昔々とあるところにたいそう綺麗な花を咲かせる桃の木があったそうだ。
その花が咲くだけでその華やかさに誘われて周りに人々が集まり祭りを始め、その木が今度は実をつけるとその香りに誘われて獣や物の怪が周りに集まり祭りを始めていた。
普通ならそのように多くの種族の者たちが集えば争いごとが起こるものだが、日々変わり続けながら多くのものを魅了する桃の木の前では、そのようなことを起こす時間すらもったいなく思えて誰もが自然と矛を収め、杯を取り酒を酌み交わしていた。
しかし、どんなものにも終わりが来るように、桃の木もまた寿命が存在した。無数の花が咲いていた木が次第に朽ちて行くにつれ、周りに集まるものはだんだんと少なくなり、桃の木が枯れ果てる直前にはほんの数人の物好きだけになっていた。
そして、桃の木の最後を看取ったのは、美しい妖狐であった。
(ああ、私たちが愛して止まなかったこの木もとうとう終わってしまうのか....思えばこいつとの付き合いも随分と長くなったものだ。)
酒を片手に大きく美しい金の尻尾を9つもつ妖怪狐が1つだけ残っている桃の花の下で大きくため息をついた。彼女の名は「藍」。いつだったか遠い昔にとある人からつけてもらった名前である。
「お前にまで残されると思うと、とても寂しいよ。...........いつも私ばかり置いていかれるなぁ。あいつも、それにあいつだってそうさ。あぁ、結局先に逝っちまったよ。」
狐の脳裏には今まで共に過ごしてきた仲間たちの顔が浮かんでいた。獣や、物の怪はもちろん人間もいた。中には夫として自分を愛してくれたものまでいた。
「.....っと、いけないね。お別れが近づいてきたせいか私まで辛気臭くなっちゃったよ。
これは選抜さ。最後なんだからのんで行きなよ。」
そういうと彼女は持っていた杯を傾けて桃ノ木の幹に酒を浴びせた。彼女はとある村では神として崇められており、この酒はその村の者たちが供え物としてよこした神酒であった。その時、藍の瞳からこぼれた涙もまた、幹へと吸い込まれていったのだった。
「よしっ、別れも済んだことだし。村に戻ってお悩み相談でもしてこようかな!」
パンッ、と膝を叩きながら立ち上がり、桃の木から離れようとしたその時、不思議なことが起こった。
1つだけ残った桃の花がうっすらと輝きながら立派な桃の実へと変わった。変化はそれだけにとどまらず、桃は次第に大きくなって、ちょうど藍の顔程度まで膨れると、それは落ちた。落ちた時の衝撃によって、桃の実が割れて中からは小さな赤ん坊が生まれた。
藍は警戒しながら近づいて、ふと赤ん坊から濃い桃の香りと共に、微かな妖気と、神々しい気配が赤ん坊から垂れ流されていることに気づいた。そして、この赤ん坊はこのままの木の精なのだと確信した。
妖怪や神という者はその多くが精神に由来している。妖怪であれば畏れ、神であれば畏敬、そのような感情が集まり、その対象である存在や概念に力を与えるのだ。この桃の場合、ここを訪れた多くの人、獣、妖怪の悦楽の情が集まり神気と妖気がたまっていた。そこに大妖怪たる藍の別れを悔やむ感情によって精霊へと昇華したのだ。
「そうか、お前は私を置いていかなかったんだね。ありがとう。本当にありがとう......。お前は優しいな。」
震える手で赤ん坊を抱き上げる。その顔は涙に濡れていたが、今度は憂いを帯びたものではなく、困ったように浮かべる笑顔だった。
「せっかく私の前で生まれてくれたのだ。お前は私が責任を持って育てるよ。そうさな、お前の髪から桃の香りがするからお前の名前は「桃ノ怪姫」なんていうのはどうかな?」
優しく語りかける藍に対し、赤ん坊は柔らかい笑顔で「あんま、あんま」と手を伸ばした。
「ああそうさ、私がお前の母だ!
これからよろしくな、「桃」!」
こうして、妖狐と桃の奇妙な親子が生まれたのだった。