「気を遣って優しくしてるんなら……そういうのはやめろ」
先日、職場見学が終わった後に、由比ヶ浜に告げた言葉。
これでいい。何一つ間違ってはいない。そのはずだった。
しかし、胸の奥底で何かがどんより蟠っているのが、はっきり自覚できた。
俺はそれに気づかないふりをした。
そうするのが一番だと思っていた。
*******
もう一学期もだいぶ終わりに近づいたある日の夜、何かを忘れるように読書に集中していると、携帯が震えだした。
誰からの電話かなんて、いちいち確認するまでもなかった。
「……もしもし」
「ふふっ、こんばんは♪今日もテンション低いねぇ」
「陽気なテンションで元気よく挨拶する俺を想像してみてくださいよ」
「んー……ああ」
いや何だよ、そのリアクション。そんなにひどいのかよ。
「じゃ、じゃあ今日は失礼します……」
「それで……なんかあったん?」
「えっ?いや……は?だ、誰から……」
当たり前のように聞いてきたことに、ついつい驚きの声が漏れてしまった。
「ふふっ、図星みたいやね」
どうやらカマをかけられていたらしい。普段からかわれているくせに、この程度も見抜けないとは……。
というよりは、それに気づかないくらいには、頭の中に先日の事が残っているからか。
何も言えずにいると、彼女の息づかいだけが電話越しに聞こえてきた。
多分、俺が言いたくないといえば、この人は何も聞かないだろう。
何事もなかったかのように、普段のノリでからかってくるだろう。
そして、いつもの自分なら、そうして誤魔化して、時間が経つのに任せるはずだった。
しかし、自然と俺の口は動いていた。
*******
話し終えると、彼女は「そっか」と言った。
何故か、一人で頷いている姿が用意に想像できた。
「どっちも優しいんやね……」
予想外の言葉に、一瞬言葉を失う。
「いや……別に優しくはないですよ。実際……」
「そんなことないよ」
「…………」
「きっと由比ヶ浜さんは君の事を思ってた。そして、比企谷君も不器用ながら彼女の事を思いやったんやろ?ただ、ちょっとすれ違っただけ」
「…………」
「三月に君と出会ってから、そんな大した時間は経ってないけど……君は最初から不器用で優しい男の子やよ」
「……そ、そうですか」
心に何かがじんわり染み込むような感覚がした。
それは、彼女から頭を撫でられた時の感覚と、どこか似ていた。
電話越しの声だというのに、そっと穏やかに胸が高鳴るのを感じながら、思いついた言葉をそのまま口にした。
「ありがとう、ございます」
すると、彼女の安心したような息づかいが耳元を揺らした。
「元気でたみたいやね」
「かもしれません……まあその……」
「そうやね~、お礼は神社の掃き掃除のボランティアでええよ?」
「……こ、このタイミングで言いますかね、それ」
「あははっ、これはウチからの優しさ♪遠慮とかせんでええよ」
「……まあ、いつか、気が向いたら行きますよ」
「来週やね。ありがと♪」
「…………」
どうやら来週の日曜日の予定は決まってしまったみたいだ。
まあいいだろう……何だかんだ世話になってるし……。
「……東條、さん」
「なぁに?」
「その……ありがとうございます」
「ふふっ、今日はやけに素直やね……可愛いなぁ」
その艶やかな声音に、またドキリと胸が疼いた。
ここは戦略的撤退をするしかないだろう。
「……す、すいません。もう寝ます」
「はいは~い♪おやすみ~」
通話を終え、部屋の灯りを消すと、心が軽くなった感覚と寂しさみたいなのが、同時にやってきた。
そして、目を瞑っても、眠りは中々やってこなかった。