我、無限の欲望の蒐集家也 作:121.622km/h
朝の食堂での騒動から暫くして、僕は如月邸地下天文台の廊下を、重い足取りで歩いていた。その行き先はもちろん、天文台が保有する体育館である。初めは訓練室を借りるのかと思っていたが、よく考えれば兄妹でのじゃれ合いみたいなものなので、体育館で十分であろうという判断である。
ちなみに火憐は僕の分の料理が運ばれてくるより前に食べ終わり、「じゃ、先に行くぜ兄ちゃん」と、全速力で駆けて行ってしまった。
そんな彼女を横目に、僕は焼き魚、煮物、味噌汁、ご飯の一般的な和の朝食を食べて、すべて食べ終わったところで、こうして彼女の後を追っているわけである。
「・・・・・・はぁ」
僕の今の気分は処刑台に向かう犯罪者である。処刑台に向かったこともなければ、犯罪者になったこともないので、所感でしかないが、犯罪者と異なるのは、前後を挟まれ連行されるのではなく、自分の足で、意思で、向かわなければならないという、ある意味での拷問のような状態なことか。
なぜ、体育館が処刑台かと問われれば、十中八九英雄達が観戦に来るからである。現在に至るまで枷を着けて戦っていたのもそうだし、妹に対して全力で戦う情けない兄と思われるのも嫌だ。
そうは言っても、普通自分の息子・娘。弟・妹の部活の試合なんかに、必ずと言って良い程家族は応援をしに来るだろう。実際、僕が合気道道場に通っていた頃は、試合とかでは必ず家族が総出で見に来ていた。わざわざ休みを取ってである。
当時からありがとうも素直に言えるこどもだったので、よく見る「何で来てんだよ」みたいなのはなかったが、大きな声で応援されるのは恥ずかしい。まあ、嬉しかったけど。
わざわざ家族が応援に来る理由として、僕が快勝を続けていたと言うのもある。妹達が兄の応援を応援していると認識できる──物心つく頃には、僕の使う武道は人の力を利用する合気道を本流として、様々な戦い方を吸収したごった煮な武道に進化していた。
だから、僕の出る試合は誰が見ても異常なほどの格闘漫画さながらの戦いを見せていて、動画投稿サイトに掲載された試合を見た異国人達から『ソーサラー』だの『UFOマン』だの『
そんな異名をつけられた僕ではあるが、その当時も全力を出すことなく、七割程度の実力で優勝をかっ攫うことも少なくはなかった。僕がそれ以上ある実力をひけらかすこともしなかったせいで、僕の全力に近しい技を見て知っているのは人に限れば火憐くらいなものだ。
例外がいるとすれば暴力陰陽師。彼女に対して振るった八割、瞬間九割があの頃の相手がいる状態での全力──それ以外であるならば、試運転と名のついた一人での練武の時である。それもこれも僕と同レベルの、アホみたいに強い武道家がいなかったせいだ。
そんな僕の練武に付き合ってくれていたのが火憐と──星が死んでからは忍である。
もしかしたら、彼女達の方が僕より僕の技に詳しいかもしれない。
「あっ! 丁度良いところに! 如月先輩! 先輩を見ませんでした?」
憂鬱な気分で歩いていた僕に、喜色一色の声がかけられた。声の主は一色いろは。
「見てないよ」
「嘘じゃないですよね」
「なんで僕がお前にアイツの居場所を教えるだけで嘘をつかなきゃいけないんだ」
「・・・・・・それもそうですね」
一つ二つと納得するように頷いた一色は、くるりと一回転した──ように見えるほど、笑顔で顔を上げてこちらを向いた。
「探してくれませんか?」
「よし。任せろ」
一二もなく頷いたのは体育館に向かう時間が、少しでも遅れればいいなという希望がないわけではないが、七割は善意からの行動である。
「・・・こっちみたいだね」
「ほうほう」
天文台の廊下を二人並んで歩く。
「あっ、先輩!」
「──っ。いろはか・・・」
少し歩いて、見つけた。猫背気味の少年の背中に、一色は猫撫で声を上げて近づいていく。対して呼ばれた方の少年は、一瞬肩をビクつかせたものの、ほぼ無表情で声を出す。
僕の知る恋人同士はもう少し仲良しなんだけどなぁ・・・。まぁ、如月にいる時点で常人とは思考が異なっていても不思議ではない。普通じゃないし。
・・・って、あれ? あざとい妹が二人いるんだけど。
「おい、月火ちゃん。こんなところで何してんだ」
「ん? おぉ、お兄ちゃん。覚悟は出来たの?」
「なんの覚悟だよ」
セクハラされる覚悟なんてないぞ。
「えっ。月火ちゃんのお兄さんって奏音さんなの?」
「ただのお兄ちゃんじゃないよ」
「勝手に設定を付け加えるな。お前と僕はただの兄妹だろうが」
「照れなくても良いのに!」
「照れて誤魔化してるわけじゃない。僕とお前が一線を越える事なんて一生あり得ないんだよ」
「チッ」
月火は舌打ちをして、虚空を掴もうとした手を下ろす。
ほんとコイツ、生き返ってからアクセル踏みっぱなしじゃあないか? いつかエンストするぞ。
「そういえば奏音さん。今、体育館に人が集まってるんですけど、なんでか理由を知ってます? 兄は知らなくて・・・」
「俺にそういうのを期待するのが間違ってる」
「あぁ・・・。火憐ちゃん──大きい方の妹とちょっとした手合わせをすることになってね」
「え? 何それ。私、初耳だよお兄ちゃん」
「今言ったからな。それにさっき決まったし」
「・・・じゃあ、見に行きましょうよ! 先輩」
「は? 何でだよ」
「行くよお兄ちゃん!」
「小町が行くなら・・・」
「えぇ・・・・・・」
小町のその反応は正しいと思う。実際、僕も心の中ではあるがそんな反応をしてしまった。
まあ、そんなこんなで体育館に向かう足取りは軽くなった。気分も幾分か楽になった。処刑場への付添人──もとい、連行者が加わったからである。
そのまま、気分的には引き摺られるように体育館に向かうと、予想以上にギャラリーが大勢いた。おい、誰だ? 僕と火憐で賭け事を始めたのは。
体育館の中央付近で柔軟をしていた火憐に近づいていく。
「さて、兄ちゃん。こうして組み手をするのも久しぶり、になるんだな!」
「僕からしてみればな。お前からしてみればついこの間、になるんだろ。ああ、そうだ。一つだけ訂正させてくれ。これからするのは組み手じゃない。全力全開本気の試合だ」
「殺試合か?」
「そこまで物騒じゃねーよ!」
「しっかし、兄ちゃんの本気か・・・。あたしも勝てないかもしれないな!」
「当たり前だ。勝たせるわけがないだろう」
"ファイヤーシスターズ"の実践担当で「正義の味方」の火憐は、僕が本気を出すと聞いて興奮しているようだった。組み手でもなければ僕とまともに闘うことも出来ない火憐が、一丁前に粋がるじゃあないか。
しかし、こうして火憐と向き合ってみてふと思い出す。
それは、僕がなんとなく覚えている、何かのセリフ──いわゆる名言というやつだった。
「失ったものは戻らない」
「それがもう一度手に入るっていうなら、それそのものに価値が無いってことだろう」
だけど僕は、今のこの状況を価値なきものだとは思わない。取り戻した幸せな生活に、価値がないなんて言わせない。だから僕はこう言い返す。
「失って初めて気付くものもある」
「それを取り戻そうとするのは、そんなにおかしな事だろうか」
と。人の意見は千差万別だし、感じ方こそそれぞれだと思うから、人の意見にあれこれ言うつもりもないし、ましてや否定することなんてしたくもないが、今回の結末も含めてこれに関してだけは言わせてもらう。僕にとって家族との当たり前は、何にも勝る価値があるものだと言うことを。
「兄ちゃん。また変なこと考えてるだろ。今はあたしに集中しろよな」
「・・・・・・相変らずカッケーぜお前。僕が女だったら告白して振られてるな」
「兄ちゃんの告白なら受けるに決まってるだろ。馬鹿にすんなよ」
「その発言は兄として恥ずかしいよ」
いや、本当に。
死んだ妹を蘇らせたシスコン兄貴が、何を言うかと思われるかもしれないが、やはり兄貴として、妹には巣立ってほしいものである。
若干一名。ヤンデレとブラコンを同時に拗らせたどうしようもない奴がいるけど。
「さあ、やろうぜ兄ちゃん。本気の本気で兄妹喧嘩だ」
「昔もやったなぁ。あの時はお前がベストコンディションだったっけ」
「あの時よりグレードアップしてるぜ!」
「頭悪そうな発言してやがる・・・。ま、見せて貰おうか」
僕の方も準備として、靴と靴下を脱いでおく。素手と素足の方が、靴を履いたままよりも技をかけやすい。軽く柔軟も済ませて、準備万端である。
「じゃあ、行くぞ。兄ちゃん」
「おう、こ──って早」
急く気持ちを抑えられなかったのか、セリフの途中で突っ込んできた火憐の、懐へと飛ばしてきた拳の勢いもろとも利用して吹き飛ばす。空中に投げても、体勢を整えて追撃して来そうだったから平行に、壁に向かって投げ飛ばした。
少々加速もしてやったから、壁に突っ込んだら死ぬかもしれんな。と、他人事のように考えていたら火憐が壁を足で破壊しながら着地していた。
壁に着地ってなんだ・・・?
自分で思考しておいて、その状況に疑問しか湧かなくなったが、火憐は既に体勢を整えていた。
「さっすが兄ちゃん!」
真っ正面から褒められて悪い気はしないが、こいつは僕のことを褒めるのが初期設定なので、今更嬉しいとかこっぱずかしいとかの感情はない。
そして火憐は着地と同時にこちらに走ってくる。僕もそれに対応するために、迎撃態勢をとった。
少林寺拳法も真っ青になるくらいの身体能力で、攻撃を繰り出してくる火憐。似たような戦い方を英雄達で見ていたからか、対処は容易かった。
しかし、いつの間にか火憐も強くなったものだ。フェイントをいくつも混ぜながら、ここぞというタイミングで攻撃してきた。まさか英雄達との戦いの中で成長したとか言うんじゃないだろうな。そんな少年漫画的属性は僕の妹には必要ないぞ。
青年漫画的属性も、勿論必要ない。
火憐の攻撃力の高さに、受け流していた僕の手に若干の痺れが出てきてしまった。
「どうした兄ちゃん。手なんか振って」
「お前の打撃の威力が高すぎて痺れてんだよ」
「あたしの勝ちか!?」
「馬鹿野郎。この程度ハンデにもならねーよ」
実際、火憐と戦うときは蒐集書の中身を使った方がハンデになるかもしれない。
蒐集物とはすなわち──元々、僕の持ち物ではないものである。故郷に住んでいた頃に使っていた道具なんかも入ってはいるが、それも全体の一割程度で、残りの九割は誰かからもらったものや、奪ったもの、何処かの遺跡から手に入れたものである。つまり、僕が他所から集めたものばかりであるが故に、基本的に使おうとすると、それ相応の技術が必要となる。
たとえば、"約束された勝利の剣"を使おうとすれば、アーサー・ペンドラゴンの戦技が必要だし、他にも"流星一条"を使うなら、体が爆破四散することも勘定に入れておかなくてはならない。要はどんなものであれ、九割──つまり自分のものではないものを使うときは手間がかかるのである。
その点、火憐と戦うために使っている武道は、元は他人の技ではあるけれど、幼少の頃から自らの体になじませ、既に自分の武術として会得しているため、"无二打"と同じ宝具と言っても過言ではない。まあ、それもわかりやすくいえばであって、けっして宝具ではない。
僕達武道家が使う技など、全てが必殺技に繋がる初撃で、英雄達が使うような本来の一撃必殺とはわけが違うのだから。
っていうか、火憐も含めてだけど、あいつ等一撃一撃が爆弾級に重いんだよ。その代わり捕まえてしまえば楽々こっちのものに出来る単純さはあるけれど。
「ところで兄ちゃん。兄ちゃんはさ、どうして合気道を習おうと思ったんだ?」
「どういう意味だ?」
突然の質問過ぎて、全く意味が分らない。
意図もつかめないし、火憐自身も掴めない。ちょこまかするんじゃない・・・!
「あたしはさ、兄ちゃんみたいに強くなりたかったから空手をやってる。だけど、兄ちゃんはどうして強くなろうとしたのか気になってさ」
「・・・・・・なるほど」
誰かに倣って強くなるという方法が悪いとは言わないが、僕はそれを実行しなかった。何故か、と聞かれれば、周囲にそこまで強い師匠がいなかったのもあるし、なにより僕の目指す到着点が既に心の中にあったという理由もある。
「僕がお前みたいに空手をやらなかったのは至極簡単なものさ。人の手ってのは「作業」するために進化した代物だろ? 多数の細かい骨で作られた精密機械で殴るなんて、僕は嫌だっただけさ」
他に理由があるとすれば、転生したときの肉体が、たまたま「上手く使いこなせる代物」だったというだけ。あとは、僕の好きな漫画で主人公が使っていたのが合気道を主流とした超合気道だったから。まあ媒体が静止画である以上、技名や効果は理解できていても、どのような理屈でその技が成されているのかなど、今なお僕には理解できてない。
「あたしはそんなこと、考えたこともなかったぜ」
「お前もそのうち分かるよ。手がゴツゴツしてくるんだから」
さて、それじゃあそろそろギアを一つあげるとしますか。
「七割行くぞ」
「・・・! じゃああたしも本気出さねーとな!」
火憐の本気は何段階かあるから参考にはならない。一体どの程度の本気を出してくる気だろう。
主観的に自分の技の解説を入れるのも難しいので、次回は別の人に語り部を任せることにしよう。