~学校~
~授業中~
残す所、後1ヵ月……
タイムリミットを感じざるを得ない。
緊張が体内で大きくなっているのは自覚している。
だが、その緊張に打ち勝つ考えは、やはり勝敗を意識せず自分が楽しむだけに尽きる。
『一筋縄でいかないのは確かだな……』
小声で呟いた。
あの後も、俺と杉並は運動場で、長距離や短距離走を競い合っている。
それを、陸上部が知らないはずがない。
可能性から言って、高坂先輩もその場を見ているはず。
タイムもチェックされたかも知れない。
俺と杉並がタイムをたたき出した後、高坂先輩が猛練習を始めた。
表情は真剣そのもので、誰も近寄らせない程の気合いで練習している。
杉並の情報が間違っていなければ、現時点では雪村の言う通り、高坂先輩のタイムを超えている。
あんな帰宅部や非公式新聞部に負けるのは、私のプライドが許さないと言ったところかも知れない。
全学年種目は、高坂先輩が200、400、800メートルに出場する。
それを、俺は後を追う様に200、400、800メートルの出場に記入した。
これは高坂先輩からすれば、俺からの挑戦に等しい。
ド素人の俺に負ける訳にはいかないと必死なんだろう。
600メートルは、杉並に走ってもらう事にした。
だが当日、何かやらかさないか不安だけが残る……
多少、足が遅くても普通に走ってくれる人の方が良かったかもしれない。
……今の所、一ツ橋の話は出なさそうだ。
~学校~
~教室:昼休み~
『あれ、義之だけ?杉並君は?』
『……クイズ大会の件で、昼は外で済ますって言ってた』
『……もう』
『小恋はクイズに参加しないのか?』
『一緒にしないでよ。私はもういい』
『そっか。じゃあ飯にしようぜ』
そう言うと、俺は自分の弁当を開いて早速パクつく。
そんな様子を小恋は、観察する様に見ていた。
観察と言っても、どこか心配している様に見ている。
『何?』
『緊張とかしないの?もうじきだよ』
『緊張してもしなくても、その日は必ず来る。俺は今までの練習をふり返り、開き直るまでだ』
『……高坂先輩の真剣な練習を見ていると、本当の試合に出場するみたいだね』
確かに、今の高坂先輩は気合いのオーラが半端ではない。
練習の邪魔をされると、物凄い目つきで睨まれるらしい。
よほど、練習の邪魔をされたくないのだろう。
今では生徒会員は、用件は手短に話してすぐ去るそうだ。
……そんな様子を音姉は心配していた。
相手に怖がられたら、相談相手にされなくなったり、解らない事を聞きに行きにくくなったり、近寄りにくくなったりしまうと……
テレビで見たが、厳しい人間を避けたがる日本の仕事場の様な感覚かも知れない。
幾ら業務上、対人関係は割り切って我慢と言っても、自分自身は素直であり、嫌なものは嫌なのだから……
小恋と小話をしていると、雪村と花咲も教室に戻ってきた。
トイレでも行ってたのかな。
『雪村』
『何?』
『………』
『………』
『あっと、何でもないんだ』
『……違うわ。でもそういう事は女性に聞いてはダメ』
『……解るのか?』
『慌ててバツの悪そうな表情をしたから。どうせ、一緒にトイレに行ってたの?でしょ』
『義之!』
『何だよ』
『失礼でしょ!』
『ごめん。男ではそういう言葉があるからつい……』
なぜか小恋が一番怒っている。
花咲と雪村が怒るなら、解る話だが。
俺は慌てて話題を変えた。
『は、花咲、どこへ行ってたんだ?』
『運動場を見にね~。変態の義之君』
『運動場?』
『杏ちゃんとも話したけど高坂先輩、練習をし過ぎている気がするの』
『昼なのに走っているのか?それは同感だ。俺は既に足の疲れを取る事に専念しているからな』
『非公式新聞部と変態には負けられないというプレッシャーは感じていると思うわ』
『……帰宅部に言葉を変えてくれると助かる。俺からすると、一ツ橋の事も考えるとデジャブを感じるな』
『帰宅部の変態に負けられないという点では同感するわ。今までの練習量を比較すると余計にね』
何だよ……
気軽で温和な花咲がいやに突っかかってくるな。前言撤回、小恋より怒っている気がする……
便秘だったのか?という言葉を飲み込んで、その高坂先輩の話題を続ける事にした。
『雪村はどう思う?』
『恐らく……、生徒会内で失敗をやらかして、走っている気が紛れる様な考えかも』
『……そうか』
『更にあんた達が高坂先輩のタイムを塗り替えたせいで、嫌でも意識してしまう感じでもあるわ』
『俺の素直な意見だが、タイムで勝てても高坂先輩にはまだ勝てないと思うんだ。試合の様な感覚があるから、俺は緊張と上手く付き合えない。陸上経験の豊富な高坂先輩の方が、何にでも上手く対応できると思う』
『確かに経験は大きな差があるわ。けど、私は緊張とかしない方だからよく解らないわ』
『そっか。ちょっと羨ましい』
『そんなにあがり症だったかしら?』
緊張のし過ぎではないが、気持ちいい緊張ではなく、早くどこかに消えてほしい感じはする。
ま、その付き合いも後わずかの時間だが。
『やっぱり、800メートル走の勝負の行方が分からないわね』
『まぁな。200と400は俺か高坂先輩が勝つと思う』
ランニングで高坂先輩に勝つ自信のある者は殆どおらず、200と400は殆どのクラスは勝負を捨てて、他のクラスは600と800メートル走に勝負を絞っている。
800メートルも高坂先輩が走るが、他のクラスは疲労の蓄積を計算しての事だろう。
俺も同じ事が言えてしまう訳だが……
……大丈夫だ。プレッシャーを感じているのは全員に言える事だ。
ましてや、俺はランニングの練習すらしないで一ツ橋に勝てたんだ。
……楽しむんだ。それだけでいい。
~家~
~夕食後~
筋肉の疲労が残らない程度に、軽くランニングを終えた後、夕食をとる。
やっぱり、運動後の空腹は何よりの食事のスパイスだ。
何を食っても凄く美味しい。
夕食後、由夢と音姉はずっとテレビを見ている。時折、俺を観察しながら……
あれ以来、音姉は生徒会を抜けてしまい、その分を桜井家の家庭にも貢献し続けている。
H本は下手に置けず、捨てざるを得なかった。
しかし、思春期は性欲に悩まされる。判断が狂ってしまう。
テレビで見たが、そこに付け込む大人など、鬼畜そのものとしか言えないが……
『弟君、大丈夫?』
『ん、何が?』
『眉間にシワが寄っていたから。何かなーって』
『ああ、運動会がもうすぐだなーって』
『そうね、もう時期だよね。複雑だけど頑張ってね』
『……複雑?』
『えっと、まゆきとの勝負。弟君に勝ってほしいけど……』
『………』
もし高坂先輩が負けたら、ショックが大きいという所だろう。
しかし、勝負の世界は非情。今更、手を抜く訳にはいかない。
……クイズ大会もあるわけだし。
『私、兄さんを応援するわ』
『サンキュー』
『やっぱり、高坂先輩に勝つ事が出来たらちょっとだけ兄さんの事、自慢したいし。それと……』
『それと?』
『運動会が終わっても、ランニングは続けるの?』
『止めるだろう。ちょっとしたランニング程度なら続けるが、トレーニングの様な事はしない』
『じゃあ、これから一緒に居られるの?』
『……ああ、そうだな』
由夢と、音姉もしっかりこっちを見て確認している。
トレーニングの傍ら、寂しい思いをさせてしまったようだ。
必ず、その時間を取り戻してあげないと……
『唐突に提案なんだが、音姉?』
『何かな?』
『期間限定でいいから生徒会に戻ろうとかしない?』
『……どういう事?』
『今日の昼休み、高坂先輩の練習を見てたんだ。ちょっと練習のしすぎかなって』
『………』
『練習の熱のせいか周りが見えず、同じ生徒会員にも厳しいみたいだし、誰かがブレーキというか、ブレーンが必要だと思った』
『……そうね。そうだと思う。ずっと気にはしていた』
『ま、後の判断は任せるよ。今は運動会に全力を尽くしたいから』
『うん、ありがと』
しかし、俺も健康的になったものだ。
夜は11時には寝てしまい、朝は6時前には起きる。
寝る時間に関係なく夜は早く寝て、朝は早く起きると内臓の調子がやたら活発に感じる。
気の緩みも少なく、毎日の緊張感を持続しやすい。いや、断然に違うと思った。
運動会、絶対に負ける訳には行かない。
今回は、前回の様に消化不良の結果だけは残さない様にしてやる。
本当にようやくだ。