように斬り伏せたとされる代物で、故に妖怪からは忌み嫌われておる。そして餓狼には、斬った者の生き血を吸い、切れ味を増すという特性があるのじゃ。人にしか扱えず、同時に人が扱えば、その身を乗っ取られてしまうとも言われており、実際にその刀の持ち主は、人ではなくなったからのう。まこと妖刀の名に恥じぬ、恐ろしい得物じゃ……」
そこまで言い終えると、彼女は目を細めながら頬に手を当てて、何かを思い出すような仕草をした。懐かしむというよりは、悲しそうな表情である。
「まあ、人が人智を超越した力を手に入れれば、当然の末路といったところか。人の身のままでは、人ならざる者に到底太刀打ちできぬ。しかし、人の身に余る力を欲すれば、必ず報いを受けるということじゃなぁ。因果応報。この世の摂理は、決して変わらない。それが、たとえ幻想郷であろうともな。……と、話が逸れたのう」
その声には、どこか哀愁のようなものが感じられた。それは、過去に思いを馳せているかのような口調であった。
女性の言葉を聞き、妖夢は改めて背中の鞘に収まった刀を、肩越しに見つめる。しかし、元々いわく付きのものだと知っていたから、そこまで驚きはなかった。
「その刀の持ち主は、○○という名の男で、たいそう腕が立つ剣客じゃった。真っ当な人生を歩んでいれば、今ごろ歴史に名を残すほどの剛の者になっていたであろうが、残念なことに、あやつは道を踏み外してしまった」
「○○さん、ですか」
「うむ。元は誠実な若者じゃったが、ある日を境に、私怨に取り憑かれてしまってな。その矛先は、人ならざる者たちに向けられるようになった。それからは、ただひたすら気狂いの如く妖怪を狩り続け、やがて孤剣にて百鬼夜行を屠り、修羅の道を歩むようになったのじゃ。その果てには、心の隙を突かれて、己の内に巣食うものに、体を支配されてしまったのじゃよ。その後、どうなったのかは、知るよしもないがの」
女性は淡々と言葉を連ねる。それは物語を語る語り手のように、淀みなく紡がれていく。
あの男に、そんな過去があったとは思いもしなかった。そして彼女が語る内容は、妖夢の心に強く響いていた。
やはり彼の実力は、常軌を逸していたのだ。過去——妖怪が百鬼で群れるほど全盛であった時代の剣客。そんな人物に、落ちぶれた者たちが集う幻想郷で生きる自分がまるで敵わなかったのは、当たり前のことだった。
だが妖夢は、悔しさよりも先に尊敬の念を覚えた。彼は、自分にない強さを持っている。それを得た過程はどうあれ、自分もまた、彼に近づきたいと思えるのだ。
女性の話を、黙って聞いていた妖夢だったが、彼女の語りが終わると同時に、口を開いた。
「その、○○という方は、どうして妖怪ばかりを、狙うようになったのですか?」
「……聞けば、気分を害するかもしれんぞ? それでも聞きたいかの? それに、少し長くなるが、よいか?」
女性の声音からは、明らかな警告の意が含まれていた。しかし、今の妖夢にとっては、どうでもいいことだった。
自分は未熟者だ。だから強くなりたかった。そのために様々な経験を積みたいと、常日頃から考えていた。
そのためには、どうしても知らなければならない。彼の素性を知れば、強さの秘訣がわかるかもしれない。安直な考えだと自覚しつつも、妖夢はその欲求を抑えることができなかった。
「はい、教えてください」
妖夢は、力強く首肯した。
女性は少しの間、思案顔を浮かべていたが、妖夢の意志が固いと悟ると、小さく溜息を吐き、重い口を開き始めた。
「随分と昔の話になるがな……。まず、○○は武家の出じゃった。それゆえ、幼少の頃より、剣術を学んでいたのじゃ。才も有り、瞬く間に頭角を現していき、将来を有望視されておった。それから、許嫁もおってな。同じ歳頃の幼馴染で、互いに好いておったそうじゃ。その娘もまた、才色兼備の素晴らしい女子じゃった。やがて、○○が家督を継ぐことに決まり、その祝言が間近に迫ってきた頃、悲劇が起きたのじゃ……」
そこで女性は、一旦言葉を区切ると、視線を地に落とした。その表情は、暗い影を落としており、どこか悲しげに見える。
彼女は数瞬の後、再び話し始めた。
「好事魔多しとは、よく言ったもので、何事も順調に行くことのほうが珍しい。ある日、娘が突然、その行方をくらませたのじゃ。そして、数日後に発見されたときには、変わり果てた姿になっておった。○○の目の前に現れたのは、娘の亡骸じゃった」
彼女は一呼吸置くと、沈痛な面持ちで言葉を紡ぐ。
「ただ殺されただけではない。その亡骸は、見るも無残な有様で、獣が食い散らかしたかのように腹を裂かれ、内臓をすべて引きずり出され、肉は余すことなく喰われておったらしい。まさに地獄絵図のような光景じゃろうな。そして、遺体の側にあった髪飾りだけが、辛うじて生前の娘の面影を、残していたという」
その悲惨な話に、妖夢は絶句し、背筋が凍るような感覚に襲われた。
もし、その話が本当ならば、彼はどのような感情を抱いていたのだろうか。想像するだけで、身の毛がよだつ。
そして、そのような残虐極まりない行為に及んだ者に対し、妖夢は強い憤りを感じた。話を聞いただけで、彼に共感してしまったのだ
「下手人は、近くの山に潜む、木端の妖怪じゃった。娘とは縁もゆかりもなかったはずじゃが、何故かそやつは、娘に目をつけたようじゃ。妖怪が好むのは、善性を秘めた無垢な人間の魂じゃから、おおかた娘の魂に惹かれたのであろう。いずれにせよ、娘は奴にとって、格好の餌食だったというわけじゃ」
そこまで語って、彼女は一度大きく深呼吸をした。長い話に疲れているのか、あるいは別の理由があるのかは、わからない。
「無論、○○は激怒した。娘の仇を討つために、その山へ赴き、見事仇討ちを果たした。しかし、自身が強者であるがゆえに、呆気なく終わってしまったせいか、怒りの矛先を見失ってしまったのじゃろう。以後、○○は腑抜けとなった。娘を追って、自刃することも考えただろうに、結局はやらなかった。武家の人間として不様な真似はできないという、そんな意地があったのじゃろう。そして死に場所を求めて、戦場で刀を振るい続けるうちに、いつしか妖そのものを憎み、恨むようになっていった。此奴らさえいなければ、娘は死なずに済んだはずだ。この世から妖怪という存在を完全に消し去るまで、復讐は終わらぬ。それが、○○の出した結論だったのじゃ」
その言葉を聞いて、妖夢は胸の奥底に熱いものが込み上げてくるのを感じていた。一人の男の悲しみを思うと、自分の心までもが痛み、苦しくなっていく。
○○に対して、妖夢は少なからず親近感を覚えていた。自分も、家族である祖父を失った身だ。
死別したわけではないので、彼と比べれば、遥かに軽いものだが、それでも似たような境遇であることに、変わりはない。
だからこそ、彼の気持ちが理解できた。自分と同じように、大切な誰かを失っているのだと。
「その刀……餓狼は、元は名も無き刀であった。○○が愛用していただけの得物でな。しかし、数多の妖怪を斬り捨てる中で、次第に妖力を蓄えていったのじゃ。妖怪にも心はあり、恨み辛みの念を抱く者も、おったということじゃな。何せ無差別に斬りまわっていただけじゃから、怨嗟の対象も、それこそ山の如しじゃった。そのすべてが刀の糧となり、妖刀へと成り果てたのじゃ」
妖夢は、女性の言葉を聞きながら、○○の愛刀を眺めた。
経緯を知れば、彼が封印しろと忠告してきたのも、納得できる。確かにこれは、危険すぎる代物だ。未熟者の自分では、制御しきれる気がしない。だが、惹かれるものがあるのも、また事実。
「餓狼と呼ばれる所以は、常に一人で戦い続けた○○の生きざまが、一匹狼のように見えて、それと掛けられたのもあるじゃろうな。心の穴を、飢えた心を満たすためだけに戦う姿も、まさに獣そのものじゃったからなぁ……」
そこまで語って、女性は一息ついた。語り終えると、少しだけ寂しげな表情を見せる。
そこで、それまで黙って話を聞いていた妖夢が、口を開いた。
「……お話は、よくわかりました。ですが、貴女は何故、そこまで詳しく知っているのですか? その……○○さんとは、どのような関係なのですか?」
妖夢の質問に、彼女はしばらく押し黙っていたが、やがて諦めたように小さく溜息をつくと、ゆっくりと妖夢の方を向いて、答え始めた。
「別に大した話ではない。昔、儂が支配していた国の近くで、その一連の事件が起こったのじゃよ。そして、人に化けていた手の者共から、事のあらましを聞いたのじゃ。○○には、同胞を殺されたりもしたが、奴の生き方に共感するところもあってのう。それに見惚れる程に美しい剣筋じゃったし、主君の犬として生き永らえる武士より、修羅の道を往く孤高の狼というのも、嫌いではなかった。それゆえ、儂からは手を出さず、放っておいたのじゃよ」
女性の話を聞いて、妖夢はますます混乱した。
彼女が妖怪であるのは、間違いない。だが、国を支配していたということは、それ相応の力を持った妖怪だということだ。
一体、目の前の女性は、何者なのだろうか。疑問に思った妖夢は、恐る恐る尋ねてみた。
「あの……貴女は、妖怪なんですよね? 一体、どのような……」
「なんじゃ、おぬしとは一戦交えたこともあるというのに、気づいておらんかったのか……。まあ、それも無理ないかの。儂の変化が、完璧すぎるゆえ。ほれ、種明かししてやろうぞ!」
女性がそう言うと、唐突に彼女の身体が濃ゆい煙に包まれていく。その光景を見て、妖夢は思わずたじろいだ。
やがて煙が収まると、そこには体一つ分はある大きな尻尾と、獣の耳を持つ、狸のような姿をした女性の姿があった。
「ふぉっふぉっふぉ! 大妖怪、佐渡の二ッ岩マミゾウとは、儂のことじゃ! ……驚いたか?」
「え、ああ……はい。驚きましたけど、どうして人間の姿をしていたんですか?」
「んー、それはじゃなぁ、そっちの方が色々と都合が良いからじゃ。詳細が気になるか? では、少し長くなるが、話してやろうぞ!」
「じゃあいいです」
いつぞやの異変の際、マミゾウとは顔を合わせたことがあった。その時のことを思い出した妖夢は、面倒なことに巻き込まれる前に、話を打ち切った。
「な、なんじゃ、興が削がれるのう……」
「いえ、長々とお話いただいたので、これ以上は。では、私は用があるので、失礼します。ありがとうございました」
刀の詳細と、○○の素性さえ知れれば、それで十分だったのだ。もう彼女に用はない。早くこの場を立ち去ろうと、妖夢は彼女に背を向ける。
しかし、そんな妖夢を引き留めるように、マミゾウは話しかけてきた。
「ちょっと待ってくれぬか? 最後に一つ、教えてほしいことがあるのじゃ」
「何でしょうか?」
「おぬしは、それをどうするつもりじゃ? どういった経緯で手に入れたかは知らぬが、実用性はともかく、縁起の良いものでないことだけは確かじゃ。悪いことは言わん。手放したほうが、よいと思うぞ?」
真剣味を帯びた声音で語るマミゾウに対し、妖夢は静かに首を横に振った。そして、○○の愛刀を見つめながら、ぽつりと呟く。
「……私が一人前になるためには、何かに頼らなければなりません。私一人では、何もできないのです。だから、この刀を持って、形からでも一流の剣士になったつもりで、振る舞わなければいけないと思ったのです。そうすれば、いつかは……きっと、強くなれますよね?」
妖夢の答えを聞いたマミゾウは、しばらくの間、黙って考え込んでいた。そして、おもむろに口を開く。
「……闇に惹かれれば、闇に魅入られる。せいぜい、気をつけることじゃな。他者の決めた道に口出しするのは、あまり好かんからの。儂からは、それだけじゃ。引き止めて悪かったのう。縁があれば、また会おうぞ」
そう言って、マミゾウは妖夢に別れを告げた。妖夢も、軽く会釈をしてそれに応える。そして、両者は別々の方向へ歩き出した。
「○○、さん……」
やはり彼は、剣の道で自分より遥か先を行く存在なのだ。妖夢は改めて、その事実を思い知った。
道を踏み外したと言っていたが、人が妖怪を斬ることの是非など、所詮は他者の価値観でしかない。
人と妖は敵であり、相容れぬもの。それが、世の理であるはずだ。
彼は善人ではない。だが、悪人でもない。ただ己の信念に従って、刀を振るっていただけ。そこに迷いはなく、躊躇もないのだろう。
それに比べて、自分はどうか。妖夢は、自分の心の中に問いかける。
主の幽々子に仕えているとはいえ、それは魂魄家の先代から役目を引き継いだことに他ならない。自分が望んで、仕えたわけではない。産まれたときから、そうなる運命だと、定められていただけだ。
自分の意思で選んだのではなく、流されるままに生き続けてきた。それゆえ、今の自分に何があるのか、わからない。まるで霧の中を、彷徨っているような気分だ。
だが、それでも一つだけ、言えることがある。
「……強くなりたい」
剣の道を歩んでいる者なら、誰しも一度は願うこと。妖夢もまた、その例外ではなかった。祖父が刀を振るう姿を見て以来、妖夢はずっと、その思いを抱き続けていた。
しかし、いくら修行を積んだところで、その願いが叶わないことを、よく理解していた。どれだけ努力しても、祖父の足元にも及ばないということは、嫌というほど身に染みていたからだ。
そして、幻想郷には同じ道を進む者がおらず、相談できる相手すらいない。比較対象がいない以上、上達しているのか、成長できているのか、判断することすらできなかった。
だからこそ、○○と出会ったときは、本当に嬉しかった。彼とならば、切っ先が見えない暗闇の中でも、共に歩み続けることができるかもしれないと、そう思ったのだ。
「まだ、無縁塚に居るのかな……」
刀の封印が解かれたから、○○は姿を現したのだろう。ならば、刀を封印しない限り、再び彼と会える可能性がある。
そう考えた妖夢は、急いで買い出しを終えて白玉楼へと戻った。
そして、庭師としての仕事を片付け、剣の鍛錬に使う時間を、○○を探すことに費やすことにしたのだ。
単身、無縁塚へ赴き、○○を捜し回る妖夢。それほど広くない場所なので、彼の姿は、すぐに見つかった。木に背を預け、地面に座り込んでいる○○の姿が。
「あっ……」
○○に声をかけようと近寄った時、妖夢はふと足を止める。よく見ると彼は目を閉じており、どうやら眠っているようだった。
しかし気配を察したのか、すぐにまぶたを開き、妖夢の方を見つめてきた。
「……なんだ、誰かと思えばお前か」
「も、申し訳ありません! お昼寝の邪魔をするつもりは、なかったのですが……」
「目を閉じていただけだから、気にしなくていい。それより、なぜ刀を持っている? 俺の忠告を無視してまで、何のつもりだ」
妖夢の背にある刀を見た瞬間、○○は顔をしかめた。どうやら、かなり不機嫌になっているらしい。それも無理ないだろう。
妖夢は少し迷ったが、意を決して、○○に話しかけることにした。
「あの……この刀を封印したら、貴方は消えてしまうんですよね?」
「そうかもな。俺は、この世の理から外れた存在。刀に縛り付けられた、残留思念に過ぎない」
○○は、ぶっきらぼうに答えると、苛立ちを隠そうともせず、大きな溜め息をつく。
「輪廻転生という言葉を、知っているか? 死んでも魂は巡り続け、新たな生命として誕生するという思想だ」
唐突に語り始めた○○の言葉に、妖夢は首を傾げる。
「俺は一度死に、人間から亡霊になった。そして刀に縛られ、この世に留まり続けた。刀の妖力が尽きるまで、俺は消えることもできないままだ」
亡霊は幽霊と違い、肉体を持った存在である。生前の未練によって、成仏することもできずに、現世を彷徨い続ける者。○○の場合は、怨霊といったほうが、適切だろうか。
妖夢の主である幽々子も亡霊であるが、彼女の場合は、みずから死期を早めただけであるため、未練が残ったままでいるわけではない。例外中の例外。
だが、○○は違う。彼は生ける屍も同然なのだ。人の道を外れ、修羅道を歩むことを選んだがゆえに、彼は人としての尊厳を、奪われてしまったのだから。
「……初めは、復讐のつもりだった。だが、刀を振るううちに、斬る喜びを覚えていった。人間一つ、生死を賭けて斬れば斬るほど、言い知れぬ快感を覚えた。そして、いつしかその感覚に溺れるようになってしまった。それが刀に取り憑かれ、刹那に生きる者の宿命なのかもしれないな」
淡々と語っていく○○だったが、妖夢は彼が何を言わんとしているのか、理解できていた。妖夢自身、その気持ちに覚えがあったからだ。
これまで妖夢は、剣の腕を上げるために、様々な者と戦ってきた。それは妖怪であったり、神だったり、時には人間を相手にすることもあった。
そのとき感じた感情は、今思い出しても鳥肌が立つほどに恐ろしく、そして甘美なもの。血を流し、傷つきながらも、刀を振るい続けることができた理由が、そこにあったのだ。
「だがな、その果てには、何もないんだよ。ただ虚しさだけが、残るだけだ」
そう呟く○○の顔には、諦めの色が浮かんでいた。彼は、自らの運命を受け入れているのだ。
妖夢は、何も言えなかった。彼の言葉を否定しようにも、明確な根拠がない以上、軽々しく口にすることはできなかったからだ。
しばらくの間、二人の間に沈黙が流れる。やがて、先に口を開いたのは、○○のほうだった。
「だから、妖忌……お前の祖父に頼んだのさ。迷いを断ち切る白楼剣で、俺を終わらせてくれと。だが、完全には消せなかった。幾千の妖を斬り捨てた俺の業は、消えなかったんだ。積もり積もった怨嗟が、俺を縛り付け、中途半端に自我を残してしまった。妖忌は、自分の腕が未熟だからと嘆いていたが、それは違う。怨嗟の念が、強すぎたせいだろうな」
○○の口から発せられた事実に、妖夢は驚愕した。祖父が、そんなことをしていたなんて、まったく知らなかったのだ。自身の過去を語りたがらない祖父のことだから、仕方ないといえば、それまでかもしれないが。
○○は、妖夢の表情を見て、少しだけ微笑むと、ゆっくりと立ち上がった。
「妖忌に封印され、悠久の時を経て、その孫に封印を解かれるとは、なんの因果か。皮肉にも程がある。……ふふっ。べらべらと、語りすぎたようだな。……さて——」
○○は自嘲気味に笑うと、未だ立ち尽くしている妖夢に、視線を向けた。黒々として、光のない瞳に見つめられ、妖夢は思わず息を飲む。
「お前に、斬れるのか? 俺の……妖忌にも斬れなかった業を、お前のような半人前が、斬ることができるのか?」
試すような口調で尋ねてくる○○に、妖夢は言葉を詰まらせた。
そんなのは、無理に決まっている。心技体ともに未熟な自分が、亡霊とはいえ歴戦の剣客である彼を、斬れるはずもない。
祖父でさえ斬れないものを、自分なんかが斬ることなど、できるはずがない。
「……無理、です」
「なら、さっさと刀を封印してもらえ。刀の怨嗟が、いつお前に牙を向けるか分からんからな。女の身にして修羅に堕ちたくはないだろう?」
妖夢の言葉を聞いた○○は、少し呆れた様子を見せる。
しかし妖夢は、○○の言葉を受けてもなお、その場から離れようとはしなかった。むしろ、一歩ずつ○○へと近づいていく。その顔からは、何かを決意した様子が見て取れる。
そして、彼の前まで来ると、妖夢は刀を地に置き、静かに腰を落として、正座をした。生足に草がチクチク刺さるが、気にせず姿勢を崩さない。
妖夢の行動の意味がわからず、怪しげな目付きで見つめる○○を尻目に、妖夢は大きく深呼吸をする。それから、○○を見据えながら口を開く。
「確かに私では、貴方を斬ることはできません。ですが、今は無理でも、いつか必ず成し遂げてみせます。私が、貴方の迷いを斬って、救ってみせます!」
妖夢の決意に満ちた声が、辺り一帯に響き渡る。彼女の眼差しは真剣そのもので、嘘偽りなど微塵も感じられないものだった。
そのまま、両手を地面につけ、頭を垂れる妖夢。その姿はまるで、主君に忠誠を誓う家臣のようであった。
「だから私を、貴方の弟子にしてください! 未だ剣の道半ばなれど、この身に流れる血は、祖父の妖忌と同じもの。稽古をつけてくだされば、いずれ師匠を超える日が、来るやもしれません」
妖夢は、額を地に擦り付け、○○に弟子入りを申し出た。
この行動には、○○も驚いたようで、しばらく目を丸くして固まっていたが、やがて大きなため息をつく。
「……頭を上げろ。おなごに土下座をされる趣味はない」
「で、では……?」
○○の言葉を聞き、おそるおそるといった感じに、頭を上げる妖夢。
彼女は今、凄まじく緊張していた。脂汗を流し、心臓の鼓動は早くなり、手足は小刻みに震えている。それは恐怖からくるものではなく、武者震いに近いものだった。
「俺は常世の存在。つまり、陰気の濃い場所から離れられん。だから刀のことは、お前に託すしかない。しかし、お前にその気がない以上、何を言っても無駄なんだろう? 自分を斬らせるために、自分の手で弟子を育てるなど、正気の沙汰ではない。……それでも、人の道から外れた俺には、案外似合っているのかもしれないな」
そう言うと○○は立ち上がって、妖夢に向かって手を差し出した。妖夢はその手を握り返し、同じく身を起こす。
「いいだろう。俺の剣術を、教えてやる」
「……はいっ!」
こうして、幽々子の従者である魂魄妖夢は、白玉楼の庭師であった妖忌の孫娘は、○○という亡霊の剣士に、剣術を教わることとなった。
妖夢が○○に教えを乞うた理由が、自分の為なのか、それとも彼のためなのかは、妖夢自身にもわからない。
ただ一つ言えるのは、二人の出会いが、偶然ではなかったということだけだ。