東方キャラを病ませたい   作:ぬいカス

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一話完結の短編
藍編との繋がり一部有


橙編

 

 幻想郷は梅雨の時期を迎えていた。

 雨は農家にとって恵みの雨とも言うが、こうも長続きすると農作業が出来ないために困る者も多いだろう。

 

 ○○もその内の一人である。彼は自宅で朝食をとりながら、屋根を叩く雨音を聞いて、憂鬱な気分になっていた。

 

 ○○の家は里から離れた場所にあり、周囲には人家もない。雨音を遮るものは何もなく、ただただ無情に降り続けるだけである。この天候では、またしても一日中、家で過ごさねばならないだろう。彼はため息をついて、味噌汁を口に運んだ。

 

 かれこれ三日も雨が続いているため、家の外に出られないのだ。恵みの雨も、度が過ぎれば害になるものである。今みたいに長い期間降り続くと、土壌に悪い影響が出てしまうかもしれない。

 

「今日は、どうしようかな」

 

 ○○は雨の降る外を見て呟いた。

 幻想郷は外の世界と違って娯楽が少ない。テレビやスマホなどはもちろんのこと、漫画も存在しない世界だ。現代における大衆向けの娯楽のほとんどが、幻想郷には存在していない。そのため、彼の楽しみといえば、本を読むことぐらいしかないのだが、その本すら最近は読み飽きてしまった。

 

 とはいえ、○○はこの生活に不満はない。毎日決まった時間に起きて食事をとり、農作業をしに出かける。暗くなれば家に帰って寝るという単調で代わり映えのない日々だ。

 何より、ここには自分しかいないのだから、誰にも邪魔されずに好きなことができる。それは彼にとって非常にありがたいことだった。

 しかし退屈であることに変わりはなく、何か出来る事がないかと考えていた時だった。

 

「……あ、そうだ」

 

 ふと思い出したように○○は食事の手を早めた。そして食事を終えて、食器を片付けると、外に出る準備を始めた。

 

 それから、○○は自宅の裏にある物置に向かった。そこには農業に使う道具の他に、様々なガラクタが置かれている。それらの整理や手入れをしようと思い立ったのだ。特にこれといった理由はないが、強いて言うなら暇つぶしのためである。

 

 ○○は物置の前まで行き、扉を開いた。中に入ると、薄暗い空間が広がっている。湿気が多く、カビ臭い匂いが充満しているせいか、少し息苦しい感じさえする。

 ○○は、その不快さに顔をしかめながらも、奥の方へと進んでいった。そして、なにから手をつけようかと辺りを見回したその時だった。

 

「……ん?」

 

 不意に視界の端で何かが動いたような気がして、そちらに顔を向けた。見ると、床に敷かれた茣蓙の上に誰かがいるようだ。

 

 ○○は警戒しながら近寄ってみる事にした。

 ゆっくりと足を進めていき、ついにその姿が見える位置まで来た。そこで彼は、思わず目を見張った。

 

 何故なら、そこに居たのは一人の少女だったからだ。それも全身がずぶ濡れの状態で横になっており、服装はボロボロで、投げ出された手足には痛々しい傷跡が残っている。明らかに普通ではない状況だが、それよりも彼女の容姿の方が問題であった。

 

「妖怪……か」

 

 そう。少女は人間ではなかった。人間の形をしていながら、茶髪の頭頂部からは二対の獣耳が生えており、臀部には二本の尻尾がある。それらは、少女が人外の存在であることを如実に示していた。

 

 少女は眠っているのか、目を閉じているものの、時折呻き声を漏らし、身を震わせている。そんな少女を眺めながら、○○は何とも言えない複雑な表情を浮かべていた。この場所に妖怪が居るという事が疑問なのだ。

 

 何故なら、この場所の周囲には魔除けの結界が張り巡らされているはずであり、普通の妖怪が入ってくる事はできないからである。にも関わらず、ここにいるということは、何らかの方法で侵入してきたに違いない。そんな事が出来るのは、一部を除けば限られてくるはずだ。

 

 そもそも、少女は何の為に結界を抜けてまで、ここに来たのだろう。少女に悪意があれば、既に自分は襲われていてもおかしくないはずである。それに先ほどの様子を見る限り、怪我を負って衰弱している様子だ。とても悪者とは思えない。

 

 ○○は色々と思考を巡らせていく内に、ある考えに至った。もしかして、彼女は助けを求めにきたのではないかと。もしそうなら、放っておくわけにはいかないだろう。○○は意を決して、少女に声をかける事にした。

 

「なあ、そこの君」

 

 ○○の声に反応して、少女がゆっくりと瞼を開いていく。その瞳は虚ろで焦点があっておらず、どこかぼんやりとしていた。

 少女はそのまま身体を起こすと、緩慢とした動作で○○を見た。その視線には敵意や殺意といったものは全く感じられなく、まるで迷子の子供のようである。

 少女は何も言わずに、彼をじっと見つめていたが、やがて小さく口を開いた。

 

「……ぃ」

 

 しかし、そこから発せられた言葉は、とても短いものだった。○○は聞き間違いかと思い、もう一度尋ねてみる。

 

「えっと、今なんて言ったんだい?」

「……ごめんなさい」

 

 今度は、ちゃんと聞こえた。どうやら謝罪の言葉を口にしたらしい。○○は困惑しつつも、更に尋ねた。

 

「あの、君はどうしてこんな所に?」

 

 すると、少女は再び黙り込んでしまった。

 ○○は余計に困ってしまった。まさか何も話さないとは思わなかったのだ。この少女が何者なのか分からない以上、迂闊に質問するべきではないかもしれないが、それでもこのまま放置しておく訳にもいかない。

 ○○は少女に近づこうと、足を一歩踏み出した。

 

「……ひっ!」

 

 その瞬間、少女が小さく悲鳴を漏らし、怯えるような表情を見せた。

 ○○はそれを見て足を止める。どうやら、これ以上近づくのは危険そうだ。そう判断した彼は、その場に腰を下ろした。そして、少女を落ち着かせるように話しかける。

 

「大丈夫だよ。僕は、君に危害を加えるつもりはないから。ただ、ちょっと君の事が知りたいだけなんだ」

 

 ○○がそう言うと、少女はおそるおそるという風に、こちらの様子を窺ってきた。それから少しして、少女は小さな声で呟いた。

 

「……あの、勝手に入ってしまって、ごめんなさい。雨を凌げる場所はないかと思って。それで、ここに……」

「そうかい。いや、泥棒とかじゃないならいいんだ。それより、酷い怪我をしているみたいだけど、どうかしたの?」

 

 ○○は心配そうな表情を浮かべながら尋ねる。少女は少しの間沈黙していたが、やがて躊躇うように語り始めた。

 

「妖怪に……襲われたんです。何とか逃げてきたけど、もう限界で……雨も降ってきて……人の家だと分かっていたけど、他に行くところがなくって……本当にごめんなさい」

 

 少女は震える声で謝った。その顔は恐怖に染まっている。○○はそんな少女の様子に胸を痛めながらも、努めて冷静な口調で問いかける。

 

「……それは災難だったね。でも、君も見たところ妖怪じゃないか。ここには結界が貼ってあって、妖怪が来れるような所じゃないんだよ。どうやってここまで来たのか教えてくれないか?」

 

「あ、はい。私は以前、ある高名な妖怪にお仕えしていたのですが、その時に結界の抜け方を教わったので、それを使って入ったんです」

 

「へえ、そうだったのか。君は優秀なんだな」

 

 ○○は感心してみせた。しかし、少女は俯いて暗い顔をしている。何かまずかっただろうか。

 

「そんなこと……ないです。私なんか全然駄目で……いつも失敗ばかりで。物覚えも悪くて……だから、その、ご主人様にもよく怒られてました。お前は出来損ないだって。妖怪として生まれながら、半端者の落ちこぼれだって……」

 

 少女は消え入りそうな声で呟く。その姿はあまりにも痛々しく、見ているのが辛くなるほどだった。○○はかける言葉が思いつかず、黙り込むしかなかった。

 しばらくして、少女がぽつりと言葉を漏らす。

 

「……ごめんなさい。こんな事を言うべきじゃなかったのに。迷惑をかけてしまってすみません。すぐに出て行きますから」

 

 そう言って立ち上がろうとする少女だったが、その身体には力が入っておらず、そのまま倒れそうになった。○○は慌てて少女を支える。

 

「あっ……」

 

 少女は弱々しい声を漏らすと、○○に抱きついた。その手からは体温を感じられず、まるで氷のように冷たい。雨に濡れたせいもあるだろうが、明らかに異常な冷たさだ。

 

「ふらついてるじゃないか。無理しない方がいいよ。元気になるまで居ていいから」

 

「でも、これ以上迷惑をかけるわけにはいきません」

 

「こんな状態の君を放っては置けないし、僕は迷惑だとか思ってないよ」

 

 ○○の言葉を聞いて、少女は申し訳なさそうに身を縮こまらせた。しかし、○○から離れようとはしなかった。

 

「ここじゃなんだから、とりあえず僕の家に行こうか」

「……はい」

 

 ○○は、ずぶ濡れの少女を抱き上げると、ゆっくりと歩き出した。少女の体は驚くほど軽かった。まるで羽のような軽さである。少女は○○の腕の中で丸まり、静かに目を閉じていた。

 

 ○○は少女を抱えて自宅に戻ると、居間に少女を座らせてタオルを渡した。少女はおずおずとそれを受け取ると、髪や身体を拭き始める。

 

「着替えは、僕の服で我慢してくれるかな? 君には大きいかもしれないけど」

 

 少女はこくりと小さくうなずくと、渡された衣服に袖を通した。やはりサイズは大きかったらしく、着ると袖に手が隠れてしまっている。

 ○○は囲炉裏に火をつけて暖をとると、少女の向かい側に腰を下ろし、改めて尋ねた。

 

「落ち着いたところで話を聞かせてほしいんだけど、君は一体何者なんだい?」

 

 ○○の問いに少女は一瞬だけ躊躇したが、やがて語り始めた。

 

「私は、橙と申します。見てのとおり、化け猫の妖怪です。最近まで、この近くの山に住んでいました」

 

 橙と名乗った少女の瞳からは、既に怯えの色はなくなっていた。どうやら自分の事を話せる程度には落ち着いたらしい。○○は安堵しつつ先を促す。

 

「先程も言いましたが、私はとある偉大な方に、式神として仕えていたのです。お名前は八雲藍……様と言いまして、とても美しく聡明なお方でした」

 

 橙は懐かしむように語った。○○は黙って耳を傾ける。

 

「私は藍様の事を尊敬していました。強くて優しくて、賢くて……完璧な存在だと思っていたんです。そんなお方に認めてもらえるように頑張っていました。けれど、ある時から急に藍様の態度が変わったんです。私のことを馬鹿にして、罵るようになったんです」

 

 そこまで言うと、橙は辛そうに顔を歪めた。○○はその表情を見て、何も言わずに続きを待つ。

 やがて、再び語り始めた。

 

「どうしてなのかは分かりませんでした。けれど、ある日を境に藍様は私に辛く当たるようになったんです。そして、私が何か失敗する度に、お前は出来損ないだとか、お前なんかに価値はないとか言って罵倒するようになって……ついには式を外されて、捨てられてしまったんです」

 

 橙は悔しそうな顔で拳を握った。その目からは涙が溢れている。○○はそんな少女の様子に胸を痛めながら、優しい声で話しかける。

 

「……辛い思いをしてきたんだね。でも、もう大丈夫だよ。ここには君を傷つけるような奴はいないからね」

 

 ○○の言葉を聞いた途端、橙は泣き崩れた。声を上げて子供のようにわんわん泣く姿はとても痛ましく、見ていられないほどだった。○○はそんな少女の姿を見つめながら、そっと頭を撫でてやる。

 

「ううっ……ひぐっ……」

 

 しばらくすると、ようやく落ち着きを取り戻したのか、橙は顔を伏せたまま動かなくなった。しかし、その身体はまだ小刻みに震えており、嗚咽の声が聞こえてくる。○○は黙ったまま、ただ優しくその背中をさすっていた。

 しばらくして、少女がぽつりと呟く。

 

「あの……ありがとうございます。少し楽になりました」

 

 その言葉を聞いて、○○は安心させるように微笑んでみせた。

 それからしばらくして、少女は再び口を開いた。

 

「貴方様は、本当に優しくて、不思議な人ですね。まるで神様みたいに感じます。私……こんなに親切にされたのは久しぶりです。それに、あの人と同じ……」

 

 橙の言葉に、○○は首を傾げた。あの人というのは誰のことだろうか。○○が疑問を口にしようとすると、それより先に橙が言葉を紡いだ。

 

「あの、よろしければ貴方様のお名前を教えてくださいませんか?」

「ああ、僕は○○って言うんだ。よろしくね」

 

 ○○は笑顔を浮かべて答える。橙は嬉しそうに笑みを返した。

 

「○○様……素敵なお名前ですね」

 

 橙はそう言って目を細めると、どこか熱っぽい視線を○○に向けた。○○は不思議そうに眉根を寄せたが、すぐに気を取り直して質問をする。

 

「うん。でも、様付けなんてしなくていいよ。普通に接してくれればいいからさ」

「いいえ、そういうわけにはいきません。○○様は恩人ですから」

 

 橙はきっぱりと言うと、○○に向かって深々と頭を下げる。○○は困ったような表情で頬を掻いた。

 やがて、橙はゆっくりと身体を起こすと、真剣な眼差しで○○の顔を見た。

 

「私を助けてくださったお礼がしたいのです。どうかお願いします。私を○○様の下女にしてもらえないでしょうか」

「えっ……ええと、それはどういう意味かな? 下女っていうのは……つまり、僕に仕えるってこと?」

 

 ○○は困惑しながら尋ねる。橙はこくりと小さくうなずいてから、真っ直ぐに○○の目を見据えた。

 

「私には、もう帰るところがないんです。外で生きていく術もありません。だから、○○様に拾われたこの命を捧げたいんです」

 

 橙の表情は真剣そのもので、冗談を言っているようには見えない。○○はどうしたものかと悩んだが、やがて苦笑いをして答えた。

 

「そんな大袈裟なこと考えなくても大丈夫だよ。住む場所がないのなら、ここを使ってくれても構わないから。僕は一人暮らしだし、部屋も余っているからね」

「あ、ありがとうございますっ……!」

 

 ○○の言葉を聞くなり、橙はぱあっと明るい顔になった。橙は嬉しそうに尻尾を振ると、再び○○の近くにすり寄ってくる。

 ○○はそんな橙の姿を見て、なんだか犬みたいな子だと思った。

 

「私、何でもやりますっ! 掃除や洗濯はもちろん、料理だってお任せください。あと、○○様がお望みならば、夜のご奉仕も……」

 

「い、いらないってば。家事だけで十分だから」

 

 ○○は慌てて手を振りながら言った。橙は残念そうに耳と尻尾を下げて、分かりましたと言って引き下がる。

 ○○はホッとした表情を浮かべると、時計に目を向けた。時刻は八時を回ったところだった。話題を変えるために、○○は橙に話しかける。

 

「それより朝食はとったのかい? まだ食べていないなら、残りものを用意できるけど」

 

「はい……実は二日前から何も口にしていなくて。何でもいいので頂きたいです」

 

「それは大変だ。すぐに持ってくるよ」

 

 橙は申し訳なさそうな顔で言う。○○はそんな橙を見て、優しく微笑むと台所へと向かった。

 

 数分後、○○はお盆を持って戻ってきた。そこには湯気を立てた味噌汁と野菜の煮物、そして白米が載っている。

 橙は目を輝かせて、お腹を鳴らしながら○○を見上げた。○○は笑顔でテーブルの上に食器を置くと、橙の向かいに座った。

 

「どうぞ召し上がれ。口に合うといいんだけど」

 

 ○○が言うと、橙はいただきますと元気よく言って箸を手に取った。余程空腹が堪えていたのか、○○が見ている目の前で橙はすごい勢いで食事を平らげていった。

 

 やがて、○○が持ってきた全ての食事がなくなると、橙は満足した様子で大きく息を吐いた。

 ○○はお茶の入った湯呑みを差し出す。橙はそれを一口飲むと、ほっと安堵の溜息を漏らして口を開いた。

 

「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」

 

 橙は幸せそうな笑みを浮かべて礼を言うと、続けてぺこりと頭を下げる。○○はその様子を見つめながら、自分も微笑んでみせた。

 

「○○様は本当に優しい方ですね。見ず知らずの私のためにここまでしてくれるなんて……」

「いやいや。これくらいお安いごようだって」

 

 橙は感極まった様子でそう言うと、涙ぐんだ瞳で○○の顔を見上げる。○○は困ったような笑顔を浮かべて手を振った。

 それから、橙はふと思い出したように○○に問いかけた。

 

「そういえば、○○様は何故、人里から離れた場所に、一人で住んでいるのですか?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、○○の表情がわずかに強張った。しかし、すぐに表情を元に戻すと、穏やかな口調で答える。

 

「僕は、ちょっと人付き合いが苦手でね。人が多い場所は落ち着かないから、静かな場所で暮らしたいと思ってたんだよ。それを里の人に話したら、この場所を紹介してくれたんだ。丁度、空き家があったらしくてさ。人が住んでいた方が良いって事で、無償で貸してくれたよ」

 

 ○○は少しだけ声を低くして、嘘ではない程度に真実を混ぜて話した。橙は○○の話を聞いて、不思議そうに首を傾げる。

 

「そうだったのですか。でも、○○様のような優しい方が、どうして人を避けたりしているのですか?」

 

 橙の言葉に、○○は困ったような表情を浮かべた。○○は一瞬、本当のことを言おうかとも思ったが、結局口をつぐむことにした。

 自分がこの世界に迷い込んだ存在だと知れば、橙がどんな反応をするのか分からない。下手をすれば、またあの時と同じことが起こるかもしれないのだ。

 だから、○○は適当な理由を付けて誤魔化すことに決めた。

 

「ほら、僕は人と話すのが得意じゃないからね。それで、あまり他人と関わらないようにしていたのさ」

 

「そうは見えないですけど……。私とは普通に喋ってくれていますし」

 

「……うん。それは、まあ、ね」

 

 橙はそう言って、大きな瞳で、じーっと○○のことを見る。真意を探るような視線を受けて、○○は苦笑いをした。やがて、橙は何かを納得するように小さくうなずく。

 

「もしかして○○様も、私と同じような境遇の方なんですか? 人里で酷い扱いを受けていたとか……」

 

 橙の言葉に、○○の心臓がドキリと跳ね上がった。表情には出さないように努めたものの、動揺を隠しきれなかったのか、橙は心配そうに○○を見つめる。○○は慌てて笑顔を作ると、何でもないと言う風に首を振る。

 

「はは、まさか。そんなことはないって」

「……私には、本当のことを言ってください」

 

 ○○の言葉を遮るように、真剣な顔で橙は言った。○○は驚いて目を大きくする。

 橙はまっすぐな目で○○のことを見つめると、再び口を開いた。

 

「私が力になれるかどうかは分かりません。でも、○○様の抱えている悩みを打ち明けてもらえたら、きっと楽になると思います。私は○○様の事を知りたいんです。○○様の助けになりたいんです」

 

 橙はそう言うと、自分の両手をぎゅっと握りしめながら○○の返事を待った。○○はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと息を吐くと、覚悟を決めたように橙の目を見返す。

 ○○は深呼吸すると、落ち着いた声で橙に語りかけた。

 

「……僕は幻想郷の人間じゃないんだ。外の世界から来たんだよ。人里では、外来人だからと言って、色々嫌がらせを受けたりしてきた」

 

 ○○はそこまで言うと、自嘲気味に笑って言葉を続ける。

 

「僕以外にも外来人がいるんだけど、標的にされたのは僕だけだった。理由はよくわからない。ただ、僕の運が悪かっただけなのかもね。外来人の人達は良くしてくれたんだけどね。でも、数は圧倒的に少なかったから、結局、僕は迫害されるようになって……」

 

 ○○はそこで言葉を詰まらせると、顔をうつむかせて拳を固く握った。

 話を聞いていた橙は驚いた様子で目を丸くしていた。○○は橙の反応を見て、やはり言わなければよかったと後悔したが、もう遅い。橙の驚きが冷めるまで待つしかなかった。

 

「……何となく、そんな気はしてました。○○様の、私を見る目つきが、他の人間達と違う気がしたので」

 

 やがて、橙はそう言って、静かに微笑んでみせた。予想とは違う反応に、今度は○○の方が戸惑ってしまう。

 橙は少し寂しげな笑みを浮かべながら、どこか遠くを見つめるように口を開いた。

 

「私は妖怪です。化け猫です。普通の人間なら、私を見ただけで恐れおののいて逃げていきます。でも、○○様は、私を怖がりませんでした」

 

 そう言うと、橙は悲しそうな顔をした。○○はどう答えていいのか分からず、無言のまま続きを待つことにする。

 

「妖怪は人間を恐れさせるのが本分です。それが存在意義です。なのに、○○様は私を受け入れてくれました。優しくしてくれました。私の心は、その優しさで満たされたんです。おかしいですよね。こんなにも人と触れ合いたいと思うなんて」

 

 橙はそこで言葉を区切ると、○○の顔を見ながら微笑んだ。そして、○○の手をそっと握ってみせる。突然の出来事に、○○はビクリと体を震わせた。橙は構わず話を続ける。

 

「やはり、藍様は正しかったようです。私は妖怪として、出来損ないの、半端者の、落ちこぼれです。でも、それでも、○○様のおかげで変われたんです。今の私は、とても幸せです」

 

 橙はそこまで言い終えると、ふぅと小さくため息をついた。それから、もう一度○○の手を強く握りしめてから離す。

 

「だから私も、○○様に恩返しをしたいと思っています。私は○○様の力になりたいんです。人里の人間が、また○○様を傷つけるようなことをしたら、その時は私が必ず守ります」

 

「……ありがとう。その気持ちだけでも嬉しいよ」

 

 橙の言葉を聞いて、○○は複雑な表情で礼を言うことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 それから一月は経ち、二人は特に問題もなく平穏な日々を過ごしてた。雨もすっかり止んでおり、空には綺麗な青空が広がっている。

 

 ○○は毎日のように、農作業に精を出している。橙にはもっぱら家事を任せているのだが、彼女は水が苦手なので、洗濯や料理などの水を使う作業はさせていない。

 

 しかし、○○の傍には常に橙の姿があった。橙は暇さえあれば○○の仕事を手伝ったり、家の中で一緒に過ごしたりと、○○にべったりである。○○は最初こそ困惑していたが、今では橙のことを受け入れていた。可愛い妹が出来たような気分で、○○の方も嬉しく思っている。

 

 橙は○○の仕事を手伝おうとするものの、上手くいかないことが多く、すぐに疲れて眠ってしまったり、構って欲しくて○○の邪魔をしてみたりするなど、子供っぽい行動が目立っている。

 ○○は橙のことを可愛らしく思いながらも、仕事の時は大人しくしていて欲しいと思っていた。

 そんなある日のことである。

 

 いつも通り○○が畑仕事をしていると、後ろから女性の声が聞こえてきた。

 

「ごめんください」

 

 聞き覚えのない声だ。○○は作業を中断すると、鍬を置いてから振り返る。そこには一人の若い女性が立っていた。

 彼女は目を見張る程に美しい容姿をしていた。髪の色は明るい黄緑色をしており、腰上くらいまでの長さがある。服装は白地に青の縁取りがされた上着と、水玉模様が書かれた青いスカートを履いている。色は違えど巫女装束風の衣装であった。

 

 女性はニコニコとした人当たりのいい笑顔で○○に声をかけてくる。

 

「初めまして。私は東風谷早苗と申します。守矢神社の風祝をしています。今日はこちらに用があってやってきました」

 

 彼女の自己紹介を聞いた○○は、驚きつつも丁寧に頭を下げて挨拶をした。

 

「○○です。その……風祝とは?」

「平たく言えば巫女さんですね。神に仕える者です」

「ああ……」

 

 ○○の疑問に対して、東風谷と名乗った女性が簡単に説明する。それを聞いて、○○は納得したようにうなずいた。

 早苗はそんな○○の様子を眺めながら、再び口を開く。

 

「ご理解いただけたようで何よりです。早速ですけど、貴方にお話がありまして」

 

「何でしょう?」

 

「私は稗田様の依頼を受けて、この場所に魔除けの結界を張りに来たのですが、よろしいでしょうか? 時間はそれほどかからないので」

 

 早苗はそう言うと、にっこりと微笑んでみせた。○○はその申し出を受けて、少し困った顔をする。

 彼女が言った稗田とは、人里の重鎮の名前であり、この家を提供してくれた人物でもある。

 

「ここには、もう結界を張ってあるんですよ。だから必要は無いと思いますが」

 

 そう言って、○○は周囲を見渡してみせた。周囲には何も無い。強いて言うなら、地面の土を耕した跡と、そこに生えている雑草がある程度だろう。

 しかし、早苗は首を横に振って否定してみせる。

 

「少し語弊がありました。今ここに張られている結界は、年数を重ねて弱まっているのです。だから、安全の為に張り直す必要があったんですね」

 

 早苗の説明に、○○はなるほどと相槌を打った。確かに言われてみると、橙が結界を抜けられたのも合点がいく。○○はもう一度周囲を見回してから、早苗に問いかけた。

 

「結界を新しくしたら、何か影響がありますか?」

 

 ○○は不安そうな顔で質問をする。それに対して、早苗は優しく微笑むと、安心させるような口調で語りかけた。

 

「いえ、人間には全く害はありませんよ。土地にも、農作物にも、悪影響は出ないようにします。ただ、この土地を護るための結界ですから、妖怪の類は入ってこれなくなります。もし侵入出来ても、持って数秒の命なのでご心配なく。じゃあ始めますね」

 

 早苗はそこまで説明を終えると、いそいそと懐から巻物を取り出して、地面に広げ始めた。そして、地面に座り込むと、筆を使って文字を書き始める。

 

「ちょっ、ちょっと待って下さい!」

「きゃっ!?」

 

 ○○は慌てて声を上げると、早苗の元に駆け寄っていった。突然の出来事に驚いたのか、早苗は悲鳴を上げて飛び上がる。彼女は手に持っていた筆を取り落としてしまった。

 ○○は転びそうになる早苗の腕を掴むと、何とか支えてやる。早苗は恥ずかしそうに頬を赤らめながら礼を言う。

 

「ど、どうも……って、危ないじゃないですか! 急に驚かさないでくださいよ!」

「……すみません」

 

 早苗は怒ったような表情で○○に文句を言い放つ。○○は謝りつつ、彼女に話しかけた。

 

「あの、出来れば結界の内側は、妖怪でも生きられるようにして頂けますか?」

「……どういうことでしょうか?」

 

 早苗は怪しんだ様子で聞き返す。○○の言葉の意味がよく分からなかったのだ。それは当然の反応と言えるだろう。

 早苗の疑問に対し、○○は詳しく事情を説明した。それを聞いた彼女は、しばらく考え込んだ後、小さくため息をつく。それから、ゆっくりと口を開いた。

 

「んー。まあ、家主さんのお願いですから、仕方が無いですね。分かりました。そうするように調整しておきましょう」

 

 早苗の返事を聞いて、○○はホッとした。これで橙も無事に暮らせるようになる。彼は心の中で安堵していた。しかし、そこで早苗が○○に問いかける。

 

「余計なお世話かもしれませんが、力の弱い妖怪とは言え、結界の中に入れるのは危険ですよ。それに、その猫ちゃんは大丈夫なんでしょうか? ペットを飼うのとは訳が違います。妖怪は人間と同じ感覚を共有出来ないので、貴方が命を狙われたり、襲われたりする可能性もあります。それでも良いのですね?」

 

 早苗は○○のことを気遣ってくれているようだった。○○はその優しさに感謝しつつ、しっかりとした口調で答える。

 

「大丈夫です。橙は俺にとって、妹みたいな存在ですから」

 

 ○○は笑顔で言うと、早苗に向かって頭を下げてみせた。それを見た早苗は、少し呆れたように苦笑する。

 

「……野暮でしたかね。では、作業に戻ります」

 

 早苗はそう言うと、再び作業を開始した。○○は邪魔にならないようにその場を離れて見守ることにする。

 

 早苗は地面に置いた巻物に手をかざすと、呪文のようなものを唱え始めた。その言葉は○○には理解出来なかったが、不思議と耳に心地よく響く。まるで歌を歌っているかのように聞こえた。

 早苗が呪文を唱える度に、彼女の手の平が淡く光っていく。やがて、彼女の手の中に小さな光の玉が生まれた。それを早苗は地面に落とす。すると光が弾けて、結界が張り直された。

 

 早苗はそれを確認してから、巻物を片付ける。それから、○○の方を向いて、にっこりと微笑んでみせた。

 

「はい、終わりましたよ。これで、この辺りの結界は全て修復されました。安心安全に過ごせますね」

「どうも、ありがとうございます」

 

 早苗は得意げな顔をしながら、そう説明する。○○はそれを聞くと、深々とお辞儀をして感謝の意を示した。早苗はそんな彼の態度を見て嬉しく思ったのか、楽しげに笑い出す。

 

「じゃあ、私はこれで失礼します。普段は守矢神社にいますので、是非一度は参拝にいらしてくださいね」

 

 早苗はそれだけ言うと、軽く会釈して立ち去ろうとする。しかし、途中で何かを思い出したらしく、○○の元まで戻ってきた。彼女は小声で彼に耳打ちをする。

 

「……ああ、それと、もし何か猫ちゃんに異変を感じたりしたら、すぐに私に相談して下さい。どんな些細なことでも構いませんから。約束ですよ?」

 

 早苗は真剣な顔つきで念を押してきた。○○は思わず背筋を伸ばしてしまう。

 彼女はそのまま軽い足取りで、今度こそ本当に去っていった。○○は彼女が見えなくなると、大きく息を吐きだす。緊張の糸が切れて、一気に疲れが出て来たようだ。彼は農作業を再開する事をやめて地面に座り込むと、空を見上げて黄昏れることにした。

 しばらくの間、沈黙の時間が流れる。彼は何も考えずにぼんやりと過ごしていた。その時である。

 

「○○様」

 

 突然、背後から声をかけられた。○○は慌てて振り返る。そこにはいつの間にか、橙の姿があった。彼女は無表情で、○○のことを見下ろしていた。

 

「なんだ橙か。脅かさないでくれよ」

 

 ○○は自分の後ろに立っていたのが橙だと分かると、ホッとした様子で話しかけた。しかし、橙は冷たい視線を自分に向けてくる。その表情からは、感情を読み取ることが出来なかった。

 ○○は何とも言えない嫌な雰囲気を感じ取った。

 

「あの人間は、あの女は誰ですか?」

「ん? ああ……見ていたのか」

 

 ○○は早苗とのやり取りを思い返してみる。橙は早苗のことを指しているのだろうと思った。

 確かに橙は人間に対して警戒心を持っている。それは○○も知っていた。だが、だからと言って、わざわざ細かく説明しなくても良いだろう。○○はそう判断した。なので、当たり障りのない答えを口にする。

 

「彼女は東風谷早苗さんといって、守矢神社で巫女をしている人だよ」

 

 早苗という名前を聞いた瞬間、橙の耳が僅かに震えた。しかし、○○はそれに気付かない。彼は話を続ける。

 

「それで、ここに張られた結界を新しくしてくれたんだ。でも、結界内にいる妖怪に害はないから安心していいよ」

 

 橙は○○の言葉を聞いても、特に反応を示さなかった。ただ黙って話を聞いていただけだ。○○は彼女の様子が少しおかしいと感じたが、気にしないことにする。

 

 しばらく会話が途切れる。○○は話題を変えるために、先程考えていたことを口にすることにした。

 

「……さて、今日は疲れたから、もう休むことにしようかな。さあ、中に入ろう」

 

 橙は何も言わず、小さくうなずくだけだった。○○は彼女に背を向けると、家に向かって歩き始める。橙は彼の後について来た。

 

 二人は家の中に入り、居間に向かった。

 そこで○○は座布団に座って一休みする。橙も彼の隣に座った。しかし、何も喋ろうとはしなかった。彼女は俯いたままで、じっとしている。

 ○○はその様子を少し不思議に思ったものの、深く考えることはせずに、お茶を飲みながらまったりと過ごす事にした。

 

 それから、静かに時間が流れていった。

 夜更けが近くなった頃、○○は眠気を覚えて欠伸をする。彼はそろそろ寝ようと思い立った。

 

「橙、俺は眠ることにするよ。君はどうする?」

 

 ○○は隣の少女に声をかけた。彼女は顔を上げて、こちらを見る。その瞳には深い闇が宿っていた。まるで何かに取り憑かれたような暗い光だ。

 

「……え?」

 

 ○○はその目を見た時、一瞬だけ恐怖を覚えた。肌に鳥肌が立ち、背筋に悪寒を感じる。だが、それも刹那のことだった。

 橙は無言のまま立ち上がると、○○の前まで移動する。そして、その場に正座をした。

 

「勿論、お供します」

 

 橙はそう言うと、にっこりと微笑んでみせた。○○はその笑顔を見て安心感を覚える。彼は立ち上がって、自分の部屋に向かうことにした。

 

 部屋の扉を開けると、橙も一緒に入ってくる。彼女は○○の後ろをついて回った。

 橙は予てより、○○と同衾することを望んでいた。だが、○○は頑なにそれを拒んできた。それでも食い下がる橙に出した妥協案は、就寝する部屋は同じにして、寝具は別々というものだ。

 

 橙はそれに不満を見せたのだが、○○の方から譲歩してきたことで渋々と受け入れたのである。そして今晩もまた同じ状況になった。

 

 ○○は押し入れから布団を取り出すと、床に敷く。それから、箪笥の中から寝巻きを取り出した。

 橙は○○の様子をじっと見つめている。

 

「……そんなに見られると、着替え辛いよ」

 

 と、○○は呟いたが、橙は無視して動こうとはしなかった。薄暗い部屋の中とは言え、視線を受けると一抹の羞恥心を感じてしまう。

 

 やがて準備が終わると、○○は布団の上に座った。そして、先程から微動だにしない橙を不思議そうに眺める。

 

「どうしたんだい? 早く準備をしておいで」

 

 ○○は優しく声をかけた。しかし、橙は返事をしようとしない。彼女は○○を見つめたまま、その場を動かなかった。○○は少し困ってしまう。

 

「橙?」

 

 ○○はもう一度、名前を呼んだ。すると、橙は急に動き出して、○○の目の前まで移動してくる。

 ○○が戸惑っている間に、橙は彼を押し倒して、上に馬乗りになってしまった。

 

「うわっ」

 

 そのまま、両手で彼の肩を押さえつける。

 ○○は抵抗しようとしたが、橙の力が思いの外強く、身じろぎすら出来なかった。

 

「な、何するんだ!」

 

 ○○は慌てて叫んだ。橙は相変わらず無表情で、何を考えているのか分からない。だが、薄暗い部屋の中で、その目は妖しく輝いていた。

 

 橙は、ゆっくりと顔を近づけてくる。○○の顔のすぐ側に、彼女の顔があった。吐息がかかるほどの距離である。

 近くに寄って分かったが、彼女の頬は赤く上気しており、呼吸も荒くなっているようだ。○○は嫌な雰囲気をひしひしと感じ取った。

 

「それは……駄目だっ!」

 

 橙は○○の唇に、自らの口を重ねようとする。

 ○○は何とか逃げ出そうとしたが、橙の拘束は解けない。それどころか、ますます力が強くなっていく。このままでは本当に口付けをされてしまうだろう。

 ○○は顔を左右に向けて、彼女の唇から逃れようとした。しかし、橙はそれを許さず、片手を顎に当てて固定してしまう。

 

「○○様……ん……」

 

 橙はうっとりとした様子で、○○の名前を呼ぶ。そして、○○の口を自らのそれで塞いだ。柔らかな感触が○○の口に伝わってきた。

 ○○は橙を引き剥がそうと暴れる。しかし、橙はびくともしなかった。小柄に見える身体からは想像も出来ないほど、強い力で押さえつけている。

 橙は舌を伸ばして、無理矢理○○の口腔内に侵入させた。歯茎や口蓋を舐め回していく。その度にザラザラした感覚が感じられた。

 

「んー! んぐぅ!」

「……ふぁ、れろぉ……じゅぷ、ちゅぱ、ぺちゃ、ぴちょ」

 

 ○○は必死になって逃れようとしたが、無駄だった。彼女は○○の頭を手で抱え込み、自分の方に引き寄せた。更に深く口付けをする形になる。

 

「む、ぢゅ、あ……れる、ん、あむ、はあ、はあ、あああ……」

 

 橙は夢中で○○に吸い付いていた。時折、小さな喘ぎ声を上げながら、彼の唾液を飲み込んでいく。その行為はまるで、餌を求める雛鳥のようであった。

 

「んっ…………っぷは」

 

 ようやく満足したのか、橙は○○の口から自身のそれを離す。口の端から垂れた唾が糸を引いた。

 橙はしばらく惚けたような顔で、ぼんやりと○○を見下ろしていた。その瞳には狂気が宿っている。

 そして再び彼に覆い被さってくる。橙はしばらく余韻に浸っていたが、不意に我に返ると、恥ずかしそうに俯いた。

 

「えへ、えへへ……へ……」

 

 彼女はだらしなく笑みを浮かべている。○○はその姿を見て身震いをした。今までの様子とは明らかに違う。まるで別人のようである。

 

「……君は、誰なんだ?」

 

 ○○は質問する。しかし、橙は何も答えなかった。ただニヤついた表情で見つめてくるだけである。

 

「あつっ!?」

 

 その時、橙は唐突に○○の右肩に噛み付いた。鋭い痛みを感じる。血が流れる感触が伝わり、○○は思わず悲鳴を上げる。橙は○○の反応を見て、噛み付いたまま嬉しそうな声を上げた。

 

「うぃひひっ……」

 

 ○○の耳に不気味な笑い声が届く。橙はゆっくりと口を放した。傷口を見ると、そこには歯型がくっきりと残っていた。そこから滲んだ血液が流れ出している。

 

「……あはっ、痛かったですよね。 ごめんなさい。だけど、必要な事なのですよ」

 

 橙は謝りながらも、どこか愉快そうに言った。○○は肩を押さえて、苦痛に顔を歪ませる。

 彼女はそんな○○を見つめながら、今度は左肩に顔を近づけた。○○は慌てて抵抗するが、やはり拘束から逃れることが出来ない。橙は○○の肩に噛み付く。

 

「っあ!」

 

 ○○は声にならない叫びをあげた。あまりの激痛に涙が出てくる。彼は身をよじって逃げ出そうとしたが、橙はそれを許さない。しっかりと彼の頭を抱え込んだ。橙は何度も○○の肩を噛んでくる。その度に○○は苦悶の声を上げて、涙を流し続けた。

 

 しばらくして、橙は○○を解放する。○○は肩を押さえて、布団の上で苦しんでいた。

 橙はその様子を満足げに見下ろす。それから、彼女はゆっくりと口を開いた。

 

「……やりましたよ。○○様に、私の痕を付けました。こ、これで、もう誰にも、邪魔されません……くふふふ……」

 

 橙は上機嫌な様子で言う。○○は息も絶えだえに尋ねた。

 

「……な、何を言ってるんだ? 一体、どういう意味だ? 何故こんな……」

 

「○○様……○○さま。私だけの○○さま。愛してます、だい好きです……ずっといっしょにいましょう……ずーっと、えいえんに、ふたりきりで……えへ、えへへ……」

 

 橙はうわ言のように呟きながら、○○を抱きしめた。○○は困惑しながら、彼女を引き剥がそうとする。しかし、橙は離れようとしない。それどころか、ますます強く抱きついてきた。

 

「あばれちゃめっでーすよぉ。おとなしく、してくださいねぇ。わたしのにおいをぉ、たあっぷりと、つけてあげますからぁ……ねっ?」

 

「や、やめ……」

 

 橙はそう言うと、○○の胸に頬擦りした。○○は身の危険を感じて、必死に抵抗する。だが、やはり橙はビクともしなかった。橙は○○の顔を見上げると、舌なめずりする。

 

「んふふふっ」

 

 そして、その小さな口を大きく開けると、彼の首筋を甘噛みした。唇を押し当てて吸い上げていく。○○は思わず小さな悲鳴を上げた。橙は唇を離すと、○○の首元を確認する。

 そこには赤く色づいた印があった。○○はそれを呆然と眺める。彼女は妖艶に微笑むと、そこに指を当てた。

 

「これはぁ、あいのあかしなんですよぉ。○○さまが、わたし。のものに、なったっていうあかしでぇえっす。きえっないようにぃ、ま、まいにち、つけてあ、げますね、ぇえへへ?」

 

 橙はそう言いながら、○○の身体に手を伸ばしてきた。○○は慌てて逃げ出すが、すぐに捕まってしまう。橙は再び彼の身体に吸い付いた。

 

 ○○の身体には赤い跡が残されていく。上から下へと満遍なく、丹念に舐められていった。○○は全身に鳥肌が立つのを感じる。

 

 橙はしばらくすると、満足したのか顔を上げた。○○の方をじっと見つめてくる。

 その瞳は赤みを帯びていた。まるで瞳そのものが紅玉であるかのように、美しく輝いている。なのに、どこか禍々しい雰囲気を放っていた。

 

「あ、あぁっ……もぅ、わた、た、わたっし、は……だ、めっ……あ、あ? ふっ。いっ、あはぁつあはは。っあははあ、はあはぁはふひっ! ははぁはあは、ぅひひひっ!」

 

 橙は突然ケタケタと壊れたように笑い出す。その声は次第に大きくなっていった。狂ったように笑う彼女の姿は、まさに狂気の沙汰であった。

 ○○が呆気に取られている間に、橙の姿が変化を始める。

 

「あぎっ……う、ぐ、ぅ……あがっ!?」

 

 橙は前のめりになって、呻き声を漏らしながら体を苦しげに捩る。彼女の髪が急激に伸び始め、振り乱された髪先が○○の顔をくすぐる。

 二対の耳が長く、大きくなっていく。そして、新たに尻尾が何本も生え始める。さらに体つきが変わっていく。身長が伸びて、服越しでも分かるほどに胸が膨らみ、腰にすらっとしたくびれが出来て、お尻が成長していく。まさに、少女から女へと変化していく過程を見ているようだった。

 

 そして、数分後。そこには一人の女性がいた。

 その姿は、先程までの彼女とは、大きくかけ離れている。元々二本だった尻尾は、九本にまで増えており、意思があるかの如くゆらめいていた。

 

 彼女は○○の胸に手をついて俯き、荒い呼吸を繰り返している。時折びくんと痙攣するように震えながら、肩で息をしていた。口元からは舌が覗き、そこから唾液をだらしなく垂れ流している。

 ○○はその様子を見て、ようやく我に返ることが出来た。○○は彼女に気圧されながらも、何とか言葉を絞り出した。

 

「……橙……なのか?」

 

 ○○の言葉を聞いた女性は、大きな耳をピクッと反応させて、それからゆっくりと顔を上げる。そこには、かつての少女の面影など微塵もない、妖艶な女性の顔があった。

 彼女は目を細めて、口角を歪ませる。口元は笑っているように見えるが、それはもはや笑顔とは呼べないものだった。赤い舌を出して、唇の周りを舐める仕草は、ひどく扇情的に見える。漏れ出す吐息には熱がこもり、淫靡なもののように感じられた。

 

「はい。私は、ここに」

 

 橙は○○の問いに対して、はっきりと答える。その声色は成熟した女性のそれであり、彼女がもう少女ではないことを物語っていた。辺りに漂う空気には色気のようなものさえ感じられる。

 

 橙は何かを確かめるように自分の身体に触れる。頭から生えた長い耳に指先で触れたり、顔に触れてみたり、増えた尻尾を撫でてみたりと、様々な動作を繰り返す。

 そして、次に胸元に手を伸ばし、そこにある二つの膨らみに触れた。重力に逆らって自己主張をするそれに、手を沈めるようにして優しく揉む。それはまるで男を誘うような仕草でもあった。

 

 しばらくそうしていた彼女だったが、やがて納得したような表情を浮かべると、○○の方を見て微笑んだ。しかし、その瞳の奥底では得体の知れないものが渦巻いていた。

 

「……○○様」

 

 彼女は○○に顔を近づけると、唇を重ねてきた。○○が驚いていると、舌を差し入れてくる。先程までの荒々しさはなく、優しく包み込むような口付けだった。○○は戸惑いながらも、それを受け入れてしまう。

 

「……んちゅっ……んんっ……ちゅぱ……んふふ……」

 

 橙はそのまま舌を絡めてくる。○○はされるがままになっていた。二人はそのまましばらくの間、お互いを求め合う。

 しばらくして、橙は唇を離した。唾液が糸を引いて、二人の唇を繋いでいた。彼女はそれを拭うことなく、○○に囁く。

 

「○○様……愛しいお方……私だけの……」

 

 橙は○○の上で、自らの衣服を全て脱ぎ去った。彼女の豊満なものが露わになる。

 ○○は慌てて視線を逸らそうとしたが、橙の瞳を見て動けなくなってしまった。彼女もまた、○○を見つめている。その瞳からは強い愛情と情欲を感じた。

 

「○○様。しかと、ご覧くださいませ。これが私の、全てでございます。嘘偽りのない、ありのままの……」

 

 橙はそう言うと、両手を広げてみせる。その瞬間、周囲の気温が一気に上昇した気がした。

 一呼吸ごとに体が熱くなり、呼吸が苦しくなる。視界が歪み始め、意識が朦朧としていくのを感じる。

 

 橙の肌は紅潮しており、額や首筋からは汗が滴り落ちていた。その様子は、ひどく扇情的である。また、九本の尻尾がゆらゆらと揺れており、それが何とも言えない雰囲気を作り出していた。

 橙は恥ずかしげもなく姿を晒していたが、羞恥心などは感じていないようだった。むしろ、○○に惜しげもなく見せつけようとしている。

 

 ○○はごくりと唾を飲み込んだ。橙の体は均整が取れた体つきをしており、無駄な肉は一切ついていなかった。それでいて女性らしい柔らかさを感じさせる。腰はくびれ、尻は大きく膨らんでおり、非常に魅惑的だった。

 

 そして、○○の目の前で揺れる大きなものは、今にもはち切れそうなほどに張り詰めており、色素の薄い桜色の突起は痛々しいまでに尖っている。○○は橙から目が離せなくなっていた。

 彼女はそんな○○の様子に満足すると、妖艶な笑みを浮かべる。それから○○に身を寄せて、耳元で甘く囁く。

 

「お辛そうですね……私が楽にして差し上げます」

 

 橙はそう言うと、○○の着物にも手をかける。○○は抵抗しようとしたが、体に力が入らない。橙に促されるままに服を脱がされていく。

 橙の手の動きはとても滑らかだった。○○はあっという間に下着姿にされてしまう。○○の顔は次第に赤くなっていき、心臓が激しく脈打つ。体中が、燃えるように熱い。

 

「ああっ……これが○○様のお身体……素敵です。綺麗です。惚けてしまいます……」

 

 橙はその身体をまじまじと見ながら、熱い吐息を漏らす。

 ○○は恥ずかしさから身を捩らせた。そんな彼の様子を見て、橙は嬉しそうな表情を浮かべる。

 

「あら、照れているのですね? 興奮しているのですね? 分かりますよ。だって、こんなにも熱く、滾っているのですから……ね? ああ、早く欲しいです……ねぇ、○○様……?」

 

 橙は艶かしく呟き、○○の腰の上で動き始めた。彼女は自らを○○に押し当てるようにして、擦りつけ始める。

 

「や、やめて……」

 

 ○○は慌てて制止しようとした。だが、橙は聞く耳を持たない。彼女は○○の胸に両手を当てて、身体を前後に動かし始める。

 

「んっ……うんっ……どうです、かぁ?」

 

 橙は○○を見下ろしながら、問いかけてきた。○○は歯を食いしばり、何も答えられない。

 ○○は身体に快感を感じつつも、複雑な気持ちを抱いていた。目の前にいるのは、自分の知っている橙ではない。そう思うことで、何とか理性を保っていた。

 

「くっ……あぁっ……いいっ! これぇっ!」

 

 橙は頬を上気させながら、激しく動く。彼女の口からは絶えず嬌声が漏れていた。○○は布団を握り締めながら、その様子を眺めることしか出来ない。

 

「ああっ、もう、わた、しぃっ……ぃ……ぅっ!」.

 

 橙の動きが、より一層激しくなり、そして、終わりを迎えた。彼女は全身を大きく痙攣させたあと、脱力したように倒れ込んできた。○○は慌てて抱き止める。

 橙は肩で大きく呼吸をしていた。しばらくすると、彼女の呼吸が落ち着いてくる。すると、橙は○○の顔を見た。その瞳には欲望の色が見える。

 

「うふふ……予行演習は終わりました。本番は、これからです」

「……本番って、まさか」

 

 ○○は恐ろしくなって、思わず声を上げた。橙は優しく微笑むと、○○の耳元で囁いた。

 

「はい。これから○○様は、私と一つに結ばれるのです。ああっ……この日を待ち侘びていました。私と○○様が、愛を確かめ合うための、愛の行為が始まるんです。くふっ……ふふふふっ……」

 

 橙は○○の胸に手を這わせ、撫で回す。そして、ゆっくりと下へと移動していった。○○は慌てて、その手を掴む。

 橙は少し驚いたような顔を見せたが、すぐに妖艶な笑みに戻った。

 

「……大丈夫です。○○様は何もしなくて良いんですよ。私が御奉仕しますから。私に全てお任せくださいませ。ただただ、気持ちの良いことだけを考えていれば、それで良いんです」

 

「……橙……なんで、そんなに変わってしまったんだ。橙……一体、どうして……」

 

 ○○がそう尋ねると、橙は首を傾げた。

 

「変わってなんかいませんよ。私は○○様を愛しているだけです。あの日出会ったあの時から、ずうっと……」

 

 橙は優しく語りかける。○○はその言葉を聞いて、何も言えなくなってしまった。彼女は続けて、○○に話しかける。

 

「それに……これは、○○様のためでもあるのです。私を受け入れるべきなのです。今の私ならきっと、○○様を幸せにしてあげられます。私と一つになりましょう。私だけのものになってしまえば、怖いものはありません。寿命が私達を別つ事もないのです。永遠に一緒にいられるのです。素敵でしょう? だから、私を、受け入れてくださいませ……」

 

 橙は○○の顔を両手で挟んで、真っ直ぐに見つめてくる。その瞳は狂愛を孕んでおり、○○の心を捉えて離さない。○○の心は、彼女への想いで満たされていった。

 

「橙……僕も、君と、一緒になりたい。きみのことが、好きだ。大すき、なんだ。あいし、て……い、る、ち。ぇ」

 

 ○○は絞り出すようにして言った。橙の顔に満面の笑顔が広がる。

 

「はい……はいっ。○○様の気持ちは、知っています。でも、やはり言葉にされると、嬉しいです。本当に……」

 

 橙は嬉しそうに呟きながら、○○の唇に自らの唇を重ねた。先程とは違い、お互いに舌を絡める濃厚なものになる。

 しばらくして、二人は離れた。お互いの唾液が混ざり合ったものが、糸を引く。橙はそれを拭うことはせず、○○に囁いた。

 

「……では、そろそろ始めましょうか。もう我慢が出来ませんから。早く、早くと、私の中が疼いて仕方がないんです。○○様を早く受け入れたくて……ほら、こんなにも溢れてしまって……」

 

 橙の——が、彼女の太股を伝っていく。彼女は○○の下着に手をかけて、それを下ろした。○○の——が露わになると、橙は息を飲む。彼女はゆっくりと身体を起こし、○○の——を握った。そのまま自分の——にあてがい、擦るように動かす。

 

「……○○樣」

 

 橙は熱に浮かされたような表情を浮かべながら、○○を見下ろしている。彼は何も言わず、黙って橙を見上げていた。

 

「……いただきます」

 

 橙は腰を落としていく。

 ゆっくりと、確実に、橙の中へ、○○が、入っていき、僅かな、抵抗の、先に、やがて、二人は、身も心も完全に一つとなった。

 

 橙は目を閉じながら、ピクピクと身を震わせて、その感覚を味わっているようだ。しばらくすると、彼女は目を開き、○○を見下ろす。そして、妖しく微笑んだ。

 

「……ぁはっ! ああ、○○様……ようやく一つになれましたねぇ。これで、私達は、永遠に一緒ですよ。もう、離れることなんて、ないんです。永遠に! ふふっ、あははっ! この痛みが、私の生涯で、最後の痛覚になるのですね! ならば、痛みすら愛おしいのです! ○○様の、もので、貫かれて、ここに、確かに、ありますからっ! くひひひっ!」

 

 橙は自分の下腹部を丹念にさすり、愉快そうな笑い声を上げる。○○はそんな彼女を見上げることしか出来なかった。だが、彼女の中から伝わってくる温もりは、確かに彼の心を満たしていく。

 橙は両手を○○の手に絡ませて、指をしっかりと握りしめてきた。○○もその手を強く握ることで応える。

 

「くふふふっ……さあ、夜は長いですよ……これからいっぱい、仲を深めていきましょうねぇ……二人で……うふっ、くふふふふふふふふ…………」

 

 

 彼女の、言うとおり、夜は、もう、永遠、に

 

 

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