それは予感では無く確信だった。
懸賞金の増額は避けられない。出来ればもう少しそっとして欲しかった。それがまごうなき本音ではある。
事を構えている相手が同じ家業に分類される船ならば、なにも問題はなかった。いつものようにお帰り頂ければ良いだけの話だ。しかし今回は違う。運が悪かった、とするのはどちら側だろうか。
揺れる旗は白地に青の文字が描かれているもの。そう、世界政府直下、海軍の|旗幟≪きし≫だ。
世界各地に支部を設置しているとはいえ、海兵に志願する若者の数は減少傾向にある。だが海賊は有象無象に増殖し続けていた。取り締まる数である分母より捕らえる数である分子の膨張が甚だしいのだ。回り巡らねばならない海域は年を経るごとに広がるばかりだと、最前線を退いた老兵たちは嘆いていた。絶えず前線に出ていたアンもそれは同意する。
そんな意図から、というわけではないがアンは七武海の制度はある意味、ある程度の駆逐までは合理的だろうと思っている。
海軍としては海賊同士が潰し合う回数が増えれば増えるだけ、人員の増加を急務としなくてよくなるからだ。海軍の任務は主だって海賊に対応するものばかりに視点を当てられがちだが、実はその他諸々の島に近づくはぐれ海王類の討伐などの任務も付随してある。その他、それぞれの島を管轄する国があまりに非人道的行為を繰り返しているとき、海軍が調査、仲介に入ることもそこそこ、まずまず、濁すのも憚りあるくらいありすぎるのだ。警らに寄った村で酒場を占有する海賊くずれ退治を依頼されることも海軍あるあるである。
なので海賊が少なくなればなるほど、その他の案件に人員を割り振ることが可能になる。結果、海賊が海賊を狩ってくれるならばその他の任務が円滑に回り、海軍としてはありがたい恩恵を一部では受けられる訳だ。
だがしかし、世の中はそんなに甘くは無い。利点があれば欠点も必ず存在するものだ。この制度はできるだけ早く速やかに撤廃すべきだと考えていた。海賊に海賊を充てていると淘汰の末、とてつもない勢力が生まれると、すでにある程度の形まで成ってきているとアンは少なからず思うからだ。海賊狩りを任せられた七武海は下部組織を新人の中から仕入れることができるとも裏返せる。事実、クロコダイルやゲッコー・モリアは見どころのある者たちを狩りながら見繕っているし、ドフラミンゴはとある実験のたたき台として捕らえた海賊を使っている。カイドウなどは配下となる者たちの能力まで限定して集めていた。海軍ですら収容に困るほど弱い捕虜を世界政府が建設を進めているテキーラウルフやその他鉱山に、ある程度の強度があるものたちを人体実験のための施設に送り続けている。だからこそ、世界政府はくまを召喚したのだ。七武海を必要としない青海の、新しい管理の形を変えるべく見せしめも兼ねて試みている。ベガパンクの実験が数年内に完成するとも聞いていた。組織の形が、変わっていくだろう。良くはならない。きっと悪い形に収束してゆく。
とはいえ彼の件はここにきてまずい選択をしたとアン自身は苦虫を嚙み潰していた。ソルベ王国を盾にとられては従わざるを得なかっただろう。解放軍も止めてくれたら良かったものの、世界政府の内情を知るために送り込んだ節もある。中央が決して青海の民に人道的な扱いをしてくれるわけがないとわかっているというのに。目的のための沈黙が優しい人を潰し、散り散りになった意識が世界を歪な形にまた変えてしまう。ちり芥とあなどっていると手痛いしっぺ返しが戻ってくるのだと知っているはずなのに、白亜の主は放置し続けていた。
たぶん、きっと、認識出来なくなっているのだろう。同じ過ちを繰り返し過ぎたがために、気付かない。
それに根本的な考え方が違うことも挙げられる。世界を治めるために支配しているのではない。基本的に世界政府は青海のことはどうでもいいと放置している。現在進行形で自分たちの立場が脅かされることがないのであれば知ったことではないのだ。しかも勝手に争わせておけばよいと、人間同士の争いがさも盤上のゲームかのように国々の摩擦すら使い混乱を助長させ持続させていた。この差異を海軍の上層部はうすうす感づいてはいるがどうもできないのが現状だ。それでも下部組織であるため世界政府に不都合な事情が青海で発生した場合、バスターコールなどを使って破壊せよと命令されたならば従わなくてはならない。表の海軍が使えない場合は裏のCPを使うが、特殊な過去の因縁や約束事にまつわる事象にはかつてからの私兵である騎士団や従刃が赴いていた。
ともかくも海賊同士が出会えば基本的にドンパチを始める。そうすると少なからず近隣に被害が出るものだ。最終的に通報を受けた、または近くを警らしていた海軍が漁夫の利を取る形で終結する。だからこそ海軍は悪辣非道だと海賊たちは口々に誹謗するし、内情を知らない人々が駆けつけるのが遅い海軍に日ごろの鬱憤を態度で示す。犯罪を予防するのではなく、事後処理のためだけにやってくるのだと面とむかって海兵に苦情を入れる猛者もいた。誰もがそんなわけがないと声を大にして言いたいが、後手後手に回っているのは事実である。
だから、と言い訳するつもりもないがしかし、苦慮の気持ちだけでも吐き出せてほしい。海兵は決して、使い捨ての道具でもなんでもない同じ人間なのだ。海賊と名乗れば好き勝手できる。そしてその責は己の体で払う。海兵は組織に所属する。命令を破れば規則違反として罰されるのだ。だから上司に逆らえない。そして部下の不始末は上司が被るからこそ、日々、上役として束ねる長としての責を負う。それがだ、悪行をのうのうと海兵の身分を笠に着てヤルものの多いこと。潰しても潰してもこちらもGのごとく湧き出てくる。海賊よりも海軍内崩れのほうが質が悪い。生きていたいから必死に足掻く手段として海賊になった者たちとは違い、立身出世して誰よりも己が優れていると、傲り高ぶり今が春と言わんばかりに誇りたいがためだけに世界貴族に連なる権力におもねるのだ。
これをなんとかしようと動き出しているが、さすがに新世界までが遠かった。四方の海はなんとかなりそう……とはいえ全てを平らにできようはずもない。穴は出来るが7割がたは潰せる。だが、
▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
新世界の海を航海すること、32日目。
なんとか日々の生活が落ち着きをもち始めてきた、ピース・オブ・スパディル号である。商会との伝手はまだ開拓出来てはいないが、物資の補給はなんとなくだが分けてもらえるようになってきた。取引に使われているのは
家の修繕や漁船の修理、井戸の整備や理髪、炭を作ったり、草刈りや倒木の処理、農作業や放牧の手伝い、青空教室、野外診療所、野犬をしつけ直して用心棒に転職させたりなど、なんだかんだと様々な生活の一部を代行する。
スペード団は上陸する島を支配し領地化する訳でも、物資を奪う所業を働く訳でも無い。白の帆を広げていても最初は海賊が来たと武器を持ち出し、徹底抗戦の構えを見せる港町もある。だが暫くの睨みあいとも言える硬直を経た後には必ず、相手側が軟化した。その様子は何度見ても、ツヴァイには理解できないでいる。自身も望んで取り込まれた側ではあるのだが、いい意味で気の抜けたような雰囲気を醸し出されていると和んでしまうのである。
こういう時は特に上陸前は船長であるエースをはじめ、同行するアンも丸腰だ。武器の一切を身に帯びない。しかしこのふたりに限って言えば、必ずしも金属を加工して作りだした刃を必要としていない。簡単に人々の意識を、命の灯ですら刈り取る方法を持っているのだ。それをスペードの面々はよく、思い知っている。団の皆も色に目覚めてからは武器は手足の延長と考えるようになった。例え地面に転がっている石ひとつでも凶器になると、改めて思い知ったのだ。
海賊と呼ばれる者達であれば、このような場面に出くわしたなら、嬉々として殺戮と強奪を始めるだろう。
だがこのふたりは違う。何かお困りなことはありませんかと尋ねるのだ。そしてその対価として、上陸を求める。
後ろ盾となる商会があり金銭を奪う必要がないからというのもひとつの解だろうが、する必要を感じていないのだ。ただ世界を旅しながら、最終目的地のラフテルに至れば良いと思っている。旅の終わりはスペード団の解散にも繋がるのだが、現在この船に乗り込んでいる皆は問答無用で行動を共にしそうな気がしないでもない。
ツヴァイは何度目かと繰り返している思考を引き上げた。海賊と名の付く船はそれこそ数え切れないほど存在している。そして海賊が中継地である島々に乗り合わせるのは至極当たり前となっていた。海賊にとって島、という存在は宝の山であり旅路を続けるための道標でもある。
島の住民も本当であれば海賊とはお近づきになりたくは無い、が本心だろう。しかし海賊が来ることで多少なりとも島に恩恵がもたらされているのもまた確かだ。海賊が訪れるからこそ島が潤う。そしてその落とされている金が、命の代価であろう事も住人達は理解していた。分かっていながら接待しなければならない。しなければ強者である海賊に、弱者である人々が喰われかねない事情もあるからだ。
支配するものは君臨し、支配されるものは生き延び、支配を拒んだ弱者はすべてを失って海に帰る。言い得て妙だが本質を現している慣用句だろう。
とはいえ全ての海賊が略奪的ではないのも確かだ。比較的大人しい海賊達も存在している。それらは総じて後ろ盾を得ていた。そしてその後ろ盾の支援をお前達も受けないかと誘ってくる場合もある。
例えば魚人島のような白ひげの名借りだ。その他、ビックマムとカイドウが新世界では有名だろう。ビックマムはお菓子を定期的に献上すればかなりの厚遇を受けられると聞くし、カイドウはワノ国の実効支配者として君臨しており、今のところおとなしくしているというが、あの国には諜報が入りにくいため確たる情報は少ない。スカルレポートでは入り込むためには
人工の悪魔の実は実在している、と。
かつて世界政府の許に所属していた、とある科学者が血統因子を応用して作ったまがい物がそろそろ出回りそう、とのことだ。潰さないのかと聞けば、世界貴族に絡み過ぎていて簡単には手が出せないし、科学者が身を寄せているのが厄介な人物の下らしく手をこまねいているとのこと。
自然発生するとされる悪魔の実が欠損を与えず100%人体に馴染むのに比べ、まがい物が能力を発症させる確率はたったの10%程であるという。しかも副作用が、かなり強く出る。それでもただヒトである、絶対的な暴力を求める者たちからすれば喉から手が出るほど欲しいものなのだ。強制や実験で本人たちの同意なく行われているならば手の出しようもあるのだが、全て受容の上での摂取だ。能力が得られれば、もう見下されることも怯えて縮こまる必要もない、笑いものにしてきたものたちにも復讐が叶う。
その気持ちを、理解できないわけではない。抑圧され心が軋んだ分だけ、後の破壊衝動が大きくなるのだ。
故郷の島を出て知らないことを知り、知らなくても良かったことまでも目の当たりにしてきた。どこまでいっても海は青いままそこに揺蕩い、ひとは翻弄されつづけ闘い散る。陸地で暮らす人間ですら生きることに精一杯である状態だ。追い立てられるように海へ出ざるを得なかった、海に出たらなんとかなると淡い希望を得ていた海賊たちはさぞ焦慮するだろう。そしてその苛立ちを第三者、陸で居続けられる幸運な者たちへと振るう。得るものは紅の冷たさとさらに煽られるた欲の鎌首だ。青の世界で相対する赤に染まる。滑稽だがそれが暴虐に魅入られた海賊の行く末のひとつだ。そういう者たちが互いに出会えばどうなるか、推して知るべしであろう。だが海賊同士とはいえ陸の上では歓談に興じる事もあるのだ。
ツヴァイが把握している組織は大きく分けて9つ、アンに言わせればその後ろにもうひとつづつ、中堅を挟んだ中ボスが存在しているのだと言う。最終的には大枠で4つにまで減るのだそうだ。それが四皇である。
そのひとつとはすでに先日、面通しをしたばかりだ。今後の予定ではそのすべてと直接会うこともあるだろう、とにんまりされた。ラフテルに向かうには、それぞれが治める地域を通らねばならないからだ。素通りはさせてもらえない確率が高く、命がいくつあっても足りないとおもうがここまでくると今さら感が強い。
アンは己を航海者、だと言う。
この広い青を自由に往く者だと繰り返し口にする。
この世界の常識ではそれを海賊、と呼称するのだが、否、と断固否定した。
そう言えるだけの実力も、後援者も居るからこそ出来る事であろう。ツヴァイはそう思う。なにも持たず、身ひとつ、ひとりから始めるのであってもそう言えるだろうか。
「……言いますね、きっと」
苦い感情が喉をせり上がってくる。自分であれば躊躇するだろう。そしてあの時、伸ばされた手が無ければ、今でもあの冬島で役立たずだと罵られながら自身が朽ちてゆくのを時に任せて無気力に生きていたはずだ。
あのひとたちは例え、最初は敵として出会い戦ったとしても、その次に出会う事があれば友となろうとする。羨ましい。心底そう思う。なぜなら今、この船に乗り込む殆どがそうして乗船を決めたからだ。彼らは人を惹きつけて止まない。
世界政府直下、海軍が懸賞金を掛ける人物に対し下す判断基準は明確だ。
ひとつ、世界に対し敵対行動をとる行為を続ける存在であること。
ふたつ、世界に流布される法を逸脱して生き続けていること。
そしてその懸賞金が上げられる唯一の要因は、世界に対する危険度だ。影響力、と言い換えても良い。
世界政府という組織が立ち上がり、二度目の千年王国まであと少し、その基礎は盤石であると誰もが思っているだろう。だが内情をほんの少しでも垣間見れたならば、脆く崩れやすいがれきの上になんとなく乗っているのだと気付く。世界を治め続けるという行為はピンと張られた糸の上を歩いていると同様なのだ。なぜなら予定とは未定でしかない。紙の上に書いた図柄通りに進むようには手配するが、ことが万事滞りなく遂行されるほうが珍しい。絵図通りにいかなくとも、あからさまな妨害が起ころうともそれを都度、軌道修正しながら世界を回している。
だからこそ、そんな世界の中心に近い場所に迎え入れられた者たちは酔う。権力が持つ支配の美酒に溺れ錯覚する。万能になった、なんでもできる、と勘違いする。海兵となり階級を駆け上れば駆け上るほど、それに惑わされるものもまた多くなった。
人は目指す。信心などまったくないのにも関わらず、神という概念が喪われて久しいというのに絶対者にならんと暗躍を繰り返す。例え神に到達したと宣言したとしても、決してそれには
アンは知っていた。
ヒトとはどこまで至っても人以外になる事は出来ない。未完成だからこそ知れる世界もあるし伸びしろも多く残っている。無限の可能性をも掴むことが可能なのだが、神を自称したいものたちには甘っちょろい戯言だと一笑にふされてしまうのだ。
それに、本当に神へ近づけばどうなるか。その過程と末を識ってしまった。
目の前に浮かぶのは、乗り慣れた量産型のガレオン船だった。それが一隻、こちらに向けて進路をとっている。
掲げる旗で誰がその海賊団の頭であるのか。まじめな海兵ならば手配書が刷新される度に閲覧し、頭に叩き込む。アンも海軍を出奔するまでは一通り、所属が受け持つ範囲に目を通していた。だからそれに乗る人物を知らない、では通らない。
シャボンディでモモンガはなんと言っていただろう。
確か、『喧嘩を売るか否かは、それぞれの艦を指揮する長が取り決める事になっている』。記憶違いでなければ、そうだったはずだ。
エースとツヴァイだけに懸っていると思われていた懸賞金もいつの間にか額が上がり、ほとんどの仲間たちが手配されていた。スペード団をひとつ壊滅させるだけで、小さな国の国家予算と同等の金額になるだろう。しかもどこから撮ったのだとおもわれる絶妙なアングルなのだ。伝書系ならば気付かないはずもないし、隠匿系のなにかがいるのかもしれない。もし人間が技能だけで激写しているならば素晴らしい才能である。
「なあ、アン」
やってもいいのか。
言葉にはせずとも分かった。その黒の瞳が期待できらきらと輝いている。
スペード団では来るものを拒まず、去る者は追わない。乗り込んでくれた誰しもに感謝してその背を見送る一期一会を信念としている。だから戦闘においても共通の認識をもってもらっていた。海賊旗を掲げる他の船であれ、カモメを掲げる海軍であれ、喧嘩を吹っ掛けてきた相手には容赦しない。しかし敵対者が逃亡意思をみせたなら追撃と深追いはしない。それこの船に乗る全員の総意にしていた。
先制攻撃は、海軍からだった。操作の甘い砲撃が繰り返し撃ち込まれ始めている。とはいえ練度が低すぎてものの威嚇にもなっていない。義祖父の船ならげんこつものである。それに被弾できぬ弾薬を打ち続けるなど愚の骨頂、物資の無駄遣いだとおもうのは職業病だろうか。北の海でも一部のでしか産出されない鉄鉱石と西の海でのみ採掘される
海賊とは悪しきものだ、見つけしだい殲滅しなければわらわらと何十倍にも増殖する。そういうものだ、と新兵は教官より教えられ実際の実務についてその言葉が間違いでないと確信する。アンも最初、なにそれ海賊という名のGかと鼻白んだが、なぜにこんなにも海賊が海に溢れてくるのかと叫びたくなるほど出現したのを覚えている。まるでゲームのエンカウントさながらである。表記されている世界の総人口は横ばいであるはずなのに、なぜこんなにも海賊に身をやつす人間が居るのかと。どこかで人造ホムンクルスでも作られているのかと本気で考えたほどだ。
あまりにも酷い現実にどういうことかと蓋を開けてみれば、あからさまな事実が公然としてあった。"
基本、人は誕生した島で生まれたことを証明する島籍が与えられる。だがしかし、捨て子をはじめとする、親が不詳である命にはなにも与えられない。ある意味、おばけ、の発生である。仕事をするにも移住を求めるにも島籍は必要だ。アンやエースにも島籍はある。ゴーン島のフーシャ村だ。だからこそエースもアンも、そしてルフィも村で受け入れられていた。もし、もしもの話だが、島籍がなかったならばどうなっていたのか。村のひとたちから、いないものとして視線すら合わせてもらえない環境に身を置くことになっていただろう。この点だけはちゃんと手続きをしてくれた義祖父には感謝しかない。
そういえばダダン達は島籍を持っていたのだろうか。山賊も人権が保障……されていたのかは定かではないが、真っ当な職についていないところを見ると無い可能性もあり得る。だがフーシャ村に限っては、受け入れてくれる可能性が高いかもしれない。のどかであることを強制された、穏やかであれと定められた村だ。
思い返せばかえすほど、環境には恵まれていなかったが守られていたのだとひしひしと感じる。
話を戻そう。有象無象の発生は次から次へと飽くなき欲望を増殖させ続ける歪な国が至る所にありすぎたことが、海賊という名の奪略者を生み出す温床になっているというわけだ。国側にも事情があるのは重々理解できるものの、ここまで管理を放置して責任を負わないのはどうかともおもう。だが天上金が納められている以上、中央から国としてのお墨付きが付き、ある程度の裁量が認められるのだ。そう、終わらない悪循環である。そうして後始末は政府末端の海軍に回ってくる。世界貴族が青海の人々を
古今東西、支配の形態は世界を違えてもそう変わらない。徹底した情報の制限を行い、富める者と貧しい者との極端な格差を全面的に公開しつつ徹底的に両者を隔離する。そして極めつけは
この丸い星を生簀に整えたのは悪趣味だが、考えれば考えるほど、支配の形としては良い形ではないかと腑に落ちてしまうところが世界政府側の人間だなとおもえてしまうのが悲しい。
だがただひとつとして壊せないというわけでもない。諦めてしまえばそこで終了である。
分断されているのは情報と人の移動と、経済だ。これをすべて解放できれば、世界政府の統治は崩壊する。だがひとつづでは難しい。連動してすべてが一気に雪崩れる必要がある。これが厄介なのだ。
世界を停滞させている無知を解き、
ひとつづつであればできそうであるが、全て一気に、というのがとても厄介なのである。"
だが今ではない未来において、必ずこれは起こりうる。アンも難しいからと何ら行動せず手をこまねいているわけではない。実時間で体感できないだろう事だけが心残りだ。
「威嚇射撃だし放っておいても……、えー……、やるの?」
できるだけ戦闘を回避したいアンは仲間たちの説得を試みる。弱い相手にわざわざ拳を振り上げず逃げても良いと思うのだ。……実際のところは貴重な海兵になってくれた人員を減らしたくない。それに尽きる。
戦いとなれば海軍は負けられない。建前もあるのだが、敗れたら守るべき人々が海賊の餌食となるのが確定してしまうからだ。正義という名の元に、敗北は許されない。だから全てにおいて立ち塞がる。それが命を散らしたり、重症な身体疾患をもたらし、さらに海兵自身の心と体を摩耗させて引退を早めてしまう原因となっていたとしても、所属したが最後、止められないのだ。
周囲をぐるりと見回せば、誰も彼もが戦闘態勢に入っていた。
エースやアンひとりで出るならまだしも、いや違う。あの軍艦に対しては、ひとりであっても余りある。色を発現させ、自分たちの能力の底上げを嬉々としてやり始めた仲間たちだ。全員参加となれば、かなりの戦力過大になる。いくら指揮を執る立場に長年立ち続けたアンとは言え、匙加減を調整しながら戦局を見続けるのは容易ではなかった。
見えた帆の所属番号を確認しなおすが、何度見ても変わる訳が無い。相手は、G-3に所属する海兵たちだった。G-5程荒くれてはいないが、脳で思考するより肉体言語で語り合った方が早いと言われる部類の人種が集まっている。ここも脳筋だ。私腹を肥やすような腹黒さは別として、作戦立案をきっちりとこなす将がこんなにも少ないのかと叫びたくなる。決して突っ込むだけが海戦の戦法ではないし、筋肉を発達させさえすれば船団を組む海賊相手に切り結んでも必ず勝てるという保証もありはしない。
例えも悪いがあの赤犬大将ですら調査を必ず入れていた。斥候を先行させある程度の情報を把握してから殲滅の号令を出していたのだ。
特色を否定したいわけではない。ただ基地長が筋肉を愛し、愛でるトレアボン中将なのだから仕方が無い、なんて理由で納得できようはずもなかった。配属された部下の命が勿体なさ過ぎる。海兵になってくれるという稀有な者たちは貴重な宝なのだ。
とはいえ、天秤にかければどちらが大切か。海兵を無駄に消耗させたくないという気持ちと、適度な強さをもつ相手だ。仲間たちに船上での集団戦闘の実践をさせてあげたいという葛藤が生まれる。
「わかった。手加減できれば御の字で。わたしは後方支援に回るね」
戦闘時の判断は迅速に。悩んでも無駄だとおもった事柄は即時切り捨てる。下したのは直接戦闘には参加しないというアンの意思表示であった。最悪の場合を想定して動く算段だけはつけておく。
エースを始め誰もがそれに異議を唱えず、船長を中心とした攻撃体勢をとってゆく。今回ばかりはミハール先生も参加するらしく、手に入れてしまった特注のスナイパーライフルを愛おしそうに腕に抱いていた。こんな時だけ出てこなくても良いとおもう狙撃手である。その腕は、引き籠りで訓練など全くしていないのに驚くほど良いのだ。しかもベックマンと同じ方向性であることから、破壊力はピカイチと言っていい。学者先生が武装単色特化を発現するとはおもいもしなかった。いつも穏やかで、立ち寄る島々で行う青空教室の際も根気強く教授する先生だが、おもう以上に激情を胸の奥に秘めているのかもしれない。
仲間たちはアンの不参加を知り沸き立っている。なぜなら彼女が居るとあっという間に終わってしまうからだ。逃げるが勝ち、ではないが最近は船そのものを能力によってふっ飛ばすのが恒例となりつつある。なので、日々、甲板の上で訓練を続ける船員たちがうずうずと発散場所を求めて彷徨っていたのは重々承知していた。
ここらで一度ガス抜きしておかねば、次の島まで持たないような気もしていたがしかしだ。海軍に入り実力をはかっていたアンにも覚えがある。肩慣らしがしたい気持ちは、重々、理解できる。
船長であるエースはこの船での最強であるため、別段ころころと転がされても仕方がないとおもえるのだ。以下アンが続きツヴァイをはじめとしてウォレスやバンシー、デュースなどがみな横並ぶ。
代わり映えのしない相手と訓練し続けても、自分が一体どれくらいの強さなのか分からなくなってくるのだ。この船には実力的にとび抜けている相手か、それとも拮抗している相手かしかいないためである。相乗効果で上がりすぎていると判断できるのは外からの視点でアンが眺めているからだ。
自分が一体どれほどなのか、腕試しをして知りたいとおもうのは至極真っ当な欲求である。
とはいえ、この船の皆に国落としをはじめ村や町を襲う選択肢は無い。歯向かってくる同業者区分の船を探しても、求めている時に限ってなかなか出会わないものなのだ。
そしてまさに今、目的地に向かうそのさながらに、理想的な実力が測れる存在が現れてしまった。
これは行くしかない。スペード団の思考が一致した瞬間だった。
とんだ脳筋集団になってしまったなあとアンはおもいつつも、もう彼らを止めるつもりは毛頭くなっていた。
大将の三色が相手であれば問答無用で今持つ力を最大限をもって回避するが、トレアボン中将である。
筋肉が正義だとのたまう彼ら、海兵諸君にも偶の刺激は必要だろう。筋肉こそが正義の彼らに、筋肉だけが正義ではないことをしっかり脳に刻んでもらいたいところである。デイハルドとすすめている案件も前倒しするかとアンはパズルを組み立て直す。
シャンクスが率いる赤髪海賊団との邂逅が、スペード団最初の戦力伸長機会だった。格が違いすぎる相手との差異を感じ取れるか否かで成長の速度も変わる。さすがに色の覚醒が成ったばかりだから難しいとおもっていたのだが、そこは嬉しい誤算だったと言わざるを得ない。能力の幅の隔たりを自覚した者のなんと多かったことか。認識すればあとは埋めるだけである。
師匠からのテストもなんとか合格を貰えたし、ほっと一息つけるかと思いきやスペード団では空前絶後の能力底上げ大会の始まりである。バラティエのごほうびがかなり良かったらしく、品評会さながら数日に一度、名店の持ち帰りグルメ争奪戦が開催されるようになった。いつのまにかこたつまで武装色を完璧に手に入れており、硬化した爪でダルムの牙と力比べをしていた。教えることがまるっきりなかった。きっとあの猿が原因だろう。人間の言葉を完璧に理解しているあのモンスターはいたくさくらとこたつを気に入っていた。合流出来ないならばたまにでいいから連れてきてと号泣して訴えてきたほどだ。赤髪海賊団の皆から、一緒に冒険しようぜとの誘いが重くのしかかった。名のある、実力も兼ねた有名人に招かれてうれしくないはずもない。
アンの場合はエースと一緒に海に出るという目的があったから、頑なに固辞し続けていたが半身が合流するというならばその言に従うつもりだった。
結果、断った。
理由は師匠とはいえ兄ちゃんみたいなシャンクスとずっと一緒に居るのはちょっと、という唇を尖らせながら照れた表情での可愛らしい答えだった。赤髪の幹部陣のツボにはまったらしくもみくちゃにされたエースだ。そのうちまたどこかで出会えるだろうとあの冬島では解散となったが、エースが作るスープに、マキノさんの味に再度魅了された幾人が居たから定期的にこっちこいとは言われている。遥々酒として提供した酒樽もまた欲しいと、必ず持参する旨を約束させられた。まあそれはそれでなんとかなるに違いない。運ぶのはきっとアンであろうから。
ともかくも眼前の海戦である。エースに指揮を任せておけば平気だろうとアンはひとまず見学に回る。見張り台の中に居たウブロの少し上、メインマストを支える柱の上に立った。ここからであれば広大な海原を存分に堪能できる。見聞で戦場を切り取り把握すれば、まるでソナーのように状況を逐一把握できた。これをツヴァイかオッサモンドに是非取得してもらいところである。特化なので出来るはずなのだ。
戦況は一方的な蹂躙と化すだろう。仲間たちもきっと、たぶん、ほどほどの所で止めてくれると信じていた。エースに対してもシャンクスとの手合わせで見せてくれた余裕を今回も期待している。
日々エースは力を伸ばしていた。例えそれが紙一枚分の細さとしても、何十、何百と重なれば厚くなってゆく。それはアンも同じだ。能力を成長させるのは本当に楽しい。
強いものが側にあり、見続けていると自分の力が測りづらくなるのは確かだ。
仲間内で訓練を積んでいても互いの動きを覚えてしまうし、ある程度予測もつくようになってくる。そうなると緊張感が薄れ成長が鈍化する、または止まってしまうものなのだ。だからスポーツの世界では、試合という名の模擬実践が行われているし、海兵たちも定期的な支部の交流で汗をはじめとするいろいろを流す。
その際に自分を一番の敵にしてはならない。
自分は自分にとって一番の理解者とし、目標とした誰かを越えてゆくのを共に称えながら成長するのが最も効果的だとされている。こんなこともできないのかと貶めていては、自分で自分の努力を台無しにしているのと同じなのである。
この船は家だ。ここに集う仲間を、寿命以外で失うには情を繋ぎ過ぎて出来なくなっていた。そしてアンは今だ『海兵』である以上、見知らぬ誰かであっても助けを求められたならば見捨てられない。
「救出、だけは許してね」
アンの言葉に、エースはもちろんだと笑む。
ある程度の実力を備えた海兵を失うのは惜しい。世界政府が出す情報に右往左往するしかない民衆を守るためにも避けたい事態だ。との意図をエースに語って聞かせていた。島を離れている間、世界政府側の都合をも考えるようになってしまった半分に、それは仕方が無い、ともエースは思う。
それにエースも知ってしまった。海賊、俗にモーガニアと呼ばれる奪略者達が蹂躙したその後の姿を。
子供たちがあ然としていた。抗った男たちは絶命し、老人たちが震えながらも燃え広がる炎を消そうと砂をかき集めている。
奥歯を噛み、アンが走った。通り過ぎることを、半分が良しとしなかったのだ。見て見ぬ振りもできた。だが走り出したアンの背を、次々と仲間が追ったのだ。
そっと息を吐き標的を探す。エースが残ったのは、潰したとしても結局変わることが無いだろう元凶を引きずってくるためだ。静かに後ろに控えていたのは
知る前ならばどうという訳もない。しかし知ってしまったならば、知らなかった頃には戻れないのだ。エースは正義のヒーローになるつもりはない。人を助けたところでここに定住するわけもなし、中途半端に手を出して希望を持たれても期待には応えられないからだ。元凶をつぶさなければいつまでたっても繰り返される。
ここは生贄のために作られた港だった。生き残ったものたちを別の場所に移し、きれいに再整備され何も知らない新たな住人のもとにまた、海賊が誘蛾灯に誘われやってくる。同じ国の同じような町を守るために、あえてそうなるように作られていた。
ゴア王国の歪みとダブって見えてしまう。しかも大小の規模はあれど、世界中に散らばっているとなれば他人事には感じられなくなっていた。
(自分が誰かから虐げられていたからって、他の誰かを傷つけていい理由にはならないんだよ)
幼いころから半身の言葉はエースの心をゆっくりと育んだ。
「よし、行くぞ!」
エースの合図に合わせ、望んだ場所へとツヴァイとデュースが戦略の道筋を指し示せば仲間たちは心を奮わせ高揚し、船も乗り手の想いに応えるかのように力強く波を切る。
初代海賊王、ゴール・D・ロジャーが世界二周を成し遂げた船を造った技師、トムが作り上げた渾身の船だ。新世界にまで運んでくれた馬のひずめを内包しつつも新たな形を得た魂は無形の鬨の声をあげた。ふるりと誰かが武者震いをする。船内の誰もがこれからの戦いにテンションが高い。これは一方的な侵略になりそうだとアンは嘆息しながら独り言ちた。
「消火作業急げ!!」
火元は衰えを知らなかった。長年使われている船とはいえ、そもそも耐火性に優れた木材が使われ造船されている。しかも鉄材を使用して強度も増していた。それなのに炎は紅蓮の渦を巻き、船を飲み込もうとしている。新人とはいえ、前半の海を越えてきたばかりのひよっこ海賊に負けるはずが無い。それが例え、元海軍に所属していたとしてもだ。
トレアボンはぎりぎりと奥歯を噛みしめる。
大きさ的にもこのガレオンの方が優位であるはずだった。
海軍が誇るガレオンは一隻で小規模な海賊船団ともゆうにタメを張れる実力をもっている。守るべき領海に見慣れない船舶を見つけて鑑識させてみれば、なんとも幸運なめぐりあわせか、無印だった。海兵が指名手配されるという前代未聞の大問題を起こした将校とその兄弟であるという海賊が乗った船がまさしく目の前を通過している。ガレオンから見て逆行方向に進んでいるようだが、この海の潮の目を最も熟知しているのはG-3の
監視からすぐさま総員戦闘態勢に移行し、威嚇のための砲撃を開始する。
大きさは以前の情報で出回っていたカラベル型ではなくキャラックであったが、商標も海賊の髑髏も掲げず航行している船は世界に一隻しか存在していない。だがガレオンのほうがキャラックより三倍以上大きく、すでに潮と風の恩恵も受けている。間違いなく回り込める位置にあった。それなのにどういうことなのだろうか。差が縮まらない。砲弾も着弾しない。敵船がくるりと簡単に進路を変え後方から追われる形に変わるまであっという間だった。しかも砲撃を受けないように回り込んできている。海兵が有利な接舷戦を行うために進行方向を塞ぐはずであった進路が、相手によって誘導された方向に向かっているのがわかった。
無印を一網打尽にできれば、評価されないままでもこの支部で勤めてきた甲斐があったと歓喜をかみしめていたのにも関わらずだ。何が起こっているのかがわからない。
ここは
澄ました顔をして大将の後ろを歩いていた海兵を思い出す。初対面からいけ好かない子供だった。あこがれのガープ中将の孫であるのはまあ良いとしてもだ。なぜ敬意を払うべき大将たちに無償で可愛がられるのか意味が解らないでいた。年齢にそぐわない実力も厭味ったらしい。それに青雉の真似であるのか何でも知っているぞと言わんばかりの飄々とした態度が不快だった。
ある時を境に行方不明になったと聞いた。ざまあみろとほくそ笑んだ。身の程を知らず特殊任務かなにかで下手を打ったのだろう。探し出して差し出せば、思いのままの褒賞が与えられると伝達が回ってきた。随分と長い間、G-3に赴任し続けている。こんな所でくすぶっている訳にはいかない。己には使命がある。世界を安寧に導くと言う、大切な誓いがあった。
「なにをしておるか! 筋肉を! 筋肉で対抗するのだ!」
トレアボンが筋骨隆々とした肉体を披露し、部下たちへ向け活を入れる。
だが進行方向、船首を左側から抑えられる形でいつの間にか回り込まれ無印の船に接舷されていた。これでは横っ腹から砲弾も打てず、舵を動かそうにもガレオンの大きさゆえに時間がかかる。なので接舷戦に持ち込まれたなら受けるしか方法がなかった。本来ならガレオンのほうが高さがあり、乗り移られる可能性はとても低い。どちらかといえば海兵のほうが海賊船に向かって乗り移る回数のほうが多いのではないだろうか。海兵時代のアンはほぼ、海賊船に速攻をかけていた。
だが今回ばかりは相手が悪いとしか言いようがない。月歩をエースから仕込まれた数人が、先行して襲い掛かったのである。まったくもって海賊の所業だが、喧嘩を売ってきたのは海軍である。返り討ちにしたところで、今回ばかりはノーカウントだ。
「海賊達の中に、召し捕れば褒美は思いのままとなる宝玉がある! 名誉を掴み取れ! その己が筋肉で!」
アンは海軍の船に乗り移り、
ピース・オブ・スパディルの進路は至極簡単だ。初見の際はガレオンの前進方向からみて右側の二時方向を航行していた。そもそも海軍の船は細長く改良され
かわってスペード団の家となったキャラックは丸い形が可愛い、どちらかといえば積載能力が高い商いに向いた船である。帆が4本あるため航行性能も優れており、風に対して適切な角度を選択できたなら、ガレオンに負けない推進力を出す。今回の場合は三角帆を使って逆風状態での航行を行った。トム曰く、嵐の中でもメインマストさえたためば浸水しにくく推進力すら得て進める形にしたとのことだ。ありがたすぎる。
マストの上からトレアボンを眺め、なにが今回の敗因原因かと考えていた。
彼はあのまま海軍にあれば、同僚となっていた人物だ。本部で何度か顔を合わせたことがある。濃い人物なので忘れられなかった、という方が正しいか。確か2年ほど前に引退した前任者から責任者の地位をお墨付きと共に受け継いだのだ。
スキンヘッドに凛々しい太眉、細めの切れ目で可愛い口髭。そこに紫系のスーツを合わせ、緑のネクタイ、そして正義のコートを羽織る。
エリキ副長が思わず一歩、後退したのをアンは覚えていた。服装は個人の自由であるからして感想も思うところも別段なかったのだが、改めて観察するとどこかの世紀末覇者の世界に出てきそうな風貌だった。
海軍内では意外にお茶目な容姿である気もするのだが、脳みそまで筋肉であるのはいただけない。嫌いではないが、大好き、とは絶対に言えない。いわゆる仕事上における普通のお付き合いしかできない同僚であるわけだ。
本部からの評価は通年通して同じだった。いわゆる可も無く不可も無く、という判断だ。評価の乱高下激しかったアンからすれば、安定していてうらやましいとすらおもえていた。とはいえ新世界にあって現状を維持できているならば基地運営能力は高いと言えるだろう。
しかし基地の管理者は『維持』だけでは務まらない。後続してくる若手を育てると言う大切な仕事もあった。中将を拝命するには少なくとも色持ちでなくてはならない。彼は見た目通り武装色特化だ。筋肉にだけに固執する方向性はあまり良いとは言えないが、心の教育という一点においては評価できた。不屈の精神など身に着けさせようとしてできるものではない。
「それぞれの向き、不向きも考えてあげなくちゃ」
可哀想だ。
などと評価しているアンも、好きに育ててみてと配属された後輩たちをそれぞれの長所を鑑みて伸ばしてみたら、尖りすぎて使いにくいと班長から苦情を呈されたこともある。
誰かを育成するのは、かなり難しい。
アンは眼下で動く幾人かに目をつけていた。その中のひとりは是非、エースの船に乗って欲しいと思える人材が居る。スカウトだけでもかけてみようか。そう思い、首を振った。
スペードの一群は、アンに叩き込まれた通り3人ひと組になって事に当たっている。その戦い方はもちろん海軍式だ。現三大将や名立たる将兵、そしてアンも師事した黒腕仕込みの集団戦法である。義祖父や元帥、おつると同期であるだけあって百戦錬磨のつわものだ。現在も後進の育成に力を入れており、多くの海兵たちから先生として慕われていた。
アンはにこりと笑む。敵が同じような兵法を使ってきたらどうなるのか、良い経験となってくれたなら幸いだ。
海兵たちは戸惑っているだろう。他の支部と連携を取った事があるならば、かつて自分達が取ったことのある作戦が陣形を変えて行われていると気付いてもおかしくは無い。が、そこまで机上での学習をしているのかは不明である。
戦況は上々だ。仲間たちは多少のあっけなさに首を傾げていた。
「それだけみんなが強くなっているんだよね」
アンは小さなつぶやきを空に語った。それは仲間の身を案じてのことでもある。
先生とツヴァイが本気で組み立てた訓練計画を乗り越えた彼らは決してエースの重荷とならないだろう。肩を並べて共駆けるにはもう少し時間がかかるだろうが、その背を全員で守るくらいはすでに可能だ。
さすがに賞金を掛けられている仲間達は各々、好きに暴れ回っている。だが命を取らずにいてくれていた。
「本当にみんな…優しい。ありがとう」
アンはふわりとマストの上からその身を落とし、甲板へと降り立った。
若い海兵がひとり、アンの前に立ちはだかった。皮膚は黒く煤にまみれ、肩や背の一部が白く変色している。かなりの痛みがその身を襲っているはずだが、その瞳には不屈の光が宿っていた。海賊などに負けてたまるものか。その眼にはアンが良く知る人々に共通した力があった。
もしも正義のコートを肩に掛けている状態ならば、即座に先生の元へ送るだろう。次世代の担い手だと感じたからだ。こんな所で磨けば光る原石を放置しておくのは惜しい。
気概は十分だった。だがまだ、その心に体がついて来てはいない。何事を成すにしても、焦りは禁物なのだ。
体を鍛えたからと言って、実戦経験が浅い若人が偉大なる航路前半で揉みに揉まれた海賊たちに喧嘩を売るのは早い。本来ならば四方の海で実践慣れさせてから新世界に異動させるべきなのだが、悲しいかな人不足のためこちらに配属されてしまったのだろう。
いくら筋肉を蓄えたとしても、個人の持ち味を殺してしまう場合もあるのだと中将は知らないのだろうか。彼の場合は筋の重さによって、本来の伸びしろである俊敏性を殺してしまっている。
誰の元へ配属されるかは個人では選べない。
しかしもし彼を異動させるならば、ボルサリーノの元かコーミルが良いだろうと思う。サカズキの元に送れば初志貫徹の、偏った考え方をするようになってしまうかもしれない。クザンは問題外だ。新人育成には向いていないうえ、あの人にはもう少し仕事をして貰わねば困る。義祖父から聞いたところ主に副長たちの胃がマッハでやばいらしいのだ。青雉隊は現在でも十分文官ばかり集中しているのに、これ以上書類畑の得意な人員を養成してどうするのだと言いたい。部下が近くにいる方が巻き込んで危険なのはわかるが、そこは大将たる気概を持って率いてもらいたいところではある。避けられない方が悪い、のではない。わざとではないと知っているが、広範囲に広げすぎなのだ。極地的な能力の使い方をしろと声を大にして言いたい。駄目元でおつるへ伝えるべきだろう。クザンは彼女の切々とした語りに弱いのだ。サカズキの場合は元帥の無言の圧がよく効く。決して叱っているのではなく、憂慮だと解っているからだ。
海軍から苦労して出てきたというのに、随分と染まってしまったものだとアンは苦笑した。
「もう少し強くなってからおいで」
再戦はいつでも受けつけてるからね。
アンは勇ましく、重度のやけどを負ってもなお掴みかかってきた海兵へと囁いた。そして彼の首元をストン、と手刀で軽く叩き意識を刈る。瞬間、力が抜け、その場に落ち崩れた。それとちょうど時を同じくして、トレアボンがエースの炎に巻かれ重度の熱傷に陥ったのを確認する。武装色で悪魔の実の能力と抗える力は手に入るが、果たして耐え続けられるかどうかは鍛錬の度合いによる。集中力を欠けば防御もおざなりになりやすく、攻撃に至っては届かない。だから能力者に一対一で挑まず、必ずスイッチできる相棒か三人一組で当らなければ競り負けるのだ。
このまま放っておくと天に召されそうだなと彼へ少しばかり干渉して命にだけは別状がないようにしておいた。ただ火傷がかなり深いためケロイドは残るだろうし、後遺症もじん帯に刻まれたままになるだろう。復帰できるかどうかは彼の心次第である。
アンはエースとともにスペード団へ撤退をと海軍へ命じる。
「勝敗は決した! 双方引け!」
喧騒の中に在りながら、高低ふたつの声が響き渡る。背合わせになったふたりが声を響かせたのだ。
「そろそろいい引き際だ、戻ろう」
「負傷兵はその場に待機。衛生兵はすぐに
スペード団の面々は、意気揚々と踵を返し戦場を去る。と、同時にあれだけ甲板を蹂躙するがごとく燃え盛っていた炎が鎮火した。否、炎がとある男の元に集まり渦を巻いて消えていったのだ。その光景をおどおどと負傷者に近づいてきていた衛生兵たちがびくりと反応している。自分の体に燃え移らないか、気が気ではなかったようだ。
それじゃあまた後で。夕飯までに戻ってこい、待ってる。そう言葉を交わしながらこつんと額を合わせた後は各々の役割を果たす時間だ。
G-3所属の海兵たちは突如現れた女の言葉と意図を信じかねたが、それは仕方のない話である。面識があればよかったが、見渡しても初見さんばかりなのだから致し方ない。認識番号を伝えたとしても照会するまでに時間がかかるだろう。なのでもう二度と名乗ることが無いだろうとおもっていた肩書を名乗る。海軍本部中将、ポートガス・D・アンであると。すれば姿は知らなくとも名を知る者たちは多い。天竜人の首輪が嵌められているというのもよく知られた話だ。なので首元にある首輪を露にする。
すると最初は呆けていた海兵たちが次々と我に返り、敬礼とともにつぶさにそれぞれの任務にあたりはじめた。
そしていつもとは違うアンの姿に、ぶるりと体を震わせた人物がいた。
ツヴァイだ。
共にあるからこそ一人前なのだと、双子そろってそれぞれが口裏を合わせたように言っていたその意味を今さらながらに理解したのだ。我らの船長も全力で海軍を潰しに出たわけではない。きっかけを作ったのだ。仲間たちの精力が満ち満ちていたのも事実である。発散させるべき時、ではあったのだ。けれども真意は別にあったと知る。
ずっと言葉の端々に引っかかっていた、海賊がこの世界に暮らす人々に与える影響をなんとかできないかと苦心していた半身の、一番手っ取り早い解決の仕方を示すために。組織に属していなければ決着できないのであれば、戻ればいいのだと。海賊であることも、航海者であることも、そして海兵であることも、どれを選んでもいいし、重複していても構わない。多数のわらじを履くことで目の回るような忙しさにはなるだろうが、自分で決めた道ならば努力し続けられるだろう、と問うていたのだ。
そして選んだ。見知らぬ誰かに無条件で手を差し伸べられる、海兵であることを忘れられなかったアンが白の衣に再び袖を通す意思を見せた。もちろん航海者でもあり続けるのだろう。船長が海を往く限りスペード団を辞めるはずもない。
そもそもスペード団には海賊となるには似つかわしくない、しいていうなら海賊には決して成り得ないはずの性質をもった人物たちが多く所属している。他の海賊団に加入していた人物たちも居るにはいるが、水が合わなくて逃げ出してきたものたちばかりだ。スペード団が早々と海賊団ではなくなったのは、海賊という肩書に似つかわしくない気質を備えた仲間が次々と乗り込んだからというのも要因のひとつであろう。
新世界に入り海賊という肩書がほとほと厄介な代物であると誰もが認識した。世界政府が頑なに海賊という制度を固持し続けているのにも、理屈が存在している。そこに容赦なく切り込んでゆくアンがどれほど危険な橋を渡っているのか、エースも知らないわけではない。世界政府が維持しようとしている世界の枠組みの中で、解放軍とも違う方向性をもって青海の秩序を整えようとしているのだ。青海に住まう人々が死ぬ間際に、少なくとも生きていたくなかった、などとおもわないでいてほしい、というちいさな願いだ。ニューポートミューズに至る路において、使えるものは使うと宣言した通り天竜人の威をも借りて動いている。
スペード団の皆は肩書にこだわるのを辞めた。そもそもそんな執着を持っていなかった者たちも多い。ただ生まれ故郷から無許可で一歩でも出れば、島籍を自ら破棄することに同意したことになる。ツヴァイもエースからの誘いに躊躇しなかったか、と問われたら戸惑わなかったとは言い切れない。そもそもからして国から守られているなどという意識を持つ人々はこの世界には少ないだろうが、島籍というものは基本的人権を保証する最低の庇護だ。これがあるからこそ、他の国に出かけても身分が保証されるのである。
海賊という存在は、いわゆる無国籍者扱いなのだ。人権が制限され、身分保障の欠如があり、移動も制限される。そう、透明人間だ。そこに在ってそこに、無い。居ることすら認識してもらえない。自己認識の崩壊である。そうなれば理性をもって感情を制御する必要もなく、欲望の赴くままに振舞うようになれば、どこかで見たような姿にならないだろうか。そう、海賊である。
解決策が見つからない時、人間として生まれ知能を育んだとて破壊衝動に傾いてしまう。そうして抱えきれなくなった心の軋みが、もしかすると世界のどこかに自分を受け入れてくれる何かがあるかもしれないと、抑えがたい情念となって青に向かわせるのだ。結果、この青い海に海賊という名の迷子たちが溢れる。それを世界政府は良しとしているようにしか見えない。もはや助長すらしているのではないかと疑いたくなるのも道理だ。
つくづく思う。スペード団に居る皆は、本当に運がよかったのだと。しかもだ。世間ではまったく話題に上ってさえいない、とある界隈だけでまことしやかに囁かれているラフテルにも連れて行ってもらえるという。たどり着けば海賊王の称号すら得られる。普通の生活を送っていたならばこんな冒険、することになるとはおもってもいなかっただろう。そもそも故郷の島を離れて世界を旅をするなど、過去の自分に話しても信じてもらえるかわからない。嘘だと取り合ってもらえないのが関の山だ。
ある意味、幸運だった。現状の立場に願ってなれるものではないからだ。
個性的な仲間が集まった理由について話し合っていた際、アンが面白そうなことを言っていた。Dの名を持つ一族には意味と付加があるのだという。ポートガスの意味は港であり、付加のほうは掟だと。
だからみんなと出会えたのだと心から幸せそうに笑んだ。
「アン様」
さくらは船首に飾られた、トムが名付けたバイエの背からその姿を見ていた。新世界まで運んでくれた、スペード団の引っ越しの際に一緒に移ってきた家族である。先陣に立ち海兵として指揮する姿を見るのは初めてだが、その背はさくらを深淵の縁から掬い上げてくれた時とよく似ていた。
太陽と月。
エースとアンを例えるならそうだ、と思っていた。しかし今になって暗闇に力強く輝く夜の月がエースであり、太陽の光が満ちる中それでもうっすらと見守るがごとく空にあるのがアンであると解ってしまった。
本質は同じであろうが、見え方が全く違う。
「アン様」
さくらにとってふたりは特別な存在だ。比べる事など出来ない。しかしさくらにとって、アンは必要不可欠の存在だった。深淵の淵に在り続けてきたさくらには、エースでは明るすぎるのだ。無明の中にありながら、柔らかな光を失わないその姿は灯台の
「…アン様」
なぜかさくらはおぼろに消えてゆく幻のようなアンを目にするたび、不安で仕方なくなる。
どうか。どうかさくらを置いていかないで。
両手を組み、祈る。祈るしかできない自分が涙しているとは気付かずに、ただ今を見つめていた。
▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
マリンフォードでは件の人物から電伝虫で連絡が入り、上や下やの騒然とした中での出迎え準備が急がれていた。
『聞こえてますか。室長のブランニュー居る?もしもーし。ポートガス・D・アンです。対人戦による負傷者を船ごと移送します。所属はG-3 トレアボン中将旗下。負傷者多数のため、救命処置の準備を。衛生課の学生さんかき集めてくれるかな。ほとんどが火傷による熱傷だからクザンの氷使わせてもらえると一番手っ取り早いとおもうのだけど。えぇえ、行方不明? じゃあ食堂から氷かき集めてきてもらって。30分後にそちらに戻ります。以上、通達よろしくね』
休憩にと席を立ち、香りただようコップを片手に持っていたブランニューは突然の指名を受け飲みかけていたコーヒーを全て吹き出した。被害はひとではなく壁であったのが幸いと言えよう。
聞こえてきた声は、切実に連絡を待ちわびていた人物であったからだ。どれだけ探しても行く手を掴ませなかったその人が、だ。
今から、マリンフォードに戻ってくる。そう、たしかに言ったのだ。
即座に連絡網を回した。そして彼女を捕獲すべく、マリンフォードで待機中の部隊を全て投入する許可を待った。
承認が下りぬ訳が無い。
提示された場所へ、300名を越える人員を配置し終えた瞬間、それは現れた。
湾内に巨大な飛沫が発生したのだ。収まればそれが損傷激しいガレオン船だと知れる。そして石畳の上に、症状別に分けられているのだろう。突如として決まった位置に負傷した海兵達が現れ始めた。
「赤の布を巻いてる人達が一刻を争う重傷の人だからそっちを優先して手当を。応急処置が終わったら医療棟に運び込んでね。次は黄色、中程度とはいえ症状の変化を見逃さないでくださいな」
上空から聞こえてくるのは指示だ。よく通る響きが場を支配する。
少佐、降りてくるのはゆっくりでいいからね。確実に動ける人から救護室に入ってもらって。エースの炎、肺の中にも入り込むから絶対に過信しちゃだめだよ。洩れなく全員、検査に入ってね。
G-3の衛生兵のひとりである役職持ちの名を呼んで次の命令を飛ばしつつ、視線があったブランニューに薄く笑む。
黒の髪が降りたつと同時に波打った。身震いと同時に背筋が伸びる。
半袖のシャツに砂漠の国で好まれるズボンを履いたその人が、マリンフォードで待ち構えていた兵と学生の波の間を歩きながら次々と的確な指揮をとりはじめた。
ここマリンフォードにある士官学校内にある衛生学科には多くの人員が学んでいた。数年前から医療の知識がなくとも海軍支部の推薦があれば2年間だけであるが学び舎で習うことができる。これはつるのもとに配属されている時にとった献策だ。成績が振るわず海軍で階級が貰えなくとも、看護師として従事した記録とIDは残る。故郷に戻れば医師もどきにはなってしまうが、簡単な手当や処方を行うことができるようになるのだ。実際、義祖父がならばとその権限を揮い東の海の支部から毎年ひとり以上の推薦を出せと責付いた結果、島の小さなケアハウスとして感染症やちょっとした医療支援など成果が出てきているという。四方の海に戻った彼らの活躍はまだ草の根活動程度ではあるが、確実に人々の生活を底上げしていた。
軍部に残る階級持ちも招集がかけられていたようで、現場は野戦病院さながらの事態になっていた。海軍では裂傷のサンプルは多く発生するが、熱傷はかなり珍しい事例のため良い経験にはなるだろう。サカズキのマグマは火傷を通り越し溶かして炭化させてしまうのである。命を救うより以前の話になるので論外だ。
「…中将」
その声にアンが振り向けば、潤んだ瞳のまま敬礼する女性の姿があった。彼女とは2度ほど、会った事がある。
アンが義祖父の跡を継ぎ中将の任を叙される際、様々な方面から支えるために選抜された副官のひとりだ。
「お帰りを、お待ちしておりました」
眼鏡の向こうに、涙が見える。アンは背伸びして、それを指先で拭った。
彼女はアンの副官となるため、様々な課題を潜り抜けてきたツワモノだ。次世代を育てるためとし、設立された学び舎から輩出された士官の中でも上から数えた方が早いのではないだろうか。助けて貰った恩を返すために。彼女の原動力はそれだけだった。唯一の欠点はアンを妄信していることだろうか。
先日エースが放った覇王色の影響を相談するため義祖父のもとを訪れた際に言われたのだ。
一年も行方不明かつ海賊として海に降りたというのに、いまだに海軍の中ではアンに対し尊敬の念を抱く者が多いということを。そして痕跡をわざわざ追いかけ成した事実を調べてみれば、海兵として当たっていた実務とそう対して変わっていなかったことが白日の下に晒されただけだった。
外に出た理由も熟慮に熟慮を重ねた末の選択だったと、手配書が初めて出た後直ぐに撤回を、上司へ願った者達もいたと知る。それが罪になると分かっていて、尚だ。
この件に関して三人の大将は沈黙を貫いているのだという。元帥のセンゴクに至ってはわざわざCPを動かして後を追いかけさせていたというのだから職権乱用も甚だしい。それでも捕捉すらさせなかった孫娘の手腕はさすがだと義祖父は褒めた。
わたしはそんな、大それた存在じゃないよ。いくら手を伸ばしても、すべては救えない。だからそんな覚悟がないわたしは、将の器ではないの。
ずっとそう思って来たし、その態度を貫いていた。
だがニューポートミューズでも、そうだった。
いくら自身で否定しても、実績が、残してきた軌跡が、誰かを、その心の支えとなっている。
事実なのだろう。
もしこうしてくれ、ああしてくれなければ困る。そう言われたならば拒否出来た。だが彼らは違う。ただ、ただ、アンの起こした行動に対し、感謝の念しかない。押しつけでは無かった。アンには何も言わない。行動で示した。その好意を無下にする事は、アンには出来なかった。
Dの一族が白亜の主から注視される理由がこれなのだろう。ひととひとを繋ぐ、この力の大きさゆえに今を崩されると懸念してしまうのだ。考えてもみれば義祖父も海軍という組織の中で振るい続けている。いくら世界政府がDの名を表記するなと言われたところで聞いた試しもないのだ。さりとて義祖父を粛正すれば、海軍という表の盾を世界政府は自ら手放すことになる。だから結果的に放置されているのだ。
「ただいま」
アンは綺麗に笑む。ただひとつの不安すら抱かせないために。
そして彼女が差し出した白を纏う。肩にかけられた、正義のコートがゆらりと風にたなびいた。その姿を見、近くに集う海兵が自然と敬礼をとる。
この白には責任が付随する。
羽織ったからにはすべき事を迅速に、指示しなければならない。
彼女、フロウ・イツリルはそれが当然であるかのように、アンの後方に着き従う。そしてその言を待った。その声に直ぐ、対応出来るように神経を集中させる。
「救急班の皆には急務となりますが、誰ひとりとして命を失うものが無いように、尽くして下さい」
動揺の余りバラバラに行動していた者達は、凛と響くアンの声に誰もが振り向く。
そして意図が伝われば規律正しく、海兵が動き始める。
その様子を先代の英雄と言われていた男が腕を組み、目視していた。
覚悟は決まったようじゃの。
声なき声にアンは振り向き義祖父に笑む。