たったひとつのSunshine Story 作:Kohya S.
バスが見えなくなり、俺はゆっくりと歩き始めた。
右手には千歌ちゃんの手の温かさがまだ残っていた。
そして肩には、朝、家を出たときよりもすこし重くなった鞄。
千歌ちゃんからはきっとチョコレートがもらえるだろうと期待していたし、手作りならいいなと思ってはいたが、それがいざ現実になると――どう対応していいかわからなくて、ありがとうと言うのがやっとだった。
三つも包みが出てきたのには驚いたが、聞いてみれば納得で、いかにも千歌ちゃんらしい理由だった。
俺が告白する前にチョコレートを用意してくれていたのは、とにかく嬉しかったし、ちょっとむきになった千歌ちゃんは可愛かった。
帰宅して開けてみると、千歌ちゃんのチョコレートは、オレンジの皮を甘く煮てチョコレートを掛けたものと、球形の高級そうなチョコの二種類だった。
あまり菓子には詳しくないが、手間が掛かっていることと、おいしいことは間違いなかった。
お返し、しっかり考えないと、と俺は心に誓った。
・
翌日、俺は千歌ちゃんから受け取った包みを高校に持って行った。
昼休み、昨日の
「一日遅れて、悪かった。これ、受け取ってほしいんだけど」
さすがに奈良橋は驚いたようすを見せた。俺は内心ほくそ笑む。
「……お返しには、早いんじゃないですか?」
そう来たか。うまい返しが思いつかなかったので、俺は早々に事実を明かすことにする。
「いや、これは奈良橋に、高海さんから。定期演奏会のお礼、だってさ」
「ああ、なるほど。ありがとうございます」
奈良橋は俺から紙袋を受け取り、続ける。
「……と伝えてもらえますか?」
眼鏡の奥の目が輝いていた。俺はふうっと息を吐いてから答える。
「わかった」
奈良橋が嬉しそうにうなずいた。
奈良橋の妹へのお返しも、きちんと用意しなきゃな。
・
二月はそのまま過ぎていった。
千歌ちゃんは練習で忙しいらしくて、ときどき沼津で会うくらいだった。会うたびに千歌ちゃんは、あまり会えないことをあやまり、俺はそれに気にしてないとか、仕方ない、と答えた。
正直、もっと会いたいと思う。
告白したとき、彼女も言っていた。だからきっと彼女もそう思っているに違いなかった。
しかし、千歌ちゃんの邪魔をしては悪いだろう。なにしろラブライブが迫っている。彼女を俺のことで
そう考えるとメールはともかく、電話も控え目になりがちだった。
ラブライブは楽しみだったが、早く終わってくれれば、と思うのも否定できなかった。
三月に入ったある日。
放課後の音楽室で、俺と奈良橋は新入生歓迎の演奏会について打ち合わせた。今回もアニメの主題歌を演奏することになり、俺は編曲を引き受けていた。
「それじゃ、そんな感じで進めとく」
話が一段落して、気づけばほかの部員はすでに帰り、奈良橋とふたりだけになっていた。
「よろしくお願いします」
奈良橋は頭を下げ、いま思い出したというように続けた。
「ああ、ちょうどいいですね、これを」
そういって彼は脇にあった鞄から、A4サイズくらいのラッピングされた箱を取り出した。
「高海さんへのお返しです」
「ああ、どうも。準備がいいな。まだ一週間もあるのに」
俺は受け取りながら話す。
「西村君がいつ会うのか、わかりませんでしたからね」
「まあ、それもそうか」
次に会うのは――週末は会えないと聞いていた。来週水曜日、ホワイトデーの当日になるかもしれなかった。
「ちなみに、オレンジ味のチョコレートです」
「……? どうしてわざわざ、俺に?」
「かぶると悪いかな、と思いまして」
「ああ、それはどうも」
ただ、俺はもう、先週末に千歌ちゃんへのお返しは買ってあった。
地元の店の菓子と高級ブランドの菓子、どちらにするかで悩んだが、千歌ちゃんが喜びそうな前者にした。それも、地元の蜜柑を使った焼き菓子の詰め合わせだ(奈良橋の妹にも同じもの――ただし数はすくなめで――を買った)。
まあ結果的に、かぶらなかったのはよかったと思う。
「Aqoursのみなさんで食べられるように、数は多めのものにしました」
だから箱が大きいのか。気が利く奴だ。
音楽室の鍵を閉めて、非常灯だけが光る校舎の廊下をふたりで歩く。
窓からは住宅の明かりが見え、さらにその先の繁華街の光が、冬の空を白く浮き上がらせていた。
千歌ちゃんはあそこにいるんだろうか。今日はもう帰っただろうか。それとも、浦の星で練習しているんだろうか。
「高海さんはお元気ですか?」
「うん、まあね。ラブライブに向けて、がんばってるらしい」
隠すことでもなかった。
ただ、俺の言葉に奈良橋は、んっ? という顔をした。
「今日も練習ですか」
「たぶんね」
奈良橋は視線を戻した。
しばらくして奈良橋はつぶやいた。
「……西村君、ずいぶん素直になったかと思いましたが、まだまだですね」
どういうことだろう。考えこんだ俺に彼は続けた。
「高海さんは素敵な女性ですよ」
それはわかっている。わかっているんだ。
俺はあいまいにうなずくことしかできなかった。
・
その日の夜、俺はひさしぶりに千歌ちゃんに電話を掛けた。
千歌ちゃんは元気そうで――なにより嬉しそうで、俺はほっとする。
練習のこと、俺の部活のこと、そのほか他愛もないことを話した。
あっという間に時間が経った。母親から風呂に入れと声がして、かなり遅くなっていることに俺は気づく。
「ごめん、千歌ちゃん、遅くまで。明日も練習でしょ」
「うん、でも、大丈夫。もうお風呂、入ったから」
「そうなんだ」
千歌ちゃんのお風呂。一瞬だけ想像して、申し訳なくなって、俺はあわてて続ける。
「次はいつ、会えるかな。週末は厳しそうだよね」
「うん、ラブライブ前、最後の週末だから……。あ、でも、来週の水曜日は、練習が早く終わるんだ」
「それじゃ、その日に」
「わかった。また連絡、するね」
千歌ちゃんはそれきり黙ってしまう。
俺はなにか言いたかったが――なにも言えなかった。
好きだ、とか、愛している、とか、月並みなセリフのはずなのに、それを口にするのは、かえって距離を広げそうで――怖かったんだ。
「……会うの、楽しみにしてる」
なんとかそれだけ、言えた。
「うん! 私も!」
千歌ちゃんの反応をみると、満点の正解というわけではないが、ぎりぎり
俺は電話を切った。
お返しは用意した。でもそれ以外に、なにかしてあげたくてたまらなかった。
§
チョコを渡すことができて、私はほっと安心して、バスに揺られた。
右手には晴樹くんの手の感触が残っていた。
ぼんやりと車窓を眺める。
晴樹くん、喜んでくれていたみたいだった。手作りをして本当によかった、と思う。梨子ちゃんと曜ちゃんに、お礼を言わないと。
バスがウインカーを出し、減速した。
バス停に立つ、ふたつの影。
背の高さが違うので男性と女性みたいだった。バスが近づいて、ふたりがしっかりと手をつないでいるのがわかる。絶対に友達ではない、ふたりの距離。
私と晴樹くんも、あんな感じに見えるのかな。
次の瞬間、私は気づく。
街灯の光でもわかる、明るいブラウンの髪。小柄な体。
花丸ちゃんだった。
隣にいるのは彼氏ってことになるのだろう。
見た人の心を温かくするような笑顔で、花丸ちゃんは彼に微笑み、彼も優しそうな表情でうなずいた。
花丸ちゃんはいつもよりずっと大人に見えた。それこそ、私なんかよりもずっと。
バスの扉が開く音がして、私はあわてて、目を閉じて窓に寄りかかる。
花丸ちゃんが私に気づいたかどうかは、わからない。
私は眠っているふりをし続けた。
「……千歌ちゃん、千歌ちゃん」
呼び掛ける声で、私は意識を取り戻した。
花丸ちゃんが私の斜め前の通路に立ち、私の肩を軽くゆすっていた。
「あ、花丸ちゃん」
いつの間にか私は本当に眠っていたらしい。
彼女はにこっと笑った。
「そろそろ
「ありがとう」
私の言葉に花丸ちゃんはうなずいた。
バスを降りて花丸ちゃんと別れて、家へ向かう。
私と晴樹くん。まわりから見たら、どう見えるんだろう。
まだ付き合い始めたばかりだから、ぎこちないのは、仕方ないと思うんだけれど――。
・
二月は結局、晴樹くんとはあまり会えなかった。ラブライブがあるとはいっても、残念だった。
私があやまると彼は笑って許してくれた。
でも、こんなことで付き合ってるって言えるんだろうか。
なにより彼との距離が縮まった感じがしないのが不安だった。
三月になって、それでもホワイトデーには、なんとか会えそうだった。
ひさしぶりに電話が来て、彼といろいろな話をして、私はほっとする。
Aqoursのメンバーとはすこし違うけれど、私と重なっている彼。同じところもあれば違うところもある。
やっぱり彼のことが好きだった。この気持ち、伝わっていると思いたかった。
晴樹くんは最後に会いたいと言ってくれて、私の心はぽっと温かくなる。
電話を切ってからも、それはずっと残っていた。
・
ホワイトデーの日。私たちは前回と同じカフェで待ち合わせた。
私が練習場所を出て急いでカフェに行くと、晴樹くんはもう来ていた。
私はなんて言おうかすこし悩んで、ひとつ深呼吸をしてから声を掛ける。
「晴樹くん」
不安そうだった彼の顔が明るくなるのがわかって、嬉しくなる。
「ごめん、待たせちゃったかな?」
わざとらしいかなって思ったけれど、悪くないと思った。彼は微笑み、言った。
「いや、いま来たところだよ」
私も笑顔を返した。
私が飲み物を買ってきて、晴樹くんとの近況報告が一段落したとき。
彼は背筋を伸ばすと、さっそくという感じで鞄からふたつの紙袋を取り出した。きっと、早めのほうがいいと思ったんだろう。ふたつ出てきたのは、予想通り。
「こっちは奈良橋から。Aqoursの皆さんでどうぞ、だって」
晴樹くんは大きいほうを先に渡してくれた。
「ありがとう」
「えっと、それで、これは俺から」
もうひとつ、意外に淡々と彼は紙袋をくれる。
「口にあうかどうか、わからないけど。一応、蜜柑味で」
「ありがとう」
私は繰り返した。彼のくれるものならなんだって嬉しかった。それに蜜柑のお菓子ならだいたい好きだから、きっと大丈夫だ。
「それと……」
彼は言いよどんで、顔を赤くしながら、鞄からもうひとつの袋を差し出す。
「たいしたものじゃないんだけど、オケ、作ったんだ」
「オケ?」
私は首をかしげる。
「うん。オーケストラ、の略。『One More Sunshine Story』の」
「あの曲の……」
私の初めてのソロ曲。でも、オーケストラって?
「あの曲、生演奏だったよね。だから、千歌ちゃん、困るかなって思って。そりゃ桜内さんなら、なんとかしそうだけど」
晴樹くんはぶっきらぼうに話した。ちょっと懐かしい感じで。
「さすがにうちの吹奏楽部だとあれだから、打ち込みで作ったんだ」
すこし考えて意味がわかった。
私の曲の伴奏。ライブとかで歌えるように。わざわざ作ってくれたんだ。
「うわ……私……」
でも、それじゃもったいない。梨子ちゃんにも曜ちゃんにも、晴樹くんにも。
「すごく嬉しいよ……!」
私はテーブルの上で彼の手を握る。彼はびっくりした顔をしたけれど、すぐに照れくさそうに笑った。
「まあ、喜んでもらえて、俺も……よかった」
「うん!」
私はそのまましばらく、彼の手を握っていた。
彼の顔を見ているのはとても気持ちがよかった。
「えっと……」
彼が言って、私は我に返って手を離す。
「ご、ごめん」
「いや、いいけど」
彼は飲み物を一口飲んで続けた。
「一応、データも入ってるから、桜内さんに渡してくれるかな」
私はうなずいた。きっと梨子ちゃんも喜ぶだろう。
それから私たちは雑談をして――雑談っていうしかない内容だったけれど、楽しかった――終バスに間に合うように店を出た。
先月よりもずいぶん暖かい夜気につつまれて歩きながら、私たちは話す。
話題は自然に、週末にせまったラブライブのことになった。
「俺のことは忘れて……いや、違うな。気にしないで、全力で行ってきて」
彼は言った。その心遣いが嬉しかった。
「うん」
私はうなずく。彼のことを忘れるなんてできないし、したくないけれど、彼を言い訳にして全力を尽くさないなんてことも、したくなかった。
「任せておいて」
「奈良橋と一緒に行くから」
「ありがとう」
私たちは自然に――ごく自然に、どちらからともなく、手をつないでいた。
私たちがどう見えるかなんて、気にしなくてもいいんじゃないかなって思った。
§
千歌ちゃんは俺がサプライズっぽく用意した「One More Sunshine Story」の伴奏を、気に入ってくれたみたいだった。
ホワイトデーの翌日、昼休み。
俺は奈良橋に、お返しを渡してきたことを伝えた。
「高海さんは元気でしたか?」
この前と同じことを聞く奈良橋。
「ああ、元気だった。ラブライブも近いし、張り切ってる」
俺が言うと、奈良橋は笑った。
「多少、マシになったみたいですね」
なんのことかわからなかった。俺が首を振ると、奈良橋はもう一度笑って続けた。
「ああ、妹もお礼、言ってましたよ。ありがとうと」
奈良橋には昨日、妹へのお返しを渡してあった。俺は肩をすくめる。
「おいしかったですよ」
「そりゃどうも」
こいつも食べたのか。
「口に出さなければ、伝わらないこともありますからね」
まあ、それはそうだろう。わざわざ言うなんて、奈良橋らしくないが――いや、奈良橋らしいのか?
とにかく、口に合ったならよかった。
「ラブライブ、楽しみですね」と奈良橋。
「ああ」
それは間違いなかった。
・
ラブライブ、ステージに近い席にいた俺に千歌ちゃんは気づいてくれた。
Aqoursは控え目に言っても最高だった。
映像では何度も見たけれど、生で見る千歌ちゃんはまぶしかった。白を基調に水色のラインが入った、おとぎ話から抜け出してきたような衣装。
俺にはもったいなんじゃないかって思う。
でも、千歌ちゃんは普通の女の子なんだ。それを知っているってことが嬉しかった。
結果は当然のようについてきた。
当日、優勝グループへの取材などで時間が取られて、東京で千歌ちゃんに会うことはできなかった。
帰りの電車は無理をすれば一緒にできたかもしれない。
だがAqoursのほかの八人と顔を合わせるのは、彼女たちに悪い気がした。きっと
その日の夜遅く、俺のスマートフォンが着信音を鳴らした。掛けてきてくれるかどうかは五分五分だと思っていたので、嬉しくなる。
『あ、晴樹くん?』
「千歌ちゃん。おめでとう」
『うん。ありがとう』
さすがに思うところがあるのか、千歌ちゃんは声を詰まらせた。
「とにかくすごかった。お疲れさま」
『ありがとう』
千歌ちゃんは繰り返した。
嵐のような一日だっただろう。とりあえず今日はゆっくり休んで欲しいと思う。
そう告げようとした俺に千歌ちゃんは話した。
『晴樹くん』
「ん、なに?」
『今度の水曜日、ひま?』
水曜日は春分の日で祝日だ。
「もちろん」
千歌ちゃんのためならと、心のなかで追加しようとして――なぜか奈良橋の言葉を思い出した。思い切って、俺は言う。
「……千歌ちゃんのためなら」
『あっ』
千歌ちゃんが息をのむのがわかった。
『……内浦に、遊びに来ない? よかったら水族館でも行こう?』
「うん、ぜひ行きたいな」
『よかった』
千歌ちゃんが笑う。
『バスの時間、あとで連絡するから、それに乗ってきてくれる?』
「わかった」
ゆっくり休んでほしいことと、おやすみを言って、電話を切る。
千歌ちゃんからの――俺からだって誘っていないのに――初めてのデートの誘いだった。