Fate/Blank Order   作:後菊院

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本編
第一話


 

 

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 英雄になりたければなればいい。

 誰もそれを邪魔したりはしない。

 きみが誰かの偽物になるだけだ。

 

 

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 俺には空々空(そらからくう)っていうサーヴァントがよくわからない。

 まさに理解不能――意味不明と言って良かった。

 バーサーカーっていうわけでもなし、言語自体が通じないとか、或いは何処かしら何かしらの方向にふっ切れているって感じでもないんだけど――でもバーサーカーよりもよっぽどわけのわからない存在だった。

 英霊エミヤと同じ『現代の英霊』だってのもあって、彼の残した功績が確認できない、つまり空々空という人物の輪郭が見えないことが一番大きな原因になんだろうけど、それ以上に――否。それとは一切関係なく、俺は彼を理解できなかった。

 こういう相手を、「うまが合わない」とか「そりが合わない」とかいうんだろうか。

 これまでの人生で彼のような人間――自分と決定的に合わない――明確な敵対こそしないものの、恒常的に何処か()()()()()()存在に出会ったことはない。だから果たしてこの解釈が正しいものなのかどうなのかは判別のしようがなかったけど、他にそれらしい推測も立たないので、いまひとつ納得いかないけど、それでこの謎を頭の奥に押しとどめている。

 俺はカルデアのサーヴァント――つまりは古今東西の人間たちと良い関係を築けていた。もしかしたら冗談じゃなく世界中の人々誰とでも仲良くなれるんじゃないかなんて思ってしまえるくらいの自信があった。これまでの特異点で敵対した者たちとも、カルデアに喚んだ後は仲良くなっていた。だからこそこんなサーヴァントが存在することがショックだった。

 他の皆はどうなんだろう。俺と同じような感想を、彼に対して抱いている者はいないだろうか。

 この納得できないもやもやの原因は、空々の方にあるんじゃないか――相手側に他者との関係を崩すような何かがあって、もしかすると俺には何も問題はないのではないかと、自らの周りの者に、彼の印象を聞いてみた。

「空々さんですか? はい、確かに彼は他のサーヴァントの方々とは少し雰囲気が違いますね」

 マシュ・キリエライトは俺の質問にこう答えた。

「活躍なさった時代が現代だからなのでしょうか……。他のサーヴァントの皆さんと比べてみると、とても普通の感性をお持ちですよね。失礼かもしれませんが、前知識なしでは、とても英霊には見えません」

 彼女の感想は、残念ながら俺にとっては期待外れだった――見当外れと言ってもいい。マシュの見立ては確かに正しくて、事実、彼の風体や言動はとても人類史に輝く英霊には見えない。打ち立てた功績も、彼自身全く語ろうとしないので、何かの間違いで一般人が召喚されたのではないか、そんな噂が半分冗談半分本気でカルデア内を流布していたりもする。

 だが、違う。

 俺の中の何かが、それは違うと叫んでいる。

 彼は普通ではない――普通などという概念から最も遠い場所にいるのが彼だと。

「ソラカラ。彼は……不思議な方です」

 少し難しい顔をしながらそう言うのは、アルトリア・ペンドラゴン。

「彼の身体能力は、その、そこまで高くありません。サーヴァントとして――神秘の現象として顕現している以上、最低限の肉体強化はされてはいますが…………。現代で英霊になるというのは、私の時代よりも遥かに難しいことであると、聖杯からの知識にあります。アーチャー――英霊エミヤは、人類意志と契約して、守護者という形で英霊の座に押し上げられたと聞きましたが、ソラカラはその例に組み込めない。彼は一体何をしてここにやって来たのでしょうか? そこが不思議です」

 名高き騎士王は彼の戦闘能力に注目していた。確かにそれは俺も非常に気になるところではあるのだが、しかしそれはいま俺が感じているものにあまり関係が無い気がする。

「空々君。うん、確かに彼の人格には興味深いものがある。是非とも生前の話を聞いてみたいものなのだけど――どうやら彼は私を避けているようでね。前に一度、半ば無理やり聞き出そうとした時も、小学生の頃は野球に明け暮れていた野球少年だったということしか教えてくれなかった」

 名高き天才レオナルド・ダ・ヴィンチは流石に彼の異質さに気づいていたようだったが――そこに嫌悪やそれに比類する感情は見えなかった。となるとやはりこれは彼と自分の間にあるものなのか。無駄な足掻きが徒労に終わって、少しがっかりしていると、

「君からも聞いてみたらどうだい? マスターからの質問なら、案外答えてくれるかもしれないぜ」

 ダヴィンチちゃんがそんな提案をしてきた。

 空々の過去を聞く?

 そういえば、面と向かって彼にその手の話を聞こうとしたことはなかった。こういうことをこちらから詮索するのは違う――空々から話すのを待つべきだと、そんなセオリーをこの場合にも当て嵌めていたが、なるほど考えてみれば親睦を深めるという意味合いでそういう一歩踏み込んだ話をするのも手かもしれない。多くのサーヴァントは辛抱強く待つことで心を開いてくれる――その性質がプラスかマイナスかの違いはあれど、大抵あちら側から立香に近寄ってくる。押しの強い王や皇帝達は勿論、学者だって殺人鬼だって、悪魔だって海賊だって孤独な夜が好きなアウトローですら、その例には漏れない。それは相手側からのアプローチが無い限り関係はずっと平行線のままであるということだ。時にはこちらから最初の殻を割っていくことも必要なのではないか、待っているだけでは駄目なのではないかと、ダヴィンチの何気ない一言で気づかされた。

 同時に思う。空々だって腹を割って話せば案外分かり合えるのではないか、これまでの敵対者――黒き騎士王や文明の破壊者、ケルトの女王や獄炎の魔女の様に、心を通わせることができるのではないか――……

 そんな風に――思ってしまった。

 

 

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 空々空は普段何処にいるのだろう。

 空々に割り振られた個室を訪ね、現在そこに彼がいないことがわかった時、そんなことも知らない自分を認識して、これではマスター失格ではないかと軽く自己嫌悪に陥る立香だったが、しかしカルデアに召喚されたサーヴァント全ての生活スタイルを把握している者など精々ダヴィンチとホームズくらいのものなので、それは敏感に反応しすぎである。この思いの裏側には、だから空々へのどうしようもない苦手意識があるのだが、そこまでの自己分析ができる程立香は大人ではない。他の誰かに空々の居場所を聞くのも、自らの至らなさを暴露するようで気がひけたが、しかしこのままあてどなくカルデアを彷徨っているよりはと思い切り、職員やサーヴァント達に彼の行方を尋ね始めた。

「空々君なら普段はトレーニングルームにいるよ」

 その情報を手に入れた時は意外に感じたが、思い返せば彼はもともと野球少年だったという話をダヴィンチちゃんから聞いていた。印象に反して、彼はアウトドアを好むのだった。召喚したのが比較的最近である為、実際に戦っている姿を見たことはないが、ひょっとして彼は武闘派なのだろうか? それもまた想像がつかなかった。アサシンというクラスの性質上、高くはないにしても、最低限の戦闘能力は備えているのだろうが。

 無機質な造形にほんの少しの神々しさを加えたカルデアの白い廊下に「コン、コン」と足音を響かせながら、立香はそんなことを考える。幾つかの角を曲がり、サーヴァント達がよく利用する模擬訓練施設が密集するフロアに辿り着くと、ランプが『使用中』という表記になっている部屋を発見し、中を覗いてみる。

 すると仮想空間に作られた平原の道を走る空々少年の姿が見えた。

「マスター。こんにちは」

 こちらに気づいた彼は軽い会釈と共にこれといって特徴のない年相応の声で挨拶をしてくる。立香も挨拶を返した。召喚時の彼の年齢は十二、三歳くらい。サーヴァントというのは原則全盛期の姿で召喚に応じるのだが、だとすれば彼の全盛期は驚くほど幼い。今の立香の年齢よりも一回り下である。こんな小さな頃に、彼は英霊の座に招かれる程の偉業を打ち立てたのだろうか。

 空々は足を一度止めると道を外れ、トレーニングルームの中枢である制御盤の前まで歩き、明かりと空調を除くすべてのシステムを落とした。肩にかけた手拭いで額の汗を拭きながらこちらに向かってくるのをみると、どうやら今日のトレーニングは終わりにするらしい。立香が来たからなのか、それともだたタイミングが一致したのかはわからないが、立香の心は幾分安らいだ。

 どうやら向こうはこちらを嫌ってはいないらしい。

「どうかしましたか? 何か用でも?」

「ああいや、用ってほどでもないんだけどさ……ちょっと空々君と話ができないかって」

「…………」

 表情の変わらない顔で立香をじっと見てくる空々――その沈黙が痛いほど長く感じたが、実際はほんの一瞬だったようで、「構いませんが」という空々の声で立香の束縛は解ける。

「でも動いた直後なので、一度シャワーを浴びてきていいですか?」

 サーヴァントの身体で汗をかくほど運動していたのか。

 案外レオニダスの様な筋肉系なのかもしれないなと、頭の中で空々の印象を少し砕く。

「――うん。いきなり押しかけてごめん。もしかして、まだトレーニングの途中だった?」

「……いえ」

 丁度今切り上げようとしていたと、空々は言った。

 

 

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 隣のシャワー室へ消える彼の後姿を見送った後、立香は廊下の壁に背中を預けながら彼への質問をどう切り出そうか思い悩んでいた。

 当初は君の生前の話を聞かせてほしいとストレートに質問をぶつけるつもりだったが、いざ彼と会話を交わした後だと現実感に引き戻されてしり込みしてしまった。婉曲にそれを伝えられるいい言い方は無いかと思案するが、そうそう都合よく名案も出ない。だが面と向かって聞くのはやはり抵抗がある。思考が堂々巡りに陥って、いよいよ最初に思い描いた聞き方すらわからなくなってきた辺りで、空々はシャワー室から出てきた。

「……ここで待っていてくれたんですか」

「あ、うん……。気にしなくていいよ? 全然大丈夫だから」

 そう言ってから一体何が大丈夫なんだよと心の中で自らに後悔のつっこみをいれる。自分は今引きつった笑みを浮かべているのだと、いちいち鏡を見なくてもわかった。濡れた髪から白い湯気を立てている空々は、怪訝そうな顔つきで立香を見ながら

「ありがとうございます」

 と、礼を言った。

「……え? あ、うん……。いいよ、そんなの……」

 予想外の言葉に面食らい、困惑する――出会いがしらに罵声を浴びせられるよりもびっくりしてしまった。まさか彼の口からありがとうなんて言葉がでてくるとは。冷静に考えれば至って普通の、何でもないことなのだが、不思議なことに立香は、空々が礼を言うことにひどく違和感を覚えた。

 そしてまた自己嫌悪。

 どうしてこんな風に感じるんだ。

 彼は何も悪くないっていうのに。

「どこに行きましょうか。食堂は近いですけど、この時間ならエミヤさんたちが厨房にいますよね」

 空々に言われて初めて話をする場所をどこにするかという問題に気づく。そうだ、話す場所なんてどこでもいいと思っていたけれど、他の人がいる場ではしない方がいいことを彼に聞く筈じゃないか。咄嗟に空々に聞かれ、立香は――

「――俺の部屋とかどう?」

 少し冒険的な提案だったが、空々は特に何のリアクションもなく「いいですよ」と承諾してくれた。これは何というか、失礼にあたるのかもしれないが、予想通りの反応だった。彼はプライベートとかそういうデリケートな問題に鈍感な人間だったのだと、何となく察せられた。

「じゃあ行きましょうか」

 

 

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 人理保障機関『フィニス・カルデア』は、通常時ならば今の倍以上の人員が生活できるようになっている巨大施設である。訓練室と各個人の私室は違うエリアにあり、間の距離はやはり徒歩で二、三分かかるくらいのものなのだが、悲惨なことに、立香と空々が訓練室から立香の私室に到着するまで、一切の会話は無かった。

 『会話が無くても一緒に居られるのが本当の友達』などと言うが、未だそんなに仲良くない――これから絆を深めようという相手と共に無言の二分を過ごすのは立香にとってかなり堪えた。コミュニケーション能力はある方だと自負していたのだが……、今まで積み重ねてきた自信を見事にへし折られた気分だった。

 もっとも、ここまでの流れは『話があるので場所を移そう』というものなので、話をする前に話をするのもおかしいという理屈はあるのだが。

 真面目な話をするなら尚更だ。世間話でお茶を濁した後でさっとシリアスなムードに切り替える自信は立香にはない――相手を選べば可能だが、今回の相手は空々空だ。

 おちゃらけることはできない。

 だから自分の部屋に空々を通して彼に椅子を出し、自身はベッドに腰掛け、空々に対面した時、立香の中には既に一仕事終えた後の様な疲労感が溜まっていた。

「それで、何の話ですか?」

 空々はまず椅子を出してきた立香に「ありがとうございます」と礼を言うと、立香の部屋をぐるりと一周見回し、差し出された椅子の背中を僅かに引いて、ゆっくりと腰掛ける。部屋を見回したということはあれか、彼も彼なりにマスターの部屋に入って緊張しているのだろうかと勝手な推測を立ててみたが、立香に質問をした後はずっとまっすぐこちらに視線を向けたままだ。流石はサーヴァント、こんなことでは動じないらしい。

「……悪い。『話をしたい』って言うのは、実はちょっと違うんだ」

 立香は初め、謝る。

「どちらかというと、俺は空々君の『話を聞きたい』と思った結果が、今日の誘いなんだけれど」

 それは立香自身の律儀な性格が言わせたのが半分、こちらが下手に出ることで空々の口が少しでも緩むのではないかという、立香にはあまり似合わない計算高い思惑もあった。

「無理にとは言わないよ。ただ、現代の英雄譚がどんなものなのかって、君がカルデアに来てくれた時から気になっててさ――思い出したくない記憶とかだったら、無理に話さなくたって全然いいんだけど……。君と仲良くなれるきっかけになれたらいいなって思ったんだ」

 嘘を語っているつもりはない。

 ずっと思っていた本当のことを――本心を伝えているつもりだ。真摯に向き合わなければ、人との距離は縮まらないと立香はちゃんと知っている。

 それなのに立香は、自分の心の何処かが、じわりと黒ずむ様な感覚に襲われた――決してそんなことはない、それは自分の自意識過剰だ、自分ひとりで作った幻で、そんなものある筈がないんだと必死で自分に言い聞かせながら、空々の瞳を見つめ返す。

 彼の瞳からは――何も読み取れなかった。

「……そんな」

 何も読み取れないまま、彼の口は開かれる。

「僕はそんな、英雄譚とか言われるような大層な人生なんか送ってきていないですよ」

 それが謙遜なのか、それとも比較的事実に沿う供述なのかどうかの判別は立香にはつかない。ずっと空々の所作を見続けているが、彼は本当のことを言っている風にも見えたし、嘘を吐いている風にも見えた。

 よくわからない。

 よくわからないから――更に一歩、彼に踏み込む。

 傷を堪えながら。

「でも、君はここに召喚されたじゃん。ってことは君は、人類を守る戦力の一人に数えられたんだよ」

 ――君は英雄なんだ。

 そんな言葉を、立香はもののはずみのような勢いで空々に言った。

 言ってしまった。

「……そうですかね」

 曖昧に頷く空々少年――ここで初めて彼は立香から視線を外した。視線を下に落とした。そしてそれは、立香にある種の『手ごたえ』を感じさせるものだった。よし――この線を辿っていけば、この糸を手繰っていけば、空々の内面に――『心』に、出会うことができるかもしれない。

 更に一歩。

「現代では『世界を救った程度じゃ英霊にはなれない』って言われているんだけど、空々君は世界を救うより凄いことをしたんだよね? 一体何をやったんだい?」

 『生前に何をしたのか』と質問すれば、大抵のサーヴァントは「そんな大したことじゃないけど」とはいうものの、少しは話をしてくれる。武勇伝や失敗談、教訓や持論、小噺から大法螺と各自に差はあれど、彼らは魅力的な物語を聞かせてくれる。自らの生き様を教えてくれる。

 だが――空々は違っていた。

「何もしてはいませんよ僕は――特に、何も」

 それは明白な拒絶の意志だった。

 少なくとも立香は――そう受け取った。

 破ることのできない壁が、そこにあった。

「……そうか」

 残念な思いは消えてくれないが、せめて空々が気分を害さないよう立香は笑顔を保つことに努める――しかし、どうしたって寂しさの色は隠しきれない。かつて味わったことのない敗北感――挫折感が心の内側をじわじわと垂れていって、立香を少しずつ塗り替えていくのがわかった。

 だからここから後の展開は予定調和で、どうしようもなく失敗した藤丸立香が、どうしようもなく死廃した空々空を見送るという、特に面白味のないシーンがやって来るはずで、刻々と迫るその刑罰を、立香は目を伏せながら待っていたのだが――

「――マスターの方が、よっぽど英雄ですよ」

 …………。

 空々が発したその言葉は、客観的に見るのなら大したものではない。先の発言の続きの台詞――ただそれだけの意味しか持たない。目の前で急に元気をなくしたマスターを気遣って言っただけに過ぎない。

 だがそれは空々の予想以上に立香を動かした。

 褒められたこと――ではなく、『空々』が『立香を褒めた』ことが、立香にとっては大きな意味を持っていた。

「……本当?」

 本当に、そう思う?

 いつもの立香なら、『君こそ英雄だ』とかなんとか言われれば少し照れながらもわりときっぱり否定するのだが、この時ばかりは、そう聞き返さざるを得ない。空々の真意を確かめずにはいられなかった。立香にとって空々は本当に摩訶不思議で、理解不能で、相容れなくて――

 まるで――自分自身のようだったから。

「君は、本当に俺を英雄だと思ってる?」

 それは自問。

 あるいは――自殺だった。

 カルデアにいる誰よりも『普通』という言葉に相応しく、必要な筈の戦闘能力は雀の涙ほどしか持っていなくて、それ故に『異常』の二文字に最も近い場所に立つ一般人。

 正反対で――同一。

 立香は、自分が知りたかった。

「英雄ですよ」

 空々は調子を変えることなくそう言った。

 その台詞で――とうとう立香は確信する。

 空々の正体を。

 或いは――自分の正体を。

 

 

    5

 

 

 魔術王の残響との最後の戦場が決まったのは、空々と立香が言葉を交わした時からちょうど一週間後だった。

 カルデアにいる職員、サーヴァントはこの事態に多少なりとも動揺していたようだったが、立香は不思議と何の感慨も抱くことはなかった。警報が鳴って、それが遠方での特異点発生の報だとわかっても「ああ、来たのか」と、その程度のリアクションしかとらなかった。その後も特にいつもと変わらず、いつもの同じような歩調で管制室に向かう途上空々と鉢合せる――なんてこともなく、ただただ予定調和の如く、立香はシバの前に集まった。

「やあ。君も迅速だね」

 ダヴィンチの挨拶もいつも通り――否、僅かではあるが、彼女の出で立ちにはこわばりがあるのが見えた。さしもの天才ダ・ヴィンチちゃんにも最後のレイシフトへの緊張は抑えられないということか――

「――失礼します。状況は……?」

 マシュが管制室に入ってきた。彼女はダヴィンチよりもっとわかりやすく動揺していた――否、動揺と言うよりかは、緊張と言った方が正確だろうか。

 ともあれ、それでマシュやダ・ヴィンチが失態を犯すなんてこともなく、現状の把握と整理を為した後、その日は準備の為に解散の運びとなった。カルデアのマスターであり、現地潜入担当である立香が本格的に動き始めたのは翌日からである。

「――どうかしましたか? 先輩」

「……ん?」

 件の翌日。

 マシュは躊躇い勝ちに立香にそんな質問をした。心なしか、立香の様子が普段と違う気がしたのだ。

「どうもしないよ。どうして? マシュ」

「いえ……それならいいんです。すみません、気にしないでください」

 本人がそう言うのなら何もないのだろう――私の気のせいなのだろうと、マシュは違和感を心の奥に押しとどめた。だがジェロニモの説明を聞いている間もその後サーヴァントの皆とこれからの予定の相談をしている間も、その違和感は消えてくれることがなく――いや、どうだろう。やっぱり私の気のせいなんじゃないか? 一度変だと思ってしまったばっかりに、ずっとその視点が消えないからなんじゃないのか?

 具体的にどこが変なのかと聞かれても答えられないし――

「……すみません、ちょっといいですか?」

「何だい? マシュ。セイレムについては私よりもジェロニモの方がよく知っていると思うから、質問なら彼にしたほうが――」

「いえ、そうではなくて――大したことじゃないんです。その、わたしの気のせいだと思うのですが…………先輩の様子なんですけど、いつもと違う感じがしませんか?」

「……?」

 マシュの言葉を受けて、ダヴィンチは少し遠くにいる立香の様子を眺め始める。マシュも振り返り同じ方向を見た。立香は今回セイレムにレイシフトするメンバーに選ばれて招集されたロビン・フッド、マタ・ハリ、シャルル=アンリ=サンソン、空々空、メディアの五騎と作家サーヴァントであるアンデルセンとシェイクスピア、それにジェロニモとホームズを加えた計九騎のサーヴァントの輪に混じって和気あいあいと今回の対策をたてていた。

「特に変わったところはないと思うよ?」

「そうですか?」

「うん――それよりも私には、メディアの様子が少しおかしく見える気がするね」

「メディアさん……?」

 そう言われて、マシュは初めてメディアの方に視線を向ける。確かに、言われてみると、いつものメディアとは何処か雰囲気が違っている風に見える。それはマシュが立香に感じたものよりもずっとはっきりとした違和感だった。

「…………」

「気になるのだったら直接聞いてみればどうだい?」

「はい、先輩にはさきほど質問してみました……でも、別に何も無さそうで」

「……ふうん」

 天才はまた立香の様子をじっと見る――しかし、特におかしなところがある風には見えなかったようで、

「私には特に変わったところが見えないな」

 と、前と変わらない結論を出した。

「そうですか……」

「いや、私よりもマシュの方が普段立香君の近くにいるからね。私では気づけないような些細な違いに、マシュが気づいてもおかしくはないよ――そうだね、これからはもう少し観察してみることにしよう。様子が変わったというのなら、それはとても興味深い」

「興味深い……ですか?」

「そうさ。これまで幾人もの英霊と出会い、幾つもの冒険を乗り越えてきたにも関わらず、主義や思想、性格や倫理観――そういったものが何一つ変わらなかった特異な人間が君のマスター、藤丸立香だよ」

「主義、思想……」

 確かに、立香は初めに出会った頃から何一つ変わっていない。

 炎上汚染都市でも、邪竜百年戦争でも、永続狂気帝国でも、封鎖終局四海でも、死界魔霧都市でも、北米神話大戦でも、神聖円卓領域でも、絶対魔獣戦線でも、冠位時間神殿でも、悪性隔絶魔境でも、伝承地底世界でも、屍山血河舞台でも、藤丸立香は一貫して藤丸立香であり続けた――己を一切変えることなく、立香は人理修復という偉業を成し遂げたのだった。

「藤丸立香は何者にも染められなかった。名だたる英雄達――オルレアンの聖女も、暴虐の皇帝も、自由の海賊も、皮肉な童話作家も、革新の天才科学者も、忠義の騎士も、英雄の王様も、世界一の探偵も、不屈の船長も、無敗の剣豪も、竜の魔女も、破壊の帝王も、神話の勇者も、霧中の殺人鬼も、蛮地の戦士も、聖剣の王も、原初の魔獣も、犯罪界のナポレオンも、千夜一夜の語り手も、極東の切支丹も、七十二柱の魔神達も、誰一人として変えることはなかった。寧ろ彼らの方が『変わった』。ここまで自らを維持し続ける――一般人でい続けることは、英雄になるよりも難しい」

 そんな人間が――『変わる』とは。

「それはこの上ない異常事態であるとは思わないかい? マシュ」

「……」

 ――よくわからない、というのがマシュの正直な感想だった。

 そもそも、立香が誰の影響を受けても性格や思考回路が変わらないのは変だ、というダヴィンチの言い分が理解できない。話が文学的すぎて現実感がない。そんな立香が変わったのが異常と言われても腑に落ちず――言葉で遊ばれている様な、馬鹿にされているような感じしかしなかった。

 いまひとつ納得いっていない顔をしているマシュを見て、ダヴィンチは大人が子供に対する時の様な笑みを浮かべた。

「気にすることはないよ。今のは私の戯言とでも思って忘れてくれたまえ」

 

 

 

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