訪れる沈黙。
自分が言った言葉を、もう一度頭の中で反芻してみる。
よし、間違ってはいないはず。
そんな意味のない確認作業をしながら、何とか気を紛らわそうとするが、もちろん大した効果はなく、不思議な高揚感と脱力感のせめぎあいが身体を支配していた。
一体どのくらい静寂がこの場を包み込んでいたのだろう。
先に口を開いたのは希さんだった。
「…………八幡君」
「…………」
名前を呼ばれたが、碌に返事すらできないのが情けない。
それでも、何とか視線は逸らさないように、真っ直ぐに見つめ続ける。
すると、彼女の唇が再びふわりと動いた。
「あの、ウチが引っ越すって、何の話?」
「……………………え?」
希さんは、こてりと首を傾げながら、本当に不思議そうな表情を見せた。
な、何だ、この感じ……。
焦りに身を任せるように、ついつい口を開いてしまう。
「あ、絢瀬さんから聞いたんですが……」
「エリチから?ん~……まあ、うっかり携帯でも見たんかな?エリチやし……」
「…………」
「まあ、エリチの早とちりやね……ちょっと九州にいる両親から呼び出されただけで、引っ越したりはせんよ」
「……そ、そうですか」
「うん、なんかごめんね。エリチが……あはは」
少し気まずそうに笑う希さんは、そのまま顔を伏せたかと思うと、こちらに一歩踏み込んできた。
ほっとしたのも束の間、今度は別の緊張がこみあげてくる。
「ねえ、八幡君……」
「は、はい?」
彼女は極上の上目遣いと共に甘い声音で囁いてきた。
「さっきの言葉……一回しか言ってくれないの?」
「っ!?」
おい、なんだこの反則技。こんなんありかよ。……まあ、この人からすりゃあ、アリなんだろうな。うん、知ってた。
こちらの心情など掌で転がすように、蠱惑的な笑みを浮かべた彼女は、また一歩距離を詰め、甘い香りでこちらを包み込みながら、そっと掌を胸に当ててきた。
「さっきは君が来たことに驚いて、よく聞こえんかったなぁ」
「ぐっ……」
「あーあ、もう一度しっかり聞きたいなぁ」
男に二言はないと言いたいところだが、そんな顔されたら言うしかない。だって可愛すぎるんだもの。
あっさり前言撤回した俺は、もう一度彼女の目を見て、さっきよりもしっかりと言葉に輪郭をもたせた。
「……好きです。心から」
「……うん」
最後に付け加えた言葉に一瞬目を見開いた希さんは、すぐに穏やかな笑顔になり、はっきり頷いてくれた。
こんな薄暗い中でも、その頬は朱く染まっているのがわかり、より一層胸が高鳴る。
それから彼女は、しばらく考え事をするように目を伏せたが、何かを決意したように顔を上げた。
「その……ウチの事を心から好きで、早とちりでわざわざここまで来てくれた八幡君には、何かご褒美が必要やね」
「い、いや、別に……」
「必要やね?」
「はい……」
何だろう。今圧で押しきられた気がするんだが……。
まあ、十中八九からかわれるだろうが、今となってはそれもどんと来いだ。こちらはもう既に告白を済ませているのだから。
「ん…………」
「っ…………!?」
キスされた。
何も考える暇などない。
希さんはいつになく俊敏な動きで、俺の頭部を左右から掴み、自分の唇を俺のそれに、やたら不器用に押し付けていた。
柔らかな唇の感触に、全身が痺れるような感覚がして、微動だにできない。
まるで天に昇っていくような幸せを俺は初めて体験していた。
ぼーっとした思考回路の中、名残りを惜しむように、そっと唇が離れると、再び時計の針が回り始めるように、周りの景色もじんわりと目に馴染み始める。
希さんは、どこか落ち着かない表情のまま、口元だけ笑みを見せた。
「……わ、私……ウチも君が好き。大好き。心から」
「……どうも」
初めて見る表情に、たまらなく愛しさが溢れてくる。
衝動のままに今度はこちらから口づけを交わした。
「…………」
「ん、んん……」
こちらもよく加減がわからず、随分不恰好なものになってしまったが、それでも気持ちは昂り続けている。
希さんは、とろんとした目をこちらに向け、小悪魔の笑みを見せた。
「巫女装束のまま、こんなキスさせるなんて……八幡君はほんと好きやねえ」
「いや、最初はあんたからでしょうが……」
「こんな気持ちにさせたのは君やろ?」
彼女はぺろりと唇を舐め、キスの余韻を味わっていた。
その赤い舌に目を奪われていると、希さんは目ざとくその視線に気づき、思いきり抱きついてきた。
「もう一回……ね?」
「……はい」
その魔性に抗えるわけもなく。
ただ不器用に唇を重ねる二人を、月だけが見ていた。