たったひとつのSunshine Story   作:Kohya S.

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20. 高海さんは素敵な女性ですよ ~ afterstory #2

 バスが見えなくなり、俺はゆっくりと歩き始めた。

 右手には千歌ちゃんの手の温かさがまだ残っていた。

 そして肩には、朝、家を出たときよりもすこし重くなった鞄。

 

 千歌ちゃんからはきっとチョコレートがもらえるだろうと期待していたし、手作りならいいなと思ってはいたが、それがいざ現実になると――どう対応していいかわからなくて、ありがとうと言うのがやっとだった。

 

 三つも包みが出てきたのには驚いたが、聞いてみれば納得で、いかにも千歌ちゃんらしい理由だった。

 俺が告白する前にチョコレートを用意してくれていたのは、とにかく嬉しかったし、ちょっとむきになった千歌ちゃんは可愛かった。

 

 帰宅して開けてみると、千歌ちゃんのチョコレートは、オレンジの皮を甘く煮てチョコレートを掛けたものと、球形の高級そうなチョコの二種類だった。

 あまり菓子には詳しくないが、手間が掛かっていることと、おいしいことは間違いなかった。

 

 お返し、しっかり考えないと、と俺は心に誓った。

 

        ・

 

 翌日、俺は千歌ちゃんから受け取った包みを高校に持って行った。

 昼休み、昨日の意趣(いしゅ)(がえ)しのつもりで奈良橋に差し出す。

 

「一日遅れて、悪かった。これ、受け取ってほしいんだけど」

 

 さすがに奈良橋は驚いたようすを見せた。俺は内心ほくそ笑む。

 

「……お返しには、早いんじゃないですか?」

 

 そう来たか。うまい返しが思いつかなかったので、俺は早々に事実を明かすことにする。

 

「いや、これは奈良橋に、高海さんから。定期演奏会のお礼、だってさ」

「ああ、なるほど。ありがとうございます」

 

 奈良橋は俺から紙袋を受け取り、続ける。

 

「……と伝えてもらえますか?」

 

 眼鏡の奥の目が輝いていた。俺はふうっと息を吐いてから答える。

 

「わかった」

 

 奈良橋が嬉しそうにうなずいた。

 

 奈良橋の妹へのお返しも、きちんと用意しなきゃな。

 

        ・

 

 二月はそのまま過ぎていった。

 

 千歌ちゃんは練習で忙しいらしくて、ときどき沼津で会うくらいだった。会うたびに千歌ちゃんは、あまり会えないことをあやまり、俺はそれに気にしてないとか、仕方ない、と答えた。

 

 正直、もっと会いたいと思う。

 

 告白したとき、彼女も言っていた。だからきっと彼女もそう思っているに違いなかった。

 

 しかし、千歌ちゃんの邪魔をしては悪いだろう。なにしろラブライブが迫っている。彼女を俺のことで(しば)りたくなかった。

 そう考えるとメールはともかく、電話も控え目になりがちだった。

 

 ラブライブは楽しみだったが、早く終わってくれれば、と思うのも否定できなかった。

 

 三月に入ったある日。

 放課後の音楽室で、俺と奈良橋は新入生歓迎の演奏会について打ち合わせた。今回もアニメの主題歌を演奏することになり、俺は編曲を引き受けていた。

 

「それじゃ、そんな感じで進めとく」

 

 話が一段落して、気づけばほかの部員はすでに帰り、奈良橋とふたりだけになっていた。

 

「よろしくお願いします」

 

 奈良橋は頭を下げ、いま思い出したというように続けた。

 

「ああ、ちょうどいいですね、これを」

 

 そういって彼は脇にあった鞄から、A4サイズくらいのラッピングされた箱を取り出した。

 

「高海さんへのお返しです」

「ああ、どうも。準備がいいな。まだ一週間もあるのに」

 

 俺は受け取りながら話す。

 

「西村君がいつ会うのか、わかりませんでしたからね」

「まあ、それもそうか」

 

 次に会うのは――週末は会えないと聞いていた。来週水曜日、ホワイトデーの当日になるかもしれなかった。

 

「ちなみに、オレンジ味のチョコレートです」

「……? どうしてわざわざ、俺に?」

「かぶると悪いかな、と思いまして」

「ああ、それはどうも」

 

 ただ、俺はもう、先週末に千歌ちゃんへのお返しは買ってあった。

 地元の店の菓子と高級ブランドの菓子、どちらにするかで悩んだが、千歌ちゃんが喜びそうな前者にした。それも、地元の蜜柑を使った焼き菓子の詰め合わせだ(奈良橋の妹にも同じもの――ただし数はすくなめで――を買った)。

 まあ結果的に、かぶらなかったのはよかったと思う。

 

「Aqoursのみなさんで食べられるように、数は多めのものにしました」

 

 だから箱が大きいのか。気が利く奴だ。

 

 音楽室の鍵を閉めて、非常灯だけが光る校舎の廊下をふたりで歩く。

 窓からは住宅の明かりが見え、さらにその先の繁華街の光が、冬の空を白く浮き上がらせていた。

 

 千歌ちゃんはあそこにいるんだろうか。今日はもう帰っただろうか。それとも、浦の星で練習しているんだろうか。

 

「高海さんはお元気ですか?」

 

 唐突(とうとつ)に奈良橋が言った。俺は意識を引き戻す。

 

「うん、まあね。ラブライブに向けて、がんばってるらしい」

 

 隠すことでもなかった。

 ただ、俺の言葉に奈良橋は、んっ? という顔をした。

 

「今日も練習ですか」

「たぶんね」

 

 奈良橋は視線を戻した。

 しばらくして奈良橋はつぶやいた。

 

「……西村君、ずいぶん素直になったかと思いましたが、まだまだですね」

 

 どういうことだろう。考えこんだ俺に彼は続けた。

 

「高海さんは素敵な女性ですよ」

 

 それはわかっている。わかっているんだ。

 

 俺はあいまいにうなずくことしかできなかった。

 

        ・

 

 その日の夜、俺はひさしぶりに千歌ちゃんに電話を掛けた。

 千歌ちゃんは元気そうで――なにより嬉しそうで、俺はほっとする。

 

 練習のこと、俺の部活のこと、そのほか他愛もないことを話した。

 

 あっという間に時間が経った。母親から風呂に入れと声がして、かなり遅くなっていることに俺は気づく。

 

「ごめん、千歌ちゃん、遅くまで。明日も練習でしょ」

「うん、でも、大丈夫。もうお風呂、入ったから」

「そうなんだ」

 

 千歌ちゃんのお風呂。一瞬だけ想像して、申し訳なくなって、俺はあわてて続ける。

 

「次はいつ、会えるかな。週末は厳しそうだよね」

「うん、ラブライブ前、最後の週末だから……。あ、でも、来週の水曜日は、練習が早く終わるんだ」

「それじゃ、その日に」

「わかった。また連絡、するね」

 

 千歌ちゃんはそれきり黙ってしまう。

 

 俺はなにか言いたかったが――なにも言えなかった。

 

 好きだ、とか、愛している、とか、月並みなセリフのはずなのに、それを口にするのは、かえって距離を広げそうで――怖かったんだ。

 

「……会うの、楽しみにしてる」

 

 なんとかそれだけ、言えた。

 

「うん! 私も!」

 

 千歌ちゃんの反応をみると、満点の正解というわけではないが、ぎりぎり及第点(きゅうだいてん)、というところ、らしかった。

 

 俺は電話を切った。

 

 お返しは用意した。でもそれ以外に、なにかしてあげたくてたまらなかった。

 

 

 

        §

 

 

 

 チョコを渡すことができて、私はほっと安心して、バスに揺られた。

 右手には晴樹くんの手の感触が残っていた。

 

 ぼんやりと車窓を眺める。

 

 晴樹くん、喜んでくれていたみたいだった。手作りをして本当によかった、と思う。梨子ちゃんと曜ちゃんに、お礼を言わないと。

 

 バスがウインカーを出し、減速した。

 

 バス停に立つ、ふたつの影。

 背の高さが違うので男性と女性みたいだった。バスが近づいて、ふたりがしっかりと手をつないでいるのがわかる。絶対に友達ではない、ふたりの距離。

 私と晴樹くんも、あんな感じに見えるのかな。

 

 次の瞬間、私は気づく。

 街灯の光でもわかる、明るいブラウンの髪。小柄な体。

 

 花丸ちゃんだった。

 

 隣にいるのは彼氏ってことになるのだろう。

 

 見た人の心を温かくするような笑顔で、花丸ちゃんは彼に微笑み、彼も優しそうな表情でうなずいた。

 

 花丸ちゃんはいつもよりずっと大人に見えた。それこそ、私なんかよりもずっと。

 

 バスの扉が開く音がして、私はあわてて、目を閉じて窓に寄りかかる。

 

 花丸ちゃんが私に気づいたかどうかは、わからない。

 私は眠っているふりをし続けた。

 

「……千歌ちゃん、千歌ちゃん」

 

 呼び掛ける声で、私は意識を取り戻した。

 花丸ちゃんが私の斜め前の通路に立ち、私の肩を軽くゆすっていた。

 

「あ、花丸ちゃん」

 

 いつの間にか私は本当に眠っていたらしい。

 彼女はにこっと笑った。

 

「そろそろ内浦(うちうら)ずら」

「ありがとう」

 

 私の言葉に花丸ちゃんはうなずいた。

 

 バスを降りて花丸ちゃんと別れて、家へ向かう。

 

 私と晴樹くん。まわりから見たら、どう見えるんだろう。

 まだ付き合い始めたばかりだから、ぎこちないのは、仕方ないと思うんだけれど――。

 

        ・

 

 二月は結局、晴樹くんとはあまり会えなかった。ラブライブがあるとはいっても、残念だった。

 私があやまると彼は笑って許してくれた。

 

 でも、こんなことで付き合ってるって言えるんだろうか。

 なにより彼との距離が縮まった感じがしないのが不安だった。

 

 三月になって、それでもホワイトデーには、なんとか会えそうだった。

 

 ひさしぶりに電話が来て、彼といろいろな話をして、私はほっとする。

 

 Aqoursのメンバーとはすこし違うけれど、私と重なっている彼。同じところもあれば違うところもある。

 

 やっぱり彼のことが好きだった。この気持ち、伝わっていると思いたかった。

 

 晴樹くんは最後に会いたいと言ってくれて、私の心はぽっと温かくなる。

 

 電話を切ってからも、それはずっと残っていた。

 

        ・

 

 ホワイトデーの日。私たちは前回と同じカフェで待ち合わせた。

 

 私が練習場所を出て急いでカフェに行くと、晴樹くんはもう来ていた。

 私はなんて言おうかすこし悩んで、ひとつ深呼吸をしてから声を掛ける。

 

「晴樹くん」

 

 不安そうだった彼の顔が明るくなるのがわかって、嬉しくなる。

 

「ごめん、待たせちゃったかな?」

 

 わざとらしいかなって思ったけれど、悪くないと思った。彼は微笑み、言った。

 

「いや、いま来たところだよ」

 

 私も笑顔を返した。

 

 私が飲み物を買ってきて、晴樹くんとの近況報告が一段落したとき。

 

 彼は背筋を伸ばすと、さっそくという感じで鞄からふたつの紙袋を取り出した。きっと、早めのほうがいいと思ったんだろう。ふたつ出てきたのは、予想通り。

 

「こっちは奈良橋から。Aqoursの皆さんでどうぞ、だって」

 

 晴樹くんは大きいほうを先に渡してくれた。

 

「ありがとう」

「えっと、それで、これは俺から」

 

 もうひとつ、意外に淡々と彼は紙袋をくれる。

 

「口にあうかどうか、わからないけど。一応、蜜柑味で」

「ありがとう」

 

 私は繰り返した。彼のくれるものならなんだって嬉しかった。それに蜜柑のお菓子ならだいたい好きだから、きっと大丈夫だ。

 

「それと……」

 

 彼は言いよどんで、顔を赤くしながら、鞄からもうひとつの袋を差し出す。

 

「たいしたものじゃないんだけど、オケ、作ったんだ」

「オケ?」

 

 私は首をかしげる。

 

「うん。オーケストラ、の略。『One More Sunshine Story』の」

「あの曲の……」

 

 私の初めてのソロ曲。でも、オーケストラって?

 

「あの曲、生演奏だったよね。だから、千歌ちゃん、困るかなって思って。そりゃ桜内さんなら、なんとかしそうだけど」

 

 晴樹くんはぶっきらぼうに話した。ちょっと懐かしい感じで。

 

「さすがにうちの吹奏楽部だとあれだから、打ち込みで作ったんだ」

 

 すこし考えて意味がわかった。

 

 私の曲の伴奏。ライブとかで歌えるように。わざわざ作ってくれたんだ。

 

「うわ……私……」

 

 漠然(ばくぜん)と、あの曲を歌うことは二度とないんじゃないかなって思ってた。だってあれは、奇跡みたいなものだったから。

 でも、それじゃもったいない。梨子ちゃんにも曜ちゃんにも、晴樹くんにも。

 

「すごく嬉しいよ……!」

 

 私はテーブルの上で彼の手を握る。彼はびっくりした顔をしたけれど、すぐに照れくさそうに笑った。

 

「まあ、喜んでもらえて、俺も……よかった」

「うん!」

 

 私はそのまましばらく、彼の手を握っていた。

 彼の顔を見ているのはとても気持ちがよかった。

 

「えっと……」

 

 彼が言って、私は我に返って手を離す。

 

「ご、ごめん」

「いや、いいけど」

 

 彼は飲み物を一口飲んで続けた。

 

「一応、データも入ってるから、桜内さんに渡してくれるかな」

 

 私はうなずいた。きっと梨子ちゃんも喜ぶだろう。

 

 それから私たちは雑談をして――雑談っていうしかない内容だったけれど、楽しかった――終バスに間に合うように店を出た。

 

 先月よりもずいぶん暖かい夜気につつまれて歩きながら、私たちは話す。

 話題は自然に、週末にせまったラブライブのことになった。

 

「俺のことは忘れて……いや、違うな。気にしないで、全力で行ってきて」

 

 彼は言った。その心遣いが嬉しかった。

 

「うん」

 

 私はうなずく。彼のことを忘れるなんてできないし、したくないけれど、彼を言い訳にして全力を尽くさないなんてことも、したくなかった。

 

「任せておいて」

「奈良橋と一緒に行くから」

「ありがとう」

 

 私たちは自然に――ごく自然に、どちらからともなく、手をつないでいた。

 

 私たちがどう見えるかなんて、気にしなくてもいいんじゃないかなって思った。

 

 

 

        §

 

 

 

 千歌ちゃんは俺がサプライズっぽく用意した「One More Sunshine Story」の伴奏を、気に入ってくれたみたいだった。

 

 ホワイトデーの翌日、昼休み。

 俺は奈良橋に、お返しを渡してきたことを伝えた。

 

「高海さんは元気でしたか?」

 

 この前と同じことを聞く奈良橋。

 

「ああ、元気だった。ラブライブも近いし、張り切ってる」

 

 俺が言うと、奈良橋は笑った。

 

「多少、マシになったみたいですね」

 

 なんのことかわからなかった。俺が首を振ると、奈良橋はもう一度笑って続けた。

 

「ああ、妹もお礼、言ってましたよ。ありがとうと」

 

 奈良橋には昨日、妹へのお返しを渡してあった。俺は肩をすくめる。

 

「おいしかったですよ」

「そりゃどうも」

 

 こいつも食べたのか。

 

「口に出さなければ、伝わらないこともありますからね」

 

 まあ、それはそうだろう。わざわざ言うなんて、奈良橋らしくないが――いや、奈良橋らしいのか?

 とにかく、口に合ったならよかった。

 

「ラブライブ、楽しみですね」と奈良橋。

「ああ」

 

 それは間違いなかった。

 

        ・

 

 ラブライブ、ステージに近い席にいた俺に千歌ちゃんは気づいてくれた。

 Aqoursは控え目に言っても最高だった。

 

 映像では何度も見たけれど、生で見る千歌ちゃんはまぶしかった。白を基調に水色のラインが入った、おとぎ話から抜け出してきたような衣装。

 俺にはもったいなんじゃないかって思う。

 でも、千歌ちゃんは普通の女の子なんだ。それを知っているってことが嬉しかった。

 

 結果は当然のようについてきた。

 

 当日、優勝グループへの取材などで時間が取られて、東京で千歌ちゃんに会うことはできなかった。

 帰りの電車は無理をすれば一緒にできたかもしれない。

 だがAqoursのほかの八人と顔を合わせるのは、彼女たちに悪い気がした。きっと余韻(よいん)にひたりたいんじゃないかと思った。

 

 その日の夜遅く、俺のスマートフォンが着信音を鳴らした。掛けてきてくれるかどうかは五分五分だと思っていたので、嬉しくなる。

 

『あ、晴樹くん?』

「千歌ちゃん。おめでとう」

『うん。ありがとう』

 

 さすがに思うところがあるのか、千歌ちゃんは声を詰まらせた。

 

「とにかくすごかった。お疲れさま」

『ありがとう』

 

 千歌ちゃんは繰り返した。

 嵐のような一日だっただろう。とりあえず今日はゆっくり休んで欲しいと思う。

 

 そう告げようとした俺に千歌ちゃんは話した。

 

『晴樹くん』

「ん、なに?」

『今度の水曜日、ひま?』

 

 水曜日は春分の日で祝日だ。

 

「もちろん」

 

 千歌ちゃんのためならと、心のなかで追加しようとして――なぜか奈良橋の言葉を思い出した。思い切って、俺は言う。

 

「……千歌ちゃんのためなら」

『あっ』

 

 千歌ちゃんが息をのむのがわかった。

 

『……内浦に、遊びに来ない? よかったら水族館でも行こう?』

「うん、ぜひ行きたいな」

『よかった』

 

 千歌ちゃんが笑う。

 

『バスの時間、あとで連絡するから、それに乗ってきてくれる?』

「わかった」

 

 ゆっくり休んでほしいことと、おやすみを言って、電話を切る。

 

 千歌ちゃんからの――俺からだって誘っていないのに――初めてのデートの誘いだった。

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