カップに一匙の魔法を   作:せきな

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6話です。
よろしくお願いします。




6 Beyond her daily life

 

 

恐らくここにいる全員がエニスの提案に絶句をしている。店内はずっとジャズが流れているが誰の耳にも届いていないようだった。

 

『えーっと…え?』

 

奈緒にエニスが言ったことは、言葉ではわかる。しかし飲み込めていない、理解はできていない。

 

『…エニス。君は急に何を言いだすんだ?』

 

マスターが疲れたように眉間を揉みながら尋ねる。

 

『いやいやいやいや!ほら!休日とかすっごい混むじゃないですかこのお店!その時間帯に私一人でお客様の対応するのちょーーーーっときついなーーーって思ってたんですよ!』

 

『ううむ。確かに毎週、太陽の日はいつも混んでいるな。わしもここに通い始めて長い、見知った顔が多いから話でもしていれば待てるものではあるが…。』

 

エギルも髭を撫でながら軽く上を向いて考えている。

 

『やはり働いている私としては待たせてしまうのは心苦しい訳ですよ!そこで!ナオちゃんを雇えばお客様も待たなくて済む!私もマスターも少し楽になる!奈緒ちゃんは払いが馬鹿みたいに良いお給料が手に入る!最高じゃないですか!』

 

『しかしだな…』

 

『しかしも何もないですよ!マスターだってお昼時は料理作るのに集中したいでしょ!ナオちゃんからも何か言ってやってください!』

 

ここで急に振られて奈緒は少し慌てる。そもそも彼女はまだ働くとは言っていない。

 

『ええ…えと、私は…』

 

『奈緒さんは…私と一緒に働くの嫌ですか…?』

 

両手で制服のエプロンをキュッと掴んで上目遣いで奈緒を覗き込む。巷の男性ならば骨抜きになってしまうであろうこの仕草は奈緒にも大きな効果があった。

 

『ううん、嫌って訳じゃ____ 』

 

『一緒に、やってみませんか…?』

 

ずるい。とてもずるい。自分の武器の価値を知っていて効果があるとも分かっていて使っている。奈緒は言葉に詰まった。

 

『ふむ…嬢ちゃん。ここでの経験は他では絶対にできん、一生忘れられんものになる。悩んだ時は飛び込んでみるのもええと思うぞ。何より、店が嬢ちゃんに来て欲しいっちゅーとる。マコトも気づいとるだろう。』

 

残ったコーヒーをぐいと飲み干し、エギルが言う。

 

『お店が、ですか?』

 

『随分前に閉じた扉がまた繋がったんじゃ。客か店か魔女か、はたまた神か。この内の誰かが、若しくは誰もが嬢ちゃんとの繋がりを結ぼうとした。それだけで理由になるとは思わんか?マコト。』

 

マスターはタバコを咥えたまま俯き、腕を組んで黙って静かに考えている。トントンと指が一定のリズムを刻む。

やがて顔を上げ、奈緒の目を見てこう言った。

 

『いや、本来は誰の意図でも関係ないことだ。僕としても、もちろんここで働いて欲しいと思う。せっかくの縁だからね。でもそれだけじゃ駄目なんだ。肝心なのは奈緒ちゃんがどうしたいかだよ。丸投げするように聞こえたら申し訳ないがね。』

 

『私がどうしたいか…。』

 

どうしたいんだろう。このお店はとっても素敵な所で、ご贔屓にしたいとも奈緒は思った。でも、普通の日常の中の出来事で片付けるには少し勇気がいるような場所でもあると話を聞いていて感じられる。

 

エギルさんが言ったように、ここで働くことは他では絶対にできないような経験になるだろうとも思える。

 

『何に悩んでいるんですかね、私。』

 

『そりゃあここが嬢ちゃんにとって未知だからだろう。』

 

ぼそっと呟いた私に、エギルさんがカラカラと笑って言った。

 

『知らない事ってのは一番おっかないもんだ。誰だってそうだろう。俺だってわけのわからんもんは怖い。』

 

『…ナオさん!』

 

ハッとしてエニスの方を見遣る。

 

『私のお師匠様はこう言いました!【恐れるな、行動せよ】と!私も新しい魔法を覚える時はいつだって恐怖でいっぱいです!失敗したらどうなるかがわかりませんから!でも行動しなければ、何も生まれません!未知のことを追いかけるのは次に繋げる過程です!…ええっとだからその…____ 』

 

両手を強く握りしめ、彼女が次に何を言おうかと決めあぐねている間に、マスターがタバコの火を消して遮った。

 

『奈緒ちゃん。この店に在るのは言わば、冒険のようなものだ。危険なことはないけどね。それでも君にとって、心踊るような出来事には事欠かないだろう。日常から一歩、足を踏み出してみる気は無いかな?』

 

今日このお店に入るまで、こんなファンタジーは想像の世界だけだと思っていた。それでも事実、ここには魔法があって、人間じゃない人たちがいて、まだ見ぬ不思議がたくさん転がっていることだろう。

 

奈緒だって人間だ。子供の頃には小説や絵本の世界のような不思議を、繰り返す毎日に刺激を、日常に非日常を求めたこともある。

 

そして、昔憧れた世界が今ここに在る。

恐怖ももちろんある。それでも、飛び込んでみたいと思わされてしまった。

人生、何が起こるかわからない、だからこそ面白いとはよく言ったものだ。

 

『わ、私は…普通の高校生で、別に誇れるような特技もなくて…もちろん魔法とかも使えなくて…そんな私でも、働けますか?』

 

やっていける自信も、確証もない。

ただ、憧れてしまった。

自分がいる所とは違う世界に。

それだけで理由は十分だろう。

恐れるな、行動せよ。

後悔は後からすれば良い。

 

『…勿論だ。歓迎しよう。奈緒ちゃん、ようこそ【Cafe Artemisia】へ。』

 

マスターが手を差し出しながら言った。

奈緒はその手を取り、ギュッと握る。手が震える。でもこれは恐怖じゃない、心の奥でどこかつまらない日常の繰り返しから離れた、こんな出来事が起こることを期待していたんだと思った。

 

『やりましたー!やりましたよマスター!ナオちゃんゲットです!』

 

ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、エニスが抱きついてくる。相変わらず良い笑顔だ、と思い、奈緒もつられて笑ってしまう。

 

エニスを一度ギュッと抱きしめ、3人に向き直る。姿勢を正して、奈緒は改めて言う。

 

『小川 奈緒、17歳です。普通の高校生ですが、これからよろしくお願いします!』

 

 

 




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