東方キャラを病ませたい   作:ぬいカス

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第3話

 

 

 霊夢は障子の隙間から差し込む陽光によって目を覚ました。

 彼女は大きな欠伸をしながら身体を起こす。まだ眠気が取れず、ぼんやりとした顔のまま、しばらく布団の上でぼーっとしていた。それから、おもむろに目元を擦る。

 

「……んー?」

 

 ふと、妙な違和感を覚えた。目元が濡れていたのだ。欠伸で出た涙かと思ったが、どうやら違うらしい。その涙の正体が何なのか理解できず、彼女は首を傾げる。

 霊夢は振り返って枕元に視線を落とした。流れ落ちた涙と思われる水滴の跡が残っている。そこで、ようやく自分が夜泣きしていたのだと気付いた。

 

「変な夢でも見たのかしら」

 

 そう呟いてみるものの、夢の内容は思い出せない。自然と涙が出る程の夢とは一体どんなものだろう。そんな疑問を抱いた時だった。

 突然、彼女の脳内にある光景が浮かぶ。それは誰かの姿であった。

 

「えっ……」

 

 しかし、顔がぼやけていて誰だか分からない。

 その人物は、装飾も柄も無い簡素な巫女服を着ており、長い黒髪を後ろで結んでいる。霊夢の記憶に無い人物だが、どこか懐かしい感じがした。

 その姿を見ているだけで、胸が締め付けられるような感覚に襲われる。まるで大切な人を目の前にして立ち尽くしているかのような。

 

「あれ?」

 

 そこまで考えて霊夢の思考は停止した。何かがおかしいと脳が警鐘を鳴らしている。

 それが意味するものは何なのか、自分でもよく分からなかった。ただ、本能的に嫌な予感がする。この先に進むべきではないと理性が訴えかけてくるのだ。

 それでも霊夢は、その衝動を抑えきれずにいた。目をかたく閉じて、もう一度だけ記憶を探る。

 

「いっ……!」

 

 途端、強烈な頭痛に襲われた。脳を直接弄られているような痛みである。彼女は目を見開き、両手で頭をおさえて前のめりになった。

 

「うぷっ!?」

 

 視界がぐるりと回転し、吐き気が込み上げて来る。これ以上は危険だと判断し、霊夢はすぐに考えることをやめた。

 深呼吸を繰り返し、気持ちを静めることに努める。すると、少しずつではあるが気分が良くなってきた。

 どうにか落ち着きを取り戻した霊夢は、大きく息をつく。額に浮かんだ汗を拭いながら、天井を仰いだ。

 

「ああ、気持ち悪い。何なのよ今の……」

 

 悪態をつきながら立ち上がる。とりあえず着替えようと服に手をかけたところで、部屋の外から床板を踏み鳴らす音が聞こえてきた。

 

 何者かが廊下を歩いているようだ。霊夢は動きを止め、再び布団に座り込んで、音の主が現れるのを待つことにした。

 

 やがて、部屋の前で止まった。障子の向こう側から声がかけられる。

 

「霊夢、起きてるか?」

 

 聞き慣れた少女の声だ。霊夢は面倒くさそうな表情を浮かべると、渋々といった様子で口を開いた。

 

「ええ。入ってきていいわよ」

「邪魔するぜ」

 

 許可を出された少女——霧雨魔理沙は障子を開けると、霊夢の部屋に入っていった。

 彼女は帽子を脱いで、霊夢の傍まで歩み寄る。そして何かに気が付いたのか、しゃがみ込んで霊夢の顔を覗き込んだ。

 

「な、何のつもり?」

 

 霊夢は鬱陶しげに眉根を寄せ、魔理沙の肩を押し返す。しかし、魔理沙は動じることなく口を開いた。

 

「おい、酷く目が腫れているぜ。もしかして泣いていたのか?」

 

 そう言って心配そうに霊夢の顔色を窺ってくる。

 

「何でもないわよ。あんたには関係ないでしょ」

 

 霊夢はぶっきらぼうな態度で答えた。しかし、その言葉とは裏腹に、瞳には不安の色が滲んでいる。

 

「はあ? 人がせっかく心配してやったのに、なんだそりゃ。お前はいつもそうだな。私に対して失礼すぎるんだよ」

 

 霊夢の言葉を聞いた魔理沙は呆れたように溜息をついた。それから腰に手をやって、不満げに口を尖らせる。

 そんな彼女を見て、霊夢は小さく舌打ちをした。しかし、すぐに自分の態度は良くなかったかもしれないと思い直す。少しくらいは謝っておいた方が良いだろうと考えた。

 

「……ごめん。言い過ぎたかも。ちょっと変な夢見たから、それでついイラっとしていたのよ」

 

 霊夢は俯きながら謝罪を口にした。魔理沙の機嫌を取るためというより、自分に対する戒めの意味を込めての発言だった。

 

「はー。泣くほど怖い夢だったんだな。ま、夢なんて起きたらすぐに忘れるもんさ。気にすんなって」

 

 霊夢の様子を見た魔理沙は安心させるように微笑む。そして慰めるように彼女の背中をポンと叩いた。

 それを受けた霊夢は一瞬だけ目を丸くした後、バツが悪そうに視線を逸らす。

 

「で、こんな朝早くに何の用なのよ?」

 

 霊夢は何事も無かったかのように話を変えた。だが、目元はまだ赤いままだ。

 

「あー? もう朝早くって程でもないぜ。私はちゃんと朝食をとって、ここに来たんだからな。霊夢が寝坊助なだけだろ」

 

 魔理沙は腕組みをしながら答える。

 霊夢はそれを聞いて、壁に掛けられた時計を見上げた。短針は八を指している。確かに、普段の起床時間と比べれば遅いと言えるだろう。霊夢は軽く咳払いをして、話を戻すことにした。

 

「それは悪かったわね。でも、何の用かは教えてくれても良かったんじゃないの?」

 

「いや、特にこれといって話すようなことは無いんだけどな」

 

「じゃ、何しにきたのよ」

 

「……用がなけりゃあ来ちゃいけないのか? 今までそんな事聞いてこなかったのに、なんで今日に限って突っかかってくるんだよ。訳分かんないぜ」

 

 魔理沙は困惑気味に頭を掻いた。

 霊夢と魔理沙は、知り合ってから口喧嘩をする仲ではあるものの、ここまで険悪な雰囲気になったことは一度もなかった。それが突然、妙な態度を取り始めたのだから戸惑いもするだろう。

 

 霊夢は黙ったままだった。魔理沙の問いに答える気はないようだ。

 しばらくの沈黙の後、先に痺れを切らせたのは霊夢の方だった。彼女は面倒くさそうに髪を掻き上げると、立ち上がって魔理沙を見下ろした。

 

「私、寝起きだから顔洗ってくるわ。ご飯も食べないといけないし、用がないなら帰ってくれないかしら?」

 

 霊夢は素っ気なく言った。これ以上会話を続けるつもりが無いことを暗に示している。

 

「……そうだな。今日のところは、帰ることにするよ。邪魔して悪かったな」

 

 魔理沙は霊夢の様子を察すると、それ以上何も言わずに帽子を被り直した。

 そのまま部屋の出口に向かう。障子を開けると、振り返ってもう一度霊夢の顔を見た。

 それから何かを言いかけたものの、結局は何も口にせず部屋から出ていった。

 

 魔理沙が出て行ってからも、霊夢はしばらくの間動かなかった。彼女は先ほどのやり取りを思い返す。なぜあんなにも苛立ってしまったのだろうかと考えていたのだ。

 魔理沙の態度はいつもどおりのものだったはずだ。彼女は気に触るような事は言っていない。むしろ、自分が言ってしまった。

 

 彼女が邪魔に思えたのは確かだ。だが、それだけではない。もっと別の感情が混じっている気がした。そこまで考えたところで霊夢は大きく息を吐く。考えていても仕方ないと割り切ったらしい。霊夢はとりあえず着替えようと思い、服を脱ぎ始めた。

 

 それからはいつも通りの一日だった。遅めの朝食をとり、境内の掃除をし、昼食を食べてお茶を飲む。そして、夕方には夕食の準備に取り掛かる。

 

 今日の来客は魔理沙一人だけだった。昨夜居た鬼の少女は、今朝から姿を見せていない。霊夢はそのことを少し不思議に思ったが、すぐに忘れてしまった。

 

 夕食後、霊夢は縁側で酒を飲んでいた。月見酒である。お猪口を片手に持ちながら、ぼんやりと空に浮かぶ月を眺めている。その表情はどこか物憂げだ。

 霊夢は一人で酒を飲む時間が好きだった。誰にも邪魔されずに静かに飲むことが出来るからだ。

 

 とはいえ宴会などの大人数で騒ぐことも嫌いではない。人間が人ならざる者達と一緒になって騒いでいる光景は微笑ましいものだ。宴会の席では、皆楽しそうな顔をしている。そこには何の隔たりもない。

 ただ、霊夢は彼らに気を許した事は一度として無かった。

 

 妖怪の本分は人間に畏怖を与える事にある。人を化かし、脅し、襲い、時には生を奪う。力を誇示して恐れられる事で妖怪は存在を保つ事が出来る。

 神も似たようなものだ。人間の信仰を集めなければ存在を保てない。災厄を振り撒き、困窮した人々に恵みを施して信仰を得る。

 

 古来より人間に仇なすものとして、彼らは認知されてきた。博麗大結界が張られた今となっては、過剰に力を振るう事も無くなったが、それでも安心できる存在とは言い難い。

 

 博麗の巫女は幻想郷の平衡を守る者。人間でも妖怪でも、幻想郷に害を及ぼす者は排除しなければならない。

 人当たりが良い者でも、内心ではよからぬ事を考えているかもしれない。博麗の巫女は、そんな者たちと常に向き合わなければならない。

 霊夢は信用している相手などいなかった。今も昔も信じてきたのは自分だけ。他人と仲良くなる事があっても、深い付き合いをすることは無かった。

 

 霊夢はお猪口に入った酒を一口飲み込む。苦味の強い日本酒は喉を焼きながら胃の中へと落ちていく。

 酒が美味しいとは思わない。ただ、酔う感覚が心地良く感じるだけだ。様々な思考が遮断されて無心になれるこの時間が、酒を呑む理由になっていた。

 

 しばらく呑み続けていると、霊夢の頬に赤みが増してくる。身体は火照り始め、頭の奥が痺れ始める。

 霊夢は自分の変化を感じ取った。そろそろ頃合いかと思った彼女は立ち上がる。それからゆっくりとした足取りで自室へと向かう。

 途中で何度か転びそうになりながらも、何とか辿り着いた部屋に入ると、敷きっぱなしの布団の上に寝転がり、掛け布団を被って目を閉じる。そのままの状態でじっとしているうちに、霊夢は眠りに落ちていった。

 

 

 それから時を経て翌朝になり、霊夢は目を覚ました。

 まだ太陽が昇っていない時間帯。部屋の中は薄暗く、障子から差し込んでくる光もほとんど無い。夜明け前といったところだろう。普段ならば二度寝するのだが、頭に鈍い痛みを覚えて起きる事に決めた。

 

 霊夢はのそりと起き上がると、頭痛の原因を確かめるために頭を押さえる。目の奥がずきりと痛んだ。

 二日酔いかと考えたが、昨晩飲んだ酒はそれ程強いものではなかったはずだ。それに自分でも呑む限度は弁えている。

 もしかして、風邪でもひいたのだろうか。それとも疲労が原因なのか。原因は分からない。だが体調が悪い事だけは確かだ。

 

「……喉渇いたわね」

 

 霊夢は、一旦喉の渇きを潤す為に台所に向かおうと思った。しかし、立ち上がろうとした瞬間に強烈な目眩に襲われる。視界が大きく揺れ動き、立っていられなくなる。

 

「あ……」

 

 霊夢は足がもつれて、畳の上へ横転した。受け身を取る余裕すら無く、肩を強く打ち付ける。

 

「いたっ!」

 

 霊夢は思わず声を上げた。痛みに顔が歪む。

 幸い転倒した場所が畳の上だったので、骨は折れていないようだ。

 霊夢は上半身を起こすと、再び立ち上がろうとする。しかし、またしても足元がふらついて倒れてしまった。

 

「何なのよ、もう」

 

 霊夢は苛立った様子で舌を鳴らす。

 どうやら自分の身体は思った以上に参っているらしい。こんな状態じゃまともに動けない。とりあえず、今日は休むしかなさそうだ。

 霊夢は立つのを諦めて布団に潜り込んだ。

 このまま一日眠ってしまえば、少しは楽になるはず。霊夢は再び瞼を閉じた。

 

 そして、どれくらいの時間が経ったのか。霊夢は誰かの声を聞いているような気がして目を開けた。目の前には見慣れた天井が広がっている。

 気のせいだったのかと、ぼんやりとした意識の中で霊夢はそう考える。そして、もう一度目を閉じる。

 

 すると、今度ははっきりと聞こえてきた。

 自分の名前を呼ぶ声だ。外から聞き覚えのある男の声がする。

 

 霊夢はゆっくりと身体を起こした。まだ頭痛は治っておらず、気分は最悪の状態だった。

 更に寝ている間に汗をかいたらしく、着ていた服が肌に張り付いて気持ち悪い。喉の渇きも酷く、返事をするための声量が出せない。それでもどうにか応えようと口を開く。

 

「こ、ここに……居る……かっ、げほっ!けほ!」

 

 言葉の途中で咳が出てしまい、上手く喋れない。そのせいで相手は自分が居るかどうか分からなかったようだ。断続的に声をかけてくる。身動きの取れない霊夢はただ待つしかなかった。

 

 やがて、襖の向こう側から、地面を歩いている人の気配を感じた。

 霊夢はなんとか気付いてもらおうとして、枕を障子に向かって投げた。障子が音を鳴らして揺れる。外にいる者はそれに気づいたようで、足音がこちらへ向かってきた。

 

「……霊夢か?」

 

 障子の前に居る男が、戸惑ったような低い声で問いかけてくる。霊夢は安堵のため息をつくと、掠れた小さな声で答える。

 

「えぇ、私よ。入ってきて」

 

 男は障子を開ける。そこには霊夢の予想通り、一昨日出会った○○の姿があった。

 彼は霊夢の姿を見ると、驚いた表情を浮かべ、慌てながら部屋の中に入ってくる。

 

「おい、大丈夫か!?」

 

 ○○は霊夢に駆け寄って顔を覗き込む。霊夢は苦しそうな表情のまま、弱々しく笑みを作った。

 

「え、ええ。ちょっと頭が痛くて……」

 

 霊夢の言葉を聞いた○○は、すぐに霊夢の額に手を当てて体温を測る。彼の手はひんやりと冷たく、火照っていた身体に心地よかった。

 

「かなり熱があるな。いつから具合が悪かったんだ? 風邪でも引いたのか?」

「分からないわ。今朝起きたら、こうなってたの」

「そうか。ともかく今は、横になって安静にしていろ」

「……うん」

 

 ○○は霊夢を寝かせると、部屋から出ていった。霊夢は不安になりながらも、大人しく布団の中に入る。

 

 しばらくすると、○○はお盆と桶を持って戻ってきた。お盆の上には湯飲みに入った水と、白い布が置かれている。

 ○○は、持ってきた物を畳の上に置くと、再び霊夢の元へやってきた。そして、心配そうに見つめると、優しく話しかける。

 

「取り敢えず水とタオルを持ってきた。あと、薬があるなら場所を教えてほしい」

 

 ○○の問いに対して、霊夢は首を横に振った。

 

「うちに常備薬は無いから、買わないと駄目なの。ごめんなさい、せっかく来てくれたのに、こんな状態で……」

 

 霊夢は申し訳なさそうに言うと、掛け布団で顔を隠してしまった。

 そんな彼女を見て、○○は微笑むと安心させるように頭を撫でた。

 

「病人がそんなこと気にする必要はないさ。俺が勝手に来ただけだしな。それより、他に何かして欲しいことはないか? 

 

 優しい口調で尋ねると、霊夢は少しだけ顔を出したまま答えた。

 

「……それじゃあ、しばらくそばにいて欲しい、かな」

 

 霊夢が遠慮がちに呟く。彼女は○○の顔を見上げると、恥ずかしそうに目を逸らす。

 

「勿論、霊夢の体調が戻るまでいるつもりだ。だが、その間ずっと一緒に居るわけにもいかないだろう。あと、起きてから食事はとったのか?」

 

「ううん。食べてないわ」

 

「じゃあ俺が用意しよう。お粥なら作ってやれるが、食べられそうか?」

 

 霊夢は小さく首を横に振った。

 

「食欲がないの。何も食べたくない」

「そうは言っても、少しでも栄養を取らないと良くならないぞ」

 

 ○○は困ったように言った。

 霊夢は、看病してくれる○○に感謝しながらも、わがままに付き合わせることに罪悪感を覚えていた。それでも、彼が自分のために行動してくれているという事実が嬉しかった。

 

「……やっぱり、お願いしてもいいかしら」

「ああ、分かった。待ってろよ」

 

 ○○は立ち上がると、部屋を出て台所に向かった。

 その後姿を見送りながら、霊夢は急に寂しさを感じてしまう。先程まで孤独感など無かったはずなのに。

 霊夢はその感情を紛らわそうと、上半身を起こしてお盆の上にある湯呑みを手に取った。喉が渇いていたこともあり、一気に飲み干す。冷たい水が全身に行き渡り気持ち良かった。

 

 数十分後、お盆を持った○○が戻ってくる。彼は畳の上に座ると、持ってきたお椀を霊夢に差し出した。中には美味しそうな卵のお粥が入っている。

 

「熱いから気をつけてくれ」

「ありがとう」

 

 霊夢はゆっくりと身体を起こすと、○○から受け取ったお碗を受け取った。そして、お米の甘い香りに誘われるように、スプーンを使って一口分掬う。

 ふーっ、と息を吹きかけて冷ましながら、少しずつ口に含む。塩加減も丁度よく、優しい味がした。霊夢は思わず頬が緩んでしまう。

 

「味はどうだ? 好みにあったか?」

「うん。すごく美味しいわ」

 

 霊夢は笑顔で言うと、お粥を食べ進めた。

 ○○は満足げに微笑むと、霊夢が食べる様子を静かに見守っていた。

 

「ごちそうさま」

 

 霊夢は手を合わせると、空になったお皿をお盆の上に置いた。

 

「もういいのか? 余分に作ったから、まだまだあるぞ」

「これ以上食べたら、美味しすぎて太っちゃうもの。だからこれで十分」

 

 霊夢は冗談めかして言うと、○○に向かって微笑んだ。その表情には疲労の色が見えるものの、先程までのような暗い雰囲気は消え去っていた。

 

「顔色も少し良くなったみたいだな。これなら明日までには治るかもしれない」

「えへへ……そうね。なんだか気分が良くなってきたかも」

 

 霊夢は布団の上で寝転ぶと、天井を見上げた。○○はその様子を見ると、安心したように笑う。

 

「そういえば、ここには他に人は居ないのか? 親や兄妹とかは?」

 

「……私一人だけよ。親は私が生まれてすぐに亡くなったらしいの。他には誰もいないわ」

 

「そうか……嫌なこと聞いて悪かった」

 

 ○○は顔をしかめると、申し訳なさそうに俯く。霊夢は慌てて首を横に振ると、明るい声で話を続けた。

 

「別に気にしないで。私は親の顔も全く覚えていないの。物心ついた時には、既に博麗神社に住んでいたから」

 

「なら、育ての親が居るはずだよな。まさか、ずっと一人きりで生きてきた訳じゃあないだろう?」

 

「え、それは……」

 

 霊夢は言葉に詰まる。彼女は○○の質問に答えられなかった。確かに自分は一人で生きてきてはいない。誰かがそばに居たはずだ。しかし、それが誰なのか思い出せないのだ。

 

「あれ……」

 

 霊夢は自分の額に手を当てると、頭を押さえて考え込む。何故今まで疑問に思わなかったのだろう。そして、どうして思い出せないのだろうか。記憶を探れば探る程、頭痛が酷くなるばかりであった。

 

「ううっ!」

「おい、大丈夫か!?」

 

 ○○は心配すると、霊夢の肩を掴む。彼の手の温もりを感じた瞬間、霊夢はハッと我に帰った。

 

「ごめんなさい。私には分からない。分からないの……」

「いや、謝るのは俺の方だ。もう聞かないから」

 

 ○○は霊夢の背中を優しく撫でながら言った。

 

「さあ、ゆっくり休んでくれ」

「うん、ありがとう。……ねえ、○○さんはどうしてこんなに親切にしてくれるの? 一昨日会ったばかりなのに」

 

 霊夢は不思議そうな表情を浮かべると、○○に尋ねた。彼は腕組みをしてしばらく考えると、ゆっくりと口を開く。

 

「君が俺に親切にしてくれたからだ。それに、苦しんでいる子を放ってはおけないだろう?」

「そっか……優しいのね」

 

 霊夢は小さく呟くと、横になって目を閉じた。

 しばらくして、○○は霊夢が眠ったことを確認すると、部屋を出ていこうとした。

 

「待って」

 

 その時、後ろから声をかけられたので振り返ると、霊夢が上体を起こしてこちらを見ていた。

 

「ん? ……ああ、起こしてしまったか。何か用か?」

 

 ○○は霊夢に近づくと、彼女の様子を伺いながら尋ねる。

 

「私、そばに居てって言ったじゃない。なんで出て行こうとするの?」

 

「いや、帰るつもりはないよ。ただ部屋を出るだけだ」

 

「……私が寝ている間は一緒に居て。お願いだから」

 

「親しくない男が側に居たら、君は落ち着かないんじゃないか? やはり俺は外で待っているよ」

 

 ○○がそう言うと、霊夢は黙ってしまった。そして、少しして、小さな声でぽつりと呟く。

 

「そんなの関係ないわ」

 

 霊夢は○○の腕を掴むと、自分の方に引き寄せる。その瞳には普段の優しさは無く、ただひたすらに不安げな色が浮かんでいた。

 

「お願い……」

 

 霊夢は必死な表情で懇願する。その様子はとても演技とは思えない。○○は困ったように頭を掻いて返事をした。

 

「分かったよ。ここに居るから安心してくれ」

「本当?」

「ああ」

 

 ○○の言葉を聞くと、霊夢はほっと胸を撫で下ろし、再び布団の中に潜り込んだ。○○はため息をつくと、部屋の隅に移動して座り込む。

 

「ねえ、少しお話ししましょうよ。○○さんの事を知りたいの」

 

「俺の事を? それより休んでなくて体調は大丈夫なのか?」

 

「今は眠たくないし、ご飯食べたから少しは平気よ」

 

 ○○は天井を見上げると、顎に手を当てて考え始めた。

 

「そう言うなら構わないが。何を話せばいいんだ」

 

「何でもいいわ。○○さんの好きな食べ物とか、嫌いなものとか、趣味とか、外の世界では何をしてたとか、そういう話を聞かせて欲しいの」

 

「分かった。じゃあ手始めに——」

 

 ○○は腕を組むと、自身の事を語り始めた。霊夢は時々相槌を打ちながら、静かに耳を傾ける。

 やがて話が一段落すると、○○は質問を投げかけた。

 

「良ければ君の事も教えてくれないか。あ、いや、最近の話で構わないから」

 

「えっ、私の? うーん、何から話そうかしら。まず、私は博麗神社の巫女よ。結界の管理が主な仕事。後は妖怪退治をしたり、異変が起きた時に解決したりしているわ。そうそう、最近だと神社の近くに間欠泉が噴き出てきて……」

 

 霊夢は指折り数えると、思い出したように次々と語り出した。○○はそれを楽しげに聞く。

 

「へぇ、それは大変だったな。でも、君みたいな若い女の子が一人で頑張ってるなんて凄いな」

 

「えへへっ。もっと褒めてもいいのよ? 私のおかげで幻想郷の平和は保たれていると言っても過言ではないわ」

 

 霊夢は得意げな顔で胸を張ると、嬉しそうな笑みを浮かべた。

 

「はははっ、頼もしいな。それで次はどんな話をしてくれるんだ?」

「次は……ううん、ちょっと待って」

 

 霊夢は突然話を打ち切ると、障子の向こう側をじっと見つめ始める。○○が不思議そうにしていると、外から声が聞こえてきた。

 

「霊夢、居ないのかー?」

 

 甲高い少女の呼び声が響く。それを聞いた霊夢は眉間にシワを寄せて不機嫌な顔をしていた。

 

「あいつ、また来たのね」

「知り合いか?」

「ええ、まあ、知り合いっていうか……」

 

 霊夢は言い淀むと、ちらりと○○の顔を見る。

 

「俺が出迎えてこようか?」

「いいのよ。放っとけば、そのうち帰ると思うから」

 

 霊夢は立ち上がろうとする○○を止める。

 しかしその直後、近くから縁側を上がる音がして、ガラリと勢いよく戸が開いた。

 

「なんだ、居るじゃないか。返事くらいしろよ」

「うるさいわよ魔理沙。今は気分が悪いんだから静かにして」

 

 魔理沙は頬を膨らませると、部屋の中にずかずかと入ってくる。そして隅にいる○○の姿を見て目を丸くさせた。

 

「ん? 誰だお前」

 

 魔理沙は物珍しそうにまじまじと○○を見ると、首を傾げる。霊夢はため息をつくと、呆れたように言った。

 

「あんた、初対面の人に対して失礼よ。この人は○○さん。外の世界から来た人よ」

「ああ、外来人か。悪い、気付かなかったぜ。私の名は霧雨魔理沙だぜ」

 

 魔理沙は頭を下げると、気を取り直して口を開く。

 

「ところで、もう昼時だってのに、布団から出て来ないのは何でだ? まさか、具合でも悪かったりするんじゃないだろうな」

「……見ればわかるでしょ。熱があるのよ」

 

 霊夢がぶっきらぼうに応える。その様子は普段より少し弱々しく見えた。魔理沙はそれを見て心配そうに尋ねる。

 

「そうか……いや、昨日からなんか様子がおかしいと思ってたんだ。でも、霊夢が体調を崩すなんて珍しいな」

 

 魔理沙は不安げな表情で、霊夢の額に手を当てた。霊夢はその手を鬱陶しそうにはらう。

 

「触らないで。余計なお世話よ」

 

「……随分と気が立ってるな。そんなに辛いなら医者に診てもらった方がいいんじゃないか? 永遠亭まで私が連れていってやるよ」

 

「いい。こんなの寝てたら治るから。それに、あんな胡散臭い奴に借りを作るのはごめんだわ」

 

 霊夢はそっぽを向いて吐き捨てるように言う。

 

「あー、わかったわかった。じゃあ体調が良くなるまで私が面倒見てやるぜ。ちょうど暇だったしな」

 

「はあ? なんでそうなるのよ」

 

「どうせ他に誰も看病してくれなさそうだろ。私に任せてくれれば安心だぜ」

 

「……結構よ。○○さんが居るから平気だし」

 

 霊夢はふてくされたような顔で言う。すると、それまで黙っていた○○が口を開いた。

 

「君達は友達なんだろ? だったら俺なんかより適任じゃないか。わざわざ看病してくれると申し出てくれたのだから、甘えておけよ」

「それは……」

 

 霊夢は口をつぐむと、チラリと魔理沙の方を見た。○○の言うとおりだ。魔理沙が居る以上、彼に頼る必要は無いのだ。だが、霊夢はどうしても魔理沙を頼る事ができなかった。

 

 ○○は魔理沙と自分が友達と言ったが、霊夢にとって魔理沙は友人ではない。ただの知り合い程度なのだ。向こうが一方的に懐いているだけで、霊夢自身はそこまで親しいつもりはなかった。霊夢は幻想郷の住人達とはある程度親しくしているが、あくまで仕事上の付き合いといった感じである。魔理沙も例外ではない。

 

「……やっぱり嫌。こいつは信用出来ないもの」

 

 霊夢が呟くと、魔理沙が不満そうに眉根を寄せて反論する。

 

「はあ? 何言ってるんだお前は。私が信用出来ないだと? どういう意味だよ」

 

 魔理沙が苛立たしげに尋ねた。

 

「そのままの意味よ。人の物を盗む泥棒のあんたを側に置きたくはないの」

 

「……いやいや、今はそんなの関係ないだろ。私は霊夢の事が心配で言ってるんだぜ?」

 

 魔理沙は呆れたように肩をすくめると、○○の方に向き直った。そして○○の顔を訝しそうに見つめながら、言葉を続ける。

 

「大体、この男は何なんだ。見た感じ医者でもないんだろ? 霊夢とはどういう関係なんだよ。私が知らないって事は、そんなに親密じゃないはずだ。それなのに、どうして霊夢はこいつを頼ってるんだ? この男が私より信頼されてるのは心外だぜ」

 

 魔理沙は○○に詰め寄ると、指を突き付けて詰問する。

 

「お前、外来人と言ったが、外に帰るためにここに来たのか?」

 

「いや、この前霊夢に来てくれと誘われたから、偶々今日行っただけだ。そしたら霊夢が体調を悪くしていて、偶然通りかかった俺が看病を申し出たという経緯だ」

 

「人里から一人で来たのか? 道中に妖怪が出る事くらい知ってるはずだろ」

 

「ああ。一応、霊夢から魔除けの御札を貰ったから、その辺は大丈夫だったが」

 

 ○○は懐から御札を取り出して見せて、魔理沙の問いに答える。その答えを聞いても、魔理沙は納得出来ない様子だった。

 

「……おかしいぜ。霊夢がタダで御札をあげるわけないし、誘われたってのも怪しい。何か隠してるんじゃないのか?」

 

 魔理沙は疑わしげな視線を向ける。○○は困り顔になった。

 

「事実を言ってるだけだ」

 

「嘘つけ! さっきから色々とあり得ないんだよ。お前、呪い師かなんかだろ。霊夢の様子が変なのは、お前が何かしたからに違いないぜ。いや……さては人に化けた妖怪か!?」

 

 魔理沙は○○に向かって怒鳴ると、八卦炉を構え○○に向ける。

 ○○は慌てて否定しようとしたが、それより先に霊夢が動いた。

 

 霊夢は素早く魔理沙に近づき、彼女の襟首を後ろから掴んで○○から引き離した。そして、○○の盾になるように魔理沙の前に立ち塞がった。

 

「わっ、何すんだ霊夢!」

 

 突然の事に魔理沙は驚いて声を上げる。

 霊夢は魔理沙を睨み付けていた。普段の彼女からは想像もつかない程、険しい表情をしている。

 

「あんた、自分が何をしたか分かってるの」

「え? いや、私はただ霊夢を守ろうと……」

 

 魔理沙は困惑しながら霊夢に弁明しようとするが、途中で口を閉ざして黙ってしまった。霊夢が自分をじっと見つめていることに気づいたからだ。

 

 魔理沙は少し怯えているようだった。先程の威勢の良さは消え失せ、霊夢と目を合わせないようにしている。

 

「守る? 私はあんたに守られるような立場じゃないのよ。いつから私があんたの庇護下に入ったの。馬鹿な事を言わないで」

 

 霊夢の声音は冷たかった。まるで氷の刃のように鋭い響きを持っている。魔理沙はびくりと体を震わせると、気まずそうに目を逸らした。蛇に睨まれた蛙のような状態である。

 霊夢は○○の方を振り返ると、いつも通りの口調に戻って言った。

 

「ごめんなさい○○さん。不快な思いをさせてしまったみたいね。こいつには後できつく言っとくから、許してくれるかしら」

 

「……いや、別に俺は気にしていないが」

 

 ○○は戸惑うばかりである。霊夢は魔理沙の方を向いた。

 

「あんたは出て行きなさい。邪魔だから」

「……っ」

 

 魔理沙は涙目になりながら、こくりと無言で首肯すると、その場から逃げるように走り去った。○○は魔理沙を引き留めようとしたが、霊夢に制止される。

 

「あんな奴、放っておけばいいのよ。それより……」

 

 霊夢は○○に向き直り、体を預けるように抱きついた。○○は驚きつつも、なんとか受け止める。

 

「おい、どうしたんだ?」

「ごめんなさい、目眩がしてふらついちゃった。やっぱり動くと駄目ね」

 

 霊夢は弱々しい声で言い、○○の胸に顔を埋めた。○○は戸惑いながらも霊夢の背中を優しく撫でる。

 しばらくそうしていたが、やがて霊夢は顔を離すと○○を見上げた。その瞳には熱っぽい光が宿っている。

 

「こうしていると、なんだが安心するわ。○○さんと一緒にいると、凄く心が落ち着くの。どうしてなのかしら。私にも分からないけど、とにかく離れたくないのよ。ずっとこのままが良い」

 

 霊夢は○○の服の袖を掴むと、甘えるように頬擦りをする。

 ○○は困ったように眉根を寄せたが、霊夢を振り払う事はしなかった。

 

「体が弱っている時ってのは、心もつられて不安定になるし、誰かに頼りたくなるもんだよ。特に霊夢みたいな年頃だと尚更だろう」

「そうなのかなぁ。よく分かんないわ」

 

 霊夢は○○の言葉を聞いて、どこか納得のいかない様子だ。しかし○○が自分を抱き締めてくれている事に満足感を覚えていた。

 霊夢は○○の胸元に頭を乗せると、彼の鼓動の音を聞く。彼の腕の中はとても心地良くて落ち着けた。この温もりがいつまでも続けば良いのにと思った。

 だがそんな時間は長く続かなかった。○○は腕の中の霊夢を見ると、申し訳なさそうに言う。

 

「なあ、そろそろ布団に戻った方が良いんじゃないか? また体調が悪くなるかもしれないぞ」

 

 ○○の心配も当然だった。先程から霊夢の顔色は赤く染まり、息遣いが荒くなっているのだ。明らかに平常ではない。

 

「大丈夫よ。これくらい何ともないもの」

 

 霊夢は笑顔で言うと、○○から離れるどころかより強く密着した。○○の心臓がどきりと跳ね上がる。彼は慌てて口を開いた。

 

「大丈夫じゃないだろ。さっきよりも体温が高くなっているじゃないか」

 

 ○○は霊夢の両肩を掴み、彼女を自分の体から引き剥がす。霊夢の体は熱いぐらいに火照っており、額には汗が滲んでいる。呼吸は乱れており苦しそうだ。やはり体調が悪化してしまったらしい。

 

「ほら、無理をするなって。今日はもう休め」

 

 ○○は霊夢を布団まで連れていき、寝かせようとする。霊夢は抵抗しようとしたが、力が入らないのかあっさりと押し倒された。

 霊夢は潤んだ瞳で○○を見上げる。彼女は熱に浮かされたような表情をしていた。

 ○○はため息を吐くと、彼女の頭を優しく撫でる。

 霊夢は気持ち良さそうに目を細めた。そして○○の手に自ら手を重ね、うっとりとした顔で呟く。

 

「ねえ……眠るまで撫でて欲しいの」

「ああ、いいぞ」

 

 ○○は小さく笑みを浮かべると、ゆっくりと霊夢の髪をすくように手を滑らせる。霊夢は嬉しそうに微笑むと、瞼を閉じた。

 霊夢は自分の頭が撫でられる度に、幸福感に満たされていった。まるで母親に抱かれている赤ん坊のような気分になる。

 

 しばらくすると、霊夢は眠ってしまったようだ。○○は霊夢が完全に寝入った事を確認すると、静かに部屋を出ていった。

 

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