我、無限の欲望の蒐集家也   作:軍曹(K-6)
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時系列。

 

時系列の捉え方を、僕は間違っていたらしい。

 

てっきり、戦場ヶ原が蟹に行き遭って、重みを失い、その後で戦場ヶ原の母親が、それを心に病んで、悪徳宗教に嵌っていった──のだと思っていたけれど、そうではなく、戦場ヶ原の母親が悪徳宗教に嵌ったのは、戦場ヶ原が蟹に行き遭い重みを失う、随分と前だと、いうことだ。

 

正確には、戦場ヶ原の母親が悪徳宗教に嵌ったのは──それを信奉するようになったのは、戦場ヶ原が小学五年生のときだったらしい。羽川ですら知らない、小学校の頃の、話だったのだ。

 

その頃戦場ヶ原は──病弱な女の子だったらしい。

 

立ち位置ではなく、本当にそうだったのだ。

 

そして、あるとき、名前を言えば誰でも知っているような、酷い大病を患った。九割方助からないというような、それこそ医者が匙を投げるような、病状だったそうだ。

 

今から考えれば、医者が匙を投げる大病とは何か、全く以て皆目見当がつかないし、体内のナノマシンが体内細胞には解決できない問題を、片っ端から直す今から考えれば、医者にかかることがまずないだろうけど、体内にナノマシンが打ちこまれたのは中学二年の秋だった気もするし、夏だった気もする。

 

その当時はインフルエンザワクチンのように、世界中──僕の知る限り、日本中は絶対だ──一斉に投与され、僕らの健康状態、個人情報が体内で正確に管理されるようになった。

 

まあ、小学校の頃はまだ体内にナノマシンは存在せず、あるのは外部から干渉するタイプの医療機器くらいだったのだが、この町には、この田舎町には、そこまで最新の医療機器は揃っていなかったかもしれない。

 

そのとき──

 

戦場ヶ原の母親は、心の拠り所を求めた。

 

言い換えればつけ込まれたといえる。

 

恐らく、それとは何の関係もなく──「本当に関係ないかどうかは誰にも分らないよ」なんて知った風なことを、忍野は言ったが──戦場ヶ原は、大手術の結果、九死に一生を得たそうだ。戦場ヶ原が一命を取り留めたことで、戦場ヶ原の母親は──ますます、その宗教の教義に、のめり込んでしまった。

 

信仰のお陰で──娘が助かったのだと。

 

完全に、型に嵌った。

 

典型的症例という奴だ。

 

それでも、家庭自体は──辛うじて保たれていた。それがどのような宗派のどのような宗教だったのか、僕には知りようもないけれど、知りたいとも思わないけれど、少なくとも基本方針としては、信者を生かさず殺さず──だったのだろう。父親の稼ぎが大きかったことも、元々戦場ヶ原の家が素封家であったことも、その助けになっていたけれど──しかし、年を追うにつれ、母親の信仰具合、のめり込み具合は、酷くなっていったらしい。

 

信じるものは救われる。とは言うが、それは人を信じることができるから人は救われるのであって、影も形も見えない、不定の存在を信仰して、信じて救われるのかといえば、僕はノーと声を大にして言いたい。

 

だからじゃないが、家庭は保たれているだけだった。

 

戦場ヶ原は、母親とは不仲になったそうだ。

 

当時戦場ヶ原は、不仲なりに母親の更生を目指して、努力していた。

 

でも、それは、多分、逆効果だった。

 

悪循環。

 

そんな逆効果の悪循環を繰り返し──

 

中学三年次──

 

家庭は崩壊してしまった。

 

破局した。

 

全てを根こそぎ、奪われて。

 

財産も、家も土地も失い──借金まで背負い。

 

生かさず殺さず──殺された。

 

離婚が成立したのは去年だと言っていたし、あのアパート、民倉荘で暮らすことになったのも、戦場ヶ原が高校生になってからなのだろうけれど、全ては中学生の頃に、もう終わっていたのだ。

 

終わっていたのだ。

 

だから。

 

だから戦場ヶ原は──中学生でもない高校生でもない、そんな中途半端な時期に──行き遭った。

 

一匹の蟹に。

 

 

「おもし蟹ってのはね、如月くん。だからつまり、()()()()()ってことなんだよね」

 

 

忍野は言った。

 

 

「分かる? ()()()()ってことだ。まら、()()と、()()()──()()()()ってことでもある。そう解釈すれば、重さを失うことで存在感まで失ってしまうことの、説明がつくだろう? あまりに辛いことがあると、人間はその記憶を封印してしまうなんてのは、ドラマや映画なんかによくある題材じゃないか。たとえて言うならあんな感じだよ。人間の思いを、代わりに支えてくれる神様ってこと」

 

 

つまり、蟹に行き遭ったとき。

 

()()()()()──()()()()()()()()

 

娘を生贄のように幹部に差し出し、助けてくれもせず、そのせいで家庭もう崩壊し、でも、あの時自分が抵抗しなければ、そんなことはなかったのかもしれないと、思い悩むことを──やめた。

 

思うのを止めた。

 

重みを、無くしたのだ。

 

 

「物々交換だよ。交換、等価交換。蟹ってのは、鎧を身に纏って、いかにも丈夫そうだろう? そういうイメージなんだろうね。外側に甲羅を持つ。外骨格で、包み込むように、大事なものを保管する。すぐに消えてしまう泡でも吹きながらね。食えないよねえ、あれは」

 

 

忍野はどうやら蟹が嫌いらしい。

 

結論として。

 

戦場ヶ原は重みを失って──重みを失って、思いを失って、辛さから、解放された。悩みもなく──全てを捨てることができた。

 

できたせいで。

 

かなり──楽になったらしい。

 

それが本音だそうだ。

 

 

「別に悪いことじゃないんだけれどねえ。辛いことがあったら、それに立ち向かわなければならないというわけじゃない。立ち向かえば偉いというわけじゃない。嫌なら逃げ出したって、全然構わないんだ。それこそ娘を捨てようが宗教に逃げようが、全然勝手だ。特に今回の場合、今更思いを取り戻したところで、何にもならないんだから。そうだろう? 悩まなくなっていたお嬢ちゃんが、悩むようになるだけで、それで母親が帰ってくるわけでも、崩壊した家族が再生するわけでもない」

 

 

何にもならない。

 

忍野は揶揄でも皮肉でもなさそうに、言った。

 

 

「おもし蟹は、重みを奪い、思いを奪い、存在を奪う。けれど、吸血鬼の忍ちゃんや色ボケ猫とは訳が違う──お嬢ちゃんが()()()()()、むしろ()()()()()。物々交換──神様は、ずっと、そこにいたんだから。お嬢ちゃんは、実際的には、何も失ってなんかいなかったんだよ。それなのに」

 

 

それなのに。

 

それでも。

 

それゆえに。

 

戦場ヶ原ひたぎは──返して欲しかった。

 

返して欲しがった。

 

もう、どうしようもない、母親との思い出を。

 

記憶と、悩みを。

 

それがどういう意味を持つのか、戦場ヶ原ではない僕には本当のところは分からないし、これからもわからないままなのだろうけれど、そして、忍野の言う通り、だからどうということもなく、母親も戻らず家庭も戻らず、ただ戦場ヶ原が一人、ひたすら、辛い思いをするだけなのだろうけれど──

 

何も変わらないのだろうけれど。

 

 

「何も変わらないなんてことはないわ」

 

 

戦場ヶ原は、最後に言った。

 

赤く泣き腫らした目で、僕に向かって。

 

 

「それに、決して無駄でもなかったのよ。少なくとも、大切な友達が一人、できたのだから」

 

「誰のことだ?」

 

「あなたのことよ」

 

 

反射的にとぼけてみせた僕に対して、照れもなく、それに、遠回しにでもなく、堂々と──戦場ヶ原は、胸を張った。

 

 

「ありがとう、如月くん。私は、あなたにとても、感謝しているわ。今までのこと、全部謝ります。図々しいかもしれないけれど、これからも仲良くしてくれたら、私、とても嬉しいわ」

 

 

不覚にも──

 

戦場ヶ原からのその不意打ちは、僕の胸に、深く深く、染み入ったのだった。

 

蟹を食べに行く約束は。

 

どうやら、冬を待つことになるそうだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何いい話で終わらせようとしているんだい、如月くん。忍ちゃんが、怒ってるよ」

 

「・・・・・・どういうことだよ、忍野」

 

 

四階のいつもの教室。いつもと言えるほどいつも来ているわけではないけれど、それでも何度か訪れた見慣れた教室で、忍野は僕にそう言った。

 

 

「こう言い方はよくないが、一区切りついただろ。バッチリ、しっかり、綺麗にまとまったはずだ」

 

「いやいや、如月くん。きみは、きみ自身が残した最大の謎を、疑問を、解かないまま、解説しないまま、まとめようと思ったのかい? 編集者はきっと、怒るだろうよ。確かに、悩ませるのは王道だろうけど、きみのそれはヒントがなさ過ぎる。ここで解説しておいた方が、きみのためだ」

 

「僕の──ため」

 

「さあ、謎解き──解説の時間といこうじゃないか」

 

 

忍野はそう言って、いつものように軽薄に笑ったのだった。

 

僕の視界には、教室に入った時から蟹の姿を捉えていた。

 

正確に、不定形であることも含めて。

 

それがどれだけ異常なことか、僕は理解しているつもりだ。

 

見えないものが見える。

 

人間の視界では捉えきれない、視認できないものを視認できる。

 

僕は見ることができるし、観ることもできる。

 

視ることも、診ることも、看ることも、覧ることだってできるのだ。

 

透過し、遠見し、視界を借りて、僕の網膜はありとあらゆる事象を捉え、焼き付ける。

 

一言で言って、僕の眼は異常だ。

 

その性能は、超科学で生み出されたカメラにも勝る。遠くのものを見る場合、試したことはないけれど、おそらく透視も組み合わせてどこまでも遠くを見ることができるのだろう。

 

そんな、僕の眼は──

 

目の名前は。

 

 

「僕は“神々の義眼”──そう呼んでいるよ」

 

 

僕はそう、呼称している。

 

それに対して忍野は、ゆったりとした動きで僕の眼を横目で見ながら一つ息をついた。

 

 

「義眼──ねぇ。如月くん、きみは、()()が、きみのその両目が、神様の義眼だって言いたいのかい?」

 

「より正確に表現するんだったら、カメラ。僕はこの眼を、地上に娯楽を求めた天上の存在が、地上を観察するためにおろしたカメラだと思ってる」

 

 

これはただの僕の見解だ。神々の義眼、僕がそう呼ぶこの瞳は、あまりにも性能がよすぎる。怪異と出会う前に、僕はこれをそう名付けた。レオナルド・ウォッチが持つあの眼球と、あまりに酷似した性能に、僕はそう呼ぶことにしたのだ。

 

 

「なるほどねえ──」

 

 

忍野は興味深そうに、少しばかり興味が湧いたように、僕の目を離れた位置から観察する。

 

 

「それをきみは自分の私利私欲を満たすために使ってるわけだ」

 

「悪いのか」

 

「いや、きみなら普通の高校生男子なら使いそうにない、使い方をしてそうだと思っただけさ」

 

「普通の? 一体、どんなことをしていると言うんだ?」

 

「それは僕の口から言葉にすることはできないよ」

 

「・・・・・・そうかい」

 

 

ともかく、僕の目は異常なのだ。いつ手に入れたか、どうやって手に入れたかなんて、覚えてもいないけれど、それでも、僕の普通の目があったはずの場所には、今、この眼が嵌っている。

 

だからというわけじゃないが、僕は──

 

 

「全てを知った上で・・・・・・儂に手を差し伸べたというのか──」

 

 

全てを知った上でことに挑むことの方が多いのだ。








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