鉄血短編集 -FILLING BLANKS-   作:suz.

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25〜26話の間の話
(火星に凱旋した鉄華団をデルマ視点で)


異帰路

“火星はいいところでもないが、ここよりはましだ。”

 

 そんなオルガの甘言を、本気で信じたわけじゃない。ヒューマンデブリはみんな、どこへ行っても地獄だと腹をくくっていた。海賊船なんて地獄の底まで蹴り落とされてきたんだから、もう先のことを考える気力は残ってない。

 デルマの場合はそうであったけれど、中にはすがりつくようにオルガの言葉を信じたやつもいた。

 目の前のものを盲目的に信じようとするのも、ひとつの心の殺し方だ。暗示でも信仰心でも強迫観念でも何かがないとやっていられない。

 信用はしなかったにしろ、疲れきった心にあたたかい言葉をかけてくれる鉄華団の気遣わしさには、デルマも心底から感謝した。このまま宇宙に放り捨てられたりはしないんだ――という安堵が、おおよそデブリたち全員に共通する感慨だったように、デルマは鉄華団に攻略された宇宙海賊〈ブルワーズ〉のころを振り返る。

 

 のちにエドモントンで鉄華団に加勢した折り、この戦いでは仲間が何人も死んだと聞いたが、十人まとめて生き残ったデルマたちヒューマンデブリは約束通り火星に()()のだというイサリビに乗艦した。大きな部屋に入れられて、ちょっと窮屈だけど我慢しろよ、と意味のわからないことを言われたけれど、元いた仲間だけになって少しだけ安心した。(お前が代わりに死ねば良かったんだとデブリを詰る団員がいないことには、わりと真面目に驚いた)

 

 一ヶ月にもおよぶ航行の末に火星の地を踏んで、改めて風呂に入れられ、全員で食事を囲まされ、揃いのジャケットも与えられて名実ともに鉄華団の一員となった。

 戦いたくないなら別の仕事もある、なんて言われて一同が揃って首を傾げてから、ひと月ほど経ったころだろうか。本当に『給料』なるものがもらえたときには驚きのあまり走ってまわった。そのときは盛大に迷ってしまった基地のつくりもすっかり覚えて、もう道に迷うこともない。

 デルマは少しずつ、鉄華団に馴染みつつある。

 

 

 そんなある夜のことだった。

 廊下の曲がり角で、偶然耳にしてしまった物騒な言葉。耳をそばだてると男がふたり。いつもの癖で足音を殺しながらそっとようすをうかがうと、シノが昭弘に何事か相談しているらしい。

 

「――、あいつよォ、マジで意地でも吐かねえんだよ。まったく」

 

 強情っつうか、なんつうか。

 

 聞こえてくる単語を拾うに尋問あるいは拷問だろう。何者かを拘束して、情報を吐かせようとしているに違いない。ふたりが風呂上がりであることからも、返り血などの汚れを落とした直後なのだろう。

 けど今の鉄華団に捕虜なんていたろうか。思い当たるふしを探してデルマは最近の出来事を振り返る。新たな仕事もはじまってはいるが、着手されているのは驚くべきことに農作業ばかりで、おれは戦うしかできないと愚痴ったデルマは「これからいろいろ覚えるんだよ」とダンテに頭をはたかれたばかりである。

 戦いなら連れて行ってくれればよかったのに。おれたちデブリはきっと役に立つのに。……いや、そうじゃない。火星に戻ってきてからずっと、MW(モビルワーカー)MS(モビルスーツ)も全機ここにあったのだ。タービンズの輸送機で新たに運び込まれる以外、機体に動きはなかった。銃を持って出たようすもない。オルガは事務作業に忙しくしているようだし、捕虜を取ってくる時間なんかなかったはずだ。

 それなら――鉄華団内部に造反の疑いをかけられているやつがいることになる。

 渦中の裏切り者は誰かとふたりの会話に聞き耳をたてていると、飛び込んできた名前が鈍器のように頭蓋を揺さぶった。

 

「……ア、ストン……?」

 

 どくどくと心臓が鳴る。背中を冷たい汗が伝う。確かにあいつは死んだって吐かないだろう。尋問されたらデブリらしく舌を噛んで死にそうでもある。

 だけど。

 このほど昭弘から『アルトランド』の苗字をもらって、少しずつ新しい環境にも慣れてきたのだ。情報なんか握ってるわけがない。吐けるものなんか、何も――。

 

 

 足音を殺して一歩、一歩と慎重にその場を離れる。じりじりと後退するとデルマは身を翻し、仲間のもとへ一目散に駆け戻った。

 疑われているなんて信じられなかった。

 アストンは空気が読めるやつだ。MWでの資材運搬ははじめてで戸惑うところもあったようだったが、戦闘になれば腕も生きてくる。戦う仕事があるならおれたちが行くとふたりで申し出たときは「頼りにしてるぜ」とシノから頭を撫でられていたはずだ。なぜか世話を焼かれているダンテには「チャドんとこのは手がかからなくていいなァ」と目の前で愚痴られた。アストンは頼りになるし、手がかからなくていい。そうだろう。

 デルマは物心つく前にMWを扱う労働力として買われ、輸送船で荷運びをしていたところを売人に下げ渡されてブルワーズに投げ売りされたから、アストンやビトーたちより少しだけ、海賊船に放り込まれたのが遅い。同期にあたるのが昌弘とペドロだが、あいつらは文字が読めたし、どうも輸送や戦闘ではなさそうな違法労働組織からの転売だったらしい。特徴的な、不思議と庇護欲を刺激するしぐさが特徴的だったと印象に残っている。

 アストンは顔の傷、ビトーは目立つ頭の色のせいで値段がつかないまま、廃棄同然であの船に乗っていた。

 海賊船時代を振り返ったっていいことなんかひとつも思い出せないが、他のやつらが次々死んでいく中を生き残ってきた同胞たちには、鉄華団の連中が繰り返す『家族』に近い仲間意識を持っている。

 仲間が殴られていたって見てみぬふりで我慢する必要はもうないはずだ。ここはいいところでもないが、直立姿勢でただ耐えさせられた今までよりはマシなのだろう――?

 

 

 みんなが眠る部屋の前までたどりつくとデルマは、一度あたりを見回した。人影はない。手早く扉を開けて部屋にすべり込む。室内は急に差し込んだ光から逃げるようにしんと静まり返って、それからゆっくりと、うかがうようにしてデルマに視線が集まった。低い位置に列になって並ぶ幌のハンモックの上、みんな所在なげに横たわっている。

 いちばんに身体を起こしたのはアストンだった。

 

「……デルマ?」

 

 すると、続くようにぱらぱらと上体が起きてくる。

 

「なんだ、デルマかよ」

 

「見回りかと思っただろ」

 

「まぎらわしい」

 

 ぶつぶつと文句を言って、めいめいに寝姿勢に戻っていく。

「悪い」と一言ことわってから、デルマ自身も手近なベッドに横になった。幌を支える鉄骨が軋む。

 目を閉じて、眠ろうとしてできなくて、また暗闇をじっと見つめてしまう。

 

 元ヒューマンデブリたちには大部屋がひとつ与えられて、待遇は『年少組』と呼ばれている十三歳以下の先輩たちと同列である。

 ただ、夕食を終えて順に入浴をさせられると、ガキはとっとと寝ろ、と部屋に押し込まれてしまう。

 宇宙暮らしが長いデブリたちは『夜』という時間帯に馴染みがなく、睡眠時間は総じて短い。眠りも浅い。なのに数時間ごとに昭弘やシノが見回りにきて、交代で起きる癖を見咎めてくるのだ。朝まで目をつぶっているだけでもいいからと寝かしつけられてしまう。

 年少組は持ち回りで哨戒を行っているのに、だ。大して眠らなくても生きていけるデルマたちこそ夜警任務に向いているのではないか? やはり違法組織で拾ってきたばかりのヒューマンデブリに基地の護衛は任せられないのか。

 確かにデブリは誰の命令にでも従うし、何だってやる。だが恩義ある鉄華団の手を噛ませられるなら弾避けになって死んでやるくらいの仕事はキッチリやるというのに。

 信用がないのは仕方がない。けど、鉄華団に害をなすようなこと、何があったってやらない。

 ぐるぐると堂々巡りの考えをまとめることもできないでいたら、部屋のそこかしこから規則正しい寝息が聞こえてくる。みんな少しずつ、夜の眠りを身体に覚えさせつつあるのだろう。鉄華団の生活リズムに順応しつつある。昼間は重力環境下を走り回らされ、慣れない紫外線にさらされるためか眠気を感じることもあって、幼いやつから眠っていってしまう。

 喜ばしいことなのだろうとは思うけれど、何年も続いた宇宙での生活を覆せるほどデルマの身体は都合よくできていない。

 

 

「……なぁアストン、」

 

「起きてる」

 

 寝たふりをする姿勢のまま、アストンがこたえた。みんな寝静まった静寂に響かないよう低くおさえた声音だ。声が筒抜けの戦艦に長くいたから、反響しにくい声を出すようになった。

 デルマが隣のハンモックを振り返ると、ごそりとアストンがみじろいで、向き合う格好になる。

 どうかしたか、と問う。緑色の目は暗闇によく目立つから、まぶたは閉じたままだ。

 

「お前、なにかされてないだろうな」

 

「何かって、たとえば?」

 

「たとえばっていうか、ほら……」

 

 さっき立ち聞きしてしまったやりとりを思い出して、アストンにふりかかったかもしれない暴力を思う。鉄華団の人たちがそんなことをするとは思わない。思わないけど。

 意地でも吐かない。――シノは確かに、昭弘に向けてそう愚痴っていた。昭弘も神妙な声で、そうか、何か考えないとな……とか、そういった返事をしていたはずだ。

 地獄から地獄へ転売されていたデルマや昌弘たちとは違い、アストンはあのブルワーズしか知らない。デルマがあの船に積み込まれたころには〈マン・ロディ〉に乗って戦っていたのだから、何か特殊なナノマシンを仕込まれていた可能性はなきにしもあらずだ。

 ふっとグリーンの双眸が灯る。非常灯にも似たその精彩は、ブルワーズではうっとうしいと因縁を付けられてよく蹴飛ばされていた。うるさいと感じたことはないが、雄弁だとは思う。

 強い視線から逃げることはせず、デルマはもごもごと、腹の中のわだかまりを言葉にしようとして失敗する。

 

「わかんないけど……でも、何かあったらおれに言えよ」

 

 なんだよそれ、とアストンは無感動に流してしまったけれど、めげずにデルマは「言えよ」と念を押す。

 

「何かあったらな」

 

「絶対だからな」

 

「わかった」

 

 そのまま目を閉じて眠ったふりに戻ってしまうアストンに、これ以上の追求はできなかった。

 夜中には二、三度扉が細く開き、シノや昭弘が交代で見回りにくる。どうして彼らは眠っているかどうかの確認なんてするのだろう。

 眠る場所を与えられて、あったかい飯も与えられて、給料だって本当にもらった。感謝している。心のないデブリにだって恩を感じるくらいできる。

 だから疑わなくたって、いいのに。

 目を閉じると、悩み疲れた意識は静かに眠りにのまれていった。

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

 翌朝になると、朝食の時間がやってくる。

 起床後は順番に顔を洗って、かるく外を走ったら食堂に集まって、みんな揃って飯を食う。なんと交代制じゃない。基地の食堂は半分野外だとはいえ、哨戒もなしに屋根のあるところに集合していたら、エイハブ・ウェーブで検知できないMWのミサイルランチャーで鉄華団は壊滅させられてしまうのではないか。

 そんな懸念をこぼすとヤマギに苦笑いで「さすがにないよ」と流されて、シノに絡まれながらの朝飯になった。さいあくだ。

 

「はーい、みんなー! 『いただきます』だよー!」

 

「いただきまぁーす!」

 

 アトラが張り上げた声に、年少組の歓声が続く。右隣のアストンも「いただきます」とつぶやいて、スプーンを取った。

 今日の朝食はミルクでやわらかく煮たコーンミールに、細かく刻んだ火星ヤシが混ざっている。夕食のときに出てくるコーンミールよりも甘く、どろどろしていてスープのようで食べやすい。火星ヤシも何かに漬け込んであるようだ。

 ほわりと甘いミルクの味が気に入ったのか、隣の長テーブルに集まる年少組はがつがつ平らげていく。

 

「アトラ、おかわり!」

 

「おれもおれも!」

 

「はいはい、ちゃんと並んで」

 

 和気あいあいと食事を楽しむ小さな先輩たちを横目に、デルマも朝食を口にはこぶ。不思議な気分になった。

 腹いっぱい飯が食いたいとか、どこかの星に降りてみたいだとか、そういう夢ならデブリにだって描いたことがある。生まれ変わったら……なんて軽口を叩きあうくらいの余裕はこれまでもあった。

 それが、いざ現実になってみると、おれはもう死んだのかな、とか、そんな疑問がふっと浮かぶ。そんなときデルマは決まって隣を見た。ここが死後の世界なら、そこには昌弘やビトー、ペドロが一緒にいるはずだ。でも隣にはアストンがいる。ああ、生きているんだと実感して、生きているのにあったかい飯を食っているのがひどく倒錯的で、不思議だった。

 盗み見るアストンの横顔。向こう側には昭弘がいて、その向かいにダンテ、隣にチャドと戻ってくる。デルマの正面は空席で、ひとつ開けてヤマギ。年少組をまとめているタカキよりも小柄だから年少(あっち)側かと思っていたら、彼は整備士らしい。

 ごちそうさまと席を立ったヤマギは、立ち去りがてら真正面のシノに声をかけた。

 

「今日はMSの装備いじるから、シノは新兵訓練終わったらこっちに顔出して」

 

「おうよ!」

 

「昭弘も。模擬戦が終わったら二番格納庫(ハンガー)に」

 

「わかった」

 

 昭弘も食器を持って席を立つ。食事を終えたのかと思えば、アトラのもとへ『おかわり』に行ったようだった。大盛りにされた器を持って戻ってくると、またスプーンをとる。

 あれ立派な体躯を維持するには相応の食糧が必要になるのだろう。賞味期限切れの廃棄レーションバーでその日の命をつないできたデルマたちとは明らかに肉体の完成度が違う。

 同じヒューマンデブリだと聞いても、いまだに信じられなかった。

 デブリはみんな宇宙のゴミとして暮らしていると思っていたから、もしかしておれたちは鉄くず以下の存在だったんじゃないかと自嘲がよぎる。

 使えないとか生意気だとか因縁をつけられ、人買いから人買いへ、地獄から地獄へ渡り歩くデブリ。目立つ特徴があるからと廃棄同然で海賊船に投げ渡されるデブリ。ブルワーズにいたのはそういう、いつ壊れても悔いなく捨てていけるごみくずばかりだった。まあ、足場も命綱もなしに宇宙で作業をさせたり、爆弾をまきつけて特攻させたり、肉盾に使ったり、そういった使い捨ての仕事をさせる弾避けなのだから、当たり前といえば当たり前なのだろうけど。

 ダンテはハッキングができるし、チャドもきっと何らかの特殊技能がある。読み書きができればヒューマンデブリにだって、二束三文であっても値段はつくものだった。

 

「手ェ止まってんぞ、どうした」とシノに思考を遮られて、むっとしてスプーンを動かす。

 

 器に盛られたコーンミールは年少組とほぼ同量で、それでも食事そのものに不慣れなデルマには多いくらいなのだ。もくもくとスプーンを往復させるアストンの横顔なんてすっかり疲れてしまっている。

 それでもどうにか平らげて、デルマより先に席を立った。

 

「……ごちそうさま」

 

 食器を下げに向かう背中を見送るデルマの視界に、にゅっと長い腕が伸びる。シノだ。ふりあおぐのと同時、アストンの首根っこがいとも簡単につかみあげられてしまった。

 

「その前に、ちょっと顔貸してくれや」

 

 シノの言葉に昨夜の密談がよみがえる。強情で、意地でも情報を吐かないと零されていたアストン。そいつは何の情報も握ってない、尋問したって吐けるものなんか何も持ってない!

 

「やめろ――!!」

 

 シノの腕につかみかかったのは衝動だった。

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

「はあ〰〰〰〰?」

 

 腕組みをして反っくり返ったシノは、心底わけがわからないと呆れ返る。

「まあまあ」とヤマギがなだめるが、その苦笑いがまたデルマの居心地を悪くした。

 ちんぴらじみた風体をしてシノはいい兄貴分だ。新兵として彼のトレーニングを受けているからデルマだってわかっている。

 食堂でデルマがシノに飛びかかったときにも、力でかなうわけがないことくらいわかっていた。案の定、シノはちょっと面食らった程度で、デルマも背後の昭弘にすんなりと確保されてしまった。なんだ喧嘩かとざわつきはじめる食堂からそのまま別室まで運ばれたのだ。重力環境下だというのに小脇に抱えられて、昭弘とシノ、そしてヤマギの前でデルマは沙汰を待っている。

 どうする、オルガ呼ぶか、うーん大丈夫じゃない? ――そんな会話が頭上で交わされる。アストンは新兵訓練に行ってしまった。今日の訓練教官はシノに代わってユージンがつとめるという。

 言い分を一通り聞き終えたシノは、両手を腰にあててデルマを覗き込んだ。

 

「尋問とか裏切りとか、どっからそんなブッソーなことになってんだァ?」

 

 こっちが聞きたいっての……と喉まで出かかった文句をぐっと飲み込む。シノたちがアストンを疑っているのではないかという懸念を洗いざらい吐かされたと思えば、勘違いも甚だしいと呆れられてしまったのだ。今ここで一番わけがわからないのはデルマではないか。

 この場にアストンがいればフォローくらいしてくれたろうかと思いかけて、それでは意味がないとくちびるを噛む。

 するとシノの大きな手がずずいと伸びてきて、デルマの麦わら色の髪をぐしゃぐしゃにかきまわした。

 

「ま、お前も吐かずに頑張ってんじゃん? 訓練キチィっつって、新入りはよく吐くんだぜ」

 

「食事もね。今はアトラがいるから消化にいいもの作ってもらえてるけど、食べ慣れなくて吐くやつらは見慣れてるんだよ、おれたち」

 

 目を丸くするデルマに、年長組はやっとわかったかと顔を見合わせ、肩をすくめた。鉄華団の前身であったCGS参番組時代のことを説明するかしないかと、アイコンタクトが静かに飛び交う。

 孤児を募って阿頼耶識の適合手術を受けさせて参番組に放り込む、CGSはそういう組織だった。連れてこられたスラムあがりの少年たちはもれなく慢性的な栄養不良状態にある。ずっと少量の残飯だけで我慢してきたせいで、はじめは食事ひとつまともにとれない。食べ物に目を輝かせて後先考えずにかきこんでひどく嘔吐する子供なんて、これまで何人も見てきた。

 反対に、自分自身の限界と静かに格闘するタイプには不慣れだ。前例がないぶん扱い方も慎重になる。

 CGSそのものは合法の民間企業でも、参番組はスラムで違法に調達してきた宇宙ネズミのケージでしかなかった。正社員である一軍の連中のような健康管理もされず、産業医だってガキの怪我までは診てくれなかった。(医務室から絆創膏を盗んでいく泥棒ネズミくらいに思われていたのだろう、見つかったら邪険に追い払われるのが常だった)

 その中でも奴隷同然で使われていたヒューマンデブリには給与も支払われなかったし、年少組でも屋根のあるところで眠れる! 残飯を漁らなくても食べ物がある! ――とか、そうやってスラムよりマシな環境に満足しているのをいいことに大幅に上前をはねられていたことが、のちの経理資料から判明している。

 鉄華団にそうした搾取や理不尽はない。なくすために、オルガが今頑張っている。

 しばらくはやらかいもんばっか作ってくれるか、とアトラに頼んだのもオルガだった。医療の心得を持つメリビットの助言もあって、ここ数ヶ月の食卓は胃腸にやさしいものばかりが並んでいる。そのことに年長者が不満を述べることもない。内臓機能のことなんて知らない鉄華団でも経験則なら充分すぎるほどあるからだ。どうすれば死なないかを試行錯誤して、仲間と共有して生きていく。そうやって企業としても成長しつつある。

 現場で見守るのは教官であるシノの仕事になった。食事だって訓練のひとつだし、パイロットのメンテナンスも整備といえば整備だろう。

 強くなれ。――今度は保護者の大きな手が、デルマの頭を撫でる。大きな手だ。物心ついたころからヒューマンデブリだったデルマとアストンに、昭弘は『アルトランド』の苗字をくれた。他のデブリたちには苗字があったから、もしかしたら食事の作法くらいは覚えていたのかもしれない。

 不意にノックの音が鳴ったと思うと扉が開き、アストンが顔を覗かせた。

「心配だったんだって」と添えて、続くように入室したのは年少組をとりまとめているタカキだ。訓練が終わり、模擬戦にうつるところを抜けてきたのだと語る。

 

「こっちは何があったの?」

 

 ことんと首を傾げたタカキには、ヤマギが首を横に振ってこたえた。

 

「ちょっとすれ違っただけだよ。模擬戦にはシノもデルマも戻せそうだから、ユージンにもそう伝えておいて」

 

「うん、わかった。ユージンさん張り切ってたのになぁ」

 

 肩をすくめたタカキは、ブロンドの教官代理を思い出しているのかおかしそうに笑う。部屋を出て行く鉄華団の古株たちの背中を見ていると、早とちりだったという確信が押し寄せてきて安堵とも羞恥ともつかない心地だった。

 そして振り返ったシノが勝ち誇った顔で宣言するのだ。

 

 

「腹一杯メシ食って、うめーって笑えるように鍛えてやるから覚悟しとけよォ?」

 

 

 豆鉄砲を食らったように目を白黒させるデルマの頭をまたもやくしゃくしゃと乱して、昭弘は「そういうことだ」と隣に立つ。言葉は少ないが、それだけに見守られているようでくすぐったい。

 うす、とこたえる。昭弘はひとつうなずき返して歩いていく。大きな背中を見送ると、デルマを待っていたらしいアストンが「お前も何かあったらおれに言えよ」とこっそり手渡すように告げた。

 

「……何かあったらな」

 

 ぶっきらぼうにデルマはこたえて、歩調を早める。遅れないようにアストンが並ぶ。もの言うひとみに見つめられるのがくすぐったくて俯いて、デルマは麦わら色の髪に隠れて、少しだけ笑った。

 

 なあ、うれしいことがあったときも、お前に言えばいいのか。

 

 

 火星は、いいところだ。




初出: 2017/02/09

"It could be a way home"
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