「……お邪魔します」
「どうぞー」
東條さんの部屋に足を踏み入れると、やはりまだ慣れない感覚がする。まあ、特に何をするわけでもないので、そんなに気負う必要もないのだが。
「今コーヒー入れるから待っとって。砂糖とミルク多めでええやろ?」
「あ、はい……お願いします」
テーブルの近くに腰を下ろし、部屋の隅に目を向けると、小さな棚の上に普段占いに使っているタロットカードが置かれていた。
そして、その隣に写真立てが置いてあるが、ここからはどんなのかがよくわからない。
すると、東條さんがコーヒーを俺の前に置いた。
「はい、お待たせ」
「ありがとうございます」
「そうそう、下着はそっちの棚やないよ」
「ぶほっ!?」
いきなりすぎる一言に、咳き込んでしまった。なんだ、この人。俺に見せたいのか?見せびらかしたいのか?なんなら受けて立つぞ。
「いや、いきなりどうしたんですか……」
「だって、棚の方を真剣に見てるから、てっきり盗ろうとしてるのかと」
「…………」
つっこみすら入れず、とりあえずコーヒーに口を付け、気持ちを落ち着けることにした。また彼女のペースに乗せられているようだ。もう諦めてるけど。
その様子を見て、くすっと笑みを見せた彼女は、斜向かいの位置に腰を下ろした。俺は、その表情から、話を始める気配を感じた。
「じゃあ、ちょっと長い話になるけど大丈夫?」
「……いくらでも聞きますよ」
俺の言葉に意外そうな顔をした彼女は、すぐにいつもの表情になり、話を始めた。
*******
それからしばらくして、コーヒーが温くなる頃に、彼女は溜め息を吐いた。
「なかなか上手くいかんもんやねぇ……」
「…………」
どうやら活動休止の理由は、中心人物の高坂さんが抜けた事にあるらしい。
そして、そうなるのに至った理由は南さんの留学……とそれに関するすれ違いのようだ。
東條さんは、何かあるのに気づいていながらも、何もできなかった自分に対し、歯痒さを感じているのが、ありありと見て取れる。
そんな彼女は、窓の外に目をやり、溜め息を吐いた。
「もっとうまくやれてたらよかったんやけどねえ」
「いや、別に東條さんのせいじゃないでしょう。てか、誰が悪いとかでもないと思うんですが……」
なんというか、この人は一人で背負いこみすぎている気がするのだ。
本当は人一倍寂しがりで、俺みたいなどうしようもない奴でもついからかって構うくせに、肝心な時に一人で考え込む。
それを否定はしない。俺も似たようなものだから。
でも……だからこそ……。
「……たまには周りに、甘えてもいいんじゃないですかね。なんつーか、その……あんなにいいメンバーいるなら」
「まさか君から言われるとはねえ」
「自分でもそう思いますよ」
「……じゃあ、約束しよっか」
「約束、ですか?」
「うん。八幡君は、この前みたいな事になる前にウチに甘える。ウチは今回みたいな事になる前に八幡君に甘える。どう?」
東條さんは、小指を突きだしてきた。
それに対し、頬が緩むのを感じながら、そっと小指を絡めた。
ひんやりとした感触が合わさり、温もりになる瞬間がはっきりとあった。
「まあ、その機会がこないのが一番かと」
「ふふっ、そういうとこホント君らしいなぁ。でもせっかくやし……それじゃあ、ちょっと甘えようかな」
彼女の小悪魔めいた笑みに、びくっと肩が反応する。
「……今、ですか」
「うん、甘える♪そういうわけで、八幡君はベッドに座りなさい」
「……は?」
この人……今とんでもないこと言わなかったか?
聞き間違いかと思い、もう一度聞いてみることにした。
「すいません。聞こえなかったからもう一度……」
「そこに座って♪」
聞き間違いではないようだ。え、ホント何言ってんの、この人?
「あ、あの、何をするんですかね……」
「何をするというか、ウチがしてもらう側やね」
「…………」
いよいよわからなくなってきた……一体何をさせる気なのだろうか?
変な想像が勝手に膨らんでいくのを必死に押し止めていると、東條さんがじりじりとにじり寄ってきた。
「ふふっ、力抜いてええよ。あとはウチがリードしてあげるから」
「…………」
やばいやばいやばいやばい……!
しかし、こうなった以上、あとは自然の流れに身を任せるのも人生だろう。
しばし瞑目し、俺は覚悟を決めた。
*******
「ん~、気持ちいいなぁ」
「…………」
東條さんが、気持ちよさそうに目を閉じ、俺に身を委ねている。
そう、俺は東條さんに……膝枕をしていた。
……さっき変な妄想ばかりしていた自分が恥ずかしくて死んでしまいそうだ。
「八幡君の膝はなかなかの寝心地やね。エリチにも負けとらんよ」
「そりゃどうも」
「う~ん、このまま朝まで眠れそう」
「そ、それはさすがにきついんで……」
「zzz……」
多分、いや間違いなく寝たふりだろうが、今はそれでも構わなかった。
こんなことでも、彼女の役に立てることが嬉しかった。
*******
ぼんやりした視界の中、不思議なものを見た。
俺は何故か東條さんと南極にいた。どうしてそんな宇宙よりも遠い場所にいるかはわからないが、二人して光る何かを見て、ゲラゲラと笑っていた。そのぼんやりした光をしっかり見ようと目を凝らしたところで、その世界は消え去った。
「…………ん?」
慌てて時計を確認すると、なんと朝の8時を過ぎていた。
どうやらいつの間にか寝落ちしたらしい……やっべえ。なんかもう、やばい理由が多すぎて色々やべえ……いつ自分が寝たとかもわからんし、もう遅刻決定どころの騒ぎじゃないし、小町にも泊まってくるとか言ってないし、さらに女子の家で朝を迎えちゃったし……さらに……
「…………」
「すぅ……すぅ……」
目の前には天使がいた。
普段の東條さんのイメージからすると、女神とか言われそうなものだが、今の彼女はあどけない寝顔を晒している天使だった。
……やばい。急に心臓がばくばく鳴り出した。これ、なんかの病気じゃね?
俺は、その寝顔から目が離せずに、少し厚みのある唇が、何か言葉を紡いでいるのをじっと見ていた。
しかし、それが音を伴うことはなく、ただ彼女の中で完結していた。
……このまま時間が止まればいい、なんて本気で考えてしまった自分に苦笑していると、彼女が目を覚ました。
「……あ、八幡くぅん、おはよ~」
「……おはようございます」
寝ぼけ眼の彼女は、この状態にも動じることはなかった。それはそれでどうかと思うが。
「ごめんねぇ……ウチ、すっかり寝ちゃったみたいで……」
「いや、まあ……いつの間にか俺も寝てたんで」
「学校大丈夫?」
「もうどうしようもないんで、たまには重役出勤で」
「ふふっ、じゃあウチも今日は遅刻しよっかなぁ」
「いや、東條さんはギリギリ間に合うでしょ…」
「八幡君だけ遅刻させるわけにもいかんやろ?」
「今から急ぐのが面倒くさいだけじゃないですか?」
「それも半分くらいはあるかも」
「あるのかよ……しかも、半分」
「まあまあ、細かいことはええやん。それより、先にウチ、シャワー浴びてくるから」
「……あ、ああ、はい」
このシチュエーションでそういうことあっさり言うの、やめてくれませんかねえ。ひたすら心臓に悪いんで。
ただ、のろのろと浴室へ行った寝起きの彼女は、とにかく無防備らしく、衣擦れの音や鼻唄がやたらと脳を刺激してきた。
*******
交代にシャワーを浴び、東條さんが作ってくれた朝食を頂き、同時に家を出ると、なんだか妙な気分だった。
東條さんもそう考えているのか、いつもと少し違う笑顔を向けてきた。
「来てくれてありがとう。嬉しかったよ」
「いえ、特に何かしたわけでもないんで……」
「誰かがいてくれるだけで救われた気分になることもあるんよ」
その言葉に、屋上での事を思い出した。
同時に何だか照れくさくなり、首筋に手を当てた。
「……ならよかったです」
「ふふっ、それじゃあ、いってらっしゃ……じゃないや。またね、八幡君」
「ええ、それじゃあ」
そのまま二人して別々の方角に歩き出す。
どちらもこんな朝のような晴れやかな心で、一歩一歩刻んでいた。