ONE PIECE~Two one~   作:環 円

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64-あわとしずく

  赤い土の大陸間近にあるシャボンの島に辿り着いたのは、ウォータセブンを出発して16日目の夜だった。甲板の上で繰り返される、耳に慣れたさざ波を聞きながら星を見上げていたエースもむくりと上半身を起こす。神経を使う接弦が終わった甲板では船員たちが協力して錨を下ろし、帆をたたむためのロープを引っ張ったり、マストに登った身軽な者たちが手繰って折りたたみ、それを固定化する作業をしていた。

 「もう半分、か」

 それともまだ半分か。エースはゆっくりと言葉をかみしめる。育ったあの島を出てから長かったような、短かったような、複雑な気分だった。振り返ればいつの間にか集まってくれた仲間と世界を分かつ壁の近くまでたどり着いている。

 手のひらを握りしめ、開く。海に出て手に入れたいと願っていたものは、着実に手の内に組み上がりつつある。だがそれが心の底から本当に望んでいたものではなかったものだとも気付いていた。

 足りない。満たされないなにかを得ようと足掻くだけ、乾いてゆく。そもそもがマイナスからの出発だ。果たしてこの海にいつまで揺蕩い続ければ手に入るのだろうか。半身のようにたくさんの人と出会えばなんらかのヒントがあると考えたが、いまだエースが抱える疑問にこたえは出ない。

 無意識の舌打ちが小さく鳴る。

 

 ニュース・クーが運ぶ新聞には今年の新人、火拳が新世界に一番乗りか、という記事も出ていた。今までの最短がこの記事を書いた記者が所属する世界経済新聞社が把握する限り双子岬周辺を出発点とし、9カ月だったというから5か月近く記録を塗り替えた快挙だとあった。

 別に騒がれるような事でも無い。順調な船旅が出来たのは、優秀な船員が集まってくれたこそだ。エースひとりだけではきっとうまくいかなかっただろうし(自分でいうのもなんだが行き当たりばったりでなかなか旅が進まなかったはずだと胸を張って言える)、例えアンだけが隣に居たとしても、もっと時間がかかっていただろう。

 「なあにひとりで黄昏てるのかな。おれなんかが居ても、なんて口が裂けても言っちゃだめだよ。言わせもしないけど」

 ゆらりとランタンの灯が揺れ、最も慣れ親しんだ存在の声が降ってくる。

 「…わかってる」

 エースは小さく言葉した。

 

 ならいいんだけどね。

 ことり、と音をたてランタンが床に置かれる。

 そしていつものように迷うことなく背中合わせで座った。エースに、たまに発生するのだ。

 小さな頃から胸の奥に抱える、生まれてきても良かったのか、生きていもいいのか、という答えの出にくい疑問が生んだ心の傷がぱっくりと開き、じくりと痛んで滲むことが。

 子供は見ている。大人の行動や、その言葉を聞いている。

 こんなことを子供に言っても理解できないだろうと大人は免罪符のように自分語りをするが、意味は解らなくとも含まれた言の葉の良し悪しくらい見当がついた。

 心ない言葉を叩きつけられ、防ぐ方法を知らないむき出したままの心が傷つけられたあの頃。

 ダダンが本当の親ではないと知り、じゃあ自分の、本当の父と母はどういう人なのだろう。気にならないはずもない。もしかしなくとも、フーシャ村で見られる”普通の家族”が自分たちにもあったはずなのだ。

 名は程なくして知る事が出来た。ダダンが手下たちと話していたからだ。

 

 どういう人なのだろう。

 聞ける場所は限られていた。

 どうして。なぜ。

 問いかけを発し、言葉と共に周囲の状況を知り始めた幼い頃の、苦い思い出が脳裏に反芻する。

 悪意に満ちた感情から逃れる術を知らず、次々と振り下ろされる言葉の刃に傷つけられていた日々。言葉は凶器だ。そしてある意味、暴力よりもたちが悪い。傷を負うのはなにも肉体だけではないのだ。心も傷つく。外からは見えないだけで、何気ない言葉だけでも傷ついてしまうものなのだ。極めつけ、なおりにくい。トラウマとして刻まれてしまうからである。

 真実がどうであれ人の口に上った噂は、尾びれ背びれを付けられて語る人物の都合の良いように着色されてゆく。当時、あちらの概念を持っていたアンは耐えられた。というよりうっぷん晴らしのネタにされていると、分かって聞けた。だがエースは違う。正真正銘の、本来であれば親元で守られながら健全な精神を構築するための大切な準備期間に、脅迫概念に囚われてしまった。

 そうして辿り着いた疑念が、おれは、おれたちは生まれてきても良かったのかな、である。

 断じて違う。

 アンは言い切った。

 少なくとも母は望んでくれていた。でなければエースとアンを孕んだまま、隠し通せはしなかっただろう。そして義祖父に生まれてくる子供を頼む、そう託した父もそうだ。あの馬鹿はわざわざ自分から海軍に捕まりに行ったのである。たったひとつ、貸した借りを回収するためだけに。もっと良い手もあったはずだ。なのになぜ、あの手法を取らなければならなかったのか。今のアンにはまだ理解できないでいる。

 

 アンはエースがいとおしい。兄であり弟でもあるエースが大好きだ。共に生まれてきて良かったと思っている。特にルフィはエースが居ないなんて考えられねェとまっすぐに言い放つほど大好きすぎた。それに生まれたかったから生まれたに決まっているだろうと続いた弟は実に格好良かった。まさしくその通りで、自我がないまっさらな何かの状態でも生まれたかったからこそ宿り、母であるルージュも出会いたかったからこそふたりを宿しながら無茶を通した。

 みんな、誰かにまた出会いたくて生まれてくるのだ。いつかそうおもえる日が来ることを願っている。アンにとってはエースやルフィ、サボ、名前を挙げていけばきりがない。

 

 果たしてエースは自己肯定感が低い。低いどころではなくぺらっぺらだった。

 自分は大切な人間だ。生きている価値がある。必要とされている。そういう気持ちが異様に少ない、ではなくまったく、ほとんどないのだ。

 育った環境が環境だったから仕方が無いと言うつもりはなかった。

 共に育ったアンも世界にはわたしが必要で、生まれてきたのは世界のあれこれをどうにかするためなのだと声高々に叫べはしない。というか、夢をみても不思議がられない幼いころであればまだ、そう、許容範囲だろうがアンの価値観では痛すぎである。たぶんあちら側という世界の記憶、という判断基準の拠り所が無ければ、ふたり揃ってどん底まで落ちていたのだろうとは想像がついた。いわゆる闇落ちというやつだ。

 思い出したくもない辛い記憶もあるが、ぎりぎりのところで命綱となったのはやっぱりもうひとつの世界で得た情報だった。

 

 こちらで育った場所は確かに、山賊達が暮らす山頂のアジトだった。

 環境は良くなかったけれど、人としての感情形成にはそう悪くは無かったと、アンは思っている。

 性格的に素直では無いダダンを補佐するように、ドグラとマグラが言葉を添えていた。

 今でこそ理解できる。確かに悪態が先に出るが、あれでいてダダンもどうしていいのかわからなかったのだ。子育てなど経験なく、経験する未来予想図を描いたこともなかったに違いない。ダダンの一家も刹那的だった。その日さえなんとかなれば、明日は知ったこっちゃない。そんな生き方をしていた。

 ガープよりエースとアン、そしてさらなる追加でルフィを預けられたとはいえ、放り出しても良かった。けれど文句を垂れ流しながらも雨風を凌げる屋根を貸してくれた。

 しかも意外に情に厚い。飯を共にした仲間だけという、ただしつきではあるが。それはエースも分かっている。

 子供のころはわからなかったが、ひとと接する機会が増えれば増えるだけ自分たち双子はあの一家が傍にあったことで生きながらえたのだと思い知らされた。

 

 ‥‥のは建前で。

 結局のところ納得はできずにいるのだ。 

 

 こればかりはアンがどうこう出来る問題では無い。

 側に居て、ひとりでは無いと行動で示す事は出来るが、耳を塞ぎ小さくしゃがみ込んでいる体を無理矢理引っ張り起こしてもなにも解決しないからだ。

 ゆっくりと育む周囲との関係の中で、情緒を再構築して貰うほか無かった。

 しかしエースはどんな人物にも一線を引いている。航海を共にする仲間ができた今も近しい同円内にあるのは、ルフィとサボだけだ。

 必要なものは分かっている。だがアンにはそれを補うだけの経験が無かった。

 アンではダメなのだ。エースにとってアンはどちらかと言えば、守るべき存在に入っている。手を繋いで一緒に走っていても、エースの方が必ず、半歩前にあった。くやしい。アンではエースを支え引き留める楔にはなりえない。

 必要なのは、すくい上げてくれる誰かの存在だった。無条件の愛情をもって、包み込んでくれる絶対的な強者が必要だった。

 こんなにもたくさんの仲間がエースを拠り所に選んでくれた。喜ばしい状況であるのに、肝心のエースが根無し草のようにふらふらと不安定極まりない。それを仲間たちは事あるごとに肌で感じている。

 「みんながほら、気にしてるよ」

 この船に乗る誰もが、エースという自分たちの命を預けた存在の、意気消沈した様子を見逃さない。放っておいて良い時と悪い時の区別をきちんと付けながらも、ここぞとばかりに船長を構い倒す瞬間を狙っていた。

 エースは少なくともこの船では、何事が起ころうとも中心にある。

 そんな美味しい時間を誰が見過ごすというのだろうか。

 「おーい、船長がまた変な事考えてっぞー」

 「じゃ、ぱーっと宴だな」

 「気分が落ち込んだ時は、騒ぐが一番だ」

 さて今日のみんなの行動は、と。

 アンがそう思った時には、長テーブルが船室から運び出され、夜食にと作られていた料理が並び、残っていた酒樽が割られていた。

 「近々補給出来るからいいよ、飲み切っても」

 視線の先ではツヴァイが黙認の頷きを返し、さくらがふわふわな毛並みの獣と共に走って来ている。無表情の中にまじめさを分散したような、面白い顔をして全速力でエースに跳びつこうとしているようだ。

 

 「ったく、うるせェなぁ。静かに落ち込ませても貰えねェのかよ」

 必死にこみ上げてくる笑みを我慢しながら肩を震わせる、もうひとりの自分に悪態をつきながらエースは眉を寄せ苦笑する。

 

 ここ十数日でいろいろありすぎたのだろう。

 水の都から数日でたどり着く医療都市ブリセスタまで、という約束で乗り込んでくれていた船医が急ぎ船を降りることになったのだ。地元の島に疫病が発生したという情報が商会を通じてもたらされたためアンが直接送ることになった。なんだかんだと新たな船医を急遽お迎えせねばならない状況になり、自称医学生以上医者未満の彼、マスクド・デュースをエースが連れて帰ってきた。しかもその探し方がまったくもっておかしい。船医を探してくるから適当に飛ばしてくれとアンに転移させた先の無人島で遭難していた彼を引っ張ってきたのである。新たな船医であるデュースは冒険記作家になりたいらしく、酒の席で話を聞いたアンは、エースとの出会い云々がすでに冒険記に書ける内容ではなかろうかとおもった次第であるのは告げなかった。

 彼と一番仲がよいのはとある事情で教職を追われ心も体も疲弊してこの船に転がり込んできたミハール先生だ。ツヴァイを攫ってきた虹の島から指針なしで辿り着いたとある島で是非とも来てくださいとアンが土下座して確保した教師だ。世界中に居る様々な事情で教育を受けたくとも受けられない子供たちに学びの場を届けたいという夢を持っている。息があうのか楽しそうに会話を弾ませているのが印象的であった。最近はそこにツヴァイが加わり、スペードインテリ集団が出来上がった気もする。ある意味アンが長期間、この船を離れたとしてもどうにかこうにかエースを何とかしてくれそうな人材が集まって来、彼女としてはほくほくであった。どちらかといえばスペード団は武力寄りの集団に仕上がっている。なので頭脳労働ができる人員はもろ手を挙げての歓迎なのだった。

 

 インテリの一角である船番大好きミハール先生はアンが元居た世界でいう引きこもりさんである。本が大好きで様々な分野の知識を持ち、アンすら知らない英知を保有している。オハラの大図書館がいまだ健在であれば、彼はきっとそこに住んでいたに違いない。それくらいすごいのだ。

 しかも彼が野生の隠匿スキルを持っているのを知った日には船の主認定したくらいだった。また先生は脳筋たちの教育を一手に引き受けてくれている大恩人だ。海賊に身をやつした者たちは総じて最低限の教育すら受けずに大人となっている。いわゆる人の形をした野生児そのものだった。そこで、だ。我慢というものを脳みそ筋肉たちに覚えてもらうべく先生に依頼した。すると意外や意外、船員たちは脳を茹らせながらも、生きるために必要な知識をまなび始めてくれたのである。逃げ出す船員たちもいるにはいるが、忍耐強くこの船の中で青空教室を開いてくれる、教育者としてとても厳格な御仁でもある。しかも教え方がすこぶるうまい。あれだけ算数が苦手だったエースがあっという間に3桁計算まで覚えてしまったほどだ。サボとアンの苦労は何だったのだろうと鼻の奥がつんとするが、礎になったと思いたい。5桁までは望まない。買い物当番の手を煩わせないためにも4桁までは何とか覚えてほしいところである。

 島を追われた理由を詳しく聞いたわけではないが、いわゆる職場で煙たがられた挙句、閑職に追い立てられたのだ。学問を広く普及させるのが先生の夢だが、オハラ崩壊後、限られた一部で独占したいと考える学者も多いのである。

 スペード団は来るもの拒まず去るものを追わずの航海集団だ。そしてどこよりも福利厚生も厚いと言い切れる。対外的にも内外的にも海賊団ではないのだが、海軍からは海賊としてのレッテルを張られてしまったのは辛いところである。(デイハルド)におねだりして、海賊外の称号を作ってもらおうかと本気で考え出したところだ。

 

 魔の三角地帯(フロリアン・トライアングル)を何事もなく抜けたスペード団は、指針を使うことなく遊蛇海流や斬り鮫の群れに遭遇しながらも無事、次の島に辿り着く事が出来た。

 到着後ほっと胸を撫で下ろしたのは、ツヴァイだけでは無い。一番疲労と鬱屈が溜まっているのは測量士のアカシだろう。付け加えてこのところ頻繁にシャボンディ諸島近くで人狩りを行う奴隷船が数多く出いるらしく、長時間に渡り周囲警戒のため気を張りつめていた。

 約2名、不完全燃焼で納得がいかない顔をした人物達がいるが、ツヴァイは副船長として船員の命を優先した。

 無理無茶無謀はいつもの事だ。

 どんなに滅茶苦茶な要求がこようと、判断が間違ってはいないと思えるならば補佐する。

 しかし、だ。

 もうすぐ新世界だと思えば、乗組員達の気持ちも浮どこかついてしまうものであろう。そういう時に引き締めなければ、なにかがあった時に取り返しの着かないことが起る可能性もあった。

 だからこそ、ツヴァイは苦言をあえて提言し続けた。

 それでも霧地帯ではいつ"お化け島"と遭遇しても構わないように、アンがわくわくと待ちかまえていたのは言うまでもない。海水をどうやって切り取って城内に流し込むかを、仮想演習していたくらいだ。副産物として被害者が多数出たことは言うまでもない。アン曰く一度や二度の敗北で引きこもってしまうなど言語道断だし、七武海としての恩恵を受けるだけ受けて仕事をしない彼にもの申したかった、という意見もわかる。だが遭遇するかしないかは時の運だ。

 一帯を何事も無く通過してしまった時の顔は、なんとも言えない。そういう表情も出来るのかというくらい、渋く、影を背負った老年の、凄みのある表情をしていた。そして無言のまま、終ぞ出会う事無く突っ切ってしまった海域へ舵を切りなおし、霧の中に再度突っ込もうとした。彼女を乗組員一同で、必死に止めた様子は簡単に想像出来るだろう。

 前半の終わりを告げる、赤い土の大陸を誰もが感慨深げに見上げる。

 ツヴァイですらも今までの航海の中で、一番疲労を感じた日々だったかもしれない。

 そういう経緯を経て今。

 ようやく一息つける状態になっている今、船員達が船長と親交を深めようと突撃してゆく機会を、止めはしなかった。

 少しは実感として貰えたならば、と願う。

 そうそう途中で寄った食料補給地という名の無人島の森の中で密猟者の罠にかかっていた巨大な猫をエースが助け仲間に加わったのを忘れていた。こたつと名付けられたオオヤマネコはかなり珍しい特殊個体であるらしく、ミハール先生も大興奮していたくらいだ。助けてくれたエースになつき、今や野生をどこかに置き忘れたかのようにさくらに全身を撫でさせつつ腹を出して眠るまでになっている。

 

 この船に乗るすべてはエースと出会い、ようやく自分の居場所を得られたものたちばかりだ。船員には手長族や魚人もいる。故郷を追われ、捨てた者たちもだ。エースやアンは種族や見た目で人を判断しない。それよりも大切なモノを見ている。それも自覚なく、その人物の最も深い部分にある心根や心の持ちようを見つめてくる。

 

 誰にも認めてもらえず、どうすればその気持ちを解消できるのかもわからぬまま、心の奥底でどうしようもない感情をくすぶらせて暴力でしか自己表現できなくなってしまった各々が、自身の根本を見つめて理解してくれる。どうしてふたりを慕わずにいられようか。

 あなた達の存在無くては、もう私たちは立ち行かない、そんな所にまできているのだという事実を。

 クルー全員の愛情を、とくと思い知るといい。

 

 

 

 

 

 エースをはじめとする仲間たちは随分と陽気に騒いだ後、就寝時間を知らせる消灯と共に、ぴたりと静寂の中に沈んだ。構い倒していた船長が寝落ちたからだ。

 月が細く、細かな星屑が満ちる空の下で、アンは見張り台の上に登り瞳を閉じる。

 最初はふたりだった。両親は死去していたが、義祖父やダダン達に育てられた幼少の頃。ふたりだけで完結していた世界にサボが現れ、ルフィが加わる。もちろん盗賊のみんなをはじめ、義祖父や村長、マキノ、村人達も見守ってくれていたが、心の拠り所にできなかった。

 思い返せばいろいろと、そう、語り尽くせないほど、いろいろあった。

 濃い人生を歩んでいる、と我ながら思う。

 

 5歳という低年齢で不確かな物の終着駅(グレイターミナル)に出入りし始め、11歳で海軍へ。17になってからはエースと船に乗って青海を渡っている。

 「ホントに」

 いろいろとあった。

 自分の願いを叶えるためとはいえ、ここまで全力疾走するとはおもわなかった。そして初めてだった。生きることがこんなにも難しいなど、あちらでは全くおもいもしなかったくらいだ。どれだけ社会が熟成し保護されていたかがわかる。

 「たったひとつ、ひとつだけでいいの」

 絶対に変えてみせる。その一存でアンは生きていた。

 

 静かな波にたゆたう船で一夜を明かした翌日は、打ち合わせしていた通り、先発散策組と後発居残り組に分かれてシャボンディに降り立った。

 「出来るだけ大人しくね。無法地帯って言われてるのはここからここまで、海兵がうろついてるのはここら辺で、遊園地とかは大丈夫かな。ただここら辺は世界貴族が買い物に来てるかもしれないから気を付けて」

 全ての船員が集う、朝食争奪戦が繰り広げられる甲板でアンは板に張り付けた地図を示しながら叫んだ。

 今日の朝食は掴みやすい細長のパンに切りこみを入れ、野菜や肉を挟んで食べるサンドイッチバイキングだ。自分の好きな具を詰め込む、この時が一番慌ただしい。アンは調理中の厨房に寄り、自分とさくらの分を先に確保してしまう。そうでもしなければきれいサッパリ、皿の上に何も残らないからだ。パン屋に行って買ってきた150本のバタールだが、ものの数分で跡形もなくなっている事だろう。

 「ちゃんと見ておいてね、特に先発組はしっかりと!」

 この船のみんなは、実は聞いていないようで聞いていて、真剣に聞いていそうな時に限って聞いて無かったりするから判断が難しい。

 真っ白な紙に手書きで描いた、8区域に分かれる島の概要を、船内への入り口へピンで止める。

 アンはこの島を庭と言っていいほど細部まで知っていた。どこら辺が賞金稼ぎの巣になっているのか、海兵が好んで海賊を追い詰める場所はどこなのか。人攫いがどこどこに商品を隠しているのかも大体把握していた。大きく育った根の空間は、良い隠れ場所でもある。下から洞窟のように潜り抜ける道も、何本か実際に使った事があった。

 

 シャボンディ諸島は新世界を目指す海賊にとって、前半の海最後の拠点だ。

 ここで最終積み込みし、コーティングという船全体をこの島で産出されるシャボン成分を使って膜を張り、海底の都へと潜る。

 面白い事に海賊達には暗黙の不文律があった。シャボンディでは"出来るだけ騒ぎを起こさず、この島の内部に居る限りは不可侵を通す"がどの年代、新人玄人等の区別無く、取り決めとされていた。どんなに因縁が深くとも、偉大なる航路(グランドライン)の折り返し地点まで至ったのだ。こんな所で潰しあっても海軍が喜ぶだけだし、奴隷商人たちの横やりもはいった。意外に海賊船の船長は高値が付くのである。それならば取り決め通り新世界に入ってからまた、雌雄を決すれば良い。そうしてそれぞれが牙と爪を研ぎつつ、シャボンディに辿り着いた好敵手同士、牽制し合うのだ。

 

 今朝ニュース・クーが届けた朝刊には、スペード団の記事が大きく出ていた。

 『大物新人、火拳のエース率いるスペード海賊団の船が忽然と姿を消し3日、既にシャボンディに到着しているのか、はたまた魔の三角地帯に捕らわれているのか』とある。

 スペード団の新人(ルーキー)として手配されているのは今のところ、エースと副船長のツヴァイのみだが、前半の海を怒涛の速さで駆け抜けている理由など、特集が組まれた事もあるくらい注目されているようだ。

 中でも王下七武海を蹴ったと言う記事が色付きで出た時が、一番襲撃が多かっただろうか。海軍だけでは無く賞金稼ぎ、同職の海賊までがこぞって名を挙げるために大挙してきた。

 そう言えば、とアンは思う。確か自分にも懸賞金が掛けられていたはずだが、この所、新聞には挟まれなくなっている。自分自身で見ると恥ずかしいのだが、時折帰るフーシャ村では何よりの便りだと喜ばれていた。村長からは小言をたくさん貰うが、それだけ身を案じてくれているのだろう。

 スペード団は潤沢な資金源を保持している為、無益な略奪や殺戮は必要としなかった。時には海流を使って回避し、しつこい船は炎に巻いたり二つ折りなどしながら、ほどほどの戦果を示し海戦の経験値を積み、シャボンディへと辿り着いた。

 懸賞金もまあまあ、の額だ。賞金額のからくりを知っているアンとしては、可もなく不可もなくといったところだろうか。

 一番ではないがルフィはきっと、兄の手配書を見て喜んでいるに違いない。

 

 ここで今までの日々を水の泡にしない為にも、絶対に騒ぎを起こさない事を船員(クルー)達に徹底させる。

 「世界貴族に手を出したら、大将が出張って来る。最悪、CP0っていう天竜人の御用聞きが出張ってくるからね! 絶対にダメだからね⁉」

 エースやアンでも、大将と対決すれば無傷では済まないと忠告しつつ、実はどれくらい自分の力量が上がったのか、試してみたい気もしていた。が、これは皆には言えない秘密だ。大反対されるのは目に見えているし、もし仮に確保なんぞされた日にはエースを筆頭にアン奪還のため海軍本部へ面々が殴りこみにきてしまう。そうなってしまうとまるっと全員が捕虜だ。海兵を甘く見てはいけない。所属年数や適正などによって実力差はあれど、訓練を受け軍事行動の何たるかを叩き込まれた兵たちは普通に強い。スペード団は決して烏合の衆ではないとはいえ、集団戦となるとまだまだ練度は低い。みんなが捕まればアンは従わざるを得なくなる。そうなれば首根っこをさらに掴まれて、こき使われる未来しか見えない。アンは切実に仲間たちへ訴えた。

 

 娯楽施設だけでは無く、東の海から航海を共にしてきた幾人かの船員たちにとっては、壁向こうの珍しい品々を扱う店舗もある。ウォータセブンからそんなに日数は経ってはいないが、貴族達も寄ると言う華を売る高級館もここにはあった。見る物、触る物、何もかもが目を楽しませるだろう。

 ただ一点、世界貴族に関してを除くならば。

 口でいくら注意を促しても、世界貴族がこの島の住人に行う非道な仕打ちを見て、拳を握りながらも我慢できるのは果たして何名いるだろうかと、アンは思う。

 エースはきっと大丈夫。

 いくら頭に血が昇っても、表沙汰になることはしないと確信めいた思いがあった。

 故郷のドーン島でも日常茶飯事であったからだ。壁によって隔てられた内側と外側が生む差別、それがここに、形を変えて存在していると知っている。よくよく考えると世界の縮図そのままだと苦笑が漏れた。

 

 この島の現状を心得ているアンは、口を酸っぱくして何度も言い聞かせる。

 赤い土の大陸(レッドライン)を超えて新世界へ向かう為には、ここシャボンディ諸島で海中を進むためのコーティングをして貰わねばならない。

 海兵時代は聖地を経由し、あちら側にあるG1基地にある船に乗り換えて新世界で任務についていたが、海賊と認識されているスペードの面々が聖地横を通過できる訳もない。それに折角アイスバーグが特別仕様に設えてくれた船をここにおいて行く訳にはいかなかった。向こう側に居る、師匠に今の自分を見て貰いたい。そう願っての手入れだったからだ。

 いつでも暇を作ってくれたら、ご招待すると言ってはいるのだが、

 「ンマー、いつも突然現れておいて良く言う。そうそう都合なんざつけられるか」

 そう言っていつも断られている。市長という役職は意外に、忙しいのだそうだ。

 

 海兵時代にも同じことを伝えていたはずだが、答えは同じだったような気がして笑ってしまった。積もる所、会いたいけれど会えない、片思いの恋愛をしているようなものなのだ。独り立ちした造船技師が、師匠であるとはいえ会えばどうなるか。想像は容易い。世界政府から目をつけられている自分が、トムに会ってしまえばどうなるのかも原因だろう。彼らの目的は設計図であって当人では無い、はずだ。とはいえトムはプルトンの設計図を基礎にして海列車を作っている。詳細を知る存在は、確かに狙われる危険性も高いといえるだろう。

 

 だからアイスバーグは様々な想いを込めて、船に手を入れたとアンは気付いていた。それとなく自分が手がけたのだという形跡を残している。トムもきっと船に施された仕事を見れば、わざわざ口頭で伝えなくとも、アイスバーグが行ったものだと分かるだろう。

 だからここに想いが込められた船を置いて行くなどは論外だった。

 スペード団は、この海駆ける蹄に乗って新世界へ至る。

 

 アンは後発組に出来るだけ早くコーティング職人に来て貰うから、気は逸るだろうが我慢するように言い、その姿を空に浮かせる。最近は船番組に必ずミハール先生とさくらが陣取るようになっていた。副船長であるツヴァイとデュースはエースのお守りで着いて行くことが多い為、結果的に居残り組にアンとさくらが配置される。

 どうしてもアンが船を離れなければならない時は、さくらを囲みながら船員達があたかも、ボディーガードのように守るのだ。

 最近のさくらは船員達のマスコットと化している。

 男でも女でもない性別を持つ存在は、どうやらその顔だちと性格のお陰で多くの人物に対し保護欲を刺激するらしい。そこにこたつが加わり、なんだかよくわからない萌えの威力が加わった。使えるものは使わないと損だと、教えたのがいけなかったのか。

 さくらもその日の気分で、衣類を替え、日々を楽しんでいるようではある。

 

 

 ヤルキマンマングローブ木の根が陸地を形成するその上を往く。エースを初めとした先発隊に手を振ってから、アンは器用にシャボンの上を跳ねた。

 その姿はふたつ名が示す通り、軽やかに空を舞っているように見える。

 地面から浮かび上がるシャボンは、島を形成するマングローブの根から分泌される樹液だ。島を形成する特殊な環境が、幻想的なシャボンがふわりと空に浮く景色を作りだしている。

 弾力性に富んだシャボンには乗る事や、中に入る事が出来た。

 ただ空高くに覆い茂る枝葉より上ではシャボンが形を保っていられない。パン、と割れて空に散ってしまう。

 アンの姿を見て、幾人かが自分も、と挑戦してみる。

 確かに乗る事は出来た。だがシャボンは円形をしており、すぐに体重のかけ方によって傾斜を変え、下へ落ちてしまう。

 「おもしれェ!」

 コツを掴み、乗れたのはエースだけだ。

 テンガロンハットに手を添え、次々と上へと登ってゆく。

 どこまでいけるのか試してみれば、緑の葉が途切れ、青の空が見えた辺りで、シャボンがどんどんと割れた。落下しつつ次の足場へと跳び、陸地へと降り立つ。

 にこやかに笑んだ顔は堪能した証だ。

 「よし、行こうぜ。なあ、ツヴァイ。まずはどこに遊びに行く?デュースも小説書くなら遊園地に一緒に行こうな!」

 アンが描いた地図を手にしていた副船長に問いかけながら、エースは歩きはじめる。はてさて、今回の物語はちゃんと読み物になれるだろうか。詩集的なこの前の、トライアングル通過時の物語はとても面白かった。先生もこれは冒険記ではないが、詩としてならなんとか見られると評価してくれたのだ。

 

 

 鼻歌が自然に漏れる。アンがまず手始めに向かったのは、海軍本部の駐屯地がある地区だった。ロブ・ルッチから面白い話を、また共に仕事をする機会があるかもしれない、と聞いたからだ。その真相をまずは確かめに行く。

 海兵になった初年度からこの島には何度も訪れていた。正義のコートを肩にかけていた時は誰もが親しげに声をかけて来たものだが、ほんの少し印象を変えるだけでこうも気付かれないものだと内心、吃驚する程だ。

 

 (はいはい、エース、ボンチャリは買わない。この島を出たらほぼ使い物にならないんだから。使えて魚人島位だけれど、長期滞在はしないんでしょう?)

 

 面白いものには目が無い半身に、苦笑しながらもかつて歩いた道を迷いなく進んでゆく。時折海兵が通りすぎるが、本部所属の精鋭達は誰も気付かずにアンの横をすれ違った。

 少しは気付いて欲しかったなぁという寂しさと、案外気付かないものなのだという密かな落胆と優越という気持ちが感情の天秤を揺らしながら、目的の場所へと到着した。

 スペード団が船舶を係留したのが、48番GR。観光地とされているが比較的閑静な住宅街が広がる地区だ。そこから50番台を抜け、60へと至る。エース達一行は中央を抜け30番台に移動し、シャボンディパークでいろいろと楽しんでいるようだった。

 観覧車やジェットコースター、話にだけ聞いていた乗りモノがここにはある。

 試し乗りしたいと飛びつくのも分かった。

 

 「こんにちは、ごきげんよう、お邪魔します」

 駐屯地にてくてくとおくび無く普通に入って行けば、誰に止められずに中まで入れてしまった。

 「……これはこれで、警備が問題視されそうな気がするんだけれど」

 アンは周囲を観察しながらゆっくりと奥へと進む。その口元には笑みがあった。

 実は思い付きをためしていたのだ。

 そもそも見聞色、とは相手の気配を感じ取り、思考を先読みや相手の位置確認が出来る。普段は聞こえない心の声、自身さえも気づかない感情を読み取る能力ともいえるだろう。

 ならば反対に己が発する垂れ流しの声を出来るだけ小さくし、可能であれば完全沈黙させればどうなるのだろう。と思った訳だ。見聞色同士では能力が高いほうが読み取りは早い。だから読まれないために極力心の声を絞る訓練をアンは毎日、今でも繰り返している。船で試した時には、エースによってことごとく邪魔されたため、思うような実験が出来なかった。そもそも放つことがどちらの色も基本である。それをひっこめるなど誰もやっていなかったのだ。

 ここ駐屯地であれば思う存分、能力を使っても誰に止められる事もない。

 そうして得た結果は良好だった。

 

 駐屯地の長は1年から2年が最長、早ければ半年ほどで入れ替わる。配属されている海兵達は3カ月を過ぎた頃、ある一定人数づつ、交代要員がやってくると言う仕組みだ。

 他の駐屯地、例えば東の海で偉大なる航路(グランドライン)の入り口にある、ローグタウンでは最低3年はその地へ縛られる。理由として挙げられるのは、余りにも短すぎれば統率する本部が慌ただしく、またその地で一定期間留まる事によって強まる各支部との繋がりを重視したからだ。その反面、癒着も生まれるがそこはそこ、おつるによって組まれた特別チームが毎年、抜き打ちを行っている為、以前よりはましにはなっていた。

 それは全世界各地にある総支部と、各駐屯地の中から10か所、ランダムに決められる。

 派遣されるチームも、どの方向へ向かうかは教えられるが、どこに行くかは到着するまでは知らないと言う徹底ぶりだ。しかも本隊では無いと見せかけた、分隊が実は、監査の本元だという面白い展開となる場合もあった。監査部隊は不要の時間を与えず、寝込みを襲うかの如く、襲来する。

 

 東の海では賄賂によって見逃されている幾つかの支部を見つけていた。

 機会があれば、もしマリンフォードに再び行く事が出来たならば、こっそりとおつるへその旨を伝えてもいいかもしれない。

 

 アンは来る途中に拾っておいた、幾つかの小石をポケットから手のひらに握りしめた。目の前には、海軍本部シャボンディ諸島駐屯地司令室がある。

 中にはたったひとりしかいない。

 ちょっとした悪戯だった。小石に意識を集中し、中に居る人物の頭上へと転移させる。すると小石は重力に従って、その人物へと落下するだろう。

 

 本当にちょっとしたお遊びだった。

 しかし、石を丁度、相手の頭上に具現化させたところで、扉の向こうから何かが飛んで来るのを察知する。片腕を支点に、ころりと前屈すれば次の瞬間、扉が木っ端微塵に吹き飛んだ。

 「うわぁ…」

 アンは目をぱちくりと開き、余りの惨状に声を出してしまった。蝶番まで見事に、おれまがっている。

 中に居る人物はよく知っていた。これくらいの悪戯では、うんともすんとも動かないだろうはずの、温和な人物なはずだ。

 シャボンディに駐屯している間に、ストレスで性格が少しばかり凶暴になっている、とか、だろうか。

 アンはそんな事を思いながらそっと、ドアの向こう側を覗きこんでみる。

 「いたずらにしては程度がよくないな、ポートガス?」

 降ってきた声は、紛れも無く頭上からだ。

 「モモンガ中将、お久しぶりです」

 アンは以前は無かった目の下のくまを発見する。真上を見上げていた首に手をあててにっこりとほほ笑んだ。

 見聞色を怠った訳ではない。

 しかし余り機嫌の良く無い視線を刺してくる中将の顔は、記憶の中にあるものとは違っていた。

 「お疲れ、ですねぇ」

 「誰かさんの尻拭いでな」

 隠さない感情に、さっくりとアンは貫かれた。無理やり出てきたのは、認めざるを得ないからだ。

 そのあと肩たたきをしながら、半年前から現在に至るまでの経緯を聞くこととなる。

 ぶっちゃけると、中将の愚痴だらけだった。

 ここに在籍している誰もが過度のストレスを抱えている為、最高責任者が酒を飲みながら愚痴をこぼすなど、出来る雰囲気でもないらしい。

 中将が抱える一番のストレスは、『家に帰れない事』だ。

 本部からシャボンディまで高速船を使えば数時間の距離なのだが、休暇であってもこの島から出る事が出来ないのだと言う。

 モモンガ中将は、愛妻家で有名だ。その中将が、半年も家に帰れずここ、シャボンディに縛り付けられている。細君が時折、子供達を連れてやってくるらしいのだが、買い物へ出かける時など、気が気ではないと言った。

 「…確かにお綺麗な方、ですもんね」

 「天竜人が来ている日などは何度、肝が冷えたことか」

 中将の言に、声がかすれる。

 ちなみに昨日まで世界貴族が滞在していたらしく、まったく仮家にすら帰れなかったのだそうだ。

 

 話は進み、アンに対する世界政府の方針が語られた。

 はっきりと言って、にわかには信じられなかった。なぜなら条件が余りにも良すぎたからだ。裏にある真意をはかりかねた。

 無いわけが無い。有って普通なのだ。無いなど、天地がひっくり返る前触れかと訝しんでしまう。

 あり得ない。

 交渉の読み合いにおいて、五老星はアンの何枚も上をゆく老獪(ろうかい)たちである。

 「いや、深く読みすぎなのかな。でもなぁ、あの人達が搦め手をしてこない訳が無いしなぁ」

 とりあえずは現政府に対し、アンは敵対しない、という態度をとった。父が立てたうねりは重なり渦を巻き始めている。だがまだそれほどではない。さらなるしぶきを加えないために妥協したのだろうか。それともアンの真意にたどり着いて報いた、のだろうか。

 わからない。わかろうはずもない、世界を平らに保持し続けてきた彼らの真相など、分かりたくもなかった。

 

 全てを信じる事は出来ないが、こちら側からちょっかいを出さなければ向こうからも余計な手出しはしてこない。という意思表示なのだろう。これぞまさしくスープの冷めない距離の関係、というやつだ。

 ただアンが思うに、上手に立ち位置を修正された感がありありとしていた。

 海賊船に乗ってはいるが、いまだにポートガス・D・アンは海軍に所属したままだ。

 だが七武海ではない。政府の狗として飼われている立場で無いが、政府の機関に堂々と入れる権限を付与されていた。

 一体お前は何者なのだと聞く者がいたとしたならば、なんと答えるのが適当だろうか。

 ともかく、五老星はアンの条件を飲んだ。彼らの背後にある存在からの監視は強化されていそうではあるが、こればかりはどうしようもない。

 

 ……どうやらひと悶着、あったらしい。

 なにやらちょっとだけ騒がしくなっているのは遊園地だろうか。

 「中将、つかぬことをお聞きしますがイスカ少尉ってこちらの部隊ですか」

 「いや違うな。引き抜きか」

 にやりと意味深に笑むモモンガに、いやいや違いますとアンは否定する。なにやらエースとツヴァイとデュースとイスカの4人でわちゃわちゃとしているのがすごく気になって仕方がない。

 「ドロウ中将の部隊だな、確か」

 簡易名簿を取り出し、モモンガは眉をはねた。

 南の海を管轄している中将の名をアンはすぐさま思い出す。正義の名のもとに、が彼の掲げる正義だ。はっきり言ってどんな人物であったか思い出せないくらい影の薄い人だった気がする。

 「気にかけておこう」

 「よろしくお願いします」

 肩を揉みながらアンは、破砕されたドアの向こう側から覗き込んできた顔見知りの海兵ににっこりと笑む。

 

  今やアンに唯一、命令を下す事の出来る人物は政府内だけでは無く、加盟国の王達にもその名を轟かせはじめている。変わり者の天竜人がたったひとりだけならば孤立もするが、ふたりともなればさすがに天高き赤の大地に住まうことを決断せざるを得なかった、19の王族たちも変化せざるを得なくなってきているのかもしれない。

 アン自身も公式では未だに海軍所属であるため、式典や何らかの護衛任務には必ず、呼ばれるだろう。嫌な予感が、間違いなくひしひしとする。

 その時に世界政府が、排除すべき側にも含まれている自身(アン)をどのように説明するのかが楽しみにも思える。

 

 「ポートガス、2日ほどこの椅子に座ってみないか」

 そこをもう少し強めに、という注文を受けながらアンは丁重にお断りする。手伝いならばやぶさかではないが、座るのは勘弁したい。

 意図はみえみえだ。

 「随分と治安が良くなっているじゃないですか。さすが中将、目の光らせどころが違うんですね。わたしなんかが座るには、荷が重すぎます」

 そう模範解答するアンに、モモンガは鼻で笑った。

 「抜かせ…この諸島に限るならば、天竜人と同等の扱いを受けているお前に言われたくはないわ」

 固く張った肩をほぐしながらアンが眉を八の字にして苦笑すれば、首元に巻かれた天然石が小さく音を立てる。

 

 どういう手回しがされているのか、4か月とはいえ青海にて自由気ままに日々を楽しんでいたアンには解らないが、ポートガス・D・アンの名は、まだ海軍名簿に載っているのだという。

 しかも階級が中将(仮)となっているのだそうだ。

 「センゴクおじさんってば、未だにおじいちゃんとわたしを入れ替える気、満々ってことですよね」

 「そうだろうな。実力的もこの半年で随分と伸ばしていると聞いている」

 監視船が時折遠くからこちらを見ているなぁとか、立ち寄った町で視線をいっぱい感じるなぁという事が多々あったのだが、その全てが海軍ないし、CPだったと言うことなのだろう。

 「お前に掛けられている懸賞金に関してだがな…」

 継続はされているらしい。だが手を出してくる事は、まず無いだろう、とのこと。

 喧嘩を売るか否かは、それぞれの艦を指揮する長が取り決める事になっている。

 だがガープをはじめ、3名の大将と、その息がかかっている将校に関しては、アンの身に限っては手を出すべからずという暗黙の了解が取り交わされている、らしい。

 

 「サカズキ大将が発起人だ、と聞くと意外かな」

 「反対に納得、しちゃいます」

 

 どこまでも甘い。

 あの強面の顔が、気を許した相手には優しげに笑むのをアンは知っている。

 だから同時にくすぐったかった。そして、苦しかった。

 

 「だがな、ポートガス。お前が乗る船は別だぞ」

 モモンガが引き出しを開け、取り出した手配書には良く知る面々が数名ずらりと並んでいた。

 「あら豪華に飾っていただいて申し訳ないくらいです。……てかこのアングルどこから撮ったんだろう」

 「まったくだ。お前の事だから知らずに乗せたわけではないだろうが」

 いえ、知りませんでした。

 などとは言えない仲間の顔に、愛想笑いでなんとか誤魔化す。

 「あ、でも中将。わたしが矢面に出た場合は…」

 どうなるのかと言葉を続ける前に、それ以上は言ってくれるなというモモンガの気配に、アンは黙って肩のしこりを押した。

 


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