東方キャラを病ませたい   作:ぬいカス

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妖夢中編二

 

「はぁ〜、さっぱりしたぁ」

 

 夜の自主鍛錬を終え、汗まみれになった身を湯浴みで清めた妖夢は、呑気にそんなことを言いながら、自室へと向かっていた。

 白玉楼の廊下から見える夜空には雲一つなく、月と星々が輝いている。今宵は十五夜。冥界の夜は、静かだった。

 

 その中を歩く妖夢の足取りは軽い。○○という新たな剣の師を得られたことで、拠り所が出来たような気がしていたのだ。

 あの日、彼と師弟の関係になってからというもの、毎日のように剣術指南を受けているのだが、それはとても楽しいものだった。

 

 寡黙で多くを語らない祖父とは違い、彼は対話をもって教えてくれる。また、彼の戦い方は実戦的で、無駄がなく洗練されていた。型にはまっている自分とは、対照的だと思ったものだ。

 それに、何より○○と一緒にいる時間が心地良い。彼は、動きが良ければ褒めてくれるし、悪ければ叱って注意してくれる。そして最後には頭を撫でて、よくやったと言ってくれるのだ。

 

「……ふふっ」

 

 そのときの感触を思い出し、思わず笑みを浮かべてしまう。

 祖父は良くも悪くも、妖夢に対して無関心であり、どこか物足りなさを感じていた。それゆえ、誰かに認めてもらうということに慣れていないのだ。

 

「なんだか修行も楽しいなあ……」

 

 自然と口から漏れる独り言は、年相応の少女のものとなっていた。西行寺家の剣術指南役という重責を担う者としてではなく、一人の少女として。

 

「早めに寝て、明日に備えないとね」

 

 そう呟きながら部屋に入り、布団を敷いて横になる。一日鍛錬に明け暮れて疲れているせいか、すぐに眠気が襲ってきた。

 このまま眠りについてしまおう。そう思った瞬間、妖夢は微かな違和感を覚えた。

 

(なんだろう……?)

 

 それは肌を刺すような、冷たい空気の流れだった。以前にも感じたことのある、嫌な雰囲気である。

 妖夢は布団の上で身を起こし、目を閉じて神経を集中させる。すると、やはり間違いなかったようで、自室の外から何らかの気配を感じとれた。

 

「白玉楼に、何かが居る……。これは幽々子さまじゃない。もしかして、侵入者……?」

 

 わざわざ冥界にある白玉楼にまでやってくる者は滅多にいないが、万一にもあり得ない話でもない。現世ならともかく、ここは常識では計れないことが起こる場所だ。

 

 とにかく確認してみるしかないと、妖夢は静かに立ち上がる。そして、刀掛台に置かれた二振りの刀を手に取った。

 それから部屋を出て、もう一度神経を研ぎ澄ませて、気配を探ってみる。どうやら屋敷の近くには居ないようだったが、それでも離れた場所に何者かがいることは確かだった。

 

「……遠い。でも、この気配は……」

 

 妖夢は急いで身支度を整えると、そのまま空に飛び立って行った。

 

 

 

 冥界の夜空を駆けること数分。

 白玉楼の広大な庭の中、月明かりの下で佇む影を見つけた妖夢は、そこへ降り立った。

 

「お前、死んだはずじゃ……」

 

 そこにいたのは、かつて無縁塚で切り殺したはずの狼だった。

 闇夜に溶け込む漆黒の毛並みに、爛々と輝く紅の瞳を持つ獣は、牙を剥いて低く威嚇するような声を上げながら、妖夢を見据えてくる。

 

「あの致命傷を受けて、生きていたの? ……いや、死んで成仏できなかったから、怨霊となってまで、お礼参りにきたのか」

 

 妖夢はそれを前にしても、臆することなく対峙していた。目の前にいるのは、ただの獣ではないと理解しているからだ。

 以前戦ったときは、楼観剣が手元になかったせいで苦戦を強いられたが、今は違う。妖怪によって鍛え直された楼観剣は、刀身を熱く滾らせていた。

 今こそ、醜態を晒したあのときの借りを返す時だと、妖夢は背に差していた楼観剣の柄に手をかける。

 

「どちらにせよ、わざわざ冥界までご苦労様。そして、さようなら」

 

 スラリと楼観剣を抜き放ち、切っ先を向けながら、妖夢は冷ややかな声で告げた。

 

「白玉楼の庭を、お前のような薄汚い獣の血で汚したくはないけど、大人しく斬られてくれる気はないみたいだし、仕方ないよね」

 

 狼は、妖夢の言葉を理解したのか、それとも単に気に食わなかっただけなのか、再び低い鳴き声を上げる。それが、開戦を告げる合図となった。

 

「いざ参るっ!」

 

 先に動いたのは、妖夢の方だった。地面を蹴り、一気に間合いを詰めていく。

 対する狼も、妖夢に向かって飛びかかった。鋭い爪が生えた前脚を振り上げ、彼女の身体を引き裂こうとしたのだ。

 

(遅いっ……!)

 

 しかし、妖夢は冷静に見極めると、最小限の動きだけでその攻撃をかわしていく。そして、すれ違いざまに刃を振るった。

 その一撃で、狼の両後脚は根元から綺麗に切断され、体勢を崩された相手は地面に倒れ込んでしまう。

 無縁塚で相対したときの再現だったが、やはり楼観剣の切れ味は抜群で、白楼剣の比にならない。

 

「なんてたわいない……」

 

 倒れたまま地面にのたうつ狼を見て、妖夢はつまらなそうに呟く。それから、とどめを刺そうと楼観剣を構え直したが、そのとき異変が起きた。

 

「……えっ?」

 

 突然、斬られた後脚から黒いモヤのようなものが立ち昇り、傷口を覆い始めたのだ。やがて、それは大きな塊となって、形を成していった。

 妖夢は思わず目を見開く。そして、すぐに直感的に悟ってしまった。

 

「再生……しているの?」

 

 ものの数秒足らずで、完全に元通りになった後脚。それを目にして、妖夢は唖然としてしまう。

 しかし、そんな彼女に構わず、今度は狼が襲いかかってきた。しっかり地を蹴ったところを見るに、生えた後脚はまやかしなどではなく、確かな実体を持っているようだ。

 

「……なら、急所を狙えば! ……霊突!」

 

 そう判断すると、妖夢はすかさず楼観剣を突き出した。心臓、あるいは頭を貫けば、いかに再生力の高い妖怪といえど、絶命は免れないだろう。

 だが、そう上手くはいかなかった。狼はその攻撃をあっさりかわすと、また距離をとってしまう。

 

「狼にしては、なかなか賢いじゃない。でも、所詮は獣。……幽々子さま、ごめんなさい。少しお庭を荒らします」

 

 妖夢は楼観剣を握り直すと、改めて上段に構えた。そして霊力を込め、自らの能力を解放させる。

 

「断命剣……!」

 

 すると、楼観剣は眩しい光を放ち始め、同時に刀身からは霊気が溢れ出してきた。周囲の空気までもが、ピリピリと震え出す。それはまさに、必殺の一撃を放つ準備が整った証であった。

 狼もそれに気づいたらしく、低く喉を鳴らして警戒心を露にしている。しかし、もう遅かった。

 

「——冥想斬!」

 

 気の入った掛け声と共に、楼観剣を一気に振り下ろす。霊気を纏った淡い緑色の光刃が、地を抉りながら真っ直ぐに狼へと向かっていった。生半可な敵ならば、この技の前には無力と化すだろう。

 

 光速で迫る剣圧を前に、もはや回避は不可能。狼は、なす術もなく光に飲まれ、断末魔をあげる暇なく消滅していくはずだ。

 

「やったか……?」

 

 光の奔流が消えたあとには、何も残っていなかった。肉や骨、毛の一本すら跡形もなくなっている。どう見ても今の一撃を受けて、無事でいるはずがない。

 そう思いながら、妖夢はゆっくりと楼観剣を納めようとしたが、そこで違和感を覚えた。

 

(……おかしい)

 

 確かに手応えはあった。それなのに、なぜ自分はこんなにも不安を感じているのか。嫌な予感がする。

 次の瞬間、妖夢はゾクリと背筋が凍るような感覚に襲われた。そして、咄嵯に振り返る。

 

「なっ……」

 

 そこには、黒い霧状の何かが渦巻いていた。凄まじい妖気の集合体であることが、嫌でも分かってしまう。

 

「まさか……」

 

 妖夢は静かに息を飲む。やがて、その渦の中から現れたのは、先ほどの狼だった。

 ただし、その姿は変わっていた。まず、明確に身体の大きさが違うのだ。

 

 先ほどより一回り大きくなっており、肉の厚みが増したように見える。さらに、口吻が長く伸び、顔つきまで変化していた。

 そして、何よりも異様なのは、全身から漂うドス黒い妖気だ。ヒリヒリと肌を刺してくるような気配は、とてもただの獣のものとは思えない。

 

(不死身とでも……? それに、やられるたびに妖力が増すの……?)

 

 冷や汗を流し、思わず一歩後退する妖夢。目の前にいる存在が、恐ろしくて仕方がなかったから。

 

「ウオォォォォッ……!」

 

 狼は、そんな彼女に追い討ちをかけるように、獰猛な遠吠えをあげた。周囲の空気が乱れ、振動する。

 思わず両手で耳を塞ぎたくなる衝動に駆られるが、妖夢はそれを必死に抑え込む。刀を手放したら、その時点で終わりだと本能的に悟っていたからだ。

 

「ぐっ……!」

 

 狼の身体から立ち昇っている妖気が、一層強くなっていくのを感じる。そのあまりの邪悪さに、妖夢は今すぐ逃げ出したくなった。

 しかし、足を動かそうとしても言うことを聞かない。飛ぼうとしても霊力が乱れてしまい、それもかなわなかった。まるで、魂を直接掴まれ、握られているようだ。

 恐怖のせいなのか、それとも対手の妖気にあてられているのか。いずれにせよ、このままでは不味いということだけは、はっきりとしていた。

 

「はっ……はあっ……!」

 

 呼吸が荒くなり、心臓が激しく脈打つ。額に玉のような汗が浮かび、手足が震え始めた。

 しかし、そんな妖夢の様子などお構いなしといった様子で、狼はジワジワと距離を詰めてくる。その鋭い眼光が、妖夢の身体を射抜く。

 

(ば、化け物……!)

 

 弾幕ごっこでは味わったことのない、明確な殺意。それを身をもって感じ取った妖夢は、ついに限界を迎えてしまう。

 握力が抜け落ち、そして、楼観剣を手離してしまったのだ。地面から乾いた音が響くと同時に、妖夢はその場に崩れ落ちる。

 

「か、勝てない……。私じゃあ、こいつに太刀打ちできない……」

 

 情けなく呟くと、妖夢は諦めたように目を閉じた。もう格付けが済んで、抵抗しても無駄だということがわかっているのだ。

 

 人は脆く、精神が恐怖に支配されただけで死ぬ。ましてや、相手は妖怪の中でも上位に位置するであろう化け物なのだ。並大抵の精神力で抗えるものではない。半人前の妖夢が戦意を喪失するのは、当然のことであった。

 

「くそぅ……!」

 

 妖夢は震える声で悔しさを滲ませる。言うことを聞かない身体が恨めしく、そして無力な自分が腹立しかった。

 あのとき、しっかりとトドメをさせていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。妖夢の心の中で後悔が渦巻き、自責の念が膨れ上がっていく。だが、いくら悔やんでももう遅い。時間は戻らないのだ。

 

(でも、なんであのときは勝てたんだろう……?)

 

 ふと、無縁塚で戦ったときのことを思い出す。

 確かに苦戦したが、それでも狼を倒すことはできた。その場では再生もしなかったはずだ。それは、何故だったのだろうか。

 

(……そうか。あの刀……○○さんの刀で斬ったから……)

 

 妖刀餓狼。あの刀は、斬りつけた者の血を啜る。それは、妖気を吸収するということだ。つまり、狼の妖気を奪ったから、再生能力が一時的にでも失われたということになる。

 

 妖夢はその結論に至り、ようやく納得した。それと同時に、餓狼を帯刀しなかったことを後悔した。どうせ抜けないからと思っていたので、白楼剣と楼観剣しか帯刀してこなかったのだ。

 

 しかし、今更嘆いても仕方がない。妖夢は、ゆっくりと目を開ける。もう一足一刀の間合いまで、狼が迫ってきていた。

 もはやこれまで。妖夢は自分の死を受け入れようとした、そのときだった。

 

「グルルゥ……」

 

 狼が突如として空を見上げたかと思えば、そのままピタリと動きを止める。妖夢も何事かと思い、慌てて顔を上げる。

 

「……なに?」

 

 上空には満月を背にして、人影のようなものが浮遊していたのだ。それはゆっくりと下降すると、音もなく地面へと降り立った。

 そして近づいてくるその人物を見た瞬間、妖夢は驚きのあまり息を飲んだ。

 

「あっ……えっ?」

 

 それは、自分と瓜二つの姿の少女であった。何もかもが、まるで鏡写しのようにそっくりである。

 しかし、瞳の色だけが違っていた。妖夢のほうは、深い海の底を思わせるような蒼い色をしているのに対し、少女の目は赤い宝石のような輝きを放っているのだ。

 

「……ふふふ。なるほど、喰われに参ったか。なら、是非もないわ」

 

 突然現れたもう一人の妖夢は、狼の方へ視線を向けると、静かに語った。

 彼女が発した声質は妖夢と同じなのだが、どこか違和感がある。しかし、今はそんなことよりも、目の前の現象に頭が追いついていなかった。

 

 彼女は含み笑いを漏らすと、妖夢たちの方へ歩み寄り始めた。

 不思議なことに、一歩、また一歩と足を進めるたびに、狼は怯えるように後退りをする。その様子はまるで、彼女に気圧されているようでもあった。

 

 やがて、二人の妖夢の距離がニメートルを切るかというところで、狼が大きく後ろへ飛び退いた。そして、牽制するように睨みつける。

 

「……貴女は、何者?」

「何って、私はお前よ。そして、お前は私でもある。そんなことより、邪魔だから退いてくれないかしら? 万が一にも、身体を傷つけるわけにはいかないし」

 

 妖夢の問いに、彼女はそう答える。口調こそ丁寧なものだったが、その言葉からは有無を言わせない迫力があった。

 そして彼女は、手に持っていた刀の鞘から悠然と刀身を抜き放つ。

 

「えっ、それは……」

 

 妖夢は、その刀に見覚えがあった。いや、見間違えるはずもない。

 月夜を薄らうつす刃紋。それは紛れもなく、○○の愛刀——餓狼だった。

 

「ああ、今宵は満月。故に、死に狂うには丁度いい」

 

 彼女は抜刀した状態で狼に正対すると、鋭い眼光で一睨みする。そして刀を、肩に担ぐように持ち上げた。

 次の瞬間、刀身から凄まじい妖気が溢れ出す。彼女自身からも禍々しい殺気が放たれたかと思うと、妖夢は全身が粟立つ感覚に襲われた。

 

(まずい……!)

 

 妖夢は本能的に悟る。近くに居たら危険だ、と。それから這いつくばるようにして彼女の間合いから離れ、事の成り行きを見守った。

 

「いかなる命も、我が剣の前には無常。永久に儚く散るがいい。流星剣、徒花——」

 

 詠唱を終えると同時に、彼女は刀を一閃。そして、刀身に纏わり付いていた妖気が、解き放たれる。

 先ほど妖夢が放った剣技とは、比べものにならない剣圧。それは空気を切り裂きながら一直線に突き進み、瞬く間に狼を飲み込んだ。

 

「ギッ……!」

 

 一瞬の断末魔をあげ、狼は内側から破裂するように爆散した。

 辺り一面に飛び散る肉片と血飛沫。それらが雨粒のように降り注いでくる中、妖夢は腕で顔を庇いながらその様子を見ていた。

 

「さあ、おいで……」

 

 彼女は、血の雨を浴びて白髪を朱に染めながら、刀を天に掲げた。

 すると、刀身に吸い込まれるようにして、狼の血と妖気が吸収されていくではないか。

 妖夢の全身に付着していた血肉も、霧散するように消えていく。それに伴って、刀が妖しく輝き始める。

 

「……きれい」

 

 妖夢はその光景を見て、感嘆の声を漏らす。凄惨な戦いが終わったと後だというのに、まるで一枚の絵画を見ているかのような気分になった。

 

「……まだ? そう、足りないというのね。ふふふ……いいわ。私もよ……」

 

 刀が完全に血を吸収すると、彼女は刀に問い掛けるような素振りを見せ、そしてうっとりとした表情で、刀身に口付けをした。その姿は、とても常軌を逸しているように見える。

 

 それから鞘にしまうと、背に差して妖夢の方へと向き直った。

 妖夢は、呆然と立ち尽くしていた。今し方起きた出来事が、未だに信じられなかったのだ。

 

 彼女は辺りをキョロキョロと見渡すと、何かに目星をつけたのか、ゆっくりとそちらに歩み寄っていく。

 そして、地面から拾い上げたのは、妖夢が落とした楼観剣だった。

 

「ほら」

「えっ? ……あ、ありがとう」

 

 抜き身の楼観剣を持ちながら妖夢の目の前まで来た彼女は、それを差し出した。妖夢は楼観剣を受け取ると、慌てて頭を下げる。

 しかし、彼女は何も言わずに、妖夢の横を通り過ぎていった。

 

 その時、妖夢は彼女の瞳の色を見た。それは先ほど見た時よりも赤く染まっており、まるで鮮血のように真っ赤に輝いていたのだ。

 妖夢は、背筋に悪寒が走るのを感じた。得体の知れない恐怖が、心の奥底から湧き上がってくるような感覚に襲われる。

 

「死合いの最中に得物を手放すとは、剣士としてあるまじき行為よ。この未熟者」

 

 彼女は、背中越しに妖夢へ語りかける。その声は、妖夢が聞いたこともないくらい冷たく、無機質なものに感じられた。

 

「そ、それは……そのとおり、です……」

「まったく、我ながら情けない。あの程度の相手に怖気づくなんて」

 

 妖夢が振り返るよりも早く、彼女は言い放つ。妖夢は何も言えずに押し黙り、ただ俯くことしかできなかった。

 そんな様子を知ってか知らずか、彼女はそのまま話を続ける。

 

「ようやく目が覚めたと思ったら、まだ器が仕上がっていないみたいだし。どうしたものかしら?」

 

 彼女は独りごちるように呟いた。その言葉の意味が理解できず、妖夢は首を傾げる。

 

(……目が覚める? 器?)

 

 聞き返そうにも、口を挟む雰囲気ではない。妖夢は、大人しく次の言葉を待った。

 

「あの方のおかげで、ある程度は馴染んだようだけれど……。でも、まだまだ足りないわ」

「……何を言っているの?」

 

 妖夢は堪らず疑問を口にする。すると彼女は、妖夢を一睨みすると、不機嫌そうな口調で言った。

 

「愚か者。そうやってすぐ人に答えを求めるところ、本当に気に入らないわ。少しは自分で考えなさい。お前自身のことなのに」

 

 妖夢は思わず、ビクッと肩を震わせる。

 

「まあ、お前の役目は、機が熟すまで五体満足でいること。それだけだから、別に構わないけど」

 

 彼女は淡々と口にすると、もう用はないと言わんばかりに、その場から飛び去っていった。

 

「何なのよ……」

 

 一人残された妖夢は、しばらく呆然としていたが、やがて楼観剣を鞘にしまい、屋敷に帰ろうと飛び始めた。

 色々と分からない事だらけだったが、精神的、身体的疲労から、考えるのをやめたのであった。

 

 

 

(ああ、疲れた……)

 

 それから屋敷の自室の前へ戻ってきた妖夢は、障子を開けて中に入る。

 

「あれ?」

 

 部屋の中には先客が居た。というより、残っていた。

 ふよふよと宙に浮かんでいる白いものが、部屋の隅でポツンと佇んでいたのだ。

 

「……そういえば、さっきから見かけなかったわね」

 

 それは妖夢の半霊だった。半霊とは妖夢にとっての半身。普段から側にいるのが当たり前なので、あまり気に留めていなかったのだ。

 

「……あっ」

 

 妖夢は、ふと先ほどの出来事を思い出す。もう一人の自分と、出会った時のことを。

 

「さっきの、もしかしてあなたなの?」

 

 妖夢は、半霊に向かって話しかける。だが、返事はない。霊体であるはずの半霊には、そもそも発声器官がないからだ。

 一応、半霊の意思で一時的に実体化することも可能だが、それをやると妖力を大幅に消耗するため、普段はしない。半霊もその気はないようで、ただゆらゆらと漂っているだけだった。

 

「でも、私の半身に過ぎないから、あんなに強いわけないよね」

 

 妖夢が悩んでいても、半霊に変化はなかった。

 

「うむむ……むっ?」

 

 ふと半霊の方に視線を向けると、側の畳に何かが落ちていることに気づく。それは、刀掛台に立て掛けてあったはずの、餓狼だった。

 

「やっぱり……」

 

 妖夢はそれを拾い上げると、まじまじと見つめる。

 それから柄に手を添え、刀身を抜こうとした。しかし、刀はびくともせず、抜ける気配もない。

 

「……はあ。なんで私には抜けなくて、あなたはいとも容易く抜くことができるの……」

 

 妖夢はため息をつく。そして、再び半霊の方へと目を向けた。やはり、半霊は何も語らない。

 

「教えてくれてもいいのに。あなたは私なんだからさあ。半霊のくせに生意気じゃない?」

 

 挑発してみるものの、半霊は相変わらず何も言わない。

 

「はあ……。もういいもん、寝るっ!」

 

 その態度に腹を立てたのか、妖夢は再び大きな溜め息をつき、仕方なく床に就くことにした。

 

 

 

『目覚めた少女は幼き夢をみる』

 

 

 

 少女にとって、刀は全てだった。物心ついた時から刀を握り、技を仕込まれていった。

 それは少女が望んだことではなく、ただこの世に生を受けた時から与えられた義務に過ぎない。それが当たり前であり、それ以外の生き方など知らなかった。

 

 幸いにも少女には天賦の才があった。齢にして十に満たないにも関わらず、師である父の背中に迫るほどに。そして同時に、刀の魅力に取り憑かれてしまった。

 

 それこそが、惨劇の始まりであった。

 

 刀を振るう度に感じる高揚感と快感は、麻薬のように少女の心を蝕んでいく。一つしかない命を賭ける価値がある程に素晴らしいものなのだと、少女はそう信じて疑わなかった。

 故に斬る以外何も知らない。それ以外に興味も関心もない。ただひたすらに刀を振り続け、酔いしれる。

 人の道理を教えられることもなく、人の在り方を深く知ることもないまま。愛情を向けられることのないままに。

 

 

「そんなところに居ると、風邪をひくぞ」

 

 満月が夜空を照らす十五夜。屋敷の縁側に腰掛けていた少女に、声をかける男がいた。

 

「父さま」

 

 男は少女の実父だ。長い白髪は後ろで束ねられていて、一つ一つの動作ごとにゆらゆら揺れている。

 白髪なのは老いているからではなく、元々色素がないからだ。先祖代々受け継いできた体質らしく、一族全員が白い髪をしているらしい。

 

 顔立ちはとても整っており、成長期の子を持つ親とは思えないほど若々しい。

 ただし目つきだけは鋭く、切れ長の目をしている上、常に眉間にシワを寄せているため、不機嫌そうな印象を与えるのだ。武人然とした雰囲気も相まって、初対面では近寄り難い人物だと誰もが思うだろう。

 

 それでも娘の前では、愛情を持つ父親を演じようと努力しており、その表情を和らげながら隣へ座った。

 

「何をしていたんだ?」

「刀を、見ていました」

 

 父からの問いに対し、少女は無表情で答えた。その瞳は何も映さず虚ろだが、それでも美しい顔立ちをしていることが分かる。

 父ゆずりの白髪は肩先まで伸びており、前髪は綺麗に切り揃えてある。肌の色は白く透き通っていて、血が通っているのか疑わしいくらいだ。しかし病的な印象はなく、むしろどこか神秘的ですらある。

 

「刀……白楼剣か」

「はい。これから自分の命を預ける得物。よく知っておかないと」

 

 少女は手に持った抜き身の刀を、月にかざすように持ち上げながら言った。

 

「真っ直ぐです。刀身も、刃紋も」

「白楼剣は、斬った者の迷いを断つ刀だからな。曇りなき鏡のようなものだ」

「はい。よく斬れそうだと思います」

 

 少女の言葉を聞いて、父は閉口するしかなかった。まだ幼いとはいえ、自分の娘の異常性に気づいているからだ。

 

 この少女の中には、人として大事なものが欠けている。愛情や優しさといった感情はもちろんのこと、自分の身を危険に晒すことへの恐怖心すら持ち合わせていない。

 剣士としては優秀かもしれないが、あまりにも歪すぎる。しかし、だからこそ強者でいられる。

 

 そしていつか娘が、自分を超える存在になるだろうと、彼は確信に近い予感を抱いていた。それを期待してしまうこと自体が、自分の弱さであるとも理解しながら。

 

「……正直なところ、お前に跡を継がすには、まだ早いと思っている」

「何故です? 父さまは、私の力を認めています。だからこそ、白楼剣を譲り渡してくれたはず」

 

 少女は、ようやく父の顔を見た。彼の言葉の意味を理解しかねているという様子だった。

 

「ああ。腕は申し分ない。西行寺様も褒めていらっしゃったからな。だがな、それだけでは駄目なんだ」

 

 父の言葉に対して、少女は何の反応も示さなかった。彼女の頭の中にあるものは、たった一つだけ。自分が今より強くなるためには、どうすればいいかということだ。

 誰が何を言おうとも関係ない。ただ刀を振るいたいだけだという意志が、伝わってくるようであった。

 それを感じ取った父は、ため息をつく。

 

「……お前にとって、剣とはなんだ?」

「剣は斬るためにあります。そして剣術は、敵を斬るための手段」

 

 唐突に投げかけられた質問に、少女は即答した。

 それは彼女にとって当然のことであり、疑問を抱く余地もなかった。諷意もなければ誇張もない。ただ純粋なまでに、彼女はそう思っていた。

 そんな少女を見て、父は悲しげな表情をする。まるで我が子を憐れむような目だった。

 

「力を振るうことに、愉悦を覚えたことはあるか?」

 

 今度は少し間を置いて、ゆっくりと訊ねた。少女はその意図を掴みあぐねるものの、素直に答えることにした。

 

「はい。その時は、生きる意味を実感できるので」

 

 父の望む回答ではなかったのかもしれない。それでも少女はそう答える他なかった。それ以外に、何も知らなかったから。

 その返答を聞いた瞬間、父の目が鋭さを増した。何かを見定めるかのように、じっと娘の姿を凝視する。

 

「やはり——」

「あなた」

 

 口を開こうとした時、横槍のように聞こえてきた声によって遮られる。彼が振り向くと、そこにはいつの間にか女性が立っていた。

 

 白髪の彼とは対照的に、艶のある黒髪を腰まで伸ばしている。切れ長の目は涼やかな印象を与え、これまた整った顔立ちは美しく、十人が見れば十人は美人だと評するだろう。

 ただし、表情はどこか陰りを帯びており、それが美しさに妖しさを加味して、妖艶へと昇華させていた。

 

 女性は彼の妻であり、少女の実母である。

 彼女は隣り合っている二人を見るなり、眉根を寄せて言った。

 

「床でお待ちしておりましたのに、こんなところで何をなさっているのです?」

 

 語調こそ丁寧なものだったが、そこに込められている感情は明らかな怒りであり、有無を言わせない迫力があった。

 

「いや、部屋に向かう最中、この子を見かけたものだから……」

 

 少しばかりしどろもどろになりながら、彼は弁明する。

 彼は、妻のことを苦手としていた。いや、どちらかと言えば、心底惚れているからこそ、機嫌を損ねることが怖いといったほうが正しいだろうか。

 

「なるほど。私より、娘のほうが大切なのですね……」

 

 女性はその言葉を聞き、少女に対して獣のような鋭い視線を向ける。実娘に嫉妬するほどの愛憎。もはや狂気と言ってもいいほどの想いが、彼女にはあるのだ。

 

「……なにを拗ねておるのだ?」

「当然でしょう。私はあなたが来るのを、ずっと待ち焦がれていたのですよ? なのにあなたは、私のことなど見向きもせず、娘の相手をしていらっしゃった」

 

 彼の問いに対し、妻は淡々と答えた。口調自体は冷静だが、表情には苛烈なまでの憤怒が現れていた。

 

「……悪かった。しかし、数分くらい良いではないか」

「私にとって、数秒ですら我慢ならないのです! 一刻も早く、あなたの温もりを感じたい……だというのに……あなたは……」

 

 そこまで言って、彼女は言葉を詰まらせた。先程までは威勢よく話していたが、今は俯いて肩を震わせている。

 

「お、おい、なにも泣くことはないだろう……」

 

 彼は妻を慰めようと慌てた様子で立ち上がり、そっと肩に手を置く。すると、女性は彼の胸元に抱きつき、その身体を強く抱きしめた。

 

「抱いてくださいまし」

「……娘の前でか?」

「関係ないわ。私の側にいるのは、愛する夫だけですもの」

 

 そう懇願されては仕方がないとばかりに彼は一息をつくと、妻の背に手を回して優しく撫で始めた。

 

 その様子を、少女は無表情で見ていた。少女には、母が泣いている理由も、父が母を宥めようとしていることも、まったく理解できなかった。

 しかし、自分が原因で夫婦仲が悪くなっていることだけは分かった。だから、これ以上二人の邪魔をしてはいけないと思い、静かにその場を離れようとした。

 

「私は自室に戻ります。おやすみなさい、父さま、母さま」

「……ああ。そうしてくれ」

 

 両親の側を横切る際、少女は小さく会釈をした。それに対して、父は申しわけなさそうに短く返事をする。

 

 母は何も言わなかったが、彼女はちらりと横目で、少女のほうに視線を向ける。

 その濡れた瞳から伝わってくるのは、激しいまでの独占欲だ。そして口元は笑みを浮かべていたが、目は全くといっていいほど笑ってはいなかった。

 

 何故そんな目で見られるのか、少女は不思議だった。自分の何が気に入らないというのだろう。自分はただ、そうあれかしと母の期待に応えようとしているだけなのに。

 この歳で、西行寺家剣術指南役を父から引き継ぐに至るまで、剣の腕を磨いてきたというのに、何故。

 

 胸の内に燻る冷たい火を感じながらも、少女は足早にその場を去っていく。惑う少女の姿を、気味が悪いほどに輝く満月だけが見つめていた。

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