たったひとつのSunshine Story 作:Kohya S.
高海さんは、あわてたように下を向いた。なにか言わなくてはと思う。
「えーっと、今日は本当にありがとう」
びくっと高海さんは顔を上げた。
「い、いえ、どういたしまして」
すこし早口で言う。
彼女は一呼吸おいてから続けた。
「私のほうこそ、生演奏で歌うのって初めてだから、楽しかった」
「それならよかったけど」
「西村くんが言っていたこと、わかったんだ」
なんだろう。俺の疑問に気づいたのか彼女は微笑んだ。
「打ち込みとは違うって話。たしかに違うね」
「あっ……」覚えていてくれたんだ。「演奏、あまり上手くなくてごめん」
「あはは……。でも、最初だから仕方ないよね」
「そう言ってくれるとありがたいけど。歌いにくかったんじゃない?」
「うーん、最初はそうかな。やっぱり感じが違うから。でも……二回目に歌ったときには、ちょっと楽しかったかも」
その言葉は部員たちがほめられているようで嬉しかった。
「次までにはもうすこし練習しておくから」
「期待してます!」
彼女はにこっと笑った。
このままのレベルでは高海さんに申し訳ない。それに、できることは演奏のレベルを上げることだけではない気がした。きっと俺にもなにかできることがあるはずだ。
「逆に高海さんはすごいよね。部員たち、高海さんの歌に驚いてたよ」
「えっ、そうかな。そんなことないと思うけど」
高海さんは照れたように目をそらした。そんな彼女に俺はどうしても言いたくなる。
「俺も、あらためてすごいと思った。……っていうか、感動したよ」
「えっ。……あ、ありがとう」
高海さんは俺のほうを向いてそう言ってくれた。街灯の灯りでは暗くてよくわからないけれど、彼女の頬が赤くなっているのは気のせいだろうか。
バス停について列の最後尾に並ぶ。
俺は時刻表を確認に行った。
「あと五分くらいみたいです」
「ありがとう。すぐだね」
列に戻ると高海さんは両手をこすりあわせて、さすがにちょっと寒そうにしていた。吐く息が白い。
手を握って温めてあげたかった。
高海さんは渡辺さんを気にしているのか、いま来た道を振り返った。
彼女の横顔に、俺と高海さんとの関係ってなんなんだろう、と思う。
いまは、友人、っていう表現しかできないだろう。高校が違うのに友人になれただけでもありがたい。まさに役得だった。
でも――もっと彼女と親しくなりたい。
彼女は俺のことをどう思っているのだろうか。それを確かめて、先に進むには、デートにでも誘えればいいのかもしれない。
俺は今日の彼女を思い出した。まるで高校生とは思えない歌声と振る舞い。凛としたという形容がふさわしいだろうか。
今の俺には――とてもそんな勇気は出なかった。
ただ、このとき、俺は彼女のことを忘れていたんだ。もうひとつの彼女のことを。
俺の視線に気づいたのか彼女はこちらを向いた。問いかけるようにわずかに首をかしげて、微笑む。
俺の胸はぎゅっと締め付けられた。
「……渡辺さん、間に合うかな」
俺はなんとかそう言った。
「うん、曜ちゃん、そのへんはしっかりしてるから。……あ、来たみたい」
高海さんは手を振った。俺にも渡辺さんが走ってくるのが見えた。
「間にあったみたいだね。はい、これ」
「うわー、ありがとう!」
渡辺さんは高海さんにペットボトルのお茶を渡した。
「はい、西村君も」
「ありがとう」
思わず受け取ってしまったが、本当なら俺のほうが用意するべきだった。さっきの高海さんのようすを思い出して反省する。
ただ、俺の見間違いでなければ、ボトルを手渡すとき、渡辺さんは俺にウインクしてくれた。
渡辺さんはペットボトルを両手でつかんでいる高海さんの手を、さらに外側から両手で握る。
「わーっ、千歌ちゃん、手、冷たいね」
「手袋、持ってくればよかったよ」
渡辺さんの自然な行動がとてもうらやましかった。
・
音楽室に戻ると奈良橋が一人残っていた。
「すまん、待たせたか」
「いえ、大丈夫ですよ」
電気を消し、鍵を掛けてから職員室まで一緒に行く。俺は気になって途中で聞いた。
「……どう思った、高海さんの歌?」
「そうですね。思っていたよりもずっと素晴らしいです」
奈良橋は素直にそう答えた。
「部員たちも驚いてたみたいだし。みんな、やる気になってるよな」
「ありがたいことですね」
奈良橋は唇をゆるめた。狙い通りということだろうか。
「演奏のほう、どう思う? ああ、俺じゃなくて、部としてだけど」
「うまくいくかってことですか」
「うん。今日の二回目、ちょっと可能性、感じたんだけど」
「そうですね、私もそう思いました」
奈良橋がそう思っているのなら、もうひとつの可能性もあるだろう。
「ひとつ提案なんだけど、編曲、もうすこし難しくしていいかな」
奈良橋は面白そうに眉を上げた。俺は続ける。
「いまのままだと、どうがんばっても高海さんのおまけにしかならない。もうすこしこう、せめて……高海さんと一緒に、いい曲にできればって思うんだ」
「……西村君がそんなことを言うなんて、意外ですね」
どう思われていたんだ、俺は。いや、奈良橋の言う通りかもしれない。
「で、どうかな」
「悪くないと思いますよ」
奈良橋はうなずいた。俺は懸念も伝えておく。
「ただ、ひとつ不安があって。ただでさえ苦労してるのに部員がなんていうかな」
「きっと……大丈夫でしょう。鉄は熱いうちに打て、といいますから」
「そうか。部員への話、頼んでいいかな」
「わかりました」
奈良橋はにこりと微笑んだ。
・
翌日、この日も部活の出席率は100%近かった。始まる前に全員でミーティングをする。
「昨日はお疲れさまでした。どうでしたか、高海さんと一緒にやってみて」
奈良橋はざっくばらんに聞いた。
「スクールアイドルってすげえな、正直びっくりした」と一人が答えた。
「ほら、俺の言った通りだろ」これは前からAqoursを知っていた部員らしい。
「ふたりとも可愛いしな」これには全員がうなずいた。
「観客、増えるんじゃないでしょうか」と一年生の一人。
「なかなか盛り上がってるようでなによりです」
奈良橋はにこりと笑った。
「しかし、ひるがえって我々の演奏はどうでしょうか?」
「あー、そうだな……」
「まああんなもんかと」
「二回目、悪くなかったんじゃね」
若干テンションを落としながらも部員たちは口々に答えた。新年に入ってからそれなりに練習してきて、手応えは感じているらしい。
「私も可能性を感じました」奈良橋はうなずいた。「そこで……」
今度は奈良橋は、にやりという感じで笑う。
「勝手ながら西村君に編曲をお願いしました。……ぐっと難しくしてもらいます」
部員たちの視線が集まって、俺はぴくりと反応する。そう来たか。奈良橋らしい。
彼に感謝しながら、発言を期待されているようなので、俺は立ち上がってみんなを見渡した。
「いまのままだと俺たちはあくまで単なる伴奏だ。だから高海さんに負けないように……いや、高海さんの歌の魅力を引き出せるように、もうすこしこだわりたい」
いま気づいたけれど、それだけじゃなくて、俺も全力を出してみたいんだ。
奈良橋が続けた。
「そういうことです。いかがでしょうか、みなさん」
部員たちは互いに顔を見あわせる。
奈良橋と俺の意識が多少とも影響したのだろうか。
「まあそりゃ、多少はいいとこ見せたいよな」
「難しいくらいのほうがいいぜ、俺は」
「高海さんと渡辺さんのためなら」
奈良橋は俺のほうをちらっと見て、わずかにうなずいた。
「それでは進めましょう。西村君、早めによろしく」
「ああ」と俺は答える。
奈良橋が続けて、彼女たちが今回のために新しくステージ衣装を用意する、と話すと部員たちはふたたび盛り上がった。
「ですから私たちもそれに
いままでの部員たちなら、きっと見世物のようだと嫌がっていただろう。しかし今回は異論は出なかった。
「それでは編曲ができるまで練習はいままで通り。次の合同練習は二週間後です。それまでがんばりましょう」
「おう」
大きな声を出す部員こそいなかったが、いつになく部活の雰囲気は明るかった。
・
俺はその日の夜から編曲に取りかかった。高海さんの歌を聞いたあとだからだろう、すぐにイメージがわいてきた。
次の週末には、曲はある程度までできあがった。
PCから再生される曲に、俺は頭のなかで高海さんの歌声を重ねてみる。
もう一押し、なにか欲しい気がした。
次の月曜日の昼休み。昼飯を食べ終えた俺は奈良橋に話しかける。
「なあ、奈良橋。バイオリンやってるって言ってたっけ」
ずいぶん前、入学直後くらいに聞いた覚えがあるし、たしか浦の星でもそんなことを言っていた。
「はい、よく覚えてましたね」
「いまもやってるのか?」
「いえ、中学までですね」
「ぶっちゃけ、どのくらいの腕前なんだ?」
それによっては絵に描いた餅だ。
奈良橋とは高校に入ってから知りあったので、中学以前のことは知らなかった。
「大したことはないですよ。県の学生音コンの予選突破、くらいですね」
「それって結構すごいんじゃないか?」
「さあ、どうでしょう」
正直よくわからないが、この感じだと期待できそうな気がした。
「今度の曲、間奏にバイオリンソロ、入れたいんだけど」
「ほう」
面白そうな顔をする奈良橋。
「……トランペットとかも考えたんだけど、やっぱり曲の雰囲気を考えるとさ。引き受けてくれるか?」
「ひとつ、条件があります」
奈良橋はメガネをくいっと上げた。いやな予感がする。桜内さんを紹介しろ、とか言われても困るぞ。
「というか、必然ですけど。指揮は西村君にお願いすることになりますね」
俺は黙り込む。
そうか、考えていなかった。
「ソロだけ演奏するなら奈良橋が指揮でもいいんじゃないか」
「そんな嫌味っぽい真似は、あまりしたくないですね」
だめか。しかし、俺が指揮をして部員たちがついてきてくれるだろうか。
「部員のことなら、サポートはしますから大丈夫ですよ」
はあ、と俺はため息をついた。指揮は率直に言って、荷が重い。しかしそれしか方法がないなら――。
「わかった、やるよ」
「そう言ってくれると思いました」にこっと笑う奈良橋。「どうします? 通しでバイオリンを入れるんですか? それともソロだけ?」
俺は考えながら話す。
「いや、全体だと俺も、編曲するのが難しいと思う。奈良橋にはトランペットを吹いてもらって、ソロだけ持ち替える感じかな」
「私もひさしぶりですから、そのほうがありがたいですね」
「それじゃ明日には楽譜、持ってくるから」
「わかりました。楽しみにしています」
俺は思い出して付け加える。
「ああ、ソロのことは、俺が言い出したって話していいよ」
奈良橋は意外そうな顔をしたが、うなずく。
「それでは事実を伝えますか」
「うん、それがいいと思う」
俺が会話を打ち切ろうとすると奈良橋が呼び止めた。
「西村君」
「なんだ?」
「曲を一番よく知っているのは西村君です。ですからソロにかかわらず、指揮は西村君が向いていたと思いますよ」
そうなのだろうか。俺は首を振って奈良橋から離れた。
・
その日のうちに俺はバイオリンソロを入れて、翌日の部活に楽譜を印刷して持って行った。
楽譜を見た部員たちの顔が曇るのがわかった。ぶつぶつと文句を言う部員もいる。
無理もない。なにしろいきなりピッコロのグリッサンド、それから二小節ごとに転調だ。
「はい、みなさん静粛に。たしかに難しいとは思いますが、いまのみなさんなら必ずものになる、と私は信じています」
奈良橋は真剣な口調で言った。にやっと笑うと一転して、おどけるように話す。
「高海さんや浦の星の女の子に、いいところ見せたくありませんか?」
部員たちの雰囲気が明るくなり、奈良橋は続けた。
「それと、西村君からの提案でさらに新しい試みを入れることにしました。申し訳ないのですが、私が間奏でソロをやらせてもらいます」
ざわっと部員たちが騒ぐ。しかし奈良橋の実力はみな知っているので反対意見はなかった。そして、当然の疑問が出る。
「それじゃ指揮はどうするんだ?」
トロンボーンのパートリーダーが聞いた。ここまでは予想通りだ。
「ですので、指揮は私から西村君にお願いしました」
またもや注目を浴びる俺。なんだろう、企画が始まってからこんなことばかりだ。
奈良橋に押し付けられた、という風を装うこともできるだろう。ただ――高海さんなら、そんなことをするだろうか。
俺は腹をくくって立ち上がる。
「勝手なことをしてすまないと思ってる。ただ、どうしても奈良橋のソロが欲しかった」
いったん言葉を切って部員たちを見渡した。表情からはなにを考えているのか読み取れなかった。
「正直、俺には指揮なんか向いてないと思う。カチンとくることもあるかもしれない。でも、いい演奏にしたいと思ってる。だから……よかったら俺にやらせてほしい」
俺はごくりと唾をのんだ。
部室は突然、静かになり、遠くの運動部の掛け声がいやに大きく聞こえた。
「まあ、そういうことならいいんじゃないか」
先ほど発言した部員が言った。同意するようなつぶやきが広がる。俺は心のなかで安堵した。
「そのほうがうちのパートとしてはありがたいぜ」
サックスのパートリーダーが言って、笑いが広がった。今日ばかりは、俺はぜんぜん気にならなかった。
§
お正月、冬休みは――そう、本当にいろいろなことがあった。みんなでこれからのことを話して、一緒にいられるあと三か月のあいだ、Aqoursは精一杯がんばろうって決めた。
鞠莉ちゃんたち三年生がいなくなることが急に現実的になって、私はやっぱり考えてしまう。私が一人になったらって。
もちろん、みんなとは離れていたって繋がっているし、本当に一人になることなんてない。今回だってたまたまステージに立つのが私ひとり、っていうだけ。
だからこそ、今度のライブ、みんなにどんな恩返しができるのか、それが問われるような気がした。
冬休みには自分の曲の練習に、ひさしぶりに沼津のカラオケ店に行った。なぜかみんなと一緒で、練習ではなくて普通のカラオケ大会になってしまったけれど。
善子ちゃんは「異世界ロマンティーク」のオープニングが
カラオケで隣になった花丸ちゃんに「恋になりたいAQUARIUM」の作詞はどうだったって聞いたら、「新しい視点から誰かにアドバイスしてもらうのは、すごくいいことだと思うずら」って、彼女は話した。
だから私が西村くんに相談したのは、正しかったみたいだ。
あ、なぜか花丸ちゃんはこのとき、真っ赤になっていたっけ。
そして冬休みが終わり、沼津南高校にはじめて練習に行ったとき。
私はとてもドキドキしてしまった。曜ちゃんが一緒に行ってくれて本当に良かったと思う。
それに、西村くん。ずっと私を気にしてくれたみたい。彼のおかげで落ち着いて歌うことができた。
実際に目にすると男の子ばかり20人っていうのは壮観だった。でも想像していたよりは、みんなおとなしかった気がする。
生演奏で歌うのはとても新鮮な体験で、私はわくわくしっぱなしだった。
いつもは伴奏にあわせるのを、伴奏のほうがあわせてくれる。わかってはいたのに不思議な感覚だった。たしかに西村くんと奈良橋くんの言っていた通り、演奏はいまひとつかもしれないけれど。
きっと次回以降は、もっと楽しく歌えるんじゃないかな。
帰り道、曜ちゃんが急にいなくなって――西村くんと二人きりになって、私は別の意味でドキドキする。
私が生演奏の話をしたら、西村くんは嬉しそうだった。
私がその日、いちばん嬉しかったのは、西村くんにすごいって言われたこと。もっときちんとお礼を言えればよかったのだけれど、私は頭がぼうっとしてしまい、ありがとう、と言うのがやっとだった。
いままでこういう経験はなかったので、私はどういうふうにふるまえばいいのか、ぜんぜんわからなかった。
バス停について待っているときに、私は彼の視線を感じる。視線をあわせると、彼はなにか言いたそうにしていた。
結局彼は、曜ちゃんを心配していただけみたいだった。
でも、私の間違いでなければ、西村くんが言いたいことはほかにあるんじゃないか、という気がした。
私のなにかが彼を
曜ちゃんが合流してくれたときには、ほっとしたのは否めなかった。
・
あれから数日たって、私は梨子ちゃんと一緒に部室で待機していた。
「おまたせー!」
曜ちゃんがあらわれた。紙製の手提げ袋を持っている。
「とうとうできたのね」と梨子ちゃん。
「いやー、千歌ちゃんに着てもらえるかと思うと、制作も、はかどりました!」
曜ちゃんはそう言いながら、袋から中身を取り出して机に置いた。
白い生地と黒いリボンの服。隣にある小さな袋はコサージュだろう。
「うわっ、嬉しい! 曜ちゃん、ありがとう!」
「お礼は着てみてからだよ。細かいところ調整したいから、さっそく着替えて!」
「うん!」
私は部室の更衣スペースに入った。
全員で着替えるときには部室のカーテンを閉めるけれど、ひとりのときにそこまでしなくてもいいように、部室の隅にキャビネとカーテンで仕切ったちいさなスペースを作ってあった。全身が映るくらいの鏡も用意してある。
私は衣装を広げてみる。いつものように丁寧な作りだった。
私だけの衣装。
もちろんいつものステージ衣装だって自分専用なのだけれど、今回は特別だ。
「ありがとう、曜ちゃん」
私はもう一度、ささやいてから制服を脱いだ。
衣装のサイズは、ほぼ直しがいらないくらいだった。鏡に映してみる。
オードリー・ヘプバーンにはまったくかなわないとはいえ、それでも結構、可愛い女の子がいる。そう思ってしまった。
梨子ちゃんみたいに、すらっとはしていないのに、曜ちゃんのデザインはうまくそれをカバーしてくれていた。
白のドレスに黒のリボン。モノトーンは私の明るい髪の色にはあわないかも、と思っていたのは
くるっと回ってみる。考えていたよりもちょっとスカート丈は短めだったけれど、本当に素敵だった。
西村くんなら、どう思うかな?
なぜか私は、そう思ってしまった。
そして、そう思った自分に気づいたとき――胸がきゅっと、しめつけられた。一緒に自分の顔が赤くなるのがわかる。
どうしてだろう。
「千歌ちゃん、サイズはどう?」
曜ちゃんの声がして、私はあわてて呼吸を整えた。