たったひとつのSunshine Story 作:Kohya S.
「いらっしゃいませ!」
店員の声がするたびに俺は店の入り口を確認した。
浦の星の彼女たちが来る予定の日。
奈良橋にだけは昨日、浦の星から来ることを伝えた。俺がなかば予想した通り、奈良橋は「今日は合奏があるので、西村君にお願いします」と言って部活に残った。
俺はひとりだけでドキドキしながら待つはめになった。
それは不安よりも期待のほうが大きかった。
入り口が開くのは何度目だろうか。とうとう見覚えのあるオレンジ色の髪の毛が見えた。俺はさっと手を上げて彼女の注意を引いた。
高海さんは俺に気づくと顔をほころばせた。俺のいる席まで来てぺこりと頭を下げる。
「こんにちは。待ちましたか?」
「いや、いま来たところ」
俺はそう言ってから、恐ろしくデートっぽいやり取りだと気づいた。赤面しそうになりわざとらしく外を見るふりをする。
「外、寒かったでしょう」
気のせいか高海さんの顔も赤い気がしたけれど――きっとこの気温のせいだろう。
「うん、寒かった! もう、バスからここに来るまでのあいだで、こごえちゃったよ」
高海さんは両手で体を抱えて震えてみせた。
「じゃ、何か温かいものでも頼んでくるよ。なにがいい?」
「あっ、いいのかな?」
「部費、奈良橋からあずかってるから」
「えっと、それじゃ。温かい紅茶を。あったらレモンティーで」
俺は高海さんを向かいに座らせてカウンターに注文に行った。
俺がカップの乗ったトレイを手に戻ると、高海さんは背筋を伸ばして椅子に座っていた。テーブルには、ふせられた紙が一枚。
俺はトレイを横に置いた。
「今日は奈良橋くんは?」と高海さんが聞く。
「奈良橋は部活があるから、残ってる。今回も部員には言ってないから」
俺が言葉を切ると、彼女は俺の聞きたいことを察したようだ。
「あの、梨子ちゃんは今日は来なくて……」そこで目をそらして続ける。「今回は、私、先に西村くんに見せようと思って、ひとりで来たんだ」
今度こそ彼女は顔を赤らめていた。
たぶんひとりで来たことには大きな意味はなくて――俺がこの前、話したことを確認したいだけなのだろう。ひょっとしたら先に桜内さんに見せるのが、恥ずかしいのかもしれない。
俺だって、曲ができたら奈良橋より先に高海さんや桜内さんに聴かせたくなるだろう。
また顔が赤いのだって、単に歌詞がどう評価されるか心配なだけだと思う。
そうわかってはいたが、それでも俺はとても嬉しかった。
俺が嬉しい理由は――高海さんが先に見せてくれたこと。高海さんに会えたこと。高海さんが一人だったこと。どれなのかはわからなかった。
高海さんは両手で紙コップを口に運んだ。俺はそれをずっと見ていたかったけれど、歌詞が気になるのも事実だった。
「……見せてもらっていいかな?」
俺が言うと、彼女は紙コップの向こうで、こくりと頭を下げた。
歌詞を読みながら、俺は自然に顔がほころぶのがわかった。まだ見ぬなにかに向けて走っていきたい。輝きがそこにあるはずだから――。実に高海さんらしい歌詞だった。
やっぱりただの女の子なんかじゃない。
ついでに、俺の言ったこともしっかりと折り込まれていた。
顔を上げると、意外なほど近くに高海さんの顔があった。期待と不安が映る瞳に俺は大きくうなずく。
「うん、高海さんらしい、いい歌詞だと思う」
彼女はにこっと微笑んだ。
「よかった。私、すごくドキドキしちゃったよ」
さっきまでの緊張がとけているのがわかる。可愛らしい笑顔だった。
彼女はその笑顔のまま話す。
「あの、西村くん」
「ん?」
「えっと、この前はいろいろ、話してくれてありがとう。……私、ちょっとわからなくなってたから」
彼女のような人でもそんなことがあるんた、と思う。でも、普通の人なら迷うことがあるのは当たり前だ。
彼女は続けた。
「西村くんがいなかったら、私、途中で諦めていたかも。本当にありがとう」
面と向かってお礼を言われるのは、なんだか恥ずかしかった。でも、
「どういたしまして。俺も、いい曲にしたいって思ったから」
俺が言うと彼女は嬉しそうにうなずいた。
俺はもう一度、歌詞に目を落とす。本当によくなったと思う。でも、肝心のあれが書いていない。
「それで、なんていう題名にしたの?」
高海さんはあっという顔をした。面と向かって言うのが恥ずかしいのか、くるっと紙の向きを変える。
鞄からシャーペンを取り出すと、一番上に書いた。
One More Sunshine Story。
もう一度、くるっと紙の向きを変える高海さん。頬を染め上目
「うん、いいね」
俺はなんとかそれだけ言った。彼女はにこりと微笑んだ。
まさに、ぴったりの題名だった。
・
二番ではAメロを半分にしたい、と彼女は話した。たしかにそのほうがスピード感が出るだろう。悪くない提案だと俺は思った。
俺は歌詞の意図――どういう思いを込めたのか――を高海さんに確認した。ほんのちょっとした言葉遣いにもこだわりがあって、俺はあらためて彼女のことを見直した。
「それじゃ、これで編曲してみるよ」
「はい、よろしくお願いします!」
彼女は大げさに両手をテーブルの上について礼をした。
「終わったら、今度は俺たちが持って行くから」
「えっ、私、こっちまで来ても、ぜんぜんいいけど」
「いや、そもそも本当は俺たちが行かなきゃだったんだ。それに実際に練習が始まったら、何度か来てもらうことになると思うし」
「そっか。うん、わかった。よろしくね、西村くん!」
歌詞の紙を彼女の了解を得て、もらう。
「高海さん、すごく字がきれいだよね」
そう、さっき題名を書いたときに気づいたけれど整っていて読みやすい。
「実は書道、わりと得意なんだよね」
「へえ、すごいね」
「えへへ、照れるなあ」
彼女は、はにかみながら頭をかいた。とても可愛かった。
今日は俺がトレイを片づけた。高海さんは「ありがとう」と頭を下げた。
店を出るとあたりはもう暗くなっていた。冬至も近くなって日は短い。
スマートフォンで時刻を確認すると、それでも終バスまでにはまだ時間があった。
この時間なら、部活に戻ったほうがいいだろう。その前に高海さんをバス停まで送るとして。
俺はそこで思いつく。もし彼女がうん、と言ってくれれば……。
「高海さんは、これから予定ある?」
「予定はとくに……内浦に帰るだけ、だけど」
高海さんは不思議そうに聞いた。あ、もしデートの誘いとかだと思われたら困るな。いや、OKしてもらえるなら、それはそれで困らないのだけれど。
へんにぼかさないで直球で頼むことにする。
「さっきの歌詞、歌ってみてくれないかな?」
彼女はきょとんとした顔で俺を見た。無理もないと思う。俺は極力、客観的に理由を話す。
「やっぱり実際に歌ってもらったほうが編曲の参考になると思うんだ。歌いにくいところとか、盛り上がりとか」
「えっ、それは……」
彼女は嬉しがるような恥ずかしがるような表情になった。
「さすがに、ここだとどうかな……」
頬を染めてそう言いながらあたりを見渡した。そういう誤解をされるとは思わなかったので、あわてて付け足す。
「いや、ここじゃなくてさ。たとえばカラオケとかで」
「あっ、そうか。そうだよねー。あはは」
彼女は照れくさそうに笑った。
「それで、どうかな?」
でも本当は、彼女の歌を目の前で聞きたい。それだけが理由だった。
「えーと、その……」いったん目をそらしてから小さくうなずいて俺を見る。「うん、いいよ。私も、聞いてもらったほうがいいと思う」
「ありがとう」
俺は内心小躍りしながら、つとめて冷静にそう答えた。
・
俺は何度か行ったことのあるカラオケ店へ彼女を案内した。
「駅前だからすこし歩くけど、大丈夫?」
「うん、平気だよ。ほら、浦の星って山の上でしょ。いつも歩いてるから」
そういえばそうだった。きっと俺なんかよりも高海さんのほうが体力はあるのだろう。
「私、カラオケ、ひさしぶりかも」
「へえ、ちょっと意外だね」
「そもそも、沼津まであまり来ないから」
「ああ、そうか。内浦にはカラオケ、ないか」
「ないねえ。あ、旅館によってはあると思うよ。うちにはふっるーいのしか、ないけど」
聞けば高海さんの家は旅館をやっているのだそうだ。
そんなふうに雑談をしながら歩く。
カラオケ店に着いて、最短の一時間だけ部屋を借りた。終バスまでは三十分くらいだ。
防音のドアを閉めると喧騒がぐっと静かになって、急に彼女と二人きりだということが意識された。
雑談など始めたら間が持たない気がして、俺はさっそく本題に入る。
「あの、ちょっと準備するから、座って待ってて」
「わかった」
彼女は女の子らしく足を揃えて椅子に座った。
俺はマイクの音だけが聞こえるように部屋の機材を調整した。
桜内さんの曲はスマートフォンに転送してある。たぶん自宅からなにか持ってくればスマートフォンの音を部屋のスピーカーから流せるはずだが、今日はいきなり思いついたので、なにも用意していなかった。
しかたがないので最大音量で再生することにした。
マイクを高海さんに渡す。
「ちょっと声、出してみて」
「はい。じゃ、行くよ。……あー。あああああー」
彼女は発声練習のように音階を付けて歌った。
いきなり声の質が変わって、俺はびっくりする。ギアが一段、切り替わったみたいだった。
俺はマイクのボリュームを小さくした。
彼女はもう一度、声を出す。
「いいかな?」
「うん、よさそうだね」
俺はうなずいた。マイクはいらないくらいだった。
俺は歌詞を書いた紙を鞄から取り出した。
高海さんが見えるようにした方がいいよな。
俺は彼女からすこしだけ離れて座り、テーブルの俺と彼女の中間に紙を置いた。
「再生するから、それじゃ、よろしく」
彼女がうなずき俺は再生ボタンをタップした。
ピアノのコードと桜内さんの声にあわせて、高海さんが歌い始めた。
のびやかで張りのある声。ギアがさらに一段、切り替わっていた。
Aメロの半音の転調と、歌詞のわくわくした感じがよくあっていた、Bメロでは一転してゆったりとムードたっぷりに。サビはふたたび元気よく呼びかけるような詞だ。
きっと何度も歌ってみたのだろう、彼女はほとんど歌詞を見なかった。
桜内さんの曲には二番がついていないので、そのままCメロに入る。ミュージカル風というのが、はっきりと出た個所だ。
高海さんは自分に語りかけるように歌った。途中、目を閉じてすこし下を向く。そしてCメロの最後はもう一度顔を上げて、歌詞は自信に満ちた宣言に聞こえた。
最後の大サビ、高海さんは高らかに、みんなに呼びかけるように歌い上げた。
俺はいつの間にか歌詞を見るのを忘れて、彼女の横顔を見つめていた。
最後の和音が消えていき、彼女は上気した顔で俺を見た。きっと俺は間抜けな顔をしていたと思う。
それくらい高海さんはすごかった。
「えっと、どうだったかな?」
「うん、その」
俺はごくりと唾をのんで続ける。
「素敵だった、とても」
掛け値なしの本音だった。
声もそうだけれど、彼女の歌を、生で、直接、聞いたことで、歌詞と旋律からのイメージがぐっと広がっていた。改めて素晴らしい曲だと思う。
「うわあ、ほんと。嬉しい!」
高海さんは飛び上がらんばかりに喜んだ。上体をすこし俺のほうに傾けていて、吐息が聞こえそうな距離だった。彼女はきらきらと瞳を輝かせる。
俺はあわてて歌詞に目を向けて聞いた。
「どこか歌いにくいところ、なかった?」
「あっ、二番のBメロ!」高海さんは歌詞のその部分を指さした。「言葉は変えたくなくて、でも長すぎるんだよ」
高海さんは短く歌った。
「ほら、すっごく早口になっちゃって」
「タータタ、ってところか。うーん、二番だけ音符を増やせばいいかな」
俺は口ずさんでみせる。
「あ、いい感じかも」
高海さんはうなずいて自分でも歌ってみる。
「うん、すごく歌いやすくなった!」
彼女はにこりと微笑んだ。
ほかにも何か所か気になる部分を聞いた。その場ではどうすればいいか思いつかないのが大半で、俺はノートにメモを取っておいた。
・
一通り聞いて、だいたいいいかな、と思ったとき。
「あっ! 終バス!」
高海さんが声を上げた。
そういえばそうだ。スマートフォンを確認すると、終バスの時間が迫っていた。まずい。
あわてて俺たちはテーブルの上のスマートフォンやノート、歌詞の紙などを鞄にしまった。
俺はカウンターで精算をすると先に店の外に出ていた高海さんに合流する。
「あと何分ある?」俺が聞く。
「三分!」
沼津駅南口のバスターミナルまでは、徒歩三分というところだ。ぎりぎりだ。
俺たちは走り出した。
沼津駅前の交差点には横断歩道がなく、かわりに地下道でつながっている。階段を駆け
悔しいことに高海さんのほうがやっぱり体力があった。
バスターミナルについたときには俺は肩で息をしていたのに、高海さんは呼吸が速くなっている程度だった。基礎練習をもっとまじめにやらなきゃ、と痛感する。
それでもバスまではあと一分あった。
「それじゃ、なにかあったら、連絡するから」
バスのドアの前で、俺は息も絶え絶えになりながら話した。
「うん! よろしくね、西村くん」
高海さんは微笑んだ。俺はもうひとつ、思いつく。彼女の笑顔に背中を押されるようにして、聞いた。
「あの、連絡先、教えてくれる?」
彼女は目を丸くした。俺はあわてて付け加えた。
「歌詞で確認したいとこととか、あると思うし」
部活のメールアドレスだといちいち部室に行かなくてはならないから不便だ。やっぱり直接聞けたほうがいい。そう心のなかで言い訳する。
でも、もっと頻繁に連絡を取れるようになりたい。距離を縮めたい、というのが本当の理由だということはわかっていた。
高海さんにそれが伝わったのかどうかはわからない。彼女がどう思ったのかもわからない。
でも、彼女はうなずいてくれた。
「もちろん、いいよ!」
俺の心は舞い上がる。
「それで、どうすればいいかな?」
時間がない。どうすればいいんだろう。やっぱり電話番号かな。
俺は彼女のスマートフォンの電話番号を見せてもらって、自分のスマートフォンからダイヤルした。彼女の手元から着信音が鳴って、俺はほっとする。
高海さんは俺が電話を切ったのにもかかわらず、スマートフォンを耳に当てた。
「もしもし? あれ?」
そんな高海さんはとてつもなく可愛かった。
「ごめん、切っちゃった」
「あ、そうか、そうだよね。あはは」
「そろそろ乗らないと、高海さん」
「うん、今日はありがとう」
高海さんはステップをのぼり振り向く。
「曲、楽しみにしてるから!」
そう言って彼女が手を振ったところでブザーが鳴り、ドアが閉まった。
俺はガラス越しに手を振り返す。
もう一曲、なにか歌ってもらえばよかった。彼女は本当に素敵だったから――いや、そんな時間はなかったか。
彼女を乗せたバスが小さくなるのを、俺はそんなことを思いながら見送った。