Fate/Blank Order   作:後菊院

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第四話

 

 

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 賢い人は木の葉をどこへ隠す? そう、森の中だ。森がない時は自分で森をつくる。一枚の枯れ葉を隠したいと願う者は、枯れ葉の林をこしらえあげるだろう。死体を隠したいと思う者は、死体の山をこしらえてそれを隠すだろう。

                         ――ブラウン神父

 

 

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 セイレムでの生活もようやく一日目の朝を迎えようとしていた。今まで見ていた夢とこれからの現実、そんな曖昧なことに何となくの区別をつけながら立香はぼんやりと目を覚ました。

 まず濃い茶色をした時代錯誤な木製の天井が見える。次いで横に目を向けてみるが、そこには誰もいない。サーヴァント達は、もうとっくの昔に起き出しているらしい。

 「起きます」なんて言葉は吐かずに、黙って白い毛布を剥ぐ。靴を履かなくてはいけないことを思い出し、自分が寝ていた位置の反対側に置いておいた自分の靴と、代えの靴下を拾い上げる。そうしてまた毛布の上をごろりと往復。往復せずに、靴の置いてあった側で履いてしまえばいいんじゃないかと気づいたのは、靴紐を結び終わった後だった。

 すぐ階下に降りようかとも思ったが、ちらりと映った窓の外で何かが動いたような気がしたのでそちらに近寄る。そこから見えるのはこの家の庭。昨夜は暗くて何も見えなかったが、庭には一軒の小屋が建っていた。その小屋の手前でアビゲイルともう一人、大きな桶を持った女性がにこやかに立ち話をしていた。

 肌が黒いので黒人だろう。ということは使用人か――或いは奴隷だろうか。昨日会ったカーター氏と、頭の中にある『奴隷を酷使する悪い白人』のイメージが一致せず、少し奇妙な感覚に囚われる。

『――アア? ンなのはわかってんよ。だがそれは、今のこの時代ではそうなってる、ってだけだろォ? だが、俺はそれが良しとされる時代に生きて、今でもその価値観に基づいて動いてるってだけだ。だいたい、ギリシャ人もローマ人もアラブ人も。つまりは、お前らんトコにいる名高い英霊達も! 生前は澄まし顔で奴隷を使ってたに決まってンだぜ!?  ローマ皇帝もファラオもその筆頭だろうが! 『今の世はそうなのか、じゃああえて肯定して使うのは止めておこう』──と考える英霊と。『今の世はそうなのか、でも便利で価値あるものなのは変わらないから続けよう』──と考える英霊。そこにどんな差がある? 誰が善悪を計る? だって俺は最初から、自然に、それが当たり前なんだぜ?』

 史上最大の開拓者の言葉が立香の頭の中で響く。あの男は立香の持ち得る反論を奪っていった。

 勿論あの男に何を言われても、奴隷制を唾棄すべき悪だと思う気持ちは揺らがない。立香の優しさがそうさせるのか、それとも現代日本の義務教育を受けたが故の考え方なのかはわからないが、しかしそこは、そこだけは譲れない。

 難しい話はわからない。善悪なんて本当は無いのかもしれない。あの男の時代は「それが当たり前」だったのも本当だろう。

 でも、それは誰かの笑顔を奪っていい理由にはならない。

 それが彼に振りかざした、立香の精いっぱいの反旗だった。

 そんな立香の言葉も、彼には何も響いていなかったようだが――しかし、彼が今の考えに理解を示すまで絶対に諦めない。

 諦めないことが肝心だと教えてくれたのは、他ならぬ彼自身なのだから――

「マスター」

 と。

 窓の外の景色を眺めていた立香の背中に声がかかった。

「空々君……」

「おはようございます」

 朝の挨拶をしてきた空々に対し、立香も挨拶を返す。朝食の時間になったので呼びに来たとのことだ。そんな風に話す彼は相変わらずの調子で、相変わらずの空々空だった。こんな場所に来ても、彼は彼のままであり続けるらしい。

 ふと、空々なら奴隷制をどのように考えているのだろうと気になった。現代を生きた彼ならば立香と同じような意見を言うだろうか――或いは逆に、現代において英雄と呼ばれるような存在だからこそ、奴隷制の様な『非人道的』と言われるものも何の躊躇いもなく肯定してしまうのだろうか。

 ……しかし実際に質問するのは憚られた。

 というか、彼の答えは聞かない方がいいと思った。

 彼の口から奴隷制を容認する意見が出た時、立香は、自分が容易くその主張に乗ってしまうような気がしたのだ。

 彼がそんな子供のようなことを言う筈がないとはわかっているのだが。

 多分だが、特に面白みもなく当たり障りもない無難な否定意見を、彼は表情を変えることもなく述べるのだろう。空々は未だ立香に心を許していない。本心で何を思っていたとしても、それを口にすることはない――ああいや、違う。

 同じなんだ。

 「それはいけないことだと思う」とか「それはあってはならない悪だと思う」とか、そんなことしか言わないんだ。

 彼はそういう人間なのだろう。

 だって彼は、本当は――

「どうしました?」

 空々の言葉で立香は思考世界から現実に引き戻される。どうやら随分長い間ぼーっとしていたらしい。彼は怪訝そうにこちらを見ていた。

「――ううん、ごめん。何でもないよ」

 適当に誤魔化し、支度をするから先に降りていてと空々に言う。彼は「はい」と頷くと、後ろ手でドアを閉めながら部屋から出ていった。

 

 

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 食堂の真ん中に置かれているテーブルの上には既にパンとミルクが置かれて、立香と空々を除くカルデアのメンバーが勢ぞろいしていたが、誰もまだ料理に手をつけていなかった。

「先輩、おはようございます」

 一番入口に近い位置――お誕生日席の対面とでも言うべき位置に座って各員にミルクをまわしていたマシュが、上半身だけ振り向いて立香に挨拶をしてくる。次いで入口に近い位置にいるのが空々で、その向かいがメディア。メディアの隣がマタ・ハリ、彼女の向かいがロビン、その隣がサンソンで、その向かいが空席。そこが現代日本でいう上座にあたる席なのは偶然だろうか。

「おはよう。皆よく眠れた?」

「ぐっすりとはいきませんが、休息としては十分です」

 マシュはそう言った――メディアもマタ・ハリもすっきりとした顔をしていた。サンソンとロビンもまた然り。

 空々も普通の表情をしていた。

「それよか早く飯にしましょーや」

 立香も椅子に座り、皆で『いただきます』と手を合わせる――なんてことはせずに、ここはキリスト教式で神に祈りを捧げた。音頭を取るのはマタ・ハリである。

 何となく、紅の豚のワンシーンを思い出した。

 ホームアローンのワンシーンも思い出した。

 料理の味は上々だった(さっき見かけた召使いが作ったらしい)。昨日の夜、歩きどおしで疲れていたので立香はミルクも含めて全て完食した。空腹は最高のスパイスとはよく言ったものである。サーヴァント達の中にも、出された料理を残す者はいなかった。

 食後、マシュとマタ・ハリが自然に皿洗いを始めたので立香もそれに加わる――というか引き受ける。寝坊した罪滅ぼしのつもりだったので一人でやろうとしたのだが、マシュは頑なに台所から立ち去ろうとしなかった。

「一緒にやらせてください、先輩」

 献身な彼女の申し出は断り辛く、結局は二人がかりで洗いモノを片付ける。その間、サーヴァント達は二階に戻って各々の準備を整えていた。

 準備と言っても大体のことは既に終えているので、実際はロビンが持ち込んだ櫟の実を磨り潰して粉にする作業をしていて、他の者はそれを眺めているだけだった。男部屋だが、マタ・ハリもメディアもいる。準備の支度というよりは、本日の打ち合わせをするのが主な目的だ。

「――座長の方針を聞いてからでないと本来意味は無いのだけれど、今日やるべきことは決まっているわ。この町の探索――情報収集ね」

 マタ・ハリがまず本日の目標を定めることを言う。『情報収集』という大目標に異を唱える者はおらず、皆は黙してそれを肯定した。

「ならばひと塊になって動くのではなく、散開して別々に行動するのが良いだろう。その方が効率的だ」

 そう提案したのはサンソンだった。彼は右手に櫟の種が入った袋を持って、時折それをロビンの手元に置かれた擂鉢に零している。毒薬の調合を手伝っていた。

「敵陣のど真ん中で一人は危険じゃねえか? せめて二人以上で行動するべきだ――ああ、それじゃ多すぎる。もっと柔らかく手首を振れないもんかねえ」

「仕方ないだろう、こういう手法には慣れてないんだ」

 『多すぎる』というのは人数のことではなく、サンソンが一度に零した種子の量を言っているらしい。

「二人ですか……すると組み分けはどうしますか?」

 空々が誰ともなく呟いた質問を拾ったのはメディアだった。

 もっとも、それが答えと言えるかは微妙だが。

「私は家に残りたいわ。この家の住人が少し気になるの」

「それはカーター氏かい?」

「ええ……それ以外にも、あの黒人の召使い――ティテュバといったかしら、彼女が私の懸案事項よ。」

「そうか。じゃあメディアは家に残って――」

「いえ」

 サンソンの言葉を遮ったのは、空々だった。

「メディアさんは探索に出てもらいたいです」

「……あら、何故?」

 少し気温が下がった気がした。

「探索というか、この屋敷以外の拠点を作ってはもらえませんか? 人目に触れることのない――そうですね、例えば森の中なんかに」

「どうしてかしら」

 皆の注目が空々に集まる。

「今、メディアさんがこの家の住人が怪しいと仰いましたが、実は僕も同感です。この家の住人はどこかおかしい。皆さんはどうですか?」

「――ええ」

 サーヴァント達は目線を交換し合い、一瞬のタイムラグの後、マタ・ハリがこくりと頷く。

「具体的な言葉にはできないけれど、違和感はあるわ。そこにおいては貴方にも、メディアにも同意できる」

 それを受けて、空々は説明を続ける。

「この屋敷は安全とは言えません。すぐに移動するのは不自然ですが、この家の外部にも安全地帯を作っておくべきです」

 ここは敵の根城かもしれない。

 確かにそれは、空々以外のサーヴァント達も懸念していた事態ではある。

 何となく――根拠があるわけではないが直感的に、この家には『何か』があると確信している。

 空々の提案は、その『何か』こそが敵であった場合、敵の根城であるこの屋敷以外のセーフポイントがないのは危険だから、別の場所にも拠点として使える場所が必要である――というものだ。

 筋は通っている。金言と言ってよかった。サーヴァント達は自分の勘を信じる者が多い。その勘に則った策ならば否定する理由はない。

 無いのだが――

「……そうか、確かにな。もしカーターあたりが魔神柱だったとかいう展開が来た日にゃあ、俺達はドアウェーで戦うことになる。戦いだけじゃねえ。日々の活動すら、向こうに主導権が握られちまう。それは何としても避けたいところだ――だが」

 だが、問題はそれを提案したのが空々で実行するのがメディアであるという点だ。

「だが、魔女様だけじゃテント張ったり洞穴見つけたりできねえっしょ。森の隠れ家を作るなら俺もついて行く方がいいだろう」

 ロビンが手伝いを申し出る。

「そう。じゃあロビンとメディアでペアを組んで拠点作成をお願いするわ。クウは探索組に入ってくれるかしら? できれば私とペアを組んでくれると嬉しいのだけれど」

「――はい。ではお願いします」

 マタ・ハリが空々にコンビ結成を申し込み、空々もそれを許諾する。

「では僕はマシュとマスターに付いて行こう。マスターに一人もサーヴァントが付いていないのは、やはり危険だからね」

 サンソンは立香に追従することに決めた。

「ちょっと、私は外の拠点づくりをやるとは一言も――」

「この家の住人を観察するったって、昼間はほとんど無理なんじゃねえの? カーターは出かけるか、書斎に籠るかだろうし。客人として動くなら尚更だ」

「それは……そうだけれど……」

 メディアは未だ歯痒そうな表情をしていたが、ロビン達に対抗できる反論がとうとう浮かばなかったようで、

「……わかったわ。確かに、外に陣を張るのも有効な策ではある」

 と、折れてくれた。

「じゃあマスターの了承を得に行きましょう。そろそろ後片付けも終わった頃じゃないかしら」

 そう言ってマタ・ハリが立ち上がろうとした時、部屋の扉がガチャリと開いた。

「お待たせ皆」

 ドアノブを握って開けたのは立香で、その後ろからマシュも顔を覗かせる。手の水気は取れていたが袖口が僅かに濡れていた。

「ああマスター。今ちょうど今日の方針を決めていたところで――」

 

 

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 海へと続く、町はずれの平原。

 少し前を歩くサンソンの背中を追いながら、マシュは隣の立香に話しかけた。

「先輩」

「ん?」

 短い髪を揺らしながらこちらに顔を向けてくる立香は、ここが敵地のど真ん中であることなど知らないような平常通りの笑顔だった。

 勿論セイレムが危険地帯であることはわかっているのだろう。だがそれを感じさせない空気――雰囲気を、立香という人物は身にまとっている。

 常に周りを明るく照らす、太陽の様なマスター――というわけでは決してないのだが。

 立香自身が輝いているというよりは、光を跳ね返しているという感じ。ならば太陽よりも月の方が似合っているのかと考えてみるが、それもまた微妙だ。かの神聖なる静寂と狂気の大地からは庶民的な立香を連想しづらい。無論、一抹の寂しさ――哀愁の様なものを感じる時はあるのだけれど、それはあくまで側面でしかなく……、鬼神の様に怒る時もあれば、聖母の様に慈愛に満ちる時もある、一見して矛盾の起きる現象を全て内包していて、しかしそれによる不快感も芽生えない不思議な人間性。

 敢えて星に例えるとするならば、そう――

 ――地球だろうか。

「あの……私の思い過ごしかもしれないのですが」

 この人を守らなくてはいけない。

 そんな思いに、自然と駆られる。

 マシュはレイシフト前よりダ・ヴィンチが指摘していた不安要素を立香に報告する。

「メディアさんのことなのですが……」

 すると今まで少し前を歩いていたサンソンがこちらを振り返る。メディアの名前に反応したらしかった。

「君も気づいていたのか」

 君も、ということはサンソンも今のメディアに不自然な感じを覚えたのだろうか。いや、『気づいていた』という言葉の裏にはそんな漠然とした違和感ではなく、もっと具体的な――マシュが辿り着けていない何かに、彼はまさしく『気づいた』のだろう。それはつまりサンソンは(少なくともマシュより)深くメディアの謎に踏み込めていることになる。ならば自分からではなく、彼の口から説明してもらった方がいいのでは?

「いえ、明白に『気づいた』とまで言える場所に私はいないのですが……」

 メディアに対して何らかの違和感、あるいはそれよりももっと確かなものを感じている者同士にしか通じないであろう言葉の濁し方で以てマシュはサンソンに答える。頼む様な視線と共に言外に置いたのは『わかっていることを教えてほしい』というお願いだが、それを受け取るには卓越した空気の読解力が必要とされるレベルにまで薄められたメッセージなので、サンソンに伝わるかどうかは(自分で出しておいてなんだが)自信がなかった。

「――そうか。彼女の言動に違和感を感じる――ぐらいかな?」

 『違和感を感じる』という言い回しにこそ違和感を感じるのだが、いちいち突っ込むことでもないかな、と指摘するのを堪える。そもそもサンソンはフランス人――それも、フランス革命時代の人間だ。立香がいる手前、自然と日本語で物事を考える癖がついてしまっているマシュにとっては奇妙に思えるだけのことなのだろう。

 マシュは気にしないことにした。

「はい。サンソンさんはどう思いますか?」

 するとサンソンは渋い顔をして腕を組む。顔立ちの整った長身のフランス人には、これ以上なく様になるポーズだった。

「……彼女は偽物かもしれない」

 彼の口からぽろりと出た言葉は、マシュにとっては衝撃的だった――が、その一方で納得してしまうような、パズルのピースがカチリと嵌まったような奇妙な感覚があった。マシュの無意識下ではそんな予想がたてられていたからなのだろうか。

 ただ立香は本当に驚いたようで、

「ええ!?」と素っ頓狂な声をあげた。

「メディアが偽物? 何で」

「……決定的な証拠はありません。ですが、少なくとも僕はそう断言します。彼女はメディアじゃない」

 あんぐりと口を開けている立香。いつも通りの先輩だと、少し呆れながらもマシュはそれを見て安心する。

 メディアはともかく、立香におかしなところはない。出発前の心配は杞憂だったのだ――

『――いかなる状況においても、藤丸立香は藤丸立香であり続ける』

 心の中の暗雲を吹き飛ばす風に紛れて、そんな言葉が聞こえた気がした。

 言うまでもなく、それはダ・ヴィンチの言葉だった――何気なく発された、彼女の視点に依るちょっとした立香の考察。別に気にするほどのことではないし、彼女自身も忘れてくれと言っていた、ただの戯言。

「じゃあ、彼女は誰なの?」

「現状ではわかりません。ただ一つ言えることは、彼女がもし僕達に害を為そうと思えば、これまでいくらでもその機会はあった――ということです」

「……つまり、彼女は敵ではないってこと?」

「断言はできませんが」

 サンソンの応答を受けて、立香は難しい顔をしながら腕を組み、ふーんと唸る。

「彼女は今、ロビンと一緒にいるんだよね」

「はい――朝話した通りです。万が一の為に、第二の拠点を作っておこうということで。大丈夫、ロビンなら万が一のことがあっても対処できるでしょう」

 サンソンは心配そうな顔になったマシュの方を向いて言った。

 だが、寧ろマシュの抱える不安の雲は先ほどより大きくなった気がした。

「マスターもマシュも、彼女の動きには注視しておいてください。彼女が『偽物』であるということは、サーヴァントの間では満場一致です」

 立香は黙ったまま何も言わなかった。

 ――メディアが偽物?

 そう言われてみれば確かに昨日のメディアには違和感があった。具体的にどこが変なんだと問われてしまうと困るが、それでも何というか、漠然とした雰囲気の様なものが違っていたのは、今になって振り返ると見えてくる。

 だが――そうなると深刻な事態に直面してしまう。

「サンソン……」

 まずい。

「彼女は、いつから『偽物』だった?」

 サンソンは反射的に口を開き、そこで初めてことの重大さに気づいたかのように硬直すると、次いであきっぱなしになっていた口をまたつぐむ。

 そうだ、こちらにやってきてから誰かと入れ替わったのならまだしも、もし彼女がカルデアに居た時から偽物だとするのなら――

「かなり拙い事態ですね」

 カルデア内部が、危険地帯に変わる。

「……彼女には、本当に敵意が無いのかな」

 念を押して立香がサンソンに聞く。サンソンはさきほどより幾分自信なさげに「おそらくは」と答えた。

「……あの、もし本当にそうなら、一度彼女と話し合ってみた方がいいのでは」

 マシュが提案する。

 ロビンやサンソン、マタ・ハリや空々は、敢えて黙って彼女を泳がせているのだろう。現状、明確にこちらと敵対しているわけではない彼女なので、それは一つの選択として正しいのだろうが、しかし何かが起こるより前にこちらが先手を打つ方がいいのではないだろうか。そんな考えからの提案だった。

「先輩はどう思いますか?」

 話を振られた立香は、しかしマシュの方を一瞥することもなく目線を足元に落として顎に手で触れたまま沈黙する。何かを考えているのだということはその様子から見て取れたが、そうやって考えた後いったいどんな結論に達するのか、マシュには全くわからなかった。

「……メディアは今、森の方にいるんだよね」

「ええ。村の南西に使えそうな地形があったと、ロビンが連れて行ったので」

「……」

 じゃあ、行こう。

 今にも立香が口を開き、そんなことを言おうとした時、その視線が正面から右方に揺れ動いた。

 その眼の動きに「泳いでいる」という表現は似合わず――もっとはっきり、何かを「追っている」ような感じ。

「あれは」

 マシュは振り向く。サンソンも後方に視線を遣った。

「……アビゲイル?」

 かなり距離があるので、マシュにはほぼ点にしか見えないが、雰囲気というか背丈というか歩き方というか、確かにカーター家の少女に見えた。

 あちらはこちらに全く気づいていないようだ。

「どうします? 声をかけますか?」

「……」

 立香は少しの間沈黙し、そこで急にマシュの方に向き直ると、「マシュ、行ってくれない?」と頼み込んだ。

「行くって……メディアさんのところにですか?」

「いや、アビゲイルのところに。情報収集が今日の目的でしょ。俺はメディアの方に行くから」

「それだと僕がどちらか片方にしかついていけない。単独行動は危険です」

 サンソンの言葉に「ああそっか……」と頭に手をやる立香。それを受けて今度はマシュが口を開く。

「――昼間の内なら大丈夫だと思います。サンソンさんは先輩についていってもらえないでしょうか」

 ……確かに、海際で見渡しのいいこの場所なら、魔物や敵の脅威が現れる心配も薄いか……町との距離だって200メートルもない。

 瞬間的に辺りを見回して、一応ここは安全であるとの判断を下したサンソンは――しかしそれでも苦々しく「……何か危険が迫ればすぐに逃げてください――町に向かって真っすぐに。港の方にはマタ・ハリとソラカラが行っているので、そちらの方向に」と、非常事態の対応をマシュに教える。決して素人ではないマシュは、そんなこと言われなくともわかっている筈だが、それでも言っておかなければ気が済まなかったのだろう。マシュは素直に「わかりました」と答えた。

「ではまた、屋敷で会いましょう」

 

 

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 「情報収集といっても、まさか『魔神柱はどこにいるか知りませんか?』なんて聞いてまわるわけにもいかないですよね。具体的にはどうしましょうか」

 町の中心から一本道を外れた場所。

 隣を歩く空々からでたそんな質問に、マタ・ハリはにこりと微笑んで答える。

「そうね。私たちは今、自分たちが知りたい情報が何なのかさえもわかっていない状態ですもの。こういう零からの出発は私もあまり経験したことがないから、それほど頼りにしてほしくはないのだけれど」と前置きしてから、

「クウ、貴方RPGってやったことあるかしら?」と空々に尋ねた。

 空々はキョトンとした顔になり、「テレビゲームですか? 一応やったことはありますけど、でもあまり得意ではないです」と言う。

「そうか、時代も時代ね。二十一世紀では遊戯(ゲーム)も電子空間でやるのが普通になるのね。いえ、違うのよ。そうじゃなくて――日本じゃあTRPGっていうのかしら? テーブルの上で、参加者間の会話を主体に進めていくゲームのことなのだけれど」

「テーブル?」

 ゲームというのは画面の前でやるものではないのかとでも言いたげな、怪訝な顔つきをしている空々を見て、これは挙げる例を間違えたかなとマタ・ハリは軽く後悔しつつも、笑顔は失わずに説明を続ける。

「ええ。そうは言っても私も生前からやってるわけじゃないから、そこは何とも言えないのだけれど……。最近、カルデアでこっそり流行ってるのよ。サーヴァントと職員が数人集まって遊んでるの。そうだ、よかったらクウも一緒にやらない?」

「……生きて帰れたら」

 曖昧に頷く空々。

「――ダンジョンを攻略したり、怪物を倒したり、或いは閉じ込められた部屋から脱出したりする『シナリオ』が用意されていて、プレイヤーはそのシナリオに登場するキャラクターとしてシナリオクリアを目指す。ゲームマスターという管理者の進行に沿ってね。それで――まあ種類にもよるんだけど、ゲームの序盤には大体『これがどういうシナリオなのか』『敵は誰で、クリア条件は何なのか』を探るのがセオリーなの。今の私たちの状況に似ていると思わない?」

 敵は誰で、どこに居るのか。

 自分達は何をすればいいのか。

 まさに、カルデア陣営はそれが知りたかった。

「こういう時、普通は『いつもと違うこと』を探せばいいのよ。或いは聞けばいいの。変わり映えしないこの町にも、何かがきっと起こっている筈だから」

「……なるほど」

 今度の頷きは曖昧ではなかった。

「外からきた私たちからすれば、この町は全てが異常に見えてしまうのだけれど――でも、必ず何かがある筈。決定的な何かが、何処かに」

「……」

 ――と。

 二人は歩き続けるにつれて段々近づいてきた角を折れ、右に曲がる。路地に入った形だった。少し歩調を速め、また一番近い角を曲がる。そこでマタ・ハリは止まり、反対に空々は駆け出した。数十秒が経ち、砂漠のような静寂にノイズが混じり始める。ザッザッという足音。建物の影に身を寄せ、マタ・ハリは全神経を集中させて音の主の位置を測る。

 来た。

「――」

 姿を見せたのは少女だった。アビゲイルと同じくらい――だが、この子はあの快活そうな少女とは対照的な雰囲気を身にまとっている。一言で言うなら――病弱。色素を持たないアルビノだった。人とは思えない幻想的な風貌のその少女は、しかしとても人間らしい驚愕の表情をマタ・ハリに見せている。とうとう万引きがばれた優等生のような、衝撃九割絶望一割の顔。身体が硬直していて、咄嗟に言葉も出ないようだった。

 マタ・ハリは笑顔で話しかける。

「こんにちは」

「……」

 返事はない。合っていた視線さえ外れてしまった。眼球が動かせるようになった程度には衝撃から立ち直ったか。俯き加減に後ろを――つまりは退路に目を遣る少女だったが、そちらからは空々が回り込んできていた。その東洋人の少年を目にした時、「あ」と少女の口から声が出る。おや、とマタ・ハリは抜け目なくそのリアクションを拾い取った。一瞬の声。意味のある言葉にすらなっていなかったが、そこには絶望と恐怖の色ではなく――勿論そういった感情が大部分を占めていたが――その音階からは意外なことに、僅かながらある種の安堵感が垣間見えた。

 目当ては空々だったのだろうか。

 彼女の所作を更に注意深く観察しながら、そんな推測を組み立てるマタ・ハリ。

 少女は空々とマタ・ハリの足元を交互に見ていた。

「昨日の子だ」

 空々が短く言った。それを受けて、マタ・ハリはこの子が昨晩空々に助けられた(殺されかけた)アルビノの少女であることを確信する。

「あの後は大丈夫だった? 僕が追いついた時には、皆解散してしまっていたみたいだけれど」

「……?」

 少女の視線がおずおずと空々の目の高さまで持ち上がり――すぐにまた足元に落ちる。口が開きかかったが、またすぐに閉じてしまった。ひどく怯えているのか、元々内気な性格なのか、もしくはその両方か。こんな路地で囲んだのは逆効果だったかなとマタ・ハリは思った。

「僕らに何か用かな」

 沈黙を答えと受け取ったらしい空々は、次なる質問を彼女にぶつける。少女は、今度はマタ・ハリの方にちらりと視線を遣り、次いで空々の方を向くと、とても小さな声でぼそぼそと何か言葉を発したが、マタ・ハリには彼女が年相応の可愛らしい声をしていることしかわからなかった。

 少女はどちらかというと空々に向かって喋っている。空々なら聞き取れたかもしれないが、彼も黙ったままだった。少女が放った言葉を指し示す推理材料は皆無である。

「……」

 空々は動かない。何かをするでもなく、黙って少女を見つめている。どうしたんだろう。沈黙が続いていくにつれて、次第にマタ・ハリの疑念は深まっていった。何か会話があったのだろうか? 少女が何かを言っていた風には見えたのだが……、ならば何故空々は何も答えない?

「――わかった」

 いよいよマタ・ハリが口を開いて何か喋ろうとした時、マタ・ハリの心を読んだのではないかと思われるほどドンピシャのタイミングで空々が言った。すんでのところで口を閉じさせられたマタ・ハリの機嫌は僅かに曇ったが、それを表に出す彼女でもない。あくまでも冷静に――空々が何を了承したのか理解する為に、少女のその後の言動に注視する。

 マタ・ハリが見たところ、少女は空々の応答に驚いているようだった。彼女の表情に恐怖の色があるかどうか丹念に確認してみるが、それに準ずる類いの感情は見えない。単純に仰天しているらしい。しかし一体何に驚いているのだろうか。空々に向かって無理な注文でもしたのだろうか? その条件を意外にも空々がすんなり呑んでしまったが故の驚きか。

 それ以外に順当な予想を思いつけなかったマタ・ハリは、とりあえずその路線で思考を辿っていくことにする。

 ――この時、マタ・ハリは空々のことをほとんど敵同然――或いは重要参考人の如く扱っていて、最早彼の肩書が何なのかなんて全く頭になかったのだが、しかしそれは非常に惜しいミスだった。もしも彼が一体どういう存在なのか、かつてどういう存在だったのかわかっていれば――いや、それでも答えには辿り着けない。

 空々空は『英雄』である。

 為した功績だけで――結果のみで偉大さを決めるとすれば、それこそギリシャに名だたる半神の戦士達や円卓の騎士、果ては黄金の英雄王さえ凌ぐ恐るべき大英雄。それが空々空という少年だった。

 ヒーローが了承するべき――うんと頷いて然るべき歎願は、いつだって同じ。

「助けてください」

 少女の心の悲鳴を、英雄はしかと聞き届けた。

 

 

    5

 

 

 一口に『森』と言ってもそれは極めて広大であり、ロビンとメディアを探すのは一見して不可能に思えたが、出発前に大まかな拠点づくりの位置をロビンが教えてくれていたので、それを指標として捜索すればあまり苦労せずに彼らを見つけられるだろう――というのが立香とサンソンの見解だった。

「ロビンは今朝の時点で既にこの町の周辺を見回っていましたから、その時の記憶の中で拠点をつくる座標の大方の目星はつけていたのでしょう」

 サンソンの言うことは当たっていると立香も思う。それにしても、サーヴァント達がそうやって動いていた時間に惰眠を貪っていたことがひどく悔やまれる。これではただの嫌な主ではないかと自己嫌悪に陥るが、「休息も立派なマスターの仕事ですよ」というサンソンの言葉に救われる。

「我々はサーヴァントですから、魔力の供給さえあれば睡眠も食事も必要ありません。もっとも、今の状況は例外ですが……」

 台詞が終わるに連れて顔を曇らせるサンソン。

「サーヴァントは食べなくても大丈夫って、あんまり実感ないな。カルデアじゃあ普通に皆ご飯食べてたし」

「食料問題はあまりありませんでしたからね。食べるという行為は精神の安定を保つ意味でも重要ですので、あれは英断だったと言えるでしょう」

 食は精神の安定にも重要。へえ、そうなのかと立香は頷きながら目の前の茂みを手に持っている木の枝で払いのける。なるべく開けた場所を歩くよう心掛けてはいるのだが、森に道などある筈も無く(あるとすればそれは高い確率で獣道だ)、どうしてもこういう場所を通ることになる時がある。当然視界は最悪で、人探しなどできそうにもない悪条件がそろっていたが、別段ロビン達は森に隠れているわけでもないので、ガサガサと音を立てて移動していれば向こうが見つけてくれるだろうと、半ばヤケクソ気味な予定を組んでロビン達を探していた。

「マスター、メディアに会ってどうするつもりですか?」

「話をするつもりだよ。まず『貴女は一体誰ですか』って聞く」

 サンソンは不安げな顔をした。彼の心の内は容易に推測できたので、立香は自身が考え無しではないことを説明する。

「メディアさんが偽物だっていうのは皆同じ意見だけど、偽メディアさんは俺たちに敵意を持っていないっていうところも同じ見解なんでしょう?」

「しかし……」

「俺は皆を信じるよ。ついでに言えばその偽メディアさんも信じる。だって、彼女と話してても悪い感じしなかったから」

 大丈夫だよ。

 何が大丈夫なのか、説明はできない。

 でも確信を持って言える。

 彼女は敵じゃない。

 そこだけは確実だった。

「まあ……そうですか」

 曖昧な反応をするサンソンだったが、しかし彼自身もあまりメディア(偽)に対して悪印象を抱いていないのも事実なので、内心ではもっとはっきり立香に同意していた。ただ、立香ほど自分の直感に自信を持つことは危険であるとサンソンは考えているので、それは偽メディアが敵である可能性を立香に代って持ち続ようという、役割分担の意識からくる微妙な返答だった。

 立香にはそのまま穢れの無い人間でいてほしい。

 だがそれだけで生き残れるほど、魔神柱との戦いは優しくないのだ――そうサンソンは思う。

 そんな会話を交わしながら森の中を歩き続けていると、唐突に自分達以外の気配を近くに感じる瞬間があった。立香とサンソンはそこで立ち止まり、念のためサンソンは剣を構えて立香の前に躍り出る。が、それは杞憂だったようで、木の上から飛び降りてきたのはロビンだった。

「よお、どうした。おたくらは街で情報収集って手筈じゃなかったかい?」

 弓をマントの裏に仕舞いながらロビンが言う。

 それに対してサンソンが何かを言う前に、立香が口を開いた。

「メディアと話がしたいんだ」

 メディアの名前が出て、ロビンの顔が曇る。彼はサンソンに「言ったのか?」というニュアンスの視線を送ってきた。サンソンは観念して首を縦に振る。

「メディアはどこ?」

 見たところロビンは一人のようだ。誰かが近づいてきたので、拠点づくりは一旦メディアに任せて一騎だけで闖入者の確認に来たのは何となく推測できるが、では拠点はどこにあるのだろうか?

「メディアはいないぜ」

 ロビンの台詞は、意識していなければ聞き逃してしまっただろうと思われる程さらりとしていた。

「……え?」

 思わず聞き返す立香。

「体調が悪くなったとか言って、かなり初めの方に屋敷に帰った」

「帰ったって……君はそれを黙って見送ったのか!?」

 軽い憤りを込めてサンソンが言う。

「そんなことするわけないっしょ。こんな時に『体調が悪い』なんてあまりに嘘くさいしな。ちゃんと送り狼したっつーの。どこにも寄らず屋敷に入ってったぜ。その後しばらく様子を見ていたが、特に外に出るようなことも無し、それ以外の妙な動きも無し」

「中には入らなかったの?」

「メディアが一人で帰れるって言い張るもんだから、『俺は第二拠点の設営を片付けておく』って言っちまいましてね。『やっぱり心配だから様子を見に来た』なんて言ってずかずか上がることもできましたけど、どうもリスクとリターンが見合わなくてなァ」

 リスクとリターン。

 万が一戦闘に発展した場合、戦場は狭い室内になる。そうなると、予め仕掛けられた罠と弓によるゲリラ戦を得意とするロビンの長所は潰れる。祈りの弓による不浄の爆発が決まれば良いが、それが可能なのはあくまでメディアの具合が本当に悪かった場合に限られる。

 偽メディアの正体がいかなるものであるにしろ、それは「魔術師」に属する存在だろう。魔術師が自身のホームグラウンドで戦う場合は、時に最優のクラス「セイバー」――或いは「バーサーカー」をも凌駕する戦闘能力を発揮できる。地形的には明らかにロビンが不利だった。戦力で劣れば、それは戦闘以外の交渉にも響く。

 加えて、現在のあの屋敷の状態である。

 もしあの場に立香が一人残っていたとしたら、地形的なハンデを背負いながらも、何かがあってはいけないとロビンは迷わず屋敷に乗り込んでいただろう。しかし今、あそこにカルデア陣営の者は誰もいない。

 皆、この町の調査活動で出払っている。屋敷にいるのはカーター氏と召使のティテュバのみ。彼らがメディアの術中に置かれるのではないかという心配もあるが、しかしそれはロビンにも簡単に予想できる手である。帰宅後は間違いなくその二人を注視するだろうから、滅多な動きをさせることはできない。一般人なので戦力にもならない。

 そういった諸々を考慮した結果、ロビンは屋敷に入ることを止めて外からの監視に専念し、二時間程待ったが動きはないので、当初の目的である第二拠点の設営に戻ったというのである。

「……いや、やはり屋敷に向かうべきだ。外から何の動きが無いように見えても、中で何をやっているのかはわからない。それを把握しなければ」

「だからこそ第二拠点を完成させる為に俺は頑張ってたんだよ。メディアがあそこを工房化したとしても、こっちの第二拠点に籠っちまえばむざむざ向こうのホームグラウンドでやりあわなくて済む」

「第二拠点の場所はメディアに把握されているのではないのか?」

「場所を移したに決まってんでしょ。それくらい考えられないもんかねえ」

「今は状況が変わった。こちらには僕とロビン、そしてマスターがいる。工房に立てこもる魔術師を相手にまわしても形勢は不利にはならない筈だ!」

「向こうはこっちのステータスから戦法から全て把握している。俺達は向こうの正体は愚か、どんな魔術を使うのかすらわかっていねえ。何の情報もわかってないのに加えて、俺達が能力の『下方修正』を食らってることを忘れてんのかよ。そこまでシビアな大勝負を、こんな序盤でする意味はねえだろ!」

「屋敷の中にカルデアのメンバーがいないから中に入らない? カーター氏とティテュバさんはどうなってもいいということか――君はそれでも義賊ロビン・フッドか!」

「待って、一度落ち着こう」

 今にも得物を抜いて乱闘に発展しそうだったサンソンとロビンの間に入り、立香が冷静に言う。二人は臨戦態勢を解き、ばつの悪そうにお互いから視線を外した。

「……メディアは悪い人じゃないよ」

 立香がぽつりと言った。

「戦闘になることはない。俺が保証するから。ロビン、屋敷まで案内してくれ」

「いや、だけどなあマスター――」

「頼むよ」

 珍しく怒気を帯びた立香の言葉に遮られ、ロビンは黙らざるを得なくなる。弓をマントの裏にしまうと、無言のまま立香達が付いてこられるゆっくりとしたペースで歩き出した。

「ロビンだって、本当はメディアが敵だって思ってないじゃん」

「――」

 沈黙による回答の意味は、立香には伝わってしまっているようだ。

「俺は、メディアが偽物だってことにも気づかなかった鈍感で駄目なマスターだよ。戦力の計算とか、状況の把握とか、そういうのとんとできないし、作戦なんかも立てられない」

「……」

「俺は皆を信じることしかできない。だから俺は皆を信じる。精一杯信じるよ。サンソンよりもサンソンを信じるし、ロビンよりもロビンを信じる。皆が疑ってる皆の直感を、俺は命懸けで信じ続ける」

 それは、生前ロビンに与えられなかったものだった。

 そうか――もう少し、あともう少しだけ、ロビンを信頼してくれる人がどこかにいれば。

 もう少しだけ凄い奴になれていたかもしれない。

 もう少しだけあの村を守れていたかもしれない。

 もう少しだけ、もう少しだけ強くなれたかもしれない。

 そしてロビン・フッドではなく――偽りの英雄としてではなく、

 本当の名――■■■■として、あの老騎士の隣に立てたかもしれない。

 

 

 


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