たったひとつのSunshine Story   作:Kohya S.

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15. 俺だけの演奏じゃない

 いよいよ定期演奏会の日がやってきた。

 

 演奏会は午後二時から。昼前にまず高校の音楽室に俺たちは集まった。全員がそろったところで楽器を持って移動を開始する。会場までは徒歩二、三分だ。

 コントラバスやチューバなどは滅茶苦茶重くて運搬はいつも悩みの種なので、担当している部員にはこの会場の近さはありがたかっただろう。

 軽い楽器の部員たちが担当して、用意したシルクハットを運んだ。

 

 会場の舞台裏、一校につきひとつずつ割り当てられた控室に楽器を下ろす。

 

 受付や当日券の販売を手伝ってくれるOBも何人か姿を見せていた。三年生の先代部長と、アナウンスを頼んだ放送部員もいる。奈良橋は彼らと如才(じょさい)なく挨拶を交わしていた。

 

 そういえばまったく気にしていなかったが、そういった調整も奈良橋がやっていたに違いなかった。あらためて俺は感謝した。あとで言葉に出して伝えよう、と思う。

 

 そして、高海さんも時間通りにやってきた。いつものように浦の星女学院の制服姿だ。

 

「おはようございます!」と高海さん。

 

 それだけで控室の雰囲気が明るくなるのがわかった。

 肩から掛けている大きな鞄には、衣装が入っているのだろう。脇には傘を抱えていた。

 

 高海さんは俺と奈良橋が話をしていたところへ来て、改めて言った。

 

「おはよう、奈良橋くん、西村くん」

「おはようございます」奈良橋は例によって丁寧に頭を下げた。

「おはよう、高海さん。道には迷わなかった?」と俺。

 

 聞いてから気づく。彼女は来たことがあるし、そもそもバス停から見えているような場所だ。

 

「うん、大丈夫だった! 楽屋の入り口から入ってくるときには、やっぱりすこしドキドキしちゃったけど」

 

 高海さんは微笑んだ。その笑顔はあいかわらずまぶしかった。

 

 高海さんに更衣室の場所を聞かれた俺は答えられなかったが、奈良橋は即答した。高海さんはいったん衣装を更衣室に置いてきたらしい。

 

 全員がそろったところで、顧問の三田先生と奈良橋から簡単な挨拶があった。

 奈良橋は途中、高海さんに振った。

 

「高海さん、今日はわざわざありがとうございます。つたない演奏ですがよろしくお願いします」

「いえ、私もすごく楽しみにしてきました。今日はよろしくお願いします!」

「よろしくお願いします!」

 

 部員たちが声をそろえた。

 奈良橋が続ける。

 

「他校の生徒、観客に、素晴らしい演奏を見せてあげましょう」

 

 奈良橋はそう言って締めた。「おうっ」と部員たちから力強い答えが上がった。もちろん俺と高海さんもそれにくわわった。

 

 ちょうど昼頃から他校との打ち合わせが始まった。沼津南高校からは奈良橋と俺、放送部員、OB、それに高海さんが参加した。

 

 ステージの上で、運営担当の生徒やOB、他校の部長クラスと、曲目や座席の配置、舞台への出入りなどを確認していく。

 俺たちが曲目を追加することはあらかじめ伝えてあったものの、それについても奈良橋はあらためて念を押した。

 高海さんに曲のことがばれないかとひやひやしたが、そこは奈良橋がうまくごまかしてくれた。

 

 高海さんは真剣な表情で、部員の座席と指揮台の位置などを調べていた。

 

 ステージからあらためて観客席を見ると、ホールは思いのほか広かった。

 空席があるとはいえ、ここを埋める観客を目の前にして演奏する。その事実がだんだんと実感されてきて、俺はごくりと唾をのんだ。

 

        ・

 

 全体のプログラムは、三校がそれぞれ数曲ずつ演奏をおこない、最後に合同で一曲、という構成だった。

 それぞれの学校の演奏のあいだと最後の演奏の前には、座席の変更などもあって短い休憩が入る。

 

 俺たちは他校の演奏中は控室で待機し、演奏が近づいたらリハーサル室へ移動、そして舞台へ、という流れだった。

 

 演奏順はずいぶん前に三校のくじ引きで決められていて、俺たちは三番目、つまりラストを引き当てていた。そのころには奈良橋を呪ったものだが、いまとなっては最高のくじ運だったと思う。

 

 いったん俺たちは控室へ戻った。

 

 一校目の吹奏楽部はさっそく準備に行ったようだ。

 俺たちは、これからリハーサルまではちょっとした待ち時間だ。昼食を食べに行った部員もいたようだが、俺はあまり食欲もわかなかった。

 

 気づけば高海さんも見えない。俺はなんとなくホールのロビーへ行った。

 

 まだ開場前で誰もいなかった。唯一、入り口のそばで受付の準備をしているスタッフの姿だけが見えた。

 

 俺は掲示してあるポスターを眺めた。そこに書かれている文字はなにも頭に入ってこなかった。

 

 これから二時間もすれば演奏だ。

 去年、同じくここでおこなわれた定期演奏会に参加したときは、まったくといっていいほど緊張しなかった。演奏は、はるかに下手だったのに。

 ところが今年はどうだろうか。

 

 もちろん理由はわかっている。初めての指揮。初めてゲストボーカルに歌ってもらう。あれだけ努力したのだって初めてだ。

 

 うまく指揮できるだろうか。観客の受けはどうか。それに、高海さんが喜んでくれるか――。

 

「西村くん」

 

 高海さんの声がして俺は飛び上がりそうになる。

 振り返るとすこし驚いた顔をした高海さんがいた。

 

「あ、高海さん……」

「ごめん、びっくりさせちゃったかな」

「いや、俺のほうこそ」

 

 高海さんはくすっと笑った。

 彼女はすごく落ち着いているように見えた。これがスクールアイドルであること、Aqoursの一員ってことかなと思う。

 

「ちょっと緊張しちゃって」素直に俺は口にした。「高海さんは、緊張してない?」と聞く。

「それはもちろん、緊張してるよ。だって、一人だけのライブだもん」

「とても、そんなふうには見えないけど」

「そうかなあ。でも、もし、そう見えるとしたら……」

 

 高海さんはいったん言葉を切った。

 

「私ひとりだけのライブじゃないから、かな。梨子ちゃんがいて、曜ちゃんがいて、果南ちゃんがいて、ほかのメンバーがいて……それで私がここにいるんだって、知ってるから」

 

 にこりと笑って続ける。

 

「それに、もちろん、西村くんも」

 

 高海さんはそう言ってから、あっという感じで目をそらした。彼女の顔が赤いのは気のせいだろうか。

 

 高海さんの話は、最後のひとつはともかく、きっと正しかった。

 

 俺だけの演奏――ライブって言ってもいい――じゃない。奈良橋がいて、部員たちがいて、もちろん高海さんがいる。桜内さんも渡辺さんも。

 そう思うとすっと気が楽になった。

 

「そうだね。……高海さん、よろしく」

 

 俺が出した右手を高海さんは一瞬だけ、びっくりするように眺めて、すぐに握り返してくれた。

 

「こちらこそ、よろしく」

 

 高海さんの手は細くて柔らくて、温かかった。

 

 俺は大胆なことをしてしまったことに気づいた。ぱっと手を離す。

 高海さんは真っ赤な顔をして、あさってのほうを向いた。俺もきっと似たようなものだっただろう。

 

 受付のほうで動きが見えた。そろそろ開場らしい。あまりここにいることもできない。

 

「そろそろ戻ろうか」

「うん」

 

 高海さんはうなずいた。

 

        ・

 

 控室に戻ると、やがて最初の学校の演奏が始まった。

 

 去年の、いや昨秋の俺たちよりもずっと上手かった。でもいまはどうだろうか。わりと行けるんじゃないかな。俺はひいき目でなく、そう思った。

 

 控室で待つこと約三十分。最初の休憩時間になる。

 俺はさすがに暇なのでホールをのぞきに行く。高海さんもついてきた。

 

 座席は驚いたことに半分以上、埋まっていた。

 関係者にタダ券が大量に配られるし、金額もごく低いとはいえ、定期演奏会は有料だ。それなのにこの入りとは、昨年やそれ以前にくらべると、おそらくいつにない盛況だろう。

 

 俺がそう話すと高海さんは言った。

 

「浦の星の子もすこしは来てくれたかも。私が出るよって、Aqoursのみんなが宣伝してくれたみたいだから」

 

 そして、照れくさそうに微笑んだ。

 

 控室に戻り次の学校の演奏に移っても、最初の俺の印象は変わらなかった。

 

 ちなみに最初の二校はともに共学だった。部員は男子より女子のほうがずっと多い。いつもならうらやましいと思うのだが、今年はそんなことはなかった。

 ただ部員数はずっと多くて、やはり演奏には厚みがあった。パートごとにソロを聞かせるような演出もあり、そのあたりは素直にうらやましかった。

 

 運営の生徒が呼びに来て、俺たちは楽器を持ち静かに移動を開始した。高海さんも一緒だ。

 

 リハーサル室は別棟の会議室だった。椅子がなんとなく円を描くように並び、テーブルは畳まれて部屋の隅に積み上げられている。

 

 三田先生の指示でチューニングを開始した。その先生もいつものカジュアルな服装ではなくスーツ姿だった。

 

 各自がそれぞれ、あるいはペアになってチューナーで調整する。俺も自分のサックスに息を吹き込んで、マウスピースを微妙に動かして音程をあわせた。

 

 先生の指示でいったん止めて、パートごとに確認する。これはすぐに終わった。

 

 高海さんはと見ると、きっとチューニングを見るのは初めてなのだろう、面白そうに眺めていた。

 

 最後に全体でロングトーンをあわせていく。俺はこの瞬間が好きだった。

 三田先生はときどき、パートごとに演奏させたり、ひとりだけに吹かせたりして微妙に調整をしていった。

 そしてとうとう、先生は満足そうにうなずいた。

 

「高海さんも、あわせてみますか?」

 

 三田先生がいたずらっぽく笑った。いつもよりも十歳くらい若く見えた。

 

「はい!」

 

 嬉しそうに答える高海さん。

 

「それでは私が指示したら、お願いしますね」

 

 オーボエから始まって、いつものように重なっていく音。そこに高海さんのボーカルが加わった。つやのある、張りのある声。俺はなぜか自然に笑顔になった。

 

「はい、いいですね」

 

 先生がもう一度、大きくうなずいた。

 

 それから俺たちは気になる箇所をいくつか演奏した。

 全体での合奏だったりパートだけだったり。「One More Sunshine Story」も高海さんを含めて出だしを確認したりした。

 大きな打楽器はステージ近くに置いてあるので、パーカッションパートはエア打楽器だったが。

 

 リハーサルはあっという間だった。また生徒が呼びに来る。

 

 高海さんはこれから更衣室に移動して、衣装に着替えることになる。そして最後の曲――当然、高海さんが出るのは最後だ――のすこし前から舞台袖で待機する予定だった。

 

 部屋を出る直前、高海さんと目があう。高海さんは目を輝かせて、こくっとうなずいた。俺もうなずき返した。

 

        ・

 

 二校目の演奏が終わった休憩時間、緞帳(どんちょう)の内側で、俺たちは急いで椅子の位置を直した。前の高校の部員たちも椅子を片付けてくれた。帽子は座席の下に入れた。

 

 全員が椅子に座ったところで奈良橋が小さな声で言った。

 

「泣いても笑っても、あと一時間です。全力で行きましょう」

 

 おう、と俺たちはささやくように答えた。

 

「続きまして、沼津南高校吹奏楽部の演奏に移らせていただきます。最初の曲は……」

 

 聞き覚えのある声のアナウンスが流れて緞帳が上がり始める。

 

 三田先生がステージにあらわれて俺たちは立ち上がる。先生は観客に向かって一礼した。拍手が上がる。観客の数はさらに増えていた。

 先生の合図で俺たちは座り、あらためて姿勢を正した。

 

 先生は指揮台に上ると、俺たちを確認するように眺めた。先生の両手が掲げられて俺たちは楽器をかまえる。

 その手が小刻みにリズムを取り、大きく振り下ろされて、演奏が始まった。

 

 いくら練習したとはいえ、そう簡単に腕は上がらない。俺は演奏で一杯一杯になった。それでも大きな間違いをしなくなったのは、成果が出たと思いたかった。

 

 俺たちの演目は六曲。四曲目の途中で、俺は舞台袖の高海さんに気づいた。あやうくタイミングを外しそうになる。

 暗い舞台袖で高海さんの衣装と肌だけが、白く浮き上がって見えた。

 俺は演奏に集中した。

 

 曲が終わり、拍手のなか、三田先生が指揮台から降りてお辞儀をした。

 かわって奈良橋が一礼してから指揮台に上がる。

 

「次は、みなさんにもおなじみの曲だと思います。我が沼津の生んだスクールアイドルグループ、Aqoursの曲から、『君のこころは輝いてるかい?』を吹奏楽アレンジでお送りします」

 

 曲の準備に追われて、俺には高海さんを確認する余裕はなかった。

 それでも観客席の一部が盛り上がるのはわかった。黄色い声。もしかして浦の星だろうか。

 

 奈良橋は気取ったようすで指揮棒を上げた。

 

 奈良橋が右手を振ると、ホルンとフルートが応えた。すぐに俺たちサックスが主旋律を(かな)でる。

 

 いつもの吹奏楽曲よりもずっと速いリズムだ。それに編曲もかなり難しい(ああ、これは俺のせいだ)。それでも部員たちはよくがんばった。

 ドラムと奈良橋の呼吸もぴったりだった。というか、ドラムがこんなに腕を上げるとは思わなかった。

 

 大サビ、すこしだけ余裕ができて俺は高海さんをちらっと眺める。

 高海さんはあっけに取られて、でも嬉しそうに俺たちを見ていた。口元は歌詞にあわせて動いている。

 俺はおなかに力を入れなおした。

 

 最後に、冒頭の旋律が戻ってきて、曲が終わった。

 

 観客席から上がる拍手。今日いままでで一番、大きな拍手に間違いなかった。

 奈良橋は礼をして指揮台を下りた。

 

 さて、いよいよだ。俺は楽器を丁寧に下ろして身構えた。

 

 高海さんが頬を上気させているのが視界の隅に映った。

 

        ・

 

「次が最後の曲になります。今回、我々は特別ゲストをお招きしました」

 

 アナウンスのあいだに俺は帽子をかぶって前に出る。奈良橋は俺に指揮棒を渡すといったん舞台袖に下がった。

 部員たちもみな帽子を取り出して頭に乗せた。

 

「さきほど曲を演奏させていただいた、そのAqoursから、高海千歌さんです!」

 

 高海さんがゆっくりと歩いてきて、観客席に向けて一礼した。

 

 ステージ衣装の高海さん。白いドレスと黒いリボンとがあざやかなコントラストを見せて、帽子からこぼれる蜜柑色の髪と、つばに飾られたコサージュが(いろどり)を添える。

 ウエストが絞られたドレスは高海さんの、意外に豊かな胸と女の子らしい曲線を強調していた。

 明るい照明のなか、化粧をした高海さんは可愛い、というよりも美しかった。

 

 ぶわっと拍手が上がる。

 

 そのあいだに奈良橋がバイオリンと高海さんの傘を手に戻ってきた。頭には他の部員と同じくシルクハット。さらに詰襟のかわりにジャケットを着て、首元にはネクタイを締めていた。

 そして部員の席の一番端に傘を、自分の近くにバイオリンを置いた。

 

 高海さんと目があう。彼女は小さくうなずいた。

 

 うん、準備は良さそうだ。俺は観客席に向かって一礼し、指揮台に上がった。拍手が静かになっていく。

 

「曲は、この日のために用意したオリジナル曲になります。『One More Sunshine Story』、それではどうぞ!」

 

 俺は部員たちひとりひとりと目をあわせていった。うなずく部員もいる。そして高海さん。全員の目が輝いていた。

 俺は大きく息を吸って、右手を振り上げた。

 

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