だが目が醒めると、彼は赤ん坊になっていた。
それから18年後––––
2015年1月20日 神奈川県 横須賀市 防衛大学校
掲示板に貼られている数枚の大きな紙を、人々は食い入るように見つめていた。自分の番号を見つけた者は歓喜の声を、見つけられなかった者は落胆の声を上げる。
その中の一人、日本人らしい黒髪と珍しい碧眼を持つ青年は自分の番号を見つけると、満足したようにグッと拳を握り締めて小さく笑った。
そのまま青年はそこから抜け出そうと、掲示板の前に形成されていた人混みを掻き分けて歩き始める。
人混みから抜け出した彼は、懐からスマートフォンを取り出し、連絡先に登録されていた番号に電話を掛けた。
『もしもし?
……立香、どうだったの?』
数回のコール音の後に電話は繋がる。
スマートフォンのスピーカーから、落ち着いているがどこか不安そうな女性の声が聞こえた。
青年はその声を聞いて、一瞬顔を強張らせるが、すぐにフッと人の良さそうな笑みを浮かべた。
「……うん、合格したよ。母さん」
青年は出来るだけ優しい声で電話の相手にそう答えた。
『本当!?』
電話の相手は電話越しでも喜んでいるのが分かるほど声を弾ませた。
その声に青年は上手く行ったと心の中で呟き、ホッと胸を撫で下ろす。
「本当だよ。嘘なんかついてないって」
青年はそう言うと小さく笑った。
『良かった……おめでとう立香! 父さんが帰って来たら伝えておくわね!』
「うん、ありがとう。……それじゃあ、またね」
青年はそう言って電話を切りスマートフォンをポケットにしまうと、途端に顔を顰めて溜め息をついた。
そのまま彼はポケットから煙草を取り出そうとしたが、今の彼は煙草を持っていないどころか吸えない事を思い出して、先程より深い溜め息をついた。
「
彼の名前は藤丸立香。
18年前、赤ん坊に生まれ変わったローガン・K・アダムス大尉に与えられた、新しい名前だ。
2015年のイラクで死を迎えた筈だった彼は、気付けば1996年の日本の、産まれて間も無い赤ん坊になっていたのだ。
このような出来事、俄かには信じられないだろう。ローガンも当初は、夢を見ているのか、天国にいるものだと考えていた。
「まあ、夢でも天国でも……地獄でも無かったんだがな」
立香は顔を上げ、少しばかり雲が掛かった空を見上げる。
––––その青空の鮮やかさは、あのイラクの空と同じものだ。
立香が空を見上げてしばらくすると、スマートフォンが再び震え出した。
ポケットからスマートフォンを取り出し画面を確認すると、『Nelson』という文字が表示されていた。
彼は通話ボタンを押し、スピーカーを耳に近づける。
「もしもし?」
『合格したんだな!? やったじゃないか立香!!』
スピーカーから流れる声のあまりの大きさに、立香はキンと耳鳴りがするのを感じた。
「親父……いつも言ってるけど、そんな大声を出さなくても聞こえてるよ」
『っああ、すまん。思わず興奮してな……それよりもだ、合格したんだってな?』
「勿論さ。もう母さんから聞いてるだろ?」
電話に出た男は藤丸立香の父親、藤丸ネルソンだ。名前からも分かるように彼は欧米系、それもローガンと同じアメリカ人なのだ。
「肩の荷も降りた事だし、少しブラブラする予定さ。しばらくしたら家に帰るよ」
『ああ、母さんと2人で待ってるからな!』
「うん、分かった」
そう言って立香は電話を切ると、視線を足元に移し、先程のものよりも深いため息を吐いた。
勿論の事ではあるが、彼は両親に自分が生まれ変わった人間である事は伝えていない。
まともな感性を持つ人間であれば、自分の息子が突然自分は生まれ変わりだ、などと口走り始めたら精神病院に担ぎ込むだろう。伝えない方が良いのは丸分かりだ。
立香は、あの二人にそのような事をさせたくなかった。あの二人は彼にとっての本当の親ではないが、この体の––––藤丸立香の親なのだから。
顔を上げた立香は後ろを振り向き、視線の先に建つ建物を見上げる。
「……それにしても……ハッ」
立香は自嘲気味な笑みを浮かべながら、小さく鼻で笑った。
「俺が自衛隊、か」
彼が合格––––否、採用されたのは自衛隊幹部の教育・育成を目的とする防衛大学校。日本国自衛隊における士官学校だ。
自衛隊は、言わなくても分かるであろうが、日本の防衛を司る軍隊もどきの組織である。実質軍隊だ。
周知の事実だが、彼らの実戦経験はゼロだ。
「戦争で飯を食って来た男が、戦争をした事のない軍隊に入るってのは、中々に皮肉だな」
立香はクツクツと堪えるように笑うが、徐々にその顔から笑みは消えていった。
結局の所、彼は軍でしか生きる事が出来ないのだ。所詮は人殺しと言ったところか。
「……ん?」
立香が歩き始めた時、またもやスマホが鳴り出した。どうせ父か母のどちらかだろうと思いスマホの画面を覗いた彼は、画面に映った文字を見て動きを止めた。
画面には『非通知』という3文字が表示されており、誰が発信したのか分からないようになっていた。
立香はイタズラ電話だろうと自分に言い聞かせ、通話拒否のボタンを押した。しかし、スマホの画面から非通知の三文字が消える気配は一向にしない。通話拒否のボタンがまるで反応していないのだ。
「どういう事だ……?」
立香はその後も何度も通話拒否ボタンを押すが、バイブレーションが止まる気配は一向に無い。
「ああクソッ、一体何なんだ?」
吐き捨てながら立香は何度も連打するが、画面が変わる様子は一向に無い。
そのまま彼はしばらくの間スマホと格闘していたが、50回ほど通話拒否を押した所で諦め、苦々しい表情で通話ボタンを押した。
「––––もしもし?」
立香は恐る恐る、けれどもドスの聞いた声で、スマホの向こうにいるであろう誰かに声を掛けた。
『藤丸立花くんかい?』
スピーカーから帰ってきた声は、まるで立香が警戒しているのを事前に知っていたかのように落ち着いたものだった。
「……アンタ誰だ?」
『まあそう警戒しないでくれ。別に君やその家族に危害を加えようだなんて思ってないよ』
電話の相手は、まるで上司が部下に指示するかのように淡々と話した。
「馬鹿言え、素性も知らない人間を信用なんざできるか」
『……ならこちらの要件だけを伝える。
本日の14時までに防衛省正門前に来てくれ。勝手に帰ったりしないように』
「おい、まだ話は–––––」
『ああそうそう。
––––––採用おめでとう、立香くん』
「––––ッ、おい待て……Shit!」
プツリと電話の切れる音がする。立香はスマホを耳から離すと、既に暗転した画面を見つめ、悪態を吐いた。
急いで立香は通話履歴を確認するが、先程の通話の履歴は残っていなかった。
立香は何かを考えるような表情で顎に手を当てた。
先程の人物。あの人物は確かに防衛省と言い、立香が採用された事も知っていた。
これらの事柄から考察するに、掛けてきたのは恐らく防衛省の関係者。
だが、そんな人物が立香に何の用があるのか。立香は––––彼自身が認識している範囲でだが––––試験等で問題は起こしていないはずだ。
とはいえ無視していいような話では無いだろう。もし試験に関する事なら、今後の人生に関わりかねない。
「……百聞は一見に如かず、ってやつだな。」
立香は仕方ないという様子でそう呟くと、駅のある方向へと歩き出した。
13時45分 防衛省 正門前
「……少し早く来すぎたか?」
立香は正門前に自身と警備員以外は人っ子一人いない事を確認すると、やってしまったと言わんばかりに頭を掻き毟った。
はあと溜め息を吐いて顔を上げ、立香は腕時計で現在の時刻を確認した。
「
こんな事なら、もう少し遅く来ても。
そんな考えが頭に浮かぶのと同時に、正門のある方向から足音が近づいて来るのに立香は気付いた。
「藤丸くん……藤丸立香くん!」
正門前から、立香を呼ぶ声が聞こえる。その声は、あの電話の声と同じものだ。
声がした方に立香が目を向けると、陸上自衛隊の、それも幹部の制服を着た40代前半ぐらいの男性が正門から出て、立香の方へ歩いて来ているのが見えた。
その男性の肩に付けられている階級章を目にした立香は、心の中でひどく驚く。
階級章には二本の線と、その上に三つの桜が描かれていた。
「待たせて悪かったね。私は並木涼介。陸上自衛隊一等陸佐だ」
「藤丸立香です」
立香は脊髄反射的に敬礼しそうになるのを抑え、目の前の男––––並木に頭を下げる。
「電話ではすまなかったね。強引な手段を使ってしまって」
「いえ。気にしておりません」
流石の彼でも、他国の佐官相手には口調が強張ってしまう。
「そうなのかい?」
立香の言葉に並木は首をかしげる。だが急いでいるらしく、すぐに時計をチェックし出した。
「……とにかく、詳しい話は中でしよう。付いて来てくれ」
––––––––––
並木の後を付いて行った立香は、とある応接室に通された。内装は質素ながらも気品ある作りになっている。
窓からは東京の街並みと赤坂御用地を一望でき、壁には額に入れられた様々な写真や絵画、表彰状。応接室には御誂え向きな部屋だった。
「……良い場所、ですね」
「そうだろう? ここからの眺めは私も気に入ってるんだ」
並木は自慢気にニコリと笑う。
ああ、この人は良い人だな。立香はその笑顔を一目見てそう確信した。
「かけてくれ。コーヒーは飲めるかい?」
「はい。ありがとうございます」
そう言われた立香は、目の前にあった革製のソファにゆっくりと腰を下ろした。体重をかけられたソファのスプリングが、ギシリと小さく軋む。
並木は、どこからか持ち出したコーヒーカップにコーヒーを注いでいた。
「ミルクと砂糖は?」
「あ、ブラックで大丈夫です」
「分かった……はい、どうぞ」
そう言って並木は立香の前のテーブルにコーヒーを置いた。コーヒーからは香ばしい匂いが漂っている。
「ありがとうございます、一佐」
立香は小さく頭を下げる。並木はもう片方のコーヒーをテーブルに置くと、立香の向かいのソファに座った。
「––––それでだ。君を呼んだ件についてだが……」
ソファに座った並木は何かを言いかけるが、そのまま深刻そうな表情を浮かべて黙ってしまった。
そしてそのまま顔を上げ、立香と目を合わせる。
「……もし、自分に世界を救えるかもしれない力があるとしたら、君はどうする?」
「––––はい?」
「いや、もしもの話だよ」
「はあ……」
立香は口元に手を当てて、目線を下に向ける。しばらくすると彼は目線を並木に向け、ゆっくりと口を開いた。
「……自分としては、そのような力があるなら、最大限に活用させて頂きます。
この世界が、人類が今のように存続し、繁栄できなくなる……そういうのは、自分には受け入れられません。
ですから自分は……この世界の、人類の為なら、何だってやります」
これが彼の考えだ。
人類は確かに愚かで、滅ぶ必要があるのかも知れない。彼も20年間、人間のそういう愚かな側面を見てきた。
だがそれでも、彼はこの世界を、
目の前の青年の思いも寄らぬ返答をを聞いた並木は、驚いた顔で立香を見る。
その様子を見た立香はやってしまったと言わんばかりにソファに座り込んだ。
「あ……すいません。こんな馬鹿みたいな持論を……」
「いや、いいんだ……うん、うん……藤丸君。やはり私は君に賭けてみようと思う」
「え?」
並木はソファから立ち上がると、何かを覚悟したような厳しい表情で立香の目を見た。
「単刀直入に言おう、藤丸立香君。君には、世界を救う力がある」
「……は?」
突然訳の分からない事を言い放った並木を、立香は怪訝そうな顔で見た。
あまりにも突拍子過ぎて、立香はこの男はヤク漬けになっているのではないかと一瞬疑う。
「いきなり何の話ですか?エイプリルフールはまだ先––––」
「私は至って真面目だよ。これは事実だ。……まあ簡単には信じられないと思う。私も初めて話を聞いた時はバカバカしい、ただの冗談だと思ったからね」
平然とした様子で語る並木の様子を見て、立香は訳が分からなくなった。
世界を救うとは一体どういう風に吹き回しなのか。なぜ目の前の自衛官は突然そんな事を言い出したのか。それに、世界を救う力が立香にあるとはどういう事か。
頭の中が混乱する。脳がオーバーヒートを起こしかけているからか、こめかみに小さな痛みが走るのを立香は感じた。
「……一佐、ちょっと意味が分からないんですが」
「ああ、すまない。説明不足だったね。まず元々の話をしよう」
並木はソファから立ち上がると、窓の方へと歩き出した。
「……これから話す事は、各国政府のごく一部にしか知らされていない物だ。絶対に、他の人間には話しては駄目だよ」
「ええ、大丈夫です。そういうのには慣れてます」
「……そうか」
そう一言だけ呟き、並木は立香の方に振り向く。その表情は、先程よりも一層険しいものだった。
「……今年の初めに、国連隷下の組織から各国へ同時にある情報が通達された」
尋常ならざる雰囲気に立香も思わず息を飲む。国連隷下の組織、その一言で一気に話が真実味を帯び出した。
「その内容は––––」
国連隷下の組織。各国へ等しく通達されたある情報。立香にはただの機密とは考えられなかった。
「––––2016年12月31日をもって、人類は絶滅する。というものだ」
一瞬、ほんの一瞬。立香は目の前にいる男が何を言っているのか理解出来なかった。いや、思考が止まったと言った方が正しいだろう。
人類が、絶滅する。今から僅か二年足らずで。あまりにも馬鹿馬鹿しく、衝撃的な言葉だった。
窓から見えるあのいつも通りの世界が、あと二年も経たずに絶滅するのか。
「は、はは、ご冗談を。誤報では?」
立香は引きつった笑みを浮かべて並木一佐に尋ねた。こんな話、到底信じられるはずがない。人類が絶滅するなど、それほど突拍子も無い話なのだ。
だが一佐は何も言わず、小さく首を横に振る。
「……本当、なのですか」
無言のまま、一佐は首を縦に振る。
それを見た立香は下を向き、頭を抱えた。人類が滅ぶというのは馬鹿馬鹿しい嘘ではなく、事実であるという事なのだ。
「
信じたくなくともこれは紛れも無い事実なのだ。そう、彼の中に巣食う直感のようなものが確信を持った。
あと二年もしない内に、人類は滅びる。思わず素で英語が出てきてしまうほどに、衝撃的な話だった。
「……藤丸くん、聞いて欲しい」
動揺している様子を見た並木一佐はソファに戻ると、立香に声をかけた。その声を聞いた立香は、ゆっくりと顔を上げる。
「我々も、ただ人類が滅びるのを待っている訳じゃない。君が呼ばれたのも、人類の絶滅を防ぐためなんだ」
「……どういう事ですか?」
「今回の情報を通達した国連隷下の組織だが、彼等はこの件を解決するために、世界中からとある才能を持った人間をかき集めているんだ」
立香はその話と自分に何の関係あるのかと一瞬疑問を抱いたが、すぐにどういう事なのか気が付いた。
「……なるほど。それが、自分の、世界を救う力とやらだと?」
「ああ、その通りだ」
ようやく立香の中でも一応合点がついた。その組織は立香の世界を救う力とやらを欲しているのだ。
それと同時に幾つか疑問も浮かぶ。その組織は、なぜわざわざこんな平凡な一青年を招集するのだろうか。それ程までに事態は芳しくないのだろうか。
だが疑問に思っている暇はない。今やるべきなのは、自分がすべき事を確認する事だ。
「それで一佐、自分は一体何をすれば?」
頭をブリーフィングモードに切り替え、立香は並木に尋ねる。
「ああ、その事なんだが……」
「……? 何か問題でも?」
並木は何かを言おうとしたが、何を思ったのか俯いて口ごもってしまう。何かまずい事でもあるのだろうかと立香は推し測る。
「今年の8月に、君をアメリカまで連れて来てくれと言われているんだよ」
「8月……」
8月となれば、今から7ヶ月後––––立香が防衛大に入学してからなら4ヶ月後だ。
時期としてはあまりにも早すぎる。例え留学を言い訳にしたとしても、入学一年目の夏から留学なんていうのは怪し過ぎるだろう。
だが裏を返せば、人類はそれほどまでに追い詰められているという事なのだろう。
「勿論、君が嫌なら拒否してくれたって良いんだ。代わりの人間だっている。無茶してまで行かなくて良いんだよ」
「………………」
このまま話を承諾し、本当かどうかも不明な人類の滅亡を防ぐ為にアメリカへ向かうか。話を断り、自衛隊の幹部候補生として安定したこれからを過ごすか。
大半の人間は後者を選ぶだろう。それが一番懸命だ。
しかし後悔の大きさで考えればどうだ。もし本当に、人類が危機に瀕しているのなら。もし自分がいなかったせいでそのまま滅んだら?
奇跡が起きない限り、過去には戻れない。後悔は、どちらの方が大きいだろうか。
立香の、彼の答えは明白だった。
「––––行きます」
覚悟などというものは、とうの昔に決めていた。これは今の自分に与えられた責務なのだ。
幾ら時が経とうとも、身体が変わろうとも、立香は––––ローガンは海兵だ。その
海兵なら、己に課せられた責務を果たすべきだ。
「本当に、良いのかい?」
並木は、確認するように立香に尋ねた。立香は無言で首を縦に振る。
「……分かった。詳しい日時が決まり次第、君に伝える。
だが決して、決して他の人には言わないで欲しい。出来るかい?」
並木の言葉に対して立香は、ソファから立ち上がり––––
無言の敬礼で応えるのだった。
どうも、意外と評価が良かった(?)ので調子に乗ってる駄文作者です。
第2話、如何でしたでしょうか?
励みになりますので、出来ればコメントや評価などもお願いします。
2018/11/4…若干の修正に伴い再投稿しました