ONE PIECE~Two one~   作:環 円

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75-復帰と

 アンは義祖父に入れてもらった茶をすすり、そして次の瞬間、盛大に吹き出しそうになる衝動を押さえて無理やり食道へと落とし込む。その先に痛みの強い咳込みが待っていたとしても、誰かに吹っ掛けるよりはよほど良い。

 横から突如、どこから取り出したのか鳴り響き始めた破砕音に思わず気管を刺激してしまった。

 目の前にはセンゴクが座していたが、取り繕う顔面保持筋力は残っていない。そもそも出奔した時点でお世話になった人たちに不誠実な態度をとったと自覚しているがゆえに、アンのほうからは語る言葉のきっかけを掴めそうになかった。喉の調子を確認しながら目じりに浮かぶ涙を拭う。勝手知ったる場所だ。用具が納められた襖を開け、ナプキンを探した。平静を装うのも疲れてきたアンはこほん、と小さく咳払いする。なぜならばここ、今現在の所在地を正確に述べるなら、海軍本部元帥、仏のセンゴクの執務室に隣接した茶室に居るからだ。畳が敷かれた六畳の居間のような空間は本来なら落ち着くための場所だ。だが今だけに限定するならば針の筵と表現した方が良いだろう。

 身支度を整えるとアンは元居た場所に座りなおす。

 現在茶室では密かに対談が行われていた。出席者は三名、それぞれ胡坐(こざ)か正座をして三すくみのように座している。

 

 「……ガープ」

 丸メガネの向こう側にある目が細められる。がしかし。せんべいを齧る義祖父の手は止まらない。表情は無、であった。

 バリバリ。ボリボリという小気味良い音が響き続ける。歯が丈夫だなぁと他人事のように眺めていた。思い出すのはとある日の夕食だ。初めてみんなで狩った熊を焼いて食べた日のこと、臭みは聞いていたほどなかったがサボとアンは野生児ふたりが嚙み切る肉に何度ナイフの刃を入れただろう。あれは筋が固かったのではない。肉となり果てても食べられてたまるか、こちとら生態系の上位者なるぞと抵抗した獲物の意地だったのだと今はおもう。幼い頃はいつかこのふたりはダイヤモンドまでかみ砕いてしまうかもしれないとおもった程だ。

 「ガープ、いい加減にせんか」

 義祖父は発言する意思がないと態度で表明しているらしい。こういう時、ガープを筆頭にモンキーの名を持つものは特に意固地になる。口出しすべきでないとも考えているのだろう。第三者の仲介がはいるよりも直接交渉したほうが齟齬も生まれず早くもあった。アンにもわかっている。だがしかし。感情が追いつかないとなぜ察してくれないのだろう。否、察していても動かないのが義祖父はじめドラゴン経由したルフィだ。はっきりさせなければならないことほど、口を挟まないのが共通した特性でもある。当人の口から直接答えを聞くまで、なぁなんで?どうして?と繰り返された日々がまぶたの裏に蘇った。

 

 センゴクの視線が容赦なく突き刺さる。アンが口を開くまで待ってくれているのは感謝しかない。年長者だからこその余裕なのか、刻一刻と進んでいく秒針の音が耳に痛かった。

 しじまの中、センゴクとガープとの間で不可視の攻防が繰り広げられている。色の発現者同士の静かなつばぜり合いは心臓に悪かった。未熟であればここまで克明にわからなかっただろうが、海軍から飛び出て一年の間でアンもかなり成長したのだ。何十年とともに海軍で研鑽し続けた者同士、仲が良いだけに容赦もない。だからこそ阿吽の呼吸で組織を運営し続けられているのだろう。まるで熟年夫婦のようだ。

 元凶であるアンが萎縮している時間など無駄以外になにものでもない。強制的に終わらせるのではなく、狭間を突いて互いの衝突する面と点を割った。

 対の目がアンを見る。ひとつはしてやられたと面白がっているが、もうひとつは思いのほか自力を伸ばしていた親友の孫娘を再評定するかのような見極めるための視線だった。覇王色はただ単に意識を刈り取る術だけではないと知るからこその使用方法である。

 

 出戻り娘の称号は謹んで受け取ることにして、アンは覚悟を決めて言葉を発する。エースが整えてくれたこの道筋を粗末に扱うわけにはいかない。

 そういえば、とアンは初めてマリンフォードにやってきた日のことを思い出した。乗ってきたガレオンから義祖父に抱っこされて部屋に入れられ、待っているときにセンゴクが訪ないた。その時は生まれたばかりの仔ヤギも一緒だったが、今では立派な一族を生み出した偉大なひいおばあちゃんになっている。あの時は部屋の中にいるのが居心地悪くて、外に出たのだった。見えてはいなかったが今さっきのように色の衝突があったからこそ身を縮こませていたのだろう。

 時が確実に流れていた。思い出し笑いにセンゴクの眉が動く。

 

「少し懐かしく思っていました」

 

 正直な意見を述べれば、アンは海軍に戻るつもりが本当に毛頭もなかった。

二十年。これがアンの生存期限である。確立は低いがエースが存在する時間軸はあってもアンが生きている世界は無い。いくら探しても命はそこで終わると決められていた。それは大きな力を帯びて生まれてきたからだろうと理解はできる。世界から多大なる力を与えられているからこそ、肉体を維持する時間が短いとも言い換えられた。父が50代まで生き残れたのは万物の声を聴くことのみに限定したからだ。万全の常態で使っていたならば短命だったと予想できる。アンは幼いころから試行錯誤しながら、解放されていない領域もあったがほぼ完全な状態で使い続けていた。消耗も激しかったに違いない。シャンクスが不安視している事象はこれに起因しているのだろう。父も過去で言っていた。アンにもあると。芽吹いたならば父を恨めと。

 遺伝性の病ではないとベガパンクが何度も行った血液の検分にて判明している。ならば世界の理に関することに違いなかった。引き金がなんであるのかはまだわからない。だが父は確実にそれを引き抜いたのだ。だからアンの中にもあると気付いたのだろう。

 

「報告はこのまま記録なしの口頭で行いますか。少し時間をいただければ報告書もあげますが」

 本来であれば義祖父にだけ報告するつもりだった。離れて随分と経つし、いわゆる逃亡の末の海賊堕ちだと認識されているはずだったのだ。よもやアンを擁護してくれる誰かが居るなどおもいもよらなかった。というより考えないようにしていた、というのが正しい。

 口頭でいい、とセンゴクからの許しを得てアンはG-3のガレオン船と対峙した経緯を簡単に説明する。もちろんスペード団に関しては完全に黙秘だ。エースの能力はどう足掻いても負傷者の状況を見れば暴かれてしまうので、正直にメラメラの実であることを白状する。嘘はついていないが事実をすべて明らかにするわけではない。ここら辺は経験からくるさじ加減がものを言う。クザンの許で書類と格闘した日々が役立っているとつくづくおもった。おつるの許で得たのは取捨選択や効率の良い交渉のやりとりなどで少し範疇が違うのだ。

 捕捉が必要であればご質問どうぞ。アンは澄ました顔のまま、元帥と中将の質問を受け付ける。いくつかセンゴクから質疑が入った。それにアンは滑らかに応えてゆく。嘘か真か。見聞色を持つ者同士、偽るのも骨が折れる。だから正直に嘘偽りなく、ただし論点はぼかして言質を取られないよう言葉を選んで発言した。

 

 人の往来が至極しにくいこの世の中である。しかも情報統制も厳しい。そんな世の中で瞬時に情報が(つまび)らかにされることはない。必ず時間差、二、三日くらいの開きであればかなり重宝される部類に含まれる。リアルタイムでもたらされる情報ほど貴重なものはなかった。

 

 しかもトレアボン中将の部下たちは幸運だった。相手がスペード団であり、そこにアンが乗り合わせていたからこそ生き延びることができたのだ。抗戦の結果、全滅していただろう部隊すべての命が助かり、復帰の如何は別として命を拾ったのである。

 

「継ぐ、で良いな」

「………………はい」

 

 諾以外の答えを目の前のセンゴク相手に申しだせるのであれば、それはきっと勇者に違いないだろう。期間限定である、とは言わない。20歳から先がみえないないからと言って、死に急ぎたいわけではないのだ。生きて居られるなら、エースと共にルフィの夢の先を見届けたいと切実に願っている。アンは緑の香りを胃に納め、茶碗を木の茶托に置きそっと息を吐く。

 

 渡されたのは鍵だった。義祖父が使っている部屋のその先にある合鍵だという。そこに今から運び込まれる予定の書類が手渡された。一度、そのカギの向こう側に入れたものは持ち出し厳禁の秘密書類と化す。海軍内にあればただの報告書であるが、よもや外部流出してしまうと海軍の存在意義を問われてしまう内容が書かれていると前置きされた。

 それがなぜ、義祖父の部屋にだけあるのか。センゴクがモンキー・D・ガープの席を継ぐアンに手渡した理由は中身にあった。かつてはセンゴクが秘密裏に率いていたそうだが、さすがに世界政府からの監視が強まり泣く泣くガープの手に託された経緯があるという。その際にはかなりの葛藤があっただろう。義祖父がこの類の情報を軽く扱う訳もないが、時として多方面へ無意識に地雷をばらまくのである。そもそも義理人情に厚く、約束を守る男だ。口の堅さは折り紙付で、節義を重んじるからこそ地獄の底まで持っていく。

 だからこそもうすでにこの段階で、見るのが怖くなってきたアンである。だがしかし、促され続けているのであれば見ないわけにもいかない。覚悟を決めて読み込めば、幾人もの将兵の名が連なってあった。これは確かに極秘である。

 これが義祖父が頑なに昇格を拒んできた理由でもあるのだろう。アンに求められている役割は彼らへの支援だ。中将としてではない。航海者として、天竜人の狗であればできることだった。

 よくもまあ今の今、そしてこれからも隠し通していくのだろうがおもいきった事をしでかしたものだ。それだけ過酷な時代であったのだろう。記録として見るのと体感するのとでは全く違うということを、身をもってかなり思い知らされていたからだ。

 しかしセンゴクや義祖父の認識はまだ浅い。人間世界のみの営みが基準であるからだ。世界政府のさらに上、天竜人を管轄している白亜の主と五老星まで出し抜こうとするには、想定が少々甘すぎた。なぜ目こぼしされているのかといえば、人間の枠を超えていないからである。塵居るがごとく青に増えるものをいちいち数えてなんていられない。触れる方が汚れる。天竜人の思考回路とも合致するためこう説明した方が早いか。そう、彼らは自分たちを人間とはおもっていない。かつて人間だった、くらいの感覚だろう。白亜の主が主張したくなる気持ちもわからないでもないが、人間は所詮、肉体を持つ限りは人以上のなにものに成ることができないのだ。神は神でしかなく、神の恩恵を受けたものは別に在る。そして白亜の主とその一派は神もどきですらない。

 

 理想はとても素晴らしい。軍規に縛られた海軍でもなく、略奪強盗が生業の海賊でもなく、そして世界政府が定める平和の定義であれど、それを力技で変えようとしている解放軍でもない。この組織の根本にあるのは目の前の弱者を救う、生きようと、立ち上がろうとする者たちに手を伸ばす、ただそれだけだ。ただ表立って活動できないため、支援も互いの連絡もできない孤軍奮闘となる。これはさすがに辛すぎた。立場的にも弱すぎる。今のいままで存続できていることが、ありえなかった。奇跡としか言いようがない。その身を賭して信念を持ち続ける忍耐力。たとえ自分でなくとも仲間の誰かがきっと成し遂げると、ただ信じていることが、あまりにも自己犠牲すぎてつらい。俺の屍を超えて行け、なんて時代錯誤もよいところだ。こんなことは断ち切るべきである。努力したとて白骨と化した白の指先を握ってくれる誰かが現れるまで彷徨うなんてあってはならない。まずやるべきは連絡網の構築からだ。

 

 思想的に革命軍と近しいが、あちらが打倒しようとしているのは世界政府という組織を作り出した天竜人を支配している、五老星および白亜の主である。かなり奮闘しなければ手が届かない高みであるが、その手足をひとつづ確実に潰しているという点では評価できるだろう。ただあちら側からの意見としては、届くはずもないと楽観視しているため、放置されているのだ。幹部陣にこれを伝えるつもりもないが、なかなかに無謀な挑戦といえるだろう。資金面でも少しばかり問題を抱えているようなので、テコ入れを早めにしておかねばどこかで不和が起こりかねない。算術が得意な子がいたはずだから、こっそり支援しておこうとアンは脳裏に刻む。時期を見誤らず、手順を確かに整え、いざ起爆剤を得た時に用意周到に立ち回れるか、で結果は変わってくるがまだ先の話である。

 

 待ち続けるのはもどかしい。父はほんの少し早かった、と言った。アンに限って言えば、アンも少し短かった。望みのあるエースと未来に必ず繋がっているサボに奮闘してもらわねば、分岐の交わりで必ず主の合いの手が入る。本人が来なくとも騎士団が確実に動くだろう。

 

「こちらの件については早急に対処します」

 スカルレポートで見た名前がいくつか目に入ったからだ。定期的にあちこち、ここに連れて行ってほしいと依頼される場所に跳んでいるが、ひとつとしてまともに見えてそうでない目的地の多いこと。自身から話し出さない限り船に乗り込む前のことは聞かないという不文律の通り、あえて聞きたいことでもないのだが、一体何歳なんだと、どこでどのような人生をおくってきたのかとおもうことは多々ある。

 

 アンはいくつかのメモを取り、指で鳴らしそれをとある場所へ送る。彼らはきっと喜ぶだろう。時間を持て余しているのだ。きっと楽しんでもらえるに違いない。ただあのふわふわにはかなりの重労働を課すことになるので、大好物を用意しておかねばならないだろう。

 そっかぁ、あの人やあの人が身をやつした態でそんなことをしていたのかぁ。全然気づかなかったとアンは人の強かさとまんまとしてやられた、出し抜かれた感に思わず笑みを浮かべた。心得ていたつもりでいても、まだまだ見知らぬ局面がある。俄然楽しくなってきた。こんなに心躍るのは、世界経済新聞社だけが利用を許可されている気球以上の、バロンターミナルを基地にして空の軌跡を復活させたとき以来だ。

 

 きっかけはスカルがひっかけてきた噂だった。なんでもお祭りなどで配られた風船を不意に手放してしまった場合、もしくは願いを込めて空に放った場合、その風船は最終駅(バロンターミナル)にたどり着くのだと。

 それはわくわくするような、まるで童話のような世界だ。数日間の休憩にと寄った島での自由時間にアンはひとり、未知の白へと跳んだ。

 子供たちの手のひらから放たれた色とりどりの青海の夢が、青の空に吸い込まれたときに行き着く最終駅ならば折り返しの出発するなにか、があっても愉しいのではないかとおもったからだ。果たしてたどり着いた場所はかつては風光明媚な都市だっただろう、暮らしていた人々が去った廃墟だった。青海でも数多くある打ち捨てられた町の様相だったが、実父や世界からさまざまな情報を得ているアンを惑わそうとしてもそうはいかない。ひしひしと眠っている過去がそこにあると、示されている感覚があった。それはまるでおいで、見つけてみせてと誘われているようなそわそわとした高揚感だ。アンと感覚を繋いでいたエースがおれも呼べと言い、そんなエースから離れなかったさくらとこたつが供に付いて来、愉しいたのしい冒険がはじまった。廃墟を探検するのは、夜店の露店をひやかしながら宝探しをしているのに似ている。あるけれど、ない。無いと見せかけてこっそりと顔を出している。それは好奇心で深淵のふちを覗き込んだ時と、とてもよく似ていた。

 

 転移の鍵はさくらだった。空間が揺れ全員があっという間に全員が飲み込まれる。反応する瞬きすらなかったくらいだ。ぽかんと口を開いたままのエースを久しぶりに見た。目の前に広がっていたのは豊かで長閑な里の風景である。そして現れたその人の、突然の現象と幻想的でたおやかな姿にあっけにとられていたエースたちがかけられた言葉はおかえりなさい、だった。

 開けてびっくり玉手箱、である。そこにはすでに滅んで久しいと言われていたルーナリア族や三つ目族など、種族名が歴史の本文(ポーネグリフ)にしか残されていない血族が居た。もちろん姿を消したDの名継をした者たちも同様に、である。

 こんなところに生きた暦たちがいるなんて、世界政府の中枢に知られた日にはどんなことが起こるのかとアンは武者震いする。ロビンは目を輝かせるだろうが、いま彼女はとある組織に所属しており声をかけずらい状態にある。かなり広い面積を持つここは、まるで桃源郷だと言われても頷いてしまいそうな儚さも持っていた。

 客人であるエースたちに好意的な声が次々とかかる。いくつかある集落の中で最も小さいとされるこの村は、条件を満たしてやってくる新たな住人たちを出迎えるための玄関だという。

 奥に行けばいくほど旧世界の千年王国を生き抜いた血族だけが集い、新時代をただ見守るためだけに在る寧静の地であるのだそうだ。

 名前は、外部に戻るエースたちには伝えられないと申し訳なさそうに彼女は言った。識れば知られる可能性が出てくる。だから今回は致し方ない。

 世界政府に見つからずよくも生き延びていたとおもえば、この地はほんの少しずれているのだという。隠れ里は住人たちにレイと呼ばれていた。思い当ればなるほど、としかおもえないが解らなければ不思議な響きにしか聞こえない。しかもアンの瞬間移動でも来ることができないという特別な場所だ。世界の狭間からは来ることができるそうなので、どういう場所なのかは言うもがな、であろう。

 

 ありとあらゆるものがこの隠れ里で完結できるように形成されているが、全く外を繋がりがないわけではない。必要に応じて外にも出ることもあるのだとか。ただほとんどの住人が出不精で、上から覗けば見れるのにわざわざ下に降りるのも面倒だと動かないという。スペード団にもひとり居る誰かさんの顔が浮かんだ。

 平和すぎるこの隠れ里を疎んで外部に出るものはおらず、あまりにも修羅すぎる青の海に住まうお気に入りを不憫に思い降りるものが偶に居るのだそうで、その者たちとの連絡手段なのだそうだ。

 外部とのやりとりが必要な場合、この子たちを使うと紹介されたのが四人の今目の前に浮いている綿毛のようなふわっふわの小鳥だった。肌触りが究極すぎるその小鳥は、アンと類似する能力をもっていた。触れたものを、この隠れ里に瞬間移動させる、という離れ業である。ただ移動できるものは無機物に限り、ほんの少しでも意思を持っているものは弾かれるのだという。しかもこの子たちは隠れ里から自由に出入り可能だった。そして見た目に反してかなりの速度で青の空を飛び、疲れたら風に身を任せるだけでバロンターミナルへ戻ってくるというとても面白い習性をもつふわふわだ。この鳥の一族が商会の連絡網を一手に引き受けてくれたおかげで、白亜の主だけでなく五老星にも把握されていない連絡網が出来上がったのである。

 

 続けて義祖父から渡されたのは、いわゆる世界政府の裏の顔であるCPに関する資料だ。中将の位を継ぐアンにも使用権限が付加されるために渡された書類だろう。

 海軍の上層部が情報収集のために使えるよう下部組織と位置づけられているが、実際のところこれも世界政府のひも付きである。青の海に住まう人間に対しては1から8が主に対応し、その監視に入っているのが9である。その他、天竜人の脅威になりうる遺失物を手に入れたり情報を得て動き始めた一般人を制裁するために動くこともままあるが、潜入しての任務となるため頻度はかなり低い。スパンダムの代になってからかなり頻繁に送られているが、あの執念と嗅覚の鋭さには恐れ入る。掴んだ情報の糸の先がすべて空白の100年絡みなのだ。あの粘り強さを他の局面に生かすことができれば、本人の希望通り出世街道まっしぐらである。だが本人は妙なところでこだわりを持ちすぎているのだ。それが味ともいえるのだが、さてどう使おうかとほくそ笑む。中将の地位は9の長官よりも位が上なのだ。是非ともこき使わせてもらおう。

 

 ぱさり、と仕立ての良い手触りの紙が落ちた。形状的には封筒である。開けてよいのかとセンゴクを見ればひとつ頷いた。開いてみればどうということもない。デイハルド関係である。天竜人の傀儡として海軍内では有名なイージスに席が設けられたという通達文だ。文字の意味を喪わせた世界政府が最強の楯を意味するイージスと名付けるとはなんの皮肉だろう。ありとあらゆる災厄を払い続ける魔よけの能力を持つ盾だが、今の時代、完璧に名前負けしているとおもうのはアンだけだろうか。主な任務は薬物の流通と一般民衆や海賊、解放軍に至るまで世界にばら撒かれている武器供給の操作だ。一遍すら関わっていない武器など、ほとんどないのではないだろうか。鍛冶師から直接贈られた刃と空島独自の破壊兵器以外はすべて取り扱っているはずだ。

 イージスは天上金の回収作業をしながら流通の手配りをしている。アンが担う役割的に常駐しろとは言われないだろうが、革命軍の思想に感化された青海の島を沈めてこい、くらいは命じられそうだ。デイハルドから直接、指示がなければ拒否するつもりだが五老星がもし、不測の事態で代替わりをせねばならなかったときの控えの控えに目されているようなのだ。着々と内部に組み入れられているのがわかる。婚約者にあてがわれた彼女もマンマイヤー家の直系だ。かわってデイハルドはドンキホーテ家とトップマン家の傍流である。本来であれば青海人に見せつける象徴としての人生が充てがわれていたようだが、アンを手に入れたことにより利用価値が高まったのだろう。早々と婚約が組まれ、形的には18になると婿入りする予定となっていた。

 

 これは早々にシャンクスと同様、ふたりだけは因果を断ち切っておくべきだと判断する。天竜人が1000年前の反転期に異を唱え、神の意を勝ち得たのは確かだ。代理人としてわかりやすく神を模したのも解らないでもない。だが人間の寿命を80年程度と仮定しても10以上の世代が代わっている。そんな(とこ)しえにも感じる時間が流れた今、再び審判の時が訪れようとしていた。それを阻止しようとDの名を継ぐものたちを目の敵にしているが、Dの一族とてそんな役割を代行したいわけがない。時代と血の中に仕掛けられた時限爆弾が動き出すのだ。そして結果的に世界のリセットをかける。話し合い理解を深め合えばネフェルタリやジョイボーイのように存続方面に舵を切る協力を惜しまない名継たちもいただろう。現在進行形ではアンもそうだ。義祖父やドラゴン、ルフィはほぼ確定で関わるだろうし、命脈が乱れるから出入り禁止とされ、行ったことが無いエルハブは言うまでもない。その他、出会っている幾人かとデービーの名継たちは確実に絡んでくる。すでに白亜の主と糸が結ばれているのだ。それはそれは太い、しめ縄のような因縁が、である。あれをどう扱うのかによって終わりも変化していくだろう。

 だが今回ばかりはどうなるか。少なくとも現在の支配体制は変わるだろう。

 世界はただそこにあり続ける。その行き先は生きる命たちだけが選び取れるのだ。Dの役目は天秤を用意することのみ。最終判断を下す役目にはなれない。

 

 確認事項をひとつずつ確認してゆく。戻ってきたばかりの家出娘にさせるような仕事量ではないとおもうのだが、一年分と言われてしまえば、はいと答えるほかない。

 ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ……

 二足の草鞋を履くだけでもなかなか大変だぞ、と時間のやりくりに苦心していたがざっと数えただけでも五つ。本格的に体がふたつないし三つ欲しい事態である。とある漫画の忍者のように影分身できないだろうか。出来たとしてもそっちの方がいいと好みの合う仕事の取り合いになりそうな気がしないでもない。しかも残念ながらDの、ポートガスやゴールの名に付随した能力には該当がなかった。どうやら身を粉にするしか解決方法がなさそうだ。エースの言う、悔いなく生きるために必要な判断、であったが少しばかり欲張りすぎたかもしれない。

 義祖父とセンゴクへ矢継ぎ早に、海軍本部内部に関する質問を重ねれば、お堅い組織だ、そんなに変更された箇所はなかった。ただしおつるが乗り気で進めてくれていた教育関係だけはかなり変革が成されている。そもそも海兵になる多くの(ともがら)たちは人の世界を憂いて志願し、世界の姿に絶望して去っていく人たちばかりだ。酸いも甘いもそれこそ泥水すら飲み込んで耐え続けている猛者もいるが、その人たちが折れたが最後、この世は今よりも命が軽い世界になってしまう。どんなに足掻いてもすべて平等であれというほうが難しくはあるが、少なくとも自分自身が自分の価値を決めるくらいの自由はあっても良いとおもうのだ。生まれや育ちによって差別や区別されるのではなく、己の自由意思によって上るも下るも、堕ちることすら選択できる世の中であってほしいと願う。ただ数多を平らに等しく見ていられないのが口惜しい。

 すべてを救うなどおこがましいにもほどがあるが、広く浅く誰にとっても恩恵があるようでない、という常態に持ち込むのが石の山である。それによって手を取れない多くの嘆きがあるのも確かで、それを救えないと悲しむのは傲慢以外のなにものでもない。わかってはいるが飲み込めない、やるせない苦さもあった。

 

 己の手が届くところから動くしかないと、とにもかくにも家出に関する、まずはお詫び行脚からはじめようかと元帥と、今までと同じく外出が多くなるため、補佐のひとりとして付いてくれることになった義祖父にごめんなさい、と心から感謝を込めて言葉を口にした。

 アンが世代交代して中将の席に座るが、不在の時は今まで通り義祖父を指揮官とした運用となる。なのでボガードも副官続行だという。その他、港で出迎えてくれた戦闘も事務処理も熟せるフロウ・イツリルと作戦の立案と指揮を執るレナトゥス・カルテジアの両名がアンの直属の部下として登録されたと聞いた。ちなみに配属された士官の中にイスカが居る。エースやツヴァイやデュース、その他幾人かがシャボンディでとてもお世話になった恩人である。誰の推薦かと見ればやはりモモンガだった。しっかりと同僚に引導を渡してくれたようである。海賊が憎いと敵視するのは自由だ。しかし自分の手柄が欲しいと、己の失態までも海賊のせいにしてしまうのは中将としてどうなのかとおもうのだ。潔く失敗を認め、喪われた命に黙とうし次回に生かすのが将としての姿なのではないかとアンは考える。

 

 世代交代に関しては近々発行される海軍内の官報で復帰全面的に出し大々的に流すそうだ。それに関してはどうぞお好きに、と答える他ない。ただアンのことを知る各所のことをおもえば、身から出た錆である。粛々と向き合うほかないだろう。民間向けには世界経済新聞が号外で出るのだろうが、はたして何を書かれるのやら。各所の反応が楽しみすぎて、夜しか眠れなくなりそうだ。

 

 息を落ち着け気持ちを切り替えてアンは動き出す。お供はフロウ少佐だ。長い時間、元帥室に籠っていたのだが待っていてくれたのだという。久しぶりにお会いできたのだからと積もる話もあるということで道すがら、雑談に興じる。故郷の島が無事復興したことや、助け出された鬼子と呼ばれていた子供たちが羊の家という有志が作った孤児院で引き取られたこと。悪徳海兵が残した爪痕がどうなったのかも簡潔に語られた。士官学校でもアンの出奔が話題になり、どうすれば彼女を説得できるかが、講義の内容になったそうな。もっと建設的な講義をなさった方がよいのではないかと今度、教官に具申するべきか悩むところである。

 

 いくらなんでもG支部にまで跳んでご挨拶するには時差もあるし時間が足りないため、本部に逗留、または待機している同格から回ることにした。大将の在籍はひとりだけ、ボルサリーノが自身の部屋で首を長くしてお待ちである。見聞色はこういうとき、有無を言わさない圧を感じ取ってしまうのだ。おじさんは後回しにする。絶対に長くなるに決まっているのだ、経験的に。

 

 中将職を拝命している将校は意外に多い。大将が三名であるのに対し、中将は各四方の海に最大3名まで置ける。偉大なる航路(グランドライン)内では前半に8名、後半に13名が配置されていた。ちなみに奇数が新世界、偶数が楽園に振られている。その他、文字支部もあるが四皇の領地に近すぎて、定期的に破壊活動されてしまう哀れな基地もあった。

 

 

戻ってくるならばわざわざ出奔しなくともよかったのではないか、と時間は有限であるからと早速行脚に向かえば、そんな諫言をしてくれる幾人かがいた。ごもっともな意見である。にこりと笑んで言い訳も抗弁もせず、ただ静かに拝聴した。しかし外に出なければ結べない(よしみ)もあった。最近であれば魚人島だ。もし海兵の身分のまま、魚人島に入ったならば海賊として入港した時以上に警戒されていたと考えられる。しかも島民たちの悪しき感情の矛先となっている、天竜人の手先である海軍が手の届く範囲にいたならば。どんなことが起こるか想像にたやすいだろう。

 もし、仮にアンが全く世界からの恩恵を受けず、この世に生きる数多の命と同じ条件で生を受けたのだとしたら義祖父のいるこの海軍で骨を埋めていた可能性が高かったのではないだろうか。その場合はエースやサボと喧嘩ばかりしていたとも考えられる。野蛮な男なんて嫌い、みたいなことも言っていたかもしれない。生まれた時から別世界の、両親から愛されていた記憶があったから、弟を可愛いと受け入れられたし同族嫌悪しなくて済んだのだろうとおもう。物心ついたころに親が大罪人だったと聞き、母も亡く情はあったが無償の愛などないダダンたちが側にいた。守ってくれる誰かが居ない、自分の身を護るのは自分だけ。そんな環境であればひねくれないほうがおかしいにきまっている。おかしいと思わないくらいの絶望まみれだ。そして反抗期さながらに義祖父の言葉にそそのかされて海軍に入り、兄弟たちを敵視するなんてことになっていたならばと想像するだけでぞっとした。しかもそんな人生を歩んでいたなら元帥や大将たちの目には留まらなかっただろう。平凡ではないが非凡ではない、祖父の七光りに頼りながら在籍していたかもしれない。

 前提条件からしてありえないし、ゴール・D・ロジャーの娘として生まれるなど、今回が初めてだ。エースのほうは航海に出たあたりから、いろいろと父から夢でやっかいな要求を突き付けられているようで、そういう時は特に引っ付き虫化が半端ない。双子として生まれたからなのか不安なときはくっついていると落ち着くのである。それを真似したさくらが一番かわいい。最近は成長期にはいったのか、体つきが少ししっかりしてきたようにもおもう。エースや他の仲間のようながっしりとした筋肉を目指さないでもらいたいところである。

 

 黄猿に会いに行き、こってりと耳の痛い説教を受けた後、アンはしょぼしょぼとする目元を揉みながら義祖父の部屋に戻ってきていた。畳にぱたりを身を任せ、精神的ダメージの緩和を図る。

 フロウとはボルサリーノの部屋の前で別れていた。明日もよろしくねと挨拶を交わせば、明日があることの意味を感慨深げに噛みしめていた。無駄に消費させてしまった一年という月日の重さを感じさせる。とはいえ、アンもあの時は譲れなかったのだ。どうしてもエースと共に海に出たかった。なんの肩書もない、エースとアンというただ一人の人間として世界に飛び出したかったのだ。

 挨拶に向かう場所はまだあるが明後日以降に回すことにして、翌日は聖地中心にまわる事になりそうだと独り言ちた。

 

 スペード団のほうはと意識を向ければ、夕食準備中のようだ。海軍の船倉にあった食べ物類はすべて回収できたため今日の夕食はとても豪華だ。在庫が少なくなっていた医療品や洗剤なども少しばかり分けてもらったので、当分の間はもつだろう。

 

 

 料理の腕前を持つ仲間が乗り込んでくれたことで、塩味しかない食べ物が出ることは無くなった。それだけでも十分ありがたい。滋味のあるご飯は、エースが作るマキノ印のスープとアンが食事当番の時だけだったのだ。さくらにも仕込んでみたがあまり得意ではなかったようで、今ではもっぱら食べる専門である。デュースも塩をかけるだけで焼くか煮るかだった。その他のみんなも同じようなもので、胡椒をはじめとする調味料、スパイスすらあるのになぜか使わない。食べられない代物に変わりそうで怖いという回答であったが、魔改造すらしなければちゃんと美味しくできるはずなのだ。しかしバンシーだけは例外だ。下処理すらせず、鍋になんでもぶち込んでしまう。結果出来上がるのは癖のあるにおい漂う不思議鍋だ。それでも空腹であれば美味しいとおもえるところが人体の不思議でもあった。

 

 「ただいまぁ」

 「おかえり」

 

  

 海軍将校のコートを着たまま帰っても、そのことに突っ込む仲間は誰も居ない。

 くたくたになった心と体を癒してくれるのは、やっぱり我が家と仲間たちに限る、そうアンはつくづくと感じた。ちなみに今晩の夕食は勝利の祝飯だ。肉も魚も豪華に並び、炊かれたご飯には収穫を手伝って得た栗がごろごろと入っていた。

 そのいくつかをこっそりとある場所にとばす。見て見ぬふりをしてくれるエースに感謝しつつ、骨付き肉にかぶりついた。

 

 

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 結果を先に述べるならば、アンはしばらくの間、聖地の侵入禁止領域が増えた。

 

 いつものように跳躍の着地はデイハルドの家だ。邸宅の形がロとエがくっついたような形をしているため、いつも中央の庭に降り立つようにしていた。

 聖地マリージョアは赤い土の大陸(レッドライン)の上にある都である。母なる海を遠ざけたかった白亜の主が住まうにはうってつけでもあった。赴くにはシャボンディ諸島やマリンフォードからほど近い赤い港(レッドボート)から出ているボンドラに乗って上昇する以外に手段はない。月歩が使えても途中で息切れは必須で体力が尽きれば落ちるしかないし、またフィッシャー・タイガーのように命がけの岩登り(ロッククライミング)するならば登頂する可能性はあるが、彼が魚人の中でもかなり体力値が高かったからできた荒業である。普通は上がれない。アンであろうとも自力で登れと言われたら丁重にお断りする。

 そもそもあの赤の崖は植物も生えない荒涼とした地だ。基本的にぺんぺん草一本すら発芽することがない。さりとてぼろぼろと脆く崩れやすいという地質でもなかった。だから登れた、とも言えるのだがあまりお勧めはできない。空島ほどではないが、普段、青海で暮らしている人間がこの壁に挑めば高い確率で高山病になるのだ。ボンドラには発症原因である大気圧の低下を防ぎ、かつ酸素不足にならないよう配慮された作りになっている。

 

 

 パンゲア城は都の中心部にあった。後方には万緑の森といくつかの施設があり、町並みは城の前方に円を描いて建物が整然と並んでいる。眺めて鑑賞する限り、青空と雲に囲まれた非現実なほどに美しく整備された都という印象を持つだろう。生活感は皆無ではないが、見る人が見れば隠されていると解る。

 城と町はかなり広い水路で隔てられており、標高の高さゆえ高地に適した植物形態が見受けられた。パンゲア城も左右対称の幾何学建築だが、人口の森や町並みですら均等で美しく形作られている。

 天竜人にも位があり、上であればあるほど城に近い場所に居を、城から直結した直下や城内の一部、橋を渡ったその先にある堅固な要塞のような警備体制が敷かれた区域に住まいを構えることができるが、デイハルドのように分家と分家の薄い血筋ともなると真ん中よりも少し外側に近い居住区域を分け与えられる。神々の領域と呼ばれる豪華絢爛な邸宅街には基本、最初の20人の純血に近いものしか住むことを許されていない。だが血が濃くなり過ぎれば弊害も生まれる。そのため定期的に外部の遺伝子的に相性の良い相手を選別する家もあった。しかしどう足掻いても疾患が現れる一族も出る。そういう時、あてがわれるのは奴隷に産ませた分家をかけ合わせた種だ。

 聖地は聖地の中だけで完結できるように、すべてが整っている。唯一の欠点は食料の自給自足ができないことだけだ。アンがいれば物資を持って運び込めばいいだけの話だが、残念ながら次回の世界会議まで生き残っているか確証が持てない。なんとか地下を拡張して農園でも作ってみるかと考えた。だがこの緑が広がる場所は彼の支配地だ。点とはいえアンの領域を作ればいい気はしないだろう。しかも彼にはつぶせないとなれば、デイハルドに責を押し付けてくる可能性もある。折衝が難しすぎて、一旦考えるのをやめた。

 

 それはともかくデイハルドと婚約者の体力増強計画である。

 世界貴族と呼称される一部は優雅に享楽にふけ奴隷を侍らして暮らしている者もいるが、これは青海に暮らす人々、もしくは海軍の、怒りや報われない気持ちを向ける矛先としての贄だ。支配者階級側である純血に近い天竜人は決して自分たちのことを世界貴族とは呼ばない。

 海兵としてボルサリーノと世界貴族の護衛の任に当った時はシャボンをかぶって不思議だなと、下界の空気を吸いたくないなんてお貴族様はそんなものかと軽く考えていたが、聖地と青海を行き来してわかったことがある。贄として育てられている世界貴族は、弱い、のだ。……頭だとおもっただろうが、残念、違う。身体能力というより、生き物として弱い、のである。ちょっとしたことで体調を崩すし、運動なんかさせた日には翌日、筋肉痛で動けなくなる上、食も細るのだ。だから真綿でくるむように大切に育てられている。脳の発達具合だけでいえば、実は滅茶苦茶IQが高い者が多い。デイハルドに以前、ベガバンクから差し出された物理学の数式、アンがどうやって世界を跳んでいるのかを表したのかを書き殴られたそれを眺めていたとき、事細かに解説してくれたことがある。彼の婚約者も同様に、パズルを解くかのごとく数式を次々と展開させて最適解を求めていた。アンにはさっぱり解らなかったが、ふたりにとってはかなり面白かったらしくまた持ってくるように命じられたくらいだ。展開式はディの婚約者殿がもう少し楽しみたいと持ち帰り、他の聖や宮と議論したそうである。世界貴族は決して馬鹿ではないのだ。感情面の発達が促されていないだけで。奴隷を必要とするのも、乗って移動手段とするためだ。世界と切り離され完全室内飼されている、とも言い換えられるだろう。これに関してはお気の毒に、とおもう。

 

 代わって世界の根本を動かすご老人たちや、次世代となるよう育成されたものたちはさすがこの世界の人間だけあって強靭だった。主の能力を契約によって縛り付加されているからではない。基本、白亜の城に住む天竜人たちにアンが挑んでも勝利を収めるのは難しいのだ。後付けの能力を抑え込むことはできる。Dの一族だから。とはいえ自力同士の対決となれば、負けるだろう。それだけ生きてきた年数というのは、計り知れない力となって重なり続けるのである。

 

 デイハルドも最近は末の末ではあるが利用価値が認められ、ちょっとした折衝を任されているらしい。世界貴族に物申せるのは同じ血族だけである。役職もちは使い走りであるが、一応は同族として認識されるそうだ。

 業務は城内にある部署で行われる。依頼したいなにかがあれば使者が訪れるのだ。このあたりは随分を古典的な儀式のように行われた。情報のやりとりに日数がかかる世界であるがゆえに、従来からある電電虫を使ったりベガバンクが開発した電波式の無線の使用がいつまで経っても不許可だったりと、あべこべ感がかなり強く困惑しきりだ。

 先ほども述べたが、聖地では序列が全てだ。黒のスーツを着た者たちはデイハルドのような分家のもう一段階血が薄まった者が多いが、呼び出しはさらに青海寄りの奴隷が伝令としてやって来、書面が差し出される。面倒臭いのが直接天竜人に手渡すのは禁じられており、奴隷から奴隷へ、そこから邸宅の維持を担当している上級奴隷か聖地で生まれた管理階級が受け取り、仕えている主人に渡すのだ。ちなみにアンはデイハルドの狗として認められているため、直接の手渡しが一応許される立場ではあった。

 

 聖地内の移動は意外に楽ちんだ。町のあちこちに歩く歩道が設置されており、そこに乗って移動する。だがその下で鞭を持った管理官が捨てられた奴隷たちをつかって動かしているなど、誰も予想しないだろう。色を持てば気配でわかるのだが、世界貴族であるただひとには到底知る由もない。アンもできるだけ、聖地に居る時は色の範囲を狭めるように勤めていた。死ぬこと以外はかすり傷、と常々おもっているが、この聖地に限ってだけはそうではない。死ぬことこそ、最大の開放となる。死を待ちわびる人間の心は、深淵への路をを生む。天に一番近い場所が地獄への門となっているのだ。

 

 もともとデイハルドも父親と共に使っていたそうだが、体力をつけるために歩いて、とお願いしていた。色の素質は婚約者のほうにあり、残念ながらディやランも持っていないがなんとかなるだろう。なって欲しいとおもうのはただの希望的観測だが、彼のおひざ元であるこの聖地で動き回るのも、邪魔しないと誓った約束もある。気が引けてしまうのだ。

 なぜそうまでして強化を急いでいるのかと言えば、聖地が不安定な常態に陥ることが偶にあるからだ。呼び水というより、定期的にそうなるように仕向けている節がある。

 普段は外部と接触を一切断っている聖地であるが、四年に一度だけ解放される日々があった。世界会議(レヴェリー)だ。

 アンも海兵のひとりとして参加したことがあるが、4年毎に事件が確実に起こっていた。そのどれもが世界貴族に一泡食わせるための、暴動だ。もしもがあると仮定した方が対処は簡単である。命あっての物種だから、とランにもお願いを繰り返してどうにかこうにか体力向上に努めてもらっていた。騒乱の現場に居続けると、それだけ被害を被る可能性が高くなる。ランが抱えて逃げるのが一番手っ取り早いが、もしかするかもしれない。その時はデイハルドが己の体を使って、安全圏まで脱出してもらわねばならないのだ。だからそのための体力向上習慣を付けてもらおうと苦心していた。未だ身分としては世界貴族の中に含まれてはいるものの、対外的な象徴としてシャボンをかぶり、宇宙服のような奇天烈怪奇な服装をしなくなっているから、騎士団や従刃たちのように町中を歩いていてもなんら叱責されることはないはずだ。

 

 アンがデイハルドのもとを訪れた時、丁度白亜の城へ向かおうとしていたところだった。護衛としてランを従えている。服装は邸宅に居る時より少しばかりおしゃれで、首元にフリルがついた白のシャツに黒のズボン、タキシード型の黒ベストを着用していた。ランはいつもの剣闘士のような出で立ちだ。愛用の剣も佩いてあり、お出かけの準備は万端層である。

 

 「今日は何用だ?」

 「祖父の席を踏襲する旨となりましたご報告のご挨拶と、コングおじさんに書簡を届けに」

 海軍のコートの中から、黒の筒を取り出して見せる。海軍本部元帥から世界政府全軍総帥に書簡が渡るまで、10日から15日程度が必要だったのだが、アンが戻ったことによって即日配達が可能になった。これは海軍にとって大きな利点だ。待つという無駄な時間が、上層部の待機時間が大幅に縮小されるのである。末端にまで命令が行き届く時間のゆうに倍以上かかっていたこの、無駄な保留期間がほぼなくなるのである。迅速に下知が伝達されるだけで、こんなにも組織が円滑に回るのかと目を疑うほどの変化をもたらすのだ。

 

 航海者として生活していた一年間、満月のたびにデイハルドのもとには通っていたし五老星から命じられた依頼を受けもしていた。だからそんなに迷惑をかけた、という意識はないのだが天竜人として手を伸ばせるところには全て杭を打ち込んでくれていたのだ。海兵の立場に戻れば窮屈で束縛されるのだろうとおもっていたのだが、それほどでもないことにふと昨夜気付いた。まだ海兵に出戻って昨日の今日である。

 今朝出勤したと同時にまるで一年、海軍に勤め続けていたかのように全てが整えられていた。ちなみに義祖父は久しぶりの休日を満喫している。今日の晩御飯は義祖父の家で摂ることになっていた。エースがかなりふくれっ面になったが、おかずを持ち帰ることを条件になんとか出てくることができたのだ。多めに持って帰るつもりではあるが、きっと争奪戦になるだろう。スペード団の食欲にかける情熱はなにものよりも強い。

 

 手のひらに渡された裁量権も中将としては破格の扱いだ。天竜人の首輪付きとはいえ、異例すぎる待遇に胃が痛くなってくる。さまざまな意図が絡み合っているのだろうが、主人はアンを青海に解き放った後に海軍に下した命令を未だに撤回していないのである。己の狗を縛するなと。

 そしてデイハルドはアンを、海兵として縛らない。だからこそ自由に動けるための席をあえて用意させたのだ。

 そして今までと同じように心の赴くまま航海者として海を往き、見たこと聞いたこと、感じたことをそのまま聖に話して聞かせてくれと言っているのだ。

 ここまで丁重なもてなしをして貰いながら、慇懃無礼で返すわけにはいかないだろう。

 アンは意を、そして覚悟を決めた。

 この選択で願う未来が開けることを志ながら、命ある限りこの世界を駆け抜けることを誓う。惜しむらくはいくら未来に続くあちこちを覗いても、自身の姿がひとつとしてないことだろうか。これに関して解釈の違いでエースともめているのだが、嫌がらせとか嫌われているとかそういうレベルではない気がするのだ。どちらかと言えば、猫かわいがりされている感が強い。で、あるのになぜこちら側で生きる時間が短いのか。エースですら低確率とはいえ生き残る術があるのになぜアンにだけはないのかと半分がやさぐれるのだ。

 

 

 

 そして事件が起きた。

 コングが与えられた一室はパンゲア城の中にある。本来、奴隷は主人に触れることを禁じられていた。だからその背に乗るのだが、城門までの坂道は護衛としての役目も持つランにとって致命的な弱点を晒す場所でもあったのだ。なにもない、が当たり前であるが、何かが起きてもおかしくはないのが聖地である。背に乗せるとデイハルドをとっさに庇えるが、立ち上がった際に後方へ主人を落としかねないし、攻防の要ともいえるランのほうが手傷を負い守れなくなる可能性があるのだ。なので肘まで覆う革製のグローブを付け直接触れることなく抱き上げる許可をすったもんだの末、得た。その際に従刃たちが本当に守れるのかとランを闘技場に呼び出したが、アンによって防御系の三式を叩き込まれた彼の敵ではなかった、と聞いている。残念ながら色の素質は持っていなかったが、それでも三式を得られたのであれば次世代に期待できた。

 城へと向かう広く長い階段を前にランが主人を恭しく横抱きにし、肩に手が置かれたことを確認して上り始めた直後。

 どこかへ出かけるのか、宮と聖が奴隷の背に乗り降りてきたため端に寄り道を譲りアンはその場で海兵としての敬礼を行い、ランは聖を抱いたまま目をつむった。奴隷が直接世界貴族を直視することを許されてはいない。デイハルドも大概の場合、外の内郭街で暮らしている自分より城内に近い場所で邸宅を構える天竜人たちのほうが位が上だと理解している。濃さの違いがあるとはいえ、まだ世界貴族としての血族である。礼をとる必要はない。

 だからアンはランの閉じられた視覚を補うように見聞色を強化する。すると瞬間的に違和を拾った。

 通り過ぎようとした刹那、意識が解放されたようなはっきりとした命の光を見たのだ。奴隷は餌の中に判断力や思考力を下げる薬品が混ぜられている。食べるたび漢方のように蓄積してゆくそれらは決して代謝では排泄されず、臓器の中に溜まり続け最終的に生きる屍のようになってゆく。そうなれば例外なく廃棄されるが行く末だ。

 アンはするりと自分の中から、なにかを引き出されたような感覚を違和とおもった。だがそれは命の懇願だと理解する。

 彼は命じられたままに背を水平状態のまま下半身に負荷をかけ、階段を降りていた。それまではどこに焦点があるのか、ぼやけたような喪失状態だったのだがアンとすれ違ったその一瞬に彼は選択したのだ。

 

 殺気が膨らんだ。聖の首に手がかかり、カエルが潰れたような音がしたとおもった瞬きの後、奴隷の首輪に内蔵された爆弾が発動しその首を吹き飛ばした。とっさにアンはデイハルドをその背にかばい、飛んできたあらゆるものを打ち落とす。ランは主人を抱きしめてその場でうずくまり鉄塊を使って自らの身で護る。朱色の雫が周囲を汚した。そこへ駆けつけてきたのは神の従刃たちだ。アンは駆けつけてきた彼らが奴隷を煽ってはいないだろうなと疑いをかけてきたため、できるだけ冷静に対処しようと試みたがいつまで経っても解放してくれそうになく、思わず覇王色で意識を刈り取った。段差を落ちてゆく彼らを尻目に注視するのはデイハルドと残ったもうひとりの世界貴族だ。

 目の前で聖が息を引き取り、直接、雨あられのように紅が降り注ぐのは初めての経験だったらしい。奴隷の首が飛んだ瞬間を直視した宮も青ざめて奥歯を鳴らしており今日という日は気運が良くなかったのだと、早く城内に戻るよう諭したかったのだが、まさかの邪魔である。一応、自分たちが守るべき天竜人の一部であろうになにをもたもたとしているのだろうか。いくら青海人を嫌っているとはいえ、海軍将校であるアンに対しても随分な対応だ。もしかしなくともいちゃもんをつけるためにわざと絡んできたとでもいうのか。

 デイハルドをランに任せ、震えている宮の前に礼節をもってお辞儀し助力を申し出る。格式の高い所作は他者への敬意と、自身の教養を示すために必要なルールだ。ボルサリーノが世界貴族と遭遇率が高くなる任務に付く際に必要になると教師陣をつけられ叩き込まれた。

 意識するのは指先や足元など先に動く点だ。参考にしたのはとある歌劇団の男役である。100年以上の歴史を持つその歌劇団の舞台は初心者であったもその華やかさと優雅な身のこなし、やわらかなバレエ由来の所作に目を奪われた。それをアンは不確かな記憶のまま見よう見真似したのだ。驚くことなかれ。煌びやかな美の世界は、ミリ単位で指先の角度から首の傾け方、視線の配り方に至るまで型が存在している。磨き甲斐があると審美眼で判断した彼らは1か月という短い時間で、できる限りという黄猿の要望に応えようと教師として召喚された者たちはたったひとりの生徒を鍛え上げた。

 

 徹底的に覚えさせられた身体の動きを使い、アンは恭しく舞台にたつ役者のように貴婦人(仮)へ礼をとる。このような無粋な場所でお声がけし申し訳ございません、我らが麗しの姫。というこころもちで厚くもてなす。世界貴族は基本的に接待されることになれているため、そんじょそこらの対応では鼻で笑われて終わりである。だから今、まさにここにあるのはふたりだけの世界、を作り出すのだ。

 傍から見ればかなりの猟奇殺人現場(スプラッター)だが、笑ってはいけない。気付いてもいけない。ここは麗しき薔薇の園である。にこやかに、赤いシミはバラの花びらにでも置き換え、少女漫画のように咲き乱れているのでもいい。とにかく宮にこの場からさっさと撤退していただき、デイハルドは疾く安全圏に戻ってもらいたい。きっとランやディからも後ほど追及があるだろう。胡乱な目ですでに見られているのだ。視線が痛かった。いつもとは違う、で構わない。外見と内心の剥離があって結構。演技だ、わたしは女優だと言い聞かせて役を果たす。黒歴史上等である。そうで無ければ血反吐を吐いて(ルフィ)のもとに逃げてしまいたいくらいだ。どんなに芝居かかっていたとしても弟ならば、普通だと、へぇそんなもんなんだと気にもしないだろうからとてもとても気持ちが楽になるのだ。反対に喜ばれても心の底からの賛美なので、そちらでも精神的ダメージが軽くなる。サボやエースはいけない。ああだこうだとツッコミが激しすぎて地味に継続ダメージや追撃を受けてしまう。はやく、はやくと焦りながらもそんな心の葛藤を顔面に一ミリすら出さず、貼り付けるのは凛とした不自然でない目の開きと頬の張り、口角を上げ歯を見せずに微笑む通称、貴族の笑顔だ。

 少々時間はかかったが、我に返ったどこかほっとしたような宮からの許しを得れば奴隷の鎖を引き城内に戻るために引き始めた。

 その後、騒ぎを聞きつけて集まってきた他の従刃と役人たちが状況を把握しようと事情を尋ねてくる。下手に応答すればこじれるため、説明はディに任せアンは奴隷ごと階段の始まりまで宮を瞬間移動で飛ばす。はたから見れば、白の海兵服とコートに赤の飛沫が降りかかり滴っているのだ。誰がどこにいたのか明白だろう。人間ひとりぶんとはいえ血だまりはできる。戦場にあり続けるならば日常茶飯事であるが、ここは世界貴族が住まう白亜の城の眼前だ。こんなことは普通、ありえない。しかもその状態で平然としていては、気味も悪かろう。それが普通、とおもってしまうあたり常識がずれていると自分の事ながら認識している。

 

 デイハルドも一旦、邸宅に戻ることになり実況検分が始まった。拘束されることなくその場で事情聴取だけを受けたアンはそのまま、元帥から託された任務を遂行すべく世界政府全軍総帥が座す扉を叩いた。

 状況を把握したコングはアンをねぎらったが、さすがに血みどろのまま平気な顔をして城内を闊歩したのはいけなかったらしい。状況が落ち着くまで、白亜の城への登城は禁止された。コングの部屋に直接出向くのであれば来ることは可能だが、部屋から出ないようにとのお達しである。

 

 海軍本部に戻ってからも早速センゴクに渋い顔をされ、義祖父には大笑いされた。廊下には一滴すらおとさなかったのに。ボルサリーノには戦場に慣らしすぎたかねぇ。と軽い調子で慰められたが全く気持ち的に納得できていない。

 復帰早々、とんだ災難であった。これはかなりお高めの肉を調理して堪能するしかない。今晩のお財布ににんまりと微笑みかけた。




ちなみに晩御飯は高級グートン牛のすき焼き。ザブトンという肩ロースの一部で一頭から数キロしか取れない、とろける様な食感の希少部位を豪華にも使用。
たっぷりお腹いっぱいまで、ボルサリーノやおつる、センゴクともに食べたが義祖父のお財布にはダメーが与えられなかった。
お持ち帰りは2人分。争奪戦の勝者は、さて誰の手に渡ったのかは。
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