「比企谷く~ん。休憩してええよ~」
「……ああ、どうも」
東條さんから飲み物を受け取り、ベンチに腰かける。心地よい疲労感という言葉は自分らしくはないが、今感じているものが、まさにそうなのだろう。
「目以外から邪気が浄化された感じやね」
「……それでも目は腐ってるんですか」
「気にしなくてもええんよ。そういう目つきが好きな女の子だっておるんやから」
「その奇特な奴を紹介してもらいたいですね」
「ん~♪今日もいい天気やね~」
そう言いながら東條さんは大きく伸びをした。
話を断ち切られたが、その強調された胸元を見れば許せてしまうのは男の性だろうか。ならば仕方ない。
俺は先日の夜、電話でした話を切り出すことにした。
「そういや、この前の件は一応解決しました」
「そっか……ふふっ、よかったやん。仲直りできて」
「いや、仲直りとはニュアンスが違うと言いますか……」
「まあええやん?細かいことは。これでまた部活動が始められるわけやし」
「そっちのほうはさりげなく辞めたいんですが……」
「まあまあ、案外悪くないもんやろ?そういう形で誰かと一緒にいるのも」
「…………」
いたずらっぽく笑う彼女に、俺は黙って頷いた。
*******
昼を少し過ぎたくらいに、全ての仕事が片づくと、東條さんが、今度は小さなポーチを二つ持って、駆け寄ってきた。
「今日はお疲れさんやったね。はい、これ」
そのうちの一つを手渡されると、それが何なのか、何となく想像できてしまう。
「……あの、これ……」
「ん?そんな慌てんでも、家に来て手料理も食べたんやし、今さらやろ?」
「はあ……」
そうなのかもしれないが、さすがにここまでされると、ボッチとして訓練されてきた奴じゃなければ、うっかり勘違いしてしまうんじゃなかろうか……一体この人はどれだけの男子を死地に送ってきたのだろう。
心の中で敬礼を送り、丁寧にポーチを開くと、そこには……コンビニで売っているおにぎりが二つ、ちょこんと入っていた。
……いや、いいんだけどね?
「あははっ、だって外で手作り弁当なんて渡してたら、カップルみたいやん?」
「……べ、別に何も言ってませんけど」
「ふふっ、自意識過剰くん♪」
「また旬なネタを……」
つっても、全然シチュエーションが違いすぎて、いつも通りにからかわれている気分にしかならない。
「まあ朝寝坊しただけなんやけどね」
「つまり、朝寝坊しなかったら手作り弁当が食べられた、と」
「う~ん、それはどうかなぁ」
含みを持たせて微笑む彼女の髪を、風が優しく撫でた。
控え目な香りがふわりと漂うのが、何だか前より馴染んだことのように思えた。
そのせいかはわからないが、つい思った事を口にした。
「そういや……東條さんって一人暮らしなんですね」
「うん、そうやけど……珍しいね。君からウチの事聞いてくるなんて」
「い、いや、何となく……」
彼女にそう言われると、急に気恥ずかしくなってしまった。特に変な意味合いもないはずなのに……。
そんな俺の様子を見た彼女は、またくすりと笑った。
「ふふっ……高校に入った時からよ。ウチの親、かなり転勤が多いから」
「…………」
それから彼女は穏やかなトーンで、小学校の頃の話を始めた。
五分程度だっただろうか。俺はなるべく想像力を働かせながら、その話に聞き入っていた。
*******
「ふぅ……久しぶりに小学校の頃思い出したなぁ。退屈な話だったやろ?」
「……いえ、そんな事は……」
彼女の小学校時代は、転校が多く、友達づくりにも苦労したとのことだ。まあそうじゃなくても友達いない奴もいるしな……誰の事かは伏せておく。
ただ、話の内容よりも、遠い過去を見つめる彼女の横顔が、ひどく寂しそうに見えたのが、胸を締めつけた。
だがそれも数秒だけで、すぐに跡形も残さずに消えてしまった。
「じゃあ、今度は比企谷君の小学校時代について聞こうかな」
「いや、それはさすがに……本気で面白味の欠片もありませんし……」
「ええよ、それで……それに、比企谷君の小学校時代なんて気になるやん?」
「は、はあ……」
そういうものなんだろうか……まあ、別に隠す事でもないからいいけど……。
「じゃあ小学校時代の誕生日やフォークダンスの楽しい思い出を……」
「おっと……これは心して聞かんといかんね」
しょうもない話の連続になりそうだが、少しでもいいから彼女が笑えばいいと思う。
心の片隅でそんな事を祈りながら、俺はなるべく明るく思い出話を始めた。