一週間が経ち行軍訓練の日がやってきた。毎朝ランニングを行っているグラウンドにオスプレイタイプの輸送機が3機留まっている。
今日も早朝5時にグラウンドに集合し点呼を行った。しかし、オーストラリアへの移動を控えているため、いつもの通りのランニングとトレーニングはなかった。
点呼の後、素早く輸送機へ搭乗し出発に備える。全員の搭乗を確認し、教官の1人が訓練の内容に関する説明を開始した。
「これよりオーストラリア本島へ向かい、ボゴング山付近の山間部を利用し訓練を行う。今回の訓練による行軍距離は15㎞を予定している。行軍にはパワードスーツは使用しない。そしてこれが最も重要である。行軍は基本2人組、つまりペアで行ってもらう。ゴールは2人そろって行うこと。何か質問があれば挙手せよ。」
誰の手も上がらなかった。しかし、俺は心中穏やかではなかった。
俺のペアは鶴島麗奈である。いつも通りならば各自で黙々と行軍をしていくだろう。それはこの際気にしない。俺の心配していることとは、彼女と喧嘩別れのようになった夜以来、まともに話すらしていない。というよりも、一方的に避けられているといった方がよいのかもしれない。以前は最低限の挨拶と少しの情報交換ぐらいの会話はあった。しかし、あの夜以降こっちの挨拶は基本的にスルーされている。そんな状況で向こうから挨拶などしてくるはずがない。それどころか、以前はあった少しの情報交換ですら春夏秋冬や長谷部へ伝言を頼む始末である。
こんな状況でうまくいくはずがない。そう思い悩み、移動中の外の景色などを見る余裕はなかった。
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一ノ宮正樹は悩んでいた。移動中座席の関係で烏野悠人とは隣同士である。隣にいる悠人がいつもと同じ様子なら特に気も留めなかったのかもしれない。しかし、明らかにいつもと様子が違うのである。全く周りの様子が見えていないほど考え込んでいるのである。いつもの彼ならあり得ないことだった。
不安に思った正樹は、悠人の反対に座る春夏秋冬蓮華の方へ助けを求めるがごとく顔を向ける。蓮華は不思議そうな顔をしている。
「悠人の奴、どうしちまったんだ?」
何故かひそひそ話をするかのような声で蓮華に話しかけた。
「分かりませんが、鶴島さんの事で悩んでいるのではないでしょうか?最近はいつも以上に会話をしていなかったようですし・・・。」
小首をかしげながら話す彼女を見て、正樹は「やっぱり彼女は癒し系だなー」などと思いつつ、話を続ける。
「それは分かるんだけどよー、いつものことじゃねーの?鶴島っていつもあんな感じじゃね?俺たちには普通に挨拶とか必要事項の話はしてくるぞ?」
「それが、烏野さんだけを避けているような節があるんですよ。最近では烏野さんへの伝言を頼まれるぐらいで・・・。」
「いった何があったんだろうな?」
「どうも10日ぐらい前に烏野さんが鶴島さんを叱りつけたようなんですよ。」
「遂に悠人が切れたか・・・。それで、ペアの関係悪化か。」
「やっぱり、ペアでの行軍訓練だからではではないでしょうか。ペアでカバーしあいながらゴールを目指さないといけませんから。」
「確かに、それには納得だな。」
ここに来て1つ自分にも心配事があることに気がつく。それは、正樹自身と自分のペアである蓮華のペースに大きく違いがあることだ。
他人の心配をしている場合ではなく、まず自分たちの心配が必要であると考えた正樹は蓮華と行軍訓練について話すことにした。
「話は変わるが、今日の訓練、やっぱり俺が蓮華のペースに合わせるよ。俺のペースだと蓮華にはきついと思うしな。」
「正樹君には迷惑をかけますけど、お願いします。」
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ほとんどのペアが今から行われる行軍訓練について、ペースについてなどについて話をしている。輸送機の巡航速度は約460km/h、訓練所から目的地までの距離が約470kmなので、だいたい1時間のフライトである。1時間など相談をしているとすぐに過ぎてしまう。
あっという間に海岸沿いを埋め尽くす、巨大な船を土台にした街とオーストラリアの大地が見えてくる。
そんな中、俺は何とも言えない不安に襲われていた。今日の訓練が無事終わることを願うことしかできなかった。
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パワードスーツがあるにも関わらずわざわざパワードスーツの装備せずに何故、徒歩による長距離行軍を行う必要があるのか、疑問に思う人も多くいることだろう。
理由として一番大きいのは蟲の習性である。敵となりうる蟲は地上にいるものだけでなく、地下を棲み処としている蟲も確認されている。その多くは振動に敏感で、総重量300kgを優に超えるパワードスーツを着ての行軍では、蟲を集めてしまう可能性があるのだ。それにより、最新の無音輸送機『オウル《フクロウ》』によってパワードスーツを予め輸送し、その後に兵士が徒歩でパワードスーツをのもとまで行くという作戦がとられているためだ。兵士ごと運んでしまえばよいとも考えられるが、輸送重量の関係によりパワードスーツを含む装備品と装備品を護衛する数名の兵士だけを輸送した方が、コストパフォーマンスが良いのだ。
つまり、今も昔も徒歩による長距離行軍は兵士たちの必須スキルである事に変わりはないのだ。
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駐機場に降り立った輸送機から予め積んであった荷物を訓練兵たちが素早く降ろしていく。
行軍訓練は約30㎏の背嚢と護身用のライフルであるブッシュマスターACR約3㎏(弾薬抜き)を担いでのものとなり、かなり過酷であるのは間違いない。背嚢の中身は大半が水である。
今は10月、季節は春である。肌寒風が吹くものの長距離行軍で注意しなければいけない点としては、やはり脱水症状だろう。そのため、かなりの量の水が背嚢に入れられている。その他に携帯食料、コンパス、簡易治療セット、着替えやサバイバルナイフ、合羽などである。
今回の行軍ルートは、簡単に言ってしまえば山越えである。道中、山肌の切り立った箇所を進む必要があるものの、比較的歩きやすい道である。天気は少し雲があるものの晴れており、絶好の訓練日和である。
教官が点呼をとり、全員の背嚢に異常が無いか確認する。その後、訓練前の朝食をとり、体調等に問題がなければ訓練開始となる。
時刻は7時50分、2班は7班中トップで行軍を開始することができた。
行軍訓練開始直後、麗奈がペースを上げて2班の集団から抜け出した。集団との差はどんどん開いてゆく。ペアでの行軍が命令されているため、必然的に俺もペースを上げなくてはいけなくなる。しかし麗奈は俺のことを待つ気配もなく、どんどん先へ進んでゆく。
(あいつ、どういうつもりだ?序盤からあんなハイペースで最後まで持つわけがない!それよりも、教官からの説明を聞いていたのか?行軍訓練はペア行うように指示されてるってのに・・・。ペースを合わせる俺の身にもなれ!)
口に出さず心の中で毒づきながらも、麗奈をこのまま一人で行かせるわけにもいかないため、追いつくべくペースを上げた。
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行軍訓練が始まって約1時間が経過した。周りを見回しても俺と麗奈の姿しかない。今は麗奈の後方2mほどの距離を維持して歩いている。
麗奈は訓練開始時からほとんどペースを落とさずに1時間近く歩き続けているのだ。しかし、かなり足に疲労が溜まってきているのは後ろから見ていて分かる。それは無理もない、これまでノンストップでまともな水分補給すら摂っていない。加えかなりのハイペースである。俺から考えてもこのペースはかなりのハイペースである。日頃の訓練から見て、麗奈に俺以上の体力があるとは到底考えられない。つまり、麗奈からすれば確実にオーバーワークであるに違いない。
「そろそろ行軍訓練が始まって1時間になる。この辺りで一度休憩を入れないか?このままのペースだと確実にばてて、最後まで持たないぞ?」
「・・・・・・。」
返答は無く、振り向きもせず前だけを見てひたすらに歩き続ける。
「麗奈さん?休憩を入れな――――」
「休みたければ、あなただけ休めばいい。私はこのまま行く。」
俺の問いかけにかぶせるようにして返答を告げた。
「ずっとまともな水分補給すらせずにここまで来てる。このままだと下手をするとリタイアになるぞ?」
「私は問題ない・・・。さっきも言ったけど、あなただけ休憩を摂ればいい。私は休まずにこのまま進む。」
振り向く事無く応え、ペースを落とそうともしない。
俺の目的はあくまでも行軍訓練の完遂であるため、彼女に合わせて無理をする必要は無い。仮に彼女がオーバーワークによって途中棄権してしまったとしても、俺は一応忠告したため彼女の自己責任であるのだが・・・。
やはり、彼女のことが気掛かりでないと言えば嘘になる。仮にも自分のペアであるので当然である。それに、彼女以外にも一つ気掛かりなことがある。それは天気だ。開始時は晴れていたにも関わらず、今では分厚い雲が空を覆い雨が降りそうになっている。
1時間後、強い雨が降り始めた。
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結局、俺と麗奈は2時間ぶっ通しで行軍を続けた。途中で何度も自分だけ休憩を入れようと思ったが、結局ここまで来てしまった。何故かは自分でもわからない。雨が降り始めなければまだ歩き続けていたのかもしれない。今の状況は休憩と言うよりも中断の方が当てはまるのかもしれない。
一旦、木陰に入り背嚢を下す。雨の中の行軍は最悪の場合、低体温症を発症する可能性があるため大変危険であるのだ。そのため、背嚢の中にある雨除けの合羽を取り出す作業をしていた。
流石に30㎏の荷物を背負い、山道の悪路を2時間歩き続けたために、俺も麗奈もかなり疲労していた。休憩無しでここまで来たこともあり、早くも4㎞地点を通過している。このままのペースで進み続けるなら、もしかすると昼過ぎには行軍訓練を終えることが可能かもしれない。しかし、この先の岩の多い山道ということもあり、雨天時注意を払って行かなければならない箇所である。
合羽を着終わると、そのまま20分程予定で休憩に入った。
「さっき、休憩をとるようなことを言ってたけど、何でここまで付いて来たの?」
まさか、麗奈の方から話しかけてくるとは思わなかった。半ば驚きつつ応える。
「強いて言うなら、かなりのオーバーワークをしているペアのことが心配だったからかな。」
「余計なお世話よ・・・。」
そう言い残し、まだ15分間ほどしか休憩を摂っていないにも関わらず、麗奈は行軍を再開した。
ペアが心配であることには違いないが、俺自身もかなりの疲労が蓄積しているためもう少し休むことにした。麗奈が出発して約5分後、俺も再び行軍を開始した。
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悠人より約5分早く出発した麗奈は、雨天時に最も注意を払わなければならない岩肌がむき出しになっている斜面の上を歩いていた。冷静であれば1歩1歩注意を払い、歩を進めるだろう。
彼女が今回の行軍で何故、無謀とも思えるオーバーワークを行っているのか、それは、行軍訓練で単独1位を取り、実力があることを教官たちに見せつけることで悠人とのペアを解消進言しようと考えていたためである。初めからペースを上げ、班員を離した理由も同じである。自分にペアなどは必要無いと周りに示すことが目的だった。
しかし、イレギュラーな事態が発生した。予想以上に悠人がついてくるのである。
(何であんなについて来るのよっ!?それに私が心配だった?ふざけないでよ・・・。これまで一切ペアとしての関係を築いてこようとしなかった私が、心配なわけないでしょ・・・。こうなったら、意地でも単独1位を取ってやる)
麗奈はいつの間にか冷静さを失い、完全にやけを起こしていた。
そんな時である。ただでさえ雨によって滑りやすくなった道を、冷静さを欠いた足取りで歩いたため足を滑らせてしまった。平時なら少し足を滑らせたぐらいでは転倒しなかっただろう。しかし、約30㎏の背嚢を背負い、更にオーバーワークにより脚に予想以上に疲労が溜まっていたせいで、後ろに転倒してしまった。
転倒時、重い背嚢のせいで体制を立て直すことが出来なかった。そしてそのまま、
「キャァァァァアアアアアア!!!!!」
悲鳴を上げながら斜面を滑り落ちていった。
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俺は麗奈に追いつくべく、少し早めのペースで歩いていた。麗奈の疲労は俺以上であったため、先ほどよりもだいぶ遅い速度で歩いていた。行軍訓練を行う道は、ハイキングコースを利用しているため見晴らしがよい箇所も多い。そんな1か所に差し掛かった時、麗奈の後ろ姿が見えた。前方約50mの位置に確認した彼女のスピードはあまり早いとは言えず、このままのペースを維持すれば直ぐに追いつくと推測された。
残りの距離が30m程になった時に事件が起きた。いきなり麗奈がバランスを崩し、悲鳴を上げながら斜面を滑るようにして落ちていったのである。
これはかなり不味い事態である。麗奈の滑り落ちていった所へ急いで向かう。崖下を見た所、下には木が多く生えているため岩にぶつかってしまうよりは、幾分かマシではある。しかし、危険であることには変わりなく、彼女のことが心配である。
その後の動きに迷いはなかった。俺自身も斜面を滑るようにして崖下へ向かう。
(頼む!無事でいてくれ!!)
祈るような気持ちで斜面を滑り降りていった。