その日の行軍訓練は、雨が降りしきる薄暗い森の中で行われた。
「とっとと走れこの鈍間どもが! そんなに貴様らは巨人の餌になりたいのか!」
馬に乗って併走するキース教官から一喝が飛ぶ。しかしそれに応答できるほどの余裕を持つ者は誰もいなかった。フードを目深に被り、みっしりとした重量感のあるリュックサックを背負って走る訓練兵達の顔には疲労の色が色濃く表われている。
「く、くそっ……!」
酸欠で意識を朦朧とさせながらアルミンが毒吐く。自他共に認める頭脳派であるアルミンにはこの訓練は非常に酷なものだった。ただ森の中を走るだけであればいざ知らず、この悪天候だ。足下にまで気を配らなければならない疲労感はいつもよりも早いペースでアルミンの余力を削いでいった。
「どうしたアルレルト、遅れているぞ!」
教官の声に急き立てられる。そんなことはアルミンとて聞くまでもなくわかっているが、もはや酸素が身体に行き渡らず、身体が言うことをきかなくなり始めていた。
「貴様には重いか! 貴様だけ装備を外すか!?」
そうできたらどれほどいいだろうな、と思う。だが今回はそうも言ってられない。だからこそアルミンも何とかしようと踏ん張っているわけだが――。
「貸せアルミン!」
小声でそう叫び声が聞こえるとともにアルミンの全身が軽くなる。いつの間にか隣に並んできていたライナーが荷物をひったくったのだ。
「ライナー、どうして」
「今回の訓練は採点されてんだぞ……! お前だって脱落組の仲間入りしたくはねえだろう!」
「でも、そんなことしたらライナーまで」
「バレねえように尽くせよ、俺の気が変わらねえうちにな!」
そう返したライナーは二人分の荷物を背負っているにも関わらず、重さなど感じさせない風情で先を走る集団に追いつこうとしている。何も背負っていない、身軽なアルミンを置き去りにして。
だが、それは、
「何馬鹿やってんだ、ライナー」
唐突に聞こえた声に息を呑む。必死に走っていたから気付かなかったが、いつの間にか現われたジョシュアが疲弊した様子も見せずに併走していた。
「ジョシュアか、お前もっと前走ってたはずじゃなかったかっ?」
「急にわざとらしくペース落とす馬鹿がいたから様子見に来てやったんじゃねえか。で、それは何のつもりだ?」
その声に、アルミンは背筋がすくみ上がるような思いを抱いた。
自分が望んでやったことじゃない。けれどライナーの行動は、紛れもなくアルミンを思いやってのものだったから。
咎めるような冷たい声に、前を走る屈強な男は力強く言葉を返した。
「見りゃわかるだろ、察しろ!」
声を出すことさえ躊躇うとばかりに、声を落としてライナーが叫ぶ。アルミンは勿論のこと、見つかればライナーとて厳罰は免れないのだ。その心情を慮れば当然の要求ではあったが、しかしジョシュアは鼻を鳴らして肩をすくめる。
「察してるさ。だからこうして口出ししてんじゃねえか」
「ああ?」
「お前の馬鹿は嫌いじゃねえがな、そりゃただのおせっかいだ。……そうだろ、アルミン」
言葉とともに、ジョシュアの瞳が鋭くアルミンを射貫いた。
これでいいのか、と。それでいいのか、と。猛禽類を思わせる目が静かにアルミンを問い詰めていた。
「僕は――」
アルミンとて、このままではいけない、という思いはある。自分のことも顧みず行動してくれたライナーには感謝してもしきれないが、これは明確な不正だ。アルミンと同じくらい体力がなくても頑張っているだろう同期がいることを考えればそんなことが許されていいはずがない。
だが、その一方で、落ちたくない、という強い意識があるのもまた事実だった。
先程ライナーが言った通り、今回の試験は採点されている。まして卒業を控えたこの時期に脱落なんてことになれば、下手をすれば無事に卒業できないなんてことも十分に考えられる。
意地を張るか、プライドを捨てるか。狭間でわずかに揺れるアルミンの耳に、ジョシュアの静かな声が届いた。
「あいつら二人は、今お前よりずっと前を走ってる」
「……っ!」
「追いつきたいなら、それ相応の『覚悟』が必要だ」
誰のことを言っているのか。何のことなのか。そんなことは聞くまでもない。どうしてジョシュアがアルミンの心中を正確に察したような言葉をかけているのかさえ今はどうでもいい。
あの二人が優れていることは理解している。自分が体力面で二人どころか同期の中でも大きく劣っていることも理解している。
それでも――このままでいい、なんて腐抜けたことを考えたことは一度もない。
「お荷物なんて、死んでも御免だ……!」
アルミンの目に力が宿る。迷いを振り切り、大きく踏み出した足が二歩、三歩と続き、前を走っていたライナーから自分の荷物を奪い返して追い抜いていく。
――あれ、と。
ふと、アルミンの脳裏を何かがかすめた。
それははっきりと言葉にすることも難しいほどに些細な疑問。あまりにも不確かで、気のせいと言われればそれで納得してしまいそうな違和感。
――身体が、軽い。
呼吸は荒く、身体は熱を持ち、身体に蓄積された疲労は今にも身体を押し潰しそうだ。
にも関わらず――軽い、と感じる。わずかの間ではあるが背負っていた荷物から解放されたためだろうか。それともただの勘違いだろうか。
「良い気迫だ。気張れよ、アルミン!」
激励のつもりだろうか、力強く肩を叩いたジョシュアがアルミンを追い抜いて走って行く。ちらりと見えたその横顔には口の端を釣り上げた笑みがあった。
背負う重みなどまるで感じさせない様子で去って行くその大きな背中に追いつくように、アルミンは速度を速めていった。
――高い高い壁がある。超えられないほどに、高い壁が。
「く、そ……っ!」
矢のように飛んでいく背中に追いつくようにガスを噴かせる。ガスを如何に温存するかもこの試験における加点対象の一つだ。後々のことを考えれば温存しておきたいのは勿論だが、如何に早くターゲットを発見し、斬撃を加えるかについてはより加点量が大きい。優先するなら当然こちらだ。
だが――それでも。
――追いつけ、ない!
ガスを噴かせてようやく詰めることができるなんて理不尽、本当にあっていいのだろうか。しかし現実は厳しくも目の前にあり、ガスの噴射による慣性の力が失われた途端に距離が開き始める。
ならば、後はそれ以外の点で勝負するしかない――そう判断した瞬間に目の前の背中が急に方向転換をする。理由など考えるまでもない。あの視線が向く先には間違いなくターゲットの姿があるのだろう。
「っ、しまった!」
目の前の背中に気を取られるあまり、ターゲットを探すことを忘れるなどとんだ間抜けだ。焦りながらもアンカーを打ち出して方向を変え、前を行く背中に追随するも、それはあまりにも致命的な遅れだった。
巨人を模した模型の頸部に、ワイヤーを巻き取る甲高い音が猟犬のように食らいつく。振るわれた二振りの銀閃はまさしく猟犬の牙となって、鮮やかに獲物の首を刈り取った。
獲物を見つける目。接近する速度。斬撃の精密性。どれをとってもその能力は104期生の中で圧倒的だ。
この卒業試験も、ほぼ間違いなく追いかける背中が――ミカサが首席となるのだろう。
――負けてられるか!
そう奮起させるエレンの刃が模型の首を刈り取った。その斬撃の跡はやはり、ミカサより浅いものではあったが、すぐにエレンは気を取り直して次へ向かった。ミカサはすでに先へ進んでいる。これ以上遅れを取るわけにはいかない。
――あった!
迫り出した木々の枝を抜けて進んだところで、次のターゲットを発見した。同時にミカサも捉えたのか、前方からガスの噴射音が響く。だが、集中していただけあって獲物の発見は同時、更にはターゲットの距離もエレンの位置に近い。
ここだ、と判断したエレンはガスの消費効率を度外視して速度を増した。消費量は馬鹿にならないが、あのミカサを出し抜いて一番最初に点を取る利点は非常に大きい。それだけの価値があると信じてエレンは急激な加速を開始する。
立ち塞がる木々の枝を身体をわずかに捻ることでかわし、模型が中央に佇む開けた場所に突入する。――過剰に噴かした甲斐があった、とエレンは会心の笑みを浮かべた。周囲を見渡してもミカサの姿はない。一番に辿り着いたのはエレンだった。
――獲った!
アンカーを射出して軌道を定め、振りかぶった二振りのブレードが今にも振り下ろされんとしたその時、エレンの耳朶にもう一つの風切り音が広がった。
「な――っ!」
直後、響いた斬撃音は二つ。しかし、最初に獲物を狩ったのはエレンではない。エレンより先んじて獲物を刈り取ったその人物は、勝利に酔うこともなく次の獲物を求めてアンカーを射出する。
馬鹿な。どうして。エレンの思考がノイズに歪む。これが試験であることも、目の前に獲物があることも忘れてそれを見る。
――どうして、ジョシュアがここにいやがる!
風を切って現われたのは、紛れもなくエレンと同じ志を持つジョシュアに相違ない。しかしありえない。ミカサも、それを出し抜いたエレンをも追い抜いて先に点を取るなど、一体どんな裏技を使えば実現できるのかさえわからない。
驚くべきは、その速度。
「速い……ッ!」
ガスを噴かせて飛び去るその速度は、決してミカサに見劣りしない。否、先程までその背中を追いかけていた身にとっては、それは紛れもなく同期一の能力を持つあのミカサに匹敵している。
訓練の時も優秀ではあったが、これほどではなかった。少なくとも、ミカサほどに隔絶した能力差はなかったはずだ。
それが示すところはつまり――
――あの野郎、今まで手ェ抜いてやがったな!
なんて狡い奴。いや、あいつに限ってはそれさえも褒め言葉になってしまうのか。
いずれにせよ、ここまで隠してきたらしい実力をジョシュアはついにこの場で披露した。普段から見せればいいものをこの時に披露するということは、理由はわからないがジョシュアはこの試験に並々ならぬ執着があるらしい。
だが、と思う。
――そんなキャラじゃねえだろ、お前。
試験で首席を取る。成程、それは確かに一つの大きなステータスとなるだろう。訓練兵団を首席で卒業したとなれば、どこの組織に入ったところで好待遇で迎え入れられるに違いないのだから。
何より、高順位を目指す最大のメリットは憲兵団を志望できることにある。憲兵団とは、壁の内側での仕事を主とし、王の近衛兵として従事する組織。それはつまり、人類最大の外敵である巨人の脅威から一番離れた安全な場所で過ごすことができるということ。
同期の誰もが、そんな絶対的な安全を求めて憲兵団を目指している。上位十名の中に入らなければ憲兵団を志望することはできない。そのために日々己の技量を高め、壁の内側に逃げ込もうとしている。
故に、もしこれがジョシュアでなく他の誰かであったなら、エレンは欠片たりとも違和感を感じることはなかった。普段からその実力を出せよ、と内心で思いこそすれ、ここまで思うことはなかっただろう。
だが、ジョシュアは違う。奪われたままでいることを良しとせず、安全な領域である壁の内側に逃げ込むことを拒絶し、巨人への憎悪を燃やすエレンと同じ異端者なのだ。
そんなあいつが高順位を目指して真面目に頑張るなど、エレンでなくとも首を捻ることだろう。そもそも普段の成績であってもそれなりに優秀なジョシュアだ。実力を隠していた理由に検討もつかなければ、隠していたものをこの場で発揮することにも納得がいかない。
ならば、あとは。
――あいつ、まさか本気で?
数日前のやりとり。誰もが無理だろうと呆れた宣言。
しかし――問いかける背中にふざけた様子はなく。あるいは、と思わせてしまうほどに目を見張る速度でエレンの視界から消え去っていく。
「……くそ」
――高い高い壁がある。
見慣れたものと、もう一枚。
超えられないほどに、高い壁が。
「てめえ、この詐欺野郎!」
試験を終えて一息を吐いていたところへ、肩を怒らせながらジャンが詰め寄ってきた。
「詐欺? 何が」
「聞いたぞ。てめえ、今まで手ェ抜いてやがったな?」
怒りに眉を引き攣らせながらジャンが指を突きつける。その語気の荒さといい、どうもかなりご立腹らしい。視線をその向こうへやれば、顔を突きつけて俄にどよめいている集団がある。その視線が時折俺を捉えるところを見ると、どうやら情報源はあそこらしい。
「何を聞いたんだ?」
「てめえならもう察してんだろう。てめえの様子を見てた奴はミカサに匹敵する腕だとか信じられねえことを言ってたけどな。それはともかくとしても、てめえが俺達に実力を隠してたってのは疑いのねえ事実だ」
「ミカサに匹敵する、ね」
思わず口の端が吊り上がる。それを見たジャンの眉もまた怒りに吊り上がるが、構わずに余裕を保ったまま言葉を作った。
「お前らしくもないな、ジャン。他人の話をそのまま鵜呑みにして信じるなんて、皮肉屋のお前らしくもない」
「スカしてんじゃあねえぞ! 証拠はなくても証言は上がってんだよっ」
「だとして、それに何か問題があるのか? 自分で言ってるじゃないか、ミカサに匹敵するなんて信じられないと。ならお前はただ成績発表の時までミカサの勝利を信じていればいい。違うか?」
「そうだな、その通りだ! だがお前が実力を隠していやがったことについてはまた別だ!」
「なあジャン。一つ聞くが、卒業を控えたこの時期の最後の試験で本気を出さない理由があるのか?」
「ぐ……!」
「ついでにもう一つ――いや、二つか。お前がそこまで憤る理由は例の賭けだろうが、思い出せ。あの時条件を吹っかけたのはお前で、その時俺の実力を確認しなかったのもお前だ。自分の失態を棚に上げて、まして試験を終えたこのタイミングで俺を詰るのは感心しないな?」
「こ、こいつ、さも当然のように言いやがって……!」
煽るように浮かべる笑みにジャンが色鮮やかに青筋を立てる。今にも爆発して乱闘沙汰に発展しそうな二人の空気に周囲がオロオロしているが、この賭けを吹っかけた時はむしろ俺がこいつに煽られていたのだ。つまりは自業自得。震える拳を振るわないのもそのことを覚えているからだろう。
そう。この卒業試験が始まる前に、俺とジャンは一つの賭けをしていた。
104期生の憧憬と畏怖と驚愕の象徴。難攻不落の頂点。ミカサ・アッカーマンを抜いて俺が首席になれるかどうか。
この賭けを吹っかけた時、そんなの賭けになるかよ、とジャンは笑った。あの優秀なライナーでさえその背中に触れることができないほど隔絶した実力を持つミカサだ。その反応は妥当なものだったし、俺自身勝率は五分五分にも満たないと理解していた。
だからこそジャンは俺が勝った際には解散式の夕食を全部俺にやると言い放ったわけだし、俺が負けた際の条件を決めることもなかったのだ。負けた時のことなんて――ミカサが負ける姿なんてちっとも考えられなかったから。
その場で賭けの内容を大々的に宣言した時にはジャンと同じように囃し立てられもしたが、今ではそいつらもこちらの様子を窺いつつ色めき立っている。そんな視線を受けていると、流石に頬が吊り上がるのを抑えられない。
もう一つ煽ってやるか、と口を開いたところで、
「――そんな理由でエレンの邪魔をしたの?」
「はっ、殺気!?」
思わずその場から全力で飛び退く。声をかけられただけにしては驚きすぎ、と捉えられるかもしれない。だが今俺の感覚ははっきりと、喉元に冷たく触れる刃の如き殺気の感触を捉えていた。改めてその姿を視界に入れれば、当然そいつはブレードを所持していない。だが俺の知るそいつなら、たとえ手刀であっても喉笛を裂くことくらいは平気でこなせてしまうだろうと思う。
「答えて。どうしてエレンの邪魔をしたの」
「……何のことだかわからないな。俺がエレンの何を邪魔したって? ミカサ」
「わからないなら、思い出させてあげる。それでも思い出せないなら、仕方ない。……もう、エレンの邪魔をすることができないようにしてあげる」
「ふざけんな、思い出せても思い出せなくてもたいして変わらねえじゃねえか畜生め……!」
光の失せた幽鬼のような目。心なしか刃物のようにぎらりと輝く手刀。野生動物どころか巨人より尚タチの悪い危険生物に目をつけられた俺は直ちに逃走を開始した。
「逃がさない」
と一言呟いてジョシュアを追いかけに飛び出したミカサの恐ろしさたるや。野生の豹を思わせる瞬発力で飛び出したジョシュアはすでにかなりの距離を開けていたというのに、それに劣らない速度で追随していく。徐々に詰められていく距離にジョシュアはどんな顔をしているだろうか。それを思えば少しは溜飲も下がった。
「ま、毎度凄いね、あの二人」
「あ? まあ、見応えはあるな。二人とも人類には出せない速度で走ってるからどちらかといえば肉食動物の狩りを見てる感覚に近い」
「到底ありえないたとえを聞いたはずなのにわかってしまう辺りがもう、ね」
はは、と引き攣った苦笑を浮かべるマルコはやはり常識人だ。すでにこのやりとりに慣れてしまった同期達は歓声を上げて二人を見送っている。やれまた始まっただのやれ今度こそ勝てよだの。同期を対象に賭けを始めるこの図々しさは本当に見習いたいものだ。
「それにしても、ジョシュアって本当に凄かったんだね」
「お前のその純粋さが羨ましいぜ。それに、今更驚くようなことか?」
元々訓練成績は優秀だったわけだし、燻製肉の時のように理解できないことを平然とやってのける奴だ。流石にもう一段奥の手があるとは思っていなかったし、だからこそ憤りもしたが、隠していた実力があったことには不思議と意外に感じていない自分もいた。
そう考えていると、こちらを見つめるマルコの意外そうな色に気付いた。
「何だよ」
「いや……本当によく理解してるんだなって。ジョシュアのこと」
「気持ち悪い言い方すんなよ……二年も付き合ってきたんだ、あいつの腹黒さなんて嫌と言うほど知ってるってだけだ」
そう、と微笑ましそうにこちらを見るマルコの視線は何なのだろうか、一体。殴るぞコラ。
「でも、やっぱり気になるね」
「ああ? 何が」
「皆も言ってたけどさ、どうしてこのタイミングで本気を出したんだろうって。憲兵団を目指しているならともかく、そうでないならあまりメリットはないような気もするけど」
「ま、上位十位に入ったことを誇りに思うような奴じゃねえことは確かだな。普通に賭けを吹っかけたからって、ただそれだけの理由じゃねえのか」
「でも、それだってジョシュアから吹っかけたわけじゃないんでしょ?」
「条件をつけたのは俺だが、発端はあいつだ。その後もノリノリで全員の前で宣言してやがったわけだしな。だからまあ、恥かかないように全力出したってんならわからないでもないが……」
「どうも、しっくりこないねえ」
違いない、と肩をすくめる。
「恥かかないように頑張るなんて殊勝な心がけ、あいつにあったらあんな捻くれた性格はしてねえだろうさ。そもそも、そんな賭け一つのために卒業試験まで実力を隠してたってのも意味がわからねえ」
「なら……」
「案外、本当に意味なんてなかったりしてなぁ」
それもありえそうな話だ。意味のある行為と思わせて意味のない行為をする。如何にもジョシュアのやりそうなことではないか。
だが――
――あの時、あいつの目は本気だった。
ミカサに勝てたら、と話を持ち出した時のジョシュアの目は、自身の決意を語って聞かせた時と同じ色をしていた。
ジャンとて初めはあまりの荒唐無稽さにまた馬鹿なことを言い出したな、と笑っていたが、その後の卒業試験に挑むジョシュアの並々ならぬ気合いの入れようはその考えを改めさせるには十分すぎた。その気迫は他の連中にも伝わっており、内々で密かに行われている賭けではもしやあるいは、とジョシュアを支持する連中も現われているほどだ。
とはいえ、その腹の内を推し量ることは今のジャンにはできそうにはない。如何に他の同期よりジョシュアとの付き合いが長いとはいえ、その全てを理解しているとは到底言えるはずもないのだから。
「何気持ち悪いこと考えてんだかなあ、俺は」
相も変わらずよくわからない奴だぜほんと、と毒を吐いてジャンは頭を掻きむしった。
「本日、諸君らは訓練兵を卒業する」
卒業試験を終えて数日が経った。訓練場に集められた104期生の顔色は闇夜においてもそれとわかるほど強張った面持ちをしている。固唾を呑んで見つめる先には、卒業試験の結果が乗ったリストと思しきボードを手に持った教官がいる。
――いよいよだな。
誰もがそれに注目している。ある者は自身の十位入りを願って。またある者は好奇心を秘めて。俺の賭けについて更に賭けをしている連中がいることはすでに知っているから、恐らくは俺とミカサの成績を気にしている面々もいることだろう。いずれにせよあらゆる思惑を抱いた視線が、今この時一心にただ一人の教官に注がれていた。
かくいう俺も、他の連中ほどではないがその視線はリストに固定されて中々離れない。緊張とは無縁の気質を持つと自負する俺だが、流石にこの緊迫した空気の中で全く緊張しないでいられはしない。
「訓練兵を卒業する諸君らには、三つの選択肢がある」
教官の説明を右から左へ聞き流しながら、試験のことを思い返す。
――思えば、全力を出したのはこれが初めてか。
生き残るために必死だったあの時を除けば、生涯で全力を出したのはこれが初めてだ。持てる力の全てを、《スタンド》という反則じみた能力まで注ぎ込んで発揮したのはこの試験を除いて他にない。
――なのに、これでも勝った気がしないって。本当にどんな化け物なんだ、あいつは。
ちらりと横目でミカサを見る。茫洋とした、何を考えているのかわからない漆黒の瞳がぼんやりと教官に向けられている。
卒業試験を終えて、やり遂げた、という実感は確かにある。なのに、確実に上回った、と断言できる種目は一つたりとてない。
――あとは神のみぞ知る、か。
持てる力の全てを使って、拮抗状態には持って行けた。
ならばあとは、座して結果を待つのみだ。
「尚、この中で憲兵団を志願することができる者は、これより発表する成績上位十名に選ばれた者のみだ」
どくん、と心臓が鼓動を打つ音が幾重にも重なって響いた。
誰かが息を呑む音がしたような気がする。ここにいる全ての人間の時が止まったような、そんな奇妙な錯覚に陥る。
「首席――」
ついに、その時がやってくる。
一つ、焦れそうなほどに長い時を置いて。
「――ミカサ・アッカーマン」
――ああ。
思わず、吐息を一つ吐いた。次に自分の名前が読み上げられたことさえ、何だか遠い別の世界のことのように感じられた。
全力を出して、初めて負けた。
そのことを実感しても、怒りや怨みのような感情はない。悔しい、という感情は少しはあるけれど、深く沈み込むほどではない。
――結局、勝てなかったか。
脱力するように肩の力を抜く。
勝ちたかった、という思いは当然あった。だからこそ今まで隠してきた本気を出したし、それどころか《ソフト&ウェット》の力に頼りさえした。気付かれるリスクを承知の上で、尚全力を注いで挑んだのだ。
それでも表情に焦りはない。自分から賭けを吹っかけ、反則技を使用した上で全力で挑み、それでも及ばなかった俺の精神はしかし、すでに平静のそれだ。
――何とか、当初の目的は達成できたしな。
ミカサに勝つ。そう大々的に宣言した最大の理由は、自分の本当の実力に対してのカモフラージュだ。
《スタンド》のことを可能な限り隠し通す。その基本方針は今でも変えていないし、卒業試験においてもできるだけ不自然に取られないよう細心の注意を払って使用したつもりだ。
しかし、それが異能の能力である以上どうしても違和感というものは出てきてしまう。ジャンや他の面々が言っていた通り、「何かがおかしい」と感じられてしまう。積み重なった違和感はやがて俺への不信となって、決定的な破滅を呼ぶだろう。
卒業をし、調査兵団に入団すれば、巨人と戦う機会は数多く訪れる。今でこそ使用は控えているが、その時《ソフト&ウェット》の能力を使わないという選択肢は俺にはない。
いわばこれは、風評操作。
同期一と目され、百年に一人の逸材と教官の中でも噂されているミカサに勝てば、俺の実力を疑う者はいなくなるだろう。たとえどれほど違和感を持とうが、今のミカサに対する評価と同じように「あいつは人外だから」の一言で済まされるに違いない。
――いや、本当にどうなってんだよあいつは。実はあいつも《スタンド使い》なんじゃないだろうな。
だとしたら不味いことになるだろうが、今のところは気付かれた様子も、こちらがあいつの《スタンド》に気付くこともない。推測でしかない以上、今は捨て置いていいことだろう。
ともあれ、そんなミカサに勝つことができれば俺は今までよりずっと自由に行動できる。そう考えた俺は俺とミカサの優劣について印象づけるためにジャンに賭けを吹っかけ、同期達に吹聴して回った。加えて自重することなく《ソフト&ウェット》の力を行使したこともあって、もはや俺の賭けについて知らない同期はいなくなっており、俺達の賭けについて更に密かに賭けるほど周囲の期待は高まっていた。
本当は勝つことができれば尚良しだったが、それでも『ミカサに迫る実力』という評価は得られた。卒業試験を終えた次の日に「よう人外」と呼びかけてきたとある馬鹿には気持ちのたっぷり籠もった拳をプレゼントしてやったが、その後も言葉は違えど、そういうニュアンスでからかってくる馬鹿は後を絶たなかった。
この様子なら、多少の違和感程度であれば勝手に流してくれることだろう。
――ああ、いよいよだ。
いよいよ、お前の《力》を存分に振るうことができる。
向かい合う――物言わぬ球体関節の人形。こうして目にしているだけで伝わってくる、圧倒的な力の奔流。その色は、あの日見た夕焼けのように美しい黄金色に輝いている。
――今度は、俺達が。
だから、その存在に誓う。
ここが始まり。ここから先は一度だって止まりはしない。
奪われる日々はもう終わりだ。これからは、俺達が――
――お前らから、何もかもを《奪って》やる。
※NGシーンその①
――あとは神のみぞ知る、か。
持てる力の全てを使って、拮抗状態には持って行けた。
ならばあとは、座して結果を待つのみだ。
「“柔らかく、そして濡れている”神様……俺に力を……!」
「おい誰かこいつ医務室連れてけよマジで」
※NGシーンその②
「よう人外」とか話しかけてきた馬鹿に拳を叩き込む。
ジョシュア「ったく、誰が人外だ誰が」
ミーナ「ねえジョシュア。その台詞鏡見てから言うべきだと思うな私は」
ジョシュア「何言ってやがる。本当の人外っていうのは――」
S&W「オラオラオラオラオラオラオラオラオラ!!」
ミカサ「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄」
ジョシュア「……な?」
ミーナ「いやどっちもどっちだよどう考えても」
NGシーンはパラレルだから(真顔)
ようやく人外評価、とほくそ笑んでるジョシュアですが、どう考えても同期達からはすでに人外評価受けているという。
スタンド能力合わせても適わない公式チートなミカサさんパねえ。
ちなみに順位はジョシュアが二位入った以外は特に変化なしです。
色々考えましたが、やはりこれが一番無難かなと。
次はようやくあの日、です。