東方キャラを病ませたい   作:ぬいカス

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アリス前編

 

『雋エ譁ケ縺ョ繧「繝ェ繧ケ繧堤汲繧上@縺ヲ。雋エ譁ケ縺後い繝ェ繧ケ繧堤汲繧上☆縺ョ』

 

 それは何でもない、ある晴れた日のこと。

 人里の大通りから外れた場所に、一人で歩いているアリスの姿があった。

 

 魔法の森に住居を構える彼女は、日頃から自宅に引きこもっており、こうして出歩く事は少ないが、今日は買い物の為に外出していたのだ。

 

 彼女の手には、手提げ袋が握られている。その中身は、先程立ち寄った店で購入した品々だ。主に食料品や日用品などである。

 それらの荷物を抱えながら、アリスは足を早める。今日は新しい人形の制作に取り掛かる手筈だったからだ。

 

 もう一店だけ寄り道をして、さっさと家に帰ってしまおう。そう考えながら、彼女は脇道へと入る。

 この道は、アリスが向かっている店から遠回りになるが、日中でも人影は少ない。アリスは良い意味で目立つ容姿をしているので、なるべく人目を避けるために、普段は通らない道を選んだのだ。

 

 妖怪などの、人間ではない者が人里に居ても、騒ぎになる事はない。しかし、好奇の目に晒されるのは好きではなかった。

 先程耳にした噂によると、最近は人里での面倒な出来事が多いらしい。出来る限り目立たないようにするのが賢明だろう。

 

 とは言え、全く人が来ないという訳ではない。時折、人とすれ違う事もあった。それでもアリスは、極力目を合わせないようにしながら、足早に進む。

 

 そしてまた、前方から歩いてくる者が見えた。痩せ型の若い男だ。特にこれといった特徴のない外見をしており、どこにでもいそうな平凡な顔立ちをしていた。

 

 いつもなら何事もなく、すれ違って終わりであるが、彼はアリスの姿を認めた途端に足を止めて、驚いような表情を浮かべた。

 アリスは怪訝に思いながらも、軽く会釈をして、通り過ぎようとする。

 

「あ、あの!」

「きゃっ!?」

 

 彼はアリスの行手を遮るように身を乗り出して、声を掛けてきた。

 いきなり目の前に現れた男の顔を、間近に見てしまったアリスは、悲鳴に似た驚きの声を上げる。そして反射的に身を後ろに引いてしまった。それから眉間に皺を寄せて、警戒心をあらわにしながら、相手の様子を窺う。

 

「突然すいません! 怪しい者じゃないんです。僕の名前は○○と言います。少しお尋ねしたい事があって」

「……はあ」

 

 相手の勢いに押されてしまい、アリスは何とも言えない返事をする。

 ○○と名乗った若者は、不審さを取り繕うように柔らかな笑顔を見せる。彼は背丈が低く、細身の体躯をしていて、どこか頼りなさげな雰囲気を持っていた。顔つきも優しげであり、とても悪さをする類の人物には見えない。

 

 アリスは観察を終えて、少し肩の力を抜いた。どうやら害はないようなので、とりあえず話だけでも聞いてみる事にした。

 

「あなたの名前は、アリスさん……ですよね?」

「……ええ、そうよ」

「ああ、やっぱり! そうじゃないかと思っていたけど、本当に本人なんだ……良かったぁ」

「はい?」

 

 ○○は心底安心したという様子で、胸を撫で下ろしている。その反応を見て、アリスはますます困惑してしまう。

 相手とは初対面だというのに、何故自分の名前を知っているのだろうか。そう思った彼女は、軽く記憶を探り始める。

 

 しかし、全く覚えがない。そもそも人里には、滅多に外出しないので、人間の知り合い自体が少なかった。

 時折、人前で人形劇を行う事があるが、その観客だったとも思えない。なぜなら、観客は子供が中心で、規模も小さい。それゆえ、知名度は高くないはずなのだ。

 もしかすると、どこかの店先で会ったのかもしれないと、悠長に考えていた矢先である。

 

「前から、君に渡したかった物があるんだ。家に取りに行くから、少し待っててもらえるかな?  すぐに戻るからさ」

「え、ちょっと……」

 

 そう言うなり、○○は踵を返して走り去って行く。アリスは引き留める暇もなく、彼の背中を見送ってしまった。

 その場に取り残された彼女は、狐につままれた気分になっていた。思考の整理が追いつかず、呆然として立ち尽くす。

 

「何なのよ……いったい」

 

 アリスは、ため息混じりに愚痴を吐きながら、通行人の邪魔にならないよう、道端に身を寄せる。見ず知らずの男の言葉に、律儀に従う必要はないのだが、不思議と悪い予感はしなかった。

 それに、先程の彼の慌てぶりを見ると、無下に断る気にもなれない。彼女はそう考えて、しばらく待つ事に決めた。

 

 それから、アリスが少しばかり苛立ちを募らせてきた頃に、○○は息を切らせながら戻ってきた。

 

「ご、ごめん。待たせてしまって……」

「……まあ、別に構わないけど」

 

 余程急いで走って来たのだろう。○○は呼吸を整えながら謝ってきた。

 アリスは文句の一つでも言ってやろうかと考えていたが、その姿をみて溜飲が下がってしまった。なので、早く本題に入りたいにもかかわらず、彼の呼吸が落ち着くまで待ってあげてから、話を切り出した。

 

「それで、私に何か用があるんでしょ?」

「うん、これを渡したくてね」

 

 ○○は手に持っていた風呂敷包みを差し出した。アリスは一瞬だけ躊躇してから、手提げ袋を手首に掛けて、風呂敷包みを受け取り、○○の顔を見る。彼は穏やかな笑みを浮かべていた。

 

「ここで開けても大丈夫かしら?」

「もちろん。むしろ、今すぐにでも確認して欲しいくらいだよ」

 

 アリスは頷き、受け取った包みを開いて、中身を確認する。

 

「えっ、なんで……」

 

 そこにあった物を見て、アリスは人前にもかかわらず狼狽した。

 風呂敷の中には、洋風の人形が一体、包まれていたのだ。それはアリスが作っている人形達と、外見が瓜二つだった。

 

 ただし、服装だけが僅かに違っていた。アリスの作風に合わせて、青を基調とした衣装を身に付けているが、細部のデザインが異なって見える。

 だが、その人形は紛れもなくアリスが作った作品だった。そう確信できるほど、精巧に作られた代物である。

 

 それより、これを○○が持ってきたという事が、最大の疑問点である。アリスは戸惑いを隠しきれないまま、答えを促すように○○を見つめた。彼はその視線を受け、慌てて身振り手振りを交えながら、説明を始めた。

 

「その人形が、森の中に落ちていたのを、偶然拾ったんだよ。それから人づてに聞いて、持ち主がアリスって名前の女の子だと知ってね。容姿の特徴も聞いていたから、直接会って返せないかと思っていたんだ。拾った時にはボロボロになっていたから、頑張って直してみたんだけど、元どおりとはいかなくて。衣装とか、気に障ったらごめんね」

 

 ○○は申し訳なさそうに頭を掻く。

 アリスは驚きで言葉が出なかった。彼は自分が作った人形を拾っただけでなく、わざわざ修繕までしてくれたようだ。

 人形をよく見れば、傷や汚れが多少なりともある。それでも、丁寧に補修されているのが見てとれた。素人目には分からない程度だが、玄人が観察すれば分かる程度の違いであった。

 

 人形の元々の衣装は、大部分が魔法で作った布が使われている為に、人里で売られている布を合わせても、不恰好になるのは仕方がない。

 しかし、人形師と言われるアリスから見ても、多少の違和感を覚える程度の差なので、○○の仕立てた衣装は、完成度が高いように思えた。

 

「そうだったのね。わざわざ届けてくれてありがとう。それに、こんなにも綺麗にしてくれて」

 

 アリスは礼を言いながら微笑む。○○は照れ臭そうに頬をかいて、小さく首を振った。

 

「いや、なんて事ないよ。彼女には、僕の命を救ってもらったからね。感謝したいのはこっちの方さ」

「……え? それは、どういうことかしら?」

 

「僕は外来人と呼ばれる身でね。気付いたら、どこかも知れない森の中に居たんだよ。その時は右も左も分からずに、困り果てて、途方に暮れて。そんな時に、その人形を拾ったんだよ。手に取った途端、突然動き出したのには驚いたけど、僕を助けるように先導してくれるものだから、必死について行ったんだ」

 

 ○○は懐かしそうに語る。アリスは相槌を打ちながら、その話を興味深く聞いた。

 

「お陰で無事に、人里まで辿り着けたんだよ。人形は、それきり動かなくなってしまったけど、いつか持ち主に返せればいいなぁって思っていたんだ」

 

 アリスは○○の話を聞いて納得した。自分の人形を、彼が修繕したのも疑問だったが、どうやらそういう事情があったらしい。

 

 アリスは魔法を使って、人形を動かす事が出来る。命令を与えれば、それに従って行動するが、魔力が切れると、ただの人形に戻ってしまう。

 

 恐らく○○が拾った人形は、アリスがここ最近の内に、弾幕勝負をした際に使用された内の一体で、負傷して地に落ちた所を、回収されずにいたのだろう。

 アリスと逸れたら、魔法の森の住居へと戻るようになっているのだが、この人形は魔力不足でそうもいかなかったようだ。

 

 しかし、○○が人形に触れた時に、動き出したという点が腑に落ちない。

 魔力を与えられたと考えるのが妥当だが、見るからに普通の人間である彼が、そこまでの魔力を有しているのは思えない。

 また、魔力切れを起こした段階で命令は破棄されて、アリスが再び命令しない限りは、一切行動しないはずだ。

 

 アリスは内心、○○への興味が湧いていた。彼は普通の人間では、ありえないような事をしている。それも無意識のうちに行っているようだ。アリスは、それが何なのかを知りたいと思った。

 

「そうだったの。私の人形が、図らずも役に立ったようで良かったわ」

「うん、本当に助かったよ。あのまま一人で彷徨っていたら、孤独と不安に襲われながら、飢え死にするしかなかっただろうね」

 

 アリスの言葉を受けて、○○はホッとした顔で答える。彼女はその様子を観察して、ますます興味を抱いた。

 

「それより、貴方は手先が器用みたいね。人形の修繕も上手だし、衣装も出来がいいと思うわ。どこで学んだの?」

「えっと……まあ、独学だよ。趣味の延長みたいな感じかな?」

 

 ○○が苦笑しながら答えた内容に、アリスは目を丸くした。彼は謙遜しているが、独学でここまで仕上げるとは相当な腕前である。

 完璧ではないにしろ、心を込めて作った事が伝わる仕上がりだ。それは、この道が長いアリスだからこそ分かった事だった。

 

「まだ若いのに凄いわね。尊敬に値するわ」

「いや、褒められる程の物じゃないよ。僕はただ夢中になって、気が付けば出来るようになっていただけだからね」

 

 アリスは素直に感嘆して褒め称える。○○は照れ臭そうに頭に手をやって、頬を緩ませた。

 あまり他人と関わらない性格をしているアリスにしては珍しく、積極的に話しかけている自覚がある。

 

 彼女は他人より魔法に執着していて、人付き合いが苦手という訳ではないが、必要以上に交流を持つ事は避けていた。

 しかし、目の前の彼に対しては、詮索したいという欲求を抑えられないのだ。

 

 この感情は○○の持つ雰囲気によるものだろうか。そう考えたアリスだが、それだけが原因とは思えない。○○はアリスがこれまで出会った人物とは、どこか違っているように思えた。

 

「……ね、ねえ? もも、もしよかったら、私が住んでいる家に、来ないかしら? 紅茶でも飲んでいかない? えっと、その、お礼をしたいのよ……人形、の」

 

 気が付くと、アリスは○○を誘いにかけていた。他人を自宅に招くのは久しぶりで、ましてや男性を招くのは初めてだった。今までにない事なので、緊張で声が上擦ってしまった。

 ○○は一瞬だけ驚いた顔をして、すぐに申し訳なさそうに首を振った。

 

「せっかくだけど遠慮しておくよ。人形の事は、お互い様だからね。時間を取らせちゃったし、これ以上は悪いから」

 

「あっ、えっ? そ、そう……」

 

 アリスは拒否されるとは思ってもいなかったからか、戸惑いを隠せずに目を泳がせる。対人の経験が不足している彼女にとって、異性との駆け引きは難しい行為であった。

 

 しかし、ここで諦めるわけにはいかない。どうにか引き留めようと思考を回転させて、ある事に思い至り、ハッとする。

 

「あ、貴方、外来人なのよね? 実は私、前から外の世界に興味があって、その、少し話を聞かせてほしいかな……なんて」

 

 アリスは○○の反応を窺うように、恐る恐ると尋ねる。○○は不思議そうな表情をして、小さく首を傾けた。

 彼が何も言わないので、アリスは自分の発言が不自然だったのかと思い、不安げに視線を彷徨わせる。

 すると、○○の方も困ったような顔で考え込み始めた。数秒ほど沈黙が流れ、やがて彼は何か閃いた様子で口を開く。

 

「僕が話せる事なんて、たかが知れてるから、僕より詳しそうな人を紹介するよ。その人も外来人なんだ。きっと、色々教えてくれると思うよ」

 

「あ、ちがっ、そうじゃなくって! その……わた、私は、貴方の話が、聞きたいの! そう、貴方の事が知りたいのよ!?」

 

 アリスは慌てて否定し、○○の勘違いを指摘する。しかし、焦って早口になってしまったせいで、上手く言葉が紡ぎ出せなかった。

 

「あっ」

 

 彼女は自分の言動を恥じるように俯き、羞恥心によって耳まで真っ赤に染まっていく。

 どうにもならない状況に、彼女は耐え切れず逃げ出したくなった。しかし、今更去る事も出来ず、ただ黙る事しか出来ない。

 

「まあ、そこまで言うならいいよ。あまり長居は出来ないけど」

「……そ、そうっ!」

 

 そんな彼女の心情を知ってか知らずか、○○はあっさりと承諾する。彼は特に気にしていないようで、いつも通りの調子で笑みを浮かべていた。

 アリスは安堵して胸を撫で下ろす。彼女の心境は羞恥で一杯だったが、同時に嬉しくもあった。

 

「じゃあ、早速行くわよ! 飛んで行くから、私に捕まってねっ」

「え? う、うん」

 

 アリスは気分が高揚している事を悟られないように、人形を強く抱きしめて、○○に告げた。彼は不思議そうな顔をしながらも、言われた通りにアリスの腕を掴む。

 

「……そうじゃなくて、背中にしがみ付いてほしいの。私は両手が塞がっているし、それだと落ちてしまうわ」

「そうなんだね。分かったよ」

 

 ○○は素直に従って、アリスに抱き着くような形でしがみ付いた。彼の体温を感じて、アリスは鼓動が速くなるのを感じる。自分で言った事なのに、彼女は動揺を隠し切れなかった。

 

 アリスは○○に気付かれないように、深呼吸して気持ちを落ち着かせてから、魔法を発動させる。すると、二人の体が宙に浮いて、地面から足が離れた。

 術者と、それに触れているものを浮かせる魔法である。対象が人間の場合は体重が重いので、重心を安定させる為に、術者にしがみ付いてもらう必要があった。

 

「うわっ!?」

 

 空を飛ぶという未知の体験をした事で、○○が驚きの声を上げる。アリスは彼を驚かせてしまった事に、少々の罪悪感を抱きながらも、楽しげな笑みを見せた。

 

「少しだけ我慢してね。すぐに着くから」

 

 そう言って、アリスは目的地に向けて飛行を開始する。最初は戸惑っていた○○だが、次第に慣れてきたらしく、周辺を見回して景色を楽しむ余裕が出てきたようだ。

 

 あまり人里の中で目立つ行動は取りたくないので、普段は魔法を使わないアリスだが、今回ばかりは完全に失念していた。

 幸いにも周囲に目撃者は居なかったようだ。それでも普段の彼女であれば、このような無茶はしなかっただろう。

 

 しばらくの間、二人は無言のまま飛び続けた。○○は初めての空の旅に感動しており、アリスは彼の温もりを肌で感じて緊張してしまっている。どちらも喋る雰囲気ではないので、お互いに黙り込んでいた。

 やがて、目的地である魔法の森が眼下に迫った。

 

 ○○は地上に降り立った時の衝撃に備えて、体を強張らせていた。アリスは、そんな彼の様子を気にかけて、可能な限りゆっくりと着地した。

 

「着いたわよ」

 

 アリスの言葉を聞いた○○は、彼女から離れて恐る恐ると目を開ける。そこは、薄暗い森の中だった。

 二人の眼前には、陰鬱な森の雰囲気にそぐわない洋風の一軒家がある。周囲は鬱蒼とした木々に囲まれ、陽光が遮られていて薄暗い。じめじめと湿っぽい空気と、鼻につく独特の匂いが、辺り一帯に立ち込めていた。

 

「早く家に入りましょう。ここの空気は、人間に悪影響だから」

「う、うん」

 

 アリスは人形と手提げ袋を両手に持ちながら、○○に声をかける。彼は戸惑いつつも返事をして、アリスの後をついていった。

 アリスは玄関の扉を開けて、一足先に中に入る。そして履物を脱いでスリッパに履き替えると、振り返って彼に手招きをした。

 

「お邪魔します」

 

 ○○も靴を脱ぎ、アリスに倣ってスリッパに履き替えた。それから居間まで移動して、二人共ソファーに腰かける。

 

「何というか、おしゃれで綺麗な部屋だね。アリスさんみたいな人に映える感じがするよ」

 

 ○○は室内を見回しながら呟いた。

 家の内装は、全体的に落ち着いた色合いで統一されており、壁に掛かった時計や絵画などの調度品からも、品の良さが窺える。

 窓際に置かれた観葉植物が彩を添えており、清潔感のある印象を受ける空間だった。

 

「そんなにじろじろ見ないでよ。ちょっと恥ずかしいわ」

 

 アリスは照れ臭そうに微笑んで、頬を赤らめる。こうも率直に褒められると、嬉しい反面、どう反応すれば良いのか分からなくなってしまうのだ。彼以外に招いてきた客人達は、お世辞でもそのような事は言わなかったから。

 それから、アリスは気を取り直すように小さく咳払いをして、○○に話しかける

 

「取り敢えず、紅茶でも飲みながら話をしましょうか?」

「そうだね。お願いしようかな」

 

 ○○は彼女の提案に同意して、笑顔で答えた。その様子からは緊張感など微塵も感じられず、慣れている様子でソファーに座っている。

 そんな○○を見て、アリスは自分の方が意識している事が恥ずかしく思えてきて、苦笑いを浮かべた。

 

 アリスは○○から視線を逸らすと、持っていた人形に魔力を流し込む。すると、おもむろに人形が動き出して、台所へと向かっていった。

 

「……さっき空を飛んだように、アリスさんは本当に魔法使いなんだね。凄いなぁ」

 

 一連の動作を眺めていた○○が、感嘆の声を上げて、目を輝かせる。彼にとっては魔法が珍しいようで、羨望の眼差しを送っていた。

 

「そんな大した事じゃないわ。私なんて、まだまだ未熟者よ」

 

 アリスは謙遜するように言って、少し困ったような笑みを見せる。彼女は○○に尊敬されている事を嬉しく思いながらも、自分の実力を客観的に評価して、自嘲気味に笑っていた。

 

 アリスは元々人間だったが、修行を重ねて魔法使いになった経緯を持っている。

 歴は浅く、食事や睡眠などの、魔法使いならば本来取らなくていいものを、未だに癖で取っていた。まだまだ人間に近い感覚を持っており、魔法使いとしては新米も同然なのだ。

 

「魔法とか妖怪とかも、全部本の中の出来事だとばかり思っていたよ」

 

 ○○は感慨深げに言う。彼にとって、この世界は非現実的なものだった。それは彼の常識から逸脱しているものであり、受け入れ難いものである。しかし、実際に体験してしまえば、受け入れる他ないようだった。

 

「ここは、まるで不思議の国みたいだね。丁度、アリスもいるし、人の言葉を喋る動物もいるらしいから」

「不思議の国のアリスね。まあ、確かに言い得て妙だわ」

 

 アリスは小さく笑って、○○の言葉に同意した。確かに幻想郷は不可思議で満ち溢れており、現実味がない。魔法という幻想があるのだから、当然とも言えるだろう。

 

「でも、私は童話のアリスではないわ。私はアリス・マーガトロイド。それが私の名前。不思議の国の住人には、なれないのよ」

 

 アリスは穏やかな口調で言う。それから、台所から戻ってきた人形が、テーブルにティーセットを置いて、紅茶を注ぐ様子を見届けてから、○○の方へ顔を向けた。人形は台所へと引き返して行く。

 

「僕はアリスさんこそ、本物のアリスだと思うけどね。金髪で、青い瞳で、青の洋服を着ていて。それに、お人形みたいに可愛いし」

 

「か、可愛いって……やだ、そんな……」

 

 ○○の率直すぎる言葉を受けて、アリスは顔を真っ赤にして俯いてしまう。彼と話していると、どうしても普段の自分とは違う態度になってしまうのだった。

 人形の操り方さえ忘れてしまいそうなほど、感情が揺り動かされる。しかし、決して嫌ではなかった。むしろ、心地良さすら覚える。

 

 アリスは動揺を隠すように、手元に置かれたティーカップを手に取って、紅茶を口に含んだ。そして、○○に気付かれぬよう平静を装って、静かに息を吐く。

 

「ほら。貴方も冷めないうちに飲んだ方が良いわ」

「うん、そうだね」

 

 その言葉につられて、○○は目の前に置かれたティーカップを眺めた。それは白地に花の模様が施されていて、いかにも女性が好みそうな物だった。中身は薄い赤色をしているため、恐らくは紅茶だろう。

 

「いただきます」

 

 手にとって口元に近づけると、深みのある上品な花の香りが鼻腔をくすぐる。

 そのままティーカップを傾けて一口含めば、さっぱりとした風味が口内に広がった。飲みやすい温度で作られており、とても美味しく感じられた。

 

「おいしい……」

 

 彼の口から、無意識に感想がこぼれた。まだ年若い○○に紅茶の味の違いが分かるはずもないが、この紅茶は彼の口に合っていたようだ。

 その様子を見て、アリスは自分も紅茶を一口飲んでから、○○に話しかける。

 

「それは良かったわ。クッキーもあるから召し上がれ」

「うん、ありがとう」

 

 台所から戻ってきた人形が、テーブル上のティーポットの側に、クッキーが盛られた皿を置いた。それから人形は○○に一礼した後、お役御免とばかりに部屋から退室していった。

 ○○は、その人形の動きを目で追っていたが、すぐにアリスへと視線を戻す。

 

「このクッキーは手作り?」

 

 ○○が質問すると、アリスは少し驚いた表情を浮かべた後、どこか嬉しそうに答える。

 

「ええ、そうよ。よく分かったわね」

 

 アリスは褒めるように言った。彼女が作ったクッキーは、店売りの物と比べても遜色ない出来栄えであり、素人目に見ても完成度が高い事が窺える。

 

「作り置きのもので悪いけど、味は保証するわ」

 

 アリスは謙遜するように言った。彼女は人里から離れた森の奥に住んでいるため、普段から自分で料理を作って食べているのだ。

 

「アリスさんが作った物なら、何でも美味しいと思うよ」

 

 ○○は笑顔で言って、手に取ったクッキーを齧った。サクッと良い音がして、香ばしい匂いが広がる。咀しゃくしてみれば、程よい甘さが感じられ、素朴ながらも優しい味わいをしていた。彼は満足げに飲み込んでから、再び笑みを見せる。

 

「やっぱり美味しい。アリスさんは、お菓子作りの才能があるよ。これなら毎日食べたいくらいだ」

「えっ……」

 

 彼の言葉を受けたアリスの胸中に、仄かな熱が生まれた。体が熱くなるのを感じながら、アリスは○○から目を逸らす。

 彼に喜んでもらえると、こちらも明るい気持ちになる。自分が作った物を、誰かに振る舞う機会など滅多にないため、余計に喜んでいる様子が印象的だった。

 

 アリスは○○に気づかれないよう小さく息を吐いて、心を落ち着かせる。それから咳払いをして、会話を続けた。

 

「ほ、褒めても、何も出ないわよ……」

 

 アリスはうわずった声で返事をする。その様子は明らかに普段とは違っており、傍から見ても不自然だった。

 しかし、○○は特に気にした素振りを見せず、朗らかに笑う。

 

「本当の事だよ。アリスさん自身が、こう、何というか、少女的だからね。甘いお菓子とか、可愛い人形とか、そういうものが似合うような印象で。料理って作った人の人柄が出るものだから、さっきも言ったけど、きっとアリスさんの作るものは、どれも美味しいんだろうなって思うんだ」

 

 ○○の言葉を聞いて、アリスは顔を真っ赤にする。恥ずかしさと嬉しさが同時に押し寄せてきて、どんな反応をすればいいのか分からなくなった。ただ、それでも、どうにか言葉を紡ぎ出す。

 

「そ、そうかしら……」

 

 アリスの声は震えていた。しかし、それは決して恐怖や不安といった負の感情からくるものではなかった。

 彼女の心に渦巻いている感情が何なのか、本人にも理解できていない。ただ、一つだけ言える事があるとすれば、それは○○に対する純粋な好意だった。

 

 アリスは○○の顔を見る事ができず、俯きがちになってしまう。自分の心の中で何かが変わりつつある事を自覚しながらも、それをどう表現したら良いか分からないのだ。

 ○○はそんな彼女の様子を見て、不思議そうにしながらも話を続ける。

 

「さてと……。アリスさんは、外の世界の話が聞きたいんだったよね? 僕にできる範囲の事だったら、何でも話すよ」

 

 ○○は優しく微笑んで言う。その言葉にアリスは、はっとして顔を上げて彼を見た。

 そう言われて、彼女はようやく、自分がどうやって○○を誘い出したのかを思い出したのである。彼の言動に動揺していたせいで、すっかり忘れてしまっていたようだ。

 

「あっ、あ……あぅ、あの、えとっ、えっと、そうね……」

 

 アリスは慌てて思考を整理し、何とか話題を探す。そして、頭に浮かんできたものを、適当に口走った。

 

「あ、貴方の事を教えてほしいわ」

 

 アリスは○○の事を深く知らない事に思い至り、咄嵯に思いついた言葉を投げかける。それは脈絡のない答えだったため、アリスはすぐに後悔した。自分でも何を言っているんだと思ったが、今更撤回はできない。

 

 ○○はアリスの様子を不審に思ったものの、特に追求するような事はしなかった。彼は穏やかな表情のまま、アリスに向き直る。

 

「うん。まず話し手の事を知ろうっていう姿勢は良いと思うよ。じゃあ、そうだね。なんの話をしようかなぁ……」

 

 ○○はテーブルに頬杖をついて、少しの間考え込む。しばらくして、ゆっくりと語り始めた。

 

「僕には、歳の離れた妹が一人いるんだ。妹は生まれつき体が弱くて、よく体調を崩してしまう子だった。だから、外で遊ぶ事よりも、家で本を読んだり、お人形遊びをするのが好きな子でさ。僕も出来る限り、妹に付き合ってあげていたんだけどね」

 

 ○○の口から語られる思い出話は、まるで子供に絵本を読んで聞かせるような口調だった。

 アリスは黙って耳を傾けていたが、次第に引き込まれていく。彼の声色はとても優しいもので、聞いていて心が安らぐのだ。

 

「妹はメルヘンチックな女の子でね、空想の世界に憧れているようなところがあったんだ。特に、本で言うとグリム童話とか、それこそ不思議の国のアリスが好きみたいで。妹がまだまだ小さかった頃から、何度も読み聞かせてあげたんだよ」

 

 ○○は懐かしむように言って、遠い目をする。彼にとって、その記憶は大切な宝物なのだろう。アリスは、そんな彼の様子に胸を打たれながら、彼の言葉に相槌を打つ。

 

「妹が幻想郷のことを知ったら、きっと羨ましがるだろうなあ。空を飛ぶ人や、魔法で動く人形がいるなんて、向こうじゃ考えられないからね。それに、妖怪や妖精もいるし、不思議な事で溢れている。妹にも見せてあげたいよ……」

 

 ○○はしみじみと言う。その様子からは、本当に妹を大切に思っている事が伝わってきた。

 アリスは彼の話を聞きながら、そんなにも大切に想われている妹の事を、少しだけ妬ましく思う。彼の心を独占しているのは、自分ではなく、別の女だという事を、仄かに意識してしまったのだ。

 アリスは胸にモヤモヤしたものを感じながらも、○○に話しかけた。

 

「……さぞかし、可愛らしい子なんでしょうね。私も、一度会ってみたくなったわ」

 

 アリスは努めて冷静な声色で言い、クッキーを口に運ぶ。サクッという音と共に、口内に甘さが広がっていった。甘味は心を落ち着かせてくれる。

 アリスはそれを実感しながら、紅茶を一口飲んで喉を潤した。

 

「そうなんだよ。僕が言うのも何だけど、とても可愛くて甘えん坊なんだ。将来は、アリスさんみたいな可憐な女の子になるんじゃないかな?」

 

「……そう」

 

 ○○の言葉を聞いて、アリスの心の中に、暗い感情が生まれた。○○が他の誰かを褒めると、何故か落ち着かない気持ちになる。ティーカップを持つ手が、僅かに震えている。

 先程まで感じていた幸福感が嘘のように消え去り、代わりに黒い影が根を生やして、心を蝕んでいくような感覚を覚えた。

 一方○○は、変わらず楽しげに喋り続けている。

 

「誰よりも僕に懐いてくれていてさ。大きくなったら、お兄ちゃんのお嫁さんになりたいって言っていたくらいなんだ。時々くっつかれ過ぎて、困っちゃう時もあるけどね」

 

 ○○の口から、次々と妹との思い出が溢れ出す。

 アリスは、その言葉を耳にしながら、胸の奥底に溜まっていく何かを感じていた。彼の、妹に対する愛情が、言葉を通して自分に流れ込んでくる。それが、どうしようもなく不快だったのだ。

 

 しかし、どうする事もできない。○○に悪意はないのだ。アリスと○○は今日初めて会ったばかりの関係で、一方的な激情をぶつけるのは筋違いであると、アリスの理性が訴えていた。

 

「それで、この前なんか僕の布団に——」

 

 アリスは自分の心の醜さに嫌気が差しながらも、○○の話を聞くしかなかった。○○の語る妹との思い出話が、段々と苦痛になっていく。

 

 血の繋がりがある兄妹というのは、こんなにもお互いを想い合う事ができるのだろうか。自分が○○に抱いている感情とは真逆のものを見せられて、アリスは自分が惨めに思えてくる。

 

 アリスは次第に、自分が何のために○○を家に招いたのか、分からなくなっていった。

 最初は、彼の事を教えてもらうために話をしていたはずだ。しかし、今では○○の口から語られるのは、妹の話ばかり。これ以上聞いていたくないという思いの方が強くなっている。○○は悪くないと分かっているはずなのに、彼に悪態をつきたい気分だった。

 

 ○○はアリスの様子を気にせず、楽しそうに語っている。それはまるで、自分の愛する妹が、どれほど素晴らしい存在なのかを自慢しているようであった。

 

「……ごめんなさい。ちょっと、お花を摘みに行かせて」

「えっ? ああ、うん。分かったよ」

 

 アリスは耐えきれなくなり、席を立つ。○○は不思議そうな顔をしたが、特に追求せずに了承した。

 

 アリスは居間を出て、トイレに向かう。用を足すふりをして、洗面台の前で立ち止まった。鏡に映る自分の顔を見て、思わずため息をつく。

 

「……うん」

 

 アリスの顔には、はっきりと分かるほど嫌悪感が浮かんでいた。

 ○○の語る妹への愛情は、アリスにとっては毒にしかならない。だが、彼はただ純粋に、家族として妹を愛しているだけだ。それは理解していても、アリスの頭の中では、様々な思考が巡ってしまう。

 そのうちに、一つの寝具の中で抱き合って、睦言を交わす男女の姿が脳裏に浮かび、吐き気を覚えた。

 

「うぷっ……!」

 

 胃液と一緒にせり上がってきた激情を飲み込み、口元を押さえながらアリスは思う。先程まで、アリスの心の中を占めていたものは、このような醜いものではなかったはず。

 

 それが今はどうだ。まるで火山が噴火するように、心の奥底から熱いものが溢れ出してくる。その熱さの正体が何であるのか分からないが、とにかく不快で不愉快で仕方がないものだった。限りある理性が、削り取られていくような感覚さえ覚えてしまう。

 

 アリスは何度も深呼吸をし、気持ちを落ち着かせようと試みる。やがて、マグマのような感情は冷めていき、幾分か冷静な思考を取り戻すことができた。だが、冷え固まった溶岩を残して重くなった心は、依然として晴れなかった。

 アリスは顔を上げ、再び鏡の中の自分を見つめる。青い瞳の中に、暗く冷たい炎が揺らめいていた。

 

「私が……○○の……妹だったら……」

 

 ふと、アリスの頭の中に、そんな考えが浮かんだ。彼の愛情を一身に受けられるのは、自分であれば良かったのに、と。

 

「……違う。私はアリス。アリス・マーガトロイドだわ。他の誰でもない。私はアリス……私はアリス……」

 

 アリスは首を振って、邪念を振り払う。自分は○○の妹ではない。ただ一人のアリスだ。そんな事を考えていても仕方がない。

 

 アリスは自分に言い聞かせるように呟いて、居間に向かって歩き出した。

 

 

 

 アリスが戻ってくると、○○はクッキーを食べながらくつろいでいた。

 

「少し待たせちゃったわね」

 

 アリスは元居た場所に座り、紅茶を口に含む。まだ少しだけ温かかった。

 

「いやいや。それより、このクッキーは舌を飽きさせない味だね。つい食べ過ぎちゃったよ」

 

 ○○の言葉を聞き、アリスはテーブルに置かれたクッキーの皿に視線を向けると、一見して数が減っているのが見て取れた。アリスは微笑を浮かべて答える。

 

「ふふっ。気に入ってくれたみたいで嬉しいわ」

 

 アリスは内心で安堵する。今ならまだ、普段通りに振る舞えるだろう。気持ちの切り替えが上手くいったみたいだ。

 

「僕だけ話すのも何だから、今度はアリスさんの事を教えてよ」

「え、ええ……構わないけれど」

 

 アリスは戸惑いながら答えた。まさか、○○の方から、そんな事を言われるとは思わなかったのだ。しかし願ってもない提案なので、断る理由はない。もう妹に関する話は、金輪際聞きたくなかったからだ。

 

「まず……そうね、私は今は魔法使いだけど、元々は人間なのよ」

 

「へえ、生まれつきじゃないんだ。魔法使いって誰でもなれるものじゃないと思うんだけど、やっぱり才能とか関係するのかな?」

 

 アリスの言葉を聞いて、○○は興味深そうな表情を浮かべて質問をする。アリスは少し考えてから、ゆっくりと語り始めた。

 

「それもあるし、普通の人間でも修行すれば大抵はなれるわ。でも、途方もなさすぎる労力と時間を要するの。人生の大部分を、魔法の習得に費やさないといけないのよ。気づいたら年老いて死んでいました、なんて事もあり得るくらいにね」

 

 アリスは遠い目をして言った。○○は彼女の話に興味があるようで、真剣に聞いている。

 

「じゃあ、アリスさんは凄い才能を持っているんだね。年は僕と同じくらいに見えるけど、見た目通りの年齢ではないのかい? 若返りの魔法とか使えるのかな」

 

 ○○は純粋な疑問をぶつける。アリスは自分の外見について触れられたので、一瞬ドキリとした。しかし、動揺を悟られないように平静を装って答える。

 

「……それ聞いちゃうの? そうね、私の年齢は……秘密にしておきましょう。ただ、魔法使いになった瞬間に、老化が止まるって事だけは教えておくわ」

 

「そ、そうだね。不躾な事を聞いてしまったね。ごめんなさい」

 

 アリスの返事を聞いて、○○は慌てて謝った。アリスは彼の様子にクスリと笑う。真面目に謝罪してくれるあたりが、彼の人柄の良さなのだろう。

 

「魔法もそうだけど、私は人形を作るのが好きで、日頃から作っているわ。貴方が拾ってくれた人形も、その内の一体なの」

 

 アリスは話題を変えるために、自分の趣味を話始める。○○はアリスの話を聞くと、驚いたような顔を見せた。

 

「あれって手作りだったの? それは気付かなかったよ。あんな精巧なものを作れるなんて、アリスさんはとても器用なんだね」

 

 ○○は関心した様子で言う。アリスは彼の言葉に満足すると、胸を張って誇らしく語った。

 

「ま、まあ、人形作りに関しては、自信はあるわ。他の誰にも負けないと自負しているの」

 

 アリスは自分が褒められた事で、得意げな態度になる。心の中に光が差し込んだ気分だった。先ほどまで感じていた不安が消え去り、いつもの調子を取り戻す。

 

「……そうだわ。ねえ、私が今までに作った人形を、見てみたくはないかしら? きっと気に入ると思うの」

 

 アリスは妙案を思いついたかのように言うと、○○の反応を待つ。彼は少し考えた後、答えた。

 

「うん。是非見せて欲しいな」

「そう! なら早速、私の作業部屋に行きましょう!」

 

 ○○の言葉を聞き、アリスは嬉しそうな声を出す。そして勢いよく立ち上がり、彼を先導するように歩き出した。自分の作品に興味を持ってもらえる事が、彼女にとってはとても喜ばしかったのだ。

 

 二人は居間を後にして、作業部屋に向かった。アリスは上機嫌で廊下を歩くと、部屋の扉を開けて中に入る。○○はアリスの後に続いて行くと、目の前に広がる光景に目を奪われた。

 

 そこは人形の世界であった。

 壁棚には所狭しと並べられた無数の人形達。床や、作業台であろう机の上に置かれた物もあり、まるで小さな街のように賑わっていた。

 

 どの人形達も、人間の頭程度の大きさで、金色の長髪に赤いリボンを付けている。

 服装は青を基調としたメイド服や、赤を基調としてフリルをあしらったドレスなど様々だ。

 ○○は圧倒されながらも、興味深そうに見回していた。すると、人形の一体に目を止めた。

 

「アリスだ」

「え?」

 

 ○○の言葉を聞き、アリスは振り向く。彼の視線の先には、見慣れた人形があった。

 

「……何を言ってるの? それは、私が作った人形よ。アリスは、私」

 

 アリスは呆れたように言った。すると、○○は我に返ったのか、慌ててアリスへと顔を向ける。

 

「あれ、僕なんか言ったっけ? ごめん、無意識に口に出しちゃったみたいだ」

「もうっ、しっかりしてよね」

 

 ○○は恥ずかしそうに頬を掻いて謝罪した。アリスはその様子を見て微笑むと、壁棚の方へと歩いていく。

 彼女は○○が見ていた人形の前で立ち止まると、その顔をじっと見つめた。青色に染められた瞳は、無機質に光を放っている。

 

 アリスはしばらく人形を見つめると、ゆっくりと手を伸ばした。彼女の指先が人形に触れる。人形はピクリとも動かない。当然、魔法を使わないと動く事はないのだ。

 アリスは人形を手に取って、○○の方に向き直る。

 

「少し試したい事があるの。手伝ってくれる?」

「僕でよければいいよ。何かな?」

「ありがとう。じゃあ、この人形を持ってくれないかしら」

 

 ○○は快く引き受けてくれた。アリスは○○に礼を言うと、手に取った人形を彼に手渡す。

 ○○はそれを受け取ると、不思議そうな表情を浮かべながら、人形を眺めた。

 

「何か、感じない? 抽象的な事でもいいから」

 

 アリスは質問した。○○は人形を色々な角度から見回すが、特に何も感じなかったようだ。彼は首を傾げると、口を開いて答える。

 

「……いや、何もないよ。これがどうかしたのかい?」

「……そう」

 

 アリスはその言葉を聞いて、少し肩を落とした。ある意味、予想が外れたという事である。しかし、落胆する訳にもいかないので、気を取り直すと説明を始めた。

 

「貴方が魔力の切れた人形を操ったと言ったから、また同じ事が出来るかと思ったの」

 

 アリスは人形に目を向けて、寂しげな口調で言う。○○はアリスの様子を見て、申し訳なさそうに眉を下げた。

 

「それは……もう無理かな。僕も里に辿り着いた後に何度か試してみたけど、結局は出来なかったんだ。あの時だけだよ」

「……じゃあ、貴方の意思で動かした訳ではないのね」

 

 アリスは残念そうな声で呟いた。○○もアリスと同じように、人形を悲しそうな目で見る。

 アリスは彼の様子を窺うと、再び口を開いた。

 

「そこまで気に病まないで。貴方は悪くないんだから」

 

 アリスは慰めるように言うが、○○は落ち込んだままだ。アリスは彼の様子を見て、困ったような顔になる。どうにか元気付けたいが、良い言葉が思い浮かばない。

 その時、○○の持っていた人形が、突然身動ぎした。

 

「うわっ!」

 

 彼は驚いて、人形から手を離した。しかし、人形は床に落ちる事なく、宙をふよふよと漂っている。

 それから、人形は○○の顔に寄っていき、頭を撫でるような動作をした。まるで、彼を慰めているようである。

 アリスは驚きで目を大きく開いた後、感嘆の声を上げた。

 

「……凄いわ。人の感情を、人形が読み取っているみたい。これは、人形に意思が宿ったと考えていいのかしら」

 

 アリスは独り言のように呟くと、顎に手を当てて考え込む。○○はアリスの反応に戸惑いながらも、人形について尋ねた。

 

「え、これって、アリスさんが動かしてるんじゃないの?」

「私は、今は何もしていないわ。ただ、人形が自立して動いているように見えるわね」

 

 アリスの言葉を聞き、○○はもう一度人形を見た。人形は可愛らしく首を傾げて、彼を見つめている。まるで人間のような仕草だ。

 ○○は恐る恐る人形に触れた。すると、人形はこそばゆいのか、その体をピクリと震わせた。

 

「ははっ、可愛いなぁ」

 

 ○○は嬉しそうに人形を掴んで、胸に抱き抱えた。人形は抵抗する事もなく、なすがままになっている。その姿は、さながら兄妹のようであった。アリスはその様子を見て、微笑ましそうな表情になった。

 ○○は、しばらく人形と戯れていたが、満足したようで、人形を元の場所に戻す。人形は彼の手から離れると、動きを完全に止めて、無感情にその場に佇んでいた。

 

「……完全自立とは、いかなかったみたいね。でも、確かに自我を持っていたのは、間違いないみたい」

 

 アリスは人形に近付くと、その頬を指先で優しく突く。人形は何も反応せず、ただ佇むのみ。アリスは人形を見つめたまま、静かに語る。

 

「私ね、今までに沢山の人形を作ってきたの。純粋に人形が好きだからってのもある。でも、最終的な目標は、完全な自立人形を作る事。私の意思とは関係なく、自由に、気ままに動く人形。今、その一歩手前まで来ていたと思うんだけど……」

 

 アリスはそこで言葉を区切ると、○○の方へ振り返る。そして真剣な眼差しを向けた。

 

「そうなんだ。でも、アリスさんは人形を自在に動かす事が出来るじゃないか」

 

「私のは魔法で操っているだけで、それに命令をしないと動かないのよ。だから、自立とは言えないわ。貴方がやったように、人形自身の意思で動かす事は出来ないもの。私には……出来そうにないわ」

 

 アリスはそう言って肩を落とした。彼女は長年、自立人形について研究してきたが、結局は魔法の力に頼るしかなかったのだ。それが、いとも容易く破られてしまった事に衝撃を受けた。

 ○○はそんな彼女の様子に気付き、慌てて慰めようとする。

 

「いやいや、僕自身よく分かってないんだよ。人形には何もしてないし、勝手に動き出したと言うか……」

「それでもよ」

 

 アリスはきっぱりと言い放つと、俯いて口を閉ざした。自分でも拗ねて意地になっている事を理解しているが、素直に認めるのは中々に難しい。

 

「でもさ、今のままでも充分凄いと思うよ。こんなに可愛らしい人形を自作出来るんだから、もう少し誇ってもいいんじゃないかな。アリスさんが人形を大事に思ってるのは、十分伝わってくるし。物を大切にしていると、それに心が宿ると聞いた事があるんだ。きっと、この人形だから、出来た事だと思う。僕は、そう思う」

 

「そ、そうなのかしら……」

「うん」

 

 ○○の言葉を聞いて、アリスは顔を上げる。彼の言葉は不思議と信じられた。それは、彼が嘘をつく様な人間ではないからだ。まるで、心を癒す魔法のようだった。

 

「……ありがとう。貴方が可能性を示してくれたから、少し自信を持てた気がする。私はこれからも、人形を作り続けるわ」

 

「うん。僕も応援するよ」

 

 ○○はそう言うと、アリスに向かって笑顔を見せた。その笑顔を見て、アリスも釣られて笑みを浮かべる。アリスの心は、○○の優しい人柄に惹かれて、徐々に安らいでいった。彼となら上手く付き合っていけると、確信めいた予感を抱く。

 

 彼と共に過ごす日々を思い浮かべていると、自然と胸の奥から、幸せな気持ちが溢れてくる。彼と同じ趣味を共有出来たら、どんなに楽しいのだろうか。彼と共に人形を作る。それは、きっと、素晴らしい時間になるだろう。

 アリスはそんな事を考えながら、○○の顔を見つめていた。その思いは段々と強くなっていき、やがて抑えきれなくなった。

 

「ねえっ、貴方も人形を作ってみない? 二人でなら、より捗ると思うのだけど」

「え? 僕が、かい? でも、やり方とか全然分からないんだよね」

 

 アリスは思いの丈をぶつけるように、○○へと問いかけた。彼は少しだけ困ったような表情で答える。すると、アリスはここぞとばかりに○○の手を取って、興奮気味に語りかけた。

 

「大丈夫よ! だって、裁縫が得意なんでしょう? それに、私が手取り足取り教えてあげるから、ね? ねっ?」

「うーん……」

 

 アリスの言葉を聞いて、○○は考え込むように視線を宙に彷徨わせた。

 しかし、彼の返事を待つまでもなく、アリスの中では答えが出てしまっている。彼女の中では既に、○○がこの誘いを受ける事は、決定事項となっていたのだ。こんなにも素晴らしい申し出が、断られるはずがない。

 

「せっかくのお誘いなのに悪いけど、遠慮しておくよ」

 

「…………え。ぁえ? ……あ、あれ、ど、どどっどう、してぇ?」

 

 予想外の言葉を受けて、アリスは動揺した様子を見せる。青天の霹靂だ。断られた事が信じられず、頭が真っ白になってしまう。どうして断ったのか理由を聞きたいのだが、混乱しているせいで舌が全く回らなかった。

 

「元いた世界に帰るからだよ。今日明日って訳じゃないけど、いずれは帰らないといけないんだ。なにせ妹が心配だからね。だから、あまり時間は取れないんだ」

 

 ○○はそう言って、悲しそうに目を伏せる。その表情からは、寂しさと悲しみを感じさせた。

 アリスはその様子を見ると、何も言えなくなってしまう。そして、気まずい沈黙が訪れた。

 

「……ごめんね。だけど、アリスさんには感謝しているんだ。おかげで色々と勉強になったし、楽しい時間を過ごせた。妹にも、いい土産話が出来そうだよ」

 

「……妹」

 

 アリスは小さく声を漏らすと、唇を噛んだ。

 

 

まただ

またしても妹が邪魔をしてくる

二人だけのお茶会を終わらせようと何度も立ち塞がってくる

不愉快だ

本当に腹立たしい存在だ

せっかくの彼との時間をいとも容易く奪っていく

とてもとてもとても許し難い女だ

 

 

「そうだ。良かったら、人形を一体貰えないかな? 妹に、お土産としてあげたいんだよ。きっと、喜んでくれると思うんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼は今何と言った

 

あげたい

 

何を

 

人形を

 

誰の

 

私の

 

どんな物

 

大切な物

 

誰に

 

妹に

 

彼だけの螯ケ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……っぁ」

 

 ○○の口から発せられたその言葉を聞いた瞬間、アリスの心の中は、どす黒い感情に支配されていく。今まで経験した事もないような、強い衝動が込み上げてきた。

 

 そして、その感情が爆発する寸前、声がした。

 

「……アリスさん?」

「……あっ」

 

 ○○の声で我に帰ったアリスは、自分が無意識のうちに、彼の体に手を伸ばしている事に気付く。彼女は慌てて手を離して、謝罪の言葉を口にする。

 

「ご、ごめんなさい。私ったら、ぼーっとしていたみたい。悪いけど、この人形は、あげられないわ……」

 

「いや、いいんだよ。アリスさんの気持ちは分かるからさ。大切なもの……だしね。僕の方こそ、無理なお願いをしてごめん」

 

 ○○はそう言うと、アリスに向かって優しく微笑む。

 その笑顔を見たアリスは、自分の胸が強く締め付けられるのを感じた。それは先程までの苦痛とは真逆の、心地よい痛みだった。

 

 彼になら、人形をあげても構わない。いや、むしろあげたいと思う。彼なら人形を、アリスの人形を大切にしてくれるだろう。こんなにも優しくて、穏やかで、素敵な人なのだから。きっと、人形も喜んでくれるに違いない。

 

 でも、彼以外が人形に触れる事は許されない。絶対に、誰にも渡したくない。特に、彼の妹には。

 

 アリスは自分の人形が、他の誰かに触れられる場面を想像してみる。すると、途端に吐き気がした。人形が穢されたように感じてしまう。

 それはまるで、自分の一部が汚されてしまったかのような、不快な感覚。一秒たりとも、耐えられない。そんな事になるくらいならば、いっその事、壊してしまいたいと思えるくらいに。

 

「……あ、あのさ。僕、そろそろ里に戻らないといけないんだ。この後、用事があるから……」

 

 ○○はそう言うと、アリスから視線を外す。その様子から察するに、アリスの異変に気付いたのかもしれない。もしくは、気まずい雰囲気が嫌だったのか。いずれにせよ、彼がここから去ろうとしているのは事実だった。

 

 アリスは少しだけ冷静になると、彼を安心させる為に笑顔を作った。

 

「……そうよね。元々、私が無理に誘ったのだし、仕方ないわよね。里まで送っていくから、安心して」

「いや、本当に楽しい時間だったよ。ありがとう」

 

 本当は彼を帰したくはない。だが、アリスには○○を引き止める口実が思いつかない。

 それに、これ以上一緒に居れば、自分の心が保てなくなる気がした。だから、アリスは素直に引き下がるしかなかった。

 

 

二人だけのお茶会が終わった

 

 

 ○○を人里に送り届けた後、アリスは自室に戻って、ベッドに仰向けに寝転ぶ。すると、○○の顔が頭に浮かんできた。彼はもう帰ってしまったというのに、未だに余韻が残っている。

 

 ○○と一緒に居る時は、すごく楽しかった。○○に褒められるのが、とても嬉しかった。ずっと、この時間が続けば良いとさえ思った。

 

 しかし、同時にとても苦しかった。○○には、妹がいる。彼にとって、一番大切な存在である妹が。顔も名前も知らない。会ったこともない。なのに、嫌いで、憎くて、妬ましくて、堪らなかった。

 

「……ねえ、どうして?」

 

 アリスは傍らに置いていた人形を、自分の顔の前に持ち上げる。そして、人形を見つめながら呟いた。

 

 これは○○が拾ってくれた人形。○○が大切にしてくれた人形。

 この人形だけは特別だ。何故ならアリスが人形を作ったのだから。アリスの一部といっても過言ではない存在なのだから。人形にはアリスの心が宿っているのだ。

 

 

だからアリスの感情を色濃く反映する

 

 

「……え?」

 

 人形の瞳に映り込んだ自分の顔を見て、アリスは驚きの声を上げる。

 そこには、鳥肌が立つ様な狂気を瞳に宿し、歪んだ笑みを浮かべた女の姿が、鮮明に映し出されていた。

 

 

「アリスは○○が好き。とても好きになってしまった。○○の事が愛おしくて、アリスの恋人にしたくて、独り占めにしてしまいたいと思っている」

 

 

 瞳に映る女は、口角を吊り上げて、不気味に笑う。まるで呪いの言葉のように、何度も繰り返し、心の中に囁き続ける。

 

 

「だけど、○○にはアリスよりも大切な存在がいる。それが許せない。許さない。アリス以外の女に、あんな優しい笑顔を向けるなんて許せる訳がない。○○にとって、アリスが一番じゃなければ駄目なの。アリスだけが特別な存在でなければいけないの」

 

 

その通りだ

アリスは○○の特別でなければならない

他の誰かではいけない

○○の隣に居るべきなのはアリスだけなのだ

他の誰でもないアリスだけなのだ

アリスは○○を愛している

○○の為なら何でもできる

○○の為に命だって賭けられる

○○が望むのであれば体を差し出しても良いと思っている

 

 

「でも、○○はアリスの事なんて見ていない。彼の目に映るのは、いつも同じ少女だけ。彼の隣には、いつだって螯ケがいる」

 

 

どうすればいい

何をすれば○○の心を独占出来る

簡単じゃないか

そんな事も分からないのか

答えはすぐに出た

とても簡単な事だ

 

 

「○○の螯ケがアリスになればいい」

 

 

 そうだ。そうすれば、アリスは彼の唯一無二の存在になれる。誰にも奪われる事なく、彼の側に居続けていられる。愛を囁いてもらえる。二人きりの箱庭で、永遠に共に生きていける。

 なんと素晴らしい事なのだろう。その光景を思い浮かべるだけで、幸福感に包まれてしまう。想像しただけでも、ゾクゾクとした快感が背中を走る。身体中が熱くなり、息遣いが荒くなる。下腹部の奥が疼き、子宮が収縮を繰り返す。その感覚が心地良くて、つい太股同士を擦り合わせてしまう。

 

 

「○○が欲しい○○が愛おしい○○を閉じ込めたい○○に愛されたい○○と混ざり合いたい○○と溶け合って縺イ縺ィ縺、縺ォ」

 

 

 彼女は人形に語りかける。それは最早、人としての理性を失っていた。獣の様に欲望を口にしながら、人知れず狂気に染まっていく。

 

 

人形の影が

彼女の体に這い寄っていき

やがてそれは

心の奥底にまで達すると

ゆっくりと

確実に

 

 

アリスを

 

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