~家~
あれ……
学校から帰宅したばかりなのに、家の中から夕ご飯の美味しそうな匂いがする。
恐らく音姉だろう。由夢ではない、はず。
自分の切羽詰まった心境とは裏腹に、俺の家の中は家庭的なムードがある様な……
家のドアを開けて、すぐに正体を確認した。
『あ、おかえりなさい。ただいまくらい言ってよ』
『……ただいまー』
『おかえりー』
『あ、あの、音姉?』
『何よ。今夕ご飯を作っているんだから早く手伝ってよ』
『……オッケー』
状況は飲み込めないが、何だか明るそうだったので一緒に夕飯を作る事にした。
こうなれば、夕ご飯の準備の時に聞こう。
自分の部屋に走ると、制服をその辺に脱ぎ捨てて、ジーパンとTシャツ、セーターと手早く着替える。
~食卓~
『おまたせー』
『まだ手を洗ってないでしょ』
『洗ったよ』
『手洗いの時間が短かった。やり直し』
……人という者は、どこにでも聞き耳を立てているものだ。俺もそのタイプの人間だが。
今度は、肘の下から指の間、爪の溝もしっかり時間をかけて手洗いをする。
……もう、大丈夫だろう。
『おまたせ』
『手が汚いと食中毒になる事もあるんだから。冬は特に気を付けないと』
『すまん、でももう大丈夫だから』
『じゃあ、キュウリを切ってくれる。いつものトマトとキュウリのサラダだよ』
何だか和やかな時間が流れていく……
キュウリを薄切りにし、塩をピッと足してよく混ぜ、水分を取る為に放置。
その間にトマトを一口サイズに切っていく。
何だかな……。そろそろ、本題に移ってもいいだろう。
『あのさ、音姉?』
『何よ!』
いきなり振り向き、あまりの剣幕に後ずさってしまった。
右手には包丁まで持っている。
『音姉、それ不用意に持ったら危ない』
『弟君が悪いんだよ。ずっと家に入れてくれないんだから。こうするしかないでしょ』
『………』
また料理に専念し出す。料理の手早さは変わらない。
けど、今度は沈黙してしまい、空気が一層悪くなった。
『事情は説明したかと。色々、錯乱してて一人になりたかったというか……』
『今日は弟君にしっかり栄養をつけるんだから』
何だか上手く会話が出来ていない。音姉の方もギクシャクした感じはある。
遠回しに言うのを止めて、単刀直入に尋ねる事にした。
『生徒会を止めるの?』
『……そうだよ』
『でも、いいのか?唐突すぎないか?』
『いいの。弟君を停学にさせちゃったし、一ツ橋君はいつ学校に復帰できるのか解らない。転校する様な話も出て来ている』
『……音姉のせいじゃない。警察を呼んだのも反対していたはずだ』
『もういいの。その問題は疲れちゃったから、弟君と普段の生活に戻らせて』
『解った。いつ家に来てくれてもいいから』
『……うん』
俺は手を洗うと、自然と音姉の背中をさすっていた。
何の思考もなく、なぜ自分がこの様な行動を取っているのかも分からない。
音姉は、何もレスポンスを返さず、一心不乱に料理を作り続けている。
俺は音姉の横顔を見ながら、背中を何度も上から下へさすり続けていた。安心させる様に。
鼻をスンスンする聞こえて、泣き出す前に音姉を抱きしめていた。
『苦労かけてすまんかった。音姉も一人の女の子だもんな。今はいっぱい泣いて』
『……うん』
『感情をため込むよりは、ずっといいから』
『……うん、寂しかった』
音姉がため込んだ感情を出して泣いていると、俺まで誰かの胸を借りて泣きたくなった。
……やっぱり、すっきりするのかなという錯覚に陥る。
いやいや、男の俺がしっかりしないでどうする!
自分自身を奮い立たせた。
……
…
『そ、その状態は一体……』
由夢が控え気味に家に入ってくると、この状況を飲み込めず目を丸くしていた。
音姉は我関せずと、ずっと俺の胸に顔を預けている。
『お姉ちゃん?』
『………』
『お姉ちゃん!』
『………』
微かに、もうちょっとだけという声が聞こえた。
音姉は殆ど甘えん坊の様になって、俺から離れようとしない。
俺の肩をしっかり抱きしめて、力が緩まない。
俺も身動きが取れず、音姉を抱きしめている。
音姉も由夢の声は聞こえているはずだが、返そうとしない。
『兄さん!』
『ど、うした?』
『それ、説明してよ!』
『ドラマのワンシーンというか……』
『兄さん!!』
『聞こえてるよ。大きな声出すなって』
『どうなってるの!?』
『音姉の休息時間というか……』
『兄さん!!』
『近所迷惑だからよせって。もうちょっとだけだってさ』
『………』
『食事の支度ももうすぐだからさ』
激怒している様子だったが、一変して笑顔になり、覚悟だけしておいて下さいと恐怖の一言を残して居間に向かった。
今度は由夢の対応もしないといかんのか……
しかし、このゴタゴタが妙に楽しくも思えた。
『弟君にイジワルしてみた』
『……勘弁してくれ』
『……弟君の胸の中に居ると、びっくりするほど安心感を覚える。さっきまで落ち込んでいた自分が何処にいたのかと思う位に』
『胸の中で泣く……。ツライ時は良さそうだな。俺もいつかそうなってそうだ』
無意識に発言していた。弱気な一面が不意に出てしまった。
だが、音姉は聞いていないフリをした。
『……夕食にもどろっか。由夢ちゃんも待ってるし』
『下ごしらえが済んだら後は頼むよ。由夢の機嫌を取っておきたい』
『……怒ってそう?』
『凄まじい程にな。自分で何とか出来ない場合、ヘルプを頼む』
考えてみれば由夢と会うのも久しぶりだ。
俺が荒れていた頃、壁を殴って大きな音を立てていたので、さすがの由夢も怖かったらしい。
だが、いつの間にか形勢逆転して、俺は由夢の方が怖く感じる。
結局、その日の内に機嫌を直してくれなかった……
でも、時間の経過で直る気もした。
今は自分のやる事もあるので、そっちに集中したい。