鉄血短編集 -FILLING BLANKS-   作:suz.

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25〜26話の間の話。
(エドモントンでの戦いを終えて、火星に戻る道中の話)


P.D.324
かの地よ


 名前の洗い出しを頼みたいんすけど。

 これから火星に帰ろうというとき、列車に乗り込むメリビットを呼び止めたのはそんな依頼であった。

 洗い出し、と復唱する。自然と疑問系になった。メリビットの困惑を知ってか知らずか、オルガ・イツカは「頼めますか」と繰り返す。

 ええと。メリビットは手振りでオルガを制すると「ちょっと待って」とことわった。

 

「名前を洗い出すって、一体どういうこと?」

 

「え? だから、全員の名前がわかるようにしてほしくて」

 

 要領を得ない。少年たちばかりの環境で暮らしていたオルガの言葉は、ときどきこうしてメリビットを困惑させた。

 鉄華団には独特の観念があって、メリビットが生きてきた世界の常識はまるで意味をなさない。様々な価値観が入り乱れるテイワズに長く勤めてきたから、柔軟な対応ができるはずと自負していたメリビットでさえ理解不能な案件がこうも多いとは、さすがに予想していなかった。

 場所を移して詳しく話せないかと提案するとオルガは目を逸らしてしまい、こうして暗に嫌がるところがまだまだ子供だと改めて思う。

 だがオルガが渋ったところで詳細を問いたださねば、一体どこから「名前を洗い出す」なんて依頼が飛び出てくるのかメリビットには皆目見当もつかないのだ。組織の頭として派遣社員に何をさせたいのか明示してもらわなければならない。

 オルガをうながして車両をいくつか越え、応接間までやってくるとメリビットは「さて」と切り出した。カウチに向かい合わせて、手元のタブレットを起動させる。

 

「わたしは、誰の名前をどこから洗い出せばいいのかしら。団長さん?」

 

 はっきりと向き直ると、オルガは腹をくくったようにヘーゼルのひとみを鋭くした。

 

「IDを洗ってほしい。団員全員のフルネームを、正しく墓標に刻んでやれるように」

 

 苗字を知らねぇやつもいるから、とつたなく付け加えられて、やっと理解する。

 未就学のまま傭兵となった少年兵たちは文字を知らない。識字能力があれば整備など後衛の仕事につきがちで、最前線で散っていく戦闘員たちほど、自分自身が呼ばれる名前のスペルすら知らないでいる場合が多いのだ。団長のオルガだって読み書きは申し訳程度で、独学ゆえに正誤の判断も覚束ない。団員全員のフルネームを正しく書けるほど文字にも言語にも精通してはいないのだ。名前は文化を色濃く反映するから、三日月や昭弘、オルガ、ユージンのようにルーツの異なる名前では、綴る文字列も違ってくる。

 つくづく就学経験のあるビスケット・グリフォンは鉄華団にとって得難いブレインであったと、道中で失ってしまった参謀の面影がよぎる。ことオルガにとっては手痛い喪失だろう。気持ちの上では部外者であるメリビットにこんな大切なことを頼みたくはなかったに違いない。

 

「承りました。期限は?」

 

「できれば、火星につくまでに」

 

 およそ一ヶ月、ということか。そんなに長くはかからないだろうが、余裕を持って依頼してきたところは評価したい。メリビットが了承の意を伝えると、オルガは「頼んます」と深々頭を下げた。

 団長がいち派遣社員にやることではないだろうに。だが常のオルガならば、こうもへりくだることはなかっただろう。仲間のために必死になれる、そういう青臭さこそがオルガ・イツカの魅力だ。若きカリスマに微笑をひとつ投げかけて、メリビットは鉄華団の殉死者たちを弔うために、名前を探す旅を始めた。

 

 

 

 あとでわかったことだが、鉄華団では――いや、鉄華団の前身であったCGSにおいて、ファミリーネームとは『洗う』ものだったらしい。火星本部基地に残っていた会計のデクスターに聞かされて、メリビットはやっと噛み合わなかった会話に欠けていた歯車を拾い上げた。

 彼らはIDをたどってはじめて自分自身に与えられていた名前を知るのだ。

 でなければ、呼称しかない。はじめは団長も「ただのオルガ」だったという。マルバ・アーケイ元社長にIDを洗い出されて、彼は『オルガ・イツカ』になった。三日月・オーガスだってかつては「ただのミカ」だった。ヒューマンデブリという前歴を持つ少年兵たちもみなIDを握られて、どこへも行けないように管理されていた。

 鉄華団の語る『家族』像のいびつさは、こういったことの積み重ねなのだろう。両親のもとに生まれて、名前とともに自己を育まれるような環境に覚えのある少年たちは、ここでは少数派だ。

 それでも墓標に刻む名前はすべてフルネームにしてやりたいというオルガ・イツカの願いは、家族を慈しむ心から生まれた。

 大人として彼らに寄り添っていかねばならないと決意を新たにする。どうか鉄華団という大きくて小さな家族が平穏であるようにと、願う大人がいなくては、メリビット自身が不安でならないのだ。

 火星に戻っていくばくかで、戦没者のための慰霊碑が建てられた。黙祷を捧げるオルガの横顔は痛ましいほどひたむきに、家族みんなを愛していた。

 

 

 

 ▼

 

 

 

 火星には『戸籍』というタイプのソーシャルセキュリティシステムがある。

 アーブラウや一部のオセアニア連邦加盟国で採用されている制度だ。メリビットが生まれたコロニーとは異なるが、アーブラウの植民地であるクリュセが戸籍システムを採用していることに意外性はなかった。各経済圏によって形態こそ違えど、個を識別するためシステムという点ではどれも同じである。

 オルガに頼まれた通りに名前を洗い出せば、おおむね全員の出生が届け出されていたらしい。

 全員が火星生まれというわけではなく、元ヒューマンデブリたちにはコロニー出身者もちらほらおり、木星圏や地球圏に生まれているという記録もあった。

 クリュセ郊外の娼館で働いている母親まで見つけてしまってため息をついたことも一度や二度ではないが、子供を育てるには時間も経済力も必要だ。自分ひとりが食べていくだけで精一杯の手取りでは、子供を孤児院に入れることも難しいだろう。仕方がない。(子供を生めばわずかばかりの助成金がもらえるせいで、届けさえ提出すれば不要だとばかりに我が子を手放す母親は後を絶たないのだ。IDによる管理こそ容易でも、社会保障とのつながりがあまりに希薄なシステムである)

 

 火星に戻る道すがら、戦没者のIDはすべて無事に発見できた。墓標の発注のための依頼だと判断したメリビットは生存者を後回しにしたのだが、火星に戻ってきてもなおIDが見つからない団員がふたり存在した。

 ブルワーズで保護してきた十人のうちのふたりだ。

 デルマとアストンである。

 昭弘にともなわれて事務室にやってきた両名はこれといった感慨も見せず、あまり表情を変えない。

 

「ごめんなさい。もうこれ以上、探すあてもなくて」

 

 詫びれば、オルガが慣れない事務作業のかたわら、いえ、と首を振る。前髪の奥でウルフアイを片目だけ閉ざすしぐさは彼の癖だ。できれば全員のフルネームを見つけたと報せてやりたかったのだろう鉄華団団長を前に、メリビットには忸怩たる思いがある。

 ブルワーズから()()され、悲しいことに誰ひとりとしてファミリーネームなど覚えていなかった彼らヒューマンデブリのデータは、ダンテ・モグロによってきれいに抜き取られて鉄華団の手元にある。メリビットが根気よく追えば、八人の身元は判然とした。うちのひとりは家族と再会することができ、そういえばおれ、兄貴がいたんだった――と顔をぐしゃぐしゃにして笑った姿には、昭弘が感極まっていた。惑星間航行中に消息を絶った船のクルーをさらい、行方不明者リストを手繰っていけば、出生地だけでなく年齢も判明した。

 それほど精密なデータが残っている中で、抜け落ちたように身元がわからない名前がある。

 鉄華団のジャケットをまとって顔を見合わせるふたりもまた、苗字にも家族にも覚えがないという。

 

 アストンのほうは、頬の傷――おそらくは薬品による化学熱傷――からして工業用のコロニーが疑わしいとあたりをつけたが、それらしいIDは見つからなかった。

 可能性があるのはコロニーごと打ち捨てられてしまったエリアなのだが、各コロニーは地球経済圏の植民地であるから、廃棄のさいに居住者のデータ一切が消失させられてしまうことがままある。外傷とは異なる色素の沈着具合から原因となったであろう薬品がある程度まで推測できるだけに、足取りひとつつかめないことがもどかしかった。

 

 デルマのほうは完全にお手上げだ。ブルワーズの前にはどこか別のところにいた、MWを扱っていた……など、どれも「気がする」で終わる証言からしても該当する環境が多すぎる。コロニーか、惑星巡航艦か、はたまた輸送船団か、海賊か。捜索願や死亡届のたぐいもすべて洗い出してみたが、それらしき人物は見当たらないまま。

 生まれが違法な船であれば、出生届そのものが存在しなくとも不思議はない。

 

 諦めるしかないなんて本当は言いたくはなかった。

 ところが当人らは、それが何だと言わんばかりである。ファミリーネームが不明のままだということに何の感情も垣間見せない。仲間の家族が見つかったときには一緒に喜んでやれる感情の機微がきちんとあるのに、自分自身のこととなると「ヒューマンデブリはそういうものだから」とあっさり一蹴してしまうのだ。痩せ細っていた四肢に血が通うようになってもなお、痛々しいほど物わかりがいい。

 

「あんたで見つけられねえってんならお手上げだ。仕方ねえよ」

 

 肩をすくめてみせたオルガは、そしてデルマとアストンの背後に立つ昭弘に視線を投げる。ひとつ頷いた昭弘が、メリビットに向き直った。

 

「ふたりを引き取りたい」

 

「えっ」

 

「……は?」

 

「昌弘が――弟が世話になったからな」

 

 肉親の死を乗り越えて、兄の顔で微笑する。ブルワーズのヒューマンデブリの中で、昌弘だけが苗字を覚えていたのだ。アルトランドという、家族の名前を。海賊に殺された父さんと母さんと、迎えに行ってやれなかった薄情な兄の、もう切れてしまったと諦めていたつながりを。

 かつての仲間を思い出したのか苦しそうに目を逸らすふたりの頭を大きな手がぐしゃぐしゃかきまわす。

 デルマもアストンも、自分自身の痛みはすんなり諦めてしまうくせに、失った仲間の記憶を、双肩にしっかりと背負っている。戦場で育つ少年兵の倫理は実にいびつだ。物悲しく、あたたかく、彼らの中だけで完結する世界をまっすぐに伸びている。

 

「デルマ・アルトランド」

 

 悔恨に頼りなく垂れていた眦がぱっと見開かれる。はじかれたように昭弘をふりあおぐ。

 

「アストン・アルトランド」

 

 涙を耐えるように奥歯を噛みしめ、せりあがる郷愁を飲み込む。握られた拳が白くなる。

 

「昌弘の兄弟でいてやってくれるか」

 

 おれの弟で、とは言わない昭弘もたいがいだろう。不器用で、ずるい。遠慮がちなふたりの逃げ場を塞いで、この場にいられなかった仲間のファミリーネームを背負わせる。鉄華団は家族だと言葉で諭して無駄なら、こうして縛り付けてしまえばいいのだろう。こんな残酷な気遣いで伝わるとは到底思えなくとも、そんな痛ましさがいかにも彼ららしく映る。

 

「これで全員だ」

 

 オルガの宣言はどこか晴れ晴れとしている。新しい家族を迎えて、鉄華団は前へ進むのだ。

 彼らのそばにあってメリビットは願うことしかできない。愛おしい家族の名前が墓標に刻まれてしまう日が、どうか遠い未来であるようにと。




初出: 2017/03/28
改稿: 2018/01/23


"The Altland"
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