「いたた……」
「…………」
ぎしぎしと軋むベッドの音。密着する柔らかな温もり。混じり合う吐息。驚いた丸い瞳。呼吸に合わせて動く豊かな双丘。
あらゆるものが意識を埋めつくし、時間が止まったような感覚がした。
こんなにも女子と顔を近づけたのは、生まれて初めてだという事実も、頭の片隅に追いやられていた。
それぐらい目の前の東條さんは……綺麗だった。
ぽってりした唇に視線がいき、あとは釘付けにされたかのようにそのままでいると、ふっとその唇が動いた。
「……比企谷君」
「は、はい……」
言葉はぼんやりと、耳をすり抜けていった。中学時代なら、勢いに身を任せ、何らかの行動を起こしていたかもしれない。
このまま、甘い香りに誘われてしまったら、どれだけ……。
そこで、また唇が動いた。
「これは……とんだドスライズやね」
「…………」
いやドスライズって何だよ。
しかし、急に場の空気が弛緩した気がした。
「あの、比企谷君……そろそろ、どいて欲しいんやけど?」
「っ!す、すいません!」
慌てて体を起こし、すぐに手を差し出す。無意識で出してしまった手は、頼りなくぶらぶらしていたが、東條さんが掴んだことにより、安心感を得た。
「もう……びっくりするやん?」
「す、すいませんでした……」
「比企谷君ったら……意外とオオカミなんやね」
「いや、そういうわけでは……」
頬を紅く染めながら、わざとらしく言う東條さん
この人ならば、自分の意思で頬を紅くすることができるんじゃないかと考えると、なんか複雑な気持ちになるが……。
「でも……」
東條さんが躊躇いがちに口を開く。
その瞳は微かに濡れていて、上目遣いがやけに色っぽく思えた。
そして、彼女は胸元に手を当て、言葉を紡いだ。
「さっきの比企谷君……男らしかったよ」
「ああ、そうですか」
「え~、反応薄くない?」
「さすがに今のはわかりやすいというか……」
「そっかぁ、比企谷君もウチの事を理解し始めたんやね。えらいえらい」
「…………」
何故頭を撫でるのかとツッコミをいれたいところだが、今はやめておこう。別に何だか気持ちいいとか、そんなんじゃないとだけ言っておこう。
「ふふっ♪」
「…………」
しばらくの間、東條さんは俺の頭を優しく撫で続けた。
俺は、彼女の赤い頬を眺めながら、時計がチクタクと時を刻む音に耳を澄ませ続けた。
「ところで……」
そこに、東條さんの声が乗っかってくる。
「この写真は何なのかな~?」
「あっ……」
いかん。さっきのドスライズとやらで、すっかり忘れていた。
ニヤニヤと笑う彼女の手には、メイド服を着用した彼女の写真があった。
……はい。先日、秋葉原に行った時、ふらっと入ったスクールアイドルショップにて購入してしまいました。
「ふぅ~ん、そんなにウチのメイド姿が見たかったんかな?」
「……い、いや、これは……」
「ん~?」
「いや、だから……」
「どうしよっかな~?可愛い比企谷君の頼みやからな~♪」
「べ、別に頼んでるわけじゃ……」
だから見られたくなかったのだ。これならエロ本が見つかったほうがマシである。持ってないけど。
得意気な笑みでこちらを覗き込んでくる東條さんは、そっと顔を耳元に近づけてきた。
「ふふっ、また今度ね……御主人様♪」
「っ!」
耳をくすぐる吐息のせいだろうか、それとも甘い囁きのせいだろう
とにかく、頭の中が真っ白になり、ふわふわと天にも昇るような気分が脳内を隙間なく満たしていった。
*******
その後、からかわれ続け、小一時間ほど経ったところで、東條さんは帰ると言い出した。
玄関を出て、もう一度我が家を見上げた彼女は、来た時と同じような表情を見せた。
「ふぅ……また来ようかな」
「いや、まあ……どっちでもいいですけど。てか、うちにスピリチュアルな何かがあるんですかね?」
「う~ん、どうやろ?比企谷君の家やからね」
「それ、褒められてるんですか?」
「もちろん。今日も比企谷君からはスピリチュアルなエネルギーが溢れとるね」
「いや、今テキトーに言ってるでしょ……」
しかし、もし本当なら、俺がボッチなのはスピリチュアルな力が、人を寄せつけないからということになる。違うか?違うな。
それより、我が家を見上げる東條さんの横顔は、少しだけ……気のせいと思えるくらいに少しだけ、寂しげに見えたのは何故だろうか?
「よし、レッツゴー!」
「…………」
いつの間に自転車を用意した。いつの間に後部座席に座った。これこそスピリチュアルだろ。
「……そこは小町専用なんで」
「はぁ……ウチの足、震えとる。いきなり比企谷君に押し倒されたからやろうか?」
「…………」
どうやら拒否権はないらしい。まあ、別にいいけど。なんだかんだバイトの時、世話焼いてくれるし。
「あんまスピードは出しませんよ?暑いんで」
「ええよ。ウチもそのほうが好きやし」
ゆっくり座席に座ると、いつもと違う重みを背後に感じ、気が引き締まる。
すると、背中に暴力的ともいえるくらいの凄まじい柔らかさが密着してきた。
「っ!!」
「比企谷君、どうかしたん?」
こ、この人……わかってやってんのか……!
いや、しかし……そんな……いや、もう考えるな。背中に密着しているのはクッションだ。何の変哲もないただのクッションだ。
心の中で何度も念仏みたいなのを唱えながら、俺はゆっくりと自転車を漕ぎ始めた。