コーティング終了までの3日間。
さてそれを繁華街にいる仲間達にどう伝えようかとアンは考える。電伝虫を持って行ったのがツヴァイだけだったからだ。仲間達の現在地を確認すれば、それぞれが自由に行動しているのが分かった。全員に会いに行けば一番確実だろうが、この島では出来るだけ大人しくしておきたい事情がある。仮眠はさせてもらえたものの夜番の眠気が勝ちすぎているというのも理由の一つだが予定外の、とってもよい運動をさせてもらえたため全員を回るとなればアンの体力が途中で尽きかねない。ここで捕まったが最後、聖地に強制連行されたのちの監禁は免れないだろう。
船に残っている面々にはレイリーへ伝言をお願いしていた。彼の作業を邪魔しない為にも、全員が島内で適当に遊び回っていた方が良いからだ。
問題は落ち合う場所だった。
そろそろ時効としてもいい案件だとは思うのだが、レイリーは今現在も世界政府から賞金を掛け続けられているお尋ね者だ。海賊の首には時効が無い。よって父が旗揚げしていた海賊団がすでに解体されていたとしても、現状維持のまま保持され続ける。時効という概念がないのだ。死亡以外の失効もありえない。
『生ける伝説』と海軍上層部で異名をとる人物に手を出す、血気盛んなおろか者は無役の海兵に存在しないと信じたいが、全くゼロではないはずだ。
ひっそりと一般人として暮らしているレイリーに双子がコンタクトすることこそが一番迷惑をかけてしまうとも思ったのだが、確実に海の底へ安全に潜るためには接触せざるを得なかった。
現在地から離れた場所で仕事をする。
そうレイリーは言っていた。その為、居場所が分かるようにとビブルカードを貰ったが、保管するのはアンだ。
「まじか、ちっせェ。だめだ、アン。おれ、無くしちまう。ん」
エースが問答無用に渡してきた。
盃を交わした兄弟の中で紛失王という不名誉な栄冠をぶっちぎりで手にしたのはルフィだったが、負けず劣らずエースも、あれ、どこやったっけ。とサボやアンにいつも捜索の打診を頼んできた失くしもの常習犯だ。
弟には大切なモノは絶対に必ず麦わら帽子に縫いつけることと約束し、エースとは出来るだけサボもしくはアンに手渡し保管することになり、以降ずっとそれが続いている。決して整理整頓が出来ないわけではない。紛れ込ませてしまうだけだ、とは本人談である。
「エース、気をつけてね。見張りがそろそろ目視圏内に入るよ」
アンの言葉は疑う余地のない確実性であった。
シャボンディでは新世界へ向かう海賊対策として、その年のルーキーに絞って監視を放つのだ。特に注目される人物には特別に、法の島で鍛え抜かれた精鋭の諜報員たちが張り付く。
しかも今現在、この島に駐屯しているのはモモンガ中将という武装色の使い手である剣士だ。アンとも親しくしていた間柄であるが故に能力も知っている。海軍内にあれば心強い戦力だが、外にあればいかに危険であるかも、だ。
もし彼が人員を率いて抑えに来たならどうなるか。
「そいつ、強いのか」
脳内でシミュレーションしていると、面白そうに覗きこんでくるエースの横顔が視野に入る。
「青海ではかなりね。なんと言っても凪地帯にある、九蛇のお姫様へ使者として派遣されるくらいだから」
マリンフォードからアマゾンリリーまでガレオンであっても丸5日ほどはかかる。途中インペルダウン近郊海域を通るのだが、そこに海獣の巣がありうまく通り抜けられる船は少なかった。とはいえルスカイナまで至れば即目の前なので危険度は中の中といったところか。
カウンターの席で足をぶらつかせながら、滞在時に気を付けなければならない幾つかの注意点をあげてゆく。
レイリーも懐かしい名を耳に挟みながら、支度をすすめていた。
「どんな奴か見てこようかなぁ、とか止めてね」
「あのな……」
「図星でしょ?」
にんまりと笑むアンに、エースはぷくりと頬を膨らませる。その様子はわがままを聞いて貰えなかった幼子のようだ。武装色の使い手なので見るだけならば、わざわざ人員を割いて捕縛に向かってくることはないだろう。しかし接触してしまったならば海兵の職分として切り結ぶ必要も出てくる。エースをはじめとした幾人はうまく逃げ切るだろうが、問題はさくらだ。あの子の絶対記憶は中央、特に老獪たちが欲して止まない能力なのである。知られてはならない。
「エースはこれからどうする?」
「ん。適当にうろつく」
そう?
アンは素っ気なく返答するが、実はこの"適当"こそが存外に曲者だとアンは知っていた。
「アンはどうするんだよ」
「んー、どうしようか」
まずはツヴァイに予定を伝え、滞在中に何かあった時の為の連絡先に繋ぎをつけておかねばならないだろう。商会の支部がここにもあったはずだ。さくらを軸に、いつもの布陣をひけば対応は可能と踏む。有象無象に見えてスペード団の面々はかなり強固な守備陣形を展開させるのだとウォータセブンで実証されていた。
「最近、シャンクスに会って無いし、行って来ようかな」
「ひとりで行く気、満々だな?」
それならエースも一緒に来る? 穏やかに笑むアンに、さてどうしようか、とエースがテーブルに肘をつき、口角を上げた。誰が見ても何かを企んでいる顔にしか見えない。
「うわぁ、嫌な笑顔。エースの企みなんてすぐ露見するんだから吐いちゃえ?」
そのやり取りにシャッキーがにっこりと笑む。
ふたりは双子であるという。
長男の相貌はかの人物と親子らしい類似点がある。だが娘のほうは性別が違う為か、余り似ていないようにもおもえた。父親であるロジャーの成分があまり入っていない。母親似なのだろう。性格的な視点から見ればガープ寄りなのかとおもいきや、こちらも似ていない。海軍の将校であるガープが赤子を船に乗せたまま仕事をするはずもなく。となれば里親に似たのか。子供は生みの親より育ての親の影響を色濃く受けると聞くが、どうなのだろう。興味が尽きない。
しかしその本質は、ロジャーを彷彿させる。先ほどの会話が良い例だ。
このふたりが親の話をしない限り、出生が公になることはない。
ロジャーがなにをみて好敵手、ガープに子供らを託したのかは本人しか分からない。
かつて自身の過去を余り話さなかったロジャーが、オーロ・ジャクソンに集った仲間を見ながら、大勢はいいと、心底そう思っているのだという顔をしてつぶやいていた言葉を思い出す。
ひとりよりふたりのがいいよなァ。
なんの事を言っているのか当時は解らなかったが、今を見据えて発言していたとすれば、先見の明をもっていたとなる。だがここまで見抜いていたとするならば、予知としたほうが納得できた。
万物の声を聞けた彼だったが肝心な要についてはいくつかぼかしたまま逝っている。知り得た未来についても知るのがちと早過ぎたと語り、次世代に託すとあっさりと言い放った。今見た、聞いて知ったこれらをひっくるめて、『なあにすぐだ。世界中の全てを含み余して丸く収めるヤツらがそろい始めている』
「それまでは高みの見物としゃれこむ、か」
相棒の言葉を踏襲しながらレイリーは思う。
今日は良く、相棒の言葉を思い出す日、だと。
このふたりを通したその先で、ロジャーが面白そうに眺めながら座しているかのようだ。
否、彼はきっとそこにいるのだろう。
「なぁ、おっさん」
船のありかを聞き、コーティングの道具を背負った彼へエースが声をかける。
何かと振り向けば数秒間の沈黙の後、意を決めたように「あの麦わら帽子知ってるだろ、くそお…っ父さんの」
最後の辺りは口ごもって聞こえ辛かったが、確かに耳に届く。
「ああ」
「弟が今、被ってんだ。まあそういう事だから、頼むよ」
アンは吃驚した。おもわずぱっかーんと口がひらっきっぱなしになってしまった。
今まで父を父と呼んだことの無いエースが、父と生死を何度も潜り抜けてきた相棒に、その言葉を向けるとは思わなかったのだ。シャンクスと話していた時と同じくいつものようにくそったれ、良くてあいつ、と云うのだと、てっきりそう言うのだとばかり決め込んでいた。
なぜか無性に嬉しさがこみ上げてくる。シャンクスの所で耳にタコができるくらい父の話を語って貰った効果が出つつあるのかもしれない。
そうしてもうひとつはルフィに関してだった。
弟の事を頼むだろう事は予想範囲内だ。
重いのは重々わかっている。
エースに台詞を取られてしまったのにはくやしいが、どちらが言っても結果は同じ。シルバーズ・レイリーという人物の記憶に、弟の存在をほんの少しでもいい。残せたなら幸いだ。それはきっと近い未来、ルフィの助けとなる。
3年後、弟は仲間を集め心を重ね合わせ、ときにぶつかり傷つきあいながら旅をし、親友という名の絆でつながった幾人とここに至るだろう。
そして自分たちと同じようにこの島を経て魚人島へ、そして新世界へ辿り着く。その時にはきっと、アンは傍にいてあげられない。ゆっくりと目を瞑る。
それでもエースさえいてくれたら、少しは支えになってくれるだろう。エースとサボのふたりが、生まれる前からたくさんの希望と絶望をその背に託されてしまった弟の軌跡をしっかりと見届けてくれるなら。
それでいい、とも思った。
「シャンクスもこの前、と言っても7年ほど前だが、そういえばこの島でばったりと会った時に言っていたな」
東の海にロジャーと同じ事を言う子供が居る、と。そうしてトレードマークにしていた麦わら帽子と、左腕を無くしていた。
続いた言葉に、アンは待ったをかける。
「……、レイさん、それ、待って?」
「どうかしたかね」
「レイリー、腕がどうしたって、もう一度言って欲しい」
アンは愛称では無く、彼の名をしかと発音する。
聞こえた言葉を肯定したくはなかったが、父がかつて相棒と呼び信頼した男が嘘をつく訳も無い。だが、確認しない訳にはいかなかった。
アンの動揺はエースにも伝わっている。心臓の音がうるさかった。
レイリーはゆっくりともう一度、真実を口にする。
「…なんで、どうして…」
アンは思わず問いかける。彼の腕が失われていたなど、今までの邂逅でこれっぽっちも気づかなかった。何度もその体に触れていた。抱っこもしてもらっていたし、手も握っていたのに、なぜわからなかったのだろう。
知らなかった、では済まされない。シャンクスはもう少し先の未来で、様々な人々が交わる思惑の狭間を縫い大きなうねりの中から、突如姿を現す大魔王のごとく、その大きな力を揮ってルフィへ最後の問いを突きつける役目を背負っている。ルフィは悪魔の実の事実を知り、この世界の絶望的な状況を突き付けられるだろう。それでも本能的にあの子は仲間とともに選択し踏み出してゆく。
片腕では、耐えられないかもしれない。どちらにも無事でいてほしくて、あの日、アンは世界の制止を振り切って未来改変に挑んだ。
唇を噛み、席を立つ。感じていた眠気など吹き飛んでしまった。
助けたと思っていた。幼い時からずっと、そう信じていた。かえられない未来は無いのだと自信を付けた出来ごとだった。悪夢を覆したと息巻いていたのは何だったのかと奥歯をかみしめる。
全て上手くいっていると、思いこんでそのままにしていた。
シャンクスの
訓練で何度も船に訪れていたのに。
その時どうシャンクスは動いていたのか、思い返してみるが、記憶にまったくなかった。
なぜ気付けないでいた。
どうして言って貰えなかったのか。それだけシャンクスの偽装が完璧だったのだろう。そういえばシャンクスと一緒に海に飛び込んだあの日、ルフィがずっとシャンクスの腕を気にしていた。
目覚めた時、彼の腕には確か、包帯が巻かれていたはずだ。
何事も無いと言っていた。それをアンは信じたのだ。疑うこともせず、言葉通りに頷いた。シャンクスが嘘を言うはずがないと。
様々な記憶が再生される。
あの時、鷹の目と出会った時、彼はなんと言っていただろう。
ふたりが好敵手であると聞き、鷹の目、という男に興味を持って何度か定期連絡にかこつけて顔を見に行ってみた。ひょっこりと顔を見せる幼い少女に最初は無視を決め込んでいたミホークだったが、無視すればするほど近寄ってくるのだと知ってからは、適当に相手をしてくれるようになっていた。
海軍に所属して何年か経ったある日、最近はシャンクスと遊んでいないようだけれど、何かあったのかと尋ねた事があったはずだ。
興味が失せた。
たった一言、彼は言った。
何度も何度も、気付ける情報があった。
なのにその全てを取りこぼしていた。
うかつ。
その一言に尽きる。
「…エース、悪い。ちょっと出かけてくるね」
行き先は口に出さなくても見当が付いているのだろう。わかった、と一言頷く。
既にコーティングはレイリーが引き受けてくれている。大丈夫。仲間の、みんなの海中航海の安全はすでに確保できている。間違いなくリュウグウ王国へ至れるだろう。
出来上がるのはどんなに早くても3日かかるのならばその間を使って、思う存分感情をぶつけてくればいい。それまでの間、みんなでどこかのグローブでまとめて宿をとっても良し、バラバラに潜伏するでも構わなかった。きっと仲間達もアンの個人行動に関して、理由を掻い摘んで話せば理解を示してくるはずだ。
希少な女性陣と買い物をする約束をしていたはずだが、理由を話せばきっと、飲み込んでくれるだろう。
心中の混乱は洩れなく伝わってくる。今回ばかりは文句も出ないのでは無かろうかとエースはおもった。埋め合わせに関しても、アンであればそつなく行うだろう。
姿を一瞬で消したアンに続き、レイリーも3日後に、と扉を開けて出てゆく。
その背にいつものように、行ってらっしゃい、と女主人が声をかければレイリーも軽く手をあげて応えた。
「シャッキー、ごちそうさまでした。また来てもいいかな」
仲間も連れて。
「ええ、いいわよ。ポートガスちゃんたちならいつでも歓迎するわ」
そうしてぼったくりBSRはしばしの休息を得る。
夕日が水平線に身を沈め、金の光を放射線状に空や海に放っている。今日という日もこれで終わりかと思いきや、予定の無い来客が訪れた。
それは良く見知った気配だった。
「…よく来たな」
シャンクスは後方へ首を少し向け、視線の先に立つそれへと向ける。
同時に生まれた彼は大きく成長したのに比べ、突如として現れたこの存在は、育つ栄養を奪われたかのようにこじんまりとしていた。
人の世界の中にあっても、小さい、と言われる部類だろう。黒の髪を時折、強く吹く潮風に乱されながら、それはいつも突然やってくる。
肩越しに見る顔は、不機嫌だった。それに最近はシャンクスであっても解ききるのに多少の時間がかかり始めた見聞の練度に、見事な成長だと拍手を送っていたものだが。
「どうした。だだ漏れだぞ」
「隠す、必要なんてないもの」
わざとそうしているのだと、座った目線でじっと背を刺した。
続けて欲しいと願っている言葉をあえて外し、笑みをシャンクスは形作る。
何十秒。何分。
アンの来訪を知った
女を船員として乗せた事の無い赤髪の頭が、例外的にこの船に誘った人物だと知っているからだ。瞬間移動など便利すぎる異能持ちである。
その中でひとり、シャンクスが頭を張るレッドフォースで長年、副船長を務めるベックマンがわざと足音を軋ませながら近づいてきた。
アンもそれは重々承知していた。そして己が行う行為に対し、ベックマンが取るだろう行動も、把握している。
それは瞬間だった。
シャンクスは隠す事無く、意識が向けられていた左腕へ向けられた足の振り抜きを軽く身をよじって避けた。そうすれば自動的に自身を見ていた弟子と視線を合わせる事となる。
その後方には歩みを止め、煙草を銜えたまま楽しそうに、傍観する気満々のベックマンが到着していた。
一応その手のひらを黒髪の頂きに置き、抑止としているが、止める気はさらさらないとその表情に浮かべている。
「なあベック、アンに襲われる原因が思い当たらないんだが、何か知らないか」
「…さあて。お頭の胸ん中にいくつもあるたァ、思うが言及は避けておきましょうか」
それは質問の答えになっていない。
薄く笑みどう応えようか考えながら、ふいとシャンクスはその目に湛えた大きな珠に気付いた。
「なぜ、言ってくれなかったの」
「……言ってどうなる」
赤い髪の男が放つ声音は柔らかかった。
船の仲間とじゃれている時とも、稽古をつけている時とも、戦いの最中にある時とも違う。
上手く隠し通していたのに、今更、どうして気付いたのかと探れば、それすら感情を抑制出来ないのか、答えが示されていた。
「そうか、レイリーさんと会えたのか」
アンがここまで感情を顕わにするのは珍しい。この船の古株ならば誰もが知っている。
幼かった頃、フーシャ村で弟の面倒を良く見ていた姉としての姿を見ていた者らであれば、余計にだ。表情をころころと良く替えはするが、その感情は静けさを保ったまま、荒れる事は少なかった。
それが今、自分の事のように赤髪の、使わなくなって久しい手のひらを取り、額に当てて声無くほろほろと涙をこぼしている。
アンとて解っていた。
当時、腕が使い物にならないと言われた所で、アンにはどうする事も出来なかっただろう。医者でも、今のようにその体を支えられる背丈も無く、シャンクスにとってみればただの足手まといの子供に過ぎなかったのだ。
「ルフィは、知ってたのね」
「…ああ」
嘘をつくのが苦手な、それこそ隠し事が出来ない体だと言っても過言ではないルフィですら、アンに悟られないよう内に秘め通し隠しきった。
レッドフォースに乗るみんなもそうだ。
「ベックマンのばか。シャンクスのあほう、ライムの嘘つき、ルウなんて……」
こういう優しさは、欲しくなかった。
止まらない涙を隠そうともせず頬を膨らませたアンに、シャンクスが声をあげて笑う。ベックマンも無言ながら、出したばかりの煙草を手に両の口角を上にあげている。嘘つき呼ばわりされたライムジュースも降参とばかりに両手をあげていた。ルウは言葉の続きをそわそわと待っている。
「なによう」
「いいや、なんでもねェよ」
ベックマンはじゃれ合い始めたふたりを見ながら、煙草をくわえ直す。その図はまるで幼女をかどわかすいけない大人の見本であるかのようだ。ようやく感情の整理がつきはじめたのかアンが袖口で目元をぬぐっている。
ベックマンがライターはどこに入れたかと探っていれば、その先へ、アンが指を弾くと火が灯った。
「まぁたおもしれェ事覚えたんだな、お前」
「ちょと、シャンクス重い、種も仕掛けもあるに決まってるでしょ!エースの火種があるんだから、わたしもほんの少しだけってどこ触ってるの! こそばゆいからやめってって言ってるのに!なにそれ動いてるじゃない、動かないなんて本当は嘘なんじゃないの、それ動かないって言わないし!」
一触即発が起るかとにやけて賭博の準備をしていた外野の輪が崩れはじめる。和解をしたなら賭け事はなしだ。
ただならぬ気配を発していたアンのとげとげしさはもう無い。
ベックマンは最近はなりをひそめていた、シャンクスの破天荒さがアンの来訪と同時に再発するだろうと予想し、側を通った幾人にか指示を飛ばしておく。
「ああもう、心配して損したっ。シャンクスなんか、ルフィにぼこぼこのべこんべこんにされたらいいんだ!」
シャンクスのバカ、あほ、大魔王、鬼! 近づくな!
本人は面倒で邪魔にしかならないと言ってはばからないが、島ひとつくらいであれば簡単に崩壊させてしまえる実力を持つ四皇の称号を得ている赤髪に面と向かって、バカだのあほだの、ついでに大魔王などと言い放てるのは、後にも先にもアンしかいないに違いない。
ベックマンは頭の行動が意図的であると解っていた。
あんなにもざわついていた周囲が、今はもう穏やかに落ちついている。
「多少抜けている方が船員たちの励みにもなるのさ」
フーシャ村に滞在していた時のようにはしゃぎまわるふたりを掴み、ベックマンは苦笑する。
「左腕の形そのままが残っている。本当ならば食いちぎられていたのだろう?」
「…うん、そうだとおもう」
アンの答えは曖昧だった。それはそうだろう。現状、頭の腕はここにあり、食海獣の腹の中に納まってはいない。
小舟でみっつの姿を迎えに出たあの時の情景を思い出しながら、紫煙を空に向かって吐く。
気にしたって仕方がねェだろ。
アンの体がぐいっと持ちあげられる。シャンクスに抱っこされるなど、いつ振りだろうか。もう子供では無いからと下りたいと願っても、きっと無理矢理、何度も抱き上げられるだろうと観念する。
シャンクスも諦めたと解れば、拘束を緩めた。
「なに、ルフィの命と比べれば安い代価さ。ちゃんと助けられたんだ。剣は握れなくとも、こうやって抱き上げられるくらいの力はまだあるんだ」
海を渡り、海賊を続けてゆくにも何ら支障はない。
言葉通りの想いに、アンも苦笑する。
それはそうと、体調はどうだ、変わったところは無いか、と反対にアンは質問されてしまった。
「いや別に。何もないけれど…どうして?」
「無ければいい。だがもしも、何か起きればすぐ来い。解ったな」
「あ、うん」
有無を言わせぬ表情と声に、どもりながらも頷かされてしまう。
なにかって、何かが起こるかもしれないと。何かを知っているような素振りを見せている。だが現状では何かは明かされない。起らなければ知る必要の無いものだと、言いながらそれが来ない事を切に願っているようでもある。
「解った。ちゃんと来る。だから心配しないで」
アンは素直に笑んだ。
「ところでシャンクス、ちょっとした相談事があるんだけれど。いいかな」
ああ、勿論良いぜ。言ってみろよ。
ベックマンはにやりと笑むお頭に、さて帆の向きをいつでも変えられるよう準備をしておくかと背を向けた。