ようこそ朝霧海斗のいる教室へ 作:お豆腐
私は『育成方針殺人事件』を片手に、豪快に鼻をほじりながらスキップして部屋を出て行く海斗君の背中をただただ黙って見つめることしかできませんでした。
海斗君は私に嘘をついていた?
いえ、それはおそらく無いでしょう。まだ数日ですが彼がいかに本が好きかはわかります。そんな彼が『育成方針殺人事件』を前にして、チェスをやったことが無いという嘘を吐き、わざわざ次の日まで待つとは考えられません。
つまり初心者の海斗君に私はチェスで負けた。
私には海斗君に勝つ自信がありました。小さいころから大人相手にも負けたことがありません。でも私は海斗君相手に完膚なきまでに負けました。
でも悔しいという気持ち以上に、私は新しいおもちゃを見つけたような気持ちになりました。
とは言いましても、海斗君に対して違和感を覚えたのは実は彼が私の屋敷に来た当日でした。
お父様に言われ海斗君を部屋に案内しているときです。私は先天性疾患のため杖を使っての生活を強いられています。そんな私に対してほとんどの方が同情的な感情を抱きますが彼は違いました。彼は私に対し一切の同情も興味も抱いていませんでした。
そんな彼に私は探りを入れてみました。
私には多少のコールド・リーディングの覚えがあります。
相手との会話や仕草の中で相手の思考を読み取る、マジシャンなどがよく使っているあれです。
ですがやはり私には海斗君の思考を読み取ることができませんでした。
私は居ても立ってもいられなくなりお父様の書斎に向かいました。
「お父様、お父様と海斗君はどのような関係なのでしょうか?」
「……まあ、いきなり一緒に住むようになったんだから気になるのは当然か」
そういいお父様は鍵のかかっている引き出しから一枚の写真を取り出し、遠い目をして語りだしました。
「私は海斗君と会ったのは先日が初めてなんだ」
「え?」
「私は彼のお父さんと知り合いだったんだ」
「海斗君のお父さん、ですか?」
「うん。すごい人だった。勉学も体術も完璧でみんなから尊敬と信頼を得ていた。本当に、すごい人だったよ」
「では、お父様が海斗君を連れてきたのはなぜですか?」
「…………それはきっと、せめてもの罪滅ぼしだよ」
「どういうことでしょうか?」
「……いや、この話は終わりだ。そして今後もこの話題はよそう」
お父様はきっと二度とこの話には答えてくれないでしょう。そういう方です。
「わかりました」
私はそのまま書斎を出て行く。しかし扉を閉めようとしたときお父様から声がかかった。
「有栖。海斗君も素晴らしい人間だ。きっと学園生活を、いや有栖の人生を面白くしてくれるよ」
「ええ、私もそのような気がしています」
廊下を歩く私の顔にはきっと笑みが浮かんでいることでしょう。
彼の過去について興味がないといえば嘘になりますが、そんなことよりも彼のことをもっと知りたい。頭の良さ、思考回路、身体能力。お父様の話を聞いて私の予感と期待はだんだんと大きくなっていく。
高度育成高等学校、楽しみなのは綾小路君だけだと思っていましたが……
実力が未知数というのも面白いですね。
窓の外には桜の木があった。
私が窓を開けるとまるで待っていたかのように一枚の桜の花が降ってきた。
春は出会いの季節と言いますが、少し暖かくなってきた春の風が私に海斗君との出会いを運んできてくれた。私はそんな気がしました。