たったひとつのSunshine Story 作:Kohya S.
奈良橋にバイオリンソロを頼み、俺が指揮をすることにしてから数日。
曲は一気に難しくなったが、心配したような部員の反発もなくて、だんだんと演奏はよくなってきていた。もしかしたら奈良橋が根回しをしてくれたのかもしれなかった。
部員のなかに初めは漂っていた、いわば悲壮感のようなものも、徐々に自信に変わっていくような気がした。
そんなある日の夜、俺は高海さんから一通のメールを受け取った。開いてみて、俺は我が目を疑った。
今度の曲の衣装だった。モノトーンで、可憐さと愛らしさが同居するようなデザイン。高海さんの魅力を余すところなく引出していた。
そして鏡の前で、恥ずかしそうに、嬉しそうにする、高海さん。
可愛い。
そんな形容しか出てこなかった。
どんな気持ちでこの写真を撮ったのだろう。どんな気持ちで俺に、写真を送ってくれたのだろう。
それを考えると俺はさらに、高海さんのことが可愛く思えて仕方なかった。
・
すぐに高海さんとの練習の日はやってきた。
その
渡辺さんは衣装の写真を持ってきてくれていた。すでに高海さんからのメールで知っていた俺は反応に困る。
ただ、渡辺さんの撮った写真はまた別の魅力にあふれていて(写真は、写している人との信頼が大事だ、と聞いたことがある)俺はデータのコピーが欲しくなった。
高海さんの前で指揮をするときには、もう緊張するなんてものではなかった。
俺が指揮をするって言ったときの高海さんは、驚いていたけれど、同時に喜んでくれていたと思う。
「はいっ!」
と言った高海さんの笑顔がまぶしかった。
演奏は俺からみても、なかなかうまくいった。部員たちはよくやっただろう。ソロの奈良橋も。
高海さんの歌は、あいかわらず、すごかった。
今回は教壇を空けておいたのだが、その教壇狭しと、ときには嬉しそうに、ときには不安そうに歌い――高海さんの歌には心がこもっていた。
そして最後、部員たちへの言葉。
「あの、とてもよかったと思います。ありがとうございます!」
飾らない高海さんだからこそ、その言葉は重かった。部員たちのやる気は過去最高を更新したに違いない。
・
帰りはまた俺が送っていくことになった。部員のみんなには申し訳ないが、ほかの部員が来たってきっとふたりも困るだろう。役得ということにさせてもらおう。
今回はペットボトルのお茶を購買の自販機で用意して持って行った。それがよかったのか悪かったのかはわからない。
渡辺さんと高海さんは、トイレに行く、行かない、という話を始めてしまい――ひどく赤面させられることになった。
途中、編曲の話題になり、俺がいい曲にしたいと話すと、彼女は「ありがとう」と言ってくれた。
面と向かって言われたお礼に、俺はしっかりと答えることができなかった。
本当に彼女は素直でまっすぐだと思う。
その日、一番嬉しかったのは最後の彼女の言葉だった。まさか女の子に、いや、高海さんに、「格好いい」なんて言ってもらえる日が来るとは思わなかった。
俺は動揺してしまって、またもやはっきり答えられなかった。
へんな奴と思われたらどうしよう、と思うとともに、高海さんなら大丈夫だろう、という安心感もあった。どちらが正しいのかは、わからないが。
残された練習はあと二回。本番までは一か月強。
なにかもうすこし、できることがあるはずだった。
・
数日後。定期演奏会には当然「One More Sunshine Story」以外の曲もあるわけで、この日はそれらの曲を合奏した。指揮は顧問の三田先生だ。
三田先生はいつものようにバシバシと指導した。奈良橋や俺よりも明らかに厳しかった。
しかし先生は最後に話した。
「いつになく、レベルが上がってきてますね。気づいてますか、みなさん?」
そう言われてみれば――指導の内容も、以前のような奏法やリズムといった基本的なものだけではなくて、表現や
「次の定期演奏会、たいへん楽しみになってきました」
三田先生はそう締めた。高海さんのためにがんばった成果が、こんなところにも出てきているらしかった。
先生が帰って、俺たちも楽器を片づけようとしたとき、ひとりの部員が笑いとともに話した。
「こんなことなら、もう一曲くらい、やってもよかったな」
たしかに、と思う。
定期演奏会のプログラムは各校に任されているが、一時間弱の枠内で、俺たちは「まあ何とか許されるだろう」という、四十分とすこししか曲を用意していなかった。
このあたりの事情は各校とも同じなのかもしれない。実は、寸劇をやるところは、曲を演奏するより楽と考えたのではないかと、俺は疑っている。
部員たちからも同意するような声が上がった。やる気になっているのはいいことだと思う。
「いまからでも一曲、増やすか?」
冗談めかして誰かが言った。あと一か月で一曲増やすのは相当難しい。それは全員、わかっているはずだった。
しかし、無謀な奴がひとり、いた。
「いいですね。真面目に考えてみますか?」
奈良橋だった。
一気に静かになる音楽室。断りたい、もしくは、やりたい。誰がどう考えているのかはわからないが、たった
俺は、どうなんだろう。すこし考えて、すぐに結論は出た。もう一曲、やってもいい。なんなら編曲だってする。
だが
俺は続けて思った。高海さんなら、どうするかな。これにも迷いはなかった。やるに決まってる。
高海さん、か。いつの間にか彼女の存在は、俺のなかでなによりも大きくなっていた。どうせなら彼女が喜ぶようなことをしたい。
俺は次の一言が、これからの一か月を大きく変えることを知りながら、言う。
「……どうせなら、Aqoursの曲をやるっていうのは、どうだ」
視線が俺に集まった。奈良橋がメガネの奥で目を輝かせた。
「ほら、いい曲ばっかりだしさ」
俺は視線を避けるように肩をすくめる。
「……編曲は
「まあ、そうなるかな」
硬かった音楽室の空気がほどけていく感じがした。まあな、とか、せっかくだし、といったつぶやきが聞こえた。
「ふむ、なかなか面白い案ですね。どうでしょう、みなさん、考えてみますか?」
奈良橋が言うと、今度こそ明確に、部員たちは同意の声をあげた。いつの間にみんなここまでやる気になったのだろう。嬉しい驚きだった。
奈良橋は続けた。
「どうせなら、サプライズにしませんか。高海さんには当日まで隠しておくんです」
なるほど、いいかもしれない。部員たちはさらに盛り上がる。高海さんへのせめてもの恩返し、というところだろうか。俺もうなずいた。
とはいえ、俺は釘を刺しておく。
「指揮は頼むぞ、奈良橋」
「ええ、任せてください」
奈良橋は楽しそうに微笑んだ。
・
選曲から任された俺は、いきなり悩むことになった。Aqoursの曲はどれもいい曲ばかりだ。
二、三日、考えたすえに、俺はひとつのアイデアを思いついた。いずれにせよ次の工程を考えたら彼女に話すのは避けて通れない。
高海さんはどう思うだろうか。もしかしたら機嫌を悪くするかもしれないが、そのリスクを
――いや、単なる自意識過剰だろう。彼女が俺のことを、そんなふうに思ってくれることが、あるわけなかった。
とにかく、翌日の練習で俺は話を持ちかけることにした。
・
翌日、高海さんはひとりで沼津南高校まで来てくれた。
玄関で会った彼女は、なぜか傘を持っていた。天気予報は晴れのはずだが。
顔に出ていたのだろう、高海さんはにっこり笑った。
「これは、曜ちゃんが用意してくれたんだ。ダンスのときに使おうと思って。音楽室だと、広げるのは無理だと思うけど」
「なるほどね」
たしかによく見ると
俺は続けて聞いてみる。
「それじゃ、衣装のほうは?」
「い、衣装は、さすがに本番しか着ないよ!」
「そうなんだ。楽しみにしてる」
思わず本音が漏れてしまう。あわててなにか言おうとしたが、言葉は出てこなかった。しかしそれがよかったらしい。
「あの、うん。楽しみにしてて?」
恥ずかしそうに顔をそらして、でも目は俺のほうを見たまま、なぜか疑問形で彼女はそう言った。
その仕草に俺はもう息が詰まって、うなずくのがやっとだった。
練習は前回よりもさらに良かった。部員たちも満足そうだった。
Cメロ、高海さんは傘を振りながら歌った。本番でしっかり広げたときにどんな感じになるのか、と思う。
きっと可愛いんだろうな。
・
練習が終わり、いつものように高海さんをバス停まで送る。玄関で俺はまたペットボトルを渡した。
「ありがとう」と彼女は微笑んだ。
校門を出て静かになって気づく。本当にひさしぶりに彼女と二人きりだった。
意識してしまうとなかなか言葉が出てこなかった。
高海さんも無言だった。コートのポケットに右手を入れている。俺はその手を握りたい、と思った。
すこしでも距離を縮めるために俺は口を開いた。
「練習、あと一回だね」
「そうだね。そうしたら次は本番か。あっというまだったな」
「結構、いい感じになってきたと思うんだけど」
「うん、私もそう思う」
彼女は笑った。
それきりまた彼女は黙ってしまったけれど、今度の沈黙は、さっきまでよりもずいぶん気が楽だった。
信号待ちで俺たちは立ち止った。
そのとき、なんの偶然だろうか、横断歩道の向こうにふたり連れが見えた。制服を着た高校生の男女で、俺には見覚えなかったが、片方はうちの高校の生徒らしかった。もう片方はどこかの――たしか
信号が青に変わり、横断歩道の真ん中で俺たちはそのふたりとすれ違った。ふたりは楽しそうに会話していた。
横断歩道を渡り終えたところで、高海さんがぽつりと話した。
「あの、西村くん」
「なに?」
「西村くんは……彼女とかいるの?」
俺は思わず高海さんを見てしまう、彼女は顔をそらしていて表情はわからなかった。でも、耳が赤くなっているのが見えた。
「いや、そんなのは、いないけど」
俺は正直に話す。
「そうなんだ」
高海さんは淡々と答えた。でも俺はそこに――安堵の響きがあるような気がした。勘違いではないはずだ。
俺は勇気づけられた思いで、聞き返した。
「高海さんは、どうなの?」
「えっ、私?」
彼女は一瞬だけ顔を上げて、またすぐにおろした。
自分の鼓動が速くなるのがわかった。
永遠にも思える時間がすぎて、高海さんはちいさな声で言った。
「私も、いないかな」
俺は嬉しくなる。そのまま彼女に告白したいと思った。
いつの間にかバス停のすぐ近くまで来ていた。
でも、この話題はまずい。とてもまずい。しかし、ここで次の話を出さないと、どうしようもなくなる。
高海さんが夕方ここに来たときに、すぐに聞いておけばよかった。
いや、部活のことなんか、どうでもいいんじゃないだろうか。次に来たときに聞けばいい。練習時間が短くなるだけだ。
または、サプライズをあきらめたっていい。奈良橋に義理立てなんかしなくても。
でも、あれだけ盛り上がっている部員たちを、いわば裏切るようなことはできなかった。
それなら、いま先に告白をしたら――いや、それだとさらに悪い結果を招くだろう。
俺は自分の不運を呪った。ため息をついてから、俺は話した。
「あの、高海さんにお願いがあるんだけど」
「ん、なにかな?」
すこしだけ期待がそこにあるようなのは、気のせいだろうか。俺はもう一度、悩む。
――仕方がない。
最後の最後にいい結果が出ることを、祈るしかなかった。
「……桜内さんの連絡先、教えてくれないかな」
「梨子ちゃんの?」
それきり彼女は黙ってしまった。無理もなかった。
あわてて付けくわえる。
「えーと、曲のことで聞きたいことがあってさ。いまさらで悪いんだけど」
「そっか……」
また高海さんは黙る。沈黙がつらかった。俺の胃が痛くなってきたころ、高海さんは言った。
「いちおう、梨子ちゃんに聞いてからでいいかな?」
高海さんの声が硬くなっているのがわかった。
「あ、もちろんそれでいいよ。ごめん、手間を取らせて」
「ううん、大丈夫!」
高海さんは明るい声でそう言った。
ごめん、高海さん。
俺は心のなかで何度も謝った。
バスに乗るとき、それでも彼女は笑顔を返してくれて、俺はすこしだけ救われた。