たったひとつのSunshine Story 作:Kohya S.
「これ、受け取ってほしいんですが」
水曜日の昼休み、奈良橋から手のひらに乗るくらいの小さな紙袋――つやのあるダークブラウンの紙に
今日はバレンタインデーだ。
あいにく俺にはそういう趣味はない。
「うちの妹からですよ。
ああ、そういうことか。奈良橋も人が悪い。
俺はあたりを見渡すが幸い誰もこちらには注目していなかった。
「でも、どうして俺に? むしろお礼を言うのはこっちじゃないか」
つい先週末の土曜日におこなわれた定期演奏会。そこには浦の星女学院から高海さん――いや、千歌ちゃんが来てくれた。千歌ちゃんとは去年からいろいろあって――その、付き合うことになったわけだが、最初にAqoursに話を持って行ってくれたのが奈良橋の妹だった。
「妹が言うには、浦の星女学院のいい記念になった、だそうですよ。編曲をしてくれてありがとう、と」
奈良橋はふっと微笑んで続けた。
「受け取ってくれますかね」
「ああ、そういうことなら」
俺が紙袋を鞄にしまうと、奈良橋がつぶやいた。
「ほかにも、もらえるといいですね」
俺はぎくりとする。千歌ちゃんのことは奈良橋にも話していないが、勘のいいこいつのことだ、きっとうすうす
俺は無言で肩をすくめてみせた。わざわざ認めることはない。
「部活は休んでいいですよ」
「……そりゃどうも」
やっぱりだ。とはいえ俺は、ありがたくそうさせてもらうことにした。
・
放課後。千歌ちゃんからは昨日メールがあって、沼津市街での練習が終わったら連絡が来ることになっていた。
土曜日に告白してから千歌ちゃんに会うのは初めてだ。
彼女はなにも言わなかったけれど、俺は期待してしまうのをどうしても
練習場所は駅の近くと聞いていた。高校を出た俺は、駅のあたりでうろうろして時間をつぶした。
バレンタインの飾り付けがされた商店街。去年までなら気にも留めなかったのに、今年はやけに気になった。
千歌ちゃんがくれるのは、こんなチョコレートだろうか。それとも手作りだろうか――。
ポケットのスマートフォンが振動とともに着信音を鳴らした。取り出して、俺は思わず笑顔になる。「高海千歌」の四文字。
「高海さん?」
『あ、にし……
しまった、と思う。でも千歌ちゃんは名前で呼んでくれた。そんなちょっとしたことが嬉しかった。
「千歌ちゃん」俺はしっかりと話した。「もちろん。練習、終わったんだね」
『うん、いまプラサヴェルデを出たところ』
「それじゃ、そっちまで行くよ。駅の北口あたりで待っててくれる?」
『北口……えっと、あっちのほうかな。どこにいればいい?』
俺は頭のなかで良さそうな場所を探す。
「北口の広場に時計とオブジェがあるから、そのへんで。すぐわかると思う」
『わかった。探してみるね』
「五分くらいでつくから」
俺は通話を切って、早足で歩き始めた。
・
駅前の交差点が近づき、その先に広場が見えて、俺の目は千歌ちゃんを探し始める。交差点まであと二十メートルというところで、俺は制服姿の千歌ちゃんを見つけた。
あわてて足を速めるが、信号は直前で赤に変わった。
じりじりしながら青になるのを待つ。
千歌ちゃんはこちらに気づいていなくて、両手を後ろにまわし、どことなく落ち着かないようすでうろうろと広場を歩いていた。ときどきちらっと時計を見上げる。
ようやく信号が青に変わり、俺は走り出したくなるのを懸命におさえて早足で近づいた。
傾き始めた柔らかい冬の光のなか。俺に気づいた千歌ちゃんが、ぱっと顔を明るくするのがわかった。
「ごめん、待ったかな」
「ううん、いま来たところ」
俺はそう言ってから、前に――いや、ついこのあいだ、高校近くのファーストフードで似たような会話をしたことを思い出した。あのときは立場が逆だったが。
千歌ちゃんが覚えているかどうかはわからない。
でもあのときよりもずっと近くになった千歌ちゃんとの関係に、俺はあらためて感謝した。
「ひさしぶり、だね」と千歌ちゃん。
わずか四日しかたっていないのだが、俺も同じ気持ちだった。
「そうだね。すぐわかった、場所?」
「うん、大丈夫だったよ」
千歌ちゃんはなにかに期待するようなまなざしで俺を見つめる。ぴょこんと飛び出した前髪がまるで千歌ちゃんの心をあらわすように、揺れた。
しまった。会えるということだけが先に立って、なにも考えていなかった。
「……えっと、どうするかな」
俺がそう言うと、千歌ちゃんはくすりと笑った。
「どこかで話でもしようか」
「はいっ!」
彼女は満面の笑みでうなずいた。
・
どうするか考えながら、俺はとりあえず商店街のほうへ向かった。
「今日はずいぶん早く終わったんだね、練習」
歩きながらそう聞いてみる。
「うん、誰がいい出した、ってわけでもないんだけど。なんとなく、ね」
「ふーん」
やっぱり日付が日付だからだろうか。
千歌ちゃんはあまり駅の北側には来たことがない、と話した。俺もあまり詳しくはないが、市街に住んでいるので千歌ちゃんよりマシだろう。
ファーストフードだとさすがに雰囲気が出ない。かといって喫茶店は逆に落ち着かない気がした。
結局俺はチェーンのカフェを選んで、千歌ちゃんに話した。
カフェはショッピングモールの最上階にあった。通路を歩くあいだ、俺たちはつかの間のウィンドウショッピングを楽しんだ。
カフェのカウンターでドリンクを注文して(もちろん俺が会計した)席に落ち着く。ちょうど隅のテーブルが空いていたのは幸運だった。
「この前は、どうもありがとう」
「えっと、私も、その、ありがとうございました」
俺のあいまいなお礼に千歌ちゃんもあいまいに答えた。
距離感がどうにもつかめなかった。
「練習、進んでる?」と聞く。
「うん! 新曲の振り付け、やっといい感じになってきたんだ」
千歌ちゃんは楽しそうに話した。
話に出てくる桜内さん、渡辺さんを始めとしたメンバーのことを、しっかりイメージできるのも嬉しかった。
「あと一か月だっけ。俺、ラブライブ、必ず行くから」
「ありがとう! えへへ、緊張しちゃうね」
千歌ちゃんは体をもじもじさせて笑った。
緊張するのが本選のせいなのか、俺が見に行くからなのかはわからなかった。
そういえば定期演奏会以外で、俺は千歌ちゃんのライブを見たことがないんだ、と思う。
まだ衣装はできていないようだが、きっと今回も渡辺さんの衣装は素晴らしいものになるに違いない。
「……楽しみだな」
俺が思わずつぶやくと千歌ちゃんは口をぱくぱくさせて――結局、なにも言わかなった。
千歌ちゃんは目をそらしてしまい、俺はなんとなく頭をかく。しばらく不自然な間が流れた。
俺はあたりを見渡し、テーブルの上に置かれているポップに目を留める。
「ホットチョコレート、期間限定だったんだ。頼めばよかったかな」
わざとらしいかなと思いながら口にすると、千歌ちゃんが、はっという感じで顔を起こした。
「晴樹くん、チョコレート、好き?」
「うん、普通に好きだけど」
「よかったー」
千歌ちゃんは顔を輝かせると鞄を手に取り、なかから包みを取り出した。
それも、みっつ。
かっちりした感じの、手提げ紐のついた紙袋がふたつ。そしてひとつはテイクアウトで出てくるような形の紙袋で、可愛いシールで封がされていた。
俺の顔に疑問が浮かんでいるのに気づいたのか、千歌ちゃんは頬を染め、目を落として話し始めた。
「えっと、あのね……」
§
定期演奏会のあと、週が明けて月曜日。
告白されてから
でもたしかに私のスマートフォンには彼の連絡先と通話記録があって、あのときの彼の手の感触はまざまざと思い出すことができて――不思議な感じだった。
昼休み、いつものように梨子ちゃんと曜ちゃんとお弁当を食べる。
昨日の練習の帰りに、梨子ちゃん曜ちゃんには告白されたってことを話していた。でも、ふたりともいつも通りだった。
男の子とお付き合いなんて始めたら、家でも学校でも、生活はがらっと変わりそうな気がしていたけれど、意外にそんなことはないのかもしれなかった。
三人ともお弁当を食べ終えて、私はひとつ、どうしても気になっていることを相談することにした。
「ねえ、曜ちゃん、梨子ちゃん」
私がそういうとふたりがさっと目配せするのがわかった。
「なあに、千歌ちゃん」
梨子ちゃんはいつもより心なしか早口だったかもしれない。でも私にはそれを気にしている余裕はなかった。
「あのね、ほら、今週の水曜日……」
「ああ、水曜日ね。水曜日」
梨子ちゃんはうんうんとうなずいて続けた。
「練習、早めに終わるみたい。みんな用事があるらしくて」
「あ、そうなんだ」
私はひとつの不安がなくなってほっとする。でも、本当に相談したいのは別のことだった。
「……なんの日か、知ってるよね?」
私がそう言うと梨子ちゃんは微笑んだ。
「もちろん」
「まさか千歌ちゃん、渡そうかどうか悩んでる、とか言わないよね?」
曜ちゃんが面白そうに言う。
「それは、私だって、もちろん渡すつもりだよ。でも……」
「でも?」
「なにかあるの?」
ふたりが
私は小さな声で話す。
「やっぱり手作りのほうがいいのかなって……」
目をふせた私の前でふたりが顔を見あわせて、くすりと笑った。
もう、私は真剣なんだから……!
私がほっぺたを膨らませていると、曜ちゃんが笑みを残したまま話した。
「うーん、あまりこだわらなくても、いいんじゃないかな? 私なら、もらえるだけで嬉しいし」
「そうね。でも、男の子にとっては、手作りは特別な感じがするかも?」
梨子ちゃんが首をかしげる。
あ、晴樹くんもそうなのかな……。
「うんうん、手作りの威力っていうのはあるねえ」と曜ちゃんも。
「多少出来が悪くても、そこがむしろ魅力だと思うの」
「わざわざ作ってくれた、っていうのがポイントだよね。あ、でも、かえって重いってことはないかな?」
「お付き合いしてるなら、大丈夫じゃないかしら。どう、千歌ちゃん?」
梨子ちゃんに聞かれて、私は真っ赤になって返答に詰まる。
「そこがわからないから、相談してるわけでして……」
「あ、そっか」
「ごめんなさい、千歌ちゃん」
梨子ちゃんは微笑んでから、あれっという感じで続ける。
「……やっぱり、ってことは、もしかして、もう用意してあるの?」
私はうなずく。
自分から告白するか決めてはいなかったけれど、いちおうこの前、沼津にいったときに、ちょっと奮発して高級なのを買っておいた。
もし晴樹くんがまったく脈なしの雰囲気だったら言い訳できるように、奈良橋くんのぶんも。
曜ちゃんと梨子ちゃんがまた視線を交わして、今度はうなずきあった。
「そういうことなら、一肌、脱ぎますか」
「そうね」
えっ、と私は思う。
「私たちにそんな話をするってことは、もう千歌ちゃんのなかでは決まってるってことだよね」
曜ちゃんがにこっと笑った。
「ええ。そして次に、千歌ちゃんがなにを言いたいかってことも、お見通しよ」
梨子ちゃんはいたずらっぽく笑う。
「えっと……」と私が何も言えないでいると。
「今日、練習の帰りに沼津で材料を買って……」
「明日、作れば間に合うわね」
ふたりとも私のことなんて、私以上にわかってるって決まってた。
「曜ちゃん、梨子ちゃん……ありがとう」
私が半分泣きそうな声で言うと、ふたりは私をはげますように微笑んだ。
・
その日は練習をすこしだけ早めにぬけて、沼津市街で材料とラッピング用品を買った。ふたりと相談して、作るのはオレンジピールのチョコがけ(私にはぴったりだと思う)と、オーソドックスなトリュフチョコの二種類に決めた。
翌日は学院での練習のあと、梨子ちゃんの家のキッチンを借りて、なんとか二種類とも完成させた。
すごく時間もかかったし、出来栄えは推して知るべしって感じだけど、梨子ちゃんも言ってたし、きっと喜んでもらえるはず――喜んでもらえるんじゃないかな。
ふたりともお菓子作りはあまり得意じゃないって話していたけれど、私よりもずっと慣れてるみたいだった。
ちなみに、梨子ちゃんと曜ちゃんもチョコを作っていたけれど、誰にあげるのかってことは聞かなかった。
水曜日、練習は早めに終わりになった。
いつもなら
プラサヴェルデを出て私は晴樹くんに電話を掛ける。
晴樹くんは「高海さん」って話して、私もつい、西村くんって言いそうになったけれど、ちゃんと晴樹くんって呼んだ。
私の想いは伝わったのかな。すぐに晴樹くんは千歌ちゃんって言い直してくれた。
待ち合わせ場所で彼を待った。
彼がどっちから来るのかわからないので私はあっちへ行ったり、こっちへ来たりしながら待った。すぐに来るってわかっていたけど、落ち着かなかった。
青空を背景にした時計を、もう何度目になるかわからないけれど、眺めたとき。ちらっと視界のはじに見慣れた制服が映った。胸がドキッとするのがわかった。
私はあわてて顔を向ける。
晴樹くんはもう私に気づいていて、速足で私のところにやってきた。
「ごめん、待ったかな」と彼。
「ううん、いま来たところ」
私は答えた。そんな恋人っぽいやり取りができることが、もうたまらなく嬉しかった。
・
私たちは沼津の街をすこし歩いておしゃれなカフェに入った。
私はチョコレートを出すタイミングを、いまかいまかと
でも、晴樹くんと話すのは楽しかった。
彼はラブライブに行くってあらためて話した(チケットを手に入れたってことは前に聞いていた)。
もちろん大勢の前で歌うのは緊張するけれど、自分の特別な人が私たちの――私のライブを見に来てくれるっていうのは、別の意味で緊張した。
だって、ライブっていうのは私にとってやっぱり特別なもので――私のすべてがそこにあらわれているって言っても
この前の定期演奏会のときには、晴樹くんも同じ側にいたから、あまり感じなかったんだと思う。
ファンやお客さんとは違った距離感。
この距離感に慣れるなんてことがあるんだろうか。
彼は楽しみだなって言ってくれた。
ラブライブが楽しみなのか、Aqoursなのか、私のライブなのか、わからなかったけれど、どうしても私には確認できなかった。
晴樹くんがチョコレートが苦手じゃないってわかって、ようやく私は持ってきたものをテーブルの上に出すことに成功した。
手作りのものひとつと、この前、買ったものがふたつ。
晴樹くんが当たり前だけど「?」という顔をしたので、私は説明する。
「えっと、こっちのひとつは、奈良橋くんに。定期演奏会のお礼ってことで」
「へえ。奈良橋のやつ、きっと喜ぶよ」
晴樹くんは嬉しそうに笑った。
「それで、こっちのふたつは、晴樹くんに」
「ありがとう」
彼は嬉しそうというよりも、恥ずかしそうな感じで優しく笑った。その笑顔だけで、私はいままでの苦労が全部飛んでいく気がした。
でも、疑問はまだ解けていないみたいだった。
「ひとつは……前に、買ってあったんだ」
「前に?」
「うん、先週、ね」
「定期演奏会のお礼?」
「ち、違うよ!」
私はちょっと大きな声を出してしまう。
「あ、ごめん。でも、違うってことは、えーと……」
彼はあわててあやまり、さらにその顔がだんだん赤くなるのがわかった。
「わ、私のほうこそ、ごめん」
私はあわてて言う。
「もうひとつ用意したから、渡さなくてもいいかなって、思ったんだけど。だからやっぱり、こっちは定期演奏会のお礼、ってことにしておいて」
「わかった」
晴樹くんはうなずいた。ちらっともうひとつの包みに目をやる。
私は続けた。もうお付き合いしているはずなのに、すごくドキドキする。
「それで、こっちは、えっと……あらためて、よろしくお願いします、のチョコレートって感じかな」
「もしかして、わざわざ……?」
晴樹くんの問いに私は無言でうなずいた。そのまま思わず下を向いてしまう。
しばらくして、ちらっと目を上げると、晴樹くんはさっきよりももっと赤くなって、コーヒーを飲んでいた。
「千歌ちゃん」
彼の声に私は顔を上げる。
「お返し、なにか欲しいものある? 手作りは難しいと思うけど」
「えっと、そうだな……」
私は一瞬、考える。やっぱりお菓子がいいよね。
「蜜柑とかオレンジ味のものなら、わりとなんでも好きかな」
「そうか、前もそうだったっけ。千歌ちゃんらしいね」
晴樹くんは納得したように微笑んだ。
私、まだ彼のことをなにも知らないんだ、って思う。彼がチョコレートを苦手じゃなくて、本当によかった。
晴樹くんもまだ、私のことを知らない。
でもこれから、すこしずつ知っていけばいいんじゃないかな。
きっと意外なこともあるはずで――私はそれが楽しみだった。
お店を出ると二月らしい寒さが私たちを出迎えた。
沼津駅は南北の移動がたいへんだよね、なんてことを話しながら歩く。
会話が途切れたとき。
私の右手に温かいものが触れて、次の瞬間、そのまま彼の手に包まれていた。
私は思わず晴樹くんを見つめる。彼は目をそらしてしまったけれど、手は離さなくて――私はほんのすこしだけ彼の近くを歩く。
私たちはバスターミナルにつくまでずっと、そのままだった。
冬の寒さも悪くないんじゃないかなって気がした。
ターミナルまではあっという間で、私は名残惜しく思いながら手を放す。
「それじゃ、またね」と彼。
「うん。練習の予定とか、また連絡するから」
「わかった」
この場で予定を決められないのが残念だった。
内浦まで行く最後のバスに乗り、私は最後尾の座席の一番左に座る。
ブザーが鳴り、扉が閉まった。アナウンスとともに走り出すバス。
彼が見えなくなるまで、私はずっと外を眺め続けた。