ようこそ朝霧海斗のいる教室へ 作:お豆腐
部屋に戻った俺は早速、有栖から渡されたルールブックに目を通した。チェスのルールは知らんがその特徴は小説によく出てくるので知っている。
――チェスとは思考的スポーツである。
いわゆるマインドスポーツだ。対戦相手の思考が見えやすいものだが、いかにも有栖が好きそうだ。1日で有栖の実力を上回ることは難しいだろう。ならば俺がやるべきことは駒の動きと役割を覚えるだけだ。後はその時の状況に臨機応変に対応するだけだな。
次の日、有栖の部屋に行くとすでにチェスボードに駒が並んでいた。そしてまるで見せつけるように『育成方針殺人事件』が置かれている。つうか別に借り物でも貸してくれるくらいいいだろう。こいつの性格の悪さが如実に出てやがるな。
「待っていましたよ、海斗くん。ルールは覚えてきましたか?」
「ああ」
俺は有栖と向かい合う形で座る。
「その前に確認しておきたいことがあるんだが」
「なんでしょうか?」
「有栖はチェス得意なんだよな?」
「そうですね。小さい頃からやっていますが滅多には負けません」
そう言う有栖の口許には笑みが浮かび、顔には自信が満ちている。
「そうか。それが確認できればいい」
「?」
この勝負の勝利条件は公平なように見えて公平ではない。チェスの決着には投了、チェックメイト、そしてステイルメイトがある。まあこんな流暢に語ってるように見えて昨日はじめて知ったんだがな。
俺がチェス童貞なのに対して、有栖は経験豊富だ。つまり有栖にとっての勝利条件はチェックメイトのみだが、俺にとってはステイルメイトもまた勝利条件のひとつなのである。
あれだけどや顔で語っておいて『ステイルメイトでは勝ちとは認められません。』なんて言われたら俺は間違いなくこいつを犯すぞ。
「では始めましょうか。先手は海斗君にお譲りします」
チェスには先攻絶対有利理論というものが証明されている。だから後手は引き分けを狙うらしいが有栖は間違いなくチェックメイトを狙ってくるだろう。まあこんな流暢に語ってるように見えて昨日はじめて知ったんだがな。
俺は捨て駒のポーンを動かした。よし、この名誉兵士には『尊』という名前を授けてやろう。俺の勝利のために無様にやられて来い。
開始一分で真っ先に退場させられたのが『尊』だったのは言うまでもないな。
「しかし、チェスが思考的スポーツとはよく言ったもんだな。お前の性格の悪さがはっきりと見えるぞ」
「ふふふ、なんのことでしょうか?」
有栖は俺が下手に駒を動かすと、ポーン以外の駒が取れるような位置をキープしている。
だが『育成方針殺人事件』がかかっている以上負けは許されない。つまるところチェスとは戦争の縮図だ。より戦場を広い視野で見れるものが勝つというわけだ。まあこんな流暢に語ってるように見えて昨日はじめて知ったんだがな。
チェスでの経験が豊富な有栖だが、禁止区域での生活で磨かれた俺の戦況把握能力には勝てるはずもない。
二十分が過ぎようとしたころには有栖の表情からは余裕が消えていた。
「ほれ、チェックメイトだ」
「…………」
勝利の宣告をすると有栖は固まったように盤を見ていた。
「海斗君、一つだけお聞きしてもよろしいですか?」
「なんだ?」
「チェスは本当にこれが初めてですか?」
「昨日も言ったはずだが俺はチェス童貞だ」
「そう、ですか」
「本、借りてくぞ?」
「ええ、どうぞ」
そう言い有栖は本を手渡してきたので俺は急いで自室に戻っていった。
「やはり大久保ブーデの作品は素晴らしいな」
部屋に戻った俺は時間も忘れて『育成方針殺人事件』を読みふけった。
「これが読めただけでも禁止区域から出た意味はあったな」
時計を見るとその短針はすでに二時を指していた。俺は明かりをつけたまま布団に入り寝りにつこうとした。
この屋敷に来て三日が経ったわけだが思いのほか居心地がいい。つい先日までいた禁止区域がまるで嘘のように落ち着いている。そして心のどこかで有栖といる生活にも充実感を得ている自分に気づいた。
「まあ、退屈はしなさそうだな」
あと三週間ほどで始まる学園生活もなかなか期待できそうだ。
俺は自分の中に芽生えていた感情をよそに、意識を手放した。
かなり短いですが区切りがいいところで終わらせました。
コメントしてくださった方、評価をつけてくださった方、ありがとうございます!
正直暁の護衛をやったことない人には主人公のこととかよくわからないだろうし、低評価いっぱい来るだろうなと思っていたんですけど、高評価がつけてもらえてうれしいです!
執筆のモチベーションになりました!本当にありがとうございました!!!