Fate/Blank Order   作:後菊院

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第六話

 

 

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 そうするのが一番自然だと思ったから

               ――貴宮むいみ

 

 

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 「――どうするの」

 日が落ちて、空が濃い青で覆われた時間帯。

 屋敷に帰るまでの道、あまり強くはないものの決して暖かくはない風をやり過ごしながらマタ・ハリは呟いた。

 それは勿論隣を歩く空々に向けての言葉だった。空々はマタ・ハリの方を一瞥すると、また視線を前に戻す。

「マスターに判断を仰ぎますよ」

 言うまでもなく、先の『お願い』についての話だ。

 ラヴィニアと空々が出会った時、マタ・ハリは近くの建物の屋根にいた。二人の会話を聞いていたのだ。現状空々がカルデアのメンバーにいまひとつ信用されていないが故の措置である。思考はともかく、行動として仲間を疑うような真似は正直あまりしたくない(生前の記憶も手伝って)のだが、結果的についていって良かったとマタ・ハリは思っていた。さっきの話を空々が皆に伝えても、信用されるかどうかはわからなかっただろう。

「カーターさんは胡散臭かったですけど、まさかあの少女の方が恐ろしい存在だったとは思いませんでした」

「まだ決まったわけじゃないわよ」

 ウェイトリー家はこの町の嫌われ者だという。

 聞けば怪しげな異教の儀式――『魔術』を執り行っているとか。道行く人々から集めた情報では、あまり良い印象を受けなかった。

「でもそれこそが、彼らがこの町へ呼ばれた理由なのだとすれば辻褄は合います」

 ウェイトリー家は『何者か』に脅され、彼らの崇拝する神の降臨を執り行っているらしい。これはラヴィニアから直接聞いた情報だ。

「異教の神……『外なる神』と彼女は言っていたわね。その者の召喚こそが魔神柱の目的……」

「マタ・ハリさん、『外なる神』の存在に聞き覚えはありますか?」

「ない――筈なのだけれど」

 マタ・ハリは躊躇うように言葉を区切る。

「どこかで聞いたことがあるような……最近どこかで聞いたような気がするのよね。これ、もしかしてラヴィニアちゃんにも起こっている認識阻害なのかしら。クウはどう? 『外なる神』に聞き覚えは?」

「僕はありません」

「ふうん……。だとすれば、これまでの特異点で『外なる神』に出会ったのかしら」

 自分で言っておきながら釈然としない理由付けだったが、今のマタ・ハリにそれ以外の解釈を見つけることはできなかった。

「いずれにせよ、僕らの行動指針ははっきりしました。まずはさっきの少女の言っていたことが正しいのか裏をとる。あの情報が正しいとわかれば、魔神柱による『外なる神』召喚の妨害、及び魔神柱の捜索――ですが魔神柱の捜索はともかく、召喚の妨害はマスターが首を縦に振るかどうかわかりませんね」

 外なる神召喚の妨害。

 それが具体的には何を指しているのか――マタ・ハリはふうとため息を吐いた。

「リツカは決してそれを良しとしないわ」

 マタ・ハリの声は夜風に溶ける。

 そこに悲痛は無かった。

 二人は少しの間、何も言わずに歩いた。踏み固められた土の道を、なるべく音を立てずに進んでゆく。既に町の中心からは遠く離れ、道のわきに建っている家の間隔も広くなってきていた。微かに残る夕焼けを目指し、既に青くなりつつある空を背負う。空の半分程が雲に覆われていた。今夜は満足に星をみることはできないだろうとマタ・ハリは思った。

 風が吹く。ここが切り取られた空間であるなら、この風はどこからやって来てどこへ向かってゆくのだろう。空も海も森も同じだ。あの遠き空は果たして本物なのだろうか。ふと出た疑いを確かめたくなった。マタ・ハリは右手を暗い青に伸ばしてみる。当然、手は宙空を切るだけに終わった。「どうしたんですか?」空々に聞かれる。訝し気な顔をしていた。

「何でもないわ」

 マタ・ハリは笑って言う。真面目に質問してきた空々がおかしかった。

「あれは金星かしら」

 一度下げた手をもう一度上げて、紺色のグラデーションにポツリと光る小さな星を指さす。宵の明星、金星。マタ・ハリに天文学の知識は無く、そう思ったのはただ「一番星は金星」だと知っていたから。あの知識はどこで得たのだろう。子供の頃だった気がするが……まだ家が裕福だった頃。学校で習ったか、父か母が教えてくれたのだろう。

 レーワルデンの空も青かった。

 空々もまたマタ・ハリの指さす星を見上げていた。こうしてみると、彼はとても人類史に名を遺した英雄には見えない。どこにでもいる十三歳の少年だった。

「貴方はいつから英雄だったの?」

 何となく聞いてみたくなった。

 子供時代を思い出したからだろうか。

「十三歳からです」

 空々はマタ・ハリの質問に答えてくれた。

 視線は空から戻り、彼女に向いていた。

「十三歳から……。大変だったでしょうね」

 マタ・ハリの人生が狂い出したのも、思えば十三歳からだった。父の事業があのまま上手くいっていれば、自分はこんな場所にいなかっただろう。空々はさして表情を変えずに「そうですね」と頷いた。

 空々空は今の調子で、顔色一つ変えることなく世界を救ったのだろう。

 それ以上の質問はしなかったが、マタ・ハリは何故か、そう確信できた。

 

 

    2

 

 

「クウを完全に信用してはだめよ」

 空々が白髪の少女に会いに行くべく町の中心へと出立した後、マタ・ハリは立香にそう釘を刺してきた。そうだ。とてもいきなり信じられる話ではない。直に話を聞いていたマタ・ハリですら半信半疑というところなのだ。空々のあの雰囲気を――まるで鏡の奥の自分自身が喋っているような感覚は、立香だけにしかわからないのだろう。

 彼を疑うことは立香を疑うことなのだと言っても、皆は意味がわからないに違いない。

「先輩? どうしましたか?」

 マシュが立香の顔を覗きこんでくる。彼女の純粋な視線は今の立香にとって猛毒よりも耐え難いものであり、「な、なんでもないよ」と言って明後日の方向に顔を向ける。

 現在時刻は午後四時ニ十分。カーター氏の屋敷のリヴィングルームにて、立香とマシュは幾つかある長椅子の一つに座っていた。

「大丈夫ですか先輩? 顔色が優れないようですが……」

「そ、そうかな? 俺は至って元気だけど」

 焦って取り繕うが、依然としてマシュの瞳にかかった心配の雲は晴れない。が、ロビンのことを話すわけにもいかない。困っていると、誰かが階段を降りてくる音が聞こえてきた。

 ロビンとサンソンだった。

「……」

 彼らはリヴィングには来ず、そのまま廊下の奥の角を折れていった。トイレだろうと立香は思った。あの二人の仲で連れションはあり得ないが、今は状況が状況である。ロビンの監視の為にサンソンがついていったと見るのが自然だろう。

「……メディアさんは、具合が悪いと言って屋敷に戻られたとのことですが」

 マシュがポツリポツリと語り始めた。

 これらの問題を無視するのは不可能だった。

「メディアさんなら――いえ、メディアさんに限らず一定以上の実力がある魔術師なら、多少の体調不良なんて自力で治癒できます。『具合が悪くなったから屋敷に戻る』なんて理由はあり得ない筈なんです」

「……彼女が屋敷に帰ったのには、何か別の理由があった」

 そこまでは立香にもわかる。メディアに変化できるような魔術師が身体を壊すというのは不自然だ。だが、それでは何故彼女はそんな嘘を吐いてまでこの屋敷に戻って来たのか、それがわからない。

「……色々考えてみたんです」

 静かに呟くマシュは、どうも自分の見解を持っているらしい。ホームズさんのようにはいきませんがと前置いた後、またゆっくりと語り出す。

「彼女は、この屋敷を工房化しようとしたのではないでしょうか」

「工房化?」

 予想外の方向からのアイデアだった。

「メディアさんは――偽メディアさんは、元々この屋敷を工房化しようとしていたと、先ほどマタ・ハリさんから聞きました。ロビンさんについていったのは偽メディアさんの提案より空々さんの提案が採択されたからで、森の中の第二拠点設営というのに、彼女はあまり乗り気ではなかったようです」

「なんで彼女は抜け駆けしてまでこの屋敷を工房化しようとしたんだ?」

「それは、はっきりとはわかりませんが、おそらく――」

 マシュが全て言い終える前にリビングの扉が開いた。二人は強張った顔を入口へ向ける。そこにはティテュバがいた。

「あら」

 特に驚いた風でもなく声をもらすティテュバ。

「お邪魔でしたか?」

「あ、いえ……! 決してそんなことは」

「そうですか」

 ふふっと、何故かティテュバは微笑む。

 その後キッチンへ移動するティテュバに対し、マシュは椅子から立ち上がって何か手伝えることはないかと聞いた――が、優しく断られてしまう。彼女が働いている前では会話がしにくいと思った二人はその場から失礼して、リヴィングを出て二階に引き上げることにした。

「おう、マスター……じゃねえ、座長」

 廊下でロビンとサンソンに出くわす。ロビンがいつもの調子で手を挙げて立香を呼んだ。

「二階に上がんのかい」

「うん」

 立香も普段通りの口調から外れないよう意識しながら応答する。

 上には四つの部屋がある。北から南へと廊下が伸びており、西側にある左手前の一つはアビゲイルの部屋で、東側の二部屋が客室。アビゲイルの部屋の隣は空き部屋になっている。そこは伽藍洞で、何も置かれていなかった。

「おたくらは女子部屋を使うと良い」

 階段の一段目に足をかけながらロビンが言った。にやりとした笑顔を顔に貼り付けていたが、それが虚勢であるのは立香にもわかった。

 彼はいつになく疲弊している。

 ロビンの胸中を慮りつつ、彼に次いで階段を昇るサンソンの背中を追って一段目に足をかけた時――

 一瞬。

 それはまさに一瞬の出来事だった。

 前にいたサンソンが突如としてバランスを崩し、後ろに倒れ込んできたのだ。

 迫りくるサンソンの背中――彼の白いシャツが、くっきりとスローモーションで見えた。

 落ちてくる。

 受け止めなければ。

 頭で考えるより早く、立香は両手を前に突き出していた――が、転がり落ちてくる大の男を不安定な足場で受け止められるほどの力はなく、サンソンに巻き込まれる形で立香もまた後ろに倒れ込んだ。

 天地がひっくり返った。

 マシュが何か叫んだ。視界が暗転した。胸に衝撃が来る。木の天井が見えた。首の力で頭を起こす。また胸に衝撃。サンソンが飛び起きたらしい。何が起こっているのか把握しようと黒目を動かす。サンソンの剣が視界に入った。「ロビンっ!」階段を駆け上ろうとしている? 少し遠くに目を遣る。ロビンが階下を見ていた。何かを構えている。サンソンが邪魔で見えない。何かが空気を切る音が聞こえた。サンソンの動きが止まる。マシュの悲鳴。サンソンが前のめりに倒れる。もう一度風切り音。サンソンの剣が派手な音を立てて吹っ飛ぶ。ロビンが階段を降りてくる。彼の足に縋りつくサンソンをロビンは文字通り一蹴する。早く立ち上がらねば。うまく力が入らず腕が床を滑る。マシュがロビンと立香の間に立ちはだかった。

 ロビンはマシュと立香を見比べる。マシュは両手を目一杯広げた。

 震えていた。

 怯えた眼でロビンを睨んでいた。

 ロビンは何も言わなかった。敵対を意味するマシュの視線に何も感じないということはないだろうが、彼はそれを決して表に出さなかった。

「どうかしました?」

 リヴィングの方からティテュバの声がした。立香は一瞬そちらに気をとられる。ロビンが動いた。目の前に立つマシュの腕を掴み、屋敷の出口に向かって風のように走り出す。ティテュバの声を聞いてマシュもその時は気が緩んだらしく、ロビンの為すがまま、彼と共に出口へと消えていった。

「マシュ!」

 自身を慕ってくれる後輩の名前を呼ぶが、もう遅い。

「何ですか? 何があったんですか?」

 ティテュバが駆けつけてきた。彼女が来た時にはもう全てが終わっていた。

「ぐっ……」

「サンソンさん!? 大丈夫ですか!?」

 階段に突っ伏すサンソンを見咎めてティテュバが駆け寄る。剣は消していた。

「血が出ているじゃないですか! どうしたんですか?」

 見ると確かにサンソンは左太腿から血を流していた。そこには矢が刺さっていた。黒いズボンにどくどくと染み出る赤い液体と対照的に、サンソンの顔色は蒼白になっている。

「僕は……大丈夫です、っ。は、はやく、ソラカラとマタ・ハリに連絡を……!」

「何が大丈夫なんですか! 早く血を止めないと。座長さんも手伝ってください!」

「え、ああ……」

 混乱状態に陥っていた立香はティテュバの声で幾分か落ち着きを取り戻す。ロビンが本気で走って逃げたとすれば、例え彼がマシュという荷物を抱えていたとしても、立香が彼に追いつくのは無理だろう――いや、だが……。

「座長――」

 苦しそうな顔で、サンソンが立香を見ていた。「行くな」と、必死で訴えているのがわかった。

「でも……」

「座長さんっ! しっかりしてください!」

 ティテュバが叱咤する。彼女がその言葉に籠めた意味と、立香がその言葉から見出した意味は微妙に違った。

 ()け。

 立香は駆け出していた。

 

 

    3

 

 

 空々とマタ・ハリが後方から自分達の後をつけてくる集団の気配を感じ取ったのはほぼ同時だった。最初は敵襲かと思ったが、足音の立て方があまりに素人臭いので、そういった手合いではなさそうだと判断する。

「どうしますか?」

 空々が聞いた。マタ・ハリは数瞬の間を置いた後、

「アプローチしましょう」と答えた。

 かくして二人は――正しく表記するのなら、二騎のサーヴァントは極端に歩みを緩め、集団の姿が見えるまで待った。

 奇妙な集団だった。人数はそれほど多くなく、四人ほど。内三人が守衛や憲兵が着るような制服を纏っており、残りの一人は裁判官の黒いローブに身を包んでいた。彼らはマタ・ハリたちに気づくと、少し狼狽した態度を見せたが、踵を返して逃げ出すような真似はせず、憲兵の一人が威厳と威嚇と多少の恐怖を織り交ぜた声で「何だお前らは」と言ってきた。

「はい。旅の劇団『フジマル一座』の者です」とマタ・ハリ。

「この先の御屋敷に泊めていただいております」

 憲兵は怪訝な顔をしていた――どうもマタ・ハリたちのことを知らなかったらしい。隣の憲兵は『フジマル一座』の噂を聞いていたようで、質問してきた方に何事かを耳打ちする。

「そうか。ではカーターの屋敷まで案内しろ」

「はい」

 彼らの素性を聞くタイミングを推し量っていたマタ・ハリは、現状彼らの神経を逆撫でないよう迎合の姿勢をとることにした。空々も彼女の意図を理解したらしく、黙って彼女の横について歩く。

 マタ・ハリは篭絡のプロだった。背中を向けた歩き方一つとっても、自然に見えるギリギリのラインで男たちの本能を()()。彼らが抱いていた不審の念が徐々に解きほぐれていくのが空々にもわかった。

 それにしてもこの男達、服装から察するに、まず間違いなく「裁判」の被告を連行する為に動いているようだが、だとすればあの屋敷の誰を連れ去ろうとしているのだろう。

 フジマル一座の者は標的から外される。憲兵の内、少なくとも一人、セイレムに突如現れたこの奇妙な劇団の存在を知らなかった。連行する相手が所属する団体の名を憲兵が知らないというのは不自然だ。だからこの場合は、元からあの屋敷に住んでいるカーター、ティテュバ、アビゲイルの誰かということになるが……。

「……ん」

 マタ・ハリは前から誰かが歩いてくるのに気づいた。程無く空々や他の者達もそれがわかったようで、場の雰囲気が張りつめる。

 カーターが姿を現した。

「君達は?」

「ランドルフ・カーターかね」

 カーターの質問には答えず、判事が彼に問うた。

「そうだが……これは何だ? 君達が呼んだのかね?」と、カーターはマタ・ハリと空々に目を向けた。

 いいえ違いますと首を横に振る。カーターの視線は判事に戻された。

「あなたの召使いに『魔女』の嫌疑がかかっている」

 感情の無い声で判事が通告した。

 これにはカーターだけでなく、マタ・ハリと空々も驚いた。魔女? よりによって、ティテュバに?

 何故このタイミングで?

「ついてはその者の身柄の引き渡しを要求する。魔女は裁かなくてはならない」

「その容疑は確定しているのだろうか。確たる証拠に基づく容疑なのか?」

「あの女が渡した人形のせいで、子供が悪霊にとり憑かれた。異教の呪術であろう。それが証拠だ――屋敷に案内しろ。女を捕らえるのが先だ」

 憲兵が殺気立つ。カーターは閉口し、くるりと背中を向けた。少なくとも現時点では大人しく従うことにしたらしい。

 夜道は不気味だった。

 

 

    4

 

 

 両手を締め付ける縄は、マシュの力ではどうやってもほどけなかった。

 大樹の幹の低い位置に括りつけられたマシュの手縄は、ロビン自前のロープらしい。罠や移動手段として使うのだろうか、かなり年季の入った植物製の縄であるが、驚くほど頑丈にできている。どう引っ張っても千切れることはなく、緩みもしなかった。

「やめとけ」

 さきほどマシュを置いて森の奥へ消えたロビンが、いつの間にか戻ってきて、中腰で手首をガンガンと振り回すマシュに言った。赤い痣がマシュの手首にできていた。

「そんなことやってもほどけねえよ。少なくとも生身の人間じゃあな」

 ロビンの声は冷静で、いつもと何ら変わりなかった。

「ロビンさん……! まさか、本当にメディアさんを殺したんですか!?」

「馬鹿言え。俺はやってねえ」

 何やら怪しげな小袋を取り出しながらマシュの言を否定するロビン。小袋からはどろりとした灰色の液体が出てきた。それを手に移し、封じられているマシュの両手に近づける。マシュは本能的に暴れた。

「おいおい違うって。塗り薬だよ」

 ロビンは半ば強引にマシュの手を取り、赤くなっている部分に灰色の液体を塗り込む。激しい痛みを予想していたマシュだったが、刺激はいつまで経ってもやってこなかった。

「俺は無実だ」

 マシュの前にどかりと座り、ロビンは憮然と言い放つ。

「その証拠に、ほら。猿ぐつわも噛ませてねえっしょ?」

 胡散臭い物言いだった。マシュは沈黙を以て自身の意を伝える。ロビンは「参ったねえ」と頭をかいた。

「本当に俺がやったと思うのか?」

 今度もマシュは黙ったままだったが、その沈黙は先ほどとは別の意味を持っていた。

 中腰が辛くなり、座る。

「……わかりません」

 マシュは立香との会話を思い出していた。

「メディアさんは偽物だったと思いますか?」

「ああ」

「……彼女に、私たちへの敵意はあった……?」

「いいや。無かったね。これは俺の私見になるが――あの変装は悪意や敵意に依るものじゃない。どうしてもそうせざるを得ない状況に陥ったから仕方なく正体を隠した……って印象だ」

「それは何故――」

「さあてね、生憎俺は名探偵じゃない。ただのしがないゲリラなもんでねえ――だからこそ、ゲリラの処世術で生き残らせてもらう。大人しく殺されてやるつもりはない」

 ゲリラの処世術。

 それが意味するものが、マシュには何となく理解できた。

「『汝は人狼なりや?』ってな。おそらくは同士討ちやら仲間割れやらを誘う策なんだろうが――無効化してやる」

「……()()は、仲間割れを狙う魔神柱の作戦だったと?」

「他に何がある?」

 肩に下げていた大袋を降ろし、そこに頭を置いて寝っ転がりながらロビンは言う。

「メディアの撃破が可能だったのは、俺とカーター家の人間だけだ。あいつがカーター家に帰ったことを、あの時点で知りおおせた者は、当時あの家にいた者と当時メディアと一緒に行動していた者に限られる。それ以外の奴らは、そもそもメディアがあの時どこにいたのか知る手段が無い」

「……そうでしょうか」

 マシュは俯きながらポツリと呟く。「?」――ロビンの前髪が揺れた。「どういうことだ」

「メディアさんとあの屋敷で予め出会う約束をしていれば、犯行は可能です」

 立香にとうとう言えなかったことを、この場でマシュはロビンに話した。

「『犯行』ねえ……。まるでホームズみたいな口ぶりだな」

「茶化さないでください。真面目な話です。おかしいと思いませんか? メディアさんが急に屋敷に戻ると言い出すなんて」

「確かに変じゃあるがね、一体いつそんな約束がされたんだ? こっちに着いてから、俺とシャルルとマタ・ハリはかなり早い段階であの女をマークしていたんだ。カルデア組も含め、あいつが特定の誰かと会話した姿を俺は見ていない。怪しげな合言葉なんかも聞いた覚えは無いぜ」

「夜中ならどうですか? 或いは、初日の森の中とか」

「それは――」と言いかけたロビンはそこで口を噤んだ。

 最初の森で、ロビンはメディアより一足先に立香達に合流したのでその時の彼女の様子は知らない。夜中もだ。ロビンは男子部屋で寝ていたので、女子部屋にいたメディアの動向は知る術がない。ロビンが目をつけていられなかった時、森ではサンソンが、夜はマタ・ハリが近くにいたため、彼女が不審な行動を起こしてもすぐに鎮圧できると思っていたのだが、当のサンソンやマタ・ハリとメディアが密約を交わした可能性を否定することはできない。味方だと妄信していた彼らの中にも裏切り者がいたとすれば――

「――いや、それこそあり得ねえ。あの二人にはアリバイがある」

 立ち込め始めた暗雲を振り払うようにロビンは上体を起こす。

「マタ・ハリは空々と一緒だったし、サンソンはリツカと居た。あの時アリバイが無かったのは俺と、屋敷の連中――そしてリツカ達と別れて行動したという、マシュ、アンタだ」

 マシュは息が詰まるような緊張感に包まれた。心臓が一段と高鳴り、身体が熱くなる。推理小説に出てくる容疑者はこんな感覚なのだろうかと頭の何処かで考えた。

「俺はメディアを殺していない。それは俺が一番よく知っている。だから俺から見れば、メディアを殺したのは屋敷の連中か、さもなきゃアンタ以外には考えられない――」

「私はやっていませんっ!」

 無意識に叫んでいた。

 自分でもこんな大きな声が出るとは思わず、はっとマシュは口を手で覆う。

「……まあ、今までの話は、全てメディアが本当に殺されていた場合の話だ。あの場の痕跡は全て偽装で、あいつがまだ何処かで生きているって可能性も全然ある……。アンタはメディアを偽物だと見抜いていなかったらしいから、そもそもあいつを殺す動機もない。疑うべきはメディアか、さもなきゃあの屋敷の住人だ」

 その目的が大方がこちらの仲違い、分断を誘うものであることは明白だ――と、ロビンは続けた。

「今回の特異点はいまひとつやり辛え。力押しが出来ないのがもどかしいな。こと軍事力に限れば、カルデアはもうぶっちぎりで世界最強の組織だから、それができりゃあ楽なんだがねえ」

「ぶっちぎりで世界最強……ですか」

「サーヴァントが山ほどいるんだ。死徒二十七祖が総出で襲ってきても、普通に戦えると思うぜ」

 もっとも、あの吸血鬼連中がそんなバカな真似をする未来はどうあってもやってこない。無意味な仮定だった。

「アンタにはすまないと思っている」

 マシュの方を見ずに、ロビンは呟いた。

「無理やり連れてきちまった。だがわかってくれ。あのまま固まっているのは危険だった。身内で疑い合って吊るしあげってのは一番避けたいケースだ。こうして外側に逃れちまえば自由に動ける」

「……私は人質ですか?」

「表面的にはな。実際は外側からの援護役として俺と一緒に動いてもらいたい」

 どうやらロビンは自身が疑われている状況に耐えかねて無策で屋敷を飛び出したわけではないようだった。このまま殺されるかもしれないと思っていたマシュはほっと一息つくが、しかし今はまだ気を緩めてはいけない局面であることを思い出してすぐに意識を切り替える。

「どうすればいいですか?」

 

 

    5

 

 

 遅い。

 やはり立香を行かせるべきではなかったか。サンソンは落ち着きなく廊下の方を窺う。太腿を射抜かれていなければ、きっと貧乏ゆすりをしていただろう。

「痛いの?」

 アビゲイルが心配そうに顔を覗きこんできた。「ああ、いや。大丈夫だよ」と誤魔化すサンソン。笑って見せるが、今の自分の笑顔に自信はなかった。こんな男と一人で泣き出してしまわないだろうか――流石にそんな事態はやってこなかったが、彼女の表情は曇っていた。

 大人のような表情をしていた。

 サンソンは改めてアビゲイルという少女を観察してみる。(偽)メディアの失踪――もし彼女が何者かに殺害されて消失したのだとすれば、犯人はこの屋敷の住人である可能性が高い。そこには彼女も含まれているのだ。もしサンソンが先ほど言った通り、犯行に使われた凶器が毒物であったのなら、腕っぷしの強さは必要ない。寧ろ害の無さそうな人物が運んできた水にこそ被害者は口をつけるだろう。

 が、あのメディアがそんな初歩的なミスを犯すだろうか?

 危うい考えをサンソンは一度短く首を左右に振って掻き消す。

「……?」

 アビゲイルはこちらを不思議そうな目で見つめ返した。その視線に耐えられず、サンソンは一度顔をそむける。だが、ただ黙っているのも変化と思い、

「君は今日、海の見える丘にいたね」

 と声をかける。

 アビゲイルは少し驚いたようだった。あの時彼女はサンソン達に気づいていなかったらしい。それなりに距離があったからだろうか。

「ええ、居たわ。マシュ――キリエライトさんから聞いたのかしら?」

 サンソンは少し考え、「ああ」とアビゲイルの予想を肯定する。有体に言って嘘だったが、実は物陰から君の様子をしばらく観察していたんだと暴露するよりはましだと思った。

「あの場所にはよく行くのかい?」

 サンソンにしてみれば会話を続けるための緩衝材程度に考えていた質問だったのだが、アビゲイルは何故か落ち込んだ素振りを見せた。「ええ」と言ったきり黙り込んでしまう。彼女にとってあの場所は、あまり愉快な場所ではないのだろうか。

 では何故あそこへ行く?

「海が好きなのかな」

 アビゲイルは僅かに顔を上げた。サンソンの方を窺っていた。何かを逡巡しているような表情だった。どう答えれば良いのか悩んでいるのではなく、この男に自分の内面を教えて良いものだろうかと躊躇っている感じ。僕はあまり信頼されていないのだろうなと、サンソンは心の中で苦笑する。子供は鋭い。僕から滲み出る処刑人の臭いをしっかり嗅ぎとっている。今更悲しくなどならないが、一つ溜息を吐きたくなった。

「僕は好きだよ、海」

 海が好きというよりは、海が象徴する『自由』という概念に、サンソンは憧れを持っていた。海に生きる人は皆気持ちが良い。金に汚い商人も多いが、彼らは彼らで潔く開き直っているところに好感が持てた。少なくとも、都市の影で英雄の仮面を被り、正義を免罪符に使い、弱者を虐げる『善人』よりはずっと。欧州の大都市でひたすらに正義の剣としての職務を全うしてきたサンソンである――正義だ悪だと拘らず、自らの欲するままに堂々と、臆することなく生きて死ぬ。そんな人生を歩んでみたいと思ったことは一度や二度ではなかった。

「海は良い。見渡す限り、行く手を阻むものは何処にもないから」

 無論、実際はそんな理想が通じないであろうことも重々承知している。海で生きるのは困難である。それは何も技能や実力だけの話ではない。いかなる武勇を誇る戦士でも嵐に遭えば死んでしまう。雄大な海は世界で最もお手軽で、尚且つ最も険しき試練の場なのだから。

 ともあれこのタイミングでそんな暗くなる説明をする必要はない。落ち込んだアビゲイルに追い打ちをかけてまで海の恐ろしさを語る意味はなかった。

 これは彼女を励ます為の話なのだ。

「……サンソンさんは、フランスから来たのでしょう?」

 少し距離が縮まったような手応えがあった。

「ああ。僕はパリ出身だよ」

「パリ! ロンドンと並ぶ、欧州一の都市ね!?」

 『ロンドンと並ぶ』というところに生粋のパリジャンであるサンソンは引っ掛かる感じがしたが、この際スルーしてこくりと頷く。

「良いところではあるよ。迷路みたいな街だから色々とゴミゴミしているけどね。ノートルダム寺院は、たとえ清教徒でも一見の価値ありだ」

 未来の情報を漏らさないよう注意しながら、サンソンはパリの話をアビゲイルに聞かせた。オスマン伯爵の区画整理以後の建造物に関しては、サンソンの死後の話なので選り分けは容易なのだが、生前の記憶に基づいて考え無しにべらべらと喋ってしまうとタイムパラドックスが起こりそうな勢いで未来情報を出してしまいそうになる。妙なところに神経を使う会話だった。

 それにしてもアビゲイルはとても良い聞き手だった。目を輝かせながら、興味津々でサンソンの話に耳を傾けてくれるし、この歳にしては基礎知識が豊富なので一から十まで説明しなくて済む。サンソン自身の体験談や失敗談を語るのに時間を割けた。リアクションも上々で、お役人――それも首斬り役人のつまらない冗句にも可愛い声をあげて笑ってくれる。途中からアビゲイルが聞きたいからサンソンが喋っているのか、サンソンが喋りたいからアビゲイルが聞いているのかわからなくなっていた。

 サンソンを暗い夜の現実に引き戻したのは、廊下から響く足音だった。

 

 

    6

 

 

 「マシュー! ロビーン!」

 黄昏を過ぎた常緑樹の森の中。

 立香は走りながら、力の限り二人の名前を呼び続けていた。さきほど木の根っこに足を取られて転んだため、顔も服も泥だらけである。最初は二人が遺した足跡を頼りに走る方向を決めていたのだが、それもいつのまにかわからなくなってしまった。

 しかし、一縷の望みにかけて名前を叫ぶ。

「マシュー! ロビーン!」

 お願いだから返事してくれ。

 さきほどからマスター権限による位置情報の共有を試しているのだが、とんと反応が無い。向こうが拒否しているのか、この特異点の性質がそうさせるのか、それとも他に理由があるのか――どうにも判断がつかなかったが、しかしその理由がわかったところで立香の焦燥が晴れないのは明白だった。

 知りたいのは二人の居場所だ。

「マシューっ!」

 耳を澄ませるが、返事はどこからも聞こえない。目を凝らしてみるが、人影はどこにも見当たらない。

 徐々に暗闇が立香の周りを覆い始める。

 自分がどこを歩いているのかすらわからなくなった。きょろきょろと辺りを見渡しながら、立香は声をあげ続ける。そろそろ喉が壊れそうだった。

「ロビン……マシュ……」

 足元には十分注意していたはずだったが、立香はまたもや転ぶ。何かに躓いた。手を地面について衝撃の緩和を図るが、したたかに肩をぶつけた。

「……マシュ……」

 転んだまま呟いた言葉が自分の身体の下で反響する。それはひどく弱弱しかった。

 何が世界を救ったマスターだ。

 後輩一人救えない出来損ないじゃないか。

 自責と後悔の念に押し潰され、決して流すことのなかった涙が一粒、ぽたりと大地に落ちた。

 駄目だ。泣くんじゃない。

 ぐっと歯を食いしばり、立香は再び立ち上がる。袖で目元を乱暴に拭った。まだ少しぼやけているが、どうせ夜だ。問題はない。

 応急処置の魔術を自分に施して喉を治す。試しに「あー、あー」と声を出してみて、ほぼ完全に元通りになったことを確認すると、一度すうっと息を吸って、「マシュー!」と絶叫した。

 それは『後輩が居なくなる』という恐怖に駆られての絶叫だった。

 すると後ろでがさりと何かが動く音がした。反射的に振り向く立香。可愛い後輩かと期待したが、そうではなかった。

「やっと見つけましたよー」

 ティテュバだった。

 暗がりの中に揺らめく炎の光が見える。ランタンか燭台だろう。彼女のいる場所だけが明るかった。

 森には慣れているのか、あまり踏まれていない腐葉土をローファーで踏み固めながら、彼女は危なげなく立香に歩み近づいてくる。

 あれ?

 彼女、ローファーなんて履いていたっけ。

「夜の森は危ないですから、一人で飛び出すのは危険ですよ」

 と言いながら、彼女は木の枝に引っかかった自身のスカートを素早く丁寧に片手で外す。灯りが揺れ、彼女の着ている薄紅色の制服が照らされた。

 薄紅色?

 そんな服、着ていたっけ?

 ごしごしと目を擦ってみるが、違和感は拭えない。何かがさっきまでのティテュバと違っていた。容貌は立香の頭の中にある彼女と同じだったが――あれ?

 おかしい。

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 立香は戦慄する。

 段々と近づいてくる彼女に。

「狼や先住民にでくわしちゃうかもしれないし、もっと危険な『何か』と遭遇するかもしれないから」

 立香は一歩後退った。この時ばかりは溢れ出る恐怖の感情を抑えることなどできなかった。

 何だあれは。

 正体不明。

 理解不能。

 化物、妖怪、ゴースト――

 怪異。

「ひっ――」

「おっと」

 駆け出そうとした立香の腕を影が掴む。強く握られているわけではないが、それはどれだけ暴れもがこうとも決して外れなかった。無我夢中になって抵抗する立香だったが、「落ち着いて」という、影から発せられた声を契機に影の方を見る。

 それは一人の少女だった。

 立香とあまり変わらない年齢に見える。東アジア系の顔立ち。穏和そうで、美少女と呼ぶに十分値する。カルデア製の制服ではないが、彼女もまた制服を着ていた。少々奇抜なデザインだが、立香には日本の学生服に見えた。

 何よりも髪が特徴的だった。黒髪と白髪が混じっていて、ホワイトタイガーのような縞模様をつくっている。

「落ち着いて」

 もう一度、こちらを諭すような口調で少女が言う。

「私は味方です」

 私は全人類の味方だから――と。

 少女は立香の腕を掴んでいた手を離した。

 

 

 

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