カップに一匙の魔法を   作:せきな

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10話です。
今回もお楽しみいただければ幸いです。




10 鈴の音と少女

 

 

 

奈緒が【Cafe Artemisia】で働き始めて大凡2週間が経った。

彼女が初めてこの店を訪れた際には、桜がはらはらと舞い降り、柔らかな日差しが包み込む時期だった。しかし時の流れは早いもので今となってはその桜も散り、新緑が顔を覗かせ始めている。

 

そんなある日のおやつ時、【Cafe Artemisia】では___

 

 

 

 

『いらっしゃいませー!!』

 

『いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ。』

 

『エニス、ケーキセットBが2つ上がったよ。運んでくれ。奈緒ちゃんは3番卓のバッシングよろしくね。』

 

『かっしこまりましたー!!ナオさん!カウンター裏に一応2人分セットで纏めてありますのでそれ使ってくださーい!!』

 

 

『了解です。エニスありがとう、助かるよ。』

 

 

プラチナブロンドの真っ直ぐで長い髪を靡かせながら輝く笑顔で指示を飛ばす少女。

 

毛先に緩くロールを描く黒髪を棚引かせながら口元に淡く笑みを称えて応える少女。

 

2人に増えた看板娘は、ファンク・ジャズの流れる戦場を所狭しと動き回っていた。

 

 

 

 

 

『いやはや、覚えが早くて助かりすぎるなあ。』

 

 

戦場の足音が遠くへと消えていった午後の4時、マスターは紫煙を肺一杯に吸い込みながら感嘆の言葉を口にした。

 

 

『本当に凄い早さでお仕事覚えていきましたねナオさん!!!流石の私も感服ですよ!!』

 

そう言ったエニスはカウンター席に座り、感心したように言う。カウンターチェアは彼女が座るにはは少し高いのか、ぶらぶらと足を遊ばせながらコーラの入ったゾンビグラスを指で弾いて弄んでいた。

 

 

『マスターと先輩の教え方が上手だから、かな。』

 

ふふ、と口の端に微笑みを湛えながら奈緒が答えた。実際マスターと賑やかな先輩は教えるのが上手く、奈緒元来の物覚えの良さと噛み合った結果として僅か2週間のキャリアとは思えない程の働きぶりを発揮していた。

 

『とはいえ、エギルさん以外の常連さんと顔を未だ合わせられていないんだよねえ。』

 

顎に手を当ててふうむと考えながらマスターが言う。事実、奈緒がバイトを始めてからこの店にやってきたのはエギルを除いて初来店客ばかりだった。

 

 

『奈緒ちゃんがやって来たことで他の世界の扉が閉じたか、或いは座標がズレたかね。』

 

『今のところエギルさんだけで今月の売り上げの内訳8割越えですからね!!先週7日間で10回来た時は流石に笑いました!!!』

 

彼のドワーフの過ごす世界の時間と奈緒たちの過ごす世界の時間にズレがあるのは奈緒も話をしているうちに理解していた。が、それにしても来過ぎであった。

 

 

『えっと…申し訳ないです…。』

 

自分にどうにかできる問題ではないと分かっていても、そう言われると奈緒は少し気分が落ち込み小さく溜息が出た。それを見たマスターとエニスはわたわたと弁解をし始めた。

 

 

『いやいや、奈緒ちゃんのせいじゃないんだよ。女神様がきっと奈緒ちゃんが早く慣れるように調整してくれているんだろう。そうに違いないよ。あっ、コーヒー飲むかい?ケーキもあるよ?』

 

『そうですそうです!!今はたくさんあのちっちゃいおじさん相手に練習してたくさん絞り取りましょう!!あのおじさん独り身だから金払いはいいんです!!ナオさんみたいに綺麗な人とお話するだけであのちっちゃいおじさんには極上の幸福ですよ!!独り身だから!!!』

 

 

マスターとエニスが下手くそな気を使う。エニスの放った"おじさん独り身"という言葉はナイフとなってマスターの心にも深く深く突き刺さった。

 

 

そんな奈緒は遠い目をしながらアリガトウゴザイマスと溢し、マスターが運んできてくれたモンブランとアメリカーノに口を付けた。

このお店で初めて食べた時から奈緒はこのモンブランに夢中だった _幸いな事に体重も今のところ増加傾向にはないようだ_ 。お客として来た時は、アッサムをミルクティーで注文していたが、最近のお気に入りは濃い目のコーヒーと一緒にいただくことになっている。

栗の風味をしっかりと残しながらも甘すぎず、飽きの来ないマロンクリームたっぷりのモンブランを深煎りのスモーキーなコーヒーで流す。彼女にとってこのコンビネーションは不動のペアリングとなっていた。

 

 

目は死んでいるが、もぐもぐとハムスターの様に止まることなく動き続ける彼女の口に笑みが浮かんでいるのを見た2人は軽くほっと息を吐く。

 

 

『さて、うちの看板娘ちゃんの機嫌も少しは治ったようだ。とはいっても、もし他の扉が繋がらない事になっているのなら、この状況をどうにかしなくてはならないね。』

 

やれやれと髪を掻き分けて安心したように話すマスターにエニスが『私も看板娘ですが⁉︎』とカウンターチェアから飛び降り抗議した。バンと天板を叩いた事により、驚いたゾンビグラスが勢いよく床に落ち、パリンと音を立てて砕け散る。奈緒が死んだ目のまま箒と塵取りを持って後片付けを始めた。今週4度目、通算9回目の出来事だった。ここまで来ると割れたグラスは逃げるもの、という非常識な常識が彼女の中にも芽生えていた。

 

 

 

『魔法を使えたり神秘を内包されている常連さんもたくさんいます!!何方かが来てくだされば道は開けるかもしれませんね!!』

 

奈緒の後片付けを見て、すみません!と申し訳なさそうに言って手伝いながらエニスがそう口にする。彼女が拾おうとしたガラス片は尽くワー‼︎と悲鳴を上げて散り散りに逃げ出したため、奈緒の表情がさらに死んでいった。

 

 

 

__ちりん、といつものドアベルではなく凛とした音が鳴ったのを奈緒は聞いた気がした。顔を上げ、きょろきょろと辺りを見回せど従業員2人と逃げ惑うガラス片以外に姿は無かった。そんな様子を見たマスターが奈緒に問いかける。

 

『うん?奈緒ちゃん、どうかしたかい?』

 

『あぁ、いえ。何か鈴が鳴ったような音が聞こえた気がしたんですが…。気のせいだったみたいです。』

 

マスターはそれを聞いてひどく驚いたような顔をしていた。しかしすぐに心から嬉しそうな、或いはいたずらがうまくいった子供のような表情をして奈緒とエニスに告げた。

 

『言霊というものはやっぱりあるんだねえ。お客様がお見えのようだ、さぁ仕事に戻ろう。』

 

そう言ってマスターは大きく伸びをすると、店の隅に置かれたプレイヤーまで歩いてレコードを止め、スマホを操作して曲をかけた。流れて来たのは、最近流行の子ども向けアニメのオープニング曲だった。

 

 

『マスターは、こういうのがお好きなんですか…?』

 

『残念ながら、僕の趣味にはこれっぽっちも合わないんだが…その常連さんがこれをかけろと煩くてね…。』

 

恐る恐る尋ねる奈緒に、マスターは困ったように笑って肩を竦めた。エニスは何処か合点が言ったようで、なるほど!と言い笑顔を浮かべていた。

 

何がなんだかさっぱりわからない様子の奈緒はとりあえず逃げ出したガラス片を集めようと立ち上がった。

 

その時、後頭部にガゴン!と何かが当たった。あまりの衝撃に奈緒は蹲る。彼女の真前からうぅ…と聞き覚えのない少女の声が聞こえた。

エニスの透き通るような声ではなく、先ほど聞こえた鈴を転がしたような声。

 

 

 

ぱっと顔を上げて前を見れば小さな女の子が、顔面を押さえて丸くなっていた。

 

 

 




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