「――クハッ! まぁだ行きますよぉ!!」
真紅の双眸が爛々と光り、透くような緋色の髪はその激しい四肢の動きに伴って翻る。宙に漂う無数の光芒のテラスを足場に少女は目の前の獲物へと肉薄する。その速さたるやまさに神速と言っても過言ではなく、複雑に描く軌道を目で追うことはもはや不可能の域だ。
「──っとと、危ないね危ない」
しかし、相対する者も彼女同様只者ではなかった。彼の者は少女の振りぬかれただけで宙を震わす蹴りを、確とその紅眼に捉えてはか細い身を僅かに反らす事で難なく躱してみせる。
それを目で確認することなく少女は振り切った脚を切り返し、切り返し、切り返し──刹那の間に百にも及ぶ猛襲を繰り出した。
「ぎっ……!?」
……筈だった。
猛襲の反動を利用し距離を空けテラスに降り立つ彼女はどこかぎこちない。だがそれも無理はない。今膝を着く事となった彼女、その右脚は膝から先が鮮やかな切り口を残して跡形も存在していない。対して、猛襲を受けた彼はその装いに一切の汚れも乱れもなく、極めつけその手には少女のものであろう膝から先の片足が握られていた。
血玉が流れ出るそれをまるで片手でお手玉するように遊ばせながら、彼は呆れたように少女を見る。
「はあ…まったく。随分と荒っぽいというか、いい歳した女の子がまあ慎みの欠片もないというか……。毎度の事だけど〝献身の兎〟がそれでいいの?」
「なははっ、何を仰いますか〝さとり様〟。数多の悪鬼羅刹を蹴り倒し、傲岸不遜な修羅神仏の試練から弱き者達を身を呈して守り抜く。この身は神々の眷属なれど数多くの
「……自分立場を顧みないその太々しさはある意味尊敬に値するね。ほら、返すよ」
「ああっ、乙女な兎の貴重な生足をそんなぞんざいに!?」
気付けば髪色が緋色から青み掛かった黒に変わっていた――いや、戻っていた少女は、サトリと呼んだ少年から雑に放り返された自信の足をケンケンで近付き慌ててキャッチする。その際溢れ出る血玉が彼女の顔にはね思わず「ひゃっ…!?」と可愛らしい悲鳴をあげてしまった。その途端に今まで飄々と笑みの絶やされなかった顔に羞恥と怒りの色が浮かんだ。要するに顔真っ赤である。
「くっ…! 私ともあろうものが今の様な辱しめを……! さとり様ッ、清廉潔白報恩献身を誇る私を汚した罪! どう償うつもりですか!?」
「寝言なら御休みなさいした後に言うのがマナーだよー。寧ろ君は自分の胸に手を当てて
「はて? 私の女性の象徴は確かに世の慎ましやかな同性の方々から羨望と嫉妬の目に晒される程豊かなものですか、この世界では私と同等かそれ以上などざらです。ましてこの方恨み辛みとは無縁の身でございます故、どこを猛省すればよろしいのでしょうか……ハッ! もしやその嫉妬の目を知らず知らずの内に集めていたと!? 持たざる方々の僻みがいつの間にか募っていたと!? そういう事なのですね!?」
返された足の切り口をミリ単位で合わせようとしながら、あまりに的外れな言葉をつらつらと口にする少女。既に紅み掛かっていた表情は潮を引き、胡散臭く飄々とした悲愴感を漂わせていた。
この少女、どうやらやや煽り口調で喋らないといけない病気にでも掛かっているのかもしれない。
これにはサトリも苦笑を通り越して嘆息してしまう。
「献身的な兎さんが自身の恥態を不特定多数に八つ当たりって形で発散するのは如何なものよ?」
「私にとって誰かを弄るのは、それはもう加減を間違えれば色々大洪水になりかねない程に耽美な性分でありますが……逆に弄られるのは、たとえこのお腹をかっ捌かれても、たとえこの身を業々と焼べられた火の中に投じるよりも苦痛を伴う恥辱にございます。故のご理解を何卒」
「うん、最低だね。どうして未だに〝とくちゃん〟が君の権能を剥奪しないのか不思議な位の鬼畜っぷりだ」
少女の悪どい性格を垣間見せる軽口を交わしつつ、漸く納得いくように足を合わせ終わった少女。彼女は片手で足を固定しながらもう一方の手でサトリを手招きした。どうやら位置を合わせはしたものの縫合する手段は持ち合わせていないようだ。
サトリは二度目となる溜め息を吐き少女の元へ寄る。そして押さえてある足の傷口へと手を伸ばし――
「――シッ! ッ、カ、ッハ……!!?」
――今の流れを順に説明すると、少女が息を吐くように腰を落ち着けていた体勢から一本足の蹴撃を繰り出し、難なく反応され片手で阻止された上、治療の為に伸ばされていた手を腹部に叩き込まれた……という感じだ。
一矢報いられず。少女の脚力に耐える程のテラスを一撃で砕く威力の刺凸は呆気なく彼女の体を貫き、その意識を瞬く間に暗転させるのだった。
◆ ◆
「……あーとくちゃん? うん……そう、またなんだよね。怪我はちゃんと治したし毎度の如く今は気絶中。……うん……うん、りょーかい。それじゃあ
耳に手を当て誰かと会話をしていたサトリ。その手に携帯の様な品はなく、彼独自のオカルトチックな手法で連絡を取っていたのだがそれはまあ置いておこう。
彼は宙に〝
今更だか彼女。その容姿は見積り160はあるさとりの肩程までしかないにも関わらず、幼さの残る端整な顔立ち、スラりとした足に、出る所は出て引っ込む所は引っ込んでるという中々のプロポーションを持っている。加えて、恐らく感情の昂りによって変色する髪。そして何より、頭部にピョコンと生える一対のウサ耳が目につく。
端的に言えば黒(青)髪ロングロリ巨乳ウサ耳……あと
そんな属性てんこ盛りな彼女の名は――〝黒ウサギ〟。
嘗てその身を犠牲に軍神〝帝釈天〟を飢餓から救い、その功績を称えられ月へと昇った〝月の兎〟の末裔にして、箱庭が生んだ問題児兼超規格外である。
どのくらい問題児兼超規格外かと言うと、酒好き女好き娯楽好きで動けば余計な事ばかりやらかすに定評のある帝釈天当人がその悪癖を抑え頭と胃を痛める位である。その悪行の数々は……具体的には控えるが、幸い特定の一線を越えていないのが唯一の救いとかなんとか。
「すみませんサトリ、どうやら私の高性能素敵ウサ耳に塵でも詰まってしまったようです。折角ですし貴方に、し・か・た・な・く、耳掃除をする権利を差しあげますので、今〝とくちゃん様〟と話していた〝罰〟とやらの話を詳しくお聞かせ願います♪」
先のサトリの言葉とは裏腹に気絶からはとっくに復活して茶菓子を摘まんでいた黒ウサギは、それはもう良い笑顔を浮かべていきながら〝とくちゃん様〟との会話内容について問
。因みに二人の言う〝とくちゃん〟とは……だいたい察しがつくだろうが、黒ウサギの主である〝帝釈天〟その
「んー? あー、その話ね。詳しくはとくちゃんの所で」
「どうせ御身の苦労を癒す体裁とかで御酒と女遊びに耽てるとくちゃん様の元へわざわざご足労する時間など勿体無くございます! 私は、黒ウサギは今すぐこの場で伺いたいのです!」
〝月の兎〟は主である帝釈天を心より敬愛し、且つ献身的との伝聞があるのだが……黒ウサギはそれでも一切容赦はなかった。息をするように毒を吐く彼女にサトリも今更何も言わなかった。二人はそれなりに長い付き合いなのだが、無論お互いの性格くらいはハッキリと理解しているのだ。
「はいはい。文句なら向こうで幾らでも聞くから」
「っ! は、離してください!! か弱い乙女に対してコレはあんまりでしょう!?」
サトリが呆れながら席を立つと同時に抗議の声を挙げる黒ウサギを捕らえる八足のカラクリ。あまりにも気配もなく突然と背後に現れた為一切の抵抗も黒ウサギは出来ていなかった。
「簀巻きって……暴れないように抱き締めてるだけでしょ? 女の子はそう言うの好きって聞いたけど」
「真っ当なお付き合いをして愛を育んでいたならッ、です! そうでもないのに抱き着かれて喜ぶなんてどんな尻軽ですか!? と言うか! 抱き締めてるのは貴方じゃなくてこの蜘蛛みたいなカラクリでしょう!? と言うかマジで捕食される五秒前的な危機感を覚えるんですけど!! なんか後ろでギチギチ言ってるんですけどお!?」
黒ウサギの叫びを、慣れているのかスルーして光芒のテラスを歩き出す。
移動距離はほんの数歩。すると二人の視界から星々の輝き、それを受け色彩映える青い星は爆発的閃光に呑まれ、次の瞬間には青空の望める地へと移動していた。
彼らが立つのは作為的に配置された石、池、低木、灯籠、周囲を囲う縁側、そして鹿威しの音が心地よく響く――宛ら武家屋敷を思わす中庭のど真ん中。言い換えるなら和の趣を取り入れた現代日本における旅館を彷彿とさせる中庭の中央である。
「さーて、とくちゃんはーっと」
「……もう暴れたりしないので離してくれませんか? 角が食い込んで至る所痛いです」
「おっと、ごめんね。……痛いって事は力加減は重畳か。まだ慣らしていけるね、うん」
「おいこら待ちやがってくださいサトリ。私はいつから貴方のオモチャの
「その時は先に君を捻り潰してあげるから安心して」
「ハッ! それは此方の台詞ですよー! ふんっ」
取り留めない煽りあいの最中も移動を続け、屋敷内のとある一室の前に到着した二人。黒ウサギが折れることで煽りあいは一旦治まり、同じくして彼女の拘束が解かれる。ノースリーブ故に肩から露になてる腕には締め付けの赤い跡が残っていた。
黒ウサギの恨みがましい視線がサトリを射抜くが、やはりそれをスルーして彼は雅な襖を開いた。
その先には――
「直ぐに送ると聞いたんだがな……。まあお前らの仲が宜しいのは今更だからあまりどうこう言わんが」
――着流しという簡素な装いをした〝とくちゃん〟こと帝釈天が苦笑混じりに座していた。
その彼を前に黒ウサギは、
「とうとう超々更年期障害でも患いましたか? それはいけません! 我らが敬愛する主神様に患いなどあっては他の厚顔無恥な神軍王軍の方々に卑しくもその名を貶められてしまいかねません! ですが御安心を! この身における全てはとくちゃん様に捧ぐ物。たとえこの命、彼の埒外共の前では呆気ない散花なれど! とくちゃん様に仇なすあらゆる災厄は禍根共々道連れにしてあげる覚悟の所存です。さあ! この黒ウサギめになんなりと神命を賜りください」
それはもう毒のある、この場にまったく関係のない多方面にも喧嘩を売りながら、同時に仰々しく彼を持ち上げ、肩膝を着くのだった。
サトリは思わず額に手を当て首を振り、訳のわからない宣誓をされた帝釈天は口許を大いに引き吊らせる。
そして二人は暫し黒ウサギを視界から外し視線を交わした。
「……改めて聞くけど、
「……ああ、構わん。これもいい機会だ、余所で折檻がてら矯正を図るのも一興てやつだ」
「向こうからしたらいい迷惑だろうけどねー、っと」
「ふぎゃっ!?」
文字通り脱兎の如く入口へ回れ右して駆け出そうとした黒ウサギを、彼女自慢のウサ耳を掴むことで阻止するサトリ。チラリと彼女へ目を向けてみると、本日何度目か、彼を射殺さんとばかりに向けられる視線と目が合った。
黒ウサギは今の二人のやり取りで今この場に留まるのは不味いと直感したのだが、大人しく着いてきてしまった時点で詰みであった。
「ひ、卑怯ですよ御二人とも! こんなにも
「安心しろ黒ウサギ。――予め人払いは済ましてっから、何を大声で喚こうと喉が枯れるだけだぞー」
「とくちゃん様!? 黒ウサギには何をどう安心していいのやらさっぱりで……と言うよりどうして私の考えが…!?」
「お前の面倒見てきたのは誰だと思ってんだ」
「はいな! ここ数十年だらしなーいとくちゃん様の身の回りのお世話をしたのは黒ウサギで御座います♪」
このウサギ、この場から逃げ果せたいものの性分にはどうしても逆らえないらしい。帝釈天の引き吊った笑い方も彼女の最後の言葉を聞くや清々しいまでの笑顔に変わった。
笑顔には笑顔で。今なおウサ耳を捕まれたままの黒ウサギも主に最高の笑顔で返した。
「とくちゃ……帝釈天様? あの、ですね。此度の罰? とやらは何卒御慈悲を。黒ウサギも心を入れ換え、帝釈天様の眷属に恥じぬ振る舞いを心掛けます故ー……」
「ほう、まだ罰の旨は伝えていないが殊勝な事だ。しかしだな、この期に及んで漸く改心の誓いを宣うというのは些か虫が良すぎるとは思わんか? 我が自慢の眷属よ」
直接的に言う必要はない。言葉の裏にある意図を察せられる程の関係である彼らにとっては、包み隠した物言いの方が時に効果を絶大に発揮する。
帝釈天の言い分は要するに
「それに、たしか極東の言い回しにこういうのがあったろ。『可愛い子には旅をさせろ』って」
「い、いやー……目に入れても痛くない純粋可憐な子はむしろもっと甘やかしてもバチは当たらないと思いますよ?」
「そうか。残念だったな、俺は寧ろバチを当てる側だ」
『許すわけないから反省してこい』である。
この後、サトリにまで助けと慈悲を請う黒ウサギの必死な姿が見られたのだが、彼女が積み重ねてきた業は果てしなく高く。何より
「それじゃあ〝島流し〟ならぬ〝世界流し〟の説明を軽くしようか」
「いやだああああああああ!! 誰かお助けえええええ――――」
「…………は、はは」
頬を撫でる風を受けながら漏れる渇いた笑い声。足は天に向き、頭は地に向いている。
――黒ウサギは、高度およそ一万メートル上空を絶賛紐無しバンジー中であった。
「――――くはっ♪」
双眸を命一杯広げ果てのある大地を拝む。見覚えのある、しかし、感覚的にはまったく違うと解る大河、森林、建造物、その他諸々。体を反転させ広大な天を仰ぐ。蒼天の明るさの中に朧気だが見える数多の
黒ウサギは歓喜した。罰と聞いてどのような枷を負い、どの権能を剥奪され、どんな過酷な地に落とされ、どんな試練を課されるのか。ああも騒ぎ抵抗していた反面、彼女は内心期待半分不安半分といった心情だった。しかして、その思いは今決した。
彼女を語る上で先に述べた属性以外にも一つ挙げられるものがある。それは――
「箱庭だけど箱庭じゃない……いや、
――悠久に枯れる事のない欲望――
「Y
――刺激を求めて止まない、生粋の快楽主義者ということだ。
最初は大半の箱庭所属キャラの性格改変ネタで問題児三人組が振り回される側的な感じったものの黒ウサギだけでよくね?ってなった結果の産物
もう苦労詐欺なんて呼ばせない(続くか知らんけど