Fate/Blank Order   作:後菊院

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第十話

 

 

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 「これは最悪だ。」と言えるうちはまだ最悪ではない。

                                ――エドガー

 

 

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 「そうね、もう時間があまりないけれど可能な限り情報を共有しましょう。私は昨日ランドルフ・カーターに化けていた魔神柱を倒しました――ああいえ、命まで取るつもりはなかったのだけれど、彼は私に負けた後すぐ自殺しました。肉体には負荷をかけない、精神の滅殺です。肉体はどうやら借り物だったようで、彼はこれをその場に残して逝きました」

 と言いつつ羽川はリヴィングのソファにカーターの体を降ろす。よく見るとカーターが着ている背広の背中の部分が爆発にでも巻き込まれたかのように丸く抉れていた。

 とりあえず彼女を部屋に入れた立香たちだったが困惑が隠せない。

 魔神柱を倒した?

 単騎で?

 現代の英雄にそんなことができるのかと甚だ疑問だったが、実際彼女はラウムの抜けたランドルフ・カーターの肉体をここまで持ってきている。肉体の複製やらなにやらを疑うことはできるが、そんなことをしている時間は立香たちになかった。

「……聖杯はありましたか?」

 訝し気に質問するマタ・ハリ。羽川は首を横に振る。

「いえ、彼は聖杯を持っていませんでした」

 一同に驚愕の波が走る。

 では聖杯はどこだ。

 魔神柱が聖杯を持っていないというケースは別に珍しくない。これまでの特異点では、カルデアに仇為す英霊達がそれを所持していた。聖杯から迸る無尽蔵の魔力を霊基に貯める英霊の力は誰も彼も凄まじく、彼ら彼女らの撃破は毎度毎度苦労した。魔神柱はカルデアが奪取した聖杯を奪い返しに来る存在――だというのがこれまでの認識だった。

 だが、この町に脅威となる英霊はいない。

 いないと言い切るのは賢明ではないので、未だ確認できないというような表現に留めておく。とにもかくにも、この特異点は魔神柱が自分の願いを聖杯にかけて作った場所だと立香たちは思っていた。その予想は外れていたのか?

「いえ、おそらく当たっていると思います。この特異点を創り上げたのは魔神柱ラウム。ただその後彼は聖杯を手放したのでしょう。セイレムの一般人に擬態するのに、膨大な魔力は邪魔でしょうから」

「ラウムが聖杯をどこかに隠した……ということ?」

 マタ・ハリの言葉に羽川は頷き、そして一つ補足を加える。

「それか誰かに渡したか」

 彼女がそう言った時、部屋の気温が少し下がった気がした。

 気味の悪い沈黙が漂う。

「やっぱり魔神柱以外の何者かがこの特異点にいる」

 羽川は確信的な口調で言い切る。立香は半ば無意識のまま頬に手をあてた。

 魔神柱以外の何者か。

 何だろう、空々の言っていた『地球陣』だろうか。もしや「それ」がメディアやロビンを殺したのか? マシュもその者達に操られているとか――そんな思考が頭に湧いてくる。立香が羽川にそれらの疑問をぶつけるより先に「その第三勢力がメディアやロビンを殺したとあなたは考えているの?」とマタ・ハリが聞く。「まだ確かなことは言えませんが、可能性は高いと思います」

「キリエライトさんがサンソンさんを殺害した件にも関わっているんですかね」と空々。羽川は曖昧な顔になる。

「それは今日の裁判を見てから考えた方が良いのではないでしょうか」

 裁判の開廷は午前十時。現在時刻はだいたい八時過ぎ。まだ時間がある。

「マシュと話したい」

 立香が言う。皆が振り向いた。

 裁判が始まる前にマシュと話がしたい。彼女は何も喋らないかもしれないが、それでもこちらが得た情報を向こうに話すことはできる。そうすれば何かが変わるかもしれない。これは立香の願望にも似た予測だが、マシュと立香たちは何か重大な誤解をしているのだ。それを解かないといけない。

 話し合わなければいけない。

「そうね。それは必要だわ」

 マタ・ハリが賛同してくれる。他の二人も異論はないようだった。

「私もついていくわ。クウとハネカワさんは、悪いのだけれど留守番を頼めるかしら。アビーの容態が心配だし、カーターさんもみておかなければいけないでしょう?」

 アビゲイルはもとより、ラウムが抜けたカーターの体も何とかしておくべきだというのは満場一致だった。この体はどうやらラウムが誰かから奪ったものらしい(というのが羽川の推理だった)。元の持ち主が体を探しに来るかもしれない。

 羽川は元々この町ではお尋ね者である。裁判所に顔は出せない。彼女と、彼女を完全に信用できてはいないカルデア組の誰かが残る。そして立香の護衛に一騎のサーヴァント。この役割分担は順当に見えた。

 既に外出の支度はできている。立香とマタ・ハリはそれから五分後に家を出た。「じゃあ行ってくる」と言って扉を開け、道の彼方に消えていく立香の後ろ姿は多少なりとも活力――勇気が滲んでいた。

「さて……」

 二人を見送った羽川はリヴィングには戻らず、二階に上がる。彼女の後ろをついて行く空々。「どこへ行くんですか?」

「犯行現場」

 二階には四つの部屋がある。客室、二つの空き部屋、アビゲイルの部屋。東側一番手前のドアを開けると簡素なベッドが三つ。ここは客室――女子部屋として使っている空間だ。

「メディアさんは確か、手前のベッドに寝ていたよね」

 確認をとるような羽川の言葉に空々はこくりと頷く。「割れたコップが落ちていたのは手前のベッドと壁の間です」

 今はガラスの破片など落ちていない。皆で綺麗に掃除したのだ。それでも羽川は床を念入りに検分する。次いで水の入った瓶が置かれていた台。ベッドのシーツ。

「探偵みたいですね」

「探偵ではないけどね」

 この部屋での捜査活動を終えた羽川は、次に男子部屋の扉を開ける。こちらにはベッドが無い。空々たちが雑魚寝に使っていた毛布が散らばっている。ここも羽川は隅から隅まで調べた。何かを探しているのだろうか?

「可能性は消しておかないと」

 ラウムの住んでいた家だ。どこかに隠し金庫でもあったらいけないと考えての行動らしい。無尽蔵の魔力を生み出す聖杯だが、魔術的な工夫をすれば小さなスペースに隠すこともできる。カルデア一行を泊める部屋にそんな物を隠しておくとは考えづらいが、その心理を逆手に取っている可能性もある。

「聖杯がラウムの手から離れたらこの町は崩壊するんじゃないですか?」

 空々はふと思いついた素朴な疑問を羽川にぶつけてみた。

「この特異点は小規模だし、とても安定しているからすぐには崩壊しないと思うけど――別に聖杯が壊れたわけでもないし」

 壊れるとしたら、新たな所有者が新しい願いを聖杯にかけた時かな――と、羽川は続ける。

「じゃあ、別の人物の手に聖杯が渡っていたとしてもその人物はまだ自分の望みをかなえていないってことですか」

「専門じゃないからはっきりしたことは言えないけれど、うん。そうだと思うよ」

 捜索ついでに毛布を綺麗にたたみながら羽川が答える。

 何となく空々も整頓に加わる。

「第三勢力の狙いもその聖杯ですか?」

「うーん、そうだとすると第三勢力もまだ聖杯を手に入れていないってことになるのよね。空々君、君はどう思う?」

 空々はしばし沈黙する。

「第三勢力の目的が何なのか知りたいですね。聖杯がめあてなのか、それとも他に何かあるのか。僕らをここまで崩壊したのがその勢力の仕業なら、彼らは人類が滅亡しても構わないと思っていることになるのでしょうけど、人類を滅ぼしてまで手に入れたいものって何なんでしょう?」

「君もその勢力は複数人だと考えているのね」

 羽川は空々が第三勢力の代名詞に『彼ら』を使った点を拾い上げる。「僕らも魔神柱も集団でしたから」と空々。

 羽川はにこりと微笑む。

「人類を滅ぼしてまでって言うけれど、別に『彼ら』も人類が滅んで良いとは思っていないかもしれないんじゃない? 自分達の目的を果たした後で人類も救おうと思っているかもしれない」

「優先順位の問題ですか?」

「違う。手順の問題」

 毛布を畳み終えた羽川は立ち上がり、窓の傍に寄る。

「人類を救った後じゃ彼らの目的を達成することができない――彼らの目的に、何か時間制限のようなものがあるとすればどうかな。例えば、この特異点には過去のセイレムが再現されているわけだけど、この時代、この町のある商店にしか売られていない品物を買う為に君達の人理修復を妨害して、その品物がこの町に入荷するのを待っている……とか」

 空々はまた黙り込んで羽川を見つめる。外の景色を見るのかと思ったが、彼女は窓枠の検分を始めた。どうしてそんな箇所を詳しく見る必要があるのか空々にはさっぱりだったが、咎める気もなかった。

「まあ、本当に人類が滅んでもいいやって考えてるのかもしれないけどね」

 空々の方を振り返ることなく彼女は言った。

 

 

    2

 

 

 現代風に呼べば拘置所ということになるのだろうが、有り体に言ってそこはただの牢獄――不衛生で無骨な、陰気極まりない檻だった。

「マシュ」

 鉄格子ごしに立香は名前を呼ぶ。固そうな木の寝台に座っていた彼女は俯かせていた顔をあげる。ひどい顔だった。頬は赤く腫れていて、右目の上にこぶをつくっている。眼鏡はかけていなかった。前髪が乱れている。こちらを見る瞳に、いつもの柔らかな色は失せていた。

「マシュ」

 立香はもう一度名前を呼ぶ。面会時間は十五分。マタ・ハリの同行は却下された。背後に守衛が一人。怪しい話をすれば即刻魔女の烙印を押されて立香も牢獄の向こう側に叩きこまれる。そうやって中に潜り込もうかとも思ったがマタ・ハリに全力でとめられた。

「マシュ、俺だ」

 マシュは何も答えない。また視線を下げてしまった。それは立香にとって意外だった。鉄格子ごしに泣きつかれるかもしれないと考えていたが、彼女は立香に対しても無機質な反応を通した。

「マシュ。こっち向いてくれよ」

 声をかけるが彼女は頭をあげてくれない。マタ・ハリが、マシュが洗脳や催眠魔術にかかっている感じはなかったと言っていたが本当だろうか? 目の前にいる少女からいつものマシュらしさはほとんど抜け落ちている気がする。

「羽川さんが魔神柱を倒したんだ」

 守衛にも聞かれたが構うことはない。何か、何でもいいから彼女の反応が欲しい。立香はマタ・ハリから止められていた「怪しい話」を切り出した。その甲斐あってかマシュは再び顔をあげる。

「ラウムを倒した。この町の脅威は去ったんだ。あとは聖杯を見つけて帰るだけだ。マシュ、一緒に帰ろう」

 彼女は困ったように頭を僅かに揺らす。首を傾げるというには少々大げさな動作。

「羽川さんていうのはその、ここで会ったサーヴァントなんだ。ルーラーでさ。味方だよ。彼女がやってくれた」

 マシュは動かない。立香の言っていることは理解しているだろうが、それを示す反応がない。だが信じて話し続けるしかない。

「マシュ、お願いだよ。ここでお別れなんて俺は嫌だ。頼む、足掻いて。俺にはまだマシュの力が必要なんだ」

 立香の悲痛な声が暗い牢に響く。

 マシュはまた下を向いた。

 

 

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 ラヴィニア・ウェイトリーは既に死亡しているというのがカルデア組、およびセイレムの住人の共通見解だった。

 下手人は勿論マシュ・キリエライト。アブサラムが連行されたあとウェイトリー家に潜伏していたのだとホプキンスは推測した。そこで彼女はラヴィニアを殺し、森か海に死体を捨てたのだ――と。

 だが実際は違う。

 ラヴィニアとマシュは森の中で邂逅した――ボロボロのまま森の切れ目を探して走り回っていたマシュと憲兵たちから身を隠していたラヴィニアはお互いに吃驚しかけた。

「……えっと」

 相対し、硬直する。

 互いの正体がわからなかった。敵か? 味方か? ラヴィニアは生存本能に叱咤されるがまま相手の格好を観察する。泥だらけの服だが、どう見ても森の中を歩くには適していない。どこかの研究者のような装い。眼鏡の奥の瞳から読み取れる感情はラヴィニアと同じ、驚愕の色。自分をつけ狙って襲ってきたという感じではない。もっとも、見た目から察するに彼女はそれほど戦闘力が高くない。ラヴィニアが言えたことではないが、か弱いインテリの少女という印象が全身から滲み出ていた。息もあがっている。もし彼女が力ずくで襲ってきたとしてもそんなに脅威ではない。

 と、一応は無害判定を押した彼女を多少余裕のできた頭でもう一度よく見ると、彼女とは初対面ではないことに気がつく。いや、もしかしたら向こうはこちらのことを覚えていないかもしれないが、でもラヴィニア側には見覚えがあった。

「ソラカラの……?」

 ラヴィニアが何か言おうとした時、彼女は意外な速さでラヴィニアに飛びかかってきた。しまった油断したなどと後悔するひまもなく後方に押し倒される。相応のダメージを覚悟したが後ろに生えていた草木がクッションとなってふんわりと倒れる。

「声を出さないでください」

 既視感。

 正体不明の他人に喉元を押さえつけられる嫌悪感は何度味わっても慣れないが、それでもあの少年の時ほどの恐怖は感じなかった。彼はやはり別格なのだろうか――おそらくはそうなのだろう。他者を組み伏せる時に一切興奮せず高揚せず冷静でいるのは難しい。素人がやれば相手に自分が感じている恐怖が伝わってしまう。

 ちょうど今の彼女のように。

「……っ、はァ」

 ラヴィニアを組み伏せながら、この女は何かに怯えていた。身体が接触している分よくわかる。彼女は何かを怖がっている。それがラヴィニアではないことは明白だが、ある意味ではラヴィニアを恐怖の対象だと思っている気もする。

「……あなたは」

「喋るな!」

 自分で叫んでからきょろきょろと落ち着きなく辺りを見回す。素人だ。明らかに場慣れしていない。先ほど近くにいた憲兵が気づいてくれないかと期待したが、彼らは既にどこかへ移動してしまったらしい。誰かがやってくる気配はなかった。誰もやって来ないことを確信したらしい彼女は息を整え、眼下のラヴィニアを見つめる。

「……ラヴィニア。ラヴィニア・ウェイトリーですね」

 そう言ってじっとラヴィニアの眼を睨む。同意のサインが欲しいらしい。ラヴィニアは一度大きく瞬きをした。

「そうですよね……」

 彼女は沈黙する。ラヴィニアをどうするか考えているのだろうか。彼女にはどんな選択肢が見えているのだろう。まさか殺しはしないと思いたいが、どうも今の彼女は冷静さを欠いている風に見える。冷徹なプロも恐いが、正気を失った素人もそれはそれで恐い。どうしよう、こんなところで殺される気なんてさらさらないのに――何とか自分が空々達の協力者だということをわからせなければ。この様子だと彼女はラヴィニアと空々の関係を知らない。

「あなたは」

 と。

 唐突に彼女が口を開く。何を言うのだろうと注意するが、彼女はそこで迷うように視線をラヴィニアから外す。彼女の視線が忙しなくラヴィニアと隣の地面を行き来する。迷っている――逡巡している。だが結局彼女は意を決したようにラヴィニアを見据えると、震えを抑えた声で言う。

「あなたは私の殺人に付き合ってくれますか?」

 

 

    4

 

 

 それから数分後――時刻で言えば午前零時四十三分。ラヴィニアとマシュはお互いに警戒し合いながら夜の町を並び歩いていた。

 ラヴィニアはマシュの誘いを受けた。というか受けるしかなかった。あの場で断っていれば逆上されて殺される未来が見えた。

 隙があれば逃げ出そうと思う。ただマシュがいかに運動音痴と言えど、純然たる走力勝負で振り切れるほどラヴィニアの脚も速くない。

「私はもう先輩のもとに戻れません」

 さきほど「私はマシュ・キリエライトといいます」と名乗った彼女が唐突に話を切り出す。「仲間を殺したんです」衝撃的な事実をさらりと言うのであやうく聞き逃すところだった。

「いえ……本当は仲間でも何でもなかったんですけど」

「だ……、誰を……?」

 誰を殺したのか――誰が死んだのか。

 それは確認しておかなければならない。万が一あの少年が死んだとなると、せっかく決めた計画と覚悟を全部白紙に戻すことになってしまう。

「ロビンさんです」

 ロビン。

 ラヴィニアが名前を知っているのは空々とマタ・ハリ、それからリーダーの藤丸。ということはロビンというのはあの怪しげなローブの女か、黒いコートの男か緑のフードの男のうちの誰かだ。ラヴィニアには「ロビン」という名前が男性のものであるという先入観があったことと、英国本国に伝わる義賊の伝説を知っていたので何となくあの緑色のフードの男がロビンじゃないかとあたりをつける。

 いずれにせよ、空々は健在のようだ。ラヴィニアは内心で胸を撫でおろす。

「それで、最低でもあともう一人殺さないといけないんです」

 物騒な発言だった。だが突っ込むのも怖いので黙っておく。

「サンソンさんっていうんですけど……、ああそうだ。この町に有能なお医者様はいますか?」

 突然質問が来たのでラヴィニアは一瞬面食らう。「医者……?」どんな高熱に罹っても医者など行ったことがないラヴィニアにとっては難しい問である。果たして彼女の言う「有能な医者」というのがどのレベルまでを指すのかはわからないが、まあ、この町にまともな医者は居ない気がする。この町の住人は病気を患っても医者ではなく教会の門を叩くのが普通だ。

 たどたどしくもどうにかそれを伝えると、マシュは「そうですか……」と呟いて悩まし気に眉を潜める。この回答は彼女にとって都合が良かったのだろうか、悪かったのだろうか。いまひとつ表情が読めなかった。

「明日まで森の中に隠れていたかったんですけど、憲兵が来たので隠れていられなかったんです」と、聞いてもないのに説明を始める。「どこかに隠れられる場所を知りませんか?」

 この女は馬鹿じゃないのかと思った。自分を脅した相手に立て籠もりの場所を見繕ってもらう犯罪者がいるわけないだろうと怒鳴りたくなった。上手いこと誘導されて捕まるとは考えないのだろうか。頭がお花畑すぎる。

 仲間を殺したと言うが、そんな悪のイメージが彼女からは全く感じられない。

 絶望的に善人のにおいしかしない。

「……何で殺したの?」

 気がつけばそんなことを口にしていた。はっとするがもう遅い。ラヴィニアの好奇心は知らず知らずのうちに膨れ上がっていた。

「彼は偽物だったんです」

 マシュはきっぱりと言い切った。

 その時だけは彼女の表情から不安の色が消えた。

「……」

 よくわからない。

 彼女の妄想だろうか? いや、本当に偽物が紛れ込んでいることもある……のか? わからない。彼らがこの町に潜む「何か」を倒す為にやってきたことはラヴィニアも何となく知っているので、おそらくは彼らの敵が仲間に化けていたということなのだろうが……。

「何でわかったの?」

 どうやって見破った?

 これもまたラヴィニアの純粋な疑問だった。問われるのは当然のことで、マシュにとっても予想済みの問いだったと思うのだが、しかし彼女は虚を突かれたように硬直した。「え?」とマシュ。そんなことを聞かれるとは夢にも思っていなかったという顔でラヴィニアを見つめ返す。

「え?」

 ラヴィニアも疑問符を頭に浮かべる。何だ、まさか偽物だという証拠無しに仲間を殺したのか? そうだとすれば狂っている。そのロビンとかいうのが偽物かどうかは知らないが、少なくともこの少女は本物だ。本物のイカレだ。

「……あ、えっと。いえ、証拠はありますよ? でもすみません。それは教えられないんです」

 嘘だ。

 そんなのは口から出まかせだ。きっと自分勝手な想像で仲間を偽物だと判断したんだ――いや、待てよ。仮にそうだとすれば、その「自分勝手な想像」がそのまま仲間を偽物だと判断した理由になるんじゃないか?

 何故自分の意見を主張しない?

 即座に嘘と切って捨てるのはまずいと考え直したラヴィニアはもう少し様子を見ることにする。

 この女が果たして狂人なのか、それとも彼女なりの何かがあっての行動なのか。

 決めつけるにはまだ早い。

「……そ、そのサンソンっていうのも、に、偽物なの?」

 吃音の自分が恨めしい。せめて態度だけでも怯えている風に見られないよう普段通りを心掛ける。が、そんなラヴィニアの演技を見ていられるほどマシュに余裕があるわけでもない。ラヴィニアの心配は杞憂だった。

「はい。偽物です」

 ……嘘臭い。

 多分違う気がする――いや、マシュの物言いに嘘っぽい感触はないのだ。本気でそれを信じている迫力が感じられる。ただ何というか、彼女が誰かに騙されている気がしてならない。たかだか十数分の付き合いで伝わってしまう底無しの善性から察するに、騙されて犯罪の実行犯にされている可能性が視界にちらついて離れない。

 どうしよう。

 彼女をどうすれば良い? このまま町の兵舎まで連れて行って憲兵に突き出すこともできるが、それで事態が好転するだろうか? 新しい厄介ごとを抱えたくないという気持ちも小さくないが……。

「……ほ、他に……」

 彼女をこのまま生かしておくには、どうしても聞いておかなければならないことがある。

 『最低でもあと一人殺さなければいけない』とさきほど彼女は言ったが、では最大では何人殺さなければいけない?

 その中にあの少年は含まれているだろうか?

「……他に、誰か殺す予定はあるの……?」

「あ、はい。できれば空々さんも殺したいです」

 

 

    5

 

 

 マタ・ハリと立香は港の酒場で昼食を摂った。港付近の区画はセイレムの町でも最も薄汚く、尚且つ活気に溢れている。立香の沈んだ気持ちも紛れるのではないかとマタ・ハリが誘ったのだが、あまり効果は無かった。

「……どうだった?」

 道中我慢していたがとうとう耐え切れずに問うてしまう。マシュの様子がどんなだったか。立香の表情から大方の想像はつくが――

「……ぼろぼろだった」

 立香は先ほどから全く量の減っていないアップルパイを見下ろしながら答える。

「そう」とマタ・ハリ。こんな時にかけるべき言葉はさすがの彼女でもすぐに出てこない。

「何も……何も答えてくれなかった」

 かなりショックを受けているらしい。無理もなかった。立香になら何か打ち明けてくれると思っていたのだが、その期待は裏切られた。

 マシュは何も喋らなかった。

 誰かに脅されているのか、それとも本当に彼女の意志でカルデアを裏切ったのか――その真意は立香にもマタ・ハリにも読めない。彼女は沈黙を守り通している。おそらく取り調べでもずっとあの調子なのだろう。黙秘権が尊重されるような時代ではないので、だいぶ酷い目に遭っている様子だったことを立香はマタ・ハリに伝える。

「それでも何も喋らない……」

 マタ・ハリの頭に羽川の提唱した「第三勢力」という言葉が浮上する。マシュを脅す者がいるとすれば、魔神柱が既に討ち取られている(無論羽川の言葉を全面的に信用しているわけでもないが)以上、その勢力しかいない。だがそれは一体なんだ? どこの誰で、何が目的だ?

 犯人候補として最初に思い浮かぶ人物はマシュー・ホプキンスだが、彼を第三勢力という役に割り当ててみてもしっくり来ない。次に名前があがるのは、マタ・ハリの個人的感情としては羽川を推薦したいのだが、それだと彼女の行動理由が支離滅裂になってしまう。

 空々が言っていた「地球陣」?

 彼はロビンが「偽物」だと言っていた。さてもし本当にあのロビンが偽物だったとして、ではロビンを殺したマシュはこちらの味方なのか? ということはサンソンすらも偽物だった? いや、空々はそんなこと言っていない――サンソンが偽物だったとしたらロビンを偽物だと告発した時に一緒に名前を挙げる筈。いや、昨日の空々の予想が当たっていたとしたらどうだろう? 本物のサンソンが偽物のサンソンと入れ替わる瞬間をマシュが目撃していて、だから彼女はサンソンを殺した――と。

 ……いや駄目だ。それは他ならぬマタ・ハリが否定している。それでは今のマシュの行動に説明がつかない。

 何故マシュは何も喋らない?

 結局はこの謎に戻ってしまう。これ以上考えても何もわからなそうだと見切りをつけたマタ・ハリは思考を切り替え、未だ沈んでいる立香に声をかける。

「ねえ、もしマシュの行動に深い意味なんてなくて、ただ彼女が狂ってしまっていたとしたら――リツカ、あなたは彼女をどうするの?」

 残酷な質問をした。

 慰めようと思えば慰められたが、そんなことはしない。

 する意味がない。

「……わからない」

 立香はゆっくりと首を横に振った。

 じれったい。

 甘いこと言っているんじゃないと叱咤してしまいたくなるがぐっとこらえる。それは甘さじゃない。弱さではなく強さなのだとマタ・ハリは思いなおす。その躊躇いこそが平和な住人であることの証左なのだ。尊いものであれ、軽蔑すべきものでは断じて無い――と。

 マタ・ハリが「そろそろ行きましょうか」と立香に声をかけた直後。

 それは響いた。

 それはセイレムの中央に鎮座する時計台が午前九時四十九分二十三秒を示してから午前九時四十九分五十一秒を示すまでの二十八秒間に渡って鳴り響いた謎の怪音――一言で表現するのならばそう、

 悲鳴。

 

 

    6

 

 

 マシュ・キリエライトと名乗る女をどうにかして止めなければいけない。

 できれば空々も殺したいとマシュが嘯いてから、ラヴィニアの中に彼女への慈悲というか同情というかそういった感情は全て掻き消えた。

 こいつを先に殺してやろうかとさえ考えた。

 マシュと遭ってから一時間ほど経った後、表向きは彼女に迎合し、彼女の注文通りすぐには誰にも見つからない隠れ家――町はずれの空き家を紹介してやった(ちなみに説明するとそこはウェイトリー家の隣である)。替えの服も調達してやった。パンと水だけでなくナイフとフォークまで持っていってやった。

 替えの服は、今は亡き母親の形見だ。無くなったところですぐには祖父も気づかない。ナイフとフォークは普段使わない儀式用の物で間に合わせた。祖父にはバレていない。故にこのまま彼女を隣家で葬り去っても誰にも気づかれない。

「ありがとうございます」

 林檎を調達してきたところ礼を言われた。

 そして彼女はその場でむしゃむしゃと食べ始めた。毒味も何もさせない。警戒がざる過ぎる。殺されると思わないのだろうか。

 それともここで殺されてもいいと思っているのか。

 そういう観点から見てみると、確かに彼女は何処かがいい加減になっていた。服も着替えないし、食事も適当に摂る。「サンソンを殺す」という目的を口にしてはいるが、どうにでもなれというようなスタンスが垣間見える。

 自暴自棄ではないが――しかし、自棄ぐらいには陥っている。

 隣家に押し込めた彼女をそんな風に分析しながら、夜明け前の家路をゆっくり歩いていた時、

「よお」

 彼は現れた。

「……?」

 背丈が高い。6フィートと……3インチくらいだろうか。ラヴィニアの周りにはこんな高身長の人間はいない。あの女が殺そうとしている黒いコートの男よりもおそらく大きい。かと言って横幅はあまり無く、尚且つ細すぎてもいない。ちょうどいい体格。ラヴィニアが生まれてこの方一度も見たことのない奇妙な白い一枚の布を羽織り、これまた長いタオルのような布(ベルト代わり?)を白い布の上から腰の辺りに巻くことで体に固定している。書物の挿絵で見たアラブ人を連想したが、しかしどこか違う。その衣の形は中東圏というよりはもっと東の民族のものに見える。

 なんといっても奇妙なのはその男の顔だ。夜明け前なのでいささか見づらいが、それは人間の顔には見えなかった。一瞬驚いたが、仮面を被っていることに気づき、どうにか自分を落ち着かせる。それもまた見たことのない仮面だった。先住民族のものにはどうしたって見えないし、ヨーロッパ圏にもそんな仮面の文化は無いだろう。天に向けて鋭く立つ二つの耳と、キツイつり目。とんがった鼻。コヨーテ? ウルフ? いや違う。あれはきっと――

 狐。

 

 その男は狐のお面を被っていた。

 

「初めまして」

 彼の口から出てくるのは流暢な英語だった――ラヴィニアが違和感を覚えることのない、この時代、この地域の英語だった。それはひどく歪ではあったが、ラヴィニアは何故かすんなりとその現実を受け入れてしまった。歪な感覚を歪そのままに受け入れた。高性能翻訳機を通して宇宙人と会話しているような感覚――「そういうものか」と呑み込めてしまう妙な説得力が狐面の男から感じられた。

 何だろう。

 この男は、何というか。

 これまで出会ったどんな人間とも違う。

 何かが違う。

「は……初めまして」

 面喰いながらも挨拶を返す。挨拶なんてしたのはいつ以来だろうと頭のどこかで考える。自分がまだ正常である証拠を探していた。

「なんつーか、あれだな。鏡に映った自分を自分だと理解できてねえって感じだ」

 唐突に男が喋る。彼の口調は意外に乱雑だった。

 彼の言っている意味がよくわからず、ラヴィニアは沈黙する。

 狐面の男は今さっきラヴィニアが出てきた空き家を指さす。

「あそこのあいつをおかしいと思うか?」

 あの女を匿っているのがばれている。ラヴィニアは一瞬焦るが、しかしこの男がその程度のことを通報するだろうかと思いなおす――どうでもいいと思わせられてしまう。彼が意識的にやっているわけではないのだろうが、「まあいいか」という気分にさせられてしまう。

 些細なことがどうでもよくなる。

 彼の問いかけだけがラヴィニアの頭に響く。

「目的があるのにも関わらず、あいつは自分の命を適当に扱っている。あいつが口で言う通りサンソンとかいう大男の殺害を目論んでいるのなら、もっと慎重に潜伏するべきじゃあねえのかって思ってんだろ? 森で会った得体の知れねえガキに世話させるなんて言語道断――矛盾してるって、壊れんじゃねえかって疑ってるだろう?」

 ラヴィニアは沈黙する。

 実際その通りだった。

「でもなあ、それはお前が抱いちゃいけねえ疑問なんだよ。他の奴――森に引きこもった猫娘とかロリコンのゲームキーパーとか、そういう奴が頭捻ってうんうん考えるべき謎だ。お前がそれを謎と思っちゃいけねえ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――――」

 ラヴィニアの何かが壊れた。

 破壊され――決壊した。

 ……え?

 いや――私は、そんな、

 別にそんなつもりじゃ――

「あいつは空々ってガキを殺す気もあると言ったはずだ。それを聞いた時点でお前はあいつを殺してなきゃ駄目だ。絶望的なこの状況で、お前は空々に一縷の望みをかけていたんだからな。空々の妨害を企てる奴が目の前に現れたのにぼーっと見ているのは明らかにおかしい」

 それは、いや、

 そうだけど……でも、私だって、

 隙を見てあの女を殺そうと――

「隙だらけだった」

 狐面の男は言う。

 逃げ道を塞ぐように。

「殺そうと思えばいつでも殺せた。さっき渡した林檎に毒でもぬっときゃ今頃あいつはこの世にいない。毒物の調達だってできた筈だ。お前ん家の地下室にはその手のモノがわんさかある。なのにお前はそうしない――あいつを殺さない。何故かって、本当はあの女に空々を殺してほしいからだ――お前はアビゲイル・ウィリアムズに死んでほしくないと思っている」

 違う。

 違う違う違う。そんなわけない。あんなやつどうだっていい。どうだっていいんだ。ただ利用していただけだ。大して珍しくもない憑代の娘だ――しかも失敗作。

 アビゲイルなんて死ねばいい。

 死ねばいいんだ。

 殺してやりたいんだ。

 狐面の男はふんと馬鹿にしたように鼻を鳴らす。

「今はそう言い続けるだろうさ。最後の最後までお前はその姿勢を崩さないだろう。そんでいよいよアビゲイル・ウィリアムズが死ぬっていう時になって、お前はあいつを助ける。自分の命と引き換えかなんかでな。そんでお前は最期に認めるのさ――『一緒に鯨を見た』と」

「違う!」

 ラヴィニアは叫んでいた。

 叫ばずにはいられなかった。

「そんなことにはならない! 鯨なんて見ていない! あれが嘘だって私にはわかっている! 私は、私は絶対に――」

「絶対に認める」

 狐面の男が断言する。

 力強くもなく、特に大きな声でもないそれは、しかしラヴィニアにとって何よりも巨大な現実だった。

「うう、うっ、うう…………!」

 涙が出てくる――あふれ出す。くそう。何でだ。どうしてこんなにも悔しいんだ。

 どうして私はそう(、、)なんだ。

 ――あなた、とても綺麗ね。まるで星の妖精みたい……

「やめて……」

 ――このぬいぐるみをあなたにあげる。ミーゴっていうのよ……

「嘘よ……こんなの全部嘘だから……」

 ――おんな、じ……箒星の、年の、子……

「嘘なのよ……全部偽物なの!」

 ――牧草地、から……一緒、に、海を……見たわ……

「違う! そんなことしていない!」

 ――また……二人で、鯨を……

「そんな……そんな、そんなの……」

 そんなの――……

 もう何も考えたくなかった。何もしたくなかった。頭が割れるように痛い。楽になりたかった。これ以上進みたくなかった。未来で待つ、幸せな死を享受する自分がたまらなく怖かった。

「そんなのはどちらでも同じことだ」

 狐面の男は言う。

 変わらぬ調子で。

 気取るでもなく皮肉るでもなく。

 口癖のようにすんなりと彼は言った。

「本物とか偽物とか、思いとか殺意とか一つとか全てとか、そんなのはどうだっていい。同じだ。根本の部分では全て繋がっている……全て一緒だ」

「あ、あなたは……」

 ぐしょぐしょの眼で彼を見上げる。

 狐面の奥に控える彼の表情を窺い知ることは叶わない。彼は最初と変わらない姿勢のまま――こちらを見ているのか、それとも遥かどこかを眺めているのか、全く読めない。

「なあ、ラヴィニア・ウェイトリー」

 狐面の男が彼女の名前を呼んだ。

「俺と来いよ。こんなところでそんなことをやってんじゃねえ。そんな誰でもできるような役割なんざほっぽっちまえ。お前の役は俺が決めてやる」

 俺と一緒に世界をひっくり返してやろうぜ。

「――」

 夜明けの到来。

 ありったけの白光がラヴィニアの顔を照らす。

 世界が始まる。

 世界が終わる。

 そしてまた一人、役者が舞台から消える。

 不揃いの演者たちの誰にも知られず。

 ラヴィニア・ウェイトリーは黒幕へ退いた。

 

 

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