たったひとつのSunshine Story 作:Kohya S.
桜内さんと高海さんが沼津南に来た前の週。
ゲストボーカルとして浦の星女学院のAqoursを呼ぶ話が決まり、奈良橋から部員に話すことになった。
昼休みに放送まで入れて集めた部員たちは、いつもはやらない開始前のミーティングをやると聞いて
なかにはいかにもつまらなそうで、部活に来たことを後悔しているような部員も見えた。
俺は、話を聞いたらどんな顔をするやら、と楽しみになる。
ときどきしか出てこない顧問の三田先生――音楽教諭の初老の男性――も顔を見せていた。Aqoursを呼ぶ企画の件は、すでに奈良橋が三田先生の了解を得ていた。
部員が七割ほど集まったところで、もうこれ以上は増えないと考えたのだろう、奈良橋がピアノの横に立った。
「えー、みなさん、こんにちは。おひさしぶりの方もいますね」
苦笑が漏れる。
部員たちは椅子に座ったり、机に寄りかかったりとゆるい空気だ。俺は奈良橋に言われて一番前の席に座っていた。
「今日は定期演奏会について重大発表があります」
まったく、もったいつけるな。奈良橋のやつ。
「もしかして、とうとう中止か?」
誰かがそう言って、みんなから笑い声が上がった。たしかに部員はすくないし、そういう話が出ても仕方ないくらいの状況なのだ。
「いえ、幸いそれはありません」首を振る奈良橋。「一年生のかたは知らないかもしれませんが、定期演奏会で他校が変わったプログラムをすることがありますね」
「寸劇とかか?」「女装とかもあるよな」「俺たちはいやだぜ、そんなの」
二年生の部員から不満の声が出る。俺もそれは同感だ。
「いえいえ、違います」
奈良橋は右手を上げて制した。
「実は、我々で極秘のプロジェクトを進めてきたのですが、それがついに発表できる段階になりました」
なにか雰囲気が違うとわかったのか部員たちが静かになった。
奈良橋は右手でメガネを上げてから続けた。
「我々は今年、プログラムのひとつとして、ゲストボーカルを呼ぶことになりました。我々の演奏にあわせて歌ってもらいます」
「……それって、秘密にするほどのことか?」
しばらく間をあけてから、木管のパートリーダーが苦笑するように言った。
奈良橋はにやりと笑った。
「スクールアイドルグループ、Aqoursにお願いしました」
がたっと音を立てて数人が反応した。
「うおっ、マジかよ」「すげえ」
ただ大多数はことの大きさがわかっていないようだった。俺も先月までなら、その一人だったに違いない。
奈良橋は笑みを濃くした。
「えー、浦の星女学院。つまり女子高にお願いしました」
「女子高」。その言葉が部員たちに染みわたっていく。
うおおっ、と防音の音楽室から校舎中に響くに違いないどよめきが上がった。
「女子高かよ」「夢か、これは夢か」「神様、仏様、部長様!」「吹奏楽やっててよかった」「ちょっといまから練習してくる」
部員たちは興奮してしゃべりあう。なかには腕に顔をうずめて泣き出したり、隣同士でハイタッチしたりしている部員までいた。
奈良橋が俺のほうを見て、俺は彼に肩をすくめてみせた。部員たちの反応は
奈良橋はピアノに近づくと、バーンと不協和音を鳴らした。
「静粛に願います!」
部員たちはぴたっと静かになる。
「グループとは言いましたが、Aqoursのみなさんは残念ですがたいへん忙しく、来ていただけるのは一名だけです」
微妙にテンションが下がる音楽室。それでも部員たちはひそひそ声を再開した。
「ひとりでも来ないよりマシか」
「だよな」
「女の子、紹介してもらおうぜ」
「打ち上げにはみんな来てくれるんじゃね?」
気が早すぎるやつもいたものだ。
「曲は、ここにいる西村
視線が集まって俺は仕方なく立ち上がり頭を下げた。
部活での俺の立ち位置は、演奏のうまい下手はともかく、編曲ができるということで
「三田先生、なにかありますか?」
奈良橋が振ると、壁際にいた先生は彼の隣まで出て話した。
「奈良橋君が話した通りです。みなさんには恥ずかしくない演奏をしてもらいたい、それだけです」
そう言って部員を見渡した。三田先生はいつもは放任だが締めるときは締める、そんな感じの先生だ。
「定演の曲は基本的に私が振りますが、この曲についてはみなさんの企画ですから、誰か、しっかり振ってくださいね」
三田先生が企画を了承するときの条件が、生徒が指揮をすること、だった。
指揮は意外に大変な作業だ。指揮者として前に立つと演奏の音がよく聞こえる。当然、あらも目立つ。指揮者としてはいい演奏を目指して部員に指示を出すわけだが、普通の生徒が急に「指揮者でござい」と言ってみたって、すぐれた指導ができるわけもない。
部員の側としても、先生から言われるのと、同じ部員から言われるのとでは受け取りかたが違った。
だから、なんとなく俺は奈良橋が振るのだと俺は思っていた。部員たちもそうだろう。
三田先生はひとつうなずくとまた教室の
「ありがとうございました」奈良橋は続ける。「来月には曲が決まる予定です。ですからみなさんにおかれましては、恥ずかしい演奏にならないよう、いつも以上に基礎練習、がんばってください」
おうっ、と部員たちは答えた。みんな目が輝いていた。たぶん、俺が部活に入ってから一番、部員全員が前向きになっていたと思う。
部員たちが興奮したようすでそれぞれの練習場所に散っていくなか、奈良橋が俺を呼びとめた。
「西村君。次の予定が決まりましたよ」
「次って、浦の星と会うやつか?」
「はい。来週の木曜日です。よろしくお願いしますね」
彼女たちに会えると知って、俺は嬉しくないといったら嘘になる。しかし内心を押し殺して俺はなるべく平静に答えた。
「わかった。その日は来るようにする」
奈良橋はにこりと笑ってから去っていった。先刻、お見通しなのかもしれなかった。
・
予定の日、今回は渡辺さんは参加せず、桜内さんと高海さんが来るはずだった。
部員たちには部室から出ないように言って、奈良橋と俺が会うことになった。これには部員たちから不満が出たが、全員で会ったら怖がられると部長が言うと、誰も反論できなかった。たしかに役得に違いない。
俺は奈良橋に言って玄関で待つことにした。
校内放送で呼んでもらうのも気が引けるし(というか放送内容によっては校内が大変なことになる)、きっとあの二人なら予定通りの時間に来てくれるだろう。
俺はスマートフォンを取り出して暇つぶしに眺めはじめた。
「あ、西村くん」
俺はびっくりして顔を上げた。いつの間にか高海さんがいた。きっと俺は変な顔をしていたんじゃないかと思う。
予想は当たっていて、ほとんど待たなかったのに、油断したのが失敗だった。
うしろには桜内さんもいた。俺はどきまぎしながら挨拶する。
「わざわざ待っててくれたんだ、ありがとう」
高海さんはそういって微笑んだ。その笑顔はすごくまぶしくて、俺の心臓はドキリと鳴った。そう、桜内さんだけじゃなくて高海さんも、とても可愛いんだ。
「時間はわかってたし、どうせ暇ですから」
俺は目をあわせていられなくて、ついあさってのほうを向いてしまう。
いや待て、これじゃ俺は変なやつだ。それに、自意識過剰かもしれないが、高海さんに「俺が彼女を嫌っている」とか誤解されたら目も当てられない。
俺はなんとか気力をふるい立たせて、ふたりを部室として使っている音楽準備室まで案内した。
とはいえ、それがなかなか厄介だった。沼津南の生徒に会ったら、騒ぎになることは間違いない。部室がすこし離れた西棟――音楽室と化学室が入っている――にあるのは、ありがたかった。
俺はルートを計算しながら、ほかの生徒がいそうなときには引き返したりして、なんとか無事に部室にたどり着いた。
ここからは奈良橋が主導してくれるはずで、俺はようやくすこし気が楽になった。
部室の扉を開けて、二人が俺の近くを通るとき、ふわっと柑橘系のいい香りがした。
買っておいたペットボトルのお茶を出すと、二人は礼を言った。困ったことに、桜内さんと高海さんの笑顔に俺はまたドキリとして、なにも答えられなかった。失礼なやつだと思われたらどうしよう、と不安になる。
俺が椅子に座ると、向かいの彼女たちはきちんと足をそろえて座っていた。思わず俺も座りなおす。
そういえばさっきのお礼も丁寧だった。女子高生といったらいろいろなうわさを聞くが、二人とも育ちがいいのだろう。
話題は曲のことになる。
驚いたことに桜内さんはもう作曲をかなり進めていた。部室の安っぽいCDプレイヤーから流れたメロディは――とにかく素敵だった。
俺たちがそれぞれ感想を話すと、桜内さんは喜んでいるようだった。
で、問題はそこで起きた。
扉の外で聞き耳を立てていた部員たちが、ただでさえ立てつけの悪い扉に体重をかけたのだろう。扉が内側に倒れてきたのだ。俺が支えるのが間にあったからいいが、もしガラスでも割れていたら、大変なことになったに違いない。ふたりだって、怒って帰ってしまったかも。
二人が来ると決まったとき、みなに聞かれるままに、彼女たちについて話してしまったのは失敗だった。すこしでも練習に身が入ればと思ったのだが。
幸い、ふたりは内心はどうあれ、スルーしてくれた。
歌詞は高海さんが担当していたが、まだできていなかった。
作詞と作曲は、通常、曲から先におこなうことが多い。だから無理もないのだが、高海さんはしきりにすまなそうにしていた。
俺はなんとか高海さんにそう伝えようとした。ただ、そのまま言っても上から目線に思われそうで、なかなかいい言葉が出てこなかった。
仕方なく俺は、期待していることだけを伝えた。
二人を見送って、俺は盛大にため息をついた。
桜内さんとは曲が共通の話題になって、自然に話せたと思う。でも高海さんとは――前回はそうでもなかったのに、不思議だった。
とにかく次は、変に意識しないようにしよう。そう俺は心に決めた。
音楽室に戻ると、部員は誰ひとりとして帰っていなかった。
「子供じゃないんですから、いい加減にしましょうね」
奈良橋は開口一番、そう言った。さすがに部員たちも反論はしなかった。
奈良橋は続けて桜内さんの曲を再生した。ほうっというような空気が音楽室に流れる。
曲が終わると奈良橋は微笑んだ。
「素晴らしいですね。曲ができれば一緒に練習するはずですから、そのときには全員で会いましょう」
おおっ、とどよめきが上がった。現金なものだ。
「では、今日は終わりにします。お疲れさまでした」
楽器を片づけたり、用意がいいのかさっさと帰ったりする部員たち。それでもどの顔もいつもよりも輝いているように見えた。
・
翌日の昼休み。購買で買ったパンという昼食を食べ終えて、俺は同じく食事を終えた奈良橋に話しかけた。ちなみに彼は弁当派らしい。
「なあ、ちょっと聞きたいんだけど」
「なんでしょう」
「Aqoursを呼ぶ話……もしかして、部員たちのモチベーションのためにやったのか?」
奈良橋はめずらしく黙り込んだ。やがてゆっくり口を開く。
「……西村君は、どう思いますか?」
今度は俺が黙る番だった。俺は考えながら話す。
「正直、奈良橋がどういう
「それは事実ですね」
「だから、まあ、悪くないんじゃないかな」
「西村君がそう思っているなら、安心しました」
奈良橋はにこりと笑った。下心などなにもない、というように。
「ちなみに西村君は、桜内さんと高海さん、渡辺さん、誰が一番、好みですか?」
直球の質問に俺は息が詰まる。それと同時に奈良橋が話をそらそうとしていることにも気づいた。ただこれ以上聞いても、奈良橋はなにも言わない気がした。
俺が答えないでいると奈良橋は続けた。
「桜内さんですか?」
悔しいことに俺はぴくりと反応してしまう。そう、たしかに桜内さんの第一印象は強烈だった。こんな可愛い子が現実にいるのか、と思ってしまったほどだ。
でも、昨日の高海さんも可愛かった。特に、彼女の純粋な笑顔。
考えていたら、ひょっとしたら俺は女の子なら誰でもいいんじゃないか、と思えてきた。自分が情けなくなる。
俺はふうっと息をはいてから聞き返す。
「そういう奈良橋は、どうなんだよ?」
「私ですか。私は……みんな可愛いと思いますね」
「自分から聞いておいて、そんなのありかよ」
「みんな、いい子じゃないですか」
奈良橋は悪びれもせずに言った。
たしかにそれは間違いない。にこりと笑う奈良橋に俺はもう反論できなかった。
・
それから一週間ほど、浦の星からはなんの連絡もなかった。きっと作詞を進めているのだろう。
ある日の放課後、俺はいつものように音楽室へ向かった。
奈良橋はまだ来ておらず、何人かの部員がまったりと会話している。
桜内さんと高海さんが来て、いったん盛り上がった部員たちのテンションは、ふたたび急降下していた。
先日、奈良橋とあんな話をしたあとなので、俺も会話にくわわった。
「だれてるな、お前ら。定演も近いっていうのに」
「そうはいってもなあ」
「よく考えたら、定期演奏会、来年だぜ」
俺の言葉はまったく響かなかったようだ。
来年といっても三か月もないんだけどな。まあ、いままでの俺たちなら、練習に多少なりとも身を入れるのは、せいぜい一か月前からだ。
「高海さんが来てくれるっていうのに」
俺はそう言ってみる。
「それは楽しみだけどさ」
「浦女の子、あれから一度も来てないです」これは後輩。
「ほんとに実現するのかよ?」
モチベーションを維持するっていうのは、なかなか難しいらしい。俺は彼女たちと直接話していたから、そんな心配はなかったが。
「そうだ、西村」ひとりが聞いた。「お前、編曲、まだできないのかよ」
「それは……」
高海さんの作詞ができていないから、というのは話したくなかった。
「けっこう大変なんだよ」と答える。
「あ、曲ができたら一緒に練習する、っていってたな」
「そういやそうだ」
部員たちの目が俺に集中した。
「晴樹、早く編曲しろよ」
「ただでさえお前たちしか、話してないんだからさ。ずるいぜ」
「先輩、よろしく!」
とんでもないことになった。俺は逃げるように楽器を取りにいった。
奈良橋とは違って、俺には部員を鼓舞するようなことはあまり向いていないらしい。
ただ、理由は異なっても、早く編曲したいという思いは俺も同じだった。
俺の理由は、桜内さんと高海さんの曲に真剣に取り組みたい、ということと、彼女たちに会いたいということの両方で、どちらかというと後者のほうが大きくて――結局、部員たちと大差ないのかもしれなかった。