OPEN
『カフェ アルテ…ミシア?』
狭い路地の壁面にすっぽりと嵌め込まれたようなドアに掛けられた、見慣れない文字列の看板を眺めていた小川奈緒は独り言を零す。
ある春の土曜日、時刻は午後。高校生の彼女は特に部活に所属しているわけでもなく、かと言ってこんな晴天の休日にわざわざ家にこもって勉強に勤しむほど真面目でもない。別段、何か予定があったわけでも無く単に気が向いたからという理由で散歩に出向いた。
歩きながら、たまには知らない道を歩いてみるのも良いかと考えて当てもなく彷徨っていた。
そして細い路地に入ったところで雲よりも白い月白色の石壁に飴色のドア、そこに掛けられた【Cafe Artemisia】と金色のインクで描かれた小さな黒い看板が目に留まる。
この辺りに住んでいるが、この店がいつからあるのか奈緒には全くわからなかった。目に入るこの看板だけ、ずっと昔からあるようにもつい最近新調した物のようにも思えてくる。
日本の閑静な住宅街のど真ん中であるにも関わらず、ここだけヨーロッパの何処かの国からそのまま持って来たような錯覚すら覚えるほどに、この店は周りの景色に不釣り合いに感じられた。
ドアの周りにはには幾つかプランターが置かれており、色とりどりの花が咲いている。手入れもきちんとされているようだ。
窓はこのドアの正面には見当たらず、奈緒が今立っている場所から店内の様子は伺うことができなかった。
『わぉ…なんかすっごい良い感じの雰囲気。お洒落なお店の予感がする。』
ぼそり、とまた独り呟いてコーヒーでも紅茶でも良いから戴こうと奈緒は考えた。散歩に出てからもう一時間程度、時刻は既に午後3時を回っており、喉も渇いている。ティータイムにはもってこいだった。
『ケーキとか置いてるかな?美味しかったらご贔屓にさせてもらお。』
こういった隠れ家的なカフェを一つ二つ知っているのは現代女子にとって大きなステータスになると考える人は多いはずであり、彼女もまたその内の一人。
彼女は高鳴る期待に胸を弾ませ、小さく口の端に笑みを浮かべた。一つ息を吐いて、真鍮製のドアノブに手をかける。
ゆっくりとドアを開けると、チリンチリンとドアの裏に付いているベルが小気味好く鳴った。
『いらっしゃいませー!お好きな席にどうぞー!』
店内から透き通った声が聞こえてくる。女性だ。しかしその姿は見えない。その事を不思議に思いながらも、ここにずっと立ちっぱなしというわけにはいかないと、近くにあった二人がけの席に座った。
どうやら他の客はいないようで、がらんとしていた。全体的に落ち着いた色調で整った店内。カウンターの上にはかなり古いものであろうサイフォンが置かれており、椅子やテーブル、柱時計なども全てアンティークなもので統一されていた。
カウンターの向かいの壁は英語であったり、見たこともない文字であるから外国の物であろう本で埋め尽くされている。窓が無いにもかかわらず、いくつかのシャンデリアの暖かい光で店内は満たされ、シーリングファンが静かに回っていた。
店の隅に置かれたこれまた古そうなレコードプレイヤーから流れるジャズを聴きながら、奈緒は確かに当たりを引いたと感じた。小さくガッツポーズをして1人思案する。
『もうこの時点で絶対良いお店だって分かるなー。』
もう暫くこの雰囲気を堪能していたいが、同時にメニューも気になるところだ。お店の雰囲気は最高点に近い、あとは料理がどれほどかを確かめるべく奈緒はテーブルの上に置いてあった呼び鈴を鳴らす。
『はーい!少々お待ちくださーい!』
先ほどの透き通った声が聞こえる。しかし近づいてくる足音や気配が一向にしない。
おかしいな、と感じながら奈緒はキョロキョロと店内を見渡した。人の姿は未だ見えない。
お店を一人で経営しているのかなと考え、それならゆっくりでもいいし、自分はこの雰囲気を楽しもうかとテーブルの上へと視線を移す。
『…え?』
奈緒は頭が真っ白になったようだった。今までテーブルの上に置いてあったのは何だっただろうか。
珍しく電子化されていないアンティークの呼び鈴、ガラスの灰皿、ケースに入った銀のカトラリー、テーブル本体の上という意味ならこの凝ったレースの真っ白なクロスもそうだろう。
しかしだ、今こうしてテーブルの上には栗色の装丁が為された冊子とキラキラと輝くオールドファッショングラスに入った水がポンと、まるで最初からそこにあったように置いてある。
『…う、うわあああ!』
反射的に女性らしさも何もなく驚きの声を上げ、椅子から飛び上がる。そのままの勢いで倒れた椅子に躓き、大きな音を立てて後ろ向きに転んだ。
『お、お客様⁉︎ 大丈夫ですか⁉︎ お怪我はありませんか⁉︎』
3度目の透き通った声が耳に届く。しかし声だけだ。未だ姿の見えぬ声は痛みに蹲る奈緒をさらに混乱させた。
一体何がどうなっているのか全く理解が追いつかない彼女の元へとようやく足音が近づいてくる。
『だっ、誰⁉︎』
理解できない状況にある為か、奈緒は普通に聞こえる足音にも警戒心を剥き出しにして叫んだ。
『エニス‼︎またやったのか君は‼︎』
先程の声とは異なり、今度は男性らしい声が聞こえてきた。
『あっ!ちっ、違うんですよマスター!これはですね!あのー何というか不慮の事故というか!久しぶりにこういうお客様だったので魔がさしたと言いますか!』
透き通った女性の声が近づいてくる男性の言葉に焦った様子で答えた。
『次やったら給料全部コーヒー豆で出すからね。全く…あー大丈夫かな?お嬢さん。』
転んだままでいた奈緒が後ろに振り向くと、白いイタリアンカラーシャツ、黒いウエストエプロンに身を包んだ黒髪の男性が手を差し出して立っていた。
キリ良く終わらせるのとか、視点とか実際書くと難しいですね
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