Fate/Blank Order   作:後菊院

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第八話

 

 

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 だから、

 意味なんて……。

     ――鏡公彦

 

 

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 マシュ・キリエライトがロビンを殺していたとすれば――という可能性は、フジマル一座の者ならば誰もが一度は考えた。空々については言わずもがな、暗躍と裏切りの世界を生きたマタ・ハリも、正義と悪の価値観が万華鏡のように変化した時代の人間であるサンソンも――そして立香すら、一度はその『最悪のシナリオ』を頭に描いた。

 が、それは現実的ではないと全員が結論づけた。

 何度も言うが、深緑の装備に身を包んだあの不真面目な青年は、かつて正規の軍隊を相手に壮絶なゲリラ戦をただ一人で繰り広げた伝説の弓兵なのだ。そんな男を、ギャラハッドの力も無いマシュが、たとえ不意を突いたところで殺しきるのは不可能――不可能と言い切ってしまうのはいささか不安だが、不可能に限りなく近い。

 同じ意味で、この町の住人や憲兵が彼を殺した可能性も無い。森の中で彼を殺すには、ロビン・フッドと同等以上のゲリラ兵を用意する必要がある。

 では、羽川翼はその条件に該当するだろうか。

 彼女の実力は未知数なので確実なことは言えないが、おそらくは否だろう。よしんばそれが可能だったとしてもロビンを殺す動機を彼女は持っていない。「ロビンさんはメディアさんを殺していないと思う」と立香に行ったのは他ならぬ羽川翼なのだ。

 だから、あれはロビン本人による死体の偽装説が現時点で最も有力なのだが――

「――ねえ、ねえ。あの」

「え、あ、何?」

 思考に没頭していて、目の前にいるアビゲイルに反応するのが遅れた。立香は誤魔化すように笑顔をつくって彼女に要件を問う。

「大丈夫……?」

 怪訝そうに――否、心配そうにこちらを覗き込むアビゲイル。優しい女の子だと思った。

「大丈夫だよ」

 嘘を吐いたつもりはない。確かにだいぶ削られてはいるが、それでもまだ大丈夫だ。立香はまだ戦える。

「本当?」

「うん、本当」

 アビゲイルはじっくりと眉を潜めて立香を観察する。頭の上から靴の先まで。正直少し恥ずかしかったが、しかし堂々と彼女に自分を見せつけてやった。

 胸を張ったりなんかして。

「あなたなら大丈夫そうね」

 そう言ってアビゲイルは笑った。立香も笑った。

 まだ戦える。

 状況は依然として全く理解不能で謎だらけだが、それだけは確認できた。

 

 

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 おかしい。

 約束の時間になってもラヴィニアが指定の場所に姿を現さない。空々とマタ・ハリは目を合わせ、互いに何か彼女から聞いていないかを確認する。

 場所はこの前出会った路地裏。時刻は午前の十時。ラヴィニアの住む家からここまでニ十分もかからない。

「何かあったのかしら」

 周囲への警戒を幾分強めながらマタ・ハリが呟く。「親御さんにお説教されているとかだったらいいんですけど」と、珍しく空々が軽口をたたいた。マタ・ハリが「彼女の親は既に死んでいるわよ。肉親は祖父だけって、昨日彼女が言っていたじゃない」と、少し眉を潜めて言う。

「ああそうでした……」と空々。少し間をおいて「家に行ってみますか」と彼は言った。マタ・ハリもそれについて異論はなかった。ここに来ていない以上、何かあったと推測するのが自然だ。

 ではまず、彼女が最後に家に帰ったのはいつなのか。それを探る必要がある。

「マスターには報告しますか?」

「……いえ」

 空々の提案をマタ・ハリは否定する。

「まだマスターに説明できるほど情報が揃っていないわ」

「……そうですね」

 二人は影のように歩き出した。

 アサシンクラスの適性を持つ二人は、旅の劇団という衆目を集める配役に立ちながら、驚くほど目立たずに町の中を移動する。お互い純粋な気配の遮断は得意ではないが、しかしそれでも、彼らはプロで英雄だった。

「刺激が強いですか」

 歩きながら空々が言う。主語も何もない不完全な文だったが、マタ・ハリにも意味は通じた。

「そうね――年端も行かない少女を殺すっていうのは、マスターには想像もつかない選択肢でしょうから」

「あれが嘘という可能性も十分にありますけど」

「あの子に話せば、その可能性しか見なくなるわ」

 中々辛辣なことを言う。会話の相手が空々以外のサーヴァントだったら、激高するか衝撃を受けるか、とにかくスムーズな会話は望めなかっただろう。

「何かを救いたいのなら、時として残酷な手段を選択する準備も必要よ。勿論、そちらを選ばないように最大限努力するのは当たり前だけど」

 空々に異論はない。ないのだが、何か反論を言わなくてはいけない立ち位置に自分がいる気がした。

「マスターもその選択はできると思いますよ」

 口から出てきたのは、空々のキャラに沿った言葉でしかなかった。愛と平和を語ることは、今の空々には不可能だった。

 マタ・ハリは微妙な顔で少し唸る。

「まあ、いざとなったら選ぶのでしょうけど……できるだけその道を歩かせたくないと思うのは過保護かしら」

 空々はちょっとの間沈黙すると、

「いえ」と、マタ・ハリの言葉を否定した。

「そんなことはないと思います」

 それ以降の会話は打ち切られた。二人は黙って歩を進め、カーターの屋敷とはまた別の方角の町外れに構えるウェイトリー家に辿り着く。

 一目、ボロ家だった。家というよりは小屋と言った方が正しいのではないかという体たらくで、いかにもはぐれ者の住宅という雰囲気が漂っている。ただ、意外に敷地は広く、三世帯で暮らしても余裕で部屋が余りそうな大きさがあった。

 近づいてみても印象は変わらない。寧ろ至るところに傷が目立つ。すきま風も多そうだ。

「御免ください」

 マタ・ハリがノックし、声をかける。数度その作業を繰り返したが返事はない。

「誰もいないんですかね」

「そうね……」

 二人は何となく視線を合わせると、マタ・ハリが取れかけたドアの取っ手を掴む。

 が、彼女はすぐに手を離した。まるで取っ手が高温に染まっていたかのように。

「防犯設備」

 彼女はぶらぶらと手を振りながら言った。

「熱ですか?」

「いえ、電撃ね。科学技術のわけがないから、魔術の類いだとは思うけれど……、これはどういうことかしら」

 ウェイトリーの家系が錬金術に通じていることはラヴィニアから聞いている。彼女の家に魔術的な何かが設置されていてもそれほどの驚きは無いのだが、さて、これは本当に不在なのだろうか。

 何らかの理由があって約束の場所に来られなくなったラヴィニア。それを不思議に思ってマタ・ハリと空々はラヴィニアの自宅にまで押し掛けた。先ほどマタ・ハリは「御免ください」と声をかけた。マタ・ハリの声をラヴィニアは知っている。マタ・ハリと空々が敵ではない、今すぐ敵にまわる存在ではないと向こうは思っているだろうから、彼女が中にいたとすれば扉を開けてくれる。

 したがって、彼女は家にいない。

 では祖父の方はどうだろうか。

 祖父と空々達は会ったことがない。だからラヴィニアのようにはいかないだろうが、しかし現実問題、家に「御免ください」と声をかける者を無視するだろうか。居留守もまあ、可能性はあるだろうが、ここは二人とも家を出払っていると考える方が自然な気がする。

 では、二人はどこへ行ったのだろう。

 ラヴィニアが空々達と会うのを祖父に咎められた?

 では居留守を使っているということか?

 あるいは、別の何者かに祖父ともども連れ去られた……?

「アブサラム・ウェイトリーはそこにはいない」

 そう言ったのは空々ではなく、マタ・ハリでもない。無論、ラヴィニアでもなかった。

「彼は今、拘置所だ」

 二人の後ろにランドルフ・カーターが立っていた。

 

 

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 マタ・ハリと空々は何かを掴んでいる。

 サンソンは確信をもってそう言うことができた。

 マスターにはまだ何も報告していないようだが、あの二人は何かを――ともすればこの特異点の核心部にまで辿り着いていると、そんな匂いを彼は嗅ぎ取っている。

 サンソンは聡明な男だ。それくらい察知できるし、立香や自分にそれを報告しないのは、単に情報が集まり切っていないという理由以外に、何らかの「良からざる可能性」が辿る道筋の向こう側に見えているのだということも推測できた。

 サンソンは処刑人だ。正義の剣として己の職務を全うするのが我が宿命。であるなら、あの二人が探索の結果を報告する状態に至った時、正義に沿って決断をくだし、「悪」を処刑するのがこの町に来た意味である。

 腰掛けていたベッドから立ち上がり、軽く屈伸する。傷は全回復したようだ。流石はサーヴァント、弱体化されたとはいえスペックは軽く人間を超えている。右手に剣を顕現させて軽く振る。それなりの速度で振ったのに、風切り音が全く鳴らなかったのを確認して、自身の剣術に問題は無いと判断する。これなら誰が相手でも一切の苦痛なく首を斬り、あの世に送ってやれるだろう。

「座長、ちょっと出てきます」

 一階でアビゲイルと一緒にソファに座っていた立香に声をかけ、サンソンは玄関の方へ向かう。「どこへ行くの」と聞かれ、ちょっと立ち止まると、「処刑場へ」と、端的に行き先を伝えた。

「え――ま、待って!」

 歩みは止めない。ゆったりとした歩調のまま、アサシンクラスのサーヴァントとして与えられた権能『気配遮断』スキルを発動する。攻撃意志を見せない限り、周囲の人間から認識されづらくなるというこの技能は、マスターである立香にも有効だろう。

 僕一人の方が都合が良い。

 何と出くわすかわからないから。

 

 

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「……拘置所?」

 カーターの言葉をマタ・ハリが反芻する。困惑の色の中に、多大なる警戒心が塗りこめられていた。

 背広の紳士は表情を変えない。空々達との距離はおよそ5メートル。海風が常時音を立てているとはいえ、気配を察知して然るべき位置だったが、二人とも、今の今まで全く気づかなかった。

 まるで突然現れたように――初めからそこにいたかのように、彼はそこに立っていた。

「何故ですか?」

 空々が聞く。

「彼が『魔女』だったからだ」

 カーターが答える。

 本日は晴れ――ゆったりと穏やかに雲が漂う、まさに平和を象徴するような天気だったが、上方一面に広がる青はなんだか、空々しかった。

「今朝方の話だ。アブサラム・ウェイトリーは『魔女』として告発された。もうすぐ裁判が始まるだろう。有罪になれば、町の北にある丘で処刑される」

「誰が告発したんですか?」

「私だ」

 間髪入れず、彼もまた眉一つ動かさずに応答した。

「……なるほど」

 それ以外は何も言わない。この場で何か言っても無駄だと、空々もマタ・ハリも思った。

「では、ラヴィニア・ウェイトリーはどこへ行ったのでしょう」

「それは私の知るところではない」と、彼はマタ・ハリの質問を切って落とす。「家にいないのなら、町のどこかにいると考えるのが自然だと思うがね」

「彼女は、祖父が告発されたことは知っているんですか?」

「私の知るところではない」

 カーターは同じ言葉を繰り返す。

「ただ、今朝アブサラム・ウェイトリーが連行された時、彼女は家から顔を出さなかった」

「……」

 再び沈黙。マタ・ハリも空々もカーターも、誰一人として臨戦態勢に入っていないが、一歩でも動けば誰かの首が落ちるような――ひとつ何かを間違えれば、全てが崩壊してしまいそうな緊張感があった。

「何故ここへ?」

 マタ・ハリが更なる問いをぶつける。カーターは僅かに首を動かすと、「それはこちらの質問だ」と言った。

「彼女を捜しているんです」

 惜しげもなく自分達の目的を明かしたマタ・ハリに、空々は一瞬視線を遣るが、しかし交渉事においては彼女に一任すると決めているので咎めない。

「見かけたら、教えてください」

「……了承した」

 カーターはくるりとこちらに背中を向けて歩き出す。

「何か用があったんじゃないんですか?」

「時期が悪い。また出直すことにしたよ」

 こちらを見ずに彼は答えた。

「時が加速している。君達も気をつけた方が良い」

 帽子を目深にかぶった彼は、マタ・ハリたちに届くか届かないかぐらいの大きさの声でそう呟いた。

 

 

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 同じころ、立香とアビゲイルは一緒にカーター邸を出て町外れの丘――有事の際は処刑場として使われる丘を目指し歩いていた。

「サンソンは丘に何の用事があるのかしら?」

 速いペースでずんずんと進んでいく立香に置いて行かれないよう、アビゲイルは半ば駆け足で、少し息が弾んでいる。

「……彼はフランスのお役人だったんだ」

 立香は前を向いたまま言う。

「彼は正義のために働いていた……何度正義に裏切られても、彼は正義を執行し続けた。今回もまた、彼はその為に動いている」

 立香の言っていることは抽象的で、アビゲイルはいまひとつ理解ができなかったのだが、ここで更に質問を重ねてはいけないということは察する。

 お役人。

 サンソンは一体どんな仕事をしていたのだろう。

 知りたくなったが、立香に聞くのは憚られた。

「……ねえ、座長?」

 立香は反応しない。ひたすらに前を向いて歩いている。一緒にいるアビゲイルのことを忘れてしまったようにすら見えた。

「あなたは、サンソンに追いついてどうするの?」

「――」

 決まっている。

 止めるのだ。

 十字架の重みに押しつぶされないように、彼を支える。

 それがマスターとして立香ができる、唯一の手助けだ。

 何かを――そういった意味の何らかの何かを答えようと口を開いた時、立香の背後でドサリという音が聞こえた。慌てて振り返ると、アビゲイルが前のめりに倒れている。

「アビー!?」

 急いで駆け寄って声をかける。アビゲイルは荒い息を吐いていた。経験則で彼女の額に手をあててみる。「熱っ」ひどい熱だった。驚きとともに立香は困惑する。今の今まで熱の素振りなんて全くなかったのに……。何だ? 何が起きたんだ? 敵の襲撃があったのかと思い、周囲を見回すも、そこは至って普通の畦道。周りには畑と家が見えるのみ。不気味な敵影などどこにもない。

 じゃあ急に発熱したのか?「アビー、大丈夫? もしかして無理してた?」と、彼女を背におぶりながら尋ねてみる。

「違うの……今……突然……」

 急な発熱らしい。どうしようどうしようと立香は少しの間道を右往左往し、当初の予定通りサンソンに追いついて、医者でもある彼に判断を仰ごうか、それとも一度カーターの家に戻ってベッドに寝かせようか迷う。結局、サンソンが見つからない可能性に鑑みて、立香は元来た道を急ぎ足で辿り始めた。

 

 

    6

 

 

 「……んん」

 森の中――樹上。

 羽川翼は悩まし気な顔をしながら小さく呻く。非常に難解な現在の状況を整理しようとしているのだが、これが羽川の頭脳をもってしても難しい。

 情報が少ない――というよりは、どれもこれも信用度が低い。羽川自身の眼で見たことは一応信じるが、この町は認識阻害が起こりやすいために、100パーセント信用できる推理材料は皆無と言って良い。

 魔神柱の目的はすぐにわかった。正体も、魔神の目的の為の鍵となる存在も。だから今すぐにでも魔神柱の目論見は破れるし、魔神柱そのものに決闘を挑むことだってできるのだが、しかし羽川はそれをしない。

 単純に、魔神柱とタイマンを張って勝てるほど自分の力を高く見積もっていないことに加えて、そこにはもう一つ理由がある。

 第三勢力の気配がするのだ。

 カルデアを始めとする人理保障の勢力、ゲーティアの残党である魔神柱の他に、何か、得体の知れない何かが介入している気がする。

 それがメディアを殺した。

 メディア殺しの犯人を炙り出さなければいけない。それを特定せずに魔神柱との戦いになれば、きっとその「何者か」に背中を討たれてしまう。

「それを特定することが、私の呼ばれた理由なのかな」

 既に羽川はティテュバという召使いの異質な立ち位置に気づいている。カルデアに救難信号を送ったティテュバと、現在のティテュバ――すなわち羽川が同一人物ではないことに思い至っている。人類意志「アラヤ」が、カルデアへの助っ人として召喚できるサーヴァントが、この町では一騎が限界だったのだろう。だからまず羽川の前の「ティテュバ」を呼んで救難信号を送り、実質的な助っ人を羽川に任せたのだ。

 しかし、何故羽川と前任のティテュバを交代させた?

 前任のティテュバでは力不足だったのだろうか。「カルデアとの通信要員」、「アフリカの原始呪術」等、幾つかの材料から自身の前任者を「シバの女王」と推理した羽川は、本当に何で自分なんかが後任になったのか不思議でしょうがなかった。羽川の言う「第三勢力」の正体が扇ちゃんだったりするのだろうか。それだったら確かに納得のキャスティングだが……。

 ――ロビンは偽物なんです。

 思い出すのは立香の言葉。無論、言葉通りにロビンを疑うわけではないが……しかし、ひとつの指標としては最適だった。

 ロビンを偽物と断定したのは確か、空々空という少年。

 現代の英雄にして、日本人。

 この辺りに、羽川が召喚された理由もありそうだ。羽川は寡聞にして空々空という少年を知らないが、同世代を生きた者同士、何か因縁のようなものがあるのかもしれない。

 藤丸立香というあのマスターもまた日本人だが……さて、こちらにも羽川が生前出会ったという記憶はない。人理保障機関「フィニス・カルデア」には、多少なりとも関わりを持ったことがあるのだが――

 ……やめておこう。手繰るべき糸は「第三勢力」の痕跡だ。

 第三勢力――メディアを殺し、たった一日でカルデアをバラバラにせしめた正体不明の勢力。

 しかし目的がわからない。人類を守る戦いに身を投じているカルデアの勢力を妨害して何を得たい? 人類史側の存在でないのは確定だが……そんな者が果たして存在するのか?

 ここでもしカルデアが敗北すれば、全てが無に帰すのだぞ?

 そんなことを望む者がいるとは思えない。

 そんな、世界の終わりを望む存在など――

 まるで最悪だ。

 いる筈がない。

 

 

    7

 

 

 アブサラムの裁判は確かに行われていた。

 傍聴席に顔を出したマタ・ハリと空々は、館内にラヴィニアの姿を捜しながら裁判の様子を窺う。

 裁判と言っても魔女裁判である。狂気と言って良い破綻した裁判を、魔女狩り将軍マシュ―・ホプキンスが取り仕切っている。

 被告はアブサラム一人だけではなかった。全員で七人。全員が全員「魔女」の嫌疑をかけられた者だった。

「そなたが魔女でないというのなら、証拠を見せよ」

 狂っている。あきらかにおかしい。しかしそれを「おかしい」と止める者はマタ・ハリと空々を含めて誰もいない。黙って傍聴している時点でこれをおかしいと咎める資格はないのだと、マタ・ハリは自分を苦しめるように唇を噛む。

 ついに始まってしまった。

 悪名高きセイレムの魔女裁判。民衆の意志で、合法的に人を吊るしていく集団パニック。「神権の崩壊」と呼ばれた惨劇。

 幸いなのは、今の時点ではまだだれも処刑台に立たされていないということである。昨日の「魔女」ティテュバは依然として逃走中だし、この裁判はおそらく今日だけでは終わらない。今ならまだ犠牲者はゼロで済む。

「早めに行動した方が良さそうですね」

 空々がそっとマタ・ハリに耳打ちする。

 確かに裁判が始まってしまった今、のんきに証拠を探している場合ではないかもしれない。

 魔神柱の候補は一人、あがっている。

 他に有力な者もいない。

「ええ、そうね」とマタ・ハリは答える。カルデアのサーヴァントも、現状三騎まで減らされた。そろそろ反撃の一手を打たなければ、このままずるずると敵の術中に引き込まれてしまう。

 と、マタ・ハリの肚が決まり、空々に「ここから出ましょう」と声をかけて今後の対策を練ろうとした時、彼女の視界に知り合いの姿が映った。

 サンソンだった。彼もまた傍聴席の端に立って裁判の様子を眺めていた。

「サンソン」

 目立たない声の大きさで彼の名を呼ぶ。するとこちらに気づいたらしく、「失礼、ちょっとすみません」と言いながら傍聴人たちの間をかけわけてきた。

「あなた、腿はもういいの?」

「ああ。さすがは神秘の肉体だ。傷の治りも早い」

「何でこんなところにいるんですか?」

「どうしても調べたいことがあって、半ば無理やり屋敷を出てきたんだ。その帰りに『魔女裁判』が開かれるという噂を聞いたから、様子を見に来た」そこまで喋って、彼は表情を不愉快そうに歪める。この裁判への嫌悪感を露骨に表していた。

「君達こそどうしてここにいるんだ?」

「ラヴィニアさんを捜してここまで来たんですけど、見かけませんでした?」

「ラヴィニア?」

 サンソンは首を傾げる。

 そういえば彼はラヴィニアの顔を知らなかった。

「アルビノの女の子です。アビゲイルと仲が良いとか」

「アルビノの……? ああ、初日の森で君が会ったという子か。いや、僕は見かけていないよ。どうして彼女を捜しているんだ?」

 空々とマタ・ハリは一度顔を見合わせる。

「とりあえず、ここを出ましょう」

 マタ・ハリがそう言って出口の方を向いた時、視界の外で「どさり」という音が響いた。「なんだろう」と、この時彼女は比較的呑気な調子で後ろを振り向いた。誰かが何かを落としたのだろうか、それともホプキンスが槌を打った? いずれにしても、そこまで重大な音には聞こえなかったために、ゆっくりと視界を動かして音の原因を探り――

 サンソンが倒れていた。

「……え?」

 静寂。

 一瞬の間の後、悲鳴。

 さざ波のように割れる傍聴人たち――円形にできた即席の舞台に倒れているのは、今の今までマタ・ハリたちと会話していた青年、シャルル・アンリ・サンソン。黒いコートを着ているためにわかりづらいが、背中からどくどくと鮮血を流している。鉄の匂い。彼は青褪めた顔を、苦しそうに歪めながら後方に向ける。

 視線の先に、少女。

 桜色よりも薄い――儚さと脆さを象徴するかのような色の髪で片目を隠し、更に眼鏡をかけている。黒いコートの下は、ぼろ布を継ぎ接ぎで仕立てたような薄汚い、そして見慣れない服。いかにも運動が不得手そうな細腕には、至るところに擦り傷と切り傷が目立つ。特に手首。何度も擦ったような痕が痛々しかった。

 両手で持つのはナイフ。

 実用というよりは何かの儀礼で使いそうな、繊細な彫刻が施された銀のナイフ。綺麗に手入れされた刃は、本来ならば美しく陽光を反射するのだろうが、残念なことにここは室内。ぽたぽたと滴る朱い液体もまた自身の色を強調するのみで、窓から差し込む光を呑み込んでいる。

 刃先が震える。その振動は彼女の手から腕へと伝わり、遂には身体全体へと伝播する。眼鏡の奥に見える瞳から読み取れる感情は驚愕――、自分のやったことに驚いているような、自分が何をやらかしたのか今初めて気づいたというような、驚きの色が垣間見えた。

「――何を」

 未だ混乱から脱せないマタ・ハリは、半ば無意識で口を開き、問う。

「何をやっているの?」

 

 

 

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