たったひとつのSunshine Story 作:Kohya S.
浦の星に行った当日の午後から、吹奏楽部は俺が用意した譜面で「One More Sunshine Story」の練習を始めた。とはいえ、冬休み中は部員自体が揃わなかったが。
三学期が始まって最初の日。部活開始前のミーティングに部員たちが集まってきた。
顧問の三田先生からの簡単な新年の挨拶のあと、奈良橋と俺は改めて曲を披露した。部員たちの反応は悪くなくて俺は
俺は全員に譜面を配るが、難しすぎるという意見もなかった。
反応といえば曲を聞かせたときよりも、奈良橋の一言のほうが断然大きかった。
「高海さんとの初回の練習は、来週水曜日になりました」
おおっ、と盛り上がる部員たち。とうとう来たか、という感じだった。
「それまでにある程度のレベルまで、仕上げておきましょう」
奈良橋はそう言ってミーティングを締めた。
それぞれの練習場所に散っていく部員たちを見ながら考える。
いつもの年にくらべたら部員たちはやる気になっている。これが奈良橋の考えたことなんだろうか。
ただ、それはいまのところ、浦の星の女の子たちにいいところ見せよう、という感じだった。
それが俺みたいに「いい曲にしよう」っていうレベルにシフトしてくれると、悪くないんだけどな。
「おい、
サックスのパートリーダーから声がかかった。そうだ、人のことは言えない。俺も演奏のほう、やる気にならないと。
・
金曜日、奈良橋が指揮をとった最初の合奏は散々なものだった。木管は遅れがちだし、金管は音ばかり大きい。バスパートは鳴ってるんだかいないんだか。リズムも合わなかった。
「素晴らしい演奏でした」
演奏後、奈良橋がそう言ったのはもちろん皮肉だ。微妙な雰囲気が部員たちに流れた。
奈良橋は何か所か指摘をしてから、いきなり俺に振った。
「西村君、なにかありますか?」
珍しい。いままで俺が編曲した曲でも、意見を求められることなんてなかったのに。
視線が集まって俺は緊張する。俺は考え考え、話した。
「最初の合奏としては悪くないと思う。だいたい奈良橋の言った通りだけど……。オーボエとクラが先導する部分が多いから、悪いけどしっかり指揮を見てほしい。あと、ベースがキモなんで、そこはしっかりよろしく」
それぞれのパートリーダーがうなずくのが見えた。
「毎日すこしずつレベルを上げていきましょう」
奈良橋が話してこの日の練習は終わりになった。
絶対的なレベルはともかく、いまのところは俺たちとしてはまずまずだ。
高海さんの歌を聞いたら、きっとモチベーションは急上昇するだろう。それだけは間違いなかった。
・
その日の夜、ひさしぶりに高海さんからメールが届いた。編曲が終わってからはほとんどやり取りをしていなかったので俺は思わず、にやけてしまう。
メールは来週の練習の予定を確認する内容で、俺は予定通りと書いた。「あまりレベルについては期待しないでください」と付け加える。
メールを送信して、冬休み、浦の星で高海さんたちと会ったときのことを思い出した。
・
「浦の星女学院前」から校舎までの坂道はやっぱりきつかった。俺と奈良橋を午前中の、まだ
道沿いの果樹園ではオレンジ色の――蜜柑色というべきだろうか――実が色づき始めていた。前回は気づかなかったが、山全体にずっと蜜柑畑が広がっているらしい。内浦ならではの景色だった。
途中、風に乗ってふわりと
校門についたときそれでも前回より疲れていなかったのは、最近は多少、基礎練習をまじめにやっていたせいだろう。
昇降口に回った俺たちを最初に相手してくれたのは、桜内さんと渡辺さんだった。
ガラス扉から差し込む冬の柔らかい光のなかに立つふたり。今日も桜内さんは可愛い、と思う。もちろん渡辺さんも同様だ。
やっぱり俺は女の子なら誰でもいいのかもしれない。
「おはようございます。千歌ちゃん、いまスリッパ取りに行ってます」
俺の心に浮かんでいたちいさな疑問に桜内さんが答えてくれた。
廊下のほうから足音がして俺は目を向ける。
まぶしそうに目を細める高海さんがいた。走ってきたのだろうか、すこし上気した頬。ほんのわずかに開いた口元。蜜柑色の髪、そこからぴょこんと飛び出した
俺はぎゅっと胸を締め付けられた。
いまさらながらに悟る。
桜内さんや渡辺さんとは、可愛いのベクトルが違うんだ。二人の可愛いが、俺とは距離を置いたもの――二人をすこし遠くから眺めている感じだとしたら、高海さんのそれは距離が近づいたからこそ、生まれたものだった。彼女について知ったからわかる、可愛さ。
きっと最初は同じだったのに、いつの間に変化したのだろう。でも、その変化はとても心地良いものだった。
本当に彼女は可愛い。
彼女が目の前の床にスリッパを置いて、俺は我に返った。
それからはつとめて平静に振る舞ったが、ときどき思い出したように彼女の
編曲を聞いてもらうときは、奈良橋や部員たちに聞かせたときよりそれこそ何倍も緊張した。結果、まずまず好評でほっとする。もっとも、肝心なのは実際の演奏なのだが。
渡辺さんの衣装も驚きだった。たしかに彼女は以前から衣装の話をちらちらしていたけれど、ここまで本格的とは思わなかった。
編曲の参考にと、この前見た映画から抜け出してきたかのようなデザイン。上品なモノトーン。ワンポイントのコサージュは高海さんの髪と瞳と同系色だ。
シルエットはタイトで体のラインがはっきり出ていて――高海さんは目の前にいる。
俺は思わず高海さんが着たところを想像してしまう。
「これ、高海さんが着るんだ」
雰囲気にだまされてしまうけれど、高海さんは意外にプロポーションがいいんだ。制服の胸のあたりを押し上げているものとか――。
俺の独り言は高海さんに聞かれてしまい、俺はすごく似合いそうだ、とだけなんとか返した。
俺の勘違いでなければ、高海さんは嬉しそうにしていたと思う。いや、自分の衣装ができれば嬉しいのは当たり前か。
途中、小原さんが(さすがにAqoursは全員覚えた)紅茶を持ってきたときにはびっくりしたが、さらにびっくりしたのは全員に紹介されたことだった。
女子高といっても本質はあまり変わらないのかもしれなかった。
みんな練習着で、ときどき目のやり場には困ったが。
その高海さんと渡辺さんが来週には、やってくる。この週末は土日とも部活に行って練習しようと俺は誓った。
・
そして週が明けて水曜日。高海さんたちが来る日だ。
我が吹奏楽部は、わずか数日ではレベルが上がるといってもたかが知れていて、なんとか引っかからずに最後まで通しで演奏できる、といったところだった。
ありがたいことに俺はふたたび彼女たちのお迎えを拝命した。
今度はしっかりと注意しながら玄関で待った。
「こんにちは、西村くん」
「こんにちは!」
高海さんは明るく、渡辺さんは元気よく挨拶してくれた。
音楽室まで案内する途中、俺は高海さんのようすが気になる。表情がいつもよりすこしだけ硬いみたいだ。
「ゲストボーカルが来るってことで、部員のみんな、すごく緊張してるんだ」
そう俺は話した。むしろ楽しみにしてる、期待してる、っていうのが正しいかもしれないが。
「えっ、どうして?」
「むしろ私たちのほうが緊張してるのに」
渡辺さんも言う。彼女のほうはとてもそうは見えないけれど。
「だって初めてだから、こんな企画」
「へえ、なんとなく毎年呼んでるのかな、とか思ってた」と高海さん。
「それよりも女の子が来るほうが、大きいかもしれないけどね」
俺はそう言って笑ってみせた。
「あはは。私たち普通の女の子だから、べつに緊張する必要なんかないけどね」と渡辺さんが言う。
「まったくだよ」と高海さん。
「だから部員たちが変なテンションでも、大目に見てくれると嬉しいかな」
「わかった。っていうか、私たちのほうがそんな感じだけどね!」
高海さんは笑顔で話した。うん、こっちのほうがずっといい。
音楽室が近づくと合奏をしている音が聞こえてきた。残念ながらあまり進化してない。
音楽室の扉を前に俺はもう一度、警告する。
「あー、すごく注目されるかもしれないけど
二人はうなずいた。二人も楽しみにしているみたいだ。
俺が力を込めてノックをすると、ぴたりと音がやんだ。
扉を開けて、先に俺が入る。20人弱の部員たち――今日の出席率は100%だ――の視線が一気に集中した。
俺は一歩、横にずれてから「どうぞ」とふたりに声をかけた。
「失礼します」「お邪魔しまーす」
ふたりはおずおずと音楽室に入ってきた。
おおっというような声にならないどよめきが部員たちから上がる。
教壇で指揮をしていた奈良橋がにこっと笑った。
「ようこそ、沼津南高校、吹奏楽部へ。どうぞこちらへ」
そういって自分の隣へ手を広げた。
俺は音楽室の扉を閉めてから二人についていった。
「滅茶苦茶可愛いじゃん」「マジかよ」「どっちが高海さん?」「曜ちゃんも来てくれたんだ」
部員たちがひそひそと言葉を交わすのが聞こえてきた。俺のせいでも何でもないのに、なぜか誇らしくなる。
教壇の上で二人は部員たちに振り向いた。男ばかり20人。わかってはいただろうけれど、さすがに驚いてるみたいだ。
俺はなんとなく奈良橋の横に立った。
「はい、みなさん、女の子を目にしてドキドキするのはわかりますが、静粛に」
部員たちから笑い声が上がって、すこしだけ二人の緊張がやわらいだ。奈良橋は続けた。
「ゲストボーカルをお願いした、浦の星女学院の高海千歌さんです」
彼女はぺこっと頭を下げた。
「高海千歌です。今回、みなさんとご一緒できて嬉しいです。全力で頑張りますので、よろしくお願いします!」
部員たちから拍手が上がった。
「それに、今日は打ち合わせのために渡辺曜さんも来てくれました。企画では衣装などを担当していただくことになります」
「渡辺曜です。よろしく!」
渡辺さんは元気よく簡潔にまとめた。またもや拍手が上がった。
「さっそく練習と行きたいところですが、機材を調整しますからすこしお待ちください。各自、楽譜の確認をお願いします」
部員たちは真剣な表情になって、楽譜をにらんだり気になるところを演奏したりし始めた。
「西村君、お願いします」
奈良橋に俺はうなずいた。
本番では機材は会場のプロまかせだが、ここでは俺にその役割が回ってきていた。
俺は軽音部から借りてきたスピーカーを調整する。ちなみに俺は屋外で演奏する機会はないので、個人ではこのあたりの機材は持っていない。
「高海さん、ちょっと声、出してもらえるかな」
「うん、わかった」
前回の教訓からマイクのボリュームは控え目にしておく。部員たちがどんな顔をするか、楽しみだった。
「あー。あああああー」
高海さんは先日と同じように声を出した。
ぴたりと練習の音がやんで、部員がこちらを見る。高海さんは集中していて気づいていないようだ。隣で渡辺さんが面白そうな顔をした。
「ちょっとエコーが掛かりすぎかな」俺は部員たちを無視して言う。
「そうだね。もうすこし
俺はもう一度、調整する。
「今度はどうかな?」
高海さんはうなずいて声を出す。
「あー」
続けて冒頭を一小節だけ歌った。
「うん、いいみたい」
にこりと笑った。部員がざわっとして、驚きようが手に取るようにわかった。
いや、まだまだ、こんなもんじゃないぞ。
俺は奈良橋に合図をして、自分のパートの席についた。
「えー、それでは高海さんの準備ができましたので、一度あわせてみましょうか」
部員たちがさっと緊張する。
奈良橋が高海さんにうなずきかけて、高海さんはぺこりと頭を下げた。渡辺さんはすこしうしろに下がって見守っている。
指揮棒が振り上げられ、曲が始まった。
いったん始まったあとは、俺はみんなの演奏についていくので精一杯だった。それでもなんとか、他のパートが演奏しているときに高海さんを確認する。
彼女は胸を張り、背を伸ばして――なにより楽しそうに歌っていた。そんな彼女の姿を見られて俺は嬉しくなる。
ただ、ときどき歌いにくそうにするときがあって、それは決まって、俺たちの演奏が乱れたときだった。
最後の音が消えていき、奈良橋は空中で止めていた手をゆっくりと下ろすと、にこっと微笑んだ。
「はい、素晴らしい演奏でした」
はあっと部員たちが緊張を解いて、ため息をついた。
「ですが……」
続けてびしびしと奈良橋は指導していった。彼の実力は部員みんなが認めているからいいが、俺ならこうはいかないだろう。
「Cメロ前の間奏、サックスが主旋律ですから単調にならないように」
俺たちサックスへの指摘も、もっともだった。
最後に奈良橋は言う。
「高海さんは、本当にすばらしかったです」
「ありがとうございます!」
「お聞きの通り我々の演奏はいまいちですが、高海さんは気にしないで歌ってください。なんとかあわせるように努力します。ですから、もっとのびのびと」
「はい!」
高海さんは真剣な表情でうなずいた。俺はそこに、俺たちとは違うもの――プロ意識、というのはまた異なるが、それによく似たなにかを感じた。
「ではしばらく各自練習とします。あとでもう一度、合奏しましょう」
・
部員たちが練習や雑談を始めたり席を立ったりするなか、奈良橋は高海さんのほうへ歩いていく。俺はパートリーダーにひとこと言ってからそちらへ向かった。
「実際に歌っていただくと、迫力ありますね」
奈良橋が話すのが聞こえた。さすがにすこし興奮しているようだ。
「いえ、そんなこと……」
高海さんは照れたようすで頭をかいた。可愛い。
奈良橋が俺に気づいたところで話す。
「このあいだに打ち合わせ、やっておくか?」
「そうですね。渡辺さんもいいですか?」
「はい、よろしくお願いします!」
渡辺さんはにこっと笑った。
隣の音楽準備室に移動することもできたが、そうすると部員たちにあとでなにを言われるかわからない。俺たちは教室の隅の机で話すことにした。
よく考えると、俺が彼女たちと打ち合わせる必要はないのだが、自分から言い出すのはもったいないので黙っておく。
「部員のみなさんは制服ですか?」渡辺さんが聞いた。
「そうですね、その予定です」と奈良橋。
学校によっては定期演奏会向けにオリジナルのTシャツを作ったりするが、うちはそこまでのやる気はなかった。
文化祭でも、むしろ盛り上がるのはクラスの催しのほうだった。
「衣装が高海さんだけだと、ちょっと寂しいかな」と俺は話してみる。
高海さんはうなずいて俺に笑みを見せてくれた。
「しかし、そんな予算はとてもないですよ」
「みなさん、詰襟のほかにブレザーとか持ってないですよね?」と渡辺さん。
「ないでしょうね」奈良橋が首を振る。
「ないかー。わりと雰囲気、出ると思うんだけど」
俺は去年のことを思い出す。
「なにか小物でも用意するか? 去年の定演、バンダナ巻いてた高校あったぞ」
たしか、パイレーツなんとかの曲だった。
「あ、小物、面白いですね」渡辺さんが目を輝かせる。「うーん、『マイ・フェア・レディ』っぽい感じで、小物か。なにがいいかな」
「バンダナがありなら、帽子とかどうかな?」
高海さんが提案する。
「あ、いいね! シルクハットかな。あわせるとしたら」渡辺さんがうなずく。
それはありかもしれない。
「いいかもしれませんね」と奈良橋も言う。
渡辺さんの話では、衣装は、生地から仕立てたり市販のものを改造したりといろいろな方法で作っているらしい。
「シルクハットなら、飲み会とかの
「わかりました。それでは部員にも話してみます」
いつもならそんな仮装のようなことには乗り気にならない部員たちだが、今回はきっと行けるだろう。
話題は高海さんのダンスのほうに移る。
「会場のようすってどんな感じですか?」と渡辺さんが聞く。
「あ、俺、PC取ってきます」
定期演奏会について他校とやり取りしたメールのなかに、たしかそのあたりの図や写真もあったはずだ。
俺は準備室へ行き、ノートPCを取って来た。
「参考になるか、わからないですけど」
まずはホールの全体図を開いて、ノートPCを渡辺さんと高海さんのほうに向けた。
「やっぱり客席、けっこう多いよね」高海さんが言う。
「空席ばかりですが。毎年、お客さんは五百人くらいでしょうか」と奈良橋。
そうだ、高海さんたちは去年、ここで「想いよひとつになれ」を歌ったんだ。
それなら、と俺はもう一度PCをこちらに向けて、今度はステージの写真を開いてから二人に見せる。
「演奏会のときのステージはこんな感じですね。グランドピアノの位置は変えられます」
「なるほど。ここに部員のみなさんが並ぶんですね」
渡辺さんはすこし腰を上げて音楽室を見渡す。彼女は視線があった部員に、にこっと笑いかけて、その部員が赤面するのがわかった。
「我々は人数がすくないのでかなりスカスカで……。寂しい感じになりますね」
奈良橋が苦笑した。
「実際には、どんな感じになるのかな?」と高海さん。
去年の定期演奏会の写真も入れてある。俺はもう一度、ノートPCをこちらに向けようとして、それよりはと思う。
「あ、俺、そっち行きます」
二人は場所を開けてくれた。ちょっと困ったことに、二人の真ん中に。これは……俺のせいじゃないし仕方ないよな。
俺はなるべく距離を置くように、手を伸ばしてPCを操作した。
「これ、去年のようすです。今年はもうすこし部員が減ってますけど」
「たしかに、かなり
二人からふわりといい匂いがして俺は困ってしまう。高海さんのそれはすぐにわかった。柑橘系で優しい感じ。渡辺さんはそれに対してさわやかな感じだ。
「ステージの左右どちらかに席を寄せれば、もっと広くできると思います」
俺は努めて気にしないようにしながら、そう話した。
俺は写真を切りかえる。
「それで、これが別の高校です。うちより人数、多いところですね」
「あ、ブレザーだ。かっこいいよね」
「バンダナってこういう感じなんだ」
二人はPCをのぞきこんだ。
俺の視線はある一点に引き寄せられる。
高海さんは体を斜めにしていて、冬服だから胸元はあまり開いていないのだけれど、ちょうど角度の問題で、そこから彼女の健康的な肌が見えていて、さらにその奥の白いものはなんでしょうか……。
「ほかの写真、あるのかな?」
高海さんがこちらを向く寸前、俺は目をそらすことに成功した。
「えーっと、はい。その」
俺はPCだけを見つめる。写真を適当に切りかえているあいだに、気づかれないように深呼吸して、ようやく普通にしゃべれそうになった。
「……この高校はソロのときに一人ずつ、部員が前に出てきて演奏してたので、指揮台の隣が空いてますね」
「なるほど、こんな感じなんだ。やっぱりかなり動いても大丈夫そうだね」
渡辺さんはそう、高海さんに話しかける。
「うん、そうだね」
「果南ちゃんと話して、振り付け、すこし考えてみるよ」
「ありがとー、曜ちゃん!」
俺が元の場所に戻ると奈良橋が話した。
「どうでしょう、行けそうですか?」
「はい、考えてみたいと思います!」
渡辺さんは元気よく答えた。
・
最後にもう一度、高海さんと俺たちは曲を演奏した。高海さんは前よりも、のびやかに歌って、俺たちはぐっと緩急のついた奈良橋の指揮を追いかけるのがやっとだった。
しかし最後のサビだけは、神様のいたずらか、奇跡的にバシッと全パートが揃った。アウトロはぐたぐだになってしまったが。
「みなさん、お疲れさまでした」
曲が終わり、奈良橋は苦笑交じりで、それでも最初よりは満足しているようだった。
奈良橋は高海さんに向けて続ける。
「ありがとうございました、高海さん」
「いえ、こちらこそ、ありがとうございました!」
高海さんは両手をそろえて頭を下げた。期せずして部員たちから拍手が上がった。
本当は、拍手してる場合じゃないんだけどな。
部活が終わると、二人のところに何人かの部員がやってきて話しかけた。残りは遠巻きに見ていたり、さっさと帰ってしまったりといったところだ。
話しかけてきた部員も「Aqours、応援してます」とか「定演、よろしくお願いします」という感じで予想以上に大人しかった。
俺はもっとこう、
ただ俺だって、いきなりこんな美少女があらわれて、あんな歌声を披露してくれたら――圧倒されてしまって、そんなふうになるのかもしれなかった。
奈良橋はもうすこし残るというので、俺は彼に話して、いったん二人をバス停まで送ることにした。
校舎を出ると、日はすでに落ち、残照がわずかに西の空を
高海さんと渡辺さんは今日のことを楽しそうに話しながら歩いた。
「西村くん、編曲ってどのくらいかかるものなの?」
「そうだなあ、今回は……二週間くらいかな」
「へえ、やっぱり大変なんだね」
ふたりがときどき俺にも話を振ってくれるのは、気を
もうすこしでバス停、というところでコンビニの前を通りがかる。
「あ、千歌ちゃん。私、ちょっと買いたいものがあるから、寄ってもいいかな?」
渡辺さんがいま思いついた、というように言った。
「私も一緒に行くけど……」
「いいからいいから、先にバス停で待ってて」
渡辺さんはさっさと店内へ入ってしまった。
俺は高海さんと顔を見あわせる。高海さんは困ったね、という感じで笑った。
「先に行ってようか」
俺が言うと、彼女はうなずいた。
俺たちはゆっくりと歩いた。
そういえば高海さんと二人きりになるのは、ずいぶんひさしぶりだった。そう思ったとたん、俺は彼女を意識してしまう。
俺が隣の高海さんにちらっと視線を送ると、彼女と目があった。